たたかう少女                          By 北原 樹恒  一 三人の少女  〈静内 彩樹〉  中学校が夏休みに入って間もない、七月のある晴れた土曜日の午後――  静内彩樹(しずない さいき)はその日、特にあてもなく札幌の街をぶらぶらと歩いていた。  今日は快晴で陽射しは強いが、それほど湿度の高くない北海道の夏は比較的過ごしやすい。  彩樹の服装は、履き古したジーンズに上はタンクトップ一枚。  そんな薄着のおかげで一応は女の子であることがわかるが、もしこれが冬で、厚手のジャンパーでも着ていたなら男子と間違われることの方が多い。  彩樹は、そんな少女だった。  中学三年の女子としては高めの百六十五センチ強の身長。  短い髪。  ラフな服装。  やせ気味の、無駄な脂肪のない体つき。  そして、獲物を狙う肉食獣を思わせる鋭い目。  美人だけど目つきが怖い、と人によく言われるので前髪を目にかかるほど長く垂らしているのだが、それでも瞳の強い光は隠し切れていない。  そう、客観的かつ冷静に見れば、彩樹は美人だった。  ただし、美少年という方がより的確な表現ではある。 「ねえ君、ちょっと訊きたいことがあるんだけど…」  背後から不意に声をかけられて彩樹が振り向くと、二十代後半くらいの男が立っていた。  夏の陽射しの下でも背広の上着を着たままで、顔には汗ひとつかいていない。  ナンパ(実際には女の子に声をかけられることの方が多いのだが)やキャッチセールスの類だったら張り倒してやろうと思っていた彩樹だったが、相手は一流企業に勤めるビジネスマンといった雰囲気だ。  道でも訊きたいのだろうか。  だが… 「なんか用?」 「ちょっと訊きたいんだけど…」  彩樹の問いに、男はさわやかな笑顔でとんでもないことを訊いてきた。 「君、バージンかい?」  五秒後、男は歩道に大の字に倒れていた。  まったく見事という他はない。  男の失礼な質問と同時に顔面へ掌底を打ち込み、間髪入れず脇腹へのフックと鳩尾へのボディアッパーの連発。  男が腹を押さえて身を屈めたところで、両手でその頭をつかんで顔面への膝蹴り。  それだけで間違いなく相手はダウンしただろうが、彩樹は掴んでいた頭を離すと、男が倒れるよりも早くこめかみに上段の回し蹴りを叩き込む。  それは、流れるようなコンビネーションだった。  約束組手でも、なかなかこうきれいには決まるまい。  静内彩樹――  六月生まれの十五歳。  札幌市南区奏珠別(そうしゅべつ)にある私立白岩(しらいわ)学園中等部の三年生。  そして、北原極闘流空手・札幌南道場の門下生。  これまでにも北原美樹や安藤美夢など、女子の名選手を輩出してきた札幌南道場の、次代を担う選手として先輩や師範の期待も大きい。  ――それが、静内彩樹だった。 「…怒ったってことは、図星なんだろうなぁ…」  焼けたアスファルトの歩道の上に大の字に倒れた男は、遠ざかってゆく足音を聞きながら微かにつぶやいた。 「完璧…理想の人材だ…まず一人。でも…声のかけ方がまずかったか…?」  そうして、気を失った。 * * *  〈知内 祐人〉  話は数日前にさかのぼる―― 「この条件に合う人物を捜している…と?」  札幌市豊平区中の島にある小さな人材派遣&紹介会社・株式会社MPSの営業部長である知内祐人(しりうち ひろと)は、手にした書類に視線を落としがらやや困惑した表情を見せていた。  部長という肩書きの割には、彼はずいぶんと若い。  今年でまだ二十七歳だ。  彼の叔父がこの会社の社長なのだが、他にもいくつかの会社を経営している叔父は三年前、大学を卒業したばかりの知内にこの仕事を押しつけたのだ。 「ふむ…」  知内はもう一度、テーブルを挟んで座っている依頼主を見た。  四十台後半〜五十くらいと思われる男性と、年齢はよくわからないが多分まだ若いであろう女性。  いずれも、日本人ではない。  夏だというのに肌をほとんど出さない特徴的な衣装から推測すると、中近東…イスラム系の人間だろうか。  男はシサーク・コウェン、女はフィフィール・レイドと名乗っていた。  男の方が、明らかに日本語ではない言葉で女に話しかける。  英語なら日常会話に不自由せず、ドイツ語とフランス語も少しはわかる知内にも、どこの言葉かはわからない。  先刻から、知内と話しているのはフィフィールの方だ。  外国人特有の癖のあるアクセントだが、彼女は日本語を話せる。  秘書兼通訳というところか。 「ふむ…」  知内はもう一度つぶやいた。  この仕事について三年になるが、今回の依頼は少々特殊だった。  ある、いくつかの条件を満たす人材を雇いたい。  ただそれだけなら当たり前の彼の仕事なのだが、その条件が普通ではない。  少なくとも、彼が記憶している限りでは過去に同じような例はなかった。 「え〜と…、詳しい事情を伺ってもよろしいですか? なにしろ、ちょっと変わった条件ですので…」  困惑を隠し、愛想笑いを浮かべて訊く。 「もちろん、あなたがお訊ねすることには全てお答えします」  静かな笑みを浮かべて、フィフィールは答えた。 「ただ、口で説明するだけではなかなか理解してもらえないかと思いますので、実際にご覧になっていただきましょう。三十分くらい、お時間よろしいですか?」  知内はうなずいた。  そして、その三十分の間に彼は信じられないものを目にすることになったのである。 * * *  〈鹿追 早苗〉  サバイバルゲーム、という遊びがある。  簡単に言うと、圧縮空気やガスでプラスチックの弾…BB弾を打ち出す銃を使った『戦争ごっこ』だ。  愛好者は高校生から三十代くらいまでの男性が主だが、女性のサバイバルゲーマーが皆無というわけでもない。  そして、早苗もその一人だった。  外見は、普通の女の子だ。  背は中学三年生の平均よりほんの何ミリか高め。  肩に軽くかかるくらいの茶色い髪に、大きな目。  そして、スマートな割にはかなり大きな胸。  自分では結構イケてる方だと思うし、周囲の人たち(特に男子)の評価もだいたいその通りのものだ。  だが、彼女がチームの仲間からちやほやされているのは、単に紅一点の巨乳美少女だから、という理由だけではない。  銃の扱い、反射神経と身のこなし、照準の正確さ。  全てが、チームのトップだった。  女版デューク東郷、とか。  南区のニキータ、とか。  そんな異名をとる早苗だったが、しかし、外見は普通の(ちょっと胸が大きいだけの)女の子でしかない。  七月のある晴れた日曜日、早苗が所属するチームは札幌市南区の山中で開催されたサバイバルゲームの大会に参加していた。  早苗は迷彩服に身を包み、愛用のサブマシンガン・東京マルイ製のMP5A5を構えながら林の中を進む。  時折、トランシーバーからチームリーダーの指示が聞こえてくる。  突然、横の茂みから人影が飛び出してきた。  早苗は反射的にそちらに銃口を向けると同時に、トリガーにかけた指に力を込める。  だが、それはこの山中では場違いな背広を着た、サラリーマン風の男だった。  無関係の一般人に銃を向けてはいけない。  早苗はあわてて銃口をそらそうとする。  だが…  二十代後半と思われるその男は、場違いな服装にも関わらずゴーグルをかけていた。  BB弾から目を護るため、サバイバルゲームの参加者には着用が義務づけられている。  つまり、その男は関係者だ。  早苗は迷わずトリガーを引いた。  毎秒十六発のBB弾が正確に男に命中する。  いきなり撃たれて驚いたのか、男はバランスを崩して尻餅をついた。  弾倉をほぼ空にしたところで、早苗は銃を下ろして訊いた。 「…で、あなた誰?」 「撃ってから訊くなぁぁぁっっ!」  知内は力一杯叫んだ。  顔は可愛いし胸も大きい。  銃の腕前も一流。  だけど、  鹿追(しかおい)早苗とは、こんな女の子だった。 * * *  〈鵡川 一姫〉  七月最後の月曜日の夕方近く――  札幌の駅前通りにある一軒の書店から、小柄な少女が出てきた。  今日発売されたばかりのお気に入りの作家の新刊を手に入れて、嬉しくてたまらないといった表情だ。  少女の名は、鵡川一姫(むかわ いつき)という。  中学二年生にしては小柄で手足も細く、ちょっと見には小学生と間違われかねないが、微笑を浮かべたその表情はもう少し大人びた雰囲気を持っている。  周囲の人間の彼女に対する評価は『おっとりとしたお嬢様』というのが一般的だ。  それは、ややタレ目気味の軽くふせられた目のためであろうか。  見ようによっては、眠そうな表情ともとれる。  なんとなく、つかみどころがないといった印象だ。  どこか喫茶店にでも入って、さっそく買ったばかりの本を読もうかな――そう思って歩き出した一姫は、不意に背後から名前を呼ばれて立ち止まる。  彼女が振り返るのに合わせて、ポニーテールにした長い黒髪がふわりと揺れた。 「ちょっと、話があるんだけど…いいかな?」  そう言ったのは、二十代後半くらいのサラリーマン風の若い男。  やや緊張したような笑みを浮かべたその顔には何故か幾つかの真新しいあざがあったが、それがなければそこそこハンサムかもしれない。 「ひょっとして…ナンパでしょうか?」  小さく首を傾げながら、一姫は丁寧な口調で訊いた。 「だとしたら申し訳ありませんが、私はちょっと用事がありますので…」 「いや、ナンパじゃなくて…スカウトなんだ。ちょっと話を聞いてくれないかい?」  一昨日、昨日と続けて痛い目に遭っている知内は、警戒心を抱かせないようにと笑顔を浮かべて丁寧に言う。 「スカウトといいますと…十八歳未満は観てはいけないビデオのことですか?」 「ち、違〜う!」 「あの…わたくしも好奇心旺盛な年頃ではありますし、そういうことにまったく興味がないわけでもないのですが…」  まるで、親切な申し出を断る時のように、さもすまなそうな表情で一姫は言った。 「やっぱり、初めては好きな人と…というのが理想ですし…。それに、わたくしまだ中学生ですから…」  一姫にはまったくふざけている様子はない。  口元に手を当て、困ったような表情を見せている。 「いや、中学生でなきゃいけないんだ」 「ロリータものですの? 『十三歳の性春』とか『中学二年生・惜別の処女喪失』といったタイトルの…」 「アダルトビデオじゃないっつ〜とろ〜がっ!」  知内は思わず叫んでしまった。  その声の届く範囲にたまたまパトロール中の警官がいたことは、彼にとって不幸な偶然という他はない。  ずいぶん時間はかかったが、なんとか事情を説明して解放されたときには、もう陽が沈んでいた。  当然、一姫の姿はどこにもない。  知内は、遠い目をして暗くなりつつある空を見上げた。 (俺、やっぱり向いてないのかなぁ。田舎に帰って家業を継いだ方がいいのかも…)  ちなみに、彼の実家は富良野のラベンダー農家だ。  空を見上げる彼の胸には『北の国から』のテーマ曲が流れていた。  すっかり暗くなってから家に帰った一姫は、門の脇に一人の男が立っているのに気付いた。 「待っていたよ、鵡川くん…」  やや疲れたような表情で(無理もない)知内は言った。 「まあ…」  一姫は小さく微笑む。 「わたくしの家をご存じでしたの。つまりあなた、いま流行のストーカーですのね?」 「違う!」  知内は叫ぶ。 「僕はナンパでも、AVのスカウトでも、ストーカーでもない! お願いだから、少しの間黙って僕の話を聞いてくれないかっ?」  そう言うと男はがばっと地面に手をついた。  一姫は、笑いながら手を差しのべる。 「もちろん、そんなことは存じております。さあ、お立ち下さい。一人前の殿方がそんな安易に土下座などしてはいけませんわ」 「存じて…って…、じゃあ、何故…?」  一姫はくすくすと笑いながら、立ち上がった知内を見上げた。  一姫の身長は百四十センチちょっとしかなく、百七十五センチの知内とは三十センチ以上の差がある。  目を細めて、まったく邪気の感じられない笑顔で言った。 「だって、あなたのようにからかいがいのある方って初めてですもの」 「は…?」  全身から力が抜けて再びその場に座り込んでしまった知内は、心の中で誓っていた。  この仕事が終わったら、絶対に田舎へ帰ってラベンダーを育てて暮らす。  金輪際、女子中学生には近付かない、と。 * * *  彩樹を応接室に案内したその女性は、知内の秘書だという。  誰かに似ている…しばし考えて思い当たったのは、秋月りすのマンガに出てくる『社長秘書・令子』だった。  後に、彼女の名が玲子だと知ったときはしばらく笑いが止まらなかったものだ。  彩樹が応接室に入ると、そこには先客がいた。 「あれ…」  その少女は、彩樹の顔を見て意外そうな声を上げる。 「二組の静内さん?」 「そういうあんたは三組の…巨乳女!」  巨乳女こと早苗は、応接室のソファから勢いよくずり落ちる。 「なんなのよ、その呼び名は!」 「なにしろこの胸の印象が強すぎるんだよな。だから名前なんて憶えてね〜よ」  むぎゅ 「ふみゃぁぁぁっ!」  彩樹がその自己主張の強い胸をつかむと、早苗は妙な悲鳴を上げた。 「い、いきなりなにすんのよっ!」 「いっぺん触ってみたいな〜と思ってたんだ、コレ」  むにゅ、むにゅ 「ところで、なんでお前がここにいるんだ? ひょっとしてお前も…?」  もみもみ… 「ってことは静内さんも…って、いつまで触ってンのっ!」 「いや、柔らかくて触り心地がいいもんだから、つい…」  ぷにぷに… 「しかも手つきがなんかやらしいよっ?」  暴れて、なんとか彩樹の手から逃れようとする早苗だったが、背後からしっかりと抱きすくめられてはそれも叶わない。 「…やっぱり、アダルトビデオではありませんの?」 「いや…こんなはずではなかったんだが…」  不意にそんな声が聞こえて、早苗の胸を巡る攻防を繰り広げていた二人は入り口の方に向き直った。  そこにいるのはいうまでもなく、知内と一姫である。 「…知ってる?」  彩樹は人間離れした反射神経でぱっと早苗から離れて訊いた。  早苗は小さく首を傾げる。 「確か二年生の…えっと、いちひめちゃん?」 「いつき、ですわ」 「これで全員そろったね。じゃ、話を始めようか」  三人を席に着かせると、知内は話し始めた。 「さて、もう知っていると思うけどウチは人材派遣会社だ。で、いまちょっと特殊な人材を探しているお客さんがいてね…」  そこで言葉を切り、彩樹、早苗、一姫の顔を順に見る。 「その条件に合うのが君たちってわけだ。どうだい、学校は夏休みだしアルバイトしないか?」  三人はちらと顔を見合わせる。  最初に早苗が口を開いた。 「で、肝心の仕事の内容ってのはなんなの?」 「もしいかがわしいコトだったら、今度は手加減しね〜ぞ」 「…まるでこの前は手加減したような口振りだな」  まだ、顔にうっすらと残っているあざを手で押さえて知内が言う。 「とにかく、仕事の内容ってのが特殊でね。ここで説明しても多分信じてくれないだろうから、自分たちの目で実際に見てもらった方がいい。ちょっと隣の会議室に移動してくれないか?」  知内を先頭に四人が会議室に入ると、そこには奇妙な衣装を着た二人の人物がいた。  そして…  二 異世界の少女  きっかり三十秒間、彩樹はぽかんと口を開けたまま窓の外を見ていた。  それからふと気付いて横を見ると、早苗と一姫も同じような表情をしていたので少し安心する。  眼前の光景が、彼女だけの幻覚ではないとわかったから。  みんな同じ思いだったのだろうか、しばらく黙って顔を見合わせていた三人は、また窓の外に視線を移す。 「お城…ですわね」  独り言のように一姫がつぶやく。  そう、確かに城だった。  古い時代のヨーロッパの城を思わせる様式の、しかしそれよりも遙かに大きな石造りの建造物群。  一行は、その中でも一番高い塔の中にいるらしい。  城門の前には、城下町が広がっているのが見える。  一姫は、昨年の夏に家族で行ったスペイン・アンダルシア地方の街並みに少し似ているように感じた。  反対側の窓に目を移すと城の背後には建物はなく、見渡す限りの深い森が広がっている。 「どう考えても、札幌市内の雑居ビルの二階から見た風景じゃないよね?」  そう言うのは早苗。  ほんの数分前まで彼女達は、豊平区にある五階建ての雑居ビルの二階、株式会社MPSの会議室にいたはずなのだ。  会議室には中近東を思わせる奇妙な衣装を着た男女がいて、知内から男性がシサーク、女性がフィフィールという名だと紹介された。  そして、女性の方が外国語らしい奇妙な言葉をつぶやいて…。  次の瞬間、彼女たちはここにいたのだ。 「これはいったい何なんだよ、おっさん!」  やや遅れて我に返った彩樹が、知内の襟首につかみかかる。 「誰がおっさんだ! 三十歳前の男性をおっさんと呼んではいけないと、学校で習わなかったのか?」 「んなもん習うかっ! さっさとこの状況を説明しろよっ!」  手に力を込める彩樹。  早苗がその手を押さえる。 「彩ちゃん、そんなに力を入れてたら説明できないよ?」 「あ、あやちゃん…?」  彩樹はこれまで、親にもそんな呼ばれ方をされたことはない。  どうやら早苗はずいぶん馴れ馴れしい性格のようだ。  慣れない呼称に驚いて手を離すと、知内はそのままずるずると床に崩れ落ちた。 「やべ、絞めすぎたか」  知内の襟をつかんだ手が、無意識のうちに柔道でいう『十字絞め』の形になって、絞め落としてしまったらしい。 「彩ちゃんて空手やってるって聞いたけど、柔道もできるんだ?」 「ウチの流派は組技アリなんだよ」  彩樹はとりあえず失神している知内を放っておいて、これまで黙っていた二人、シサークとフィフィールの方を向き、 「…で?」  ちょっと気弱な人間ならたちまち逃げ出してしまいそうな目つきで二人を睨む。  二人は一瞬目線を交わし、そしてフィフィールが口を開いた。 「ここは、あなた方が暮らしていたのとはまったく別の世界です。私の魔法でここへ移動してきたのです」  その言葉の意味を理解するのに、最短でも一姫の三十二秒、最長で彩樹の二分四十五秒が必要だった。  三人はお互い顔を見合わせ、次に無言で足元でのびている知内を見、窓の外の異質な風景を見下ろし、そうしてフィフィールに視線を戻す。  それぞれ、何か言おうと口を開くのだが、どうにも言葉が出てこない。  文字通り唖然としている三人に向かって、それまで一言も口をきかなかったシサークが重々しい口調で言った。 「あなた方に、この国…マウンマン王国の王女、アリアーナ様を護っていただきたいのです」  少し免疫ができたのか、今度の台詞は彩樹でも三十秒ほどで理解することができた。  ただし、理解するのと納得するのとはまた別の話である。 * * * 「魔法でやってきた異世界? 王女様? ふざけるのもいい加減にしろっ!」  彩樹はそんなことを叫びながら、一人で暴れている。  幸いここは頑強な石造りの塔の中の部屋だし、床に奇妙な魔法陣が描いてある他はなんの家具も置かれていないから、いくら暴れたところで壊れるものもない。  それにしても、石の壁を力いっぱい殴っているはずなのに痛そうな素振りも見せないのは大したものだ。  実戦空手、北原極闘流の中学チャンピオンの肩書きは伊達ではない。  彩樹が一人で先に暴れ出してしまったので、早苗と一姫はなんとなくパニックに陥るタイミングを逃してしまい、(少なくとも表面上は)落ち着いた様子で顔を見合わせている。 「なんと言ったらいいか…なんだか、面白そうだね?」 「ヒロイックファンタジーの世界ですわね。わたくし、こういうシチュエーションは大好きですの」  そんなことを言って、にこと微笑む。 「お前ら何でそう落ち着いてんのっ? こんな、出来の悪い小説みたいな話をあっさり信じるのか?」  彩樹は怒りの矛先を呑気な二人に向ける。 「ですが、今こうして見ているものは現実ですわ」 「彩ちゃん、若いのに頭堅いよ。現実はあるがまま受け入れないと」 「簡単に納得するなっ! お前らこそ、何の疑いもなくこんな非常識な話を受け入れられるのか?」 「何の疑いもなくってわけじゃないケドね…」  ねぇ? と早苗はフィフィールたちに問いかける。 「王女様を護るって…ボディガードでしょ。普通そういうのって屈強な男の人がやるもんじゃないの? どうしてウチらみたいな子供に?」  その問いに対するシサークの答えは簡単だった。  そういうしきたりだから、と。  ――王家の娘は、男性を側に置いてはならない。  ――王女の身近に仕えるのは、同じ年頃の乙女でなければならない。 「無論、我が国の精鋭たちが姫をお護りしてはおりますが、そういったわけで四六時中姫のお側に、というわけにはいかないのです」  シサークは沈痛な表情で言った。 「同じ年頃の乙女…って…」 「つまり、生娘でなくてはいけませんの?」 「いっちゃんって古くさい言葉知ってるね?」  三人は微かに頬を赤らめ、お互いの顔を見た。  そうか、それでか…。  彩樹はやっと理解できた。  どうして知内が初対面でいきなりあんなことを訊いたのか。  それにしても… 「そんなうざったいしきたり作るなっ!」  彩樹が叫ぶ。  先刻もいったが、理解することと納得することは別問題なのだ。 「なにしろ昔からそう決まっていること、いまとなってはその理由もわかりません」 「それでは仕方ありませんわね」 「だ〜か〜ら〜、あっさり納得するなって!」 「彩ちゃんてば先刻から怒ってばっかり」 「好きで怒ってるんじゃないっ! だいたいどうしてわざわざ大仰な魔法なんか使って、よその世界からボディーガードを雇わなければならないんだ! てめ〜らの国内で調達しろよ!」  まあ、それは言えてるかも…と早苗も頷く。 「理由は二つある」  シサークが指を二本立てて答えた。 「ひとつは、異世界からやってきた者は一般に、この世界で非常に優れた能力を発揮すること」  また、三人は顔を見合わせる。  自分達と、この世界の住人であるシサークやフィフィールと、どこか違うのだろうか?  見る限り、身体的な能力に大きな差はないように感じるが。 「何故ですの?」  今度は一姫が訊ねる。  それに答えたのはフィフィールだ。 「それは魔法理論のもっとも高度な分野の問題になりますが…。例えば、より高いところにある物体は、地上に置かれた物体よりも大きな位置エネルギーを持つように、次元的な距離においても同じことが言えるのです。  あなた方は、この世界の存在ではないというだけで、大きなエネルギーを秘めていることになるのです」  わかったようなわかっていないような曖昧な表情で三人はうなずく。 「ふたつ目の理由というのは?」 「残念ながら、こちら側で本当に信頼できる人間がそう多くはないということです。絶対に敵と通じていないと言いきれる者でなくてはなりませんから」 「…敵?」  彩樹は訝しげに眉をひそめた。  ここ、マウンマン王国には二人の王子と一人の王女がいる。  第一王子、サルカンド。  第二王子、シルラート。  そしてただ一人の娘、末の妹がアリアーナだ。  このうち正妃の子はサルカンド一人で、シルラートとアリアーナはそれぞれ異なる側室の子だ。  普通に考えればサルカンドが王位を継ぐことで問題はないはずだったが、先月急な病に倒れた先王は、なんと末子のアリアーナを跡継ぎとする遺言を遺していたのだ。  当然サルカンドもその側近たちも、そんなことは受け入れられない。  シルラート派の者たちにしても、跡継ぎがサルカンドなら仕方ないと諦めたかもしれないが、末子でしかも女であるアリアーナでは納得できない。  もともと、人物としてはサルカンドよりシルラートの方が上という意見も多いのだ。  しかし、王の正式な遺言ということであれば、誰も表だって異を唱えるわけにもいかない。  ではどうするか。  裏で、いろいろと良からぬことを企むしかない。  具体的にいうと、邪魔者は消してしまえばいい、と。 「このような状況では、姫様のお命は風前の灯火。正式に即位するまで、護衛の者は何人いても多すぎるということはないのです」  シサークはぐっと拳を握りしめて力説した。  目にはうっすらと涙すら浮かべている。 「はぁ…」  彩樹が曖昧に返事をする。  状況はだいたいわかった、わかったが… 「そ〜ゆ〜ことだったんだ」  早苗が大きくうなずく。 「でも…彩ちゃんを選ぶのはわかるよ。実戦空手の中学チャンピオン、多分日本で一番強い女子中学生だもんね。でも、どうしてウチら…?」 「それは僕から説明しよう」  いつの間に復活したのか、知内が立ち上がってスーツの埃をぱんぱんとはらいながら言う。 「鹿追くんは銃マニアで、サバイバルゲームが好きで、南区の女ゴルゴ13とまで呼ばれてるそうじゃないか」 「この世界に銃があるの?」  早苗は目を輝かせて訊いた。  彩樹と一姫は、驚いたように目を見開く。  ここはてっきり『剣と魔法の世界』だと思っていたのだ。 「ありますよ。あなた方の世界とは違って魔法技術を応用した物ですが、扱いはそう変わらないと思います」  それなら納得はいく。  アメリカならいざ知らず、日本で銃を扱える女子中学生はそういないだろう。  だが、早苗なら適任だった。 「じゃあいっちゃんは…? あんまり闘いとかには向いてないように思うんだけど?」  彩樹と早苗の視線が一姫に集まる。  三人の中では一人だけ歳下の中学二年生で(しかも早生まれだから、六月生まれの彩樹とは二歳近く違う)、かつ身長も体重も平均をかなり下回る。  どこかおっとりとした雰囲気を漂わせていて、悪く言えば少しばかり『鈍い』ようにも見えるのだ。 「僕が依頼されたのは三人。一人は格闘技や剣術など、白兵戦技に秀でた者。一人は銃器の扱いに長けた者。そしてもう一人は…」  知内はいたずらな笑いを浮かべて片目をつぶる。 「魔法の才能がある者、だ」 「魔法?」  彩樹と早苗の声がハモる。 「そりゃ、この世界には魔法使いが実在するんだろうけど、ウチらの世界でどうやって…」  早苗は一姫を振り返った。 「いっちゃん、実は超能力者とか? それとも、黒魔術とか、ブードゥとかやってる?」  ふるふる…  一姫は首を左右に振る。 「フィフィールさんの話では、頭が良くて、魔法というものを素直に受け入れられて、想像力の豊かな人が向いているそうだ。  鵡川くんは学年一の秀才で、ファンタジー小説が好きで、自身も作家志望だそうだね?」 「ど…どうしてそんなことまで知ってるんですの?」 「僕に調べられないことなんかないさ。君らの学校の、文芸部の会誌を入手した」 「そこまでするか?」 「ウチらのこともどうやって調べたのやら…ほとんどストーカーだね」 「まあ、やっぱりそうでしたの」  得意そうに胸を張って答えた知内だったが、彼を見る少女たちの目は冷たかった。  三 働く少女  アリアーナ・シリオヌマン。  それが、このマウンマン王国の新たな王となるべき少女の名である。  先日、十五歳になったばかりだ。  腰の下まである長くて真直ぐな金髪は、枝毛の一本もないのではないかと思われるほど艶やかで、光を反射して輝いている。  そしてもう一つ特徴的なのが、彼女のやや紫がかった瞳。  高い知性と、意志の強さがうかがえる凛とした瞳。 「へぇ…」  早苗や一姫と共にアリアーナの前に通された彩樹は、小さく感嘆の声を漏らす。  確かに美人だ。  あまり感情を表に出さない方らしく、無表情に彩樹たちを見つめている。  そのためやや冷たい印象を受けなくもないが、それがまた女王らしい威厳をかもし出す効果があった。 「この者たちが新しい護衛か?」  アリアーナの問いにシサークがうなずく。 「ずいぶんと見目良い者ばかりを選んだものだな。しかし…」  彩樹の側に来てじろじろと不躾に観察し、そして言ってはいけないことを言ってしまった。 「どうして、男が混じっているのだ? 口うるさく言っていた『しきたり』とやらはどうした?」  そこにいた何人かの顔色がさぁっと変わる。  彩樹は赤く。  そして早苗、一姫、知内の三人は血の気が引いて真っ青に。  彩樹を止めようとした早苗が指一本動かす間もなく、 「誰が男だぁっ!」  必殺の後ろ回し蹴りがアリアーナを襲っていた。  世界広しといえども、一国の王女を蹴り倒した女子中学生というのは彩樹くらいのものだろう。  ついでにいうと、それを見てシサークも倒れてしまっていた。 「ひ、姫様になんということを…」  という言葉を残して。 「シサーク様は普段から血圧がお高いので…」  アリアーナを介抱しながら、フィフィールは苦笑する。  早苗と一姫は困ったように顔を見合わせる。  彩樹の目はまだ怒りに燃えている。  そして知内は頭を抱え、「この仕事が終わったら会社を辞めて家業を継ぐ」決心をさらに固くしていた。 * * * 「ったく、あの女は…むかつくヤツ! あれだけまじまじと見て、どうしてオレが男に見えるんだっ!」  控えの間に戻っても、彩樹の怒りはおさまっていなかった。 「その件に関しては、彼女ばかりを責めるのはどうかな?」 「…なんか言ったか?」 「なんにも」  知内はあわてて首を振った。  彼もまだ命は惜しい。 「とにかくオレは、こんなバイトやってられね〜よ」 「そう言わずに、そこをなんとか…」 「い〜や帰る。…って、そういえば早苗と一姫は?」  きょろきょろと周囲を見回すと、いつの間にかこの部屋にいるのは彩樹と知内だけだ。  怒りのあまり、周囲がまるで見えていなかったらしい。  早苗と一姫がいないことにいままで気付かなかった。 「彼女たちは、訓練だよ」 「訓練?」 「普段の技術をそのまま生かせる君と違って、彼女らは憶えなければならないことがあるだろう。この世界の銃の扱いとか、魔法の知識とか」 「なんだよそれっ? あいつら、引き受ける気なのか?」  いつの間にそういうことになったんだ?  彩樹は心の中で叫ぶ。  こんな怪しげな仕事…冗談じゃない! 「なんだか楽しそうだったよ。こんな経験めったにできない、とか言ってたし」 「そんな気楽な…」  なに考えてるんだ、あいつら…。 「どうしても嫌かい?」 「ヤだね」  間髪入れずに答える。  彩樹の答えはもっともである。  事情もわからずにこんなところに連れてこられて、肝心の護衛する相手は初対面でいきなり彩樹の逆鱗に触れてきて…これでは引き受ける気になる方が不思議だ。  そうでなくてもこの仕事には問題がある。 「第一、護衛ってことは二十四時間付きっきりなわけだろ? いくら今が夏休みだからって、泊まりのバイトなんかできるわけないだろ」  一応これでもまだ十五歳の女の子なのだ。  彩樹の母親はこういうことには寛容なのだが、それでも何日もの外泊などそうそう許してもらえることではない。 「その問題は検討済みだよ。フィフィーナさんによると、転移の際にはある程度時間をずらすことができるそうだ。転移時にぎりぎりまで時間を過去にずらすと、こちらで二十四時間過ごしても向こうではせいぜい二時間くらいしか経ってないことになる」 「…? なんか騙されているような気がするが…」  彩樹は腕を組んで考え込むが、どうもよく理解できなかった。 「そんなことはない。これは確認済みだ。一日に一〜二時間くらいのバイトならできるだろ?」 「じゃあその件はいいとして…、なんだってあんな女のために、こんな危険な仕事引き受けなきゃならないんだ!」  「そういえば、ひとつ大事なことを言ってなかったな」  知内には勝算があった。  彼はまだ奥の手を隠している。  明らかになにか企んでいますといった笑みを浮かべて、彩樹の耳元でなにやら囁く。  彩樹の表情が微妙に変化した。  思わず顔がにやけそうになるのを、必死にこらえているような…。 「…え…と…、まあ、…夏休みでヒマだし…、そこまで言うんなら…仕方ない、少しだけ力を貸してやるか」 「そう言ってくれると思っていたよ」 「いいか、あくまで仕方なく、だからな」 「わかったわかった」  仕方なく引き受ける、という彩樹の演技はあまりうまくはなかった。  知内は笑いをこらえる。  彩樹に耳打ちしたのは、シサークが約束したこの仕事に対する報酬のこと。  仮にも一国の王女の命がかかった仕事である。  報酬の額も半端ではない。  普通の日本人にとっては、ジャンボ宝くじでも当たらなければお目にかかれないような金額を提示されて、断れる女子中学生がいるだろうか?  いろいろと普通ではないところのある彩樹も、お金には人並みに弱いのである。 * * *  さて、その頃の早苗と一姫だが――  王宮の広い敷地の一角に、射撃場がある。  普段は銃士隊の訓練に使われているところだ。  早苗がいる場所から五十メートルくらい離れたところに、人形に鎧を着せた標的が十体ほど立っていて、その後ろには流れ弾が射撃場から出ないための土塁がある。  早苗をここに連れてきたのは、城の銃士隊で射撃の教官をしているという四十過ぎの男性だ。  銃を手渡して扱いを教える。  早苗は受け取った銃を調べる。  この世界の銃は、外見は昔の火縄銃に似ているが、機構的にはボルトアクションのライフル銃に近いようだ。  ボルトを引いて、薬室に弾を込める。  弾は…早苗が知っているようなカートリッジではなく、直径五〜六ミリのやや黄色味を帯びた透明なガラス玉のような結晶だった。  火薬は使わない。  この弾は、魔光石と呼ばれる魔力の結晶なのだそうだ。  銃身には魔力を増幅・調整する性質を持った鉱物・魔導石の棒が詰められている。  引き金を引くと撃針が魔光石の弾丸を魔導石に打ちつけ、魔光石は崩壊して純粋な魔法エネルギーとなる。  それが銃身の魔導石の中で増幅され、まるでレーザーのように銃口から発射されるのだという。  こんなものでホントに撃てンの…?  訝しみながらも早苗はボルトを戻し、銃を構える。  標的の人形までは目測で五十六メートル。  息を吸い込み、少し吐き出し、息を止めて静かに引き金を引く。  パンッ  軽い破裂音と同時に、銃口から曳光弾のような一筋の光が飛び出し、人形の右肩に当たって弾けた。  標的の人形が着ている金属製の鎧が大きくへこんでいる。  これが生きた人間だったら、死なないまでも相当な怪我のはずだ。  ヒュウ  早苗は短く口笛を吹く。 「意外と精度いいじゃない、コレ」  再度ボルトを引き、二発目の弾丸を薬室に込める。  パンッ 「ほぅ、いい腕をしているな」  二発目も、寸分違わず一発目と同じ位置に命中した。  教官が称賛の声を上げる。 「ふぅん…」  早苗は手の中の銃を見てなにか考えている。 「あの、城内に武器工房ってあります? ちょっと見学したいんですけど」 * * * 「これが、魔術師の杖よ」  フィフィールが差し出した木の杖を、一姫は両手で受け取る。  長さは、一姫の身長とほとんど同じ。  先端が鈎状に曲がっていて、そこに洋ナシよりやや大きいくらいの、透明な菱形の鉱石がはまっている。 「先端にあるのが魔光石の結晶。これが触媒となって、術者の頭の中にあるイメージを実体化するの。魔法がもたらす結果を、いかに正確に、強く想像することができるか…。それが魔法を使う上で一番大切なこと」  フィフィールの一語一語に、一姫はうなずく。  一姫はいま、フィフィールから魔法の講義を受けていた。  早苗の場合と違い、魔法に関しては一から学ばなければならない。  二人がいるのはフィフィールが使っている魔法の研究室だそうで、どことなく図書室か化学の実験室に似ている。 「あなたが最初に憶えなければならないのは、防御の魔法よ」  自分の杖を手に取って、フィフィールは言う。 「敵を攻撃する術はサイキさんもサナエさんも持っているけど、相手が魔法で攻撃してきた場合、それを防ぐことができるのはあなただけなの」  神妙な表情でうなずく一姫。 「防御の基本はこれ、魔法の盾」  フィフィールが杖を高く掲げる。  一瞬、先端の魔光石が光ったかと思うと、目の前の空間にいきなり大きな菱形の板が出現した。  縦が二メートル、幅が三メートルほどの大きさなのに対し、厚みは五センチもない。  表面は鏡のような光沢があるのに、すぐ前にいる一姫の姿は映っていなくて、シャボン玉のような虹色の縞模様がゆらめいている。  そんな不思議な物体が、一姫の視界を遮るように宙に浮いていた。  恐る恐る手を伸ばすと、指が触れる直前にバチッと感電したような衝撃が走り、一姫はあわてて手を引っ込めた。  フィフィールは一姫を下がらせ、自分も数歩後ろに下がると再び杖を掲げる。  杖の先からハンドボール大の火球が飛び出したかと思うと、盾に当たって大きな破裂音と共に霧散した。  しかし炎が消えてから見ると、盾には傷一つついてはいない。 「この盾は大抵の魔法による攻撃を防ぎ、剣や銃を用いても簡単に破壊することはできません。あなた方にとっての最優先事項は、姫様を護ること。まずなにより、防御の魔法を学んでください」 「わたくしにもできるでしょうか?」 「疑いを持ってはいけません。大丈夫、あなたにはきっと才能がありますよ」  フィフィールがぱちんと指を鳴らすと、魔法の盾はすぅっと空気に溶け込むように見えなくなった。  四 真夜中の少女 (なんか、知らないうちに状況に流されてるよな…)  各自にあてがわれた豪華な個室の、必要以上に広いベッドにごろりと横になって、彩樹は天井を見つめていた。  もう夜もかなり更けたはずだが、どうにも眠くならない。  知内は他に仕事があるとかで夕方のうちに(逃げるように)向こうに戻り、三人の少女たちだけがこちらに取り残されている。 (いくら金のためとはいえ…面倒なこと引き受けちまったなぁ)  早苗や一姫は妙にはしゃいでいたようだが、彩樹はとてもそんな気分ではない。  金に目が眩んで魂を売り飛ばしてしまった――  そう思えてどうにも悔しい。 (でも、ま、この金で冬休みにはブラジルまでブラジリアン柔術を習いに行くのもいいか…。それもと韓国で本場のテコンドーとか)  両手を頭の後ろで組み、天井とにらめっこしながらそんなことを考える。  身体はともかく、精神的にはずいぶん疲れているはずなのに、どうしてか眠くならない。  広いベッドの上で何度も寝返りをうって、それからおもむろに上体を起こす。 「どうせ眠れないんなら、早苗か一姫のトコに遊びに行くか…? 寝てたらむりやり叩き起こして付き合わせる、と」  かなり自分勝手な思いつきではあったが、彩樹はさっそく実行に移すつもりだった。  不意に、扉がノックされたのはちょうどそんなときだ。 「誰だ?」  ベッドから跳ね起きて誰何する。 「ウチ」  早苗の声だ。 「どうした? こんな夜中に…」  扉を開けると、早苗が一人で立っている。 「うん…、ちょっといい?」 「ま、入れよ。こんな夜中に一人で…夜這いか?」 「な、ンなわけないでしょっ!」  早苗が顔を真っ赤にして叫ぶ。  彩樹はからかうような表情で笑っている。 「そう照れるなって。ちょうど、一人で寝るには大きすぎるベッドだと思ってたんだ」  彩樹は早苗の肩を抱き、耳元で囁く。  あわててその手を払い除けた早苗は、顔を蒼白にして壁際まで後ずさる。 「あ、あ、彩ちゃんて…やっぱりそ〜ゆ〜シュミ? う…ウチ、そっちはちょっと…」  声が裏返っている。  震える頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちる。 「あはは〜、冗談だって。で、なんの用?」  ベッドに腰を下ろして笑う彩樹を、早苗はまだいくぶん疑わしげに見つめつつ、それでも近くに戻ってくる。  心の中で「これから寝るときには部屋に鍵をかけよう」と誓いながら。  彩樹はその時になってやっと、早苗が持っている物に気付いた。  肩から、スリングベルトで吊り下げた銃。  それもこの世界のクラシックなデザインの物ではなく、向こう側…彩樹たちの世界の銃だ。  それくらい彩樹でもわかる。  アメリカのアクション映画――ダイ・ハードかなにかだったろうか――で見たことがあるサブマシンガンだ。 「なんだ、それ?」  指差して訊く。 「H&K・MP5A5。これは東京マルイ製のエアーガンで、ウチの愛銃」 「オモチャか」  その台詞に、早苗は少し気分を害したようだった。 「オモチャって…まあ外見はそうだけど、中身はこれよ」  早苗がそう言って取り出した物を、彩樹は手に取って見る。  長さ四十センチほど、太さは一センチにも満たない、透明なガラス棒のようだった。 「なに、これ?」  彩樹はそのガラス棒を手で弄びながら訊く。 「魔導石…この世界の銃の、銃身に使われているものだよ」 「…で?」 「つまり、この世界の銃って、機構的にはすごく単純なの。ウチらの世界の銃よりずっと、ね。で、ウチのエアーガンを魔光銃に改造するのは簡単にできるってわけ」  早苗はMP5の弾倉を取り出して見せる。  そこには、ちょうどBB弾と同じくらいの大きさの透明な魔光石の結晶が何十発と込められていた。 「いつの間にこんな…」 「昼間、武器工房で銃の構造を教えてもらって…これなら簡単に改造できるなって思ったから、一度フィフィールさんに家に送ってもらってこれ持ってきたんだ」 「ところで、そうするとなにかメリットがあるのか?」 「第一に、この方が扱い慣れている。第二に、この世界の銃は単発だけど、これはバッテリーとモーターの力で毎秒十五発以上の連射ができるの。そしてなにより…」  さも重大なことをうち明けるような素振りで、早苗が人差し指を立てて言う。  彩樹も思わず身を乗り出す。 「この方がカッコいい!」  彩樹はそのまま仰向けにベッドに倒れた。  心底呆れたような口調で一言。 「アホらし」 「え〜、ウチにとっては大事なことだよ!」  早苗は唇を尖らせて反論する。 「で、それを見せびらかすために来たのか? そんなつまらん用事でこんな夜中にわざわざ来たっていうんなら…」 「なら?」  聞き返す早苗に対し、彩樹は瞳を妖しく光らせて断言した。 「押し倒す!」  ずざざ〜っ!  早苗は一瞬で壁際まで下がると、涙目で首を左右にふるふると振る。 「ち、違う…違うの! つい銃の説明に夢中になっちゃったけど、本題は違うの! だからお願い…」 「ば〜か、本気にすんなって。で、本題ってのは?」  早苗は三度、深呼吸して気持ちを落ち着かせてから話し始めた。 「ウチら、明日から姫様のボディガードをやるわけだよね?」 「あのおっさんに丸め込まれて仕方なく、な」  彩樹はあくまでそこにこだわる。 「ま、それはいいとして…。彩ちゃんなら、護衛のいる相手といない相手、暗殺するならどっちが楽だと思う?」 「そりゃあ、いない方だろ?」  そんな当たり前のこといちいち訊くな、といった口調で即答する。 「明日からは姫様の側に常に護衛がいるわけだよね? ウチらが異世界の人間というのは秘密みたいだけど…わざわざ遠国から連れてきた腕利きという触れ込みで」 「誇大広告で敵を牽制しようというおっさんのアイディアらしいな」 「つまり、敵も知っているはずだよね。明日から、姫様にはこれまで以上の護衛が付くって。当然、暗殺は難しくなる。明日からは…ね?」 「あ!」  早苗が小さく首を傾げるのと、彩樹の顔から血の気が引くのはほとんど同時だった。 「バカ野郎! なんでさっさとそれを言わないんだっ!」  早苗を思いきり張り倒してから、彩樹は部屋を飛び出す。  やや遅れて早苗も起き上がり後を追うが、彩樹の方がずっと足が速いらしく追いつけない。  彩樹は焦っていた。  先刻からずっと、なにか気になって眠れなかったその訳が、今はっきりした。  明日から護衛の数が増えるアリアーナ姫を狙うなら…  今夜こそが、チャンスだった。 * * *  彩樹はアリアーナの寝室へと走る。  単なる思い過ごしであればいいと願いながら。  しかし、アリアーナの寝所に続く回廊の入り口に立っているはずの衛兵の姿がないのに気付いて、その心配が杞憂ではないことを悟った。  間に合うか…?  彩樹は全力で走り、その勢いのままアリアーナの寝室の厚い樫の扉を後ろ蹴りで蹴破って中に飛び込む。  室内は暗かったが、窓から差し込む月明かりの中に立つ男の影があった。  その手に握られた短剣の刃が微かに光る。  突然の闖入者にも怯む様子もなく、黒装束の男は手の中の短剣を彩樹に向かって投げつけた。  狙い違わず顔にめがけて飛んでくる短剣を、彩樹は瞬きひとつせずに、わずかに顔を傾けて髪をかすめるほどの間合いでかわす。  目を閉じたり、体勢が崩れるほど大きくかわすわけにはいかなかった。  彩樹に隙ができることを見越した男が、もう一振りの短剣を手に彩樹に向かってきていたから。  わずかに身を屈めた彩樹は、下からすくい上げるような横蹴り上げで短剣を持った手を狙う。  不意に真下から手を蹴られて、男は思わず短剣を離す。  手から飛び出した短剣は深々と天井に突き刺さった。  彩樹は蹴り上げた脚を振り下ろす勢いを利用して身体を一回転させ、変形の浴びせ蹴りを男の顔面に叩き込む。  そのまま、男と一緒に床に倒れ込みながら右腕で男の足を抱え込み、両足で相手の太股を挟み込んで極める。  ヒールホールド、である。  相手の膝を壊す危険が高いため、多くの格闘競技で禁じ手となっている技。  彩樹が学ぶ北原極闘流でも公式試合では反則となるのだが、ケンカ好きの先輩が熱心に教えてくれたのだ。  危険な技はすなわち、いざというときに役に立つ技だから、と。  彩樹はまったく手加減しなかった。  右脇で相手のつま先を抱え込むように挟み、空いている左手で踵をつかんで捻る。  太股は両足でしっかりと押さえつけているため、力は膝に集中することになる。  結果、女の力でも充分に大の男の膝を破壊することが可能なのだ。  ゴギッ!  鈍い音と共に、男が引き裂くような悲鳴を上げる。  彩樹は足を離すと素早く体勢を入れ替え、男の鳩尾に全体重を乗せた肘を打ち下ろす。  奇妙な声と共に、男は動かなくなった。  ふぅ…  そのまま床に大の字に寝転がった彩樹は、大きく息を吐き出した。  全身の緊張が一気に解けていく。  実際には彩樹がこの部屋に飛び込んでからまだ十秒もたっていないのに、何分も闘っていたような気がする。  そうだ、あいつは無事か…?  肝心なことをすっかり失念していたことに気付いてあわてて身を起こすと、ベッドの上に座っている人物と目が合った。  相変わらず表情のない顔でこちらを見つめている。 「怪我は…ないか?」  あまり気は進まなかったが、彩樹はそれでも声をかけてみる。 「ずいぶんと騒がしいことだな」  アリアーナは抑揚のない声で言った。  床に倒れて失神している賊をちらりと見て、また彩樹に視線を戻す。 「腕は悪くないようだが…もう少し静かにできないのか? これではおちおち寝てられん。わたしは夜が明ける前に目を覚ますのは嫌いなんだがな」 「ほぉ…?」  彩樹は立ち上がった。  口元は一応笑みを浮かべてはいるが、それは微妙に引きつった笑いだ。  こめかみに血管が浮いている。 「そりゃ悪かったな。じゃあ、今度こんなことがあっても朝まで絶対目を覚まさないようにしてやるよ」  彩樹からずいぶん遅れてやっと追いついた早苗と、どこで合流したのか一緒にやってきた一姫が見たものは…  彩樹に殴られて、ベッドの上で気を失っている王女様の姿だった。  彩樹の言葉通り、確かに彼女は朝まで目を覚ますことはなかった。  * * *  翌日、アリアーナの執務室には前日を上回る緊張感が漂っていた。  早苗と一姫ははらはらしながら当事者二人を見ている。  彩樹は腕を組んで無言で壁に寄りかかっているし、アリアーナはシサークの説明を聞きながら机の上の書類の山に目を通し、次々とサインをしている。  二人は朝から一言も言葉を交わしてはいないが、常に一触即発の状態にあるように感じられた。  アリアーナは時々、昨夜彩樹に殴られたところを手で押さえている。  それに気付いたシサークが心配そうに訊いた。 「姫様、お加減でも…?」 「大したことはない。ちょっと頭痛がするだけだ」 「それはきっと寝不足でしょう。昨夜はあんなことがあったのですから無理もありません」 「あるいは、寝過ぎたかな。事件の後、必要以上に深い眠りについていたような気がする」  アリアーナは皮肉たっぷりの口調で言った。  早苗と一姫はひやひやしていたが、彩樹はまるで聞こえていないかのように無反応だし、シサークがその言葉の意味に気付いた様子もない。  なにしろこの国の女王となるべき人物に二度も手を上げたのだから、下手をしたら処刑されかねないと心配していた二人だったが、アリアーナがそれ以上何も言わないのでほっと胸をなで下ろす。  緊張の糸が張りつめた執務室に、一人の男がやってきたのはちょうどそんなときだ。  書類の束を手に持った、三十過ぎの役人風の男である。  早苗たちは見たことがないが、アリアーナとシサークは知っている人物らしい。  そもそも、この部屋に通じる通路にも何人もの衛兵がいるのだから、出入りする人間のチェックはそちらにまかせておけばいい。  不審人物が現れてからが三人の仕事だ。 「殿下、今年のニウェン地区の開墾に関する資料をお持ちいたしました」 「遅かったな、見せろ」  アリアーナに促され、前に進もうとした男の腕を、いきなり彩樹がつかんだ。  そのまま腕を後ろにねじりあげると同時に、左手で男の脇腹に掌底を打ち込む。  男は呻き声を上げて倒れ、持っていた書類が床に散らばる。  それと一緒に、一振りの短剣が床の上を転がった。  早苗と一姫は息を飲む。  シサークの表情が険しくなり、男の顔から血の気が失せる。 「たしか、ここへの武器の持ち込みは禁じられてるんじゃなかったっけ?」  短剣を拾い上げながら彩樹が言う。 「まさか、貴様が…」  シサークはすぐに衛兵を呼び、男を連行させる。 「姫様、あの男の処分はいかがいたします?」  男が連れていかれた後で、シサークが訊く。  それに対するアリアーナの答えに、そこにいた全員が一瞬耳を疑った。 「三日間の謹慎…というところだろうか」  謹慎? 三日?  王位継承者に対する暗殺未遂の罪が?  早苗や一姫はびっくりした表情でアリアーナを見、彩樹も小さく眉を上げた。 「姫様、何を仰るんです? 姫様のお命を狙った者に対して…」 「じいこそ何を言ってるんだ? あの男の罪は、王宮内で許可なく武器を所持していたことだけだろう」  確かにその通りだ。  あの男は、表向きはそれ以上の罪を犯してはいない。  しかしそれでは、『武器を持ち込んだ目的』を無視してはいないか?  シサークは何か言いたげにしていたが、アリアーナはそれを押し止めた。 「まさか、あの男が自分の意志でこんなことをしたとは思っていまい? 仕事はできるが臆病なのがあの男の欠点だ。どうせ、誰かに脅されてきたに決まっている。あれを罰したところでなんの解決もならんぞ」 「しかし…」 「こんなつまらんことに割く時間があったら、さっさと根本的な解決策を考えたらどうだ? 職務怠慢だぞ、じい」  アリアーナにそう言いきられては、シサークとしては頭を下げて引き下がるしかない。 (へぇ…、ただのわがままなお姫様ではないみたいだね…)  早苗は心の中で、少しアリアーナを見直していた。  アリアーナは感情を表に出さないし、早苗たちに対してもほとんど口をきかないのでどんな人物なのか計りかねていたのだが、二人の兄を差し置いて跡継ぎに選ばれたのには、それなりの理由があるのかもしれない。  なんとなくそんな気がしてきた。  横目で一姫を見ると、彼女も同じようなことを考えているらしい。  なんだか、このお姫様に興味がわいてくる早苗であった。 「ところで…」  席について、執務に戻ろうとしたアリアーナがふと思い出したように書類から顔を上げて言った。 「どうしてわかった?」  早苗や一姫、シサークがその言葉の意味に気付くのに一瞬の間があった。  アリアーナは、彩樹を見ている。 「誰でもわかるさ」  彩樹はぶっきらぼうに答える。 「あれだけ殺気をぷんぷんさせてりゃ、な」 「大した嗅覚だ。イヌ並だな」  ぴくっ  彩樹のこめかみに青筋が浮き上がるのを見つけた早苗は、あわてて彩樹を部屋の外に連れだした。  仏の顔も三度まで、という言葉もある。  ここでまた彩樹がキレたら、彩樹とアリアーナ双方にとって不幸なことになるような気がしたからだ。  アリアーナを刺客から護るよりも、彩樹から護ることの方が大変かもしれない。  それが、早苗と一姫の正直な意見だった。  五 宵の街の少女  山陰に沈みかけている西陽が、大きな窓から射し込んでいる株式会社MPSのオフィス。  知内は、特に何をするというわけでもなく、ただうろうろと事務所の中を歩き回っていた。  秘書の雨竜玲子(うりゅう れいこ)が、コーヒーをトレイに載せて運んでくる。 「部長、もっと落ち着いてくださいな。そこでうろうろしていても、なんの解決にもなりませんよ」 「ん? ああ…」  心ここにあらずといった様子でコーヒーカップを手に取った知内は、相変わらず歩き回りながらカップを口に運ぶ。  と、その時、 「ただいま戻りました〜」 「あ〜、なんかすごく久しぶりって感じ」 「へぇ、ホントにこっちじゃ半日もたってないんだ。向こうにはまる一日以上いたってのに」  会議室に通じているドアが開いて、三人の少女たちが入ってくる。  女という字を三つ書いて『姦しい』か…、昔の人はうまいことを思い付くものだな。  知内はほっと胸をなで下ろしながらも、そんなことを考える。 「とりあえず初日は無事だったみたいだな?」 「いまさらなに言ってンだよ。人をだまして売り飛ばした張本人が」 「売り飛ばすって…人聞きの悪いことを言うな!」 「でも、知らない人が見たらそうですよね。何も知らない純真な女子中学生をたぶらかして、外国で働かせて大儲けしているようなものですもの」 「あのな…」  知内は反論しようとしたが、しかし、一姫の言葉もあながち嘘とは言い切れない。  三人の少女たちに対する報酬が破格であるのと同時に、MPSが受け取る手数料も、この件だけで昨年の半期分の売り上げに相当するのだから。 「それで、向こうではうまくやってるの?」  言葉を失った知内に代わって、玲子が言葉を挟む。 「え? ん〜、ま〜ね」  早苗と一姫は顔を見合わせると、お互い曖昧な笑みを浮かべる。 「明日の朝、またフィフィールさんが迎えに来るって」 「でもその間、向こうでは三十分もたっていないんですよね? 移動の時の時差の計算がややこしくて混乱しますわ」 「そういや、こっちももう夜か。そう思うと腹が減ったな」 「久しぶりにあっさりした和食がいいね。向こうの食事も悪くないけど、ちょっと油っこくって…オリーブオイルなのかな?」 「今日はなんとなく、寿司って気分だな」 「それはいいですわね」  三人はうなずくと、そろって知内を見た。  その無言の圧力に、思わず一〜二歩後ずさる知内。 「…わかったよ。玲子くん、彼女たちに出前を取ってやって。もちろん経費で」 「当然、特上だろうな?」  彩樹の言葉は、確認ではなくて脅迫だった。  知内は、彩樹の調査書に書いてあった『食い意地が張っている』の一文を思い出す。 「玲子くん、特上握りを…ついでに僕たちの分も」  そう言いながら、心の中で大きな溜息をついていた。 * * * 「あ〜、すっかり暗くなっちゃったね〜」  三人が西野台駅で地下鉄を降りて外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。  今夜はよく晴れていて、天の川がくっきりと見える。 「じゃ、また明日ね」  一人だけ方角が違う早苗が、手を振って歩いていく。 「それでは、また明日」 「じゃ、な」  一姫と彩樹も小さく手を振ると、並んで歩き出した。 「そういえば、一姫ン家ってどの辺だ?」 「二丁目の十八番地ですわ」 「じゃあ意外と近くなんだ、ウチは一丁目だから。家まで送ってやるよ」 「ありがとうございます。彩樹さんが一緒なら、途中で痴漢とかに遭っても怖くありませんわね」  一姫はくすくすと笑う。  まだそれほど遅い時刻ではないが、郊外の住宅地である奏珠別の街はもう人通りも少ない。  灯りに集まってきた大きな蛾が、街灯の支柱にぶつかってぱたぱたと音を立てている。 「彩樹さん、そんな薄着で寒くありませんの?」 「ん? 全然」  七月末といえば北海道も夏真っ盛り。  日中はそれなりに暑くなるが、それでも、夜になれば気温はぐっと下がる。  薄いタンクトップ一枚の彩樹は、傍目にはちょっと肌寒そうに見えるのだが、本人はまるで気にしていないらしい。 (やっぱり、鍛え方が違いますのね…)  やせて見える彩樹だが、よく見るとその身体は無駄なく鍛えられた筋肉に覆われている。  よけいな脂肪がないことと胸がないことで、実際以上にやせて見えるのだ。  まるでネコ科の肉食獣ですわ…。  一姫は心の中でつぶやく。  そう、彩樹はまるで豹のようだ。  樹の上から、鋭い目で獲物を狙う美しい獣。  彩樹のきつい目で真っ直ぐ見つめられると、背筋がぞくぞくしてくる。 「どした? なに見てるんだ?」 「え? あ、えっと…なんでもありませんわ」  自分でもそれと気付かないうちに、彩樹に見とれてしまっていた。  一姫はあわてて話題をそらす。 「あ、わ、わたくしの家、ここですの」 「へぇ…」  彩樹は少し驚いたような、感心したような声をもらす。 「立派なお屋敷じゃん。変な奴だと思ってたら、本物のお嬢様か」  立派な門の中に見えるその家は、まあお屋敷と呼んでも差し支えないものだった。  敷地も五百坪は下らないだろう。  いくらこの辺りが札幌市内としては土地が安いといっても、普通のサラリーマンの家ではないことは一目瞭然だった。 「お屋敷だなんて…それほどでもありませんわ。彩樹さん、今日は送っていただいてありがとうございました」 「な〜に、いいってことさ。じゃ、おやすみ」  彩樹は一姫の顎の下に手を当てて上を向かせると、ちょん、と軽く唇を重ねた。  瞬きを三回する間、きょとんとしていた一姫だったが、いきなり顔を真っ赤にして叫ぶ。 「さ、さ、彩樹さんっ! いきなりなにをっ?」  声が少し裏返っていた。  そんな一姫の様子を見て、一瞬「しまった」という表情でぺろっと舌を出す彩樹。 「あ、悪い。ついいつものクセで…」  あはは〜、と笑ってごまかす。 「いつものクセって…彩樹さん、いつもこんなことしてますの?」 「ん」 「とりまきの女の子たちと?」 「ん」  彩樹は少し照れたように小さくうなずく。 「もう、彩樹さんてば…」 「ごめんごめん、悪かったよ。じゃ、また明日な」  小さく手を上げると、軽い足取りで走っていく。  一姫はその後ろ姿が見えなくなるまで、門の前に立って見送っていた。 「もう、彩樹さんて意外と手癖が悪いんですのね。わたくしのファーストキスを…」  唇を尖らせてつぶやき、そして、今さらながら大変なことに気が付いた。 「…ファーストキス、だったんだ…」  急に顔が火照って、膝が震えだす。  心臓の鼓動が、手を当てなくてもわかるくらい激しくなっている。 「彩樹さんてば…どうしましょう」  ぽ〜っと赤く染まった頬を、両手で押さえる。  自分の部屋に入っても動悸は収まらず、一姫はこの夜いつまでも寝付けなかった。 * * * 「んっふっふ〜。あ〜ゆ〜ウブな反応はいいね〜やっぱり」  純情な一姫にどれほどのショックを与えたかも考えずに、彩樹は自分の家の玄関を開けた。  彩樹には父親はいないし母親は夜の仕事だから、いま家には誰もいない。 「このバイトが終わったら、マジで喰っちゃおうかな?」  そんな、とんでもないことを口走りながら、居間の明かりを点ける。  残念ながら、バイトが終わるまではお預けだ。  なにしろ「処女」であることがこの仕事の条件なのだから。 「ま、夏休みが終わるまでにはいくらでもチャンスはあるか」  肝心の一姫の気持ちは無視である。  そんなものはどうにでもなる、と考えている。  冷蔵庫を開けてスポーツドリンクを取り出したところで、彩樹は留守番電話にメッセージが入っているのに気付いた。  一・五リットルのペットボトルに直接口をつけてラッパ飲みしながら、再生のボタンを押す。 『静内先輩、あゆみです。土曜日、一緒に海に行きませんか? 今日、新しい水着買ったの。えへへ〜今度はビキニなんですよ。先輩に最初に見てほしいの』 『彩樹ぃ、あたし。夏休みの宿題、どうせやってないんでしょ? 明日ヒマ? キスひとつと引き替えに写させてあげるよ〜』 『えっと…日高です。彩樹さん、もしよかったら、明日うちに遊びに来ませんか? えと…あの…明日、家に誰もいないの…だから…』  順に、空手道場の後輩、小学校からのクラスメイト、そして同じ中学の二年生、だった。  彩樹は心底残念そうに、ひとりひとりに「しばらくバイトで忙しいから」と断りの電話を入れる。  つまり、まあ、なんといったらいいか…。  困った性格ではあるが、静内彩樹とはこういう人間なのである。  六 塔の上の少女 「彩樹さんて、ステキですわね…」  どことなく遠い目をして、一姫がつぶやく。 「う〜ん…、まあ、ステキといえばステキだけど…。いっちゃん、ひょっとして彩ちゃんに惚れた?」  早苗がからかうように言うと、一姫は顔を赤らめながらも、あわてて首を振る。 「そ、そういうんじゃありませんわ。ただ、彩樹さんてカッコイイし、強いし…」  頬を赤く染めた一姫は、どう見ても恋する少女の表情だ。  早苗は小さく溜息をついた。 「でも、彩ちゃんには気をつけた方がいいよ。彼女はホンモノらしいから」 「ホンモノっていいますと?」 「…正真正銘、ホントに男よりも女の子が好きってこと。それとも、いっちゃんもそういう趣味?」 「そんなことはない…と思いますけど…」  どことなく自信なさげな口調だ。 「彩樹さんには、憧れているだけですわ。だって、カッコイイじゃありませんか」 「確かに、客観的に見てカッコイイとは思うよ。でもね…」 「昨日も一昨日も、彩樹さんが一人で刺客をやっつけたし、今だって、交代を断って一人で姫様の護衛についているし…。もうカッコ良すぎですわ」  三人がいつも一緒にアリアーナの側にいるわけではない。  警護は二十四時間体制なのだから、交代で食事や休憩もとる。  今、早苗と一姫は二人だけで城の一番高い塔のてっぺんにいた。  早苗が無理やり引っ張ってきたのだ。  先刻からずっと、早苗は双眼鏡を覗いてなにかを探している。  一姫と会話しながらも片時も目を離さない。 「彩ちゃんは、あんまりウチらの手を煩わしたくないんだよ」 「それはつまり、わたくしたちが頼りにならないと?」 「だっていっちゃん、人を殺せる?」  双眼鏡から目を離して、一姫の方を見た。  一姫は言葉に詰まる。 「それは…だって…」 「姫様を護るということは、場合によっては姫様に危害を加えようとする者を殺さなきゃならないかもしれない。いっちゃん、そこまで考えてる?」  一姫は目をそらしてうつむく。 「いっちゃんの魔法は、この世界でだけ使えるもの。ウチの銃にしたって、向こうの世界で使っているのは所詮オモチャ。遊びでしかない」  傍らに置いてある愛用のMP5を手にして、早苗は言葉を続けた。 「でも、彩ちゃんは違う。彩ちゃんの空手は向こうの世界でも人を傷つけ、殺すことができる。  私やいっちゃんにとって今の状況はどこか現実離れした、まるでゲームの中にいるようなものだけど、彩ちゃんにとっては現実の延長。彩ちゃんだけは、もともと人を傷つけることの痛みを知っている…そうでしょ?」 「そこまで…考えませんでしたわ…」  深刻な表情で一姫はつぶやいた。  そうだ、自分はどこか遊び半分の気持ちでここにいるのではないか?  心の中で自問する。  人を傷つけること、  血を流すこと、  人を殺すこと。  そんなこと、できるはずないのに。 「自分の手で人を傷つけるのって、きっととても辛いことだと思う。よく言うじゃない。人を殴るってことは、殴った自分の手も痛いってことだって。彩ちゃん、ウチらにできるだけそんなことをさせたくないんだよ、きっと」 「彩樹さんて、強いだけじゃなくて、実はとても優しいんですね。わたくしたちのために…」 「ウチらのため…か、それはちょっと違うかもね。だって彩ちゃんは…」  そこまで言って、早苗は不意に口をつぐんだ。  うっかり、口を滑らしてしまった、という表情で。 「彩樹さんが…なにか?」 「いや、なんでもない。これはただの噂だから」  話題をそらそうとするかのように、早苗は双眼鏡に目を戻した。  それ以上話す気はないらしいと悟って、一姫も早苗から渡された双眼鏡を覗いたが、しかしその時になってやっと、肝心なことを聞いていないことに気が付いた。 「そういえば、先刻からなにを探していますの?」 「あれ、言ってなかったっけ…? あ、見つけた!」 「なんですの?」 「あそこ。西の宮の三階…左から二つ目の窓」  早苗が示す場所を一姫も双眼鏡で覗く。  ピントを合わせると、金髪の、若い男の姿が視界に入った。  年の頃は二十歳過ぎくらい…だろうか。  腰掛けているから正確なところはわからないが、背はかなり高そうだ。  肩にかかるくらいの金髪に、彫りの深い顔。  まあ、かなりの美形といっても差し支えない男だ。  しかし、 「ハンサムな方ですわね、わたくしはあまり好みではありませんが。なんとなく、キザっぽくはありませんか?」 「ちょっと性格悪そうかもね。いかにも悪だくみが似合いそうというか…アニメやマンガなら美形の敵役ってところだね」  二人とも好き勝手なことを言っている。  男は、お茶を飲みながら誰かと話をしているようだ。  相手の方は陰になって見えない。 「…で、あの方はどなたですの? まさか早苗さん、単に城内のハンサムを物色しているわけではないのでしょう?」 「いっちゃん、ウチをなんだと思ってンのっ?」  早苗が苦笑する。 「あれが、サルカンド・シリオヌマンだよ」 「サルカンドって…! じゃあ、あの方が姫様のお兄様ですの?」 「そう、この国の第一王子、間違いないよ。昨日フィフィールさんに肖像画を見せてもらったから」  本来ならば、王位に一番近いはずの人物。  そして、アリアーナの命を狙う理由が一番あるのも彼だった。 「さて、もう一人はどこかなっと…あ、いたいた。同じ西の宮の、いちばん右端」  早苗に言われて一姫が双眼鏡をずらすと、サルカンドより二〜三歳下と思われる、黒髪の男が視界に入る。  先刻の人物が第一王子のサルカンドで、早苗が「もう一人」ということは…。 「じゃあ、あれがシルラート殿下?」 「だね。第二王子シルラート・シリオヌマンだ」  シルラートは一人で、読書でもしているらしい。  サルカンドに比べると派手さはないが、よく見るとこちらもなかなかハンサムだ。  髪の色は漆黒で、金髪の兄とあまり似ていないのは母親が違うためだろうか。  その点では、アリアーナも二人の兄のどちらとも似てはいない。 「わたくしとしては、シルラート殿下の方が好みですわ。サルカンド殿下に比べると誠実そうではありませんか」  一姫はのんきにそんなことを言うが、早苗はその意見には賛成できなかった。  サルカンドは見るからに「美形の悪役」風だったが、シルラートはそれほどわかりやすい人物ではなさそうだ。  人物的には「サルカンドより優れている」という意見も多いらしい。  確かに外見は真面目そうに見えなくもないが、油断のできない人物のように思われた。 「ところで、こうしてお二方を覗いているのはどうしてですの?」  しばらく双眼鏡を覗いていた一姫が早苗の方を見ると、早苗は床に座り込んで、傍らに置いてあった大きな細長いバッグを開けているところだった。 「早苗さん…?」 「やっぱり、敵の親玉の顔くらいは見ておかないとね。闘いにはまず敵をよく知らなきゃ」  一姫に向かってウィンクすると、早苗はバッグの中から一丁の銃を取り出す。  大きな照準器のついた、近未来的なデザインのライフルだ。 「早苗さん…なんですの、それ?」 「スナイパーライフル・PSG―1。これも改造して魔光銃にしてあるんだ」  H&K社製・PSG―1、ドイツの対テロリスト部隊等で使用されているスナイパーライフルである。  早苗が持っているのはもちろん、日本で売られているエアーソフトガンだ。  百二十センチの全長と四キロを超える重量は女の子が扱うには向かないが、そのデザインの良さと性能の高さで、早苗のお気に入りの銃のうちの一丁だった。  早苗は銃に弾倉をセットすると、銃身の下のバイポット(二脚)を立てて床に置き、自身もうつ伏せになって銃を構えた。 「さ、早苗さん、何をするんですの? まさか…」  やや蒼ざめた表情で尋ねる一姫には応えずに、早苗はスコープを覗いた。  照準器の丸い視界の中に、シルラートの姿を捉える。  距離は百五十メートルを超えている。  四倍のスコープで見ても人間なんて豆粒ほどの大きさだ。  それでも、早苗には自信があった。  早苗たちの世界の本物の銃やエアーガンと違い、魔光銃のエネルギー弾は重力や風の影響を無視して完全に直進する。  早苗の腕なら外さないはずだった。 「早苗さん! いけませんわ、そんなこと…」  早苗は親指で安全装置のレバーを押し下げる。 「姫様を護る一番確実な方法がなんだかわかる? 先に、姫様を狙う者を排除することだよ」 「そんな…だって本当にサルカンド様やシルラート様が姫様に刺客を送ったのかどうか、わからないじゃないですか。…早苗さん!」 「動機がある、それで十分だよ。それに、彼らの存在が他の者たちにとっても動機になる。『王子』がいなければ姫様が狙われることもない」  早苗は引き金に指をかけた。  シルラートはこちらに横顔を見せて座り、本を読んでいる。  そのこめかみに照準の十字線を合わせる。  すぅっと大きく息を吸い込み、少し吐き出し、息を止める。  人差し指に力を込めて…その時、手がかすかに震えているのに気が付いた。  心臓の鼓動が激しくなっている。  人間の身体、特に左腕は鼓動の影響で完全に静止させることが難しい。  心臓が脈打つ振動が伝わるのだ。  運動の後などは特にそれが顕著になる。  クロスカントリースキーと射撃を組み合わせた競技、バイアスロンが難しい理由がこれだ。  早苗の額に汗が浮かぶ。  小さく歯ぎしりして、グリップの下を押さえていた左手を離した。  どうせ銃本体はバイポットで支えているのだし、これなら左手の支えはない方がいい。  もう一度照準を合わせ直す。  グリップを握った右手の掌が、じっとりと汗ばんでいた。  手が滑る。  どうして…。  額の汗が流れ落ち、目に入る。  どうして、こんなに…。  しばらく息を止めて引き金に指をかけていた早苗だったが、やがてその指を離すと、ふぅっと大きく息を吐き出した。  安全装置を元に戻し、銃を置いて起きあがる。 「とりあえず今日のところはこんなもんでいっか。こちらからいつでも先制攻撃ができるってわかったんだし」  そう言って笑う。 「あいつら、姫様のところに刺客を送り込んでるくせに自分たちは無防備だね〜。それとも、こっちの世界の銃ではこの距離の狙撃はできないからって油断してるのかな」 「脅かさないでください。早苗さんってば真剣な表情で、本当に撃つかと思ってしまいましたわ」  一姫もほっと安堵の息を漏らして笑みを浮かべる。 「まさか。万が一に備えてるだけだよ」  早苗は嘘をついた。  ライフルをバッグに戻す。 「さて、私は休憩時間だからちょっと寝るわ。いっちゃんは彩ちゃんのサポートお願いね」「はい…」  バッグを担いで塔の階段を降りていく早苗の姿を、一姫はなんとなく釈然としない表情で見送っていた。  七 泉の中の少女  早苗が塔の上からシルラート王子を狙撃しようとしていた頃。  彩樹は執務中のアリアーナの護衛についていた。  朝のうちは机の上に山積みになっていた書類も昼過ぎにはあらかた片付いた。  シサークが書類の束を持って出ていくと、アリアーナは大きく伸びをする。 「やれやれ、こんなことばかりやってると肩がこるな」  彩樹は何も応えなかったが、実のところ、内心アリアーナを少し見直していた。  もし彩樹がこんな書類の山を前にしたら、三分で投げ出してしまうことだろう。  気に入らない相手ではあるが、頭はいいし勤勉だ。  それは間違いない。 「毎日こんなことばかりでは息が詰まっていかん。出かけるぞ、ついてこい」 「出かける? どこへ?」  彩樹が訊き返したときにはもうアリアーナは部屋の外に出てしまっていた。  彩樹はあわててそのあとをを追った。  この城の裏手には、広大な森が広がっている。  人目を盗んで裏門から外に出たアリアーナは、その森の中へと入っていった。  もちろん彩樹も後に続く。  森は樹が密生していて、百メートルと行かないうちにもうどちらから来たのかわからなくなるほどだ。  彩樹の目にはなんの目印も見えないが、アリアーナには道がわかっているのだろうか。  昼でも薄暗い森の中を早足に歩いて行く。 (それにしても、命を狙われている状況で城を抜け出してこんなところに…、なんてわがままな)  そうは思ったが、それでも黙ってついていくしかない。  アリアーナは一言も口をきかずに歩き続ける。  草を踏んで歩く二人の足音、  鳥のさえずり、  キツツキ(と思われる鳥)が、樹の幹を叩く音。  他になにも聞こえない。  しばらく歩いて、やがて二人は森の中の小さな池のほとりに出た。  湧き水なのだろうか、澄んだ水が小川となって流れ出している。  水面がきらきらと陽の光を反射する様は、まるで森の中の宝石だ。  睡蓮に似た花が水面を彩り、そのまわりを小さな水色の蝶が飛び回っている。  透明な羽をきらめかせたトンボが、空中静止を繰り返しながら岸に沿って池を周回する。  澄みきった水の中では水草が揺れ、その陰にメダカより一回り大きいくらいの小魚が群れている。  湖底は、砂や泥ではなくて礫らしい。  だから、水がまったく濁らないのだろう。 「森の中に、こんなところがあったのか…」  その風景に見とれ、呆然とした様子で彩樹がつぶやいた。 「でも、こんな時に城から離れて危険じゃないのか?」 「そのためにサイキがいるのだろう?」  アリアーナが即答する。 「ここは、わたしの秘密の場所なんだ。執務や勉強に飽きたらここに来ることにしている。ここならうるさいじいにも見つからないからな」  彩樹は息を殺し、周囲の様子を探る。  なにも、危険な気配はない。  ここに来るまでも、誰かにつけられている様子はなかった。 (まあ、少しくらいはいいか)  確かに、いつ襲われるかと心配しながら城にこもって仕事や勉強ばかりでは神経がまいってしまうだろう。  それにしても、この性悪女も人並みに息抜きが必要とは…。  彩樹は思わず吹き出しそうになる。 「少しくらいならいいけど、あまり長居はできないぞ。万が一こんな場所で刺客に…、な…?」  言いかけてアリアーナの方を振り返った彩樹は、途中で凍りついたように動きを止める。  目に入ったものを理解するには、数秒の間が必要だった。 「な…なにやってんだ、お前…?」  彩樹が驚いたのも無理はない。  そこには、服を脱いで全裸になったアリアーナが立っていた。 「仮にも次期女王に向かって『お前』はないだろう。まったく、どういう躾を受けてるんだ?」  アリアーナはまったく動じる様子もない。 「躾って…それはこっちのセリフだ! こんなところで裸になる奴に言われたくないぞ!」 「水浴びをするのに服を脱ぐのは当たり前だろう? サイキの国の習慣は違うのか?」  彩樹の前に平然と裸体をさらして、アリアーナは池に足を入れる。  真っ白い肌。  すらりと伸びた足の長さと腰の高さが日本人とはまるで違う。  そして、服の上から想像するよりも豊かな胸。  彩樹が思わず嫉妬し、また見とれてしまうほどのプロポーションだった。  それは、少女の可憐さと女の美しさの端境にある、ほんの短い時期だけに許される容姿。  はぁ…  彩樹の口からかすかに溜息が漏れる。  膝くらいの深さまで水に入ったところで、アリアーナはいきなり池に飛び込んだ。  水面に、アリアーナが作りだした大きな波紋だけが残る。  水飛沫をかぶった彩樹は、腕で顔を拭うと、肩をすくめてその場に座り込んだ。 (なんなんだこの女…、羞恥心ってものはないのか?)  波のおさまった水面を、アメンボが滑っていく。 (まあ、オレらと同い歳なのに毎日城で難しい政治の話ばかりじゃストレスも溜まるか)  たまには、羽目を外すのもいいのかもしれない。  彩樹など、側について見ているだけで相当ストレスが溜まっているのだ。  確かにここは、精神のリフレッシュにはいいところだ。  深く深く息を吸い込むと、樹々と、草と、土と、水のにおいがする。  彩樹は何度も深呼吸を繰り返した。 (オレも少し水に入ろうかな…。気持ちよさそうだし)  と、のんびりとそんなことを考えていた彩樹は、やがて大変なことに気付いた。 (…! あいつが飛び込んでから何分たった?)  アリアーナが浮いてこない。  なにかあった…?  まさか泉の中に刺客がいることもないだろうが、泉の水は湧き水で夏でも冷たい。  準備運動もなしに飛び込んで、心臓麻痺を起こさないとも限らないのだ。 (まさか…!)  彩樹は服を着たまま、靴だけを脱いで飛び込んだ。  泉の水は、想像していたよりもさらに冷たかった。  ぞくり、と鳥肌が立つ。  ただしそれは水の冷たさのためではなく、言い様のない不安のためだ。  (どこにいる…?)  岸から少し離れると、池は急深になっていて、この澄んだ水の中でさえ底が見えないほどだった。  彩樹は周囲を見回しながら真っ直ぐに潜っていく。  水底には背の高い水草の茂みや大きな岩が点在していて、アリアーナがそれらの陰にいるとしたら見つけるのは難しそうだった。  急がなければ…  しかし、焦る気持ちとは裏腹に、服を着たままの身体は水中では思うように動かない。  そろそろ息が苦しくなってきた。  一度水面に戻らなければ、と思いながらも、もう少し先に行けばアリアーナが見つかるような気がしてなかなか引き返せない。  もうこれ以上は無理…  そう思ったとき、彩樹は大きな岩の陰に探していた少女の姿を見つけた。  彩樹が一瞬見せた安堵の表情は、しかし、次の瞬間怒りの形相に変わる。  アリアーナは溺れていたわけではなかった。  両手で水草につかまって、普段無表情な彼女にしては珍しく、彩樹を見て笑っている。  その笑みを見て、彩樹は理解した。  自分は、からかわれたのだと。  肺に残った最後の空気を吐き出しながら必死で水面に向かった彩樹は、最後の一メートルのところで水を飲んでしまい、激しく咳き込んだ。  その横に、まだまだ余裕のある様子でアリアーナも浮いてくる。 「こうも簡単に引っかかるとは思わなかった。なかなか見事なあわてぶりだったな」  這うようにして岸に戻った彩樹は、そんなアリアーナを睨み付ける。  彩樹の倍以上の時間水に潜っていたにもかかわらず、息もほとんど乱れていない。  濡れて顔にまとわりつく長い金髪を両手でかき上げると、水滴がきらきらと飛び散った。  彩樹は無言で、着ていたタンクトップとジーンズを脱いで絞る。  アリアーナのように、人前で下着までは脱げなかった。 「怒ったのか?」  不思議そうな表情で、アリアーナが当たり前のことを訊く。  彩樹が何も言わないのは、怒りのあまり言葉も出てこないからだ。  アリアーナだけではなく、自分にも腹が立った。  こんな女を、つい本気で心配してしまった自分に。  まだ濡れたままの服を着て、彩樹はアリアーナに向き直る。  ぱんっ  アリアーナの頬が鳴った。  驚いたように、自分の頬を押さえている。  続いてもう一方の頬にも、彩樹の平手が飛んだ。  先日のように拳でも蹴りでもなく、掌で。  彩樹は本気で怒っていた。  ここで拳を使ったら、自分を押さえられる自信がなかった。  アリアーナは裸のまま、そこに立ちつくしている。 「…さっさと服を着ろ。遊びはもういいだろ。戻るぞ」  来るときと同様、二人は一言も口をきかずに城に戻っていった。 * * *  晩餐を終えたシルラート・シリオヌマン――この国の第二王子――が自室に戻ると、本来、誰もいるはずのない部屋で一人の少女が彼を待っていた。  その背後のカーテンが風でかすかに揺れている。  最初に目にとまったのは、この地方では珍しい茶色の髪に、大きな瞳。  そして、歳の割に大きな胸。  少女が手に持っている物に気付いたのはその後だった。  奇妙な形の、銃――  反射的に、壁に掛けた剣に手を伸ばしたシルラートだったが、彼の指が柄に触れる直前、バンッという音と共に剣は砕け散った。  数秒間、壁に手を伸ばしたままの姿勢で動きを止め、それからゆっくりと振り返る。  少女の瞳と、腰だめに構えた銃の銃口が真っ直ぐにシルラートを見つめていた。 「警備の者がいたはずだが?」 「少しの間、寝てもらってる」 「お前、アリアーナが雇った新しい護衛だな? あいつの命令で私を殺しに来たか?」 「いいや」  早苗は小さく首を振った。 「ウチが勝手に来ただけ。いつ来るかわからない刺客を待つなんて効率的じゃないもの。戦いは先手必勝、こっちから仕掛けば、たった二人殺すだけで全て丸くおさまるのよね?」  気負いの感じられない口調で早苗は言った。  内心それほど落ち着いていたわけではないのだが、それを気取られるわけにはいかない。  シルラートの鋭い目は真っ直ぐ早苗を見つめているようで、実は油断なく周囲を見回し、反撃の隙をうかがっている。  伸ばした前髪が、その目を半ば隠していた。  近くで見ると、誰かに似てる…  早苗はすぐにそれが誰か思い出した。  目つきの鋭さと髪型、そして漆黒の髪の色が彩樹と似ているのだ。 (…てことは、やっぱり彩ちゃんて女にしとくのはもったいないくらいハンサムなんだな)  本人の前でそんなことを言ったら、ほぼ五十パーセントの確率で殴り倒されるだろうが。  さもなくば蹴り倒されるか、投げ飛ばされるか。  いずれにしても無傷ではいられない。 (いや、そんな馬鹿なこと考えてる場合じゃないな…)  絶体絶命のピンチにも関わらず、シルラートは少なくとも表向きは落ち着いているように見える。  怯えてうろたえるような相手ならやりやすかったのに――  早苗は心の中で舌打ちをし、グリップを握った手の親指の位置にある小さなスイッチを押した。  銃口のすぐ上に、小さな赤い光が灯る。  そして、シルラートの左胸にも同じようにぽつんと赤い光の点が現れる。  シルラートは不思議そうに自分の左胸を見下ろしているが、その様子が、先刻よりもほんの少し緊張しているように見える。  レーザー照準器などという物を知らなくとも、この状況ではそれが何を意味しているのかは見当がついているはずだった。  引き金に掛けた早苗の人差し指がかすかに震える。 (このまま引き金を引けば、一瞬でカタが付く。これ以上彩ちゃんにばかり負担をかけることもなく…)  だけど  自分に、人を殺せるのか?  引き金を引くことはできる。  でも、その行為が引き起こす結果は?  自分が撃ち殺した死体を前にして、平静でいられるのか…  …無理だろうな。  狂ってしまうかもしれない。  一人の人間のこれまでの人生を全て無に還してしまうことの意味。  自分に、そんなことができないのはわかっている。  彩樹とは違う。  だから、お願い。  抵抗はせずに、このままおとなしくしていて――。  もしここでシルラートが妙な素振りを見せたら、撃たなきゃならない。  でも、そんなことはできない。  ――だから、お願い…  早苗の額に汗がにじむ。  ――ダメ、もう限界… 「今すぐは殺さないわ。今日は警告に来ただけ。これ以上姫様に手を出さないこと。わかった?」  じっと早苗を見ているシルラートは、否とも応とも答えない。 (これ以上こうしていたら、見透かされてしまう)  ここにいるヒットマンは、実は人を殺せないのだ。  そのことがバレる前に立ち去らないと…。 「警告は一度だけよ。次はないからね」  そう言い捨てて、早苗は入ってきたのと同じ窓から外に飛び出す。 「…考えておこう」  背後から、そんなシルラートの声が聞こえたような気がした。 「やれやれ…何年か寿命が縮んだな」  早苗が出ていくと、シルラートはふぅっと息を吐き出して椅子に腰を下ろした。  腕組みをしてしばらくなにか考えていたが、やがてテーブルの上に置いてあった書類に手を伸ばす。 「…こいつか。サナエ・シカオイ、十五歳。出身不詳、経歴不詳…?」  大して役に立つことは書いていない書類を机に戻した。  ちょうどその時、開いたままの窓から風が吹き込み、書類が床に散らばる。  シルラートは立ち上がり、窓と、カーテンを閉める。 「…不思議な娘だな」  ほとんど聞き取れないほどの小さな声で、そうつぶやいた。 * * *  夜更けの、アリアーナの寝室。  今、アリアーナの側にいるのは一姫ただ一人だけだ。  椅子に座ってずっと読書をしていたアリアーナは本を閉じると、カップの底に残ったお茶を飲み干してから一姫の方を見た。 「そういえば、サイキはどうした?」 「…寝てるみたいです」  一姫は事実だけを答えた。 「そうか」  アリアーナがそう言ったきり、しばらく無言の時が流れる。 「あの…姫様…?」  一姫はためらいがちに口を開いた。 「昼間から、なんだか彩樹さん怒ってるみたいなんですけれど…理由をご存じではありませんか?」 「何故私に訊く?」 「昼間、ご一緒に外へ行ってらしたでしょう?」  アリアーナはすぐにはそれに答えず、膝の上に置いた本の表紙を見つめていた。 「…先刻は悪いことをしたと、そう伝えておいてくれ」 「あの…差し出がましいようですけど…そういうことって直接言わなければいけないと思いますの」  アリアーナがそれに対して何も答えないので、怒らせてしまったのではないかと一姫が気にしだした頃になってやっと、 「…そうだな、そうしよう」  アリアーナは立ち上がって本を書架に戻した。  一姫は魔術師の杖を手にして、アリアーナと一緒に部屋を出る。  無言で歩くアリアーナの斜め後ろを、ちょこちょことついていく。 (どうして、お二人は仲が悪いのかしら…)  彩樹をいつも怒らせるアリアーナの皮肉も、他の者に向けられることはない。  アリアーナに対する彩樹は、普段以上に無愛想だ。  特に理由があるとも思えない。  単に、ウマが合わないということなのだろうか。  アリアーナは一姫を彩樹の寝室の前で待たせ、一人で中に入った。  室内は暗い。  わずかに開かれたカーテンの隙間から月明かりが差し込んでいるだけだ。  足音を殺し、そぅっと彩樹が眠っているベッドに近寄る。  広いベッドの端で仔犬のように丸まって寝息を立てている彩樹を見て、アリアーナはいたずら心を起こした。  彩樹に向かってそぅっと指を伸ばす。  人差し指が彩樹の鼻に触れる寸前、  アリアーナはいきなりその手首をつかまれ、ベッドに引き倒された。  彩樹は倒れるアリアーナと体を入れ代えてその上に馬乗りになると、身体の下に隠してあった短剣をアリアーナの首筋に突きつける。  冷たい鋼の刃の感触に、アリアーナの顔から血の気が引く。  怯えた表情のアリアーナを、ちょっと意外そうに見下ろす彩樹。 「なんだ、お前か。いったいどういうつもりだ?」 「そ、そ、それはこっちのセリフだっ! わたしを殺す気かっ?」  珍しく感情的な口調でアリアーナは叫ぶ。  その声がいくぶん震えている。  一瞬とはいえ彩樹に本気の殺気を向けられたことがよほど怖かったのだろう。 「人が寝てるとこに、ノックもなしに忍び込んでくる方が悪い。てっきり刺客かと思った」 「眠ってなんかいなかったくせに」 「寝てたさ。それでも人が近付けばわかる」 「どうでもいいが、いつまでわたしの上に乗っているつもりだ? さっさと降りろ、重いぞ」  最後の一言が余計だった。  少なくとも、思春期の女の子に対する言葉としては。  彩樹は、アリアーナの首に押し当てていた短剣を頭の上にかざすと、力いっぱい振り下ろした。  アリアーナの口から、「ひっ」とかすかな声が漏れる。  頬をかすめるようにして枕に突き刺さった短剣を横目で見るアリアーナの目には涙が浮かんでいた。 「いい加減にしないと、オレも本気で怒るぞ」 「まるで今までは本気じゃなかったような言い方だな」 「本気なら、こんなものじゃ済まない」 「どうなるんだ?」 「試してみるか? 自分の身体で」  彩樹の口元に、危険な笑みが浮かんでいる。  アリアーナはあわてて首を左右に振った。  彼女にとっては、兄たちが差し向ける刺客よりも、このボディガードの方がよっぽど危険な存在だった。  八 竜の湖の少女 「やっぱり、ファンタジーの基本は竜退治だと思いますの」  一姫は、必要以上に嬉しそうな表情でそう言った。 「物語の中の英雄たちの多くも、竜を倒してはじめて一人前の英雄となったのですわ」 「一人前も何も…半人前じゃ英雄にはなれないだろ?」  はしゃいでいる一姫とは対照的に彩樹はどことなく緊張した面持ちで、気のせいか顔色も良くないようだ。 「でも、ロールプレイングゲームの主人公なんて、レベル1の頃から自ら『勇者』と名乗っている者も少なくありませんわ。おかしな話ですけど」 「そういえばそ〜ね。レベル1の戦士なんて、要は新兵でしょ? そんなのが『魔王を倒して世界を救う!』なんてね〜。ホントにそんな奴がいたら、周囲から『なに寝言言ってんだこのバカ』って思われるのがオチだよね」  RPG談義を始めた一姫と早苗を無視して、彩樹は腕を組んで目をつぶる。  自分の置かれている状況が何もかも気に入らない。  竜退治に行く、という今回の目的も、いま自分が乗っている『乗物』も――。 「おい、あとどれくらいで着くんだ?」  彩樹は目を開けると、前の席で手綱を取っているアリアーナに訊ねた。 「もうあと二刻もかからん」  アリアーナは振り返りもせず答える。  彩樹はウンザリした表情になる。  あと三時間近くもこのままなのか、と。  この『乗物』は彩樹にとっては精神的な消耗が大きかった。  なにしろ、今いるのは大きな翼竜の背で、地面は百メートル以上も下にあるのだ。  翼竜は竜ではない。  文字通りの翼竜だ。  外観は、大昔に栄えたプテラノドンなどに似ているが、この世界の翼竜は爬虫類よりもむしろ哺乳類に近い生物らしい。  その恐ろしげな姿とは裏腹に知能が高くて人に馴れるので、一部の地方では騎乗用に飼い慣らしているのだ。  もっとも翼竜は数が少ないので、それを所有できるのは裕福な王族や貴族に限られる。  彩樹たち四人が乗っているのは、マウンマン王国が所有する翼竜の一頭だった。  彩樹はずきずきと痛む頭を抱える。 (もともとこの仕事は非常識だが…)  それにしても全長二十メートルもある翼竜に乗って、凶悪な竜を退治に行くなんてあんまりだ、と。 * * *  この国には伝説があった。  天上界からやってきた三人の天使と共に、国を荒らす竜を退治した王の伝説。  伝説は真実であり、代々の王は竜の封印を護り続けてきた。  王だけが、竜を封印する力を持っていた。  竜を封印する力のある者だけが、王と認められた。  王位を継ぐ者は、同時に封印の守護者の任も受け継ぐことになる。  だが、先王の死はあまりにも急であり、  そして…  封印は破られた。 * * * 「それにしても、四人だけで…」  相変わらず不機嫌そうに彩樹はつぶやいた。 「竜が相手では、何人いようと大きな違いはない。全てはわたしが竜を封印できるかどうかにかかっている。  失敗したら、四人だろうと千人だろうと全滅することに変わりはないのだから、犠牲は少ない方が良かろう」 「それにオレたちを巻き込むなっ!」  まるで人ごとのように淡々と語るアリアーナは、彩樹がどれほど怒鳴ろうとも気にもとめない。 「サイキたちは竜を見たことがあるまい? いい話のタネになるぞ」 「そんなもん、一生見たくなかったわっ!」 「え〜、面白そうじゃない」 「そうですわ。生きている本物の竜なんて、こんな機会でもなければ見ることはできませんもの」 「どうしておまえらはいつもそうなんだっ!」 「彩ちゃんてば怒ってばっかり」 「カルシウムが不足すると、怒りっぽくなりそうですわ。それとも、あの日…」  早苗と一姫の頭をどついてから、彩樹はまたアリアーナの方を向いた。 「だいたい、シサークの爺さんとかもなに考えてるんだよ? ただでさえ大変なときに…」  お家騒動を片付けるのが先ではないか、というのが彩樹の意見だ。  城内がごたごたしているときに、どうしてわざわざ竜を退治しに行かなければならないのか。  それでなくともアリアーナの身は危険だというのに。 「じいが言うには、こんな時だからこそ、だそうだ」  王はすなわち、竜を封印する者。  竜を封じることができれば、誰もアリアーナが王位を継ぐことに反対できなくなる、と。 (そりゃあ確かに…)  表だって反対はできないかもしれないが、かえって陰で狙われるだけでないのか…。  彩樹はそう思ったが、肝心のアリアーナが納得しているのだからどうしようもない。 「第一、お前が竜を倒せなかったらどうするんだよ?」 「大丈夫だ。わたしにできなければ、サルカンドやシルラートにもできるはずがない」  大丈夫どころか、それはそれでかえって大変なのではないか。  とは思ったが彩樹は口には出さずにいた。 「それに、辺境の村々が竜の被害に遭っているのも事実だ。王宮内がごたごたしているからといって、いつまでも放っておくわけにもいくまい」 「それにしても…」 「そういえば、出がけにサルカンドがわたしのところに顔を見せに来たぞ。――伝説の通り、天上界からやってきた三人の天使を引き連れての竜退治か。上手くいけばいいのだがね――と、皮肉たっぷりに。  確かに、なるほど、伝説にある天上界の天使とは、実はサイキたちのように異世界からやってきた者達を指しているのかもしれん。だとしたら、きっと上手くいく」 「ま、天使ですか? わたくしが? なんだか照れますわね」  頬に両手を当てた一姫が顔を赤らめ、彩樹は溜息をついた。 「オレはもう知らんぞ」  そう言ってごろりと横になる。 「ところでサイキ…」  翼竜の手綱を握っているため、ずっとこちらに背を向けてしゃべっていたアリアーナが肩越しに振り返って言った。 「サイキ、お前…先刻から顔が青くないか?」  ほとんどこっちを見てなかったくせに、どうしてわかるのか…。  彩樹がわずかにあわてたのは、早苗や一姫にもわかった。 「いや、別に…」  口ではそう言うが、確かに様子がおかしい。  怯えている…?  早苗と一姫は首をかしげた。  まさか竜退治が怖いわけではあるまい。  口ではなんと言おうと、竜はおろかゴジラが相手だって怯むような彩樹ではないのだ。  ではいったい…?  少し考えて、早苗はひとつ思い当たることがあった。 「…彩ちゃん、まさか、もしかして…」  え〜、うっそ〜、信じらんな〜い!  早苗がそんな表情で言う。 「彩ちゃんて、高所恐怖症?」  今度こそはっきりと、彩樹の顔色が変わるのがわかった。  早苗と一姫は驚いたように顔を見合わせる。 「ま、まさか、そんなわけないだろ…」  声が震えている。  もう一度顔を見合わせた早苗と一姫は、やがてぷっと吹き出した。 「あ、あ、彩ちゃんが、高所恐怖症ぉ?」 「それで、不機嫌そうな素振りをしていたんですのね」  彩樹としてはなにか言い返したかったが、この状況では何を言っても墓穴を掘ることになりそうだった。  それにしても…  早苗や一姫に笑われること、これはまあいい。  しかし、  こちらに背を向けている、アリアーナの肩がかすかに震えている。  これだけが彩樹には我慢がならなかった。 * * *  まばらに樹の生えた、小高い丘の上。  アリアーナはここに翼竜を降ろし、少し休憩することにした。  彩樹の容態が、そろそろ限界と思われたのだ。  なにしろ飛行機も苦手な彩樹である。  どうしても飛行機に乗らなければならないときは前夜に徹夜して離陸前に眠ってしまうことにしていたが、それでも、飛行機を降りてから数時間は具合が悪いのだ。  しかも、翼竜の背の上というのは、旅客機と比べてお世辞にも乗り心地の良いものではない。  地面に降りるなり彩樹は地面にひっくり返った。  早苗と一姫は楽しそうに翼竜と戯れている。 「これは意外だったな」  そばに座ったアリアーナが、普段どおり抑揚のない声でつぶやく。  彩樹はなにも言い返す気力もない。  いま望むことはただ一つ。  揺れない地面の上でゆっくりと眠ること。  彩樹はすぐに、静かな寝息を立て始めた。  何故か、夏休みに入ってからほとんど顔を合わせていない母親が夢に出てきた。  一時間くらいは眠ったのだろうか。  彩樹が目を覚ましたときは、すいぶんと気分も良くなっていた。 (あれ…なんか花の香り…)  半分だけ覚醒した意識の中で考える。  たしか周囲は一面の草原だったはず、花なんて咲いていたっけ――と。  こうして眠っているのが気持ちよくて、起きるのがなんだかもったいない。  ふわふわの草のベッドも、柔らかな枕も…。  枕――?  目を開けて、自分の頭の下にあるものを確認した彩樹は、あわてて飛び起きた。 「な、な、なんでお前が…」 「目が覚めたか。いくらか気分は良くなったか?」  花の香りと思ったのは香水。  いつの間にか彩樹は、アリアーナの膝枕で寝ていたのだ。 (ちょ、ちょっと待てよ。なんでオレが…)  何故、アリアーナの膝で寝ているのか。  一姫や早苗ならまだしも…。  戸惑う彩樹をよそに、アリアーナは相変わらず無表情で、その顔からはなんの感情も読みとれない。  立ち上がったアリアーナは、スカートに付いた草を両手で払って言った。 「具合が悪くないのなら、そろそろ行くとしよう。できれば今日中に片付けたいからな」 「あ、ああ…」  彩樹も立ち上がり、少し離れたところで横になっている翼竜へと歩いていく。  一姫と早苗が、翼竜の背に乗って遊んでいた。 * * *  マウンマン王国の北の端に連なる山脈の谷間に、ぽつんとひとつ、蒼い宝石のような水を湛えた小さな湖がある。  針葉樹の森に囲まれ、深い緑と、深い藍色のコントラストが美しい。  今日は、水面を乱す風もなく、まさに鏡のような水面に対岸の樹々ががくっきりと映っている。  それがあまりにも鮮明なので、どこまでが本物の森でどこからが水面に映った像なのかもわからないほどだ。  ここが――四人の目的地だった。 「ここが、竜が封印されていた湖だ」 「すっご〜い、きれ〜い。カメラ持ってくれば良かった」 「すてき…ですわね…」  風景に見とれた一姫がほぅっと小さく溜息をつく。 「どうでもいいけど…」  自分の身体を抱くようにして、彩樹が言った。 「ここ、少し寒くないか?」 「そういえば…」  ここは王宮よりも何百キロか北に位置するし標高もいくぶん高いが、それにしても極端な気温差だ。  タンクトップ一枚の彩樹の腕には鳥肌が立っている。  試しに水の中に手を入れてみた早苗は、あわてて手を引っ込めた。 「つ、冷った〜い!」 「当然だな。ここはつい最近まで凍りついていたから」 「凍って…? でも…」  三人は一様に訝しげな顔になる。  なにしろいまは真夏なのだ。  マウンマン王国の夏は、彼女らが住む札幌よりも暑い。 「竜を封印していたと言ったろう? 竜は、凍った湖の中に封じ込められていたんだ」  その頃、この湖の周囲は一年中冬のような光景だったという。  湖岸が石だらけで草が生えていないのもその名残なのだろう。  封印が破れると同時に氷は解けたが、湖の水温が上がるにはまだ時間が足りず、周囲の空気もこの冷たい水に冷やされているのだ。 「氷の湖に眠る竜…んん〜すてき! これぞファンタジー、って感じですわね」 「で、その肝心の竜とやらはどこにいるんだよ?」 「どこかその辺にいるだろう」  アリアーナがそう言い終わらないうちに、まるで陽が陰ったかのように周囲が薄暗くなった。  四人が空を見上げる。 「へぇ〜」 「まぁ…」 「ふむ」 「う、うわわわ〜っ!」  予想に違わず、巨大な竜が彼女たちに覆い被さるようにしていた。  早苗はぽかんと口を開けて見ているし、一姫は初めて見る竜に感動している。  アリアーナは普段どおり落ち着いていて、たぶん彩樹がもっとも常識的な反応を示していただろう。  彼女たちが乗ってきた翼竜でさえ、ちょっと気の弱い人間なら直視できないほど恐ろしげな姿をしているというのに、この竜は翼竜よりもふたまわり以上大きな身体で、姿はさらに兇悪だ。 「り、り、りゅ…竜っ?」 「そのくらい見てわからんか?」  慌てふためく彩樹も、決して怖いわけではない。  しかし、こういうことに関しては三人の中でいちばん常識人である彩樹にとって、目の前に全長三十メートル以上の竜が存在するという現実はそう簡単に受け入れられるものではなかった。  「姫様…あの竜、なんだかわたくしたちのことを睨んでいるみたいですわ」 「当然だな。若い人間の娘は竜の好物だ」 「それを早く言え〜っ!」 「見かけによらずグルメですのね」 「よ〜し、それなら先手必勝!」  早苗は愛用のMP5のセレクターレバーをフルオートにセットして引き金を引いた。  一姫が魔術師の杖を高く掲げる。  その先端にはめ込まれた魔光石の結晶から一抱えほどもある赤紫色の火球が飛び出し、竜の鼻つらで炸裂する。 「で、オレらはどうすりゃいいんだ?」  接近戦専門の彩樹が、途方に暮れたようにアリアーナを見る。 「そうだな、とりあえず逃げるか?」  アリアーナは彩樹の手を引いてその場を離れた。 「お、おい! 二人を置いて逃げてる場合じゃないだろ?」 「冗談だ。封印の準備ができるまで二人に時間稼ぎをしてもらう。サイキは私の側にいるといい」  百メートルちょっと離れたところでアリアーナは立ち止まり、どこからか十数本の短剣を取り出した。  柄の部分が美しい彫刻と宝石で装飾された短剣の一本を足元の地面に刺すと、そこからまるで歩測をするプロゴルファーのように正確に、きっかり三十五歩進んだ。  そして、三十六歩目の地面に二本目の短剣を刺す。  そこから今度は向きを変え、十七歩目で第三の短剣を刺した。 「おい…何やってんだ?」 「竜を封じるための結界を作っている。これは二百年以上も前から我が国に伝わる、由緒正しい魔法の短剣だ」  距離と角度を正確に計っては短剣を地面に刺す、という動作を続けながらアリアーナは彩樹の質問に答える。 「お前も…魔術師なのか?」 「一応、そういうことになるか。フィフィールやイツキのような一般的な魔術師とは、少し違う系統の力なのだが」 「どうでもいいけど、早くしろよ! あの二人だけじゃいつまでももたないぞ!」  竜との戦闘を続けている早苗と一姫の方を心配そうに見ながら、彩樹はアリアーナを急かした。  早苗は最初、いつも持ち歩いているMP5を使っていたのだが、人を殺さないようにわざと威力を落としてあるこの銃では竜に対して効果がないと悟ったのか、ライフルケースに入れて持ってきていた機関銃・M60に持ち替えていた。  本来ならスタローンかシュワルツネッガーのようなマッチョに似合いそうなごつい銃を、百五十九センチ四十八キロの早苗が平然と振り回している。 (ただの巨乳女ではなかったか…)  彩樹が妙な感心をする。  一姫はもっぱら攻撃を早苗に任せて防御に専念していた。  フィフィールから最初に習った魔法の盾を何枚も鱗のように重ねて出し、竜の炎の攻撃を防いでいる。  この数日間の練習によりフィフィールの最強の攻撃魔法すらも跳ね返せるようになった一姫の防御魔法であるが、竜の炎の直撃を受けるとわずか数秒ほどで蒸発してしまう。 「急げよ、アリアーナ!」  彩樹が叫ぶ。 「友達思いなのだな、サイキは」 「別にそんなんじゃね〜よ! あいつらがやられたら今度はこっちに来るだろ〜が!」 「そうか、わたしのことを心配してくれているのか」 「ち、違うっ!」 「まあ、そう心配することもない。あの二人は大したものだぞ。並の兵士なら三十人がかりだってとっくにやられているだろうな」 「いいからさっさとしろっ!」  あまりにも冷静なアリアーナの態度が、彩樹の癇にさわる。  実際にはアリアーナも精一杯急いではいるのだが、なにしろあまりにも冷静なので、とても急いでいるように見えないのだ。 「あまり急かすな。この結界は精度が大切なんだ。竜の封印に失敗したら元も子もないだろう…と、できた」  アリアーナは最後の短剣を地面に刺すと、小声でなにやら呪文を唱えはじめる。  やがて、短剣の柄にはめ込まれた魔光石が輝きだし、そこから放たれたレーザーのような光線が短剣同士を結んで、地面に複雑な幾何学模様を描き出す。 「よし、準備完了」  満足そうにうなずいたアリアーナは、結界のすぐ脇の地面に、直径一メートルほどの円を描いた。 「サイキはここに立っているんだ」  彩樹がその言葉に従うと、アリアーナの手の中に一振りの長剣が出現する。  白銀色の刃をした、女の子には不釣り合いな大きな剣だ。 「これを持って」  剣を彩樹に手渡す。  それは彩樹の肩を越すほどの長さがあって刃の幅も広い、まさに「だんびら」だったが、持ってみると意外なほどに軽い。  柄の部分に大きな魔光石の結晶がはめ込まれている。 「サイキは何があってもそこを動くなよ」  アリアーナが真剣な口調で言うので、彩樹も緊張した面持ちでうなずく。 「右手で剣を持って、真っ直ぐに竜に向かって突きつけろ」  彩樹が言うとおりにすると、アリアーナは彩樹の後ろ十メートルくらいのところに移動した。 「柄の親指に当たる部分に、小さなボタンがあるだろう?」 「ああ、あるな」 「それを押せ」  カチッ  それが何を意味するのか、深く考えずに彩樹がボタンを押すと、突然剣が大きなフラッシュでもたいたように発光し、その光は丸太ほどもある太いビームとなって百メートルほど向こうにいた竜の後頭部を直撃した。 「な、な、なんだよ、これっ?」  予想外の展開に狼狽し、彩樹は手の中の剣を見つめる。 「いまから二百年以上前の時代の大魔術師エトゥピルカンが作りだした、我が国で最高の魔剣だ。大したものだろう?」 「魔剣って…こりゃ飛び道具じゃね〜か! 剣の形をしている必然性がどこにあるんだっ!」 「なんとなく。その方が格好いいからな」 「あのな〜!」 「なに、その気になれば剣として使うこともできる」  アリアーナは平然と言う。 「それより、奴が来るぞ」 「え?」  見ると、それまで早苗を追い回していた竜は、その標的を切り替えたようだ。  その双眸が怒りに燃えているところを見ると、先ほどのビームは相当痛かったらしい。  しかし残念なことに、それは「痛かった」以上のダメージを与えてはいなかったらしく、単に竜の怒りに油を注ぐ結果となっていた。 「お、おい…」  こちらに向かって疾走してくる竜に、彩樹がたじろぐ。 「動くなと言ったろう」  あくまでも冷静なアリアーナ。 「そんな…」  全長三十メートル強、体重も数十〜数百トンはあると思われる竜が、こちらに全力で突っ込んでくる。  それは、想像を絶する光景だった。  彩樹がその場を動かなかったのは、別にアリアーナの言いつけに従ったわけではない。  単に、恐怖のあまり足がすくんでしまっただけだ。  怒りに我を忘れた竜には、彩樹以外のものは見えていなかった。  彩樹の後ろに立つアリアーナにも、自分の足元に広がる結界にも。  彩樹の目の前まで来た竜は後ろ足で立ち上がる。  彩樹の視点からはまるで巨大な崖のようにしか見えない。  立ち上がった竜は前足を広げて、そのまま彩樹を踏み潰そうとした。  彩樹が思わず目をつぶったその瞬間、  アリアーナの作った結界が、目も眩むばかりの純白の光を放つ。  竜は後ろ足で立ち上がったまま動きを止め、その巨体を光が包み込む。  それは彩樹には何分ものことに思えたが、実際にはせいぜい十秒ちょっとのことだろう。  やがて、霧が風に吹き払われるかのように光が消え去ると、そこには巨大な氷塊に包み込まれた竜の姿があった。  怒りの形相で立ち上がったそのままの姿で凍りついている。  周囲の空気が急激に冷やされて薄いもやとなり、ドライアイスの煙のように周囲を漂っている。  結界の周囲の地面も、真っ白に凍りついていた。 「どうだ、すごいものだろう?」  アリアーナが、これも凍りついたかのように立ち尽くしていた彩樹の肩にぽんと手を置く。  彩樹はそのまま数秒間じっと竜を見つめていたが、いきなり振り向いて叫んだ。 「こ…怖かったじゃねーか! バカ野郎っ!」  その目がわずかに涙ぐんでいるのに気付いて、珍しくアリアーナは口元に笑みを浮かべて言った。 「この間の夜のお返しだ」 * * * 「ふわぁ…すご〜い」 「なんだか、幻想的ですわね」  早苗と一姫が凍りついた竜を見上げている。 「あとはこいつを湖に沈めて、湖全体を氷に閉じこめてしまえば封印は完成だ」  そう言ってアリアーナは魔術師の杖を取り出す。 「それにしても…、こうしてあらためて見ると、ホント大きいね〜。こんなすごい奴をウチらが退治したなんて、なんか信じらンない」 「これも、サイキの活躍のおかげだな」 「てめえ、オレを囮にしただろ!」  いまだ竜に対して恐怖感があるのか、彩樹は竜や早苗たちから数メートル離れて立っている。 「一番向いていると思ったのだが」 「誰がっ!」  アリアーナを睨み付けて、さらに文句を言おうとした彩樹の表情が一瞬凍りついた。  その視線は、アリアーナの背後に注がれている。 「あ…危ないっ!」  彩樹はアリアーナに覆い被さるようにして地面に押し倒した。  そして、次の瞬間…  無数の銃声が、竜の湖を囲む山々にこだました。   九 怒れる少女  それは、実際にはほんの数秒間のことだったのだが、アリアーナにはまるで時間がゆっくりと流れているかのように見えた。  アリアーナを押し倒し、覆い被さるようにして庇う彩樹。  周囲の丘の上に並んだ、銃を持った何十人もの兵士。  鏡のような湖面に響き渡る銃声。  腕に、焼かれたような痛みが走り、彩樹の身体から血飛沫が飛び散る。  なにか叫びながら、早苗が銃の引き金を引いている。  兵士たちの幾人かはその銃弾に撃ち倒され、残った者の多くはフルオートで撃ち込まれる魔光弾に怯えて地面に伏せる。  勇敢な、あるいは無謀なほんの数人が怯まずに第二射を撃ってくるが、これは一姫が作りだした魔法の盾にはじかれる。  一姫が高く掲げた杖の先から放たれた純白の光線は、彼女たちを狙っていた兵士の一人を貫く。  早苗はまだ引き金から指を離さず、射線上にいた数人の兵士が銃を放り出して物陰に隠れる。  彩樹の下敷きとなったアリアーナの目には、これらの光景は妙にゆっくりと映っていた。  やがて、彩樹が地面に両手をついて身体を起こす。 「怪我はないか?」 「大丈夫…かすり傷だ」  彩樹の問いに、アリアーナはそう答える。  先ほど腕に痛みが走ったが、それは銃弾がかすめただけで直撃ではない。 「そうか…良かった…」  口元に微かな笑みを浮かべて、起きあがろうとする彩樹。  その口の端から、一筋の血が流れる。 「サイキ…?」  まるでスイッチが切れるかのように、彩樹の身体からふっと力が抜け、そのままうつ伏せに倒れた。 「さ…サイキ!」  アリアーナはあわてて身を起こした。  彩樹の背中はべっとりと血で濡れていて、服はボロボロになっている。 「サイキ! おい、サイキ!」  悲鳴のようなアリアーナの呼びかけにも応えない。  傷口と口から流れだした血が、ゆっくりと地面に広がっていた。 「彩ちゃん…?」  銃を撃つのをやめた早苗が、呆けたような表情で振り返る。 「イツキ! すぐにサイキの手当を!」 「はい! …あ、でも…盾が…」  治癒の魔法も学んでいた一姫だが、それに集中するためには同時に魔法の盾を展開することはできない。  この状況で盾を解除することは自殺行為だった。  しかし、 「そんなもの放っておけ! 早くしろ! サイキが死んでしまう!」  アリアーナの叫びに促され、一姫は彩樹の元へ駆け寄る。  一目その容態を見ただけで、一姫の顔から血の気が引いた。 「…彩樹さん!」  命に関わる怪我…それは一姫にもすぐにわかった。  泣きそうな表情でアリアーナと早苗を見る。 「サイキ…?」  力のない声でつぶやくと、アリアーナは背後の丘を振り返った。  丘の上の兵士たちを睨み付ける。  まったく無防備なアリアーナを見て、また兵士たちが銃を構えた。 「姫様、危ない!」  アリアーナの腕を掴んで物陰へ連れていこうとした早苗は、びくっとその手を引っ込めた。  いつも無表情なアリアーナの顔が怒りで歪んでいた。 「サナエは下がっていろ。あいつらはわたしが許さん」  喉の奥から絞り出すような低い声でつぶやく。 「貴様ら、よくもサイキを…」  アリアーナの背後で、崖崩れでも起きたかのような音が響いた。  銃を構えてアリアーナに照準を定めていた兵士たちは驚きの表情を浮かべ、思わず引き金から指を離す。  アリアーナの背後で、巨大な影が動き出していた。  粉々に砕け、崩れ落ちた氷塊の中から、竜がその姿を現した。  すぐさま逃げ出した兵士は一番賢かったと言えるだろう。  しかし、幾人かは新しい目標に向かって反射的に引き金を引いてしまい、自分達が敵であることを竜に知らしめる結果となった。  竜が怒りの咆哮を上げる。  もう、アリアーナたちを護る盾は必要なかった。  彼女たちに構っている余裕のある者など残ってはいない。  ただ、死にものぐるいに逃げるだけ。  アリアーナたちは竜の足元にいたために、かえって竜の視界から外れる結果となった。  竜は足元の少女たちに気付かず、少し離れて彼を取り巻いていた兵士たちに襲いかかった。  クモの子を散らすように逃げまどう兵士たち。  もう誰も反撃などしない。  何もかも放り出して、ただ一目散に逃げるだけ。  この世界の者にとって、竜とはそれほど圧倒的な存在なのだ。  五分後にはもう、見える範囲で動くものはいなかった。  竜も、逃げた兵士たちを追ってどこかへ行ってしまった。  あとに残ったのは、湖のほとりの四人の少女だけ。  早苗は、この光景を呆然と見つめていた。  アリアーナの瞳は、さきほどまでの竜と同じくらい怒りに燃えている。  これほど感情をあらわにしたアリアーナを見るのは初めてだった。 「…サイキの様子は?」  ふと我に返ったように、アリアーナが一姫に訊く。  一姫は泣き顔で首を振った。 「一応、手当はしましたけど…、こんなひどい怪我、わたくしの魔法ではとても治せませんの。すぐにもフィフィールさんか、ちゃんとしたお医者様に診ていただきませんと…」 「そんな…彩ちゃん…」  絶望したような声で早苗がつぶやく。  彼女たちが乗ってきた翼竜は、竜と戦っていたときの騒ぎでいずこかへ飛び去ってしまっていた。  兵士たちが乗ってきた馬がまだそのあたりに残っているかもしれないが、馬ではこの森を抜けて一番近い大きな街まで、一日や二日では辿り着けない。  アリアーナは唇を噛んで、意識のない彩樹を見下ろしている。 「…ひとつだけ、心当たりがないわけでもない」 「どこです?」  アリアーナはそれには答えず、おとがいに手を当ててなにか考え込んでいる。 「…とにかくまず、馬を探そう。私たちだけではサイキを運べないからな」 * * *  森の中の細い道を、二頭の馬が連なってい歩いている。  前の馬に、アリアーナと意識のない彩樹。  後ろの馬に、早苗と一姫。  誰も、口をきかない。  ただ、ひづめの音だけが規則正しく響く。  夕陽が、西の山陰に隠れる頃、森が切れて小さな砦が見えてきた。 「姫様、あれは…?」 「このあたりの森はシルラートの猟場なんだ。あの砦は、まあ別荘代わりだな。普段は留守を守る者が数人いるだけだが、いまはシルラート本人が来ているはずだ」  その言葉に、早苗と一姫は目を丸くする。 「どうして…」 「わたしが竜の湖に来ているからな。必ず様子を見に来ているはずだ」  アリアーナは後ろを振り返りもせずに答える。 「じゃあ…先刻の兵たちもシルラート様の…?」 「それはどうか知らん。確率は二分の一だな、シルラートかサルカンドか…。いや、二人が共謀して、ということも考えられるか」 「そんなところに行くつもりなんですか? 殺されますよ! 向こうは姫様の命を狙っているのに、自分から相手の手の中に飛び込むような真似…」  早苗は思わず大きな声を出す。  しかし、アリアーナは平然と答える。 「だが、そこなら医者か正規の魔術師がいるだろう。他に、今日のうちに辿り着けるところでサイキの手当てができるところはない」 「だからって…」 「大丈夫だ。心配はいらん」  アリアーナはそう言うと、馬を降りて門の前に立った。  その建物は、古い砦を普段の生活向きに改装したものらしい。  周囲には小さな堀があるが、門の前の跳ね橋は降りたままだ。  アリアーナの顔を見た門番は、ひどく驚いた様子で伝令を出す。  アリアーナは平然と進んで行くが、早苗と一姫は緊張で身体を固くしていた。  この砦、小さいとはいっても数百人の兵を収容することはできる。  もしもシルラートが良からぬ考えを持っていれば、二人だけでアリアーナを護ることは不可能だ。  しかし、砦の中に入ったアリアーナを出迎えたのは、武器を構えた兵士の列ではなく、彼女の兄、シルラート・シリオヌマン本人だった。  普段着のままで、武器を身に付けている様子はない。  口元には微かに笑みを浮かべているが、その目つきは鋭く、どちらかといえば精悍な顔つきだ。  黒髪で、前髪を目にかかるくらい長く垂らしているところなど、少し彩樹に似ている。  シルラートは早苗を見て一瞬眉をひそめたようだったが、何事もなかったかのようにアリアーナに向き直る。 「君の方から私を訪ねてくるとは珍しいな、アリアーナ。どうしたのかな」 「しらばっくれるな。どうせみんな知っているのだろう?」  静かな口調でゆっくりと話すシルラートに対し、アリアーナはやや怒ったように早口で言う。 「命を狙われて、護衛の一人が重傷を負った。その治療をして欲しい…と?」 「そこまでわかっているなら話は早い。用心深い兄上のことだ、医者くらい連れてきているのだろう? 今すぐサイキの手当をしろ」  たたみかけるように言うアリアーナに向かって、シルラートはわずかに肩をすくめてみせる。 「どうして私が? 私やサルカンドにとっては、君の護衛が一人減る…それも一番手強い相手が…、それは好都合なことだとは思わないか?」  その言葉に、早苗と一姫がぴくりと反応した。  やはり、この男の差し金だったのか…。  どうすればいい?  どうすればこの状況でアリアーナを護れる?  こんな時、彩樹ならどうする…?  早苗は前に出てアリアーナを庇おうとしたが、アリアーナは手でそれを制する。 「ただでとは言わん。わたしと取引しないか?」 「取引?」  意外そうにシルラートが聞き返す。 「サイキの命と、王位を引き替えというのはどうだ?」  アリアーナを除く、その場の全員が仰天した。  早苗も、一姫も。  いつもポーカーフェイスのシルラートですら、驚きを隠しきれずにいる。 「…いったいどういう…、いや、落ち着いた場所で話をしよう。怪我をした娘は中へ運ぶといい。とりあえず手当はさせる」 「…で、いったいどういうつもりだ、アリアーナ?」  応接室で二人きりになったところで、シルラートが先に口を開いた。  早苗はアリアーナに付いてきたがったが、アリアーナはそれを許さずに彩樹のそばに付き添うように命じていた。  シルラートも誰も同室させようとはせず、お茶を運んできた侍女が下がった後は二人きりになった。 「どうもこうも、先刻言ったとおりだ。サイキを助けてくれたら、兄上に王位を譲ってもいい」  アリアーナは静かに言った。  シルラートはこの妹の真意を計りかねて、ティーカップを口に運んで時間稼ぎをし、次に言うべき言葉を探した。 「…そうまでしてあの娘を助けたいと?」 「そうだ」 「しかしそれでは、あの娘が身を挺してアリアーナを助けたことが無駄にはならないか?」 「無駄? 何を馬鹿なことを」  お茶を一口すすると、アリアーナは言葉を続けた。 「サイキが護ろうとしたのはわたしの生命であって、私の地位ではない」  その言葉にシルラートははっとした表情を見せる。 「なるほど、そう言う考えもあるか…。もう一度確認するが、そうまでして助けたいのか? たかが護衛の娘一人のために、王位を投げ出すと?」 「そうだ。兄上もいちいち刺客を送る手間が省けるだろう?」  そう言うアリアーナの表情には、少しも深刻な雰囲気はなかった。  その後、しばらく沈黙が続いた。  アリアーナが何を考えているのかはわからなかったが、シルラートにはいろいろと考えなければならないことがあった。  考えて、考えて、カップが空になる頃やっと結論が出た。 「君らの友情には感服するが…」  カップをテーブルに置きながら、シルラートは言った。 「いらん」 「は?」  今度は、アリアーナが驚く番だった。  一瞬、自分の耳を疑う。 「王位などいらない。少なくとも、今のところはな」  シルラートはそう言うと、さきほどまでとは少し違った、子供っぽい笑いを浮かべた。 「王位を譲られて、今度は私がサルカンドの刺客に狙われるのか? 自分だけではなく、大切な者の生命まで危険にさらして…。私はごめんだね。その役は君に任せる」 「それじゃあ…」  アリアーナは戸惑っていた。  今のところ、彼女は他に取引の材料を持ってはいないのだ。 「王位はしばらく君に預けておく。しかしあの娘は助けるし、君たちも城まで安全に送ってやろう」  シルラートの表情はどことなく、いたずらを思い付いた子供のように見えた。  それが、アリアーナには不安だった。  この兄は、こういうときこそなにかとんでもないことを企んでいるのだ。 「…いったい何を企んでいる?」 「さあ、ね」 「では、ひとつ教えてほしい。あれは、兄上が命じたのか?」  「信じるかどうかは君の勝手だが、私じゃない…少なくとも今回はね。ちょっと用事を思い出した。すぐ戻るから待っていてくれ」  シルラートはそう言って席を立つ。  警戒しながらも、アリアーナは小さくうなずいた。  なんの代償もなしに、彩樹を手当てし、彼女たちを城まで送ってくれるという。  彼女の知る兄は、そんなにお人好しではないはずだった。  アリアーナが見る限り、シルラートは絶対に何かを企んでいる。  それがアリアーナにとって害になることかどうかはわからなかったが。 * * *  彩樹は眠っていた。  呼吸もずいぶん落ち着いている。  手当てをしたシルラートの従医の話では、もう命の心配はないということだった。  しかし、付き添っている早苗と一姫の顔には安堵の色は見られない。  まだ、アリアーナが戻っていないからだ。  サイキを助けれくれたら王位を譲ってもいい――そんなアリアーナの言葉は二人にとっても意外なものだった。  これまで、彩樹とアリアーナの間にはどう見ても友好的な雰囲気はなかったのだから。  それを言ったら、彩樹が命懸けでアリアーナを護ったのも意外といえば意外だったが。 「でも、そんなところが彩樹さんらしいんですよね」 「実は、ウチらが思っているほど仲悪くないのかもね、この二人」  そう言うと、早苗は立ち上がった。  アリアーナの戻りが遅すぎるので、様子を見に行くつもりだった。  一姫を彩樹のそばに残して廊下に出る。  見たところ、見張りなどもいないようだ。  勝手が分からないので周囲に気を配りながらそろそろと進んでいくが、人の気配はほとんどない。  どうやら、砦の中は思ったより人が少ないらしい。 (だとすると、先刻の兵たちはここにいるわけじゃないのかな…。まさかみんな竜にやられたわけじゃないだろうし)  そんなことを考えながら角を曲がったところで、いきなり一人の男性と出くわした。 「あ! え…。あ、あなたは…」 「おや、こんなところで何を…。ああ、アリアーナが心配で様子を見に来たのか?」  そこにいたのは、アリアーナと一緒にいるはずのシルラートだった。  早苗は思わず、反射的に銃を構えようとして、それを部屋に置いてきてしまったことを思い出す。 「あ、あ、あの…」 「アリアーナは向こうの部屋にいる。心配しなくても、なにも危害を加えたりはしていないよ」  シルラートは口元に笑みを浮かべて言った。 「それより、あの娘の容態はどうなんだい?」 「え、えと…あの、と、とりあえず、命の心配はない、と…」  早苗は緊張のあまりどもりながら答える。 「そうか、それは良かった」  どこまでシルラートの本心かわからないが、少なくとも表面上は敵意は感じられない。  それが逆に、早苗の不信感を煽った。 「あの…、え〜と…その…」 「君は…サナエ、だったな。そんなに警戒することはない」  シルラートは早苗を安心させるためか、そう言いながら小さく両手を広げて見せた。 「私はアリアーナに危害を加える気はない。怪我をした娘が起き上がれるようになったら、君たち四人を城に送ってあげよう。それに、王位はいまでもアリアーナのものだ。私はそれを奪うつもりはない」 「え…? あ、あの…、でも…」  シルラートの発言はあまりにも予想外のもので、早苗はすぐには意味を理解できなかった。  頭の中で何度も、シルラートの言葉を反芻する。  姫様に危害は加えない?  彩ちゃんの手当てをしてくれて、起き上がれるようになったらウチらを城まで送ってくれる?  姫様から王位を奪う気はない?  それはつまり…  そんなバカな――?  早苗の認識では、アリアーナの兄、サルカンドとシルラートは敵であるはずだった。  自分達を差し置いて後継者に選ばれた妹を亡き者にして、王位を奪おうとしている、と。  だからこそ、早苗は塔の上から狙撃しようとしたり、シルラートに銃を突きつけて脅したりもしたのだ。  しかしいまの発言は…?  アリアーナの護衛である早苗たちを謀るために口から出まかせを言っているという可能性もあったが、早苗にはそうは思えなかった。  精悍な、悪く言えばきつい顔立ちのシルラートだが、いまは精一杯の優しげな笑みを浮かべている。 「あの…、シルラート殿下は、姫様の敵だと思ってました…」  戸惑いがちに早苗は言う。 「そんなことはない」  シルラートは、さも心外だといった風に首を振る。 「私にはこれっぽっちもそんなつもりはない。しかし…側近の中には、私を王位につけたがっている、あるいは私が王位につきたがっているのではと誤解している者がいるかも知れない。その者たちが先走ってアリアーナや君たちに迷惑をかけていたら申し訳ないが」 (ウチら…姫様も含めて、みんな誤解してた? シルラート様って、実はいい人じゃん。実際、彩ちゃんは手当てしてくれたんだし…)  シルラートは真っ直ぐに早苗を見ている。  早苗には、嘘偽りを言っているようには見えなかった。 「えっと…、じゃあ、ホントに?」 「もちろんだとも。私がいまさら良からぬことを企むはずがないだろう。第一、君に釘を刺されたばかりじゃないか」  それを聞いて早苗は思わず赤くなった。  そうだ、シルラート様が姫様の敵と信じて、銃を突きつけて「姫様に手を出すな」と脅したんだっけ。  こんないい人にそんなことをしたなんて…。  思い出すと、恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。  穴がなければ、いっそ自分で掘って埋まってしまいたい。 「あ、あ、あのっ、すみませんでした!」 「いいさ。君の立場を考えれば仕方のないことだ」  シルラートは笑って応える。 「私がサナエを怒らせたり、悲しませたりするようなことをするわけがないじゃないか。君は怒っている顔も魅力的だが、笑っている顔はその何倍も素敵だ」  シルラートは早苗の肩にそっと手を置き、耳元で囁くように言った。  早苗の頬が朱に染まる。 「私にとっては、王位などよりサナエの笑顔の方がずっと価値がある」 「あ、あ、あの…それって…」  これまた予想外の展開に、早苗はなんと言ったらよいかわからなかった。  早苗の恋愛感情は、彩樹などとは違って比較的ノーマルだし、よく考えてみればシルラートはなかなかの美形なのだ。  男子にはけっこうモテる早苗だが、美形の、しかも王子様に口説かれるなどというのはもちろん初めての経験だった。  足が地に着かない気持ちで、ぽ〜っとした表情でシルラートを見つめている。  そんな早苗を正気に戻したのは、シルラートの背後から聞こえてきた冷静な声だった。 「なるほど…それが狙いだったか」  そこに、相変わらずの無表情で、腕を組んだアリアーナが立っている。 「姫様っ!」 「アリアーナ、部屋で待っているようにと言っただろう」  シルラートが忌々しげに言いながら振り向く。 「なに、兄上が何を企んでいるのかわかったのでな。急いで追ってきた」 「企むって…姫様?」 「実はなサナエ、兄上は…」  アリアーナは早苗に向き直って言った。 「ものすごい、女たらしなんだ」 「…!」  十数秒間、沈黙がその場を支配した。  目を白黒している早苗がアリアーナの言わんとするところをある程度理解したところで、彼女は言葉を続けた。 「王位はいらない、サイキは手当てしてくれる――今日に限って妙に親切だと思ったが、物わかりのいい親切な男の振りをして、サナエをたらし込もうとは…。相変わらずガールハントには手段を選ばない男だな」  やや皮肉めいたアリアーナの台詞に、シルラートは小さく舌打ちをする。 「父上が、兄上を跡継ぎに選ばなかった理由がこれだ」  アリアーナはさらに言葉を続けた。  早苗はなにも言えずに呆然としているだけだ。 「女好きはまあいいとしても、兄上にとっては国のことや国民のことよりも、一人の女性を口説くことの方が大切なんだ。そんな人物に国を任せるわけには行くまい? まあ、『王位などよりサナエの笑顔の方がずっと価値がある』という台詞はその点、あながち嘘ではないな。しかし、ジゴロにはいいかもしれんが、国王向きの性格ではない」 「あの…、それじゃあ…」  自分は騙されていたのか?  いや、別にシルラートは嘘は言っていない。  しかし…  先刻は一瞬、誠実そうに見えたのに実はものすごい女たらし?  そんなぁ… 「兄上には気をつけた方がいいぞ、サナエ。  この顔と台詞に騙されてうっとりしていると、次の瞬間にはベッドに連れ込まれているからな」 「人聞きの悪いことを言うな! それにしてもどうして私の狙いがサナエだとわかったんだ?」 「わからいでか。兄上の好みくらい」  そう言うとアリアーナは早苗の顔を見た。  その視線をちょっと下にずらして、それから意味深な笑みを浮かべてまた早苗の顔を見る。  その動作で早苗にもわかった。  ズバリと核心をつく。 「つまり、シルラート様は巨乳好きなんですね?」  半ば呆れたような早苗の口調だった。 * * * 「やっぱり、ちょっと悪いことしたかなぁ?」  独り言のように早苗はつぶやいた。 「思わず、ひっぱたいちゃったもんなぁ」 「な〜に、あの女たらしにはいい薬だ」  翼竜の手綱を取っているアリアーナが応える。  あれから三日、ようやく彩樹が起き上がれるようになったので、四人はシルラートが用意してくれた翼竜で城に帰るところだった。 「でも、ちょっともったいないですわね。玉の輿じゃありませんの」 「ん〜、やっぱり、もったいなかったかな」 「でも、もうキスはしたんですよね?」 「え? いや、でも、あれは…ほら…、竜を封印するために、シルラート様の助けが必要だったし…」  アリアーナは城に帰る前に、彼女が解き放ってしまった竜を再び封印しなければならなかった。  まだ動けない彩樹に代わって、アリアーナの手助けをしたのがシルラートだ。  彼もまた王家の血を引く者であり、アリアーナほど強いものではないにしろ、『封印の力』を受け継いでいたから。  二人の力により竜の湖は再び氷に閉ざされたのだが、シルラートは力を貸すにあたってひとつの交換条件を提示していた。  つまりそれが『早苗のキス』なのである。 「仕方ないじゃない? あの場合…」 「仕方ないという割には、さほど嫌そうではなかったな」 「そんなことありませんってば!」  早苗の大声に、それまで眠っていた彩樹が目を覚ましかけて寝返りをうつ。  早苗はあわてて口を押さえた。  彩樹はまだ完調ではなく、翼竜に乗っての長距離の移動も負担が大きいのだ。  一姫が人差し指を唇に当てる。 「それにしても、あの時のシルラートの驚き様は見物だったな」 「え? なんの話ですの?」  その場にいなかった一姫が首をかしげる。 「サナエが、この世界の人間ではないと知ったときだ。シルラートが仰天したところなど、そうそう見れるものではない。あれは傑作だった」 「姫様がいけないんですよ。そんな大事なことを秘密にしているなんて。驚くのが当たり前じゃないですか」 「大事なことだからこそ秘密にしているのだ。サイキたちの素性を知っているのは、わたしの他、じいとフィフィールくらいのもの…」  アリアーナはそこまで言って、不意に口をつぐんだ。 「姫様、どうしましたの?」  そう訊ねる声にもすぐに応えず、なにか考えている。 「…いや、なんでもない。城が見えてきたぞ」  アリアーナが指差す方向にぽつんと、王宮の真白い建物が見えてきていた。 * * *  アリアーナは翼竜を巧みに操って城の中庭に着地させた。  翼竜の背から降り立った四人を、城の人々が出迎える。  早苗が彩樹に肩を貸しているので、早苗がいつも肩から下げている銃は代わりにアリアーナが持っていた。 「姫様、よくぞご無事で…」  フィフィールと共に人波の先頭にいたシサークがそう言いかけた瞬間、中庭に銃声が響いた。  突然の出来事にあちこちで悲鳴が上がる。  頬をかすめた魔光弾に肝をつぶしたシサークは、一瞬遅れて腰を抜かしたように尻餅をつく。  彩樹たち三人も驚いていた。  アリアーナが突然、持っていた早苗のMP5をシサークに突きつけて引き金を引いたのだ。  平然としているのは二人だけ。  アリアーナ本人と、シサークの横に立っていたフィフィールだ。 「竜にわたしを殺させるという当てが外れて残念だったろう、じい?」  相変わらず感情の感じられない口調でそう言うと、アリアーナはもう一度引き金を引いた。  地面についたシサークの手の横で銃弾が弾ける。  シサークはあわててその手を引っ込めた。 「アリアーナ、お前何を…その爺さんはお前の…」  お前の側近だろう?  そう言って止めに入ろうとした彩樹を、アリアーナは片手を上げて制する。 「姫様、いったい何を…。私に銃を向けるなどと…」  そう言うシサークの声はいくぶん震えていた。 「将来、王位を巡るライバルとなるかもしれない相手の元に、いざというときに備えて何年も前から自分の手の者を送り込んでおく…ずいぶんと気の長い計画だな」 「い、いったい何を言っておられるのです、姫様…?」 「わたしの護衛に、異界の者を雇うことを提案したのはじいだったな」  アリアーナの言葉のあとを、フィフィールが継ぐ。 「一応、理屈は通りますよね。異界から来た者は一般に、優れた能力を持ちますから。  でも、普通に考えれば、この状況で一番大切な資質は姫様に対する忠誠心でしょう? 国はおろか、住む世界すら違う者にそれを期待するのですか?」 「しかし…」  普段はどちらかといえばおっとりとした雰囲気のあるフィフィールが、いつになく厳しい目をして言った。 「大変な今の時期に、竜を封印することを提案したのもシサーク殿でしたね。確かに、凶暴な竜をいつまでも野放しにしておくことはできませんが、少人数で辺境にある竜の湖まで赴けば、どうぞ襲ってくださいと言っているようなものでしょう?」 「サイキたちが思いのほか有能で城での襲撃に失敗したから、大人数をけしかけられる場所へ誘い出したというわけだ」  そう言うとアリアーナはもう一度発砲した。  今度はシサークの足の間で銃弾が弾け、シサークは尻餅をついたままずるずると後ずさった。 「ご、誤解です。私はいつも姫様のためを思って…」  泣きそうな表情で弁解するシサークを鼻で笑って、アリアーナは周囲を見回した。  周囲の者は、彩樹たちも含めてただ呆然と三人を見つめている。 「サルカンドが見当たらんな? どこへ行った?」 「さ、さあ、それは…」  シサークの額から、一筋の汗が流れ落ちる。 「サイキたちが異世界から来たと知っているのは誰だ? わたしと、じいと、フィフィールだけのはずだ。他の者にはサイキたちの素性は秘密にしていた」 「そ、その通りです」 「だったら…」  アリアーナはすっと目を細めた。  親指で、銃のセレクターレバーを「フルオート」に切り替える。 「何故、サルカンドがそれを知っていた? わたしが見ていないところで、じいが誰と会い、何を話していたか、わたしが知らぬとでも思ったか? なんのために、わたしがフィフィールを竜の湖に連れていかなかったか、考えなかったようだな」  一瞬のことだったが、シサークの顔にはっきりと「しまった」という表情が浮かんだのは、彩樹たちにも見て取れた。  アリアーナの表情が、やや厳しいものになる。 「今までは、まあ目をつむってきた。サルカンドもいずれ諦めると思っていたからな。だが、わたし以外の者にまで危害が及ぶとなれば、見過ごすことはできんぞ」  そう言うなり、アリアーナは引き金を引いた。  周囲で立て続けに銃弾が弾け、シサークは小さく悲鳴を上げながら頭を抱えて丸くなる。  単発の銃しかないこの世界で、早苗が改造した電動フルオート魔光銃は人々を怯えさせるには十分すぎる威力を持っていた。  弾倉に収められた二百発以上のの魔光石の結晶が、毎秒十六発ずつのエネルギー弾と化して撃ち出される。  アリアーナは引き金を離さない。  わざと外しているのか、単に狙いが下手なだけなのか、シサークに直撃した魔光弾は一発もないが、何発かは腕や足をかすめたものもあるようだった。  その度にシサークは大げさにびくりと身体を震わせ、情けない悲鳴を上げる。  アリアーナは銃を撃ち続ける。  口元に、かすかな笑みを浮かべながら。  やがて弾倉が空になり、アリアーナはようやく引き金から指を離した。  シサークは特に怪我もしていないはずだが、その顔色は死人並に血の気がない。  その周囲の地面はまるで蜂の巣だ。  銃声が止んで、中庭は静寂に包まれる。  アリアーナは銃を下ろし、熱っぽい瞳で、感極まったように小さくほぅっと溜息をついた。 「カ・イ・カ・ン…」 「てめ〜は、昔の薬師丸ひろこかぁぁっっっ!」  衆人環視の前で、思わずこの国の次期女王にツッコミの飛び蹴りを入れてしまう彩樹だった。  十 少女たちの微笑み  カラン…  アイスカフェ・オレが半分くらい残っているグラスの中で、氷が小さな音を立てる。  彩樹は頬杖をついて、窓の外を見つめていた。  特に何を見ているというわけではない。  ただ、ぼんやりとしているだけ。  今日もよく晴れていて強い陽射しが照りつけているが、屋内は冷房が効いているし、内と外とを隔てているガラスは濃い色付きのうえ二重になっているから、外の暑さも彩樹には関係がない。  視線を移すと、この喫茶店のマスターである晶が、カウンターに座って本を読んでいた。  彩樹の他に、客は誰もいない。  ここは、彩樹の家の近くにある喫茶店『みそさざい』。  彩樹は時々ここにコーヒーを飲みに来るのだが、いつ来ても客がいるときの方が少ないほどで、よくこれで商売が成り立つものだと人ごとながら心配になる。  しんとした店内には、古い振り子時計の音だけが静かに響いていた。  この店の中はなんとなく時間がゆっくりと流れているような雰囲気があって、彩樹はそれが気に入っている。 「彩樹ちゃん、お代わり、いる?」  本から顔を上げて晶が訊ねる。  彩樹は小さくうなずいた。  他に客がいないとき、晶はよくこうしてお代わりをサービスしてくれる。  本当に、これでどうしてやっていけるのか不思議だったが、彩樹が小学生の頃からずっとこんな調子なのだから、まあ何とかなっているのだろう。 「はい、どうぞ」  晶が新しいグラスをテーブルに置く。 「ありがと」 「そういえば彩樹ちゃん、夏休みに入ってからずっと顔を見せてなかったわね。なにやってたの?」 「ん…ちょっと、バイト」  ストローをくわえたまま彩樹は答える。 「アルバイト? なんの?」 「お姫様のボディガード」  一瞬、怪訝そうな顔をした晶だったが、 「彩樹ちゃんにぴったりね」  冗談だと思ったのだろう。  ふふっと笑うと、またカウンターに戻って読書の続きをはじめた。 (そういえば、外に出るのも久しぶりだな…)  こちらに戻ってから何日間か、彩樹は家でぼ〜っと過ごしていた。  怪我はもうすっかり治っているし、魔法を用いた治療のおかげで傷跡も残っていないのだが、なんとなく身体がだるくて、出歩く気になれなかったのだ。  あるいは、向こうにいる間ずっと精神を張りつめていた反動かもしれない。  なんの緊張もなしにのんびり過ごせるというのはいいものだ。  彩樹がこのまま昼寝でもしようかと思ったとき、 「あ、彩ちゃん。こんなところにいた〜!」 「まあ、探してしまいましたわ」  そんな声を上げながら、店内に入ってきた二人の少女がいた。 「も〜、探したよ。家に電話しても出ないしさ〜」  早苗が口を尖らせる。 「なんか用か?」 「わたくしたち、彩樹さんをお誘いに参ったんですの」 「誘いに…って?」 「予定がなければさ、一緒に遊びに行かない?」  考えてみれば、この二人に会うのも仕事が終わってからは初めてだ。  今日ものんびり一人で過ごすつもりだったが、まあ、付き合ってもいいかもしれない。 「そうだな、付き合ってやるか」  彩樹はグラスに残ったアイスカフェ・オレを飲み干して立ち上がる。 「で、どこ行くんだ? カラオケ? ゲーセン? それともファクトリーにでも行くか? まさかこれから海とか言わないよな?」 「もっと面白いところ。ちゃんと考えてあるよ」  早苗と一姫の間では既に話がまとまっているのだろう。  二人は目くばせをしてふふっと笑った。  二人は、彩樹を『みそさざい』の前にある公園に連れていった。  真夏の炎天下ということで、他に人影はない。  と、いきなり一姫の手の中に杖が現れる。  向こうで使っていた、魔術師の杖。  一姫は杖の先で、公園の地面になにやら紋章を描き始める。  その図形には、彩樹も見覚えがあった。  株式会社MPSの会議室と、王宮の塔の中にも同じものがあった。 「おい、一姫…これって…」  転移魔法のための魔法陣。 「こっそり、憶えておいたんですの。わたくしたちだけでも向こうに遊びに行けるように」 「一週間以上も『剣と魔法の幻想世界』に行ってたのに、結局、王宮と竜の湖以外ほとんどなにも見てないじゃない。きっと、他にも色々面白いものがあるよ」 「つまり、向こうに遊びに行く、と?」  その言葉に、早苗と一姫はにっこりと笑ってうなずいた。 「実は、知内さんもお誘いしようと思ったんですけどね」  一姫が言う。 「先ほど会社にお電話しましたら、急に入院されたそうですわ。玲子さんのお話では急性の胃潰瘍とか…」  それを聞いて彩樹は思わず吹き出した。  無理もない――こちらに帰ってきたときのことを思いだして納得する。  彩樹の怪我などのために四日も続けて向こうに行っていたので、こちらに戻ったときには転移の際の時差を最大限に利用しても、もう夜中近くになっていた。  何事もなければ夕方前には帰れるはずなのだから、その間、知内がどれほど心配したかは容易に想像できるというものだ。  そういえば、あの時もなんだか胃のあたりを押さえていたっけ…。  知内はその時、何故か『北の国から』のテーマ曲を口ずさんでいたのだが、彩樹たちはその理由を知らない。 (ま、あのおっさんのことはどうでもいいとして…) 「よし、行くか」  彩樹はうなずいた。  一姫が、杖を掲げて呪文を唱えはじめる。 * * *  三人がマウンマン王国の王宮を訪れたとき――  城の中はちょっとした騒ぎになっていた。  アリアーナが、失踪していたのだ。  いや、失踪というのは少し大げさだろう。  しかし、行方がわからなくなってからほんの小一時間程度とはいえ、一国の女王が姿を消す時間としては十分すぎるほどのものだ。  とにかく、三人も手分けして捜索を手伝うことにした。  サルカンドたち、アリアーナの命を狙っていた者は全て捕らえられたとはいえ、全ての危険がなくなった保証はどこにもないのだ。  早苗たちと別れた彩樹は、ちょっと考えてから城の裏門を抜け、城の背後に広がる森の中へと入っていった。  外は強い陽射しが照りつけているのだが、樹々が密集した森の中はひんやりと涼しい。  どこからか、鳥の声が聞こえてくる。  彩樹は、大きく深呼吸をした。  樹の匂いが、体の中に染みわたる。  樹々の茂った森の中を、道に迷いながらも二十分ほど歩いて、彩樹はようやく目的地にたどり着いた。  深い森の中にある、青い宝石のような泉。  水面で反射した木洩れ日が、きらきらと輝く。  この場所は一度来たことがあるだけだが、彩樹はとても気に入っていた。  ここにいると、とてもゆったりとした気分になれる。  ゆっくりとした時間が流れる場所。 (ま、その点だけはあいつに共感できるな…)  彩樹は心の中でつぶやいた。  泉のほとりに一人の少女の後ろ姿が見える。  かすかに苦笑しながら、ゆっくりと近付いていった。  その足音に気付いたアリアーナがこちらを振り返る。  彩樹と目が合ってほんの一瞬驚いたような表情を見せて…  口を開いたのは、ほとんど同時だった。 「…久しぶり?」  二人の口元に、微笑みが浮かんでいた。                     ― 終わり ―  あとがき  さて、北原の最新作・たたかう処女…もとい『たたかう少女』いかがでしたでしょうか。 (しかし…あながち間違いとは言えんな…)  予定ではもっと早くに公開できるはずだったんですけどね、約一ヶ月の遅れとなりました。  まあ、最初の見込みでは原稿用紙で百枚前後のはずが、結局二百枚にもなってしまったので仕方のないことでしょう。  それにしても、なんというか、自分で言うのもなんだけどストレートなタイトルですね〜(笑)。  ホントはこんなタイトルになるはずじゃなかったのに…『たたかう少女』ってのは正式なタイトルが決まるまでの仮タイトル、いわば「開発コード」みたいなものだったんですけど、結局これ以上に良いタイトルが思い浮かばず、そのまま正式タイトルになってしまいました。  でも『たたかう少女』っていったら、『光の王国』もそうだし…。  『光…』の話題が出たついでに言ってしまいますが、このふたつはある意味とてもよく似た話です。  ごく普通の(?)中学生だった主人公が魔法の力で異世界へ旅立つという基本設定。  そしてなにより主人公の彩樹と奈子。  空手の有段者で同性にモテる。  強いて違いをあげるとしたら、奈子の方が(かなり)胸が大きくて、彩樹はカミングアウトしているってことでしょうか(笑)。  他にもフィフィール=ソレアとか、アリアーナ+早苗=ファージ+アイミィとか、数え上げたらきりがありません。  実は、もともと『光の王国』と『たたかう少女』はベースが同じなのです。  『光…』が諸々の事情でずいぶんと重い話になってきたので、もっと気楽な話が書きたいと思ってできあがったのが『たたかう少女』なのでした。  しかし、二百枚というのは「気楽に書く」にはちと長すぎましたが(笑)。  まあとにかく、この話は深く考えずに気楽にお読みください。  さて、それでは今後の予定などを…。  次回作は、いよいよ『光の王国』の本編第五話『ファ・ラーナの聖墓』が登場です。  とは言っても、まだ書き始めたばかりで公開は未定なのですが、年内にはなんとかしたいところですね。(年内は仕事が忙しいのでちょっと自信がありませんが…)  それ以降の予定は、『光の王国』の番外編『殺意の女神』、本編第六話『金色の瞳』あたりまでは企画が動き出しています。  その先はまだまだ未定ですね。  『光…』以外の企画も色々ありますが、どれも長い作品なので、どこから先に手をつけていいものやら。  あと『たたかう少女』の続編ですが…一応企画はあります。  でも、いつ書くかとなると全くの未定。  三人娘+1の活躍をもっと読みたいというご希望があれば、メールか作品ページの感想用フォームでお寄せください。  『こんなもの書いてないで『光』の続きをさっさとしろ!』とか『もっと彩樹と○○(お好きな名前をお入れください)のからみを増やせ!』などとゆ〜メールでも可(笑)。  それでは、また、次の作品でお会いしましょう。              一九九八年八月  北原 樹恒                kitsune@mb.infoweb.ne.jp       http://plaza4.mbn.or.jp/~kamuychep/chiron/