見慣れない光景に、少し驚いた。
大学の、昼休みのこと。学食の片隅で、友達の由梨が煙草を吸っているのを見かけた。
由梨とは中学に入った頃からの親友だけど、こんな光景は初めてだ。
アタシは中学生からヘビースモーカーだったから、何度か勧めてみたことはあるけれど、その度に断られてきた。煙草の煙って苦手らしい。
そんな由梨が自分の意志で煙草を吸ってるなんて、いったいどういう風の吹き回しだろう。
あまり、慣れているようには見えない。吸っているというよりも、ただゆっくりとふかしているように見える。時々、咳き込んだりもしている。
そもそも、可愛らしくてどちらかといえばロリータ気味の由梨の外見に、煙草って似合わない。
悪戯心を起こして、背後からそうっと近づいていった。
「おじょーさん、なにやってんの?」
「¢%#&*@☆★――――っっっ!」
由梨ってば期待に違わず、力いっぱい驚いてくれた。狼狽して、慌てて煙草を後ろに隠して、両腕をばたばたと振り回して煙を払っている。
まるで、初めての煙草を悪戯しているところを親に見つかった中学生みたいな反応だ。いや、アタシの中学時代はもっと不貞不貞しかったと思う。
「あ、あ、あ、あきらってば、驚かさないでよっ!」
耳まで真っ赤にして、由梨が叫ぶ。
「由梨が勝手に驚いただけでしょ〜? アタシはフツーに声かけただけだよ。そんな、見られて困るようなことしてたの?」
「べ、べ、別にっ」
「今さらどういう心境? あんたが煙草なんて」
「べ、べ、べ、べ、別に……なんとなく、ちょっと試してみようかなって」
この真っ赤な顔、どもった口調、とても「別に、なんとなく」という状況ではない。
「でも、初心者にはちょっときついんじゃないかな?」
手を伸ばして、背後に隠していた煙草の箱を取り上げた。
アタシが吸っているのと同じ銘柄。今風のライトな煙草ではない。かなりきつめのニコチンとタールは、煙草経験皆無の由梨には無理があるだろう。
多分、見慣れた銘柄ということでこれを買ったんだろうけど、初心者向きではない。
「同じ吸うなら、タール1mgとかのもっと軽いヤツから慣らしていったら? ……ということで、これちょうだいね」
ちょうどよかった。煙草を切らして、昼休みのうちに買っておかなきゃと思っていたところだったのだ。
ところが。
「えっ? ダメッ、それじゃなきゃダメなの」
由梨ってば、ひどく慌てた様子で煙草を取り返そうとする。
「どうして?」
アタシの立場としては、当然の疑問。由梨は「しまった」という表情で口元を押さえた。いかにも、うっかり口を滑らせてしまったという様子で。
「ふぅん……なにか特別な意味があるんだ、この煙草に? なになに、教えてよ?」
「……な、なにもないもん」
真っ赤になった由梨は、拗ねたようにぷいっと横を向く。そんな仕草が可愛くて、ついいじめてしまいたくなる。
「あっそ。アタシには言えないんだ? アタシは由梨のこと、なんでも相談できる親友と思っていたのにな。由梨にとっては、その程度ってことね」
わざと素っ気なく言って、そのまま回れ右して立ち去ろうとする。
すると、案の定。
背後から、ジャケットの裾を掴まれた。いつもの展開だ。
「い……言うよ」
真っ赤になってうつむいている由梨。ちょっと泣きそうな表情にも見える。
「あ……あのね、誰にも言わない?」
「アタシ、口は堅いよ。知ってるっしょ?」
「……笑わない?」
「可笑しかったらハラ抱えて笑う」
「うぅ……あきらのイジワルぅ」
本気で深刻な話だったらそれなりの対応をするけれど、バカバカしい笑える話だったら素直に笑う。アタシはそういう性格だし、由梨とは長い付き合いだから、今さら遠慮も気遣いもない。
そんなアタシの性格、由梨だってよくわかっているだろうに。
「……あ、……あのね、す、好きな人……が、いるの」
「へ?」
「……だからっ、好きな人が吸ってるのと同じ煙草なの! 同じ煙草吸ってれば好きな人の匂いに包まれていられるんだよ。目を閉じればいつも好きな人が傍にいるみたいに感じるんだよ。それって素敵だと思わない?」
頭から湯気が出そうなほどに真っ赤になって、息継ぎもせずに一気にまくしたてる由梨。
「……」
しばしの沈黙の後。
アタシは力いっぱい吹き出して、由梨に灰皿で叩かれた。
「それにしても……由梨ってばオトメ回路全開なんだから。……好きな人と同じ煙草、好きな人の匂いに包まれて……ねぇ」
バイトの帰り道も、アタシは笑っていた。思い出すたびに笑いが込み上げてくる。
でも。
今どき、少女マンガのヒロインだってそんなことしねーよ、と思いつつも。
由梨にはそれが似合っている。
小柄で、華奢で、見るからに可愛らしい「女の子」で。
優しくて気が利いて、人当たりがよくて。
いま付き合っている彼氏はいないはずだけど、男子にも絶大な人気がある。「よく見ればそこそこ美人なのに、性格のせいか可愛げの欠片もない」と評されるアタシとは対極にある存在だ。
アタシには、あんな真似はできない。
性格的にも、見た目にも。
それは、自分でもよくわかっているはずなのに。
なのに。
通り道のコンビニで、いつもと違う銘柄の煙草を買ってしまっていた。
この春卒業した先輩が吸っていたのと、同じ煙草。
ちょっと、好きだった。
はっきりとした恋愛感情っていうんじゃないんだけれど、ちょっと好意というか憧れというか、そんな想いを抱いていた先輩。
もちろん、向こうはこれっぽちも気づいていなかっただろうけど。
卒業と同時に前から付き合っていた彼女と結婚するんだ……って聞かされて、ちょっとがっかりしたことはまだ記憶に新しい。
その先輩が吸っていた煙草を、買ってきてしまった。
自分の部屋に帰って、火を着けて。
目を閉じて、ゆっくりと煙を吐き出す。
好きな人の匂いに包まれる感覚……か。
そんなこと、一度も考えたことがない。
そして、実際に試してみたら。
……全然、わからなかった。
考えてみれば当然だ。私の方が、ずっときつい煙草を吸っているのだ。部屋にも、服にも、その匂いが染みついている。タール1mg、ニコチン0.1mgなんて軽い煙草の匂い、わかるわけがない。
バカみたい。
バカバカしくなって、半分も吸っていない煙草を灰皿に押しつけた。
やっぱり、似合わないことはするものじゃない。こんなの、今どき男子だってあまり吸う者のいない、きつい煙草を吸うような女がすることではないのだ。
やっぱり、由梨みたいな子がやるから似合うんだろう。
『目を閉じればいつも好きな人が傍にいるみたいに感じるんだよ。それって素敵だと思わない?』
そう言った時の由梨は、恥ずかしそうに早口だったけれど、とても幸せそうな表情をしていた。
そんな様子が、とても可愛かった。
そう、これは、あんな女の子にだけ許される行動なのだろう。
どこのどいつか知らないけれど、そいつは幸せ者だ。
あんなに可愛い女の子に、あんなに可愛く想われているなんて。
……。
そこで、ふと気がついた。
いったい、誰なんだろう。
由梨の好きな男って、誰なんだろう。
言い寄ってくる男は少なくない由梨だけど、自分から追っかけているような男なんていただろうか。
考えてみる。
ヒントは、煙草の銘柄。
由梨と接点のある男子で、アタシと同じ煙草を吸ってるヤツ……。
……。
…………。
いない。
いないよ。
今どき流行らないもん。こんな、きつい煙草。
アタシが知ってる限り、そんな奴いない。
……え?
じゃあ……いったい、誰?
由梨が嘘をついた……はずはない。あの子、アタシに嘘をついたことはない。
じゃあ……いったい?
ちょっと待って。
もう一度落ち着いて、最初から考えてみよう。
由梨は、好きな人と同じ煙草を吸っていた。
だけど、由梨の周りにあの銘柄を吸っている人間はいない。
……ただ一人を除いて。
アタシ、だけだ。他にいない。
まさか……
まさか、ね。
そんな。
そんなこと、あるわけないじゃない。
まさか……だよ。
考えすぎ、勘違い、自意識過剰。
……と、思う。思おうとしてる、無理やりに。
だけど。
だけど……
どうして、なのかな。
ホントに、どうしてなんだろう、ね。
心臓がこんなにドキドキして、しかも、顔がにやけてしまうのは。
どうしてだと思う?
そう由梨に訊いたら、あの子はなんて答えるんだろう。
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