終章


 実際に経験するまで、あたしは、公美さんと最後までしてしまうことが怖かった。
 そうしたら本当に、公美さんの虜になってしまうんじゃないかって。
 メロメロになって、自分が自分じゃなくなってしまうような気がして。
 それが怖かった。
 身体を許さなければ、最後の一線を越えなければなんとかなる――ずっと、自分にそう言い聞かせていた。
 だから――
 公美さんにバージンをふたつも捧げてしまって……否、奪われてしまって、これからどうなってしまうかと不安だったけれど。
 結局のところ、二人の関係に大きな変化は生じなかった。
 正式に公美さんの恋人になる話は、その後もずっと保留にしたままだ。
 公美さんは週に二、三回、あたしと同じ朝の電車に乗ってくる。
 そして、抵抗してもやっぱり触られてしまう。
 時々、一緒に食事したりする。
 週末はたまに、一緒に出かけたりする。
 これらのことは、前からしていたことだ。
 ドライブとかで二人きりになると、キスされたり、触られたりする。
 これも結局、以前と同じことだった。
 ただひとつ、ちょっとだけ変わったこと。
 月に一、二回、あたしは公美さんの部屋に泊まる。実際には、強引に泊まらされると言う方が正しい。
 もちろん寝るのは一緒のベッドで、最後までさせてあげ……いや、されてしまう。
 いっぱい、いっぱい、感じさせられてしまう。
 それが、公美さんに対する感情になんらかの変化をもたらすかと思ったけれど、やっぱりなにも変わっていないみたい。
 以前と同じ「痴漢とその被害者、だけどなんとなく友達」という関係を維持している、と。
 あたしは、そう思っていた。

 実はそれが間違いだって気づくまでには、三ヶ月以上かかった。
 あれからも時々会っていた笙子と話していた時に、気づかされてしまった。
 その時、笙子には公美さんとの関係を全部話したんだけど。
 笙子はいつも通り、お嬢様らしい静かな笑みを浮かべていたけれど、同性愛の先輩として、ズバリと核心をついてきた。
 つまり……
 あたしは、ずっと前から。
 多分、朝の電車で会うようになって間もない頃から。

 公美さんのことが、好きだったんだって。


 そう指摘されて、だけどあたしは反論できなかった。
 にこにこと微笑んでいる笙子を前にして、ただ真っ赤になってうつむいていた。
 多分、きっと。
 自分でもわかっていたのだろう。
 ただ、認めたくなかっただけなのだ。
 よりによってクリスマスイブ――それは公美さんの誕生日――の直前に、そんなことに気づいてしまったあたしは、途方に暮れてしまった。
 気づいてしまった以上は、このままというわけにはいかない。
 きちんと「お付き合い」の返事をしなきゃいけない。
 だけどやっぱり、それをあたしの方から言うのって、なんだか悔しい気がする。
 公美さんはあたしに痴漢して、強引に、エッチなことをいっぱいして。それなのに結局あたしを手に入れてしまうなんて。
 やっぱり悔しい。
 あたしって、変なところで負けず嫌いだと、今さらのように気づいた。
 だから。
 言葉に出してはなにも言わないことにした。
 ただ黙って公美さんのために、誕生日とクリスマスを兼ねたプレゼントを買った。
 以前、公美さんの口からちらりと聞いて、なんとなく記憶の片隅に残っていたもの。
 本屋で立ち読みした本の中で、偶然目に入ったもの。
 お店の人に相談して、捜してもらった。
 あたしにとってはずいぶん高かったけれど、今回だけは特別だからとお年玉貯金も少しおろして。
 ワイン好きの公美さんのために買った、一本のワイン。
 きっと、喜んでくれると思った。
 きっと、なにも言わなくてもわかってくれるだろう、と。
 フランスはブルゴーニュ地方の秀逸な生産者、コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエが作り出す中で、一番人気がある赤ワイン。
 公美さんが初めてご馳走してくれたワイン『ボンヌ・マール』と同じ村で生まれる。
 シャンボール・ミュジニー・レザムルーズ。

 その名前の意味は――『恋人たち』。



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