平成十年十二月三十一日の夕方、
私立白岩学園高校の化学教師・山本一夫は、スーパーの買い物袋を手に家路を急いでいた。
今年で二十八歳、独身。
ついでにいうと、一緒にお正月をすごすような彼女もいない。
今年は実家に帰省するつもりもないから、一人の正月だ。
山本は、料理研こと料理研究部の顧問をしている。
家庭科教師でもないのに。
現部長の三年生、金野真理恵に無理やり引き受けさせられたのだが、事情を知らない生徒からは「女子高生の手料理目当てで顧問をしている」と思われているのが困りものだ。
山本の家は、学校からそう遠くない2LDKの賃貸マンション。
独身男が住むにはちょっと広い。
広さの割に家賃が安いのが利点だ。
ただし、たまにその広さのおかげで困ったことになる。
家に入って、居間の扉を開けた山本は、一瞬、自分が異次元の世界にでも迷い込んだかのような錯覚にとらわれた。
しばらく呆然と目の前の光景を見つめて、それが幻覚ではないことを確認する。
部屋の中に、彼の教え子――料理研の部員たちがいた。
部長の金野真理恵は、ネコのようなキツい目と、高校生ばなれした見事なスタイルが特徴。
腰まで届くストレートの黒髪を持った、はっとするような美少女が副部長の田沢愛姫。
ふわふわのネコ毛と大きなタレ目は二年生の恒崎真保。
もう一人の二年生は、ショートカットの黒髪で、優等生タイプの詩織晶。
そして一年生も同じく二人。
ぽっちゃり・ぷに体型で、『ぼのぼの』に出てくるプレーリードッグを思わせる笑顔の安部美乃。
一見、中学生と間違えるくらい小柄で華奢な宮本美咲。
全員勢揃いだった。
「おまえら、なにやってんだ、ここで?」
山本の問いに、部長の真理恵が代表して応える。
「言ってなかったっけ? 年越しパーティやるって」
「…いや、聞いてないな」
料理研の部員たちは、パーティ…というか、宴会が大好きだ。
なにかと口実を作っては部室で宴会を開くので、せめて校内では止めろと注意したのだが、以来、ことあるごとに山本の部屋を利用するようになったのだ。
それも無断で。
どこで手に入れたのか、彼女たちはこの部屋の合い鍵まで持っていた。
山本は小さくため息をつく。
先週(もちろんここで)クリスマスパーティをやったばかりだから、今日は来ないだろうと思ったのが甘かった。
テーブルの上には料理と飲み物(何故か、アルコール飲料ばかりだ)が並べられ、宴会の準備はすっかり整っていた。
まあ、それはいい。
今日はやや意表をつかれたとはいえ、これだけならよくあることだ。
しかし…
毎日のように顔を合わせている教え子たち。
しかし、今日だけは、目の前にいるのが誰なのか、居間に入ってすぐにはわからなかった。
無理もない。
「ひとつ聞いていいか?」
「ん?」
「なんなんだ、その格好は?」
「新年を迎えるにふさわしい盛装でしょ?」
真理恵は平然と応える。
うんうんとうなずく愛姫や美咲。
「わ、私はやめようって言ったんですよ、先生。でも部長や姫様がむりやり…」
そう言って恥ずかしそうに顔を赤らめる晶は、むしろ少数派だ。
「盛装…ねぇ…」
山本の部屋でパーティの用意をしていたのは、六羽のウサギ…
そう、バニーガール姿の少女たちだった。
「いくら来年が卯年だからって、バニーはないだろう、バニーは」
やや酔いが回ってきたのか、赤い顔をした山本が言う。
宴会の席に一人年長者がいる場合、どうしても説教くさくなってしまう。
もっとも、まるでプロのような手つきで山本のグラスにビールを注いでいる真理恵(もちろんまだバニー姿)は、なにを言われたところで気にもしない。
「またまた、センセってばホントは嬉しいくせに。ほ〜ら」
見せびらかすように、Dカップの胸を山本の目の前に突き出す。
どうも、山本の顔が赤いのはアルコールのためだけではなさそうだ。
「やっぱり部長はスタイルいいから似合いますね〜。その細いウェストでその胸って、ほとんど反則ですよ〜」
料理研の部員の中で、一番小柄でもっとも幼児体型――寄せて上げてなんとかAカップ――の美咲が羨ましそうに言う。
「晶もスタイルいいよね。マリほど胸はないけど、バランスがとれててすごくキレイ。なにより、晶みたいな清純派がこの格好っていうのがそそるわ。もうすぐにでも押し倒したいくらい」
自他共に認める百合の愛姫は、ワイングラス片手ににっこりと微笑む。
ノーマルな晶にとって、台詞の後半はあまり嬉しくない。
「もぉ、やめてくださいよ姫様」
そう言う晶は、先刻から恥ずかしそうに胸元を隠そうとしている。
「口では嫌がっても、身体はそうは言ってないよ〜?」
妙にオヤジくさい台詞をはきながら、愛姫は晶の背中に指を滑らせる。
きゃん! となおさら愛姫をその気にさせるような悲鳴を上げて逃げる晶。
「ふふん、いつまで抵抗できるかな〜」
「…姫様!」
半ば本気で怒った晶の前に、愛姫は一本のワインの瓶を差し出した。
「これ、飲みたくない?」
その瓶を見て、晶の表情が変わる。
「それは…! 姫様、ズルい!」
「シャトーディケムだよ。それも、八三年。美味しいよ〜?」
「はちじゅう…さんねん…」
愛姫は、ほとんど空になっていた晶のグラスにその貴腐ワインを満たした。
高貴な、甘い香りが漂う。
「美味しい…」
ひとくち口にして、感極まったようにつぶやく。
…と、
ふと気付くと、愛姫が密着してきていた。
「ちょ、ちょっと、姫様…。どこ触ってンですか!」
「暴れると、せっかくのシャトー・ディケムがこぼれるよ?」
その言葉に、晶は思わず抵抗を躊躇してしまった。
愛姫はその隙に、晶の胸に手を伸ばす。
甘口のワインに目がない晶の弱点をついた、愛姫の作戦勝ちだった。
「あ…や…」
胸の先端をくすぐるような指の動きに、晶は切ない声を上げる。
その声に誘われるように、愛姫の指はさらに大胆な動きを見せる。
この光景を見て、真保や美咲もこちらに移動してきた。
「あ〜、晶ちゃんばっかりズルい! 姫様、わたしにも〜」
「え、真保もして欲しいの? ちょっと待ってね。晶がイっちゃうまで」
「そ〜じゃなくて!」
一応人妻のくせにこういうことにあまり免疫のない真保は、顔中真っ赤になる。
「シャトー・ディケム、わたしたちにも飲ませてくださいよ〜」
「なんだ、やっと真保もその気になったのかと思ったのに」
どこまで本気かわからない口調で、ワインの瓶を取る。
「飲ませてあげるから、代わりにちょっとの間、晶を押さえてて」
真保、美咲、美乃の三人は一瞬顔を見合わせ、
即座に行動にうつった。
「ちょっとっ! 真保っ! 親友を裏切る気っ?」
真保に両手、美咲と美乃に両脚を押さえつけられて絶体絶命の体勢となった晶が、切羽詰まった表情で叫ぶ。
「ゴメンね、晶ちゃん」
一応申し訳なさそうな表情をつくって、真保は言う。
ただし、その口元は笑っている。
「でもね、女の友情なんて、八三年のイケムの前ではシャボン玉よりももろくてはかないのよ?」
「は、薄情者〜っっっっ!」
そうしている間にも、妖しい笑みを浮かべた愛姫が晶の上に覆いかぶさって…
晶は本気で悲鳴を上げた。
「なあ、あれ、止めなくていいのか? 部長として…というか、人として」
それまで、呆然とその光景を見ていた山本は、はっと気付いたように、傍らの真理恵に向き直った。
「いいんじゃない? みんな楽しそうだし」
「約一名、楽しんでいない気もするが」
「すぐに楽しくなるって。姫ってすごく上手だから」
「念のため確認しておきたいんだが、なぜ知ってる?」
あ、やば…
そんな表情で、口を押さえる真理恵。
赤い顔をして、ちょっと視線をそらす。
「そ、そんなことより、ちゃんと飲みなさいよ! 先刻からぜんぜん減ってないじゃない!」
「いや…もう充分」
「…なによ、アタシのお酌じゃ飲めないっていうの?」
真理恵の目がきつくなる。
もともと、顔立ちも性格もかなりきつめの真理恵だが、その上、飲むとからみ上戸だ。
かなり本気で、目が据わっている。
考えてみれば、彼女自身は先刻から、山本にすすめる倍以上のペースで飲んでいるのだ。
「いや…そんなことは…」
「だったらもっと飲みなさいよ。男でしょ」
強引に空けさせたグラスに、またビールを注ぐ。
「男である以前に、教師としてこれはちょっとマズイかなぁ、と…」
バニー姿の女生徒にお酌をさせている高校教師…。
バレたら、クビはおろか、女性週刊誌やワイドショーのネタにされるのは必至だった。
やれやれ…
そのため息が今日何度目のものだったか、もう憶えてはいない。
ため息をつきながら、部屋の様子を見回した。
「や…あん…ダメェ…姫様ぁ…」
晶を背後から抱きすくめ、愛姫はそのうなじに舌を這わせる。
いちおう抵抗している晶の手には、もう力がこもっていない。
すぐ横では、美咲が興味津々といった様子で二人を眺めている。
「…で、真保先輩に教わった卵の芸、家で練習したんですけどね…」
真保と美乃の周りでは、なぜか十羽ちかいヒヨコが走り回っていた。
「…失敗して、ずいぶん焼き鳥にしちゃいましたよ〜」
あはは〜と、二人は声をそろえて笑う。
卵を割って、フライパンで目玉焼きをつくるフリをして、蓋を取るとそこにヒヨコがいる、という真保得意の手品の話である。
山本には、あまり笑い事ではないように思えた。
部屋の電話が鳴ったのを好機と、山本はしつこくからんでくる真理恵から離れる。
受話器を取ると、相手は学生時代からの友人の一人だった。
『よぉ、いま山田たちと一緒に飲んでるんだけど、お前も出てこないか? どうせ、一人寂しい正月なんだろ? 寂しい者同士集まって騒ごうじゃないか。はっはっは』
すでにかなりできあがっているのだろう、陽気な声が聞こえてくる。
「あ〜」
山本は曖昧な返事をして、もう一度部屋の惨状を見回した。
確かに、ここから逃げ出した方が平和かもしれない。
この連中は放っておいても勝手に騒いでいることだろう。
合い鍵も持っていることだし、別に彼がいる必要はない。
こんな連中でも、宴会が終われば、ちゃんと後片付けと掃除をして帰るくらいの礼儀は心得ていた。
「そうだな…」
これから行く、と言いかけたとき、背後に人の気配を感じた。
「ねぇ〜、電話なんかしてないで、はやく続きしようよぉ…」
その甘ったるい声に、一瞬誰かわからなかった。
しかし、電話の相手にも聞こえたことは確かだ。
もちろん、そのつもりで言った台詞に違いない。
山本は、反射的に受話器を置いた。
「こ、金野、おまえな〜」
「あれ、センセもしかして怒った?」
まったく悪びれない様子で、真理恵がけらけらと笑っている。
「ふつう怒るぞ?」
「え〜、罪のない軽いジョークじゃない。じゃあ、お詫びに『ワカメ酒』してあげる!」
「わ〜っっ! やめんか〜っっっ!」
本気でバニースーツを脱ぎはじめた真理恵を、あわてて押さえる。
「ど〜して? 男のあこがれでしょ? ワカメ酒」
「それはそうだが…いや、そうじゃなくて!」
「それとも、センセが代わりにする? サオ酒」
「誰がするかぁぁっっっ!」
結局、宴会がいつまで続いていたのか覚えていない。
いつの間にか、眠ってしまっていたから。
山本が目を覚ますと、もう外は明るくなっていた。
いつのまに片付けたのか、部屋の中はきれいに掃除されていて、テーブルの上にはお節の重箱が置いてある。
教え子たちの姿はなく、代わりに、一枚のメモが残されていた。
『明けましておめでとう。
一度、着替えに帰るね。
あとでみんなと一緒に初詣に行こ?
あ、それまでにお年玉も用意しとくこと。
―真理恵―』
山本は苦笑する。
まったく、あの娘たちときたら…。
いや、しかし、
考えようによっては、
ヤロー同士で飲んでる友人たちに比べれば、
これはこれで、それなりに幸せなのかもしれない。
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