By やまねたかゆき
「お姉ちゃぁん……どうしよう」
冬休み初日の朝。
アタシは、妹の泣きそうな声で起こされた。
かすかに開いた瞼は睡魔と重力に負けて、すぐにまた閉じてしまう。
頭が痛い。二日酔いだ。
昨日の夜は、大学の友達と夜中過ぎまで飲んでいて、いつ家に帰ったのかの記憶もない。
アタシは服を着たままベッドに転がっていて、雑誌とお菓子が入ったコンビニの袋が添い寝していた。
「お姉ちゃん、起きてよぉ……」
身体を揺すられる。
なんとかもう一度、重い瞼をこじ開ける。
妹の柚美(ゆうみ)の顔が目の前にあった。
まだ十六歳。アタシとは全然似ていない、小柄で華奢で、ものすごく可愛い妹の顔。
何故か、泣きそうな顔をしている。だけど、そんな表情もまた可愛い。
そして――
何故か、頭に耳があった。
え?
耳が頭にあるのは普通だって?
確かに。バッタじゃあるまいし、耳が脚についていたら一大事だ。
その点、柚美の耳は頭の両側の、普通の位置にある。
しかし、それとは別に頭の上にもう一組の耳が――茶トラのネコ耳があるのは何故だろう。
「……これ、見て」
「……うん、可愛いね」
アタシは、猫が大好きだ。だから、ただでさえ可愛い妹の顔が、当社比五十パーセント増しくらいに可愛く見えた。
それにしても、どちらかといえば内気な柚美に、コスプレ趣味があったとは知らなかった。変な友達に影響されてるんじゃなければいいんだけど。
「よく似合ってるよ」
「そーゆー問題じゃないの!」
せっかく褒めてあげたのに、柚美は口を尖らせて、アタシの腕を乱暴に掴む。細い腕のどこにそんな力があるのか、無理やり上体を起こされた。
「これ、触ってみて」
あたしの手を取って、自分の頭に触らせる。
……と。
耳が、動いた。
触られるのを嫌がるように、ぱたぱたと。
「すごいね、本物みたい。最近のおもちゃはよくできてるね〜。どこで買ったの? ハンズ?」
訊きながら、ネコ耳を指でつまんでみる。
さらさら、ふわふわの毛の感触も、本物そっくりだ。
これは、どうやって付けているのだろう。
普通、こーゆーアクセサリって、カチューシャみたいになっているはずだけど。
……なにも、なかった。
柚美の頭に、直にくっついていた。
接着剤? 両面テープ?
それにしては、どうして触っても継ぎ目がわからないんだろう。
だんだん、状況が飲み込めてきた。
まだ酔っているのかと思ったが、どう見ても、何度触っても、現実だ。
本物、だった。
それは、本物のネコ耳だった。
柚美の頭に、ネコ耳が生えているのだ。
「今朝起きたら、こうなってたの。どうしよう、お姉ちゃん……」
柚美はベッドの上に座って、うるうるした瞳でアタシを見上げている。
「う〜ん……」
アタシはしばらく考えて、言った。
「ま、可愛いからいいんじゃない?」
「うぇぇぇん、お姉ちゃんのばかぁ……」
ネコ耳姿で泣いている柚美は、ぎゅっと抱きしめたくなるくらいに可愛かった。
それにしても。
ネコ耳……ねぇ。
なんだろう。なにか、記憶に引っ掛かる。
だけど二日酔いの頭では、それがなにかは思い出せなかった。
「お姉ちゃぁぁん……どうしよう」
翌日。
また、妹の泣きそうな声で起こされた。
今日は二日酔いではないから、すぐに目を開ける。
柚美が、ベッドの傍に立っていた。
向こうも起きたばかりなのか、パジャマ姿だ。
何故か、パジャマの上だけを着けている。
パジャマの上だけを羽織った女の子って、どうしてこんなに可愛くてセクシーなんだろう。
小柄な柚美に、大きめのパジャマの上着。
思いっきりツボだった。ほとんど反則といってもいい。
「……で?」
思わず押し倒したくなる衝動を抑えながら、身体を起こす。
そして。
「……尻尾、だね」
アタシは、見たままを口にした。
柚美のパジャマの裾から見えているのは、紛れもなく茶トラのネコ尻尾だ。
「今朝起きたら、こうなってたの。どうしよう、お姉ちゃん……」
柚美はベッドの上に座って、昨日よりもさらにうるうるした瞳でアタシを見上げている。
「ちょっと、よく見せて」
「ひゃんっ」
柚美を四つん這いにさせて、パジャマの裾をまくり上げてみた。
確かに、尻尾だった。
本来なら尾てい骨がある辺りから、柔らかい毛に包まれた尻尾が伸びている。そのせいで、パンツが半分ずり落ちたような状態になっていて、脱がしてしまいたい衝動に駆られる。
「う〜ん、これは……」
「どぉしよう、お姉ちゃん……」
まじまじと尻尾を観察した後で、もう一度離れた位置から祐巳の身体全体を眺めた。
ネコ耳で。
ネコ尻尾で。
パジャマ上だけで。
ベッドの上に座って。
泣きそうな表情で、上目遣いにアタシを見ている。
鼻血が出そうなほどに、ツボだった。
「これは……昨日よりもさらに可愛さ二百パーセントアップ! だからアタシ的にはOK♪」
「な・に・が、『アタシ的にはOK♪』だぁぁっ!」
柚美の投げた枕が顔面を直撃して、ホントに鼻血が噴き出した。
それにしても。
耳に続いて、尻尾……。
なんだろう。
なにか、記憶に引っ掛かる。
大切なことを忘れているような気がするんだけど、それがなにかは思い出せなかった。
次の日。
柚美に、ネコの牙が生えていた。
八重歯の女の子って可愛いと思うから、これもOKだった。
その次の日。
瞳も、ネコになっていた。
もちろんアタシは、ネコ科の金色っぽい瞳は大好きだった。
その日の深夜。
そろそろ寝ようかと灯りを消してベッドに入ったところで、柚美が部屋にやってきた。
「お姉ちゃん……」
柚美は、さらに猫化が進んでいた。
カーテンの隙間から射し込む街灯のわずかな光を反射して、瞳が銀色に光っている。多分、寝る前に鏡でも見て気がついたのだろう。
「……それ、やっぱり見えてるの?」
部屋の灯りが消えているから、アタシからは柚美の姿はぼんやりとした影にしか見えない。その影が、小さくうなずいた。
枕元のスタンドを点けると、例によってパジャマの上だけを着た柚美の姿が浮かび上がった。尻尾が邪魔なので、あれ以来ズボンは穿いていないらしい。
「お姉ちゃぁん……どうしよう。あたし、どんどん猫になってくよぉ」
柚美はアタシのベッドに上がって、そのままアタシにしがみついてきた。
小さな身体が、かすかに震えている。
「どうしよう……あたし、このまま本物の猫になっちゃうのかにゃあ?」
……にゃあ?
確かに、かなり猫化は進行しているようだ。
「怖いの……怖くて眠れないの。今度目が覚めたら、完全に猫になってるんじゃにゃいかって思って……」
う〜ん。
アタシは単純に、よりいっそう可愛くなった柚美の姿を喜んでいただけだけど、本人はかなり真剣に悩んでいたらしい。
ま、それが当たり前といえば当たり前。
原因がわからない。
この先どうなるのかもわからない。
不安で泣きたくなるのも当然だ。
「大丈夫」
アタシは、柚美を抱きしめた。背中を優しく叩いてやる。
「たとえ柚美が本物の猫になったって、アタシがちゃんと世話してあげるから」
「お姉ちゃん!」
カプッ。
いきなり、鎖骨のあたりに噛みつかれた。
「それ、全然慰めになってにゃいよ!」
「だって、仕方ないじゃない。気休めなんて言えないよ」
アタシにだって、原因はわからない。
この先どうなるのかもわからない。
もちろん、元に戻す方法なんて見当もつかない。
根拠のない希望的観測の慰めを口にしたって、明日の朝にはすべて無駄になってしまうかもしれないのだ。
だから――。
だからアタシは、自分が約束できることだけを、柚美に対して誓えることだけを言うのだ。
「これだけは約束できる。たとえ猫になったって、柚美のことが大好きだよ。うんと可愛がってあげる」
「……でも、このアパート、ペット禁止だよ。あたし追い出されちゃう」
アタシの胸に顔を埋めたまま、泣き声でつぶやく。
「大丈夫。これは妹ですって言い張るから。だってそうでしょう? 外見がどうなろうと、柚美はアタシの大切な妹だよ」
「お姉ちゃん……」
「当然でしょ。二人きりの姉妹じゃない」
こう書くと、早くに親を亡くして他に身寄りがいないみたいだけど、実は両親は健在だ。しかしなんの気まぐれか、二人で海外に移住してしまったので、私の中では家族の数には入っていない。
だから今は、アパートで柚美と二人暮らしというわけだ。
「ネコ缶は、いつも一番高いやつを買ってあげる。絶対、4缶で168円のセール品なんか買わないから。週に一度は、本マグロのお刺身だってご馳走してあげる」
「そーゆー問題じゃにゃい……」
「本マグロ、嫌い? アジの方がいい? それとも、脂の乗ったシマホッケ?」
「いらない。…………でいい」
「え?」
蚊の泣くようなか細い声。その上、アタシの胸に顔を埋めるようにしているので、よく聞き取れない。
「……なにも、いらない。お姉ちゃんがいてくれれば……それだけでいい」
うわっ。
鼻血、出そう。
嬉しすぎるその台詞は、ただでさえ頼りないアタシの理性を、完膚無きまでに打ちのめした。
「柚美……」
頬に手を当てて、上を向かせる。
涙で潤んだ大きな瞳で、アタシを見つめる柚美。
もう、衝動を抑えることはできなかった。
顔を近づけていく。
唇が触れる。
ぴくっと、柚美の身体が一瞬だけ震えた。
ただ、それだけ。
頬に当てた手を離しても、逃げようともせずに黙っている。
自由になった手で、柚美を力いっぱい抱きしめる。
唇の間から、舌を差し入れる。
柚美の舌と、アタシの舌が触れる。
「ん……」
戸惑いがちに、柚美も舌を伸ばしてくる。柚美の舌は、少しざらざらしていた。
口の中で、二人の舌が絡みあう。二人の唾液が混じり合う。
柚美の腕も、アタシの身体に回される。
しっかりと抱き合って、長く激しい口づけを交わした。
もう、これが最後かもしれない。こうやって、人間の姿の柚美と抱き合えるのは。
だから、もう、自分の気持ちを抑える必要はないんだって思った。
「柚美……」
唇を離して名前を呼ぶ。二人の口の間で、唾液が透明な糸を引く。
「柚美、……アタシのものになりなさい」
パジャマのボタンを外しながら、きっぱりと言った。これまでずっと、我慢してきた台詞を。
柚美は真っ直ぐにアタシを見つめて――
こくん、と小さくうなずいた。
パジャマの前をはだける。小ぶりな、だけど綺麗なお椀型をした乳房が露わになる。
きゅっと締まったウェスト。
小さなお臍。
そして、淡い茂み。
やっぱり尻尾が邪魔なためだろうか、下着は着けていなかった。
「いっぱい、いっぱい、可愛がってあげる」
首筋にキスをする。
次に、鎖骨に。
その次に、胸のふくらみの麓に。
そして最後に、小さく尖った頂に。
唇が触れるたびに、柚美は小さく身体を震わせた。
「おねぇ……ちゃぁん……」
乳首を口に含んで、舌先で転がす。
もう一方の胸を、手の平で包み込んで優しく揉む。
「こーゆーの、初めて?」
胸への愛撫を執拗に繰り返しながら、アタシは訊いた。
切ない吐息を漏らしている柚美が、こくこくと何度もうなずく。
もちろん、訊くまでもなく知っていたことだ。内気な柚美は、これまで男と付き合ったことはないはず。実は、柚美に言い寄ろうとした男を、アタシがこっそりシメたこともある。
男なんかに渡したくない。
誰にも渡したくない。
柚美はアタシのものだ。
胸を愛撫していた手を、下半身へと移動させていく。
柚美は顔中、いや耳まで真っ赤になって、ぎゅっと目を閉じている。
柔らかな茂みに触れる。
そこは、ふわふわ、さらさらの猫っ毛だった。猫化はこんなところまで進んでいる。
だけど、その奥。女の子のいちばん大切な場所は、間違いなく人間のものだった。
まだ、他人を受け入れたことのないその場所を指で開かせて、指先をもぐり込ませる。
ぬるり、と湿った感触がある。
指を動かす。
熱い蜜が滲み出してくる。
「あ……んぁ……ぅんっ、は……ぁ」
鼻にかかった甘い吐息。
アタシの指の動きに合わせて、だんだん大きくなってくる。
「ひっ……ん、あんっ、んっ……あぁんっ!」
いちばん敏感な部分で、指を小刻みに震わせる。その動きを増幅したように、柚美の身体が痙攣する。
指の動きを、速く、そして大きくしていく。
小さな身体が、ベッドの上で弾む。
アタシの手から逃れるように、腰がくねる。
太腿を抱えるようにして柚美を押さえつけ、アタシは下の方へと移動していった。
両脚の間の、透明な蜜を滴らせている泉に顔を近づける。
「やっ……あんっ! そん、な……あぁんっ! あっ、はぁっ!」
柚美の脚が、アタシの頭を挟み込む。両手でぎゅっと髪を掴む。
それでもアタシは動きを止めず、女の子の急所へと舌を伸ばした。
「ひぃっ……あ、あぁっ!」
一瞬強張った身体から、力が抜ける。その隙に、手を滑り込ませる。
「あっ……だめ……あんっ、あぁんっ……あんっ……んぁっ」
柚美の中に、指を侵入させる。
ゆっくりと、少しずつ。だけと止まることなく、いちばん深い部分まで。
熱くとろけた粘膜の中に、人差し指が根元まで埋まった。中指がその後に続く。
さすがに、二本目は少しきつい。柚美の眉間に小さく皺が寄る。
まだ他人を受け入れたことのない証が、中指の侵入を拒んでいた。だけどアタシは躊躇することなく、その薄い襞を二本の指で引き裂いた。
「――っ!」
短い悲鳴。収縮した膣壁が指を締め付ける。
一度指を引き抜くと、蜜に混じった血が赤い筋を描いていた。
その事実に満足して、アタシは愛撫を再開する。
指で、身体の中から。
舌で、外から。
女の子がいちばん感じる部分へ、絶え間ない刺激を与え続ける。
「おね……っ、あぁっ、あんっ! あんっ! あんっ、あんっ!」
舌が、指が動くたびに、柚美の身体が弾む。嬌声が上がる。
甘く、そして切ない声が、さらにアタシを昂らせる。
夢のようだ。
柚美を抱いている。
柚美とセックスしている。
アタシが、柚美をこんなにも感じさせている。
夢なら、永遠に覚めないでほしい。
もっと、もっと、愛してあげる。
もっと、もっと、感じさせてあげる。
いつまでも、何度でも。
疲れなんか、感じなかった。
アタシは休むことなく攻め続けた。
部屋に静寂が戻ったのは、何度目かのエクスタシーとともに柚美が気を失った後だった。
アタシは満ち足りた気持ちで、猫のように身体を丸めて眠っている柚美を見ていた。
頬には涙の痕。
内腿とシーツには血と愛液の痕。
そして肌は汗ばんで、きらきらと光っている。
初心者相手に、ちょっとやり過ぎだったかもしれない。だけどこんなチャンスは二度とないかもしれないのだから、できる時に楽しんでおきたかった。
もしかしたら柚美は、明日には完全な猫になってしまうのかもしれない。
それでもきっと、今夜のことはずっと忘れないだろう。
アタシにとっても、柚美にとっても、大切な想い出だ。
喉の渇きを覚えたアタシは、裸のままキッチンへ行った。
缶ビールを取ろうと冷蔵庫を開けて。
そして――腰を抜かした。
誰だってそうだろう。自分の家の冷蔵庫を開けた瞬間、中から女の子が飛び出してきたら、びっくりしないはずがない。
『じゃじゃ〜んっ♪ ご存じ、マコちゃんでぇっす、お元気でしたかぁっ?』
必要以上に元気な、脳の毛細血管がプチプチと切れそうな甲高い声で、その女の子は叫んだ。
アタシは全裸のまま大股開きで、キッチンの床に座り込んでいた。この異常事態に、恥じらいなんて単語を思い出すはずもなかった。
雰囲気としては、歳は十代半ばくらいだろうか。
SMの女王様みたいな、身体にぴったりとしてやたらと露出の多い黒い服を着ている。
そんな女の子が、中身の詰まった冷蔵庫から飛び出してくるだけでも、自分の正気を疑うのに十分なくらいの異常事態だけど、もちろんその子の異常っぷりはそれだけにとどまらない。
頭には、羊のそれに似た二本の角。
背中には、コウモリに似た黒い翼。
お尻には、先の尖った細い尻尾。
そして当然ながら、小柄で童顔なのに胸が大きくて、目はツリ目で顔は可愛かった。
完璧だ。
これ以上はないというくらいに完璧な『悪魔っ娘』だった。
そして……
困ったことに……
今、突然思い出したんだけど。
アタシは、その子に見覚えがあった。
彼女に出会ったのは……そう、あの、二日酔いで目覚めた日の前夜のことだ。
『ごきげんよぉぉ〜っ♪ 悪魔っ娘マコちゃんでぇぇっす! あなたの願いをかなえてあげまぁっす!』
その子は、聞いている者の脳の毛細血管が一斉に破裂しそうな声で、高らかに宣言した。
思わず、問答無用で絞め殺したくなった。
なにしろこっちは、大学の友達と居酒屋の飲み放題を三軒はしごした直後だったのだ。甲高い声は、脳幹にまでキンキンと響いてくる。
普通なら、第一声を発した瞬間に間違いなく鉄拳制裁を喰らわすところだった。……腰を抜かしていなければ、の話だけれど。
無理もない。
その時のアタシは、千鳥足で家に帰る途中だった。
コンビニで雑誌とお菓子と缶ビールを買って、公園のベンチでひと休みしてビールを飲もうとして。
缶を開けた瞬間、中からこんなものが飛び出してきたのだから、ショック死しなかっただけでも自分を褒めてやりたい。えらいぞ、アタシの心臓。
奇妙な女の子だった。
頭には、羊のそれに似た二本の角。
背中には、コウモリに似た黒い翼。
お尻には、先の尖った細い尻尾。
そして当然ながら、小柄で童顔なのに胸が大きくて、目はツリ目で顔は可愛かった。
まさしく絵に描いたような……いや、むしろセル画に描いたような『悪魔っ娘』だった。
『はぁぁい、今回あたしを解放してくれたのは、おねーさんですねぇ? ひとつだけ、どーんな願いでもかなえちゃいますよぉぉっ♪』
頭蓋骨を粉々に粉砕されたような心境で、それでもアタシはなんとか立ち上がった。
こめかみを指で押さえながら。
『なにがお望みですかぁ? カッコイイ彼氏? 年末ジャンボの1等前後賞? それともクレオパトラも真っ青の美貌? 思い切って、ジャニーズ全員を集めた逆ハーレムなんてのもオッケーだぁぁっっ!』
一瞬も迷うことなく。
アタシは、目の前のバカにウェスタンラリアートを叩き込んだ。
……で。
テンカウントを聞いて、勝利の美酒に酔いしれていたところで、ようやくマコとやらが起き上がってきた。
これ以上あの超音波攻撃を受けたら生命にかかわりそうだったので、開きかけた口にアルミ缶を突っ込んで黙らせ、筆談で事情を訊き出した。
マコは見ての通りの『悪魔っ娘』で、仕事(どんな仕事かは詳しく訊かなかった)でミスをして、謹慎処分になっていたのだそうだ。
謹慎の期間は、「誰か、人間に封印を解いてもらい、その願いを聞き届けるまで」。
普通、こういう悪魔が封印されているのって、古い遺跡とか、壺とかランプとか、海を漂う空き瓶とかが定番なんじゃないかと思うんだけど、どうやら悪魔の世界も時代によって変化しているらしい。
マコが言うには、最近は、比較的軽微な罰にはビールやコーラの封印が用いられるのだとか。確かに、世界中で毎日何億本と消費されるビールなら、誰かが「アタリ」を引く確率は高い。
で、アタシがその当たりを引いてしまったというわけだ。
「……その願いって、ホントになんでもいいわけ?」
『まあ、人間レベル、地球レベルの願いであれば、まず大丈夫ですね。さすがに「宇宙を滅ぼしてくれ」なんて言われると、あたしの力じゃ無理ですけど』
「ふぅん……そっか。それじゃあ……」
その時、アタシは酔っていたから。
だから、ずっと胸に秘めていた願いを、口にしてしまったんだ。
「……すっっっかり、忘れてた」
なにしろ、ひどく酔っていたから。
マコに会った時にはもうすっかりできあがっていて、さらにその後、マコに絡みながらビールを何本か空にしたから。
『おかしいですねぇ。普通、あたしに会った人間は、「一生忘れられない」って言うんですけど』
「……そうだろうね」
忘れたくても、忘れられないだろう。
あの、強化ガラスを粉砕できそうな甲高い声は。
『まあ、とにかく。今日はアフターサービスに来たんです』
「アフターサービスぅぅ?」
アタシは、力いっぱい不審そうに訊き返した。
悪魔が、アフターサービス?
なんだそりゃ。
『今の時代、悪魔のお仕事も万全のサポートが要求されるんでぇっす。ほら、昔話とかでよくあるじゃないですか。願いを言ったはいいけれど、ちょっとした誤解や行き違い、言葉不足なんかで、期待した通りにならずに不幸な結果を招く例が』
まあ、昔話の定番だ。
『それが、人間の悪魔に対する不信感を増す結果になっていたと思うんですよね。ですから我が社では、途中で何度か願いの進行状況をチェックして、問題があるようなら手直ししたり、場合によってはキャンセルも受けつけてまーす』
我が社?
会社なのか? 悪魔の組織って。
やっぱり、労働組合とかもあるのだろうか。最近のデフレスパイラルのせいで、賃金のベースアップがなくて嘆いているのだろうか。
『でも、どうやら問題なさそうですね』
マコは首を伸ばすようにして、寝室のベッドで丸まっている柚美を見た。
『ここまでの進行は順調。あと三日もあれば、完全に猫になりますよ』
……そう。
アタシの……アタシが口にした願いは「柚美のような、可愛いネコが欲しい。柚美本人をネコにできればもっといい」だった。
『時間がかかるのは、勘弁してくださいね。さすがにあたしの魔力じゃ、一瞬で完全な猫というわけにはいかないんですよ』
ぺろっと舌を出して言う。
可愛いと言えば可愛い仕草だけど。
「……根本的な、問題があるんだけど?」
『え?』
マコが不思議そうな顔をする。
『茶トラはダメでした? そうですね、言われてみれば、この子なら黒猫の方が似合うかもしれませんね。アメショーとかシャム柄もできます。カラーチェンジは簡単ですよ』
「違う、そうじゃない! そうじゃないの! だから、猫じゃないの!」
アタシは慌てて言った。肝心なところが食い違っている。
『え? だって、猫でしょう?』
「猫だけど、その猫じゃない!」
『猫違い? 人間の言葉って難しいですねぇ。ちょっと待ってください、調べますから』
マコはどこからともなく、分厚い辞書を取り出して開いた。表紙には『広辞苑』と書いてある。
『ね……ねこ……と。【猫】広くはネコ目(食肉類)ネコ科の哺乳類のうち小形のものの総称』
「違う、それじゃない」
『(猫の皮を胴張りに用いるからいう)三味線の異称……妹さんを楽器にしたいんですか?』
「違う! もっと違う!」
『猫火鉢の略……ねこ‐ひばち【猫火鉢】側面に数個の穴をあけた土製の囲いの中に、小火鉢を入れたあんか。蒲団ふとんの中に入れて足を暖める。……北海道ですから、ちゃんとしたストーブの方が暖かいと思いますよ。それとも、いま流行のハロゲンヒーターとか』
「だんだん正解から離れてくよ!」
『猫車の略……ねこ‐ぐるま【猫車】土砂運搬器の一。箱の前部に車輪が1個あり、後部の2本の柄で押して行く車……あなた、こんなものに欲情するんですか? 変わった趣味ですねぇ』
「妹で土砂を運ぶ姉がいるか! ましてやそれで欲情するかぁっ!」
ああ、もう!
どうして、広辞苑には載ってないんだろう。
あるいは『現代用語の基礎知識』や『イミダス』だったら、こうしたスラングも載っているんだろうか。
……そう。
アタシは、柚美を『ネコ』にしたかったんだ。
今風にわかりやすくいえば、『受け』だ。
ずっと、同性が好きだった。恋愛とか、性とかを意識するようになってから、ずっと。
それは多分、柚美のせいだ。柚美が可愛すぎるから。
抱きしめたかった。
押し倒したかった。
アタシのものにしたかった。
……だけど。
アタシのせいで。
そんな勝手な願いのせいで。
柚美をあんなに悲しませてしまったんだ。
バカだ、アタシ。
自分のバカさ加減に、涙が出てきた。
あんなに悲しそうな柚美なんて、見たくない。
もちろん、柚美を猫になんてしたくない。
もう、十分じゃない。
アタシの願いは、一応叶ったともいえる。たとえ、今夜一度きりのことだとしても。
アタシは顔を上げて、ベッドの上で眠っている柚美を見た。
猫のように丸まって。
時々、耳がぴくっと動く。
尻尾が揺れる。
可愛い。
本当に可愛い。
こんな可愛い妹を泣かせてしまった。
バカな姉の、バカな願いのせいで。
「ねえ、マコ……キャンセルもできるって言ってたよね? この願い、なんだけどさ……」
こんな願い、さっさとキャンセルしてしまおう。
可愛い柚美の寝顔を見ながら、アタシはゆっくりと言った。
「うわぁぁいっ♪」
朝。
目を覚ますと同時に鏡の前へダッシュした柚美は、満面の笑みを浮かべてぴょんぴょん跳びはねている。
嬉しいのはわかるけれど、せめて下着だけでも着けて欲しい。
じゃないと……また襲うぞ、コラ。
そんな欲望を知ってか知らずか、柚美が抱きついてくる。
耳がぱたぱたと動く。
尻尾が嬉しそうに揺れている。
「ねえ、見て見て、お姉ちゃん。昨日のまんまで、猫化はぜんぜん進行してないよ! あたし、猫になってないよ!」
「……そうだね。…………よ、よかったね」
声が、引きつっていた。
これ以上はないというくらいに、後ろめたい。
そう。
結局、キャンセルはしなかった。
できなかった。
だって。
だって。
可愛いんだもの。
可愛いんだものっ。
可愛い過ぎるんだものぉぉっ!
元に戻すなんて、もったいないじゃないっ?
こんなに可愛いのに! 可愛いのに! 可愛いのにぃぃっ!
……ということで。
一度はキャンセルしようと思ったんだけど、やっぱりもったいなくって。
ネコ柚美を、このまま手元に残しておきたくて。
柚美には悪いけれど、願いをちょっと修正してもらうだけにした。
猫化は、今の段階で止めて。
外出する時のために、本人の意思で一時的に耳と尻尾を消せるようにして。
……ごめんね、柚美。自分の欲望に忠実な姉で。
「ありがとう。きっと、お姉ちゃんのおかげだね」
「え?」
一瞬、声が裏返った。
マコとのことは、知られてはいないはず。
頬を真っ赤にして、柚美が恥ずかしそうに言う。
「思ったんだけどさ、完全な猫にならずに済んだのは、その前に、あの……えっと、ね、お姉ちゃんの……『ネコ』になっちゃったからじゃないのかなぁ」
「え? えっと……」
かなり飛躍した発想ではあるが、微妙に、正解をかすめていないこともない。
「まあ、そんなこともある……かも、しれないね」
「でも、本当によかった」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、柚美は甘えるようにアタシの胸に顔をこすりつけてくる。
アタシの中で、また、スイッチが入りそうになる。
「本当によかったぁ。……あたし昨日、大切なこと言い忘れてたから」
「大切なこと?」
「……あのね」
そこで、言葉が途切れる。
すごく恥ずかしそうに、もじもじしている。
やがて意を決したのか、真っ赤になった顔を上げて言った。
「……あたしも、お姉ちゃんのことが大好き」
「――っ!」
もちろん。
次の瞬間、アタシは柚美を押し倒していた。
‐おわり‐
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