「……許せない……許さない……」
カムィは口の中で、何度も何度も繰り返していた。
竜族、だって?
この、一見可愛らしい金髪の少女が?
私を汚した魔物が?
よりによって竜族だって?
竜族――最強の魔物。
生まれ故郷の村を滅ぼしたのが竜族。
母を、姉を、親戚や友人たちを殺したのが竜族。
魅魔師の里で生き残った者は二十人に満たず、その多くが傷ついていた。
気を失っていたカムィは、ライケとタシロに連れてこられた隣村で目を覚まし、そこで母親の死を知らされた。
母は、魔物の一体と刺し違えて息絶えていたらしい。
村を襲った三体の竜族のうち、残りの一体の行方はわからなかった。ただ、魔物のものと思われるおびただしい量の血の痕が、村の外へ続いているのだけが見つかったという。
その後、魅魔師の里の僅かな生き残りは、付き合いの深かった近隣の村で暮らすことになった。
あの事件以来、カムィは変わった。生前のシルカをも凌駕する強い魅魔の力が発現するようになり、人間に害を為すか否かに関わらず、魔物を狩ることだけにすべてを費やしてきた。
そして十年が過ぎ――
今、最大の仇が目の前にいる。
竜族。
許せない、許さない。
自分は、こいつらを滅ぼすために今日まで生きてきたのだ。
傍らに、引き裂かれた衣服が落ちていた。手を伸ばして短剣を抜く。
装飾の施された柄を、両手で握りしめる。
腰が抜けていて、脚に力が入らなかった。それでも震える脚で立ち上がる。
「…………許さない!」
萎えた脚は体重を支えることができず、よろけて倒れそうになる。そのまま体重を預けて、身体ごと体当たりしていった。
不思議そうに目を見開いている魔物の少女に向かって。
刃が根本まで肉に埋まる、確かな手応えが伝わってくる。
「……え?」
なにが起こったのかわからないといった表情で、魔物は自分の胸を見下ろす。
そこには短剣が深々と突き刺さっており、赤黒い血が滲み出てきていた。
「な……なんで……?」
「……私の……血は、たっぷりと飲んでいるな?」
そう、本当にたっぷりと。
並の魔物相手の狩りなら、血は一、二滴しか要しない。この魔物は、それとは比べものにならない大量の血を口にしている。カムィの肌を切り刻み、純潔を奪い、流れ出た血のすべてを啜っているのだ。
それは、魔物の身体を完全に支配できるほどの量。
武器など用いず、言霊の力だけで魔物に死をもたらすことができるほどに。
しかしカムィは、そんな簡単に片付く手段を選択するつもりはなかった。
シルカは、原形をとどめないほどずたずたに喰い千切られたのだ。
こいつを、同じ目に遭わせてやる。
思うように動かないこの身体でも、自分の手で一寸刻みに切り刻んでやらなければ気が済まない。
「なんでぇ……見えてたのに……、身体が……動かないよ……うぁっ!」
根本まで突き刺さった短剣を一気に引き抜く。
傷口から鮮血が噴き出す。
抜いた短剣を頭の上まで持ち上げ、再び叩きつけるように振り下ろす。
「あああぁっ!」
血飛沫。
甲高い悲鳴。
黄金の髪が揺れる。
「許さない……殺してやる……殺してやる!」
二度、三度。繰り返し刃を突き立てる。
その度に紅い飛沫が飛び散る。
「いっ、痛ぁいっ! な……なんでっ」
魔物は腕を上げて顔や首を庇おうとするが、その肉体はいうことを聞かず、微かに震えるだけだ。
「動かない……身体、動かないよっ」
動くわけがない。
魅魔の血をあれだけ貪ったのだ。
カムィは軽い目眩を覚えるほどに血を流している。その血をすべて啜ったのだ。
その罪は、己の生命で贖うしかない。
「やっ、やだぁっ!」
鮮血にまみれてゆく魔物の身体。
全身が深紅に染まるまでに、さほど時間はかからなかった。
それでも、まだ生きている。
相手は強靱な生命力を誇る竜族だ。この小さな刃では、たとえ魅魔の血を塗っていても簡単に絶命はしない。それに激昂のあまり、急所を狙おうにも微妙に手元が狂ってしまっている。
しかし、時間の問題だ。
短剣による傷のひとつひとつは大きなものではないが、それでも一突きごとに、魔物を確実に死の淵へと追いつめていく。
「いやっ、嫌ぁっ! 死にたくない! 死にたくないよぉっ!」
魔物が泣いている。顔が、血と涙でぐしゃぐしゃになっている。
「……やかましい!」
短剣を振り下ろす手に、さらに手に力を込める。悲痛な声で泣き叫ぶ魔物を黙らせるために。
太い血管を貫いたのか、鮮血が水鉄砲のように噴き出してくる。
一瞬、手が止まる。
小さく深呼吸して、もう一突き。
「……いや……ぁ、や……」
声に力がなくなってくる。
身体から力が抜けていく。
もうすぐだ。
もうすぐ、死ぬ。
もうすぐ、殺せる。
魅魔師として独り立ちして以来、竜族を倒すのは初めてだった。
いや、そもそもあの事件以来、竜族に遭うのも初めてだった。竜族は極めて数が少ない上に、本来は滅多やたらと人を狩る性質でもない。
だから、初めてだった。
初めて、仇を討てる。
仇敵を倒せる。
このために生きてきた。
このために戦い続けてきた。
そう考えれば、かつてない悦びと達成感を覚えてもいいはずだった。
なのに――
どうしてだろう。
心が昂らない。
むしろ、冷めてゆく。
魔物の娘の生命が失われてゆくのと歩調を合わせるように、短剣を握る手から力が抜けそうになる。
歯を食いしばってまた握りなおす。
魔物にとどめを刺すために。
最後の力を振り絞るために、息を吸い込む。
短剣を振り上げる。
「……おね……たす……て……、死にたく……よぉ……」
か細い声で呻いている魔物。
飛び散った血が、周囲の草を深紅に染めている。
もう、ほとんど意識もないのだろう。黄金の瞳は輝きを失い、焦点も合っていない。
カムィは唇を噛んだ。
もう一度、手に力を込める。死にかけた魔物を睨め付ける。
竜族は、仇。
母の。
姉の。
故郷の村の。
なのに――
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