「ああ、姫様。ちょうどいいところでお会いしました」
ケイウェリの声に、廊下の向こうから歩いてきた少女が立ち止まった。
このマイカラス王国の王妹、アイミィ・ウェル・アイサールである。
「ケイウェリ様」
長い金髪が、慣性でふわりと揺れた。
「今、お部屋に伺うところだったんですよ。花をお持ちしたのですが、姫様のお部屋に飾っていただけますか?」
ケイウェリは、抱えていた大きな花束を差し出した。色とりどりの花々が、今が盛りと咲き誇っている。
アイミィは目を輝かせた。
「まあ、素敵! これもケイウェリ様が育てたんですの?」
「ええ」
ケイウェリは目を細めて応えた。
その逞しい体格と、騎士団一といわれる武術の腕前からは想像もできないことだが、彼の趣味は園芸である。
自分の屋敷の庭ばかりでなく、王宮の中庭にある花壇まで手入れし、育てた花は自分の手で活けてハルティやアイミィの部屋などに飾るという徹底ぶりだ。
「今日の花は特に素敵ですわ。本当にいただいてよろしいんですの? 嬉しい!」
「では、お部屋までお持ちします」
二人は並んで、アイミィの私室へと歩き出した。
「ケイウェリ様は、本当に花を育てるのがお上手ですのね。おかげで私の部屋は、いつも美しく彩られていますわ」
新しく飾られた花々を前にして、アイミィは嬉しそうに言った。
「いいえ、好きでやっていることですから」
ケイウェリはごく自然な口調で応える。
実際、美しい花を育てることは好きだったが、もっと好きなのは、アイミィの嬉しそうな顔を見ることだ。しかし、それを本人に気取られてはいけない。
「本当に、いつもありがとうございます。……でも」
花に顔を寄せて香りを嗅いでいたアイミィの声音が、微妙に変化する。そこにはどことなく、困惑したような気配があった。
「私……、ひょっとしたらって思っているのですが……あの、突然こんなこと言ってごめんなさい。ケイウェリ様……もしかして、その……」
言いにくそうに、頬を赤らめている。それでも一度深呼吸してから、続く言葉を口にした。
「こうして頻繁に花を持ってきてくださるのは、その……なにか、下心とかあるのかなぁ……なんて。考えすぎですか?」
いきなり図星を指されて、ケイウェリは微かにたじろいだ。しかし、内心の動揺を顔に出すような真似はしない。
多少、驚いてもいた。まさかアイミィが気づいていたとは。
しかし考えてみれば、かなり天然なところのあるアイミィも、実際は相当に聡明な女性だ。いい加減、感づかれても無理はないのかもしれない。
さて、どう答えたものだろう。
ケイウェリは考える。
口だけで否定することは簡単だ。が、ここで嘘をつくのもどうかと思う。
そろそろ、はっきりさせるべきなのかもしれない。
これが、そのきっかけなのかもしれない。
「……ええと、まあ……否定はしませんが」
「まあ、やっぱり!」
アイミィの頬が赤みを増す。
驚きと困惑、そこにいくらかの恥じらいがブレンドされた表情で、両手を頬に当てる。
「もしかしたら、と思っていたのですが……やっぱりそうでしたの」
真っ直ぐにケイウェリの顔を見たアイミィは、これ以上はないというくらいに赤い顔をしていた。
さて、この反応はどう解釈するべきだろう。
まったく脈なしというわけでもないような気がする。
しかしアイミィの思考は、ケイウェリの予想をはるかに超えていた。
「やっぱり……ケイウェリ様は、お兄様のことが好きだったんですのねっ?」
思わず、前回の花を飾っていた花瓶を、手から落としそうになる。
「そうだと思いました。将を射んと欲すればまず馬を……ということで、私の心証をよくしようと」
うんうん……と、アイミィは一人で納得している。
あまり物事に動じない性格のケイウェリも、さすがに唖然とした。どこをどうすれば、ここまで飛躍した思考ができるものか。
アイミィが、大胆な思考回路の持ち主であることはよく知っているが、もっと素直に考えられないのだろうか。
「あぁん、やだ、そんな……どうしましょう」
アイミィは湯気が立ち上りそうなほどに紅潮した顔を手で押さえ、恥ずかしそうに身体を捩っている。しかしその表情は、なんだか妙に楽しそうだ。
「……でも、やっぱりいけませんわ。そんな、殿方同士で……」
「いや、あの、姫様……」
「ええ。ケイウェリ様のような立派な方が、そんな道ならぬ想いを抱いてはいけませんわ。せっかくの家名を汚すようなことを……」
「いえ、ですから……」
「女同士ならともかく男同士だなんて……ちょっといいかも……でもやっぱりダメ」
どうして女同士ならいいのだろう。
深く追求してみたい気もしたが、今はそれどころではない。
「第一、考えてみれば相手がお兄様というのがいけませんわ。あんな、顔だけの女ったらしの性悪男……マイカラス一の騎士であるケイウェリ様には不釣り合いです。そんなの、いけません」
自分の実兄、そしてこの国の王のことを、アイミィはぼろくそに言う。本来、仲の悪い兄妹ではないのだが、ハルティが奈子に手を出したことを、いまだに根に持っているのだ。
「ケイウェリ様、本当に女性には興味ございませんの?」
アイミィの表情は真剣だった。
本気で、ケイウェリが衆道に走ったと思っているのだろうか、気遣うように訊いてくる。
「あ、いえ。けっしてそのようなことは……」
この誤解をどうやって解こうか……と考えていて、曖昧な返事になった。
興味がないどころか、ちゃんと、想う女性はいるのだ。それもすぐ目の前に。
しかしこの状況で、それをどう伝えればよいのだろう。
ケイウェリの返事に、アイミィはにこっと微笑んだ。
「それならまだ、更生できますわね。わかりました。ここは、私が力になりましょう。考えてみれば、クーデターの時にケイウェリ様は、命懸けで私とお兄様を王都から逃がしてくれましたもの。今度は私が恩返しをする番ですわ」
力強くうなずくと、アイミィはケイウェリの手を取った。
「ケイウェリ様、私と結婚してください」
「……は?」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
頭の中が真っ白になる。
「私が頑張って、女の子の良さを教えて差し上げます。どうせ私、ナコ様と添い遂げることはできないんですもの」
「いや、しかし、あの……」
「お兄様ったら、最近私にもしつこく縁談を勧めますのよ。どこの馬の骨ともわからない殿方と結婚させられるくらいなら、ケイウェリ様の方が何百倍も素敵です。それにケイウェリ様はお兄様よりも年上ですのに、いつまでもお独りでいては疑われますわ」
矢継ぎ早に言いながら、いきなりぎゅっと抱きついてくる。
騎士団の中でもひときわ大柄なケイウェリと、同世代の女性の中でもやや小柄なアイミィの取り合わせ。アイミィの頭はケイウェリの胸くらいまでしかない。
「ひ、姫様……」
「……大丈夫ですわね」
少しの間ケイウェリにしがみついていたアイミィは、にこっと笑って手を離すと、一歩後ろに下がった。
「私に抱きつかれても、ジンマシンが出るとか卒倒するとかいうわけではないんですもの、更生の余地ありですわ。任せてください、きっと、お兄様なんかよりも私の方がいいと思うようになります。こう見えても、経験豊富な年上の侍女たちから、いろいろ教わってますのよ。実地で試すいい機会ですわ」
とんでもないことをさらっと言う。ぱちっとウィンクをするその姿は、まだまだ子供っぽいのに、どこか女の色香を漂わせていた。
「いや、しかし……」
「善は急げ。さっそくお兄様とお義姉様に、私たちの婚約を報告してきます」
「あの、姫……」
思い込んだら猪突猛進のアイミィは、どうやらケイウェリの言葉を聞く耳は持っていないようだ。
ドレスの裾をひるがえして駆け出していく。
「……なんだかなぁ」
遠ざかっていく足音を聞きながら、ケイウェリは頭を掻いた。
「……ま、いいか。結果オーライということで」
なんだか、ものすごい誤解が残ったようではあるが、そのおかげで前々から密かに望んでいたものを手に入れたのだから文句はない。
それに、誤解を解く時間はこの先いくらでもあるだろう。それは、婚礼の後でも構わないことだ。
ケイウェリは口元に微かな笑みを浮かべて、アイミィの部屋を後にした。
そして数日後――
「前々から、ロリコンなんじゃないかとは疑ってはいたけどね。その上、男色家だったなんて……。最低ね、ケイウェリ」
久しぶりに会ったダルジィの視線が、ひどく冷たかった。
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