光の王国1 異界の戦士 序章 天と地の狭間で  それは、どこまでも、どこまでも、果てしなく続く荒野。  赤茶けた土の上を動くものは、乾いた風だけ。獣も、鳥も、それどころか植物さえも。生きているものの気配は何もない。  この辺り一帯は現在、生物の棲める環境ではなく――。  ただどこまでも、荒れ果てた大地が広がっていた。  しかしやがて、そんな死んだ風景の中にたった一つだけ、動くものの姿が現れた。  赤い砂が流れる乾いた大地の上を、ゆっくりと歩いている。  それは、人間の女だった。  ちょっと見ただけでは、年齢はよくわからない。二十歳から四十歳までのいくつであってもいいように思われた。  肩に軽くかかるくらいの長さで切りそろえた茶色い髪が、風に揺れている。この髪は、つい先日までは腰に届く長さがあったが、荒野の旅には邪魔だからと切ってしまった。  何年ぶりかで頭が軽い。  心が重く沈んでいる分、せめて身体は身軽でいたかった。  小高い丘の上に立った女は、周囲を見渡した。  彼女の他に、生きているものはいない。  今さら確認するまでもなく、それはよくわかっている。それでも、きちんと自分の目で見る必要があった。  人間が、犯した罪の光景。  目に焼き付けておかなければならない。  ただし、それを語り伝える相手はもういないのだが。 「…………」  女は小さな溜息をつくと、背負っていた小さなバックパックを地面に置き、自分も腰を下ろした。  さほど疲れていたわけではないが、別にいまさら、先を急ぐ旅でもない。  脚を前に放り出すように座り、地面に手をついて空を見上げた。  既に陽は沈んで、群青色の空は急速にその濃さを増している。  星が、少しずつその数を増やしていく。しかし今夜の星空は、それほど見事なものではないだろう。  この時刻、三つの月がすべて空にあり、太陽が今日の仕事を終えた後の空で、徐々にその存在感を増していた。  おかげで夜になっても荒野を歩くのに不自由はないだろうが、星空が好きな彼女にとっては少し残念だ。  静かな夜だった。  こんなに静かな夜は、この星にとって何百年、あるいは何千年ぶりだろうか。  人工の明かりはなにもない。厳密に言えばそれは正しい表現ではないのだが、いずれにしても、この星に文明が生まれて以来初めて迎える静かな夜だ。  この静寂が再び破られるのは、遠い未来のことだろう。 「……いっそのこと、永遠にこのままでもいいのかもしれない」  彼女はつぶやいた。  ひんやりとした地面に仰向けになる。  ちょうど天頂に、月がひとつあった。  一番明るく、一番大きく。そして、一番古い月。  きっと、地表からこうして見る月の姿は、一万年前、十万年前のそれとほとんど同じものなのだろう。空は、何も変わっていない。 「遠い昔、天が生まれ、地が生まれ……そして人が生まれた……」  小さな声で、故郷の国に古くから伝わる詩を口ずさんだ。  それは、創世の神話。長い長い神謡を口語訳した、その最初の一説だ。  彼女は上体を起こすと、三つの月に照らされて白く浮かび上がる周囲の荒野を見回した。  それは、滅びの光景。死せる大地の姿。  天は、創世の時代となにも変わらないのかもしれない。  しかし、大地は滅びてしまった。  なのに、何故。 「何故、人は生き残った……?」  その結論は、まだ出ていない。  自分のしたことが、正しかったのかどうか。  仲間たちのしたことが、正しかったのかどうか。  それとも、彼女たちの『敵』がしたことが正しかったのだろうか。  誰もが、自分のすることが正しいと信じていた。しかし誰もが少しずつ、自分のしようとしていることに疑いを持っていた。  正解は、誰にもわからない。  遠い未来、その答えが出るのかもしれないし、永遠に出ないのかもしれない。  彼女にとっては、どうでもいいことだった。  未来を築くのは、彼女の世代ではない。  それは、その時代に生まれた者たちの役目だ。  未来に対して、これ以上干渉するつもりはない。 「……だとしたら、なんのためにここへ来たのかしら」  考えるまでもない。その答えはわかっている。  ただ、寂しかっただけだ。  一人でいるのは、あまりにも辛すぎる。  今、彼女が会いたい相手は二人いた。  しかし、そのうちの一人とは、もう永遠に会うことはできまい。  だから、残ったもう一人を訪ねようとしている。  会って、何を言えばいいのかはわからなかったが。 * * *  目的地に着いたのは、翌日の午後だった。  相変わらず空は晴れ渡っていて、気温はかなり上がっている。それでも湿度が低いから、さほど不快には感じない。  彼女の眼前にそびえるそれは、大きな建造物だった。ドーム状の屋根を持ったスポーツ競技場にも似ているが、近くに寄れば、それよりもはるかに大きなものだとわかる。  物音はしない。動くものもない。  しかしそれでも、この施設はまだ「生きて」いた。  中には確かに、生命が存在している。  知らず知らずのうちに、口元が緩む。  おかしな話だ。これは、彼女の『敵』なのに。 「でも……」  それも、もう過去形で語るべきだろう。以前は敵だった、と。戦う理由がなくなった世界に、敵とか味方という概念は必要ない。  彼女は間近まで来て、その建造物を見上げた。ここを訪れるのは二度目だが、完成した姿を見るのは初めてだった。  あの混乱の中で、よくもこれだけの物を築けたものだと少し感心する。 「立派なものね、まるで…」  まるで、古代の王たちが築いた巨大な墓のようだ――と。  ふと、そう思った。  両者の間には、ある意味、多くの共通点があったため、その思いつきに彼女はくすくすと笑う。  ここまで来た以上、中へ入るつもりだった。しかし正面のゲートは固く閉ざされている。  無理やり開けることもできなくはないが、そうはしなかった。その程度のことは大したダメージにもならないだろうが、わざわざ相手を怒らせるような真似をする必要もない。  外壁に沿ってしばらく歩いて、やがて、小さな扉を見つけた。非常時に使用されるものだろう。  大型のトレーラーがそのまま進入できそうな正面のゲートとは比べものにならない。人が二人並んで歩くのがやっとだろう。  もちろん、この扉もロックされている。正規の鍵を使うか、中枢の制御システムがその必要があると認めない限り、開くことはない。  彼女は開閉レバーに手をかけて、扉を見つめた。  小さな金属音とともに、扉が開く。 「……結界もないなんて、不用心だこと」  小さく笑って、中へ入った。  無人の通路は、どこまでも続いているように見えた。  硬質セラミックの床と壁には、継ぎ目ひとつ見あたらない。  彼女の乾いた足音だけが響く。  通路は意外と入り組んでいて、あちこちに枝道や扉があった。  しかしそれらには目もくれず、なんの表示もない通路を、確かな足どりで迷うことなく進んでいく。  彼女は明確な目的を持って、ただ一つの場所を目指していた。  しばらく歩くと、通路は行き止まりになっている。  その、最後の扉の前に立つ。  何もしなくても、扉は音もなく開いた。  一歩、足を踏み入れる。  こちらに背を向けて座っていた男が、椅子ごとゆっくりと振り返った。  それは、三十代後半くらいの男だった。  きちんと櫛で整えた黒髪に、黒い瞳。  最後に会ったときと同じように、静かな笑みを浮かべている。 「……やあ。久しぶりだね、ファル」  立ち上がりながら、男は言った。  彼の背後の壁はガラス製で、外の風景や、建物の中の通路の様子が映し出されていた。  彼女が中に入る前から気付いていたくせに、わざとこうして芝居がかった動作をする。そんなところは昔と変わっていない。 「ようそこマルスティアへ、歓迎するよ。今となってはろくなもてなしもできないけど、ゆっくりしていくといい」  男は親しげに近寄ってくると、彼女の肩に手をかけて、頬に軽くキスをした。 「正直なところ、もう会えないと思っていた。よく来てくれたね」 「会わないつもりだったけど、そうもいかなくなったの」  笑いながら、彼女からもキスを返す。 「……どうして?」 「見てよ、この砂埃」  両手を広げて、自分の姿を見せた。  荒野を越えてきた長い旅がもたらす当然の結果として、着ているものも、顔も、髪も、赤い砂で汚れている。 「わざわざ歩いてきたのか、大変だろう? そんな必要もないだろうに。だけど、それと俺に会いに来ることにどんな関係が?」 「決まってるじゃない」  彼女は、昔よく見せたように子供っぽく笑った。 「……他に、シャワーが使えそうな場所に心当たりがなかったのよ」 一章 松宮 奈子  玄関を出たところで――。  奈子は、扉の前に立っていた小柄な女の子とぶつかりそうになった。 「あ、……由維?」 「こんばんは、奈子先輩」  大きなバスケットを抱えた、今年中学生になったばかりの小柄な少女がにこにこと笑っている。 「これからランニングですか? 夜食作ってきたんですけど」 「ありがと。……多分、一時間半くらいで戻るから」 「じゃあ、お茶の支度をしてますね」  奈子と入れ替わりに、由維と呼ばれた少女は家の中に入る。  それを見届けた奈子は、家の前で数回屈伸をしてから走り出した。 * * *  ここは札幌市の郊外。南区のはずれにある奏珠別(そうしゅべつ)という街。  アイヌ語で「滝のある川」を意味する地名の通り、中心には街を南から北へと縦断する清流が流れており、その川を少し上流へさかのぼれば、いくつかの美しい滝を見ることができた。  街の南側には、奏珠別川の水源となっている山々が連なっている。奏珠別の街はこの十五年ほどの間に急速に拓かれて住宅地となったが、その山々は自然公園として、まだ充分すぎる自然を残していた。  山を覆う原生林には、散策路や街を見下ろす展望台が作られ、休日には登山やハイキングに訪れる者も多い。  しかし今は夜。もう午後八時を回っている。こんな時間に山を登っていく人間はいない。駐車場のある麓の公園ならば、夜中でも時折アベックの姿などを見ることができるが、今から山道に入ろうなどという酔狂な人間はそう多くない。  それなのに、その少女――奈子は、一人で展望台への道を走っていた。  タンクトップにジャージ、ジョギングシューズに首のタオル。完璧なジョギングスタイルで、かなり急な上り坂をものともせずに駆け上がっていく。  身長は百六十センチ強。中学三年生という年齢の割には比較的発育のよい胸を除けば、彼女はかなり痩せて見える。  しかしよく観察すれば、その身体はよく鍛えられた、無駄のないしなやかな筋肉に覆われていることがわかる。  髪が短く、目つきの鋭い精悍な顔立ちをしていることもあって、奈子は、見る者に猫科の肉食獣のような印象を与えることが多い。そしてまた、その印象に相応しい運動能力も備えていた。  一キロ近い坂道を一気に駆け上がって、展望台に着いた。展望台といってもけっこう広く、ちょっとした公園のようになっている。実際、日中ならば遊んでいる子供の姿も多い。もちろん今は無人で、公園の中にいくつか立つ水銀灯が、冷たい光で周囲を照らしていた。  さほど息も乱さずに展望台に着いた奈子は、軽く深呼吸しながら、首にかけていたタオルを手近な樹の枝にかける。それから、一本の大きな樹の前に立った。  その幹には、ちょうど奈子の膝から頭くらいの高さまで、荒縄が隙間なくと巻かれていた。その前で軽く膝を曲げて腰を落とし、静かに息を吸い込みながら拳を構える。  次の瞬間、気合いとともに右の拳を打ち込んだ。  ズゥン!  重い音が響く。大人の胴ほどの太さのある樹がざわざわと揺れる。  七月という季節柄、枝から小さな甲虫がぽとぽとと落ちてくる。しかし奈子は気にもとめず、続けて左右の拳を規則正しいリズムで打ち込んでいった。  松宮奈子――それが、彼女の名前である。  奏珠別の街にある私立白岩学園中等部の三年生。そして、同じくこの街にある北原極闘流空手、札幌南道場の門下生だ。  空手だけではない。月に二、三度は古流柔術と剣術の道場にも足を運んでいる。要するに格闘技マニアというか、武道オタクというか、そんなちょっと変わった女子中学生なのだ。  学校が終わると道場へ行って稽古。家に帰ると、夕食の後はこの展望台までランニングして、軽く突きや蹴りの稽古をする。それが奈子の日課だ。  もうじき大会があるということで、最近は特に稽古に熱が入っている。  奈子の空手の実力は、中学女子としては相当なものだった。しかし昨年の大会では、同じ道場の先輩に予選で破れている。なにしろその先輩は全国大会でも優勝候補の筆頭で、中学女子では無敵といわれている選手なのだ。奈子にとっては不幸というしかない。  しかしその先輩もこの春から高校生。中学の部に、奈子を脅かすほどの相手はいないはずだ。だから奈子は今年こそ全道大会優勝、そしてあわよくば全国制覇を、と意気込んでいる。  突きや蹴りといった基本動作を一時間近く繰り返して稽古を終えた奈子は、汗を拭こうと、枝にかけたタオルに手を伸ばした。  その時になって、タオルの傍の枝に、紅いリボンが結んであることに気付いた。ちょうど陰になる位置にあったため、タオルをかけたときには気付かなかったらしい。  よく見ると、リボンにはなにやら文字のようなものが書いてある。結び目をほどき、手に取ってみた。 『Fight!』  紅いリボンに光沢のある白い糸で、そう刺繍してあった。  思わず、口元に笑みが浮かぶ。  奈子は、不自然なほど同性に人気があった。  理由は簡単だ。  背は高めでスタイルがよくて。  美人…というよりも、どちらかといえば美少年顔で。  後輩の面倒見がよくて。  空手の腕前は男勝り。  つまり「同性の後輩にもてる女の子」の条件をほぼ完璧に満たしているのだ。  空手道場の後輩はもちろん、学校の一年、二年の女子からも「奈子お姉さま」と慕われている。  今年のバレンタインなど、もらったチョコレートとプレゼントの数は男子を差し置いて、学年でトップだったくらいだ。もっともそれには、誕生日が二日後の二月十六日ということも手伝ってはいるのだが。  もっとも、奈子自身は別に同性が好きなわけではない。片想いではあるが、ちゃんと好きな男性だっている。  しかしだからといって、取り巻きの女の子たちに対して邪険にすることもない。人当たりのいい奈子は、やや倒錯した趣味の女の子たちからのプレゼントだって、にっこりと微笑んで嬉しそうに受け取ることにしている。  相手が誰であれ、人から好かれることには悪い気はしない。そんな「来る者は拒まず」の姿勢が、さらなる人気上昇に一役買って、周囲から「松宮奈子は百合だ」と認識される原因にもなっているのだが。  奈子は、紅いリボンを自分の髪に結んだ。 (こんなことするのは……)  誰の仕業かは、すぐにわかった。  彼女を慕う女の子は数多いが、奈子が毎日ここで稽古していることを知っているのはそう多くない。それに、この見事な刺繍の腕前。 (こんなことをするのは、由維……かな)  家の前でぶつかりそうになった、小柄な少女のことを思い出す。  宮本由維、二歳年下の中学一年生。  家が近所で、奈子とは物心つく以前からの付き合いだった。同じ道場に通う後輩でもある。  後輩で、幼なじみで、親友。由維本人は恋人と思っているのではないかというフシもある。  そんな倒錯した趣味はともかくとして、一番仲のいい、大切な友人であることは確かだ。  由維は手芸の他に料理も得意で、よく、奈子に食事やお菓子を作ってくれる。奈子は性格的に家事全般が不得手だから、由維の存在はありがたかった。  俳優をしている奈子の両親は、仕事が忙しくて家にいないことが多い。月の大半は東京都内のマンション住まいなのだ。 (あの子ってば、口で言えばすむことなのに。こんな、わざわざプレッシャーかけるような真似をして……。これじゃ、負けるわけにいかないじゃない)  しかしそのプレッシャーは、はむしろ心地よかった。稽古でさんざん汗を流して疲労した身体に、新たな活力が湧いてくるような気がする。 「さて、そろそろ帰ろうか。由維のお菓子が待ってるし」  そういえば今日は、パウンドケーキを焼いてくると言っていたはず。無意識のうちに顔がにやけてしまう。  家に帰れば美味しいケーキと紅茶が待っている、そう思っただけで、帰りの足どりが軽くなる。  汗を拭いたタオルをまた首にかけて、奈子が走り出した瞬間。  まったくの突然に――。  奈子の周囲で、目もくらむばかりの眩い光が弾けた。 二章 異邦    黒――  それは夜の色。  星明かりすらない、真の闇。  轟々と鳴る風の音。  雨が顔を叩く。  時折、閃光が闇夜を裂く。  雷鳴。  嵐。  その中を、一人の女性が歩いている。  風になびく長い黒髪。服も漆黒。  まるで、夜の闇に溶けこむような。  白――  それは雪野の色。吹雪の中の。  視覚がまったく役に立たない、一面の白い空間。  上下の感覚すらなくなるような。  冷え切った皮膚も、なにも感じない。  なんの匂いもない。  音だけが聞こえる。  風の音と、雪を踏んで歩く音。  ひとつだけ、白以外の色彩が存在する。  紅――  雪の上に広がる、紅い血の染み。  赤――  それは血の色。  それは炎の色。  炎に包まれる都市。  血にまみれた兵士たち。  折り重なる死体。  血に染まった刃。  灼けた大地。  様々な赤い背景の中に、青い、巨大な生物の姿。  青――  それは、空の色。  燃えさかる都市の上空を、翼を広げて舞う巨大な竜の姿。  蒼空に溶けこむような、青い鱗。  一つの都市を焼き尽くした巨大な魔物は、高度を上げていく。  青い空。  どこまでも続く。  どこまでも高く。  少しずつ、その青が濃くなっていく空。  そして、また、黒――  何も存在しない、無。その中に一つだけ輝く。  ……金色の光。 * * * 「いったい……ここは?」  奈子は、ぼんやりとつぶやいた。  よく憶えていないが、断片的な夢を見ていたような気もする。  頭の芯が痛い。  何が起こったのか理解できないまま、身体を起こして周囲を見回した。  どうやら、草むらの中に倒れていたらしい。  いったい何が起こったのだろう。  そこは鬱蒼とした森の中だった。奈子が先刻まで立っていた、奏珠別公園の展望台ではない。 (登山道の方に、迷い込んでしまったのかな…?)  奏珠別の南側に連なる山々は、そのまま定山渓の方まで続いている。そこにはいくつもの登山道があり、展望台にその入口の一つがあった。  だから、最初はそう思ったのだが、それにしては森の様子がおかしい。  奏珠別の山で普通に見ることができる、カラマツやエゾマツ、シラカバやダケカンバ、クルミ、あるいはカツラといった樹々が見あたらない。一番目立つのは、団扇のような大きな葉を茂らせた巨木なのだが、奈子はそんな樹を見たことがなかった。  周囲の風景に、なにか違和感がある。  森や山並みの風景というものは、土地によってずいぶんと印象が違うものだ。旅行で訪れたことのある東北、飛騨、沖縄。同じ日本であっても、奈子が見慣れた北海道の景色とはずいぶん違っていた。それが海外ならばなおさらのこと。  そして今見ている風景には、東南アジアの熱帯雨林へ旅行した時と同じくらいの違和感を感じていた。  しかも、おかしなことは景色だけではない。  樹々の隙間から、今まさに山の陰に沈もうとしている夕陽が見えるのも妙だ。奈子が家に帰ろうとしたのは、夜の十時近い時刻だったのに。  まさか、翌日まで意識を失っていたわけではあるまい。タンクトップの汗が乾ききっていないところを見ると、せいぜい一時間前後だろう。  そしてもう一つ。  気温がまるで違った。七月の北海道の夕暮れにしては暑すぎる。  いったい何が起こったのだろう。奈子は混乱していた。  わけがわからないまま、立ち上がって歩き出した。  このまま、ここにいても埒があかない。もうすぐ暗くなってしまう。その前にこの森から抜けて、人里に出たいと考えていた。  幸い、森の中は下草が少なく、歩くのはさほど困難ではなかった。緩やかな斜面を、下に向かって歩いてゆく。  歩きながら考える。ここは、いったい何処なのだろう。  森の中を歩いて、樹や、草や、あるいは昆虫や小動物の姿を確認するたびに、不安になってゆく。  樹液が染み出している樹の幹に、大きな甲虫を見つけた。奈子が知っているものの倍以上もありそうな、三本の角を生やした大きなカブトムシだ。  新種発見、と喜ぶ気にはなれなかった。そんな単純な問題ではないことくらい、とうに気付いている。  奈子には見慣れない草木も、昆虫も、リスに似た小動物も、梢の上を飛ぶ鳥も、見事に調和していた。ここでは当たり前の存在に違いない。  異質なのは、奈子の方なのだ。  しばらく歩いたが、人間が住んでいる気配は見つからなかった。どこまでも深い森が続いているだけだ。  もう、辺りは暗くなりはじめていた。  太陽はとっくに山の陰に隠れている。西の空にはまだ夕焼けが残っているが、それもそう長くは続かないだろう。  見知らぬ土地、それも山の中を夜に歩き回るのは無謀なことだ。それに、奈子はもう疲れ切っていた。ここではまだ宵の口かもしれないが、奈子の本来の時間では、そろそろ真夜中の筈なのだ。  覚悟を決めて、今夜は野宿をした方がいいのかもしれない。幸い天気はいいし、気温も充分に高い。テントや寝袋がなくとも、一晩くらいは平気だろう。  奈子は、大樹の根本に腰を下ろした。大きく息を吐き出す。 「お腹……空いたな……」  本当ならば今頃は、家でお風呂に入って、由維の手作りのお菓子を食べて、柔らかなベッドに入っているはずだったのに。  どうして、こんなことになってしまったのだろう。  いったい自分の身に、何が起きたのだろう。 「心配してるだろうな……」  両親のことではない。親は仕事で、来週まで帰らないと言っていた。  だけど、家には由維がいる。 「……一時間半くらいで戻るって言ったのに、心配してるよね」  泣いていなければいいけど。  小さい頃の由維は泣き虫で、よく男の子にいじめられていた。それを助けるのは奈子の役目だった。 「なんで、こんなことになっちゃったかなぁ……」  奈子は、その場に横になった。  青草の香りが鼻をくすぐる。  梢の間から、濃い群青色をした空が見える。星がいくつか、瞬いている。  陽が沈んでしばらくたつのに、空は意外と明るかった。  奈子の住む奏珠別の街なら、札幌の中心部の明かりで夜空もわずかに明るいものだが、ここにはそんなものはない。人工の明かりなど、何ひとつない。それなのに、ほのかに明るい夜空。  すぐに気付いた。月が出ているのだ。天頂付近に、半月よりもやや細い月がある。 「月……、あれ?」  違和感があった。  だけど、その正体が何かわからない。  何故か急に、不安になる。 「月、確かに月……。だけど、なにかヘン」  立ち上がって、じっとその月を見上げた。  天体観測が趣味という人間ならば、すぐに気付いたかもしれない。しかし奈子が意識して夜空を見上げるのは、たまに流星群や彗星がニュースを 賑わしている時くらいしかない。 だから、気付かなかった。何かおかしいと思いつつも、具体的に何がおかしいのかはわからなかった。  しばらくじっと空を見上げていて、もう一つの変化に気付いた。  空が、先刻までよりも明るくなっているようだ。  おかしな話だった。陽が沈んで、これからどんどん暗くなってゆく時間帯だというのに。  何気なく、奈子は立つ位置を少し変えた。  その結果、今まで木の陰になっていたそれが目に入った。 「――っ!」  思わず息を呑んだ。両手で口を覆う。  それは、月――だった。  東の山の陰から昇ったばかりの、丸い月。  丸い、二つの月。  大きさはずいぶん違う。小さな方は、大きい方の半分くらいの直径しかない。  クレーターによって描かれた表面の模様もそれぞれ違う。  しかし、どちらも満月だった。  奈子はもう一度、頭の上を見上げる。  そこにも、月があった。  最初に見つけた、半分の月。  そして、先刻の違和感の正体に思い当たった。  日本ではよく「ウサギの餅つき」に喩えられる模様が、どこにもなかった。  そう、三つの月のどこにも。  それは確かに月だったが、しかし、奈子が知っている月ではなかった。  そのことに気付いて――。  奈子は悲鳴を上げて走り出した。今、目にしたものから逃げ出すように。  それは、あまりにも受け入れがたい事実だった。  悲鳴を上げ、森の中を闇雲に走った。  いくら逃げたところで、この空から逃れることなどできないとはわかっていたが。  それでも、冷静ではいられなかった。 * * *  力尽きて立ち止まるまでに、いったいどのくらい走っていたのだろう。  奈子は大きな樹の幹に寄りかかって、大きく肩で息をしていた。  いつの間にか西の空もすっかり暗くなり、三つの月だけが控えめな明るさを地上へ送り届けている。  荒い息をしながら、周囲を見回した。  かなり、山のふもとの方まで来たのだろうか。先刻までいた場所よりも傾斜は緩やかで、森の樹々はいくぶん疎らになっている。しかし、相変わらず人の気配はない。 「……いったい、なんなのよ。ここは……」  泣きそうな声でつぶやいた。それに応える者はいない。  奈子は、ただ一人きりでここにいた。  不安だった、心細かった。  大声で泣きたいくらいだ。  だけど、ここで泣いていても何も解決しない――と。心の奥で冷静にそう考えることのできる自分が、今は少しだけ疎ましかった。 「もう、寝ちゃお……かな……」  それもある意味、逃避かもしれない。しかし疲れ切っているのも事実だ。これ以上夜の山中を歩いていても、事態が好転するとも思えない。  頭と身体を休めて、朝になって周囲が明るくなってから、また考えればいい。夜空にかかる三つの月を見ながらでは、冷静な思考などできるはずもない。  そう考えて、その場で横になろうとした奈子だったが、しかし、ふと動きを止めた。  何か、いやな予感がする。  ざわっと鳥肌が立つ。  気配がした。  何かが見えるわけではない。物音が聞こえるわけでもない。  それでも感じることができる。  何らかの生き物の気配だ。人間ではない。  奈子の住む奏珠別の近くの山なら、出会う野生動物はせいぜいキタキツネかエゾシカくらいのもの。ヒグマはもっと山奥まで行かなければいない。  しかし、まったく見知らぬこの土地では、どんな危険な獣がいるかわからなかった。  危険な獣。それだけは確信していた。  先刻から感じるこの気配。  殺気、だった。  肌を刺すような、鋭い気配。  額に汗が滲む。  周囲の空気全体が緊張していた。  いったい、どこにいるのだろう。奈子は周囲を見回す。  しかし、月明かりの下ではそれほど遠くまで見えるわけではない。見える範囲に、それらしき影はない。  それは突然、頭上から現れた。  樹上から奈子を狙っていたのだろうか。紙一重のところで、奈子は最初の一撃をかわした。  地上に降り立った獣と対峙する。 「……豹?」  それは確かに、豹に似ていた。  体長は一メートル半くらい。明らかに猫科と思われる姿形、全身にちりばめられた豹紋が特徴的だ。  しかしその毛皮は、奈子が動物園で見たことのある豹よりも赤みが強いような気がした。月明かりの下だから正確にはわからないが、まるで冬毛のキタキツネだ。豹紋も黒というよりは濃いオレンジっぽい。  二つの目が、夜の闇の中でぎらぎらと光っていた。  明らかに奈子を狙っている。奇襲に失敗しても、まだ諦めるつもりはないらしい。  背中を丸めて、飛びかかる隙をうかがっているように見えた。  奈子は緊張した面持ちで構えをとる。  肉食獣との闘い方など、無論道場で習ったことはないし、実際に闘った経験もない。  極真空手の初代総裁、かの大山倍達じゃあるまいし、今時、誰が好きこのんで人間以外の獣と素手で闘おうなどと思うだろう。 (いや、そういえば……)  北原極闘流の総帥の孫娘で奈子の先輩、そして女子空手のチャンピオンである北原美樹が話してくれたことがなかったか。大型犬との闘い方を。  しかし相手は、奈子がそれを思い出すのを待ってはくれなかった。  突然、殺気がさらに強まる。  その獣はまったく動いていないのに、飛びかかられたように感じた。  思わず、その場から飛び退く。  その瞬間。  目の前……奈子が一瞬前まで立っていた場所が、炎に包まれた。  まったくの突然に。 「な…!」  驚いてバランスを崩す奈子に、今度こそ本当に獣が襲いかかってきた。  鋭い牙が奈子の喉を狙う。  反射的に、腕でガードした。  その腕に獣の牙が食い込み、奈子は地面に押し倒された。  鋭い爪が、肩に食い込む。  奈子は悲鳴を上げた。  痛みなんて生やさしいものじゃない。腕が引きちぎられるのではないかと思った。  牙は、骨にまで届いている。傷から流れ出た血が、ぼたぼたと顔に落ちてきた。  獣の爪が、肩の肉を引き裂いた。  相手の体重は奈子とそう変わらないはずだが、野生の獣の力は人間の比ではない。なんとか押し返そうとしても、びくともしない。 (殺される……このままじゃ……)  無意識のうちに、まだ動かせる左手の指先を揃えて、獣の目に突き入れた。 『ギャンッ!』  叫び声を上げて、獣は奈子の腕を放した。すかさず、自由になった腕を獣の首に回した。  同時に、両脚で相手の胴を挟んで締め上げ、動きを封じた。  右腕で獣の首を締め、眼窩に突き入れたままの左手で、力任せに顔を捻り上げた。  目、そして頸椎。  無我夢中で意識せずにやったことだったが、それは、ほぼすべての哺乳動物に共通した急所だった。  獣の首が、くぐもった音を立てる。  ビクッ、ビクンと身体を大きく痙攣させると、全身から力が抜けた。  獣は、それきり動かなくなった。  それでも奈子は、しばらくの間そのままの姿勢でいて、一分以上経ってから、ようやく腕を放して獣の下から抜け出した。  地面に手をついたまま、横たわった獣を見る。  口から血の泡を吐いて、それは息絶えていた。  奈子はただ呆然としていた。肩で息をする。  すべては無我夢中でやったことで、なかなか、助かったのだという実感が湧いてこなかった。  手も脚も、がくがくと震えている。歯はカチカチと鳴っていた。  一つ間違えば、今ごろ奈子はこの獣の餌となっていたはずだった。  初めて……だった。  生まれて初めてだった。  本当に生死を賭けた闘いなどというものは。  そしてもう一つ。  自分が学んだ格闘の技で、生き物の命を奪ったのも初めてだった。  だけど、仕方のないことだ。  そうしなければ、奈子が殺されていた。  なのに何故、こんなに身体が震えるのだろう。  立ち上がろうとした奈子は、痛みに顔をしかめた。  噛まれた腕の傷と、爪で裂かれた肩の傷。どちらもひどく出血していて、骨まで響くような痛みがあった。  滴り落ちた血が、足下の草を紅に染めていく。 (いけない…止血しないと…)  一度立ち上がりかけた奈子は、また膝をついた。  既に疲労が限界を超えている上に、この多量の出血。  さらに、極度の緊張から解かれたことで、全身から力が抜けていた。  目の前が暗くなっていく。  地面についた手も身体を支えることはできず、奈子はそのまま意識を失った。 三章 金色の瞳の少女  目を覚まして、その時自分が見知らぬ女の子にキスされていた場合――。  健全な中学三年の女の子としては、いったいどんなリアクションをすればよいのだろうか。  奈子は、もっとも当たり前と思われる行動を選択した。つまり、悲鳴を上げて飛び起きるというものだ。  いくら同性に人気のある奈子でも、こんなことに免疫はない。  その慌てぶりが可笑しかったのか、女の子はくすくすと笑っていた。  見たところ奈子と同世代くらいだろうか。背は、百六十センチを越える奈子よりも少し低い。  日本人ではない。  肌はずっと白くて、頭の横でまとめている髪は、色の濃い鮮やかな金髪だ。  そして、瞳も濃い金色だった。そのためにちょっと人間離れした雰囲気を漂わせている。 「あ、あ、あんた! い、いったいなにしてたのよっ?」  手の甲で口を拭いながら、奈子は叫んだ。  いったい、眠っている間に何をされていたのか……。知らず知らずのうちに鳥肌が立つ。 (眠って……あれ?)  奈子は首を傾げた。 「エ・ク リワィケ ヤ・アン?」  女の子が口を開いた。  知らない言葉だった。  もっとも奈子は、外国語なんて簡単な英語くらいしか理解できない。それでも中国語やフランス語なら、話している意味はわからなくても、それが何語かくらいは見当がつく。  少女が口にした言葉は、そのどれにも該当しなかった。  いったい何語なのだろう。  それに彼女は何者で、ここで何をしていたのだろう。  奈子は混乱していた。  自分の置かれている状況がわからない。  いったい何故、こんなところで寝ていたのか。  こんなところ……そう、そこは疎らな森の中だった。奈子は、草の上に直に寝ていたのだ。  そのことに気付いて、それから少しずつ記憶が甦ってきた。  奏珠別公園の展望台で稽古をしていたこと。  帰ろうとした時に不思議な光に包まれて、意識を失ったこと。  気がつくと見知らぬ山中にいたこと。  夜になって、空に三つの月を見つけてパニックに陥ったこと。  そして、豹に似た獣に襲われたこと。  襲われて、そして……。  そうだ、ひどい傷を負って倒れたのだ。そこまでは憶えている。  見ると、獣の死体は数メートル離れたところに横たわっていた。 (あれ? そういえば……)  すぐに手当をしなければ危険なほどの怪我をしたのではなかっただろうか。  慌てて自分の身体を見下ろした。  奈子が着ていたタンクトップは、肩の辺りが破れていて、その周囲が血に染まっている。  それなのに…。  その下の肌には傷がなかった。  かすり傷ひとつない、きれいなピンク色の肌。  それは不自然にきれいだった。まるで、怪我が治ったばかりのような。 「……まさか」  怪我をした、というのは勘違いではない。実際、服には出血の痕がある。  それに、噛まれた腕。  骨が見えるほどの怪我をしていたはずの右腕も、やっぱり同じ。傷一つなかった。 「まさか……」  目の前に座っている少女を見る。  向こうは、にこにこと微笑んでこちらを見ている。人懐っこい笑顔だ。  他に、近くに人がいる気配はない。  誰かが傷の手当てをしてくれたというのであれば、それはこの少女しかあり得ない。  しかし単に「手当て」などといってよいものだろうか。なにか不自然ではないだろうか。  その時になって、もう一つ不自然なことに気付いた。  まだ夜なのに、どうしてここはこんなに明るいのだろう。  その少女の頭上、地面から二メートルくらいのところに光源があった。  それが、周囲を照らしている。キャンプに使うガソリンランタンよりも明るい光だ。  しかし、そこには何もなかった。  電球も。ランプも。  何もない空中に、ただ、わずかにオレンジ色がかった白い光だけが浮いていた。 「な……に、なんで?」  その時、少女が静かに立ち上がった。  こちらに近付いてくる。  奈子は思わず後ずさった。しかしすぐに、大きな樹に背中からぶつかってしまう。  少女に手首を掴まれた。  反射的にその手を振り払おうとする。その瞬間、声が聞こえた。 『……逃げない……話……あるの……」 「え……?」  確かに、聞こえたような気がした。  しかし、目の前の少女は口を動かしていない。もちろん、近くに他の人の気配もない。  しかもその声は、耳に聞こえたのではないように感じた。  夢の中で聞く声のように、鼓膜を介さずに頭の中にだけ存在する声。 『暴れな……で……』  まただ。気のせいなどではない。それに、声の主はやはり目前の少女しかあり得ない。口は動かさなくとも、表情の変化と声が一致している。 「テレ……パシー?」  思わず、そんな言葉が口をついた。  そんな馬鹿な……と思っても、他に思いつくこともない。  思わず、動きが止まる。  その隙をつかれた。 「――っ!」  すぐ目と鼻の先に、顔があった。そう思った瞬間、奈子は唇を奪われていた。 『暴れないで。これで、話ができるでしょう?』 (……え?)  慌てて相手の身体を突き飛ばそうとした時に、また声が聞こえた。  今度は、先刻よりもずっと明瞭に。  間違いない。この少女が話しかけてきているのだ。しかし、何故キスを?  何が起こっているのか理解できない。 『手をつなぐだけでもいいんだけど、皮膚よりも、粘膜の接触の方が感度がイイの』 (か、感度って……粘膜って……あのねーっ!)  際どい台詞に、顔が真っ赤になる。  頭の中で、くすくすと笑い声がした。 『やだなぁ、なに誤解してんの? そーゆーエッチな意味じゃないって』  女の子が可笑しそうに目を細めている。 『この方が、言葉が通じやすいってこと』  自分の勘違いに気付いて、奈子の顔がいっそう赤みを増す。ちょっと考え過ぎだったようだ。  それからようやく、いま起こっていることの意味を悟った。  言葉が通じないはずの少女と、こうしてキスすることによって、意志の疎通を行っているのだ。  以前、超能力もののSFマンガで『接触テレパス』とかいうものを読んだ記憶がある。あれは『超人ロック』だったろうか。 『私はファーリッジ・ルゥ。ファーリッジ・ルゥ・レイシャ。……ファージって呼んで。ね、ナコ』 (あ、アタシの名前を?) 『気を失っている間に、ちょっと調べさせてもらった』 (調べて……って……)  なるほど、それで納得がいった。目が覚めたとき、どうしてキスされていたのか。今と同じように、唇の接触によって奈子の記憶を読んだのだろう。  しかし……。 (ちょ、ちょっと待って。ファージ……だっけ、どうしてあんた、こんなことできるのっ?) 『どうして、って。それは私が腕のいい魔術師だからに決まってるじゃない』 (魔術……師?) 『あのね、ナコ。驚かないで聞いてね。あなたが今いるここは……』  奈子に心の準備をさせるためだろうか、少女はそこで言葉を切って、一呼吸分の間を取った。しかしそれは、より緊張を高める効果しかもたらさなかった。  もっとも、いくら心の準備をしていたところで、次の台詞にショックを受けずにいることは不可能だったろう。 『ここは、あなたが住んでいたところとは、まったく別の世界なの』 * * *  異次元の世界。  パラレルワールド。  呼び方はいろいろあるだろう。  つまりは、そういうことらしい。  奈子がそれを理解するまでには、ずいぶんと時間がかかった。  いや、理解したくなかったというのが正しいだろう。  正直にいって、そんな気はしていた。  この少女……ファージと出会う前から、心の奥底で恐れていたことなのだ。  見慣れない風景だけなら、まだ他の説明もできた。しかし、夜空に浮かぶ三つの月。炎を操る奇妙な獣。そして、言葉の通じない相手と不思議な方法で会話していること。  自分がまるで違う世界に放り出されたとでも考えなければ、辻褄が合わない。  それにしても、何故いきなりそんなことになってしまったのだろう。 『ナコは、手違いで転移魔法の実験に巻き込まれてしまったの。偶然、高位次元における座標が重なる位置に、ナコがいたのね』  ファージの言うことの意味が正しく理解できたわけではないが、なんとなく雰囲気は伝わる。しかしだからといって、それが何かの解決になるというわけでもない。 (でも……あんた、どうしてそんなに詳しいの?) 『私は魔術師だって言ったでしょう。私が、ナコをここへ連れてきたの』 「な、なんだって? どうしてそんなこと!」  思わず、声に出して叫んでいた。しかしそれではファージには通じない。  ファージがまた唇を押しつけてくる。 (どうして、どうしてそんなことをしたの? 早くアタシを元の世界に戻してよ) 『別に、わざとやったわけじゃないよ。言ったでしょ、手違いがあったって』 (手違いって……) 『転移魔法の実験をしていたのは私なの。ナコは、それに巻き込まれてしまったんだよ』 (ま、魔法……?) 『そう、魔法。私はこれでも、一流の魔術師なんだから』  魔法。奈子の常識では、おとぎ話の中にしか存在しないもの。  ここは、それが実在する世界だというのだろうか。いやいや、異次元の世界が実在するのなら、魔法使いの一人や二人実在したって不思議はない。もう、何を言われても信じられる気分だ。 (魔法…って…、ここではそれが当たり前なの?) 『人によって力には差があるけどね。自慢じゃないけど私は、強い力を持った魔術師なんだ。で、新しい魔法の実験中にナコを巻き込んでしまったというわけ』 (じゃあ……早くアタシを元の世界に返してよ。きっと心配してる)  由維が、奈子の帰りを待っている。家を出てから、いったい何時間が過ぎているのだろう。向こうではとっくに夜中過ぎのはず。心配しないわけがない。 『それが……ねぇ……』  ファージが困ったような表情をする。それを見て、奈子の顔からさぁっと血の気が引いた。  そういえばファージは「手違いで巻き込まれた」と言っていた。それの意味するところは…。 (まさか……帰れない……?)  恐る恐る、訊いてみた。  ファージが誤魔化すような、やや引きつった笑みを見せる。 『そ、そんなことない、ちゃんと帰れるよ。ただ……どうしてこんなことになったのかよく調べなきゃならないし、まだ研究中の不安定な魔法だし……今すぐってわけには……』 (じゃあ、いつになったら帰れるの?) 『いろいろと調べなきゃならないこともあるし……あと二、三日……いや、四、五日かな……』  なんだか、締め切り前の漫画家か作家のようなことを言う。いまいち信用できない口振りだ。 『十日はかからないと思うよ。あははははー』  まったく、信用できない口振りだった。とはいえ、他にどうしようもない。 (じゃあ最大で十日として……。その間、アタシはどうすればいいの?) 『こっちで暮らすしかない……ね。大丈夫、ナコのことは私が全部面倒見るから。食事も、寝るところも』  こうなっては、当面の間ファージを頼るしかなさそうだ。はなはだ不本意ではあるが。  奈子は大きくため息をついた。 (わかった……。けど、一分一秒でも早く、アタシを元の世界に戻してよ)  これで、一番大きな問題についてはとりあえず保留だ。奈子にできることがない以上、後はファージに任せるしかない。  しかし他にも解決すべき問題があった。 (ところで、一つ訊きたいことがあるんだけど……) 『なに?』 (こっちの世界じゃ、言葉が通じない相手とは、こんな風にキスで意志の疎通をするのが当たり前なの?) 『まさか。これはかなり珍しい魔法だよ。ごく一部の、高位の魔術師しか知らないもの』 (アタシが生まれ育った世界じゃ、キスってのは一般に、愛情表現の手段なんだけど?) 『こっちでも、そう』 (だから、話をするのにいちいちキスしなきゃならないのって、すごく抵抗あるんだけど……)  なにしろ、先刻からずっとキスを続けているのである。しかも女の子同士で。  いくら奈子が同性に人気があっても、本人は一応ノーマルだ。少なくとも自分ではそう思っている。だからこの状況は、精神的な負担が大きい。ファーストキスではなかったことが、せめてもの救いだろうか。 『私は別に気にしないけど……、ひょっとしてナコ、キスしたことなかった?』 (あるよ。こう見えても最後まで経験済み……って、ちょっと! なに言わせんのっ!)  怒っているのか、それとも照れているのか、奈子の顔が真っ赤になった。自分で口を滑らせたのだからファージを責めるのは筋違いなのだが、しかし向こうは気にした様子もない。 『まあ、ここなら誰もいないからいいけど、街でこんなことしてたら、あらぬ誤解を受けるよねぇ』 (ホントに、あらぬ誤解……なの?)  先刻から気になっていたことを訊いた。しかし、訊けば訊いたでその回答が怖い。 (なんだか先刻から、楽しんでいるようにも見えるんだけど?) 『うん、楽しい。ナコってキレイだし、カッコイイし』  この子ってばやっぱりそっちの趣味だったのか――と、奈子は慌ててファージから離れた。「そっちの趣味」の女の子に迫られることはしょっちゅうだが、だからといって慣れるものでもない。  奈子の慌てぶりが可笑しかったのか、ファージはこちらを見て笑っている。何か言っているようだが、意味は分からない。表情から察するに「あはは、冗談だって」といったところだろうか。  そしてまた、奈子に抱きついてくる。 『キスしなくても話が通じるようにできなくもないけど……試してみる?』 (そんな方法があるなら、最初からやってよ!) 『だって、この方が楽しいし……』 (あ、あんたやっぱり?) 『それに、最初は少し頭痛がするかもしれないよ?』 (頭痛なら今だってしてる)  その原因は多分に心理的なものではあるが。  ファージは一度離れると、顔の前で両手を合わせて、お祈りでもしているような姿勢になる。口の中で何かぶつぶつと唱えている。魔法の呪文とやらだろうか。  それから、奈子の頭を挟むように、両手をこめかみに当てた。  その瞬間。  いきなり、頭に強烈な衝撃が走った。  まるで、バットで思い切り殴られたような感じだ。実際にバットで殴られた経験があるわけではないが、多分こんな衝撃に違いない。  奈子は、頭を抱えてうずくまった。一瞬意識が遠くなり、涙が溢れ出した。 「う……くぅ……痛ったぁ……」  地面にうずくまって、奈子は呻いた。 「……な、何が『少し頭痛』よっ! マジで死ぬかと思ったよっ?」 「でも、これで話が出来るでしょ?」  まるで悪びれない様子で、ファージは言った。  それで、奈子も気付いた。  今のファージの声は、実際に耳に聞こえているものだ。  日本語ではない。これまでファージが喋っていたのと同じ、異世界の言葉。  なのに、その意味が理解できる。  そして、自分の考えを同じ言葉で話すことができた。 「……いったい、何をしたの?」 「この大陸でもっとも広く使われている言葉……アィクル語っていうんだけど、その知識をナコの脳に刷り込んだの。とりあえず、日常会話に困らない程度だけどね」 「これも……魔法?」  ファージはうなずいて、言葉を続けた。 「膨大な数のシナプスの結合を一瞬で作り出すわけだから、その時の衝撃でちょっと頭痛を感じるワケ」 「だから、ちょっとじゃないってば」 「そぉ? だから、この魔法もあまり普及しないんだね。あはは……」  奈子は、お気楽に笑うファージを睨みつけた。 「逆に、アタシの言葉の知識をファージが読みとることはできなかったの?」 「だって私、痛いの嫌いだもの」 「やっぱり痛いってこと知ってんじゃん!」  何食わぬ顔のファージに対して、思わず殺意を憶える。しかしファージは、そんな奈子の怒りに気付かないのか、それとも気付かないふりをしているのか、意に介する様子もない。 「そろそろ、街に戻ろうか。お腹空いたし」 「街? 街があるの? この近くに?」  奈子がさんざん歩き回って、結局、灯り一つすら見つけられなかったのに。 「すぐそこだよ。転移魔法を使えば……ね」 「転移……? 魔法の力で、離れた場所へ移動するの?」 「そう。これができる魔術師は、そうそういないんだよ」  ファージは自慢げに胸を張る。しかし奈子にとっては、空間転移だろうとキスによる意志の疎通だろうと、人智を越えた力であることに変わりはない。どんな魔法がすごくて、どんな魔法がごくありきたりのものなのかは知る由もない。 「あ、街へ行く前に、服を着替えた方がいいかな。ちょっと小さいかもしれないけど、私の着替えを貸してあげる」  言われてみれば確かにそうだ。  トレーニングをしていたときのままジャージ姿の奈子は、この異世界ではひどく奇妙なものに映るだろう。  ファージは、ややチャイナ服にも似た雰囲気の、袖のないワンピースを着けている。生地の色は先刻奈子を襲った、豹のような獣の毛皮に似ていた。  裾丈は脛まであるが、両側に腰までのスリットが入っていて、太股が露わになっているところが妙に艶っぽい。  腰には皮でできた幅広のベルトを締めていて、小さなポーチがついている。そして、ベルトには短剣も差していた。 「そーゆーのが、この世界の女の子が着る普通の服?」  やや躊躇いがちに訊いた。スリットの部分を指差して。  動きやすそうだし、今の季節は涼しそうだし、それにまあまあ格好いいけど。  この深すぎるスリットはちょっと恥ずかしい。  そもそも奈子は、スカートなんて学校の制服でしか着ることはない。口の悪いクラスメイトには「学校一、セーラー服が似合わない女子」とまで言われている。あるいは「ガクランでも来てくれば?」とか。  そこまでひどくはないだろうと自分では思うのだが、私服はいつもジーンズだ。 「いや。このスリットは、女性騎士の礼服を真似たもの。動きやすいからね」 「できれば、もう少し大人しめの服を貸してくれないかなぁ」 「ナコには似合わないよ」  間髪入れず、きっぱりと言いきられた。  確かにスカートが似合わないのは自分でもわかっているが、初対面の、しかも異世界の人間にまで言われると、ショックを受けてしまう。 「絶対、動きやすい服の方がいいって」 「でも……」 「普通の女の子は、素手で炎豹を倒したりはしないと思うけど?」  ファージは、奈子が殺した獣を指差した。 「そ、それは……」 「とゆーわけで、これに着替えてね」  そう言うと同時に、いきなりファージの手の中に一着の服が現れた。形はファージが着ているものに似ているが、色はもっと地味な茶褐色だ。 「え? それ、どこから出したの? それも魔法?」 「そう。普段はこれにしまってあるの」  ファージはポーチから、数枚のカードを取り出した。  大きさはちょうどテレホンカードくらい。材質は紙のようだが、なんらかの加工をしてあるらしく、表面には艶があって手触りも固い。  片面には、トランプかタロットを思わせる複雑な幾何学模様が描かれており、その裏には、奈子には読めない文字らしきものが書き込まれていた。 「なに、これ?」 「魔法のカードの一種。こうやって使うんだ。エク・テ・クネ!」  ファージが意味不明の言葉をつぶやくと、奈子の足元に一足の靴が現れた。  革製の、短いブーツ。ファージが履いているものとほぼ同じデザインだ。 「このカードにはね、品物をしまっておけるの。こうすると軽いし、かさばらないし、旅の時には必需品だね」 「へぇ……、魔法って便利なものね……」  奈子は、手の中のカードと服を交互に見た。こんな小さな物の中に服や靴がしまっておけるとなると、確かに旅行には便利だ。 「逆に、カードに物をしまう時は、その品物に意識を集中して、ソー・オ・ネ!」 「え……? きゃあっ! なによこれっ?」  思わず、悲鳴を上げた。  無理もない。ファージの呪文と同時に、奈子は全裸になっていたのだ。  慌てて、手に持っていた服で身体の前を隠す。 「夏とはいえ夜だし、早く服着ないと風邪ひくよ?」 「誰のせいよっ!」  顔中真っ赤にして、奈子は叫んだ。 「ちょっと、あっち向いてて!」 「別に、女同士で恥ずかしがらなくてもいいのに……」 「だからって、じろじろ見ないでよ!」 「だってぇ。きれいな女の子の裸って、目の保養だと思わない?」 「それはそうだけど……って、そうじゃなくて!」 「じゃあ、これも」  ファージが他のカードから、下着も取り出す。  奈子は手早く、それらの品を身に着けた。ファージは奈子よりも小柄なので少し小さめだったが、それでも着れないことはない。  着替えを終わった奈子を見て、ファージは満足げにうなずいた。 「うん。これなら誰も、ナコが異世界からやってきたなんて思わないね」 「でも……」  奈子は心配そうに、この世界の衣類を身に着けた自分の身体を見おろした。 「服はともかく、髪の色も目の色もファージと違うけど……大丈夫かな?」  奈子の髪は濃い茶色だった。脱色しているわけではなく、生まれつきの色である。瞳も、平均的な日本人よりはやや明るい色だ。  それに対してファージの髪は、鮮やかな濃い金髪。そして瞳も金色だった。  奈子はこれまで、こんな色の瞳を持った人間は見たことがない。 「あ、平気平気。私の方が例外」  ファージは笑って言った。 「私の出身はこの地方じゃないし……。このあたりなら、ナコみたいな髪の色は珍しくないよ。それに、この目は私だけのもの」 「ふぅん…」  奈子は曖昧にうなずいた。 「でも、ファージの瞳ってきれいだよね。金色に輝いて……まるで宝石みたい」 「んふ、ありがと」  嬉しそうに金色の目を細めて礼を言うと、ファージは奈子の手を取った。 「じゃ、戻ろっか」  その言葉が終わらないうちに、二人の身体は淡い光に包まれた。  一瞬、ふわりと身体が軽くなったように感じ、そして気がついた時には、奈子は見知らぬ街の中にいた。 四章 魔凱史  突然の不思議な出来事に神経が高ぶっているためか、それとも不安のためか、ベッドにもぐり込んだ後も、奈子はなかなか寝付けなかった。  街へ着いたのはもう夜更けで、通りに人影はほとんどなかったが、それでもまだ、明かりの灯っている建物はいくつもあった。  ファージが滞在しているという小さな宿屋その一つだ。もだ。  夜食を用意してもらって、簡単に入浴を済ませて、奈子はすぐにベッドに倒れ込んだ。  もう、死にそうなほどに疲れ切っていた。肉体的にも、そして精神的にも。  なのになかなか寝付けずに、ファージが奈子の倍以上の量の夜食を平らげて部屋に戻ってくるまで、ベッドの中で寝返りを繰り返していた。 「ナコ、眠れないの?」 「ん……」  曖昧にうなずく。 「ま、無理もないか。いきなりこんなことになったんじゃあ……」  そういうと、ファージもベッドにもぐり込んでくる。セミダブルくらいの大きさは充分にあるので、女の子二人が一緒に寝るのに不自由はない。 「でも、寝ておかないと身体がもたないよ?」 「それはわかってるんだけどね……。ね、ファージ、何か話してくれない?」 「何か、って?」 「この世界のこととか、ファージのこととか……。なんでもいい」  そう言うと、ファージは少し考えるような表情になった。 「じゃあ、話してあげる。この大陸の歴史を……」  そうしてファージは、彼女にしては珍しく、静かな口調で話しはじめた。 * * *  この大陸は、一般にコルシアと呼ばれている。  古い、古い言葉で『大地』という意味だ。  大陸の中央部には南北に走る長大な山脈がそびえ、その西側は広大な砂漠で人間は住まない。  人間の土地は、大陸の東半分だけでしかないが、それでも人間が支配するには充分に広すぎる土地だ。狭義では、この、人間の住む範囲がコルシアと呼ばれる。  今から千五百年ほど前のこと。  その当時、大陸北部にあったストレイン帝国が、コルシアの過半を支配していた。  ストレイン帝国はやがて、コルシア中央部を東へ向かって流れる大河コルザ川を越えて、大陸の南側への侵攻を開始したが、その頃の大陸南部は無数の小国に別れ、ストレインに対抗できるほどの勢力は存在しなかった。  しかし、ストレイン帝国が大陸全土を支配下に置くのも時間の問題と思われた頃、状況が変わりはじめた。  ある小国の王子が、大陸南部の有力な国々を説得し、ストレインに対抗しうる同盟軍としてまとめ上げたのである。  その中心は、トリニア、ラカス、テンナ、ハレイトン、ケリア、ドット、バーパス、レイモス、アンシャスという九つの王国。この同盟は、トリニア王国連合と呼ばれた。  十数年に及ぶ激しい闘いの末、同盟軍はストレイン帝国を滅ぼした。  トリニア王国連合による治世は、その後五百年近く続いた。その間、帝国寄りだった国々との小規模な戦争はあったものの、コルシアの歴史上もっとも平和な時代だった。  それは強大な魔法によって支えられた文明。今よりも遙かに進んだ文化。  ストレインからトリニアに至るこの数百年間を、後の歴史学者は特に『王国時代』と呼んでいた。 * * * 「トリニアの時代は、今から千年くらい前まで続いたの」  ファージは言った。  奈子は、黙って聞いている。 「だけど、平和は永遠のものではなかった。ある日突然、平和と繁栄の時代は終わりを告げた……」 * * *  それは、突然の侵攻だった。  ストレイン帝国が滅亡した時、一部の勢力が帝都を脱出して、遙か北の地へと逃げ延びていったのだ。  それまで、人もほとんど住まなかったような土地に、彼らは新しい国を築いた。  それが、後ストレイン帝国である。  何百年もかけて力を取り戻したストレインがトリニアへの侵攻を開始するまで、トリニアの人々はその勢力を見くびっていた。後ストレインは北の辺境の小国に過ぎず、その繁栄は過去のものだと。  だから、緒戦は完璧な奇襲だった。最初の戦いでトリニアは大きな損害を受け、戦火は瞬く間に王国連合全域に広がった。  トリニアとストレインの、二度目の全面戦争。それは、五百年前よりも遙かに凄惨なものとなった。  王国時代、魔法技術の進歩はめざましいものがあった。今では伝説となっている、高度な魔法のすべてを注ぎ込んだ戦争。その結末は、凄惨としか言いようのないものだった。  高位の魔術師や竜騎士の魔法によって、大都市はことごとく破壊され尽くして。  後には草一本生えない荒野が広がり。  竜にも劣らない力を持った人造の魔獣が大地を埋め尽くして。  人間が長い時間をかけて築き上げてきたもの。それが滅び去るのに要した時間は、ほんのわずかなものだった。  そして、冬の時代がやってきた――。  都市を破壊するための強大な魔法によって引き起こされる爆発は、大量の土砂と、火災による煤を空高くまで巻き上げた。それは太陽が大地にもたらす光と熱を遮り、真夏に雪が降るような気候が何年も続いた。  そして、魔力の副作用である瘴気が大地を覆い、疫病が流行し、さらには魔術師の制御を離れた魔獣が人々を襲い、人間は瞬く間にその数を減らしていった。  やがて、陽の光が再び地上に届くようになった頃には、世界の人口は王国時代最盛期の十分の一ほどにまで減っていたという。  しかも、それで争いが終わったわけではなかった。  僅かな「人間が安全に住める土地」を巡っての争いは絶えることがなく。  やがて、王国時代の偉大な技術も知識も、そのほとんどが失われてしまった。  千年が過ぎていくぶん安定を取り戻したとはいえ、いまだに国々は争いを止めず、王国時代の平和も繁栄も、遠い過去の夢物語でしかない。 * * * 「――私たちは今、長い長い黄昏の時代を生きているの」  寂しそうな口調で、ファージはそう言った。それで、話を終えた。  奈子は黙っていた。言うべき言葉が見つからなかった。  ベッドに横になったまま、黙って天井を見つめていた。 「ごめん。つまんない話、しちゃったね」 「ううん」  奈子は首を横に振る。 「私の世界だって……それほど変わらないと思う。何十年か前に、世界中を巻き込むような戦争もしているし。今は表向きは平和だけど、小さな戦争はあちこちで起こっているし…。魔法じゃないけど、大陸そのものを滅ぼすような兵器は存在するし。ひとつ間違えば、明日にでもこの世界よりひどいことになるかも知れない」 「でも、明日は今日よりも少しは良くなるかも知れない。そう思って、眠ろう。もう遅いよ。モクル・ネ」  ファージの人差し指が額に当てられると、急に瞼が重くなった。  何か魔法を使ったらしいと気付いたのは、翌朝、目が覚めてからのことだった。 * * * 「ナコ、起きて。朝だよ」  耳元で声がする。  朝……起きなきゃいけない。意識の奥底ではそう思っていても、身体がなかなか目覚めようとしない。 「う……ん……」 「早く起きないと、目覚めのキス、しちゃうぞ?」  その一言は効果てきめん。奈子は跳ねるように飛び起きる。  一瞬、おやっという表情であたりを見回し、そして小さくため息をついた。 「どうしたの?」  金色の瞳が、奈子の顔をのぞき込んでいる。 「え……なんでもない」  奈子は力のない声で応えた。 「ただ……やっぱり、夢じゃなかったんだなぁ……って」  そう言って、自嘲めいた笑みを浮かべる。  夢を見ていた。夢の中で、由維の作ったお菓子を食べていた。  いつも通りの風景。それが、奈子の日常。しかし現在置かれている状況は、そんな日常からはかけ離れたものだった。  ファージが、すまなそうな表情を見せる。元はといえば彼女のせいなのだ。  しかし、謝罪めいたことはなにひとつ口にせず、ただ、こう言った。 「朝ごはんの用意ができてるから、行こ」 「……うん」  奈子はベッドから出ると、ファージに続いて階下の食堂へ向かった。  昨夜の夜食もそうだったが、宿の食事は意外と口に合った。もともと奈子には好き嫌いはあまりないが、なにしろ異世界の食事である、何かとんでもないゲテモノが出てきたらどうしようかと思っていたのだ。  今朝のメニューは、インド料理のナンに似たパンに、何の乳が原料かはわからないがクリーム状のチーズ、野菜と干し肉のスープ。そして、赤紫色をした甘酸っぱい果物のジュース。  朝食としては、質、量ともに申し分のない内容だ。 「今日は、これからどうするの?」  食事をしながら、奈子はこの後の予定を訊いた。しかし、すぐには返事がない。  見るとファージは、口いっぱいに食べ物を頬ばって、何も言えずにいたのだ。  昨夜から感じていたことだが、ファージはどうも食い意地が張っている。しかも奈子より小柄なくせに、ものすごい大食だ。  この身体のいったい何処に、これだけの食べ物が入っていくのだろう。奈子は驚嘆の表情で、ファージが食べる様子を見ている。  やがて、奈子の倍以上の量を平らげたファージは、満足そうに大きく息を吐き出した。 「これからまず、ナコの着替えを買いに行って、それから、神殿でナコを元の世界に帰すための研究」 「神殿?」  聞けば、この街には古い神殿があるのだそうだ。  現在の街の規模からすると大きすぎるようにも思える建物なのだが、王国時代に建てられ、長い冬の時代を越えて今に至るものらしい。  当然、その時代の魔法に関する資料なども残っている。  王国時代の魔法技術の資料を探して旅を続けているファージは、それを目当てにこの街へ来たのだそうだ。  朝食の後、買い物をしながらそんな話を聞いた。  ファージは奈子のサイズに合う服を何着か買い、それを昨日と同じように魔法のカードに封じ込めて渡してくれた。  気楽に買い物をしている様子を見ると、ファージはかなり裕福らしい。曰く「腕のいい魔術師ってのは、お金には不自由しない」ということだそうだ。  魔術師が商売として成り立つというのは、少し意外な気もした。この世界の人間のほとんどが、ごく普通に魔法を使えるらしいというのに。  しかしよくよく考えてみれば、不思議なことではない。要するにプロとアマチュアの違いなのだろう。誰だってボールを投げることはできるが、プロ野球の投手になれるのは一握りの人間でしかない――そういうことだ。  なんにせよ、ファージが経済的に恵まれているというのは幸いだった。奈子が元の世界に戻るまでの間、生活のすべてはファージに依存しなければならないのだから。  この街――ルキアの中心部にある神殿は、かなり離れたところからでも見える、大きな建物だった。特に、高い塔が目立つ。  しかし、実際に使用されているのはそのうちの一部分であるらしい。 「今の技術じゃ、これだけの規模の神殿を維持するのは大変なの。それに、昔はこの街も今よりずっと大きかったし」  神殿の門をくぐりながら、ファージが説明する。彼女は顔パスで神殿の中へ入れるようだ。何人か、神官と思しき人たちとすれ違ったが、顔見知りらしく親しげに挨拶してくる。  ファージは数日前からこの街に来ているというし、そもそも今回の訪問が初めてではないというから、当然のことだろう。  神殿の奥にある図書室のような部屋が、ファージの目的地だった。 「私はここで調べものしてるから、ナコは、適当に暇つぶししてて。ここの本は自由に読んでも構わないし」 「ん……」  奈子は曖昧にうなずきながら、部屋の中を見回した。  いくつもの書架が並び、古ぼけた書物がびっしりと収められている。その数は少なく見積もっても数千冊にはなるだろうか。  奈子には読めない文字で書かれた物も多い。奈子が教わったアィクル語以外の言語か、さもなくば古語なのだろう。  奈子はどちらかといえば体育会系であるから、こうした大量の本と向き合うのは苦手だ。それでも、興味の惹かれそうな本を何冊か選びだし、それを持って席に着いた。  建物の中は静かで、分厚い本を何冊もひろげたファージが、何かメモをとっている音だけが微かに響いていた。  奈子は机に両肘をついた、やや行儀の悪い姿勢で本を開いた。  それは、王国時代の歴史を綴った歴史書だ。奈子はすぐに、本に夢中になった。大量の本が並んでいる光景は苦手でも、読書そのものは決して嫌いではない。  王国時代の歴史の主役は、竜騎士である。  巨大な竜を駆って大空を舞い、最高の魔法と剣技を駆使する者たち。  王国の栄光の象徴。  一人の竜騎士は、一万騎の重装騎兵にも匹敵するといわれていた。  竜騎士を倒せるのは竜騎士のみ。多くの場合、戦争の最後の決着をつけるのは、竜騎士同士の一騎打ちであったという。  無論、竜騎士の数はそれほど多くない。その素養を持った人間はごく僅かであったし、竜の数はさらに少なかった。  王国時代の最盛期でさえ、その数はトリニア王国連合全体で三十人程度であったという。後ストレイン帝国ではもう少し多かったらしいが、それでも五十人に満たない。  つまりこの大陸全土で、一番多いときでも僅か八十人の竜騎士しか存在しなかったことになる。  その中でも特に高名な者たちの物語は、読んでいて面白かった。  トリニアの竜騎士の祖、戦いと勝利の女神の化身エモン・レーナ。  その夫であり、トリニアの王エストーラ・ファ・ティルザー。  エストーラの従妹で、トリニア最強の竜騎士と名高いクレイン・ファ・トーム。  もっとも華麗な剣技の持ち主、ユウナ・ヴィ・ラーナ・モリト。  その強大な力故に魔王と呼ばれて怖れられた、ストレイン帝国の皇帝ドレイア・ディ・バーグ。  ストレイン随一の名将としてトリニアを苦しめ、後にストレインを出奔して自分の王国を築いた北の女帝、レイナ・ディ・デューン。  女性の竜騎士に多くのページが割かれているのが意外だった。竜騎士全体で見れば、やはり女性はごく僅かでしかない。  しかし、その僅かな女竜騎士の多くが、竜騎士として特に強い力を持っていたのがその理由だ。歴史に残る最初の竜騎士、エモン・レーナが女性であったことと、なにか関係があるのだろうか。  別な本には、そうした竜騎士たちの肖像が描かれていた。  その中で特に気に入ったのが、ストレイン帝国の竜騎士だったレイナ・ディ・デューンだ。長く美しい黒髪と、意志の強さを感じさせる鋭い瞳が印象的だった。 (ちょっと、アタシに似てるかも……)  そう思ったが、それは少し図々しいかも知れない。レイナの方が遙かに大人っぽく、そして客観的に評価すれば、幾分美人であるようだ。  そもそも女性の竜騎士たちのほとんどが、ややきつい感じで気の強そうな顔立ちだから、奈子と雰囲気が似ているのも当然だ。 「ナコ、そろそろお昼だよ」  不意に声をかけられて、奈子は驚いて顔を上げた。  目の前に、ファージが立っている。いつの間に用意したものか、大きなバスケットを抱えていた。 「お昼……?」 「今日は天気もいいし、中庭で食べよ」 「うん」  奈子も立ち上がって、本を書架に戻した。ファージの後に続いて神殿の中庭に出る。  今日もいい天気だ。気温はけっこう高いが、湿度が低いためにそれほど気にならない。  芝生の上に置かれている小さなテーブルに、ファージはバスケットの中のお弁当を広げた……と思う間もなく、猛烈な勢いで食べはじめる。  メニューは、朝食の時と同じようなパンに、肉や野菜をのせてくるくると巻いたもの。奈子の感覚でいえばサンドイッチのようなものだろうか。四〜五人分くらいはありそうな量だが、少なくとも三人分はファージのお腹に収まるのだろう。他に、洋ナシに似た形の果物がいくつかあった。 「……それで、アタシを元の世界に返すための研究は進んだの?」  奈子は、一番気がかりなことを訊いた。口いっぱいに頬ばったものを強引に飲み込んでから、ファージは応える「。 「ん……。新しい資料を見つけたから、二、三日中にはなんとかなりそう」 「そっか……、よかった」  奈子は安堵のため息をついた。もしも帰れなかったらどうしよう――そんな不安が常につきまとっていたのだ。  それからふと、考えるような表情になる。 「ねぇ、アタシは、新しい魔法の実験に巻き込まれたって言ってたよね? ファージはもともと、どんな魔法を研究していたの?」 「んー、なんて言ったらいいかなぁ……。他の世界との間に道を開いて、より強大な魔力を得る魔法……とでも言おうか」 「何故そんなことを?」  ファージがその問いに答え始めるまでに、僅かな間があった。この世界の魔法について何も知らない奈子に対して、どう説明すればよいかと考えているようだ。 「それにはまず、魔法というものの原理を説明しないとね。魔法の力……魔力の源は、どこから来るか知ってる?」  奈子は当然、首を横に振る。 「ナコは先刻、王国時代の竜騎士の本を読んでいたみたいだけど。竜騎士の魔法は、砦の一つや二つ、簡単に破壊することができたんだよ。それだけのエネルギーは、どこから来ると思う?」 「どこから、って……」  そんなもの、考えたってわかるはずがない。  おとぎ話の魔法使いは、杖を振ったりちょこちょこと呪文を唱えるだけで、様々な奇蹟を起こしてみせた。魔法とはそういうものだと思っていた。 「……何もないところから『力』を出現させるから、魔法っていうんじゃないの?」 「それじゃ、エネルギーの保存則に反するでしょ」  そんなことも知らないのか、といった表情でファージが言う。  奈子は少し驚いた。自称『魔術師』の口から「エネルギーの保存則」などという言葉を聞くとは思いもしなかったから。  それが事実とすれば、この世界の『魔法』とやらは、物理の法則に従った現象ということになるかもしれない。 「魔力というのは、空間を満たすエネルギーの総称。それは、精神の働きで制御することが可能なもの。それが、魔法なの」  ファージは真顔で言う。どうやら、奈子をからかっているというわけではないらしい。魔法というものに対する認識を、改める必要がありそうだ。 「空間というものは、それ自体エネルギーの塊のようなもの。今、私たちがいるこの空間も、大きな『力』で満ちているの。でも、それは極めて安定したもので、何かに利用するということはできない。つまり……」  滝を落ちる水は岩に穴を穿ち、流れる水は大きな水車を回す。それはつまり、水がエネルギーを持っているということだ。地上に住む人間は、その力を利用することができる。  しかし、水の中に棲む魚にとってはどうだろう。流れに逆らって泳ぐことをせずにただ流されている時、その魚にとって周囲の水は静止しているのと同じで、なんの力も及ぼさない。  それと同様に、空間そのものが持つ『力』も、同じ空間に住む者にとっては意味をなさない。  しかし、違う世界なら――。 「水を入れた樽を二つ、重ねたところを考えてみて」  下の樽には、魚が入っているとしよう。それだけでは、上の樽の存在はなんの意味も持たない。しかし、その樽の底に穴を開ければ、水は相応の勢いで下の樽に流れ落ちる。その水勢は、当然下の樽の水にも動きを引き起こすことになる。 「ナコの住む世界と、私の住む世界が違うように、世界というものはひとつじゃない。無数に存在するといってもいいんじゃないかな。普段はその存在を知ることはできないけどね。異なる世界の間に穴を開ければ、異世界の空間そのものが持つエネルギーを利用できるというわけだよ」 「はあ……」  奈子は曖昧にうなずいた。  わかったような、わからないような。そんな表情だ。  ファージは話を続ける。 「異なる世界との間を自由に行き来する能力を持った存在『精霊』の力を借りてエネルギーを取り出すのが精霊魔法。もっとも一般的な魔法だね。普通の人が使う魔法がこれ。それに対して、自分の精神力で強引に次元の壁をこじ開けるのが、上位魔法。うまく行けば精霊魔法以上の力が得られるけど、安定性に欠けるし、個人の資質による力の差も大きいんだ」 「ファージは、その上位魔法を使えるわけ?」 「当然でしょ。そうでなきゃ一流の魔術師とは言えないもの」 「ふぅん……でも……」  奈子は、これまでの話を頭の中でもう一度反芻してみる。まだまだ疑問はあった。 「それと、アタシがこの世界に迷い込んだことは、どうつながるの?」 「人が魔法を使う時、異世界との間に小さな穴が開く。そこから魔力が導かれるんだ。その穴を大きく広げて、そこを通り抜けて次元の隙間を近道するのが転移魔法の原理ってわけ。ここまではいい?」 「うん」  奈子はうなずく。 「強大な魔力を導き出すには、二つの方法がある。一つは、穴を大きくすること。もう一つは、次元的にできるだけ『遠い』世界と穴をつなぐこと。高さが同じなら、より大きい石を落とした方が痛い。石の大きさが同じなら、より高いところから落とした方が痛い。それと同じ」 「うん、それはわかる」 「理想は、その両方なわけ。より遠くの次元に、より大きな穴を開ける。ところが先刻も言ったとおり、次元の穴は転移魔法にも利用される」 「たまたまファージが開けた穴の先がアタシの世界につながって、しかもアタシが落ちるほどに大きかった、と?」 「そういうこと」  ファージは笑ってうなずいた。その後頭部を軽く小突く。やっぱり悪いのはファージだ。  話の間に食事は終わって、ファージは温かいお茶を淹れてくれた。よい香りのするカップを受け取って口をつける。  一口飲んでから、さらに訊いた。 「ファージってさ、今でも一流の魔術師なんだよね? なのに、より強い力を求めるの?」 「力のある者は、さらなる力を欲する。そういうものじゃない?」 「だけど……」  奈子は一瞬口ごもったが、それでもやっぱり言葉を続けた。 「より強い魔力。それって、王国時代の末期に世界を滅ぼしかけた力なわけでしょう? それを、求めるの? なんのために?」 「別に、大それた目的があるわけじゃないよ」  いつの間にか、ファージの顔からいつもの無邪気な笑みが消えていた。珍しく真剣な表情で、まっすぐに奈子を見ている。 「ナコは、思ったことない? 誰よりも強くなりたいって」 「それは……」  それは、確かにある。格闘技を学ぶ者なら、誰でも考えることではないだろうか。  もちろん、現実には不可能かも知れない。それでも、必ず一度は夢見ることだ。  誰よりも強くなりたい。最強になりたい。  奈子は、格闘技が好きだった。  全力を尽くして強敵と闘うことは楽しかった。  だけど本当に楽しいのは、その強敵を倒して、自分の強さを確認することではないだろうか。  他人よりも優れた存在でありたい。そう思わない人間は少数派だろう。 「私は、強くなりたいよ。生きていくために。自分の思うとおりに生きていくために……ね。誰かに生き方を強制されるなんて、嫌じゃない?」  その言葉には奈子もうなずいた。しかし、その言葉に込められた本当の意味を知るのは、ずっと後のことだった。 五章 たたかう、力  それから数日間は、同じような日々の繰り返しだった。  ファージは朝から、神殿の図書室で研究に没頭している。奈子は同じく図書室で本を読んでいるか、それに飽きると街の中をぶらぶらと歩いてみたりする。そして昼になると宿でお弁当を受け取って、神殿にいるファージと一緒に食べる。  そんな生活が、徐々に身体に馴染んできていた。焦りや不安がまったくなかったといえば嘘になるが、それでも最初の頃に比べれば落ち着いたものだ。  こちらの生活習慣にも、少しずつ慣れてきた。人前でとんでもない失敗をして、注目を集めることも少なくなった。  人間の生活なんて、根本ではそう大きな違いはないのかも知れない。たとえここが、剣と魔法が支配する世界であったとしても。  それでもこの世界では、魔法が生活の中に溶けこんでいる。夜の照明にも、炊事をはじめとする様々な家事にも、魔法の助けを借りていた。  もっともそれは、奈子が抱いていた、呪文ひとつでどんな奇蹟でも起こせる『魔法』のイメージとは少し違う。  ファージの説明からわかったことだが、要するにこの世界の魔法とは、異次元から得られるエネルギーと、その制御手段の集大成なのだ。奈子の世界における電気や化石燃料の替わりに、魔法が様々な場面で用いられるというだけの話だ。  だから奈子には、ひとつだけ気をつけなければならないことがあった。それは、魔法が使えないことを知られないようにすることだ。  この世界の人間は、ほぼ例外なく魔法を使える。ごく僅かにその素養を持たない者もいるが、それは一種の先天的な奇形だった。  その日、奈子はいつものように昼食を取りに宿へ戻っていた。昼時、宿の食堂は泊まり客以外にも大勢の客で賑わっている。  ファージの食べっぷりをよく知っている宿のおばさんは、ずっしりと重いバスケットを渡してくれた。  それを受け取って宿から出ようとした時、背後から下品な男たちの笑い声が聞こえた。そんな中に、悲鳴らしき女の子の声が混じっているのに気付いて、奈子は振り返る。  見るからに柄の悪そうな男が四人、昼間から酒を飲んでいるのか赤い顔をして、宿で働いている女の子にからんでいた。  無理やりお酌でもさせようとしているのだろう。嫌がる女の子の腕を乱暴に掴んでいる。  奈子は微かに眉をひそめると、無言でそちらへ歩いて行った。持っていたバスケットを傍らのテーブルに置くと、女の子を掴んでいる男の腕をいきなりねじり上げる。  男が悲鳴を上げ、女の子を放す。それでも奈子は構わずに、腕にさらに力を込めた。  場違いな男の悲鳴に、周囲の客たちの視線が集まる。あちこちで驚きの声が上がった。  無理もない。奈子のような女の子が、ふたまわり以上も大きな身体をした男の、筋肉で盛り上がった太い腕を片手でねじり上げているのだから。  その男の仲間たちも突然のことに状況が飲み込めないのか、ぽかんとした表情を見せている。  実際のところ、奈子の腕力なんてそれほど大したものではない。女の子としてはかなりのものだろうが、力自慢の男に比べればまるで問題にもならない。  それでも関節と筋肉の構造を熟知し、てこの原理を応用すれば、こういった芸当も可能なのだ。奈子が学ぶ北原極闘流は、表向きは空手だが、その実態は投げ技や関節技も認められた総合格闘技だ。特に、古流柔術の関節技は多く取り入れられている。  男の肩が鈍い音を立て、悲鳴が途切れたところで奈子は手を放した。折れてはいないが、肩を脱臼したはずだ。別に、やりすぎたとは思わない。どうせ、自分が痛い目に遭わなければわからない連中なのだ。 「やめなさいよ、嫌がってるじゃないの」  女の子を背後に庇うようにして、奈子は言った。  こういった状況には慣れている。これまでにもよくあったことだ。  奈子の実力は同世代の並の男子など歯牙にもかけないから、クラスメイトや後輩に頼まれて、しつこいナンパや痴漢の撃退にしょっちゅう駆り出されていたものだ。それは奈子にとって、ちょうどいい実戦練習の場だった。 「て、てめえっ! なにしやがる!」  肩を押さえた男が叫んだ。野太い声だが、涙目なのでいまいち迫力に欠ける。 「そんなでかい図体をした男が、女の子に腕を掴まれたくらいで泣くんじゃないよ。みっともない」  奈子はからかうように言った。周りで様子を見守っている客たちが、あちこちで失笑を漏らす。  男の顔が、怒りのあまり真っ赤になった。力任せに奈子に掴みかかろうとする。 「遅い!」  奈子の声と同時に、ドンッと重い音が響く。奈子の足が、床を踏み鳴らした音だ。中国拳法でいうところの震脚である。  同時に、掌底が男の鳩尾に打ち込まれていた。身体がくの字に曲がる。  そこへすかさず、顔面を狙って左右の掌打を連発する。脳が揺さぶられた男は、目の焦点が合わなくなる。相手の動きが止まったところで、掌底で真下から顎を打ち上げる。  男の身体がのけぞり、胴体ががら空きになった。そこへ、渾身の正拳突きを叩き込む。  それで終わりだった。男はその場に崩れ落ちる。  実際には、ほんの二、三秒のことだったろう。  一瞬、食堂全体が沈黙に包まれる。  奈子は満足していた。今の技は完璧だった。格闘技は実戦で使えてナンボ――奈子を指導してくれた先輩は、いつもそう言っていた。それが、武道とスポーツを画するものだった。 「こ、このガキ!」  倒れた男の仲間が我に返って、テーブルに立てかけてあった剣の柄に手を伸ばす。  奈子は、傍らのバスケットを掴んで投げつけた。  男は反射的に、バスケットを手で払いのけようとする。その隙に、奈子は身体を低く沈めた。野球のスライディングのような姿勢で、相手の膝を蹴る。バランスを崩した男は、大きく脚を開いて踏みとどまった。  狙い通りだった。奈子は両手で身体を支え、逆立ちするように股間を蹴り上げる。一瞬の呻き声とともに、男の動きが止まる。  その隙に立ち上がって、首を狙って上段の回し蹴りを叩き込んだ。糸の切れた操り人形のような姿で、男は床に倒れた。  これで二人。だが、相手はあと二人いる。  奈子は、大きく息をした。  二人があっという間に倒されたことで怖じ気づいてくれればいいのだが、あまり期待はできないだろう。どう考えても、小娘にやられて大人しく引き下がるようなタイプではない。  四対一というのは、実際のところかなりのハンデだ。まともに闘っては、相当な実力差があっても勝つのは難しい。  では、どうすればいいのか。  基本は簡単だ。四対一で闘わなければいい。  四対一の闘いではなく、一対一の闘いを四ラウンド行うと考えればいい。同時に複数を相手にせず、一人ずつ確実に仕留めていく。  ここまでは上出来だった。  相手の不意をついて、二人までを無傷で倒した。  そのために、少しばかり慢心していたかもしれない。この時の奈子は、大切なことを忘れていた。  それまで座っていた二人のうちの片方が、ガタンと大きな音を立てて立ち上がる。前の二人に比べると体格はやや小柄だが、目つきが鋭い。 (ちょっとは、強そうかな……)  相手が冷静なのが気にかかる。激昂して冷静さを失ってくれる相手の方がやりやすい。 「なにやら奇妙な技を使うようだな」 (奇妙って……、空手や拳法を見たことないの?)  一瞬そう思ったが、すぐに思い出した。  ここは異世界なのだ。空手も中国拳法もあるはずがない。とはいえ、この世界なりの格闘技はあるのだろうが。 「では、こちらも本気で行くか」  男が剣を抜いた。  奈子との間合いはまだ三メートル以上ある。たとえ剣でも届く距離ではない。  しかし、男は距離を詰めようとはせず、空いている方の掌を奈子に向けた。 「――っ!」  突然、男の手の中に炎が現れた。それが、奈子に向かって飛んでくる。  奈子は反射的に、身を沈めて炎をかわした。 (ま、魔法っ?)  髪が焦げる匂いがした。完全にはかわしきれなかったらしい。 「ショウ・ウェブ!」  男が叫ぶ。  その手の中に、大きなリンゴくらいの光る球体が出現する。その動きは先刻の炎よりも数段速く、体勢の崩れていた奈子にはかわしきれなかった。  光の球は、奈子の胸のあたりで突然破裂した。衝撃で壁に叩きつけられる。  背中を強く打ち、痛みのあまり呼吸が止まった。 「あ…ぅ…」  奈子はその場に膝をついた。  自分の愚かさに腹が立つ。  すっかり失念していた。ここは、魔法が当たり前に存在する世界だということに。  そのことを忘れて喧嘩を売るなんて、無謀にもほどがある。  立ち上がりながら、奈子は手の甲で口を拭った。壁に叩きつけられたときに口の中を切ったのか、唇に少し血が付いていた。 「少しはやるのかと思ったが、所詮はこの程度か」  男が嘲るように言った。手の中に、再び光球が現れる。  反射的に、両手を交差させて顔面をブロックする。腕に当たった光球が破裂し、骨まで衝撃が響いた。  まるで、木刀で殴られたのを受け止めたような感じだ。痺れた腕は、しばらくまともには動かせまい。  奈子が魔法による攻撃をかわせないことを悟ったのか、男の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。またゆっくりと掌を奈子に向けた。 「く…」  奈子は唇を噛んだ。  昨日、ファージが言っていた。  魔法による攻撃は、同じく魔法による防御結界で防ぐことができる、と。そして魔法を使わなくとも、精神力の集中によって、自分に向けられた魔法の効果はかなり軽減できるのだとも。  魔力の源は異なる次元が持つ空間のエネルギーだが、それをこの世界に引き出すためには、精神の働きが大きく関わっているためだという。  かといって、この状況でそれを試してみるわけにもいかない。こんなことなら、ファージにもっと詳しく訊いておけばよかった。  今は、自分が身につけている知識と技術だけで闘わなければならない。だが、剣ならともかく、魔法を使う相手との闘い方など教わったことがあるはずもない。 (いや、まてよ……)  あれを、魔法と考えなければどうだろう。  そう、ただの飛び道具だと思えば。  男の手の中に、また光球が現れる。その瞬間、奈子の手は傍らにあった椅子を掴んでいた。  それを、男に向かって投げつける。椅子は、光球に当たってばらばらに砕けた。  椅子を投げると同時に、奈子は床を蹴って大きくジャンプしていた。空中で一瞬身体を丸め、背筋力に全体重を加えた後ろ回し蹴りを叩き込む。  北原極闘流で、もっとも威力があるといわれる蹴り、飛鷹脚だった。  顔面をまともに蹴られた男は、もんどり打って倒れる。奈子は両腕を広げて、バランスをとって着地した。  着地の衝撃が傷に響く。  しかし、まだ終わってはいない。  あと一人、残っている。  奈子は、小さく深呼吸した。  最後の男が、ゆっくりと立ち上がる。身体も大きく、この四人の中ではリーダー格といった雰囲気だ。 「小娘と思っていたが……、なかなかやるな」  男は面白そうに言うと、傍らにあった剣を抜いた。刀身はやや短めだが、肉厚の刃だ。  屋内で長い剣を振り回すのは意外と邪魔なもので、その点、この選択は正しいと言える。椅子やテーブルといった障害物も多いのだから、肉厚の刀身の方が有利だ。切れ味重視の細身の剣では、障害物に当たった時に簡単に折れてしまう。  奈子は緊張した面持ちで構えをとった。心の中で、以前習った「武器を持った相手との闘い方」を復唱する。練習はしたものの、普段は使う機会のない技だ。うまくいく自信はない。  だが、男が剣を構えた瞬間。  その右手が突然、炎に包まれた。  男は悲鳴を上げて剣を落とした。炎は一瞬で消えたが、手は赤黒く焼けただれていた。 「いったい、何をしているの?」  その声は奈子の背後、店の入口の方から聞こえてきた。奈子をはじめ、店の中にいた人間が一斉にそちらを向く。  鮮やかな金色の髪を揺らして、小柄な少女が立っていた。 「ファージ!」 「って、てめえは! ファーリッジ・ルゥ!」  そう叫ぶ男の声が、微かに震えているように聞こえた。見ると、顔には恐怖の色が浮かんでいる。 「ナコは、私の友達だよ。彼女になにか用?」  冷たい、そして殺気のこもった声だった。普段の陽気なファージからは想像もできない。  鋭い目で、男を睨んでいる。強い光を持った瞳。金色の瞳が、さらにその色を濃くしているように見える。 「え、いや……お、俺たちは別に……」  火傷した手を押さえながら、男はしどろもどろに言い訳する。  男を見つめていたファージが、すぅっと目を細める。  ただそれだけで。  次の瞬間、男は血を吐いて倒れていた。 六章 炎と雷の獣 「虫の知らせっていうのかな、何かヤな感じがしてね。それで外に出たら、食堂のおばさんが慌ててこっちに走ってくるところ」  ファージが言った。  街でちょっとした乱闘騒ぎがあった日の午後、二人は初めて出会った山の中にいた。  奈子を元の世界に返す転移魔法を試してみるためだ。  森の中に五十メートル四方くらいの草原が開けている場所があって、その中心に、ずいぶんと古いものと思われるストーンサークルがある。その中だけは草も生えておらず、赤茶けた土が剥き出しになっていた。  ファージの話では、王国時代の古い遺跡のひとつなのだそうだ。 「それにしても、ファージが来なかったらどうなっていたか……助けてくれてありがと」 「うーん……。ナコ一人でも大丈夫かな、とも思ったんだけどね」 「え?」  ファージの台詞には、なにか引っかかるものがあった。奈子は問いかけるような表情でファージを見る。 「……そういえば、ずいぶんとタイミング良く現れたよね?」 「へへへ……」  鎌をかけると、ファージはばつが悪そうに笑った。 「実は、ちょっと前から見てた。ナコって強いんだね」  それを聞いて、奈子の顔が曇る。 「じゃあ、なに? アタシが闘っていたとき、ファージはただ見ていたの?」 「最後は助けてあげたじゃない」 「だったら最初から助けてよ! 人が苦しんでいる時に……」 「だってナコ、楽しそうだったし」 「楽しい?」  思わず、大きな声で訊き返した。 「あ・の・ね! アタシは必死だったのよ?」 「でも、楽しんでいた」  ファージは断言する。 「ナコは楽しんでいたよ。自分の持てる力を振り絞って闘うのって、楽しいよね?」  それは問いかけではなく、確認の言葉だった。  ファージは微笑みながら、大きな瞳でまっすぐに奈子を見つめている。まるで、心の奥底までも見透かしているような瞳で。 「そんな、こと……」  そんなことない。そう、否定しようとした。  しかしファージの言葉は、一部は確かに真実だった。  これまで試合や組み手の中でしか使えなかった技を、実戦で思う存分に繰り出すこと。それは気持ちのいいことだ。  恐怖を伴った、背徳的な快感。背筋がぞくぞくするほどの。クラスメイトに頼まれて痴漢退治をしたときの緊張感など、比べものにならない興奮。  しかし、認めるのには抵抗があった。 (別にアタシは、喧嘩のために空手を習っているわけじゃない……)  そう思う。しかし「では何のために?」と問われれば、すぐには明確な答えが見つからない。極闘流の道場に通いはじめたきっかけだって、もう憶えていない。 「すぐに助けなかった理由はもうひとつ。ナコの技に興味があったから」 「アタシの……技?」 「すごいね、あんなの初めて見た。いったいどーゆー技なの?」  ファージが興味津々に目を輝かせている。 「あれは、カラテっていう……」  格闘技、と言おうとした奈子は、それに相当するアィクル語の単語を知らないことに気付いた。  一番近い単語は『体術』だろうか。しかしこれはどちらかといえば、剣で闘うときの体捌きを意味するらしい。 「アタシの国に古くから伝わる、素手で闘うための技。もちろん、魔法にも頼らずにね。……ねぇ、ひょっとしてここには、そういう技が存在しないの?」  その技術が存在するのなら、それを表す言葉があるはずだ。 「魔法も武器も使わずに闘う? 何のために?」  不思議そうに問い返すファージを見て、奈子は気付いた。  人間にとって、歩き、話すのと同じくらいに当たり前に『魔法』が使える世界。その上、武器の所有も特に制限されていない世界。  それでは、徒手格闘術が発達する必然性はない。  先刻の男たちの一人が「奇妙な技」とか言っていた理由がようやくわかった。力自慢の大男ならともかく、奈子のような女の子が、剣も魔法も使わずに大の男を倒すなど、彼らの理解の範囲外だったのだろう。 「アタシの世界には魔法なんてものは存在しないし、民衆は、支配者によって武器の所有を制限されることも多かった。だから、肉体だけで闘う技術ってのが発達しているの」 「じゃあ、私たちが魔法を使うのと同じくらいに、当たり前のものなんだ?」 「そこまで一般的なものじゃない。普段の生活にも役立つ魔法と違って、闘いのためだけの技だし……。それを教える学校……のようなものがあって、アタシはそこに通っているの」 「ふぅん。じゃあ、ナコは自分の世界でも強いんだ?」 「ん……まあ、同じ年代の女の子の中では、そこそこ強い……かな?」  正直に言えば、これは謙遜だ。実際のところ、北海道内の中学あるいは高校の女子で奈子と互角に闘える相手など、他流派を含めても五指に満たない。 「そっか、ウン、そうだよね。闘っている時のナコ、カッコ良かったもの。すっごく素敵だったよ」 「えへへ……、そぉ?」  奈子の顔が赤くなる。  それは、後輩の女の子たちにもよく言われる台詞だ。「闘っている時の奈子先輩って素敵」と。言われ慣れていることではあるが、それでも面と向かって言われれば、やっぱり照れてしまう。 (ん……? 後輩の子たちと同じってことは……) 「ナコのこと、ますます好きになりそう」  ファージが嬉しそうに言う。赤くなった顔が、一瞬にして青ざめた。 (……! もしかしたらって思ってたけど……ファージってやっぱり、そっちの気があるの? こんなのと毎晩同じベッドで寝てたなんて……)  貞操の危機を感じる。同性には妙に人気のある奈子だったが、しかし本人はノーマルである。 (高品先輩、信じてください。アタシの身体は、先輩だけのものです!)  思わず、心の中で叫んでいた。片想いの男性に向かって。 「なに、空を見上げてんの? 始めるよ」  ファージの声で我に返った。  そういえば、転移魔法を試すためにここへやってきたのだ。  ストーンサークルの中心に立ったファージは、持っていた袋の口を開き、その中身――純白の砂を足元にばらまいた。  それから両手で印を結び、奈子には聞き取れないくらいの小さな声で、呪文を唱えはじめる。  すると地面にまいた砂が、まるで磁石に操られる砂鉄のように、ざわざわと動き出した。最初は無秩序に動いているように見えたそれは、やがて地面に複雑な幾何学模様を描き出す。 「魔法陣……?」  奈子は小声でつぶやいた。  砂はファージを中心に同心円状に広がり、なにかの文字のような形にまとまっていく。  呪文の詠唱は二十分ほど続いた。ファージが大きく息を吐き出した時、地面には直径五メートル以上ある、複雑極まりない魔法陣が完成していた。 「魔法陣には、魔力を集中して力を増幅する効果があるの。さあ、始めようか。ナコは魔法陣の中心に立って」  言われるままに、奈子は魔法陣の中に入った。魔法陣を描く砂は、まるで糊かなにかで固めたようになっていて、踏んでもその形は崩れない。  もう、太陽は山の陰に沈みかけていて、奈子の影が魔法陣の上に長く伸びている。  奈子は、やや不安げに周りを見回した。 「本当に大丈夫? また、変な世界に飛ばされたりしない?」 「平気だって。もし失敗したとしても、ここでの滞在があと何日か延びるだけ」  ファージは自信満々だ。その言葉を信じるしかない。 「ならいいんだけど……」 「心配なら、念のためにこれをあげる」  ファージは、ポケットから数枚のカードを取り出した。 「なに、これ?」 「金貨に、食べ物。それから色の違うカードは、簡単な怪我の治療の魔法を封じ込めたもの。これがあれば、万が一私とはぐれてもしばらくは大丈夫でしょう? その間に、私がナコを見つけだしてあげる」 「そう、うまくいくのかなぁ?」 「大丈夫、どこにいたってわかるよ。私とナコは、固い愛の絆で結ばれているんだから」 「いや、それはないと思うけど」  奈子は即座に否定した。いったいファージはふざけているのか、それとも本当に同性が好きなのか、いまだによくわからない。 「さて、始めようか」 「……もしもうまくいったら、ファージともこれでお別れ……なんだね」  自分の世界に帰れることはもちろん嬉しい。だけど、これっきりファージと会えなくなるのは少し残念だった。友達としてなら、好きなタイプだったのに。 「まあ……、魔法がうまくいって、ナコの世界との間に道が開いてからでも、お別れを言う時間くらいはあるけどね」 「……うん」  ファージは魔法陣の外で奈子と向き合う形で立ち、両手を前に差し出した。その手の中に、一本の杖が現れる。長さは一メートル半くらい。瘤のたくさんある、奇妙な木の杖だ。  杖を掲げて、呪文を唱えはじめる。 「シカルト トゥ シルカ ハンペ コィカルニ オフンパロ チサルラ……」  やがて、魔法陣の中心に立つ奈子の身体を、淡い、白い光が包み込む。光は次第に強くなり、目を開けていられないほどになった。周囲は白一色で、ファージの姿も見ることができない。 (これで、帰れるのかな……。この一週間、なんだかすごく刺激的というか……もう二度とできない体験なんだろうな……)  急に、重力がなくなったかのような浮遊感を覚える。足下の、地面の感触も消えている。  そして……。 「えっ?」  不意に、そんな声が聞こえた。ファージの声だ。  同時に、ばんっと大きな破裂音が響き、奈子を取り巻いていた光が消えた。  光に眩んでいた視力が戻ると、そこは先刻と同じ、ファージの作った魔法陣の中だった。目の前ではファージが、なにか戸惑っているような表情を見せている。 「……なに? いったいどうしたの?」 「失敗……した。というか…、なにかが、私の魔法に割り込んできたみたい」  一語一語、考えながらファージが応える。 「割り込んで……?」 「私が開いた道に、外から入り込んできた奴がいる……。ナコの時と同じように、たまたま位相が重なっていたのかな……」 「じゃあ……、また誰かが、この世界に迷い込んできたってこと?」  ファージはこくんとうなずいた。 「誰か……というか、何か……だね。この気配は、人間じゃないな」 「で、それはどこに?」  意識を集中しているのか、ファージが目を閉じる。一分ほどそうしていて、やがて、静かに目を開けた。 「ファージ?」 「まいったな……よりによって」 「どこ?」  ファージは、かすかに顔をしかめて応えた。 「街……だ」 * * *  二人が戻った時には、既に夕闇が街を包み込んでいた。  しかしところどころ、不自然に明るい部分がある。 「――っ!」  奈子は、驚きの声を飲み込んだ。  街が、燃えていた。  あちこちで火の手が上がり、街の人々が逃げ回っている。時折、爆発音らしき音が響く。 「なにこれ! いったい、何があったの?」 「さて……」  ゆっくりと周囲を見回していると、ファージの名を呼ぶ声が聞こえた。 「ファーリッジ・ルゥ! どこに行っていたんだ? 力を貸してくれ!」  二人揃って、声のした方を見た。四十歳くらいの男が、こちらに駆け寄ってくる。  その男には、奈子も見覚えがあった。確か、ファージが通っていた神殿の神官だ。 「いったい、何があったの?」 「あれだ」  揃って、神官が指差す方向を見る。  百メートルほど離れたところに、動くものがあった。人間ではない。それよりもずっと大きなものだ。  それは、一頭の獣だった。姿形はライオンかトラに似ている。しかしその体躯は、もっとも大きなライオンの二倍以上は優にあった。全身は美しい金色の毛皮に覆われ、頭に二本の短い角がある。  これが、普通の獣であるはずがない。 「なに、あれ……?」  奈子が小声で訊ねると、ファージは肩をすくめた。 「私も見たことない」 「あいつは、少し前に突然街に現れたんだ。私たちの魔法がまるで効かない上に、奴自身が強力な炎の魔法を使う」  その台詞が終わらないうちに、獣が唸り声をあげる。その声に応えるように、三人の傍らの建物が突然燃え上がった。 「なるほど」  ファージは妙にのんきな口調でつぶやいた。 「で、私にあれを退治しろ、と?」 「頼む。今、この街にはあんた以上の魔術師はいない」  神官が頭を下げる。 「ま、いいけどね」 「ね、ファージ。ひょっとして、あれって……」  奈子は、ファージにだけ聞こえるように小声で囁いた。  ファージがうなずく。 「あいつが、そうみたいだね。他の世界に棲む魔獣……ってところかな?」 「じゃあ、この騒ぎは……アタシたちのせい?」 「事故よ事故、不可抗力。私がちゃんと退治するから、心配しないの」  あっけらかんと言うファージの手に、また、杖が現れる。  杖を高く掲げて、ファージは呪文を唱えた。 「アール・ファーラーナと、ファーリッジ・ルゥ・レイシャの名において命ずる。  天と地の精霊、炎を司る者たちよ、  我が声に応え、我の下へ集え。  炎を支配する力、我に与えよ。  我の前に立ち塞がる者を、滅びの炎にて焼き尽くさん!」  呪文の最後の一言と同時に、魔獣の身体が炎で包まれた。  昼間の乱闘で男の手を焼いた魔法に似ているが、その規模は何百倍も大きい。  しかし炎が消えたとき、魔獣は、何事もなかったかのようにそこに立っていた。  ファージの方を見て、大きな唸り声を上げる。  突然、近くの数軒の建物が同時に火を噴いた。  あの唸り声は、魔獣にとっての呪文の詠唱なのだろうか。 「ちょっとファージ、効いてないよ?」  奈子の声がうわずっている。  ファージは小さく舌打ちをした。 「……ちっ、これだから精霊魔法って奴は……」 「……どうするの?」 「まだまだ、これからが本番」  ファージの表情には、まだ余裕が感じられた。再び、杖を掲げる。 「オカラスヌ ウェイテ アパニ ク ネ!」  今度の呪文は、奈子には意味がわからない。ただそれが、上位魔法と呼ばれる戦闘用の魔法であることだけはわかる。  魔獣の周囲に、直径が五十センチ強の、朱く輝く光の球が五、六個出現した。一瞬後、それは一斉に大爆発を起こす。  その一帯二、三十メートルの範囲が爆炎に包まれ、爆風は奈子たちのところまで届いた。奈子は思わず両手で耳を塞ぐ。 「どう? これが本当の攻撃魔法っていうものよ」  胸を張って言うファージの表情が、しかし一瞬後には凍りついた。奈子も引きつった表情で、それを指差す。  爆炎の中から現れた獣は、相変わらず無傷のように見えた。炎を反射して朱く光る目で、こちらをじっと見ている。  魔獣は、ゆっくりとこちらへ歩きながら、これまでとは違った唸りを上げた。  奈子たちの周囲に、十個以上の、朱色に輝く球体が出現する。たった今、ファージが放った魔法とまるで同じ光球が。 「ナコッ!」  大きな声で叫びながら、ファージは奈子を抱きしめる。同時に、周囲の光球が大爆発を起こした。肌が焼けるような熱気に包まれる。髪が焦げる匂いが鼻を突く。傍にいた神官のものらしき悲鳴が聞こえた。  それでも炎が消えたとき、奈子はこれといった怪我は負っていなかった。ファージも同様らしい。彼女が、魔法の防御結界を張ってくれたのだろう。  だが、二人の傍らには、全身が焼けただれた男が倒れていた。奈子は思わず顔をそむける。 「ナコを護るだけで精一杯だった……」  奈子を抱きしめたまま、ファージがつぶやいた。 「ファージ……」 「もう、手加減はしない」  そう言うファージの手に、数枚の魔法のカードが握られていた。物品の収納に使っているカードではない。魔法の呪文そのものを封じたカードだ。 「これが、カードの本来の使い方さ。オカラスヌ ウェィテ アパニ ク ネ!」  カードを宙に放りながら、呪文を唱える。  小さな閃光とともにカードは消滅し、同時に、魔獣の周囲に、また朱い光球が出現した。  但し、今度の光球は直径約一メートル以上、その数も二、三十個はある。 「ナコ! 耳塞いでっ!」  ファージが叫ぶ。奈子が両手を耳に当てるのと同時に、爆発が起こった。  爆発の規模も先刻とは桁違いだ。百メートル近く離れた奈子たちも、爆炎に包まれる。  奈子はファージの魔法で護られているから火傷もしないが、それでもむっとした熱気に包まれて息が詰まる。 「さあ、これでも平気でいられる?」  どことなく引きつった笑みを浮かべて、ファージが言う。 「でも、これじゃ街もめちゃくちゃだよ……」  奈子の言葉通り、今の魔法の爆心地付近にあった建物は、すっかりその姿を消していた。 「いいじゃない。どうせ放っておけば、あいつにめちゃくちゃにされる街なんだから」 「そんな、乱暴な……」  言い終わらないうちに、獣の唸り声が響いた。  二人の周囲でいくつかの建物が爆発を起こし、燃える木片が降り注ぐ。 「まだ……生きているの?」  生きているどころではなかった。あれだけの爆発にも関わらず、瓦礫の陰から姿を現した魔獣には、まるでダメージを受けた様子がない。 「なんと、まあ……」  さしものファージも呆れたように言う。 「なんて丈夫な……じゃないか、かわしてる……のか?」 「ファージ……大丈夫?」 「しゃあない。必殺技を使うか」  ファージの右手が、数枚のカードを投げる。同時に、先刻とはまた違う呪文を唱える。 「チ ライェ キタィ!」  魔獣を取り囲むように、今度は青白く輝く光球が四、五個出現した。それらから一斉に青白い光線が放たれて、魔獣の身体を貫いた。  甲高い叫びを上げた獣の身体が、ぐらりと傾く。 「これは効くでしょ」  ファージは勝ち誇った笑みを浮かべている。 「遠い昔、竜騎士たちが敵の竜を倒すために使った魔法……。ま、本物はこれの何倍もの規模があるんだけど……」  そう言いかけたファージの顔が、突然歪んだ。ファージの恐怖の表情なんて、奈子は初めて見たような気がする。 「――嘘だっ!」  叫びながら、ファージは奈子の身体を突き飛ばした。  十数個の青白い光球が、二人を取り囲んでいた。  そこから放たれた灼熱の光は、ファージに集中する。 「ファージ!」  転んだ奈子が、慌てて身を起こす。  ファージは、その場に膝をついていた。服があちこち裂け、額や腕、肩などから血を流している。 「ファージ、大丈夫?」  急いで駆け寄って、身体を支えてやる。 「……三つ四つなら、防げるんだけどな」  ファージは、血の混じった唾を吐き出した。 「あいつ……私が使った魔法は、一度見れば真似できるみたいだね。しかも、魔力は私より強いよ……」 「本当に大丈夫? ファージ……」 「次をくらわなければ、ね」  奈子の腕に支えられながら、ファージは立ち上がった。 「こんな撃ち合いを続けていたら、身体がもたないよ。向こうの方が丈夫なんだから。効く呪文がわかった以上、一撃で勝負をつけてやるさ」  彼女は一体、どれだけのカードを持ち歩いているのだろう。ファージの両手に、二十数枚のカードが現れた。それを一斉に放り投げる。  ファージが鋭い声で呪文を叫ぶ。魔獣の周囲に出現した光球は、今度は三十個を越えていた。  ファージは、勝利を確信する。この大陸の歴史において、竜以外の存在があれをかわしたことはない。  しかし。  三十数条の、致命的な傷を負わせるはずの光線が魔獣を貫こうとする瞬間、その巨体がすぅっと消えていった。まるで、闇に溶けるかのように。 「え……?」 「ファージ! 後ろっ!」  奈子が叫ぶ。その声に促されてファージが振り向くのと同時に、背後の闇の中から魔獣が姿を現した。  一瞬前まで、二人の前にいたはずなのに。 「……転移魔法?」  驚きに目を見開いて、ファージがつぶやく。 「ファージ! 逃げるよ!」  奈子は、ファージの手を引いて走り出した。獣の咆哮とともに、一瞬前まで二人が立っていた場所を、青白い光線が貫いた。  なんとか建物の陰に隠れた二人は、大きく深呼吸する。 「転移魔法……そういうことか。私が転移に気付かなかったってことは、普通の空間転移魔法より、ずっと遠い次元を通過してるってこと……。そうか、そういうことか…」  ファージが微かな笑みを洩らした。 「どうしたの?」 「わかったよ。あいつは元々、かなり強い転移の能力を持っている獣なんだ。あいつの転移と、私の転移魔法が共鳴して、この世界に現れたんだよ。あれだけの魔力を持っているのも、多分ナコの世界よりも遠い、あいつの故郷の次元との接続が、まだ保たれているからなんだ。そこから流れ込む膨大なエネルギーが、あいつの魔力の源ってわけ」 「それで……どうするの? あいつを倒せる?」 「倒せるっていうか……」  ファージは曖昧に語尾を濁し、なにか考えるような表情になる。 「……よし、これしかないか。でも、時間稼ぎが必要だな……」 「アタシに、なにか手伝えることはある?」  奈子が訊くと、ファージはまっすぐに奈子の顔を見た。  いつになく真剣な表情で。 「ナコって……、剣は使える?」 「え? 一応、少しは……」  奈子の専門は空手だが、剣術の道場にも足を運んでいる。一応、真剣を扱った経験もあった。 「じゃあ……お願い。少しの間、時間を稼いで」  ファージの手の中に、一振りの剣が現れた。それを奈子に渡しながら言う。 「この剣なら、あいつの魔法にも対抗できるはず。お願い、魔法陣の準備をする時間を作って」  こんなに真剣に、懇願するようなファージは初めて見た。これまでの、奈子に対するファージの態度から考えると、奈子の身に危険が及ぶかもしれないことを頼むというのはよほどのことだ。  他に、手はないということなのだろう。  奈子は大きくうなずいた。剣の柄をしっかりと握りしめる。 「わかった。この剣なら、あいつと闘えるのね?」 「うん」  ファージがうなずくのと同時に、ごぅっという音とともに剣が青い炎に包まれた。  めらめらと燃える赤い炎ではなく、ガスバーナーのような勢いのある炎だ。 「炎の魔剣オサパネクシ。この剣の力とナコの精神力が合わされば、あいつの魔法にもしばらくは対抗できるはず。でも、無理しないでね」 「大丈夫。まかせて」 「気をつけて」  ファージはそう言うと、短剣を抜いた。その刃を自分の手首に当てる。  奈子は驚いて目を見開いた。  短剣をすっと引くと、手首に紅い痕が残る。血が、ぽたぽたと地面に滴り落ちた。 「ファージ! 何やってんのっ!」 「強力な魔法陣を、一番早く描く方法なんだ」  見ると、流れ落ちた血は地面に染み込んではいなかった。机にこぼした水銀のように、地面の上を流れている。それはまるでアメーバのように動いて、複雑な模様を描きはじめていた。  その動きは確かに、砂で魔法陣を描いたときよりもずっと速い。しかし、大きな魔法陣を描くためには、いったいどれほどの血を流さなければならないのだろう。 「ファージ……」 「大丈夫。魔法陣が描き上がるまで、あいつをここから遠ざけて。準備ができたら、合図するから」 「うん、まかせて」  力強くうなずくと、奈子は剣を片手に建物の陰から飛び出した。  すぐ目の前に、魔獣がいた。  剣を構えるよりも早く、唸りを上げる。  すかさず、奈子は横に飛んだ。一瞬遅れて、背後で爆発が起こる。  奈子はそのまま走った。この魔獣をファージから遠ざけるために。  背後で咆哮が上がるたびに方向転換する。炎や、青白い光線が奈子の身体を掠めていく。  時間は、イライラするほどゆっくりと流れている。 (逃げ回るだけじゃ、きついかな……)  走り回っているうちに、開けた場所に出た。先刻、ファージが魔法で建物を吹き飛ばしたところだった。人がいるところ、まだ被害を受けていないところを無意識に避けていたためだろう。ここでは隠れる場所がない。 (よし!)  奈子は、立ち止まって振り返る。  後を追ってきた魔獣が口を開こうとした瞬間、地面を蹴った。真っ直ぐ魔獣に向かってダッシュする。  魔獣は唸り声を上げるが、奈子が急に方向転換したために狙いが外れたのか、爆発は奈子の背後で起こった。  その隙に剣の間合いに飛び込んで、剣を振りかぶった。力いっぱいに炎の刃を叩きつける。 (あ、浅い?)  致命傷を与える一撃……のつもりだったが、獣の反射神経を甘く見ていたようだ。剣は、身をかわした魔獣の肩のあたりを、浅く切ったに過ぎない。  奈子は迷わず、思い切ってもう一歩踏み込んだ。  魔獣が前足を振り上げる。長い爪が、周囲の炎を反射して朱く光っている。  奈子は、振り下ろした剣を、今度は上へ向かって突き上げた。青い炎に包まれた刃は、まるで溶けたチーズでも切るかのように、魔獣の身体に深々と突き刺さった。 (やった!)  手応えはあった。深手を与えたはず。  しかしそれと同時に、奈子の左腕に灼けるような痛みが走った。 「――っっ!」  奈子は悲鳴を上げて飛び退いた。魔獣の爪の間合いから離れる。  左腕を見ると、肩から肘のあたりまで、皮膚が裂けている。あの鋭い爪によるものだろう、傷口から、真っ赤な肉がのぞいていた。  顔から血の気が引く。  左手の指先の感覚が全くない。傷がかなり深い証拠だ。  血が、溢れるように流れ出している。 「――くっ……ぅ!」  奈子は、炎に包まれた刃を左腕に当てた。あまりの痛みに声も出ない。肉が焼ける匂いがする。  荒療治だが、一応の止血になる。あのまま血を流していては、たちまち失血で動けなくなってしまう。  奈子の怪我はかなりの深手だったが、それは相手も同じだったらしい。剣を抜いた傷口から流れ出る赤黒い血の染みが、金色の毛皮に広がっていく。魔獣も足元がふらついている。  もう一度間合いを詰めようとしたとき、また、青白い光球が周囲に出現した。  慌てて横に飛んで光線を避けるが、左腕が動かないためにバランスを崩してしまう。  転びそうになった奈子に体勢を立て直す隙を与えず、今度は朱色の光球が現れる。一点を狙う光線ならともかく、広範囲の爆発では避けることができない。 (……剣よっ!)  奈子は、剣を持つ右手に意識を集中した。  刃を包み込んでいた青い炎が大きく広がり、盾のようになって奈子を護る。  一瞬遅れて、光球が爆発した。目の前が赤い炎に覆われる。爆風に煽られて、奈子の身体が地面に転がった。  しかし、爆炎が直接奈子に触れることはない。炎の盾は、今の爆発を防ぎきっていた。  次の攻撃が来る前に、奈子は急いで立ち上がる。  その時、背後から声がした。 「ナコ、こっち!」  ファージが手を振っている。奈子はそちらへ向かって走り出した。  魔獣も後を追ってくる。しかし傷のためか、先刻までの素早さはない。 「ナコは、私の横に立って。私の手をしっかり掴んでいて。」  血の気のない、真っ白い顔でファージが言う。  その足元には、紅い、血で描かれた魔法陣が完成していた。  手首の傷は塞がっているらしく、乾いた血がこびりついている。 「さあ……来い!」  魔獣が、距離を詰めてくる。  ファージは右手を高く掲げて、呪文を唱えはじめた。 「シカルト トゥ シルカ ハンペ コィカルニ……」 「ファージ、これって……」  聞いたことのある呪文だった。攻撃魔法ではない。あの、転移魔法の呪文。  魔法陣の中心から、白い光が広がってゆく。  魔獣が、二人に迫ってくる。 「オフンパロ チサルラ……」  光はすぐに直視できないほどに強くなり、奈子は目を閉じた。  ファージが、呪文の最後の音節を発音する。  目をしっかりと閉じているはずなのに、視界が真っ白だった。  やがて上下の感覚もなくなり、奈子は、自分がどこにいるのかもわからなくなった。  なにも聞こえず、なにも見えず。  時間の感覚もなく。  自分が起きているのか眠っているのか、それさえもわからない。  ただ、しっかりと掴んだファージの手の温もりだけを感じていた。 終章 一週間の物語 「……ナコ。ナコ」  遠くから、ファージが呼ぶ声がする。  いや、遠くというのは錯覚だろう。奈子の右手は、まだファージの手を握っている。  視界は真っ白だった。まるでミルクの中にでもいるかのように。  なにも見えない。  しかし、いつの間にか上下の感覚は戻っていた。足の下には、固い地面が感じられる。 「ファージ……、ここ、どこ?」 「もうすぐ、周りが見えてくるから……」  今度の声は、すぐ耳元で聞こえた。  ファージの言葉通り、濃い霧が晴れるように、徐々に周りの風景が見えてくる。  しかし、すぐには見ているものが信じられなかった。  奈子は、その風景に見覚えがあった。とても、なじみ深い景色だ。 「奏珠別公園の……展望台?」  間違いない。  霧のような白い光を通して見えるそれは、一週間前に奈子がいた場所だ。奈子の世界だ。  ファージと過ごしたルキアの街も、あの魔獣も、どこにも見えない。 「どうして、いったい何があったの?」  隣に立っているファージに訊く。  ファージは奈子を見て、にこっと笑った。 「転移魔法の応用。あいつの魔力を利用して、あいつの故郷の次元までの道を開いて……。強制送還ってわけ」  では、あの魔獣も元の世界に帰ったのだろうか。 「で、私たちもそれに便乗してきたの。ナコはここで途中下車。助かったよ。私の力だけじゃ、ここまで来ることもできなかったからね」 「じゃあ、帰ってこれたの? アタシ……」 「うん……」  ファージはうなずくと、寂しそうな表情になった。 「お別れだね、ナコ……」 「……うん……今まで、ありがとう」  奈子も、寂しかった。せっかく仲良くなれたのに。  だけど二人は、文字通り違う世界の住人なのだ。いつまでも一緒にはいられない。 「あ、これ……返す」  その時になって、奈子は左手に、ファージから受け取った剣を持っていたことに気付いた。もう、刃を包んでいた炎は消えている。  剣をファージに差し出した。怪我をした左手の感覚はほとんどないが、それでも少しは動かすことができた。 「ううん。あげる、それ……。私には剣は必要ないし。それより、左手を出して」  ファージの手が、獣の爪に引き裂かれた左腕に触れた。呪文を唱えると、傷は見る間にふさがっていき、あとには十年以上も前の古傷のような、わずかな傷跡だけが残った。 「ごめん。時間がないから、傷跡を完全に消している暇がない」 「別に、気にしないよ。このくらい」  実戦空手を学ぶ奈子は、普段から生傷が絶えないのだ。そんなことを気にする性格ではない。 「それから……これ、あげる。思い出に……」  ファージは、自分が付けていたルビーのような紅い宝石のピアスを片方外し、奈子の耳に付けた。  そのまま奈子の顔に手を当てて、まっすぐに見つめ合う形になる。 「ナコ……」 「ファージ……」  なんだか、涙が出そうになった。 「もう、時間がないから。この道が閉じる前に、私も戻らないと……」 「うん……」 「この一週間、楽しかった。会えて良かったよ、ナコ。さよなら……」 「さよな……」  お別れを言いかけたところで、唇をふさがれた。ファージの唇に。  それはほんの一瞬のことで、ファージはすぐに唇を離す。 「ファ、ファージ!」 「さよなら、ナコ」  唇を奪われたことに文句を言うヒマもなかった。ファージの身体が、周囲の白い光に溶けこむように薄れていく。 「ファージ……」  奈子の頬を、涙が伝っていた。 「さよなら、ファージ……」  もう一度つぶやいたときには、ファージの姿は完全に見えなくなっていた。同時に、霧のような白い光も急速に薄れていく。  そして、暗さを取り戻した夜の公園に、一人奈子だけが残された。 * * * 「ソー・オ・ネ」  公園の茂みに隠れて元のジャージに着替えた奈子は、向こうの世界で身に付けていた衣類と剣を、カードの中にしまい込んだ。  驚いたことに、魔法のカードはこの世界でもちゃんと使うことができた。  こうして自分の世界の服に着替えると、急に、これまでのことが幻のように思えてきた。この一週間、長い夢でも見ていたような気がする。  しかし、手の中にある数枚の魔法のカードと、最後にファージがくれたピアス、そして、身体に残ったいくつかの傷は紛れもなく現実だった。 「……なんか、信じられない」  指先でそっと、唇を押さえる。まだ、柔らかなファージの唇の感触が残っていた。 「あの子ってばやっぱり、そーゆーシュミだったんだ……」  だけど何故だろう。少しも、イヤな気はしなかった。  それにしても、いったい何日くらい留守にしていたのだろう。ふたつの世界で時間の流れが同じなら、ちょうど一週間のはずである。  奈子としては、それ以上の時間が過ぎていないことを祈らずにはいられない。両親は仕事の都合で留守にしていて、八日後に帰ることになっていたから。  もしも親が戻っていたら、いろいろと苦しい言い訳をしなければならなくなる。  本当のことを言う気はなかった。どうせ、言っても信じてはもらえまい。だから、自分の心の奥にしまっておくつもりだ。  明日からはまた、普段通りの生活が始まる。  今はちょうど夏休みだから、親にさえばれなければなんの問題もない。友達から電話くらいはあったかもしれないが、旅行に行っていたとでも言えば済むことだ。  自分の家が近くなって、窓に明かりが見えないのを確認し、奈子はほっと安堵の息をつく。  しかしすぐに、家の前に小柄な人影があるのに気がついた。  足を止めて様子をうかがう。  その人影は玄関のチャイムを何度か押し、返事がないので諦めて引き上げるところらしい。それが誰か、奈子にはすぐにわかった。  よく知っている人物だった。  忘れていた。一人だけ、奈子の失踪を知っている相手がいたことを。 「……由維」  小さく、名前を呼ぶ。  その人影は、弾けるような動作で顔を上げた。  宮本由維。近所に住んでいる奈子の幼なじみで、空手道場の後輩でもある。格闘技好きの奈子と違って、由維の場合は奈子を追っかけて入門したようなものではあるが。  由維は、固まったようにその場に立ちつくしていた。 「奈子……先輩?」 「えっと……、久しぶり?」  奈子は、ちょっとばつが悪そうに言った。いったいどうやって誤魔化したものだろう。 「奈子先輩! いったいどこに行ってたんですかっ?」  叫びながら、奈子に抱きついてくる。  その目から、涙が溢れている。 「心配してたんですよぉ。急にいなくなって、いつまでも帰ってこないし……」  奈子にしがみついて、泣きじゃくっている。奈子はその頭をそっと撫でてやった。 「心配かけてゴメン。ちょっと……、まあ、いろいろとあってさ……」 「……そういえば、あちこち怪我して……ますね?」 「ん。まあ、かすり傷だから」 「いったい……?」  小柄な由維は、奈子の顔を見上げて首を傾げている。涙に濡れた大きな黒い瞳で、まっすぐに奈子を見つめている。  こうしてまっすぐにこちらの目を見るのは由維のクセで、奈子はこの目に弱い。 「説明して、くれますよね。奈子先輩?」 「やっぱ……、話さなきゃ、ダメ?」 「ダメです!」  由維はきっぱりと言いきった。  奈子は小さくため息をつく。仕方ないな……と。  確かに、あれを誰かに話すとしたら、その相手は由維しか思いつかない。由維なら、きっと信じてくれるはず。 「えっと……じゃあ、家に上がりなよ。長い話になると思うし、お茶でも淹れてくれない? 久しぶりに、由維の淹れたお茶が飲みたいな」  そう言って、由維の背中をぽんと押した。由維は小さくうなずくと、ポケットから合い鍵を取り出して玄関を開ける。  そんな由維の姿を見ながら、奈子は考えていた。  さて、この子に、どうやって話したものだろう。  この、不思議で刺激的な、一週間の物語を。 第二版あとがき (初版にはあとがきがありませんでした)  と、ゆーわけで改訂版です。  この作品の初版『異界の戦士』は、一九九七年の三月〜五月頃に書いたものなので、約三年ぶりに書き直したことになりますね。今回、ストーリィに大きな変更はありませんが、文章は九割以上書き直しています。  なぜ今になって書き直したのか。それを説明するためには、初版を書いたときのことを簡単に説明する必要があります。  実は、私はそれまで、まともな小説というものを書いたことがありませんでした。それ以前の私の創作活動は、マンガが専門でしたから。小説らしきものといえば、短編版の『ファ・ラーナの聖墓』(『北原のみぢかいお話』に収録)があるくらいで。  私は小さい頃から読書は好きでしたけど、こういったいわゆる「ライトノベル」は、それまでほとんど読んだこともないんですよ。数少ない例外は、中学〜高校時代に火浦功と新井素子を読んだくらいでしょうか。  しかし最近になって、いろいろな事情でライトファンタジーを読むようになり「そうか、こういう小説もアリなのか。じゃあ自分でも書いてみよう」と、なんの脈絡もなく思い立ったのでした。  小説を書いたことはなくとも、小さい頃から「お話を考える」のは好きだったので、それから先は早いものです。ストーリィは以前、パソコン用アドベンチャーゲームを作ろうとしていたときのシナリオをベースにして、いろいろと手を加えたものです。  背景となる世界設定は、高校時代からマンガやRPGのシナリオ用にあたためていたものを流用しました。作中に出てくる「王国時代」の物語がこれにあたります。  主人公は、中学〜高校時代にマンガに描いていた格闘少女をアレンジして使いました。その格闘少女とは、『光の王国』の二話や四話にも登場する「北原美樹」だったりします。  そんなわけで、良くいえばそれまでの創作活動の集大成、悪くいえば思いつきの寄せ集めの『光の王国』が生まれたわけです。  そうして書き上げた処女作は、最初ニフティ・サーブ(現アットニフティ)のSF・ファンタジーフォーラムで公開しました。当時はまだ、自分のホームページは持っていなかったので。  タイトルが『光の王国』となったのも、それが理由です。執筆中のタイトルは『遙かなる光の大地』というものでしたが、この長いタイトルは、ニフティのフォーラムでの、発言タイトルの制限長に収まらなかったのです(笑)。  こうして書き始めた『光の王国』ですが、当初の構想としては、完全な一話完結タイプのシリーズで、もっとコメディ色の強いものでした。しかし、二話『復讐の序曲』〜三話『黄昏の堕天使』が思っていた以上にハードな展開になり、もうコメディ路線に戻せなくなってしまったのです。  この作品を書いている当時、だいたい五話分くらいの構想が頭の中にありましたが、四話以降は今とまったく違う内容でした。今だから白状しますが、『光の王国』の最終回までのおおよその道筋が決まったのは、第三話を書いている最中なのです。  そんなわけで、途中での路線転換が響いて、第一話には後の話と矛盾する部分があったり、張っておくべき伏線が張っていなかったりして、書き直しの必要に迫られたというわけです。  だけど書き直しの一番の動機は「処女作だけに、あまりにもひどい文章だから」かもしれません(笑)。どうも、第一話だけ読んで見捨てる読者が多いようなので、なんとかしようと……。  ただ、ストーリィをあまり大きく変えるわけにもいかなかったので(それをやると、今度は二〜三話を直さなきゃならなくなりますから)、「質の向上」は十分に達成できませんでしたが。まあ、仕方のないところでしょう。  では、初版を読んでいる読者のために、変更点を簡単に説明しましょう。  まず、初版にはない序章『天と地の狭間で』が追加されています。だけどこれ、「第二部までの『光』は全部読んでいる」という読者にも意味不明の内容でしょう。この序章の意味が明らかになるのは、最終話です(笑)。つまりこれは、シリーズ全体の序章というわけ。  そして一章。いきなり由維の出番です。一章に限らず、全体に初版より百合度がやや高め。これは、三年前と今の、私の作風の違いでしょう。今回、奈子×由維のシーンは書いていてつい暴走しそうになりました。「この頃の奈子は、まだ由維に対する恋愛感情に気付いていない」ということをつい忘れそうになるんですね。  二章は、変更点の多い章です。大事な伏線を張って、そしてあまりにもご都合主義でRPG的な部分を削除。奈子の最初の闘いの相手が変わっています。  そして三章、初版の二章を二〜三章に分けたものですが、文章はかなり変わっているものの、ストーリィにほとんど変化はありません。  四章は、初版の三章の前半部分に相当します。最初の夜、ファージが王国時代の話をする部分が、台詞が長すぎて気に入らなかったので、大半を地の文に書き直しました。  五章は、初版の三章後半です。あまり変わっていません。転移魔法に失敗するシーンがカットされていますが。  六章も、そう大きくは変わっていません。文章の表現を全体的に見直したくらい。  そして終章。一番の変更点は、ファージとのキスシーンでしょうか(笑)。  そして全体としては、章の構成が四話以降に定着したスタイルとなっています。つまり、序章は奈子が登場しない王国時代の話などで、一章と終章のラストは奈子×由維の百合シーンという(笑)。最近では、意図的にこういう構成にしてるんです。  二話〜三話もこの構成になっていませんが、あれは前後編みたいなものですからね。  それと、大量に見つかった記述ミスを修正しました。誤字ではなくて、名前の表記ミス。  ファージの台詞の中に、「ナコ」ではなくて「奈子」という表記がかなりあったんですね、この頃は。今は気をつけてチェックしているので、この手のミスはかなり減っていますが。  まあ全体としては、多少レベルアップしたんじゃないかと思っています。  では最後に恒例、これからの予定を。  この改訂版と平行して、番外編3『紅の花嫁(仮)』を執筆中です。最近出番のない人たちの、短いお話。  そして『光』以外の新シリーズ、『一番街の魔法屋』も執筆中です。ジャンルは、近代女子校ファンタジック百合コメディ…なにそれ?(笑) 一言でいえば、よ〜するに「美少女活劇」です、いつもの。但し、これの公開は今年の十二月の予定。理由は…わかる人はわかりますね。  そして、これらの作品を書き上げたら、いよいよ皆さん待望の『光の王国』第三部が始まります。第二部が終わって半年、かなり充電もできましたし、この改訂版を書いていて思ったけど、やっぱり『光』の本編は、書いていて楽しいんですよ。  とゆ〜わけで、本編第八話『レーナの御子』は、夏までには公開の予定です。お楽しみに。 二○○○年二月 北原樹恒 kitsune@mb.infoweb.ne.jp 創作館ふれ・ちせ http://plaza4.mbn.or.jp/~kamuychep/chiron/ 第三版あとがき  ここに『光の王国1・異界の戦士』の第三版をお届けします。  この作品の初版は、キタハラが初めて本格的に書いた小説です。それが一九九七年の春のこと。  それから三年半、いろいろなことがありました。ありましたが、それを書くと長くなるので割愛(笑)。とにかく、いつの間にか『光』はオンラインファンタジー小説としては有数の存在になっていました。  で今回、CD―ROM版『光の王国』の出版に当たり、すべての小説をもう一度推敲し直すことにしました。『異界の戦士』は二○○○年一月にも大幅に書き直しているので、修正個所はそう多くはありませんけど。誤字とか、細かな文章の修正とか。  二○○一年夏のCD―ROM発売に向けて、『光』全話修正プロジェクトはまだ始まったばかり。気の遠くなるような作業です。特に、二〜五話あたりがね。古い作品なので、直さなきゃならない箇所が山ほどあるんですよ。最近の七〜九話あたりは、そうでもないんですけど。  本当に、来年夏までにすべての作業が終わるのでしょうか? 旧原稿の修正の他、最終話や書き下ろしの執筆、ページのデザイン等、やることは山ほどあります。  さて、あなたがこれを読んでいるのは、いったいいつですか?(笑) 二○○○年十一月 北原樹恒 kitsune@nifty.com 創作館ふれ・ちせ http://plaza4.mbn.or.jp/~kamuychep/chiron/