たたかう少女3 〜スナーク狩り〜 プロローグ  その来客は、ドアを開けて入ってきたわけではなかった。  もちろん窓から侵入したとか、天井や床に穴を開けたとか、壁を壊したとかいうわけでもない。  だからこそ、この人材派遣会社・株式会社MPSの若き営業部長、知内祐人(二十八歳、独身)は溜息をついた。  彼のオフィスには、忽然と姿を現した三人の若い娘が立っている。 「……今日は、いったいどういったご用件ですか、陛下?」  また、厄介ごとに巻き込まれるのか――そう思いながらも、知内は条件反射で営業スマイルを浮かべる。その笑顔はやっぱり少し引きつっていたが、幸いなことに、今回の彼の出番はこれだけだった。 1 「……彩樹、彩樹」  自分の名を呼ぶ声に、彩樹はゆっくりと目を開けた。  聞き覚えのある声。いや、覚えがあるどころか、とてもなじみ深い声のはずだったが、声の主の名前がすぐに出てこない。  目の焦点が合うと、髪の長い美しい女性が上から顔を覗き込んでいた。目を細め、優しげな笑みを浮かべている。 「彩樹ったら、いつまで寝ているの? もう、お昼近いわよ」 「……ああ、ゴメン。お姉ちゃん」  頭をポリポリとかきながら、のろのろと身体を起こした。 「今日はとてもいい天気よ。お弁当持って、公園で昼食にしない?」  既に用意はできているのだろう。手には大きな籐製のバスケットを持っている。 「いいね」  彩樹も同意した。立ち上がって、顔を洗うために洗面所へと向かう。  洗面所の鏡には、まだ半分寝ぼけたような自分の顔が映っている。それでも冷たい水とスクラブ入りの男性用洗顔料で顔を洗うと、頭もいくらかすっきりしてきた。  タオルで乱暴に顔を拭くと、水に濡れた長い前髪が目にかかった。ヘアブラシとドライヤーを取り出して、適当に髪を乾かす。 (よし、これでいいか)  鏡の裏にある棚にドライヤーをしまう。いちいち髪のセットなどしない。整髪料を使うのは、ひどい寝癖があるときだけだ。 (あんまり、翠を待たせちゃ悪いしな)  声に出さずにそうつぶやいて。  それから、ふと気付いた。 (ちょっと待て。誰が待ってるって?)  先刻、自分を起こした女性の顔を思い出す。彩樹よりも少し年上で、髪の長い、物静かな雰囲気の。  彩樹とは外見も性格も似ても似つかないが、姉の翠だ。 (翠……だって?)  確かに自分は先刻、その女性を「お姉ちゃん」と呼んだ。  だが。 (何故、お姉ちゃんがここにいるんだ? おい、今はいったい何年で、オレは何歳だ?)  もう一度、まじまじと鏡を見る。そこに映った自分の姿は毎日見慣れたものだ。どこも不自然なことろはない。 (オレは静内彩樹、白岩学園高等部の二年生……だよな?)  なのに、何故。 「彩樹、準備はできた?」  居間の方から、姉の呼ぶ声がする。 「……ああ、いま行くよ」  濡れたタオルを洗濯籠に放り込みながら、彩樹は応えた。その口元に、静かな笑みが浮かぶ。  どうも、変な夢を見ていたらしい。  ばかばかしい。姉が、何年も前に死んだなんて。  翠はちゃんとここにいて、仕事であまり家にいない母親の代わりに、妹である彩樹の面倒を見てくれているのではないか。  早足で翠に追いついて、バスケットを奪い取る。力仕事は彩樹の受け持ちだ。 「いい天気ね。気持ちいい」  外に出ると、初夏の爽やかな風が翠の髪を揺らした。 2 「そろそろ、私の気持ちに応えてくれてもいいんじゃないか、サナエ?」  黒髪の青年が耳元でささやく。その瞳は鋭いが、しかし優しい。声を聞いているだけでとろけてしまいそうだ。  平均よりもかなり大きな胸が、かぁっと熱くなった。 「シルラート様……」  剣と魔法が支配する異世界、マウンマン王国の王兄であるシルラート・シリオヌマンは、女好きの巨乳フェチではあるが、それさえ除けば外見も中身も折り紙付きの「いい男」だった。  そんな男性に口説かれているのだから、早苗としてももちろん悪い気はしない。それにシルラートは、顔が少し彩樹に似ていることもあるし。  いまだに、自分でもわからずにいる。彩樹に惹かれているからシルラートのことも気になるのか、それともシルラートが好きだから彩樹にも魅力を感じてしまうのか。 「サナエ、私ならきっと、君を幸せにしてあげられる」 「シルラート様……」  早苗を抱き寄せるその腕は、見た目よりも力強かった。シルラートも着やせするたちなのだろう。  唇が、近付いてくる。  早苗は抗わず、目を閉じて顔を上げた。  と、その時。 「こら、何やってんだ?」  怒気をはらんだ声が割り込んでくる。慌てて目を開けると、彩樹が腕組みをして危険な笑みを浮かべていた。 「あ、あ、彩ちゃん!」 「まったく、目を離すとすぐ浮気するんだからな」 「あ、彩ちゃんにそんなこと言われたくないよ!」  早苗はぷぅっと頬を膨らませる。常に二桁の恋人を持ち、中学時代から「白岩学園のバージンキラー」と呼ばれていた彩樹に、浮気云々で責められたくない。とはいえ、彩樹がやきもちを妬いてくれることは内心嬉しかった。 「また君か。どうしていつもいいところで邪魔をするんだ、サイキ?」  馬に蹴られて死んじまえ、とでも言いたげな表情でシルラートは彩樹を睨む。彩樹も同じように睨み返した。 「当然だろ、早苗はオレの女だ」 「それは君の勝手な思いこみだろう。なあ、サナエ?」  二人は揃って早苗を見た。二人の目が「どっちを選ぶのか」と訊いている。 「え、えっと……」  早苗は返答に窮した。本当に、どちらを選んでよいのかわからないのだ。  身分も財力も申し分なく、自分を「レディ」として扱ってくれるシルラート。  乱暴だけど、何があっても護ってくれるという安心感がある彩樹。  どちらも大好きだった。一人だけを選ぶなんてできない。外見もよく似ているのだからなおさら始末が悪い。ついでにいうと、二人とも甲乙つけがたいテクニシャンだった。 「早苗」 「サナエ」  詰め寄ってくる二人の声が重なる。 「えっと……。ふ、二人ともって、ダメかなぁ」  本当にもう、どちらかを選ぶなんてできないのだ。 「二人とも……ね」 「まあ、いいけど」  意外なことに、二人は納得したような表情をしていた。これにはむしろ、早苗の方が驚いた。 「え? い、いいの?」 「ああ、いいさ」  二人揃ってうなずく。 「それにしても、3Pがいいなんて……」 「……サナエも大胆になったね」 「えっ?」  二人が等間隔で距離を詰めてくる。 「さ、さ、3Pって……。二人ともってゆーのは、別にそういう意味じゃあ……」  言いかけたところで、二人同時に、前後からぎゅうっと抱きしめられた。前にいるシルラートが唇を重ねてくる。背後にいる彩樹の唇が耳たぶを噛む。  そして二人の手が、早苗の豊かな胸を弄んでいた。 「や、あぁん……」  すごく、気持ちよかった。困ったことに。  一人だけだって、すごいテクニシャンなのに。 (今日は、二倍気持ちいいよぉ……)  身も心もとろけそうになりながら、早苗は二人の腕に身を委ねていた。 * * *  一姫は、幸せだった。  よく晴れた気持ちのいい休日。彩樹と二人、腕を組んで通りを歩いている。  今日は二人きりのデート。彩樹を独り占めできるのだ。  嬉しくて嬉しくて、腕にぎゅっとしがみついた。小柄な一姫は、彩樹の腕にぶら下がるような格好になる。 「甘えんぼ」  こつんと、おでこを小突かれる。  優しく撫でられるよりも、この方が彩樹らしくて。  それがまた、嬉しかった。  時折、すれ違う人たちが羨望のまなざしで振り返っていく。  それも当然だろう。自分たちは、こんなに素敵なカップルなのだから。 「これから、どこへ行きますか?」 「そりゃあ、これしかないだろ」 「え?」  ふと気付くと、目の前にラブホテルがあった。  あまり大きくはない、だけど新しくて小綺麗な建物。  一姫の頬と耳が、見る間に赤みを増していく。  胸の奥がかぁっと熱くなって、立ち止まってうつむいた。 「でも……」 「嫌か?」  嫌じゃない。全然、嫌じゃない。  ただ、ちょっと恥ずかしいだけ。  彩樹にはこれまで、何度もキスされたり触られたり、服を脱がされたりはしてきたけれど、まだ最後の一線は越えていなかった。 (それも、今日で終わり……)  胸いっぱいの期待と、ほんの少しの不安。  発育不全、といつも彩樹や早苗にからかわれる一姫だけど、ついに少女から女へと羽化する日がやって来たのだ。 「嫌じゃ、ないです……ぜんぜん」  彩樹の腕にしがみついて、首を小さく横に振った。 「でも……よかった。今日、いちばんお気に入りの下着を着けてきて」 「関係ないよ。どうせすぐに脱がすんだから」 「そんな。可愛いんですよ、すごく」 「オレにとっては包装よりも中身の方が大事」  彩樹は笑って言うと、一姫の肩を抱いてホテルの入口へと向かった。 3 『ギャン!』  そんな、甲高い声が響いた。  まるで、石をぶつけられた仔犬かなにかのような。  その声で、我に返った。  小さな動物が、外へ飛び出していく。不思議なことにそれは、通りに面した大きな窓を通り抜けていったように見えた。  日差しと紫外線をさえぎる黒い偏光ガラスの上に、いくつかの紅い斑点が残っている。 「……え?」  早苗は、驚いたように顔を上げた。テーブルを挟んだ正面に、同じような表情をしている一姫の姿がある。テーブルには背の高いガラスの器がふたつ置かれていて、半ば溶けかかったフルーツパフェが三分の一くらい残っていた。 「何やってるの、あなたたち?」  声は、高い位置から聞こえた。顔を上げると、二十代半ばくらいの髪の長い女性がテーブルの脇に立っている。  それで、思い出した。  今いるのは、家の近くにある喫茶店『みそさざい』。彩樹のお気に入りの店ということで、早苗や一姫もいつしか通うようになった店。そしてこの女性はマスターの晶だ。  晶は何故か、手にフルーツナイフを持っていた。その刃が紅い液体で汚れていることに、早苗は気付いていた。 「まったく、何やってるのよ。あんなヘンなものに取り憑かれて」  幾分呆れたような調子で言う晶だが、早苗も一姫も、状況がまるで飲み込めていない。きょとんと、お互いに顔を見合わせた。 「……ウチら……なにやってたっけ?」 「え? えーと……」  記憶がはっきりしない。だけどつい先刻まで、他の人物がすぐ傍にいたような気がする。 「えっと……彩ちゃん、は……?」 「……あの、確か、先刻家に電話したら、留守だったんですわ……」 「だよね?」  それで、二人でこの店に来たはずなのだ。お気に入りのパフェを頼んで、その後は……。 「居眠りして、夢でも見てた?」 「二人揃って……ですの?」  助けを求めるように、二人は晶を見た。 「取り憑かれて……て言った?」 「違うの? 私にはそう見えたけど」 「いったい何の……」  いったい何のこと――そう言いかけたところで、入口の扉が開いた。  ちりん、と澄んだ鈴の音と共に、三つの人影が店に入ってくる。 「いいところで会った。おかげで少し、手間が省けたな」  妙に大人びた抑揚のない口調でそう言ったのは、早苗たちと同世代の美しい少女だった。腰まで届く淡い色の金髪に白い肌、そして紫の瞳。どう見ても日本人ではない。 「ひ……」 「姫様っ?」  早苗と一姫は声を揃えて叫んだ。即位してもう一年近く経つのに「姫」と呼ぶのは正しくないが、二年近く前、彼女がまだ王女だった頃からの癖だから仕方がない。  それは、ここにいるはずのない人物。  異世界にあるマウンマン王国の女王、アリアーナ・シリオヌマンだった。  その後ろに付き従う、二人の女性がいた。こちらも見覚えのある顔だった。近衛騎士団の中でももっとも若い二人、スピカとメルアだ。  一応三人とも、Tシャツやジーンズなどこちら側の服をまとってはいるが、明らかに日本人ではない美少女三人連れということで、周囲に異彩を放っている。 「ど、どうして姫様がこっちに……?」  早苗が戸惑いがちに訊く。アリアーナは魔術師としての力を持つから、この世界への転移もできるのだろう。しかし、仮にも一国の女王である。そう気軽に外出などできないはずだ。  これまでにも、アリアーナがこちらに来たことがないわけではない。しかしその時は前もって連絡があったし、彩樹、早苗、一姫の三人で、転移用魔法陣のある株式会社MPSのオフィスまで迎えに行った。連絡もなしに向こうからやってくるなど、いったいどうしたわけだろう。 「少しばかり、困ったことになってな。緊急事態だ」  内容の割にはずいぶんと落ちついた口調で、アリアーナは淡々と言った。これはいつものことで、早苗も一姫も、彼女が取り乱したり、声を荒げたりするところなど見たことがない。あの、目の前で彩樹が撃たれた一件を除いては。 「き、緊急事態って……?」 「これです」  スピカが、手に持っていたものを二人に見せた。それは、イタチよりも少し大きいくらいの小動物だった。淡い褐色の毛皮が血で汚れていて、ぴくりとも動かない。死んでいるのだろう。  それは、先刻窓から飛び出していった動物と同じもののように思えた。 「それは?」 「こちらの言葉で言えば……。そうだな、夢魔の一種だ」 「……夢魔?」  ナイトメア。人の夢を操る魔物。 「ちょっと、抱いていたイメージと違いますわね……」  ファンタジー小説が好きな一姫がつぶやく。こんなネズミかイタチみたいな姿をしているなんて、考えもしなかった、と。  アリアーナは苦笑して、詳しい説明をはじめた。晶が席に着くようにと勧め、人数分の紅茶を淹れてくれる。  説明によると、これは外見通りに哺乳動物の一種なのだが、ある種の魔法の能力を持っていて、人間に幻覚を見せてその隙に襲いかかる肉食獣なのだそうだ。  もちろん、この世界の生き物ではない。どんなルートでかは不明だが、アリアーナたちの世界から、何匹かがこちらへ紛れ込んできたらしい。 「肉食獣って……。じゃあ、ウチら……」 「私たち、あのままでいたら食べられていたってことですの?」 「そういうことになるな」  冷や汗を浮かべて青ざめている二人とは対照的にアリアーナはあっさりと言うと、湯気の立つティーカップを口に運んだ。 「ちょうどこの前を通りかかった時、中からこいつが飛び出してきたんです。手負いだったので、簡単に捕らえることができました」  スピカが説明する。 「こ、怖ぁ……」  今さらながら、汗がどっと噴き出してくる。まさに危機一髪だったのだ。それを救ってくれたのは……。 「あ、ありがとう、晶さん」 「いいえ、どういたしまして。お得意さんを減らすわけにはいかないからね。最近は喫茶店も経営が苦しいから」  カウンターの中で、晶が平然と笑っている。 「ホント、危ないところだった……」  と、そう言いかけて。  ふと気付いた。  早苗と一姫が、顔を見合わせる。そして同時に、もう一度晶の方を見た。 「あ、晶さん。どうしてそんなに平然としてるのっ?」  こんな、非日常的な出来事があったというのに。 「あら」  晶はいつものように、静かな笑みを浮かべてグラスを拭いている。 「二十二年間も生きていれば、いろいろなことがあるものよ。ちょっとくらいのことでは動じなくなるわ」 「二十二って、それは大ウソ……。ああ、いや、そんなことじゃなくて!」 「それよりあなたたち、変わった友達がいるのね?」 「え?」  晶の視線を追って、アリアーナたち三人を見る。  その意味するところに気付いて、早苗と一姫の顔からさぁっと血の気が引いた。 「あああ――っ!」 「どうしましょう! 向こうのこと、喋っちゃいましたわ!」  まったくはばかることなく『向こう』の世界のことについて話していたのだ。店内に他に客はいないが、晶はしっかりと聞いていたに違いない。  スピカとメルアも困ったように顔を見合わせたが、一人アリアーナは平然としている。 「別に、こちらの人間に知られてはいけないとは、フィフィールも言ってなかった」 「陛下、それは『いちいち言うまでもなく』ということでは……」 「だったらお前たちがフィフィールに黙っていれば済むことだ。それにこちらが言うまでもなく、あの者は最初から、ずいぶんと事情通なようだぞ?」 「え?」 「さあ、どうかしらね」  晶は目を細めて、いつものように笑っていた。 4  こちらに来た夢魔はあと三匹いるということなので、早苗と一姫も狩りを手伝うことにした。一度家へ戻って、武器やら魔法の杖やらを取ってくることにする。ばらばらにならない方がいいということで、アリアーナたちも一緒だ。 「それにしても、姫様自ら来なくたって……」  アリアーナは確かに、極めて強い力を持った魔術師でもある。が、夢魔は肉体的には脆弱な動物で、狩るのにそこまでの力は必要ない。  以前、竜を封印しに行った時とは違う。これではまるで、ネズミを狩るのに大砲を撃つようなものだ……と早苗は思った。  確かに、魔法に対する耐性のないこちらの世界では問題になるかもしれないが、向こうの平均レベルの魔術師でも、十分に役目を果たせるだろう。 「あまり大勢で来ても、騒ぎになるだけだからな。それにわたしが一番、こちらの事情に通じている」 「それは、そうかも知れませんけど」  一姫はうなずいたが、早苗はおやっと思った。  アリアーナだって、こちらに来たのはほんの二、三回、それもごく短い時間のはずだ。早苗たちの案内なしに奏珠別の街を歩けるほど、慣れているとは思えない。 「それよりも、夢魔はもっとも心を許す相手の姿で近付いてくる。油断はしないようにな。……そういえばサナエたちは、どんな夢を見てたんだ?」 「え……」  二人は同時に絶句した。 「いや、その……まあ……」 「い、言うほどのことではありませんわ」  誤魔化すように、曖昧な笑みを浮かべる。それを見たアリアーナは「だいたい想像はつく」と納得顔でうなずいた。。 * * * 『奏珠別公園の奥の森へ行ってご覧なさい。あそこは、そういったモノが集まりやすい場所だから』  みそさざいを出る時、晶がそう教えてくれた。どうしてそんなことを知っているのだろう。考えてみると、あの人も正体不明だ。ついでにいえば、実年齢も不明だが。 (まあ、それはともかく……)  ずらりと並んだ銃器を前にして、早苗は腕を組んだ。  夢魔狩りには、どの武器がいいだろう、と。  その光景に、スピカとメルアが目を丸くしている。壁や棚にびっしりと並べられた、あらゆるタイプの銃を見て。  その一点を除けば普通の女子高生の私室であるだけに、いっそう異様だ。何度か訪れたことのある一姫でさえ戸惑いを隠せないし、あまり感情を表に出さないアリアーナでさえ、なんとなく驚いたような顔をしている。  早苗の銃器マニアぶりは、高校生になっても相変わらずだった。 「さて……」  呆れ、驚いている背後の四人を後目に、早苗は銃を選ぶ。  相手は小動物が三匹。ならばフルオートよりも精度重視のライフルだろう。樹が密生する森の中では、フルオートは意外と役に立たない。  的が小さくて素速いことを考えると、速射性に優れたセミオート。東京マルイのPSG―1か、MGCのルガーか……。  いいや。早苗は首を振った。  野生の獣が相手なのだ。おそらく五十メートルか、それ以上の距離の狙撃になるだろう。気付かれずにそれ以上近付くのは難しいし、あまり近付けばまた幻覚に取り込まれてしまう。  障害物の多い森の中で、遠距離から小さな標的を狙う。ならば弾数よりも一発の精度が重要だ。  接近戦はスピカとメルアに任せればいいし、防御は一姫とアリアーナの魔法がある。自分は遠距離から確実に、一発で仕留めることに専念するべきだろう。  ならばボルトアクションのライフルがいい。アサヒファイヤーアームズの問題作M40か……いやいや。  早苗は一丁のライフルを手に取った。  フルカスタムしたスーパー9プロ。  もともと高性能のライフルではあるが、この銃は六百六十ミリの高精度ロングバレルをはじめとして、すべての部品が最高品質の物に交換されていた。サバイバルゲーム仲間だった模型店の店員が腕によりをかけて改造したもので、サバイバルゲーム用としては最高の射程と精度を誇るライフルだ。  その店員が転勤になる際、格安で譲ってもらったものだ。そして今では、その最高のライフルが早苗の手によって魔光銃に再改造されている。魔力を結晶化した弾丸と、魔法エネルギーを増幅する鉱石の銃身を備えた指向性エネルギー兵器。その威力と精度は、向こうの世界の魔光銃を圧倒する。 「うん、これしかない」  満足げにうなずいて、その武器をライフルケースに収めた。さらに予備の武器として、グロック17とベレッタM93R、それぞれについて各二本の予備弾倉を用意する。そしてタンスから迷彩服を取り出すと、いそいそと着替えをはじめた。 * * * 「……早苗さんって、やっぱりヘンですわ」 「確かに、並んでいる銃を眺めてにやにやしている姿はちょっと怖いな」  アリアーナも同意する。スピカやメルアも含めて、四人全員が早苗と距離を空けて歩いていた。 「えー。どうして?」 「普通、そんな格好で街を歩く方はいませんよ」  一姫が指摘する。家から公園までの住宅地を、早苗は迷彩服姿で平然と歩いていた。 「今どき、ミリタリールックなんて当たり前じゃん」 「実際に銃まで持っている人はいませんわ」  迷彩服に身を包んでライフルケースを背負った巨乳女子高生と、その他四人の美少女。そのうちの三人は外人で、スピカとメルアは騎士ということで背も高く、目立つ容姿をしている。  通りを歩いているだけで、好奇の視線が集まってくるのも当然だろう。すれ違う人はことごとく、いったい何の集団かとこちらを振り返っていく。  鉄面皮のアリアーナは気にもしていないようだが、一姫は顔を赤くしていた。この状況をクラスメイトにでも見られたら、後の説明が大変だろう。 「そういえば、彩ちゃんも呼んだ方がいいんじゃない? 朝、ウチらが電話した時は留守だったけど、もう帰ってるかもしれないし」  もう間もなく公園に着くところで、早苗はふと思い付いた。早苗たち三人娘の中で、実戦で一番役に立つのは彩樹だ。  一姫は魔法の才能こそかなりのものだが、どちらかといえば鈍いし、サバイバルゲーム仲間の間で『女デューク東郷』と呼ばれる早苗も、実際に血を見ることは苦手だ。  その点、彩樹は違う。  実戦の場においては、彩樹が傍にいるというだけで安心できる。  しかしアリアーナは、早苗の提案を即座に却下した。 「いいや、だめだ」 「どうして?」 「相手が夢魔では、サイキが一番危険だからな」  そんなアリアーナの台詞に、早苗と一姫は首を傾げた。 5 「彩樹、こっちよ。早く」  前を歩く翠が手招きをして、森の中の小径へと入っていく。彩樹も素直にその後に続いた。 「どこまで行くんだ、翠?」  いつしか彩樹は、姉のことを名前で呼んでいた。いや、それで正しいはずだ。「お姉ちゃん」なんて呼び方をしていたのは、小学生の頃の話。朝はきっと、子供の頃の夢を見ていたから間違えたのだ。 「いいところ。この間、森の中で素敵な場所を見つけたの」  翠は軽やかな足取りで、小径を進んでいく。外は陽射しが強かったが、森の中に入ると空気はひんやりとしていた。 「彩樹だけに教えてあげる。二人だけの、秘密の場所」  人差し指を唇に当てて、翠は無邪気に笑う。もう大学生になのに、いつまでも子供っぽい姉だ。一緒にいると、彩樹の方が年上に見られることが多い。  だけど彩樹は、そんな姉のことが好きだった。 * * * 「近くに、います」  早苗と一緒に行動していたメルアが、かろうじて聞こえる程度にささやいた。早苗の足が止まる。  メルアは魔術師としての能力も持っていて、夢魔の気配を追っていたのだ。  奏珠別公園に着いた一行は、二手に分かれて森に入っていた。早苗とメルア、アリアーナと一姫とスピカという組み合わせだ。要するに、夢魔の気配を追う魔力を持った者と戦闘能力に秀でた者、ということである。 「どこに?」  同じように微かな声で訊き返す。薄暗い森の中、早苗も視力には自信があるが、それらしき姿は見つけられない。  メルアは無言で前方を指差した。肉眼では樹々と下草の茂みしか見えないので、ライフルを構えてスコープを覗く。  いた。  百メートル以上離れている。十倍のスコープでもほんの小さくしか見えない。  眠っているのか、樹の根元で丸くなっていた。右手百メートルくらいのところを進んでいたアリアーナたち三人に、止まれと手で合図を送る。  早苗は地面に膝を着き、前にあった倒木の上に銃を乗せた。身体を小刻みに動かして、もっとも安定する姿勢を探す。 「この距離で当たりますか、サナエさん?」 「大丈夫。それと、今はウチのことをボブって呼んで」 「は?」  意味不明の台詞首を傾げるメルアを無視し、スティーブン・ハンターの小説に登場する凄腕のスナイパー、ボブ・リー・スワガーになりきって、早苗は小さな魔物を狙う。  距離はおよそ百五メートルと推測した。照準は八十メートルで調整してある。普通の銃なら目標のやや上を狙うところだが、重力の影響を受けない魔光銃では逆になる。  早苗はスコープの十字線を、夢魔と地面の境界線に合わせた。スワガーが「一時溶接」と表現する、固定された姿勢を取る。構えた銃は微動だにしない。  風はほとんどない。これは幸いだった。魔法エネルギー弾は風の影響もほとんど受けないが、下草や枝が揺れて射線を遮る可能性もある。  撃て、と脳が命令を発する。早苗の指は一定の速度で動き、銃爪に触れ、そのままのペースを変えずに引いた。  丸く切り取られた視界の中に、一瞬、黄色い光が走る。  甲高い叫び声。  小さな獣の身体が跳ね上がり、そして地面に落ちた。  それで、終わりだった。  積もった落ち葉の上に横たわった獣は、ぴくりとも動かない。  早苗はふぅっと息を吐き出すと、のろのろと立ち上がった。小さく伸びをして、固まった関節をほぐす。 「いい腕ですね、サ……いえ、ボブさん」 「……ありがと」  事が終わったことを悟ったアリアーナたちが、死体の回収に向かっている。早苗たちもそれに倣った。  早苗の狙撃は完璧で、夢魔の身体の中心を貫いていた。周囲の地面に、紅い斑点が散らばっている。  しかし早苗は、どこか浮かない表情だった。 「……なんかヤだな。こーゆーの」 「早苗さん?」  初めてだった。銃で、生き物を殺したのは。休日の安眠を妨害する窓の外のカラスを狙撃したことはあるが、エアソフトガンでは追い払う程度の威力しかない。 「……だから、彩ちゃんを呼べばよかったんだ」  泣きそうな顔で、ぽつりとつぶやいた。  彩樹なら、こんな思いはしないだろう。それがいいことかどうかはともかく、その必要があれば生き物の生命を奪うことについて、彩樹はなんの躊躇いもない。  早苗は迷彩服の袖で、ぐいっと顔を拭う。 「さあ、残るは二匹。行こう」  無理に笑顔を浮かべて、また歩き出した。  その時。 「きゃああっ!」  一姫が悲鳴を上げた。樹の上から突然、夢魔が襲いかかってきたのだ。小さくとも肉食獣、その牙は鋭い。  一姫の悲鳴に、獣の絶叫が重なった。夢魔の牙は、一姫には届かなかった。 「……え?」  恐る恐る顔を上げると、目の前に、不適な笑みを浮かべた人物が立っていた。その足元に、小さな獣が横たわっている。 「大丈夫か、一姫」 「……さ、彩樹さん!」  いつの間に現れたのか、彩樹がそこにいた。一姫に飛びかかろうとした夢魔を、手刀で打ち落としたのだろう。 「彩樹さん!」  一姫は思わず、彩樹にしがみついた。彩樹は笑いながら、一姫の頭をぽんぽんと叩く。 「なんだお前、あんなコトで泣いてンのか?」 「な、泣いてなんかいませんわ」  目に涙を浮かべながら、一姫は強がりを言う。 「ただ、ちょっとびっくりして……」  そのまま、彩樹の胸に顔を埋めた。 「……ありがとうございました。彩樹さん」 「いいってことさ。お礼は今夜、ベッドの中でな」  相変わらずの台詞とともに抱きしめられて、一姫は真っ赤になった。激しい鼓動は、きっと彩樹にも伝わっているだろう。 「いっちゃん、危ない!」  突然、魔光銃のくぐもった銃声が響いた。  獣の叫び声がその後に続く。 「……え?」  一姫の目の前に、スピカが立っていた。手には抜き身の短剣を持っていて、刃に血が付いていた。 「え? あれ?」  そして、自分を抱きしめていたはずの彩樹の姿は、どこにもない。 「油断したようだな、イツキ。相手は一匹じゃないぞ」 「え?」 「サナエさんが夢魔を仕留めた時に気が緩んだのでしょう。結界に綻びができてました」  一姫の足元に転がる二匹目の夢魔の死体を拾い上げ、袋に詰めながらスピカが言った。 「彩ちゃんの名前を呼んでたね? ダメだよ、同じ手に二度も引っかかっちゃ」  早苗も苦笑している。一姫は一人、きょとんとした顔で周囲を見回していた。 「……夢? 今のも、夢?」  どこからが夢だったのだろう。まったくわからなかった。現実と区別が付かない。一姫が思っていた以上に、この夢魔は恐ろしい魔物であるようだった。 「さて、残るは一匹だな」  相変わらず抑揚のない声で、アリアーナがつぶやく。主席宮廷魔術師すら上回る力を持つ彼女は、夢魔の最後の一匹の気配を感じ取っていた。 6  森の中をしばらく歩くと、やがて小さな池のほとりに出た。澄んだ水が滾々と湧いていて、小川となって流れ出している。  水面がきらきらと陽の光を反射する様は、まるで森の中の宝石だ。  睡蓮に似た花が水面を彩り、そのまわりを小さな水色の蝶が飛び回っている。透明な羽をきらめかせたトンボが、空中静止を繰り返しながら岸に沿って池を周回している。  澄みきった水の中では水草が揺れ、その陰にメダカより一回り大きいくらいの小魚が群れていた。 「森の中に、こんなところがあったのか…」  驚いたように、感心したように、彩樹はつぶやいた。 「ここは、わたしの秘密の場所なんだ。退屈な政務に飽きたら、ここに来ることにしている。他の誰も、ここは知らないんだ」  いつも抑揚のないその声も、今はいくらか嬉しそうに聞こえた。 (まあ、書類仕事ばかりじゃ退屈だろうしな……って、え? ちょっと待てよ?)  彩樹はその声の主を見た。紫の瞳が、こちらを見返している。 「ア……」  口から出かけたその名を飲み込む。 「どうした? なにを驚いたような顔をしている?」  アリアーナは服を脱ぎはじめていた。いつものように、ここで水浴びを楽しもうというのだろう。 「なにを……って」  なんだろう。いったい何を。  いいや、思い違いだ。なにも驚くことなどありはしない。  いつものようにアリアーナのわがままに付き合って、城を抜け出したところだ。彩樹は立場上、護衛ということでついてきている。アリアーナが水浴びを楽しんでいる間、湖岸に座って周囲を警戒しているのだ。  ぴちゃ……。  アリアーナが、脚を水に浸している。一糸まとわぬ姿でありながら、彩樹の目を気にするそぶりもない。  彩樹は、アリアーナのプロポーションには素直に感心していた。決して、口に出して褒めることはないが。  Eカップを誇る早苗ほどのメリハリはないが、それでも胸は大きく、ウェストは細くくびれ、艶めかしい曲線を描いている。手足は細くすらりと伸びて、なにより腰の高さが日本人とはまるで違う。  腰まで届く淡い色の金髪も手伝って、こうしているとまるでお伽話に出てくる泉の妖精のようだ。 (でも、泉の精のヘアについての描写ってのはなかったな……)  心の中で苦笑する。アリアーナの下腹部では、髪の色と変わらない淡い色の茂みが、ごく狭い範囲を覆っていた。 「気持ちいいぞ。サイキも入ってきたらどうだ?」  腰の深さまで進んだところで、アリアーナが言った。  普段はその誘いには乗らずに岸で待っている彩樹だったが、今日に限っては「それもいいかな」と思い始めていた。  ここには何度か来ている。危険な獣などいないことはわかっていたし、最近では刺客の心配もほとんどない。  別に、彩樹が目を光らせている必要もないのだ。 「そうだな、たまには付き合うか」  彩樹は立ち上がると、ジーンズのベルトを外した。タンクトップとジーンズを脱ぎ捨て、少し躊躇してから下着も取る。  同性の前で全裸になることなんて慣れているはずなのに、何故か少し恥ずかしかった。アリアーナの完璧なプロポーションの前で、少年でも少女でもない自分の身体を晒すことに気後れした。  無駄な脂肪が一切なくて、必要な筋肉だけをまとった痩せた身体。胸の膨らみもほとんどなく、空手の稽古や喧嘩でできた傷がいくつも残っている。  それでも最後の一枚を脱ぎ捨ててしまえば、なんということもなかった。この場所で服を着ていることの方が、むしろ不自然に思われた。  アリアーナの後を追って、水の中に入る。深い水脈から湧き出る水は、真夏でもひどく冷たい。  きん、と痺れるような冷たさが、骨まで伝わってくる。三分も浸かっていたら唇が紫色になってしまうだろう。そんな冷水の中でいつも十分以上泳いでいるアリアーナは、いったいどういう身体をしているのやら。 「……冷たいな」  自分の身体を抱くようにしてつぶやく。鍛え抜いた肉体を持つ彩樹であっても、この低温に長くは耐えられない。 「そうか? わたしは平気だが」 「お前の神経はどっかへンなんだよ」 「サイキがひ弱なんだろう」  池の中心まで泳ぎ出ていたアリアーナが戻ってくる。目の前で立ち上がって、無数の水滴が滴った。 「こうすれば、暖かいだろう」  なんの前振りもなしに、そう言って身体を押しつけてきた。ぴったりと肌を合わせ、両腕を腰に回してくる。 「……お、おい」 「私は、暖かいぞ」  アリアーナの顔が、すぐ目の前にあった。  深い紫の瞳が、真っ直ぐに見つめている。  肌が触れ合っている身体の前面だけが、妙に熱かった。 「サイキ……」  少しずつ、顔が近付いてくる。息が顔にかかる。  彩樹はおずおずと、アリアーナの細い腰に腕を回した。滑らかな、吸い付くような肌だった。  ごくり……と唾を飲んで、相手の瞳を覗き込む。  そこに、自分の姿が映っていた。 「……オレを、挑発してるのか?」 「さあ、どうだろう」  静かに微笑んでいる。こんな状況下でも冷静なアリアーナが、少し憎らしい。 「サイキは、嫌なのか?」 「……さあ、どうかな」  わからなかった。自分でもわからない。  どうしてだろう。他のどんな女の子が相手であれ、こんな状況下で悩むことなどなかったのに。 「くそっ」  彩樹は小さく舌打ちすると、乱暴に唇を重ねた。アリアーナはわずかに身じろぎしただけで、抵抗はしなかった。  柔らかい唇だった。これまでにキスをした誰よりも、柔らかいと思った。アリアーナを抱く腕に、ぎゅっと力を込める。ふくよかな胸が、二人の身体のに挟まれて柔らかく潰れた。 「まさか、キスだけですむなんて思っちゃいないだろーな?」  アリアーナは黙って、こちらを見ていた。ただ静かに微笑んで。  彩樹はそっと、アリアーナの身体を湖岸の草の上に押し倒した。その上に身体を重ね、もう一度唇を合わせる。  指先でそっと、胸に触れた。そのまま静かに指を滑らせる。鎖骨から、首筋へと。 「……サイキ」  上体を少し起こして、真上からアリアーナの顔を見下ろした。紫の瞳が潤んで、木漏れ日を反射している。まるで宝石のアメシストのようだ。  無意識のうちに、口元が緩む。彩樹の手は、アリアーナの首に触れていた。 「細い首だな。ちょっと力を入れたら……」  折れそうだ、と。  その言葉を発することなく、彩樹は手に力を込めた。  宝石のような瞳が、驚愕に見開かれる。  彩樹の口には、笑みが浮かんだままだった。笑みの張り付いた顔のまま、手に力を込めていく。  その握力は、同世代の並の男子よりもはるかに強い。そして、彩樹は本気だった。  アリアーナの表情が苦痛に歪む。 「……や……めて……。苦し……」  か細い懇願の声を無視して、アリアーナの首を絞め続けた。  細い首を掴んでいる右手に、体重をかけていく。酸素と血液の供給を止められたアリアーナの真白い顔が、赤黒く変色しはじめていた。  それでも、力を緩めようとしない。それどころか、左手も添えて渾身の力で締め上げる。 「お願い……サイキ……」  アリアーナの指が、彩樹の手を引っかく。その力はか弱く、手の甲に微かな紅い筋をつけるのが精一杯だった。  その時ふと、彩樹の顔から狂気の混じった笑みが消えた。代わりに、訝しげな表情を浮かべる。 「違う……? お前、……いったい何だ?」  答えはない。  聞こえていないのか、あるいは力いっぱい首を絞められているために、答える余裕がないのか。  どちらでも、彩樹にとっては同じことだった。 「ああ、答えなくていいや。あいつの姿をしている、オレにはそれだけで十分だ」  気管の上に置いていた親指に、最後の力を込める。 「……死ねよ、お前」  気管が潰れる感触が伝わってきた。指が喉にめり込む。  咳き込むような音とともに、アリアーナの口から血の泡が吹き出す。  彩樹の手に爪を立てていた白い手から、力が抜けていった。  口から溢れ出した血が、彩樹の手を汚す。  そっと、手を放した。  見開かれたままの瞳からは生命の光が消え、今はアメシストではなくて、ただのガラス玉に見えた。 7 「彩ちゃん!」 「彩樹さん!」  早苗と一姫は同時に叫んだ。  夕暮れ。  夢魔の最後の一匹を追って森の中をずいぶんと歩き回ったが、最後にその気配を感じ取ったのは、意外なことに森の外からだった。  森から出てきた一行は、そこで予想もしていなかった人物と出会った。  そろそろ薄暗くなりはじめた公園の中、森から一番近い位置にあるベンチに座っている彩樹の姿がある。右手に、イタチよりも少し大きいくらいの動物を鷲掴みにして、顔の前にぶら下げていた。手の中の動物を観察しているようにも見える。  真っ先に早苗が駆けだした。一姫が遅れて後に続く。  彩樹の手の中の獣は、既に息絶えているようだった。手足も尾もだらりと力なく垂れ下がり、毛皮が血で汚れている。 「……彩ちゃん」  ベンチの近くまで来て、もう一度名を呼んだ。それでようやく気付いたのか、彩樹がこちらを向く。  不思議そうな表情で、早苗と、その後に続く一行を見つめている。早苗はその表情の意味を取り違えた。 「ああ、姫様が来てるから驚いた? 実は、向こうの世界の夢魔がこっちに紛れ込んで、昼からずっと、みんなで追ってたんだ。それが、最後の一匹」  早苗は無邪気に笑って言う。あれだけ苦労して追ってきたのに、実は最後の一匹はとっくに彩樹が捕まえていたのだ。やっぱり、いざというときは頼りになるな、と。 「……夢魔?」 「うん、そう。こんなことなら、やっぱり早く彩ちゃんに連絡しておけばよかったね。そしたら苦労しなくてもよかったのに。ホント、大変だったんだよ。ウチもいっちゃんも、夢魔に幻を見せられて危ない目に遭っちゃってさ。彩ちゃんは大丈夫だった? ……って、心配するまでもなかったね。簡単に捕まえちゃうんだもんなぁ」  夢中でまくし立てる早苗を、彩樹はやっぱり不思議そうに見ていた。その目に少しずつ、理解の色が浮かんでくる。 「夢魔……ね、なるほど。お前ら、こいつを捜してたのか、ほら」  彩樹は立ち上がって、死体回収袋を持っていたスピカに手の中の小さな獣を差し出す。その時にはもう、顔にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいた。  スピカも安堵の表情でそれを受け取る。一姫はハンカチを取り出して、夢魔の血で汚れた彩樹の手を拭いてやった。 「サイキは、どんな夢を見た?」  アリアーナが、彩樹の前に進み出て訊いた。彩樹は数秒間その顔を見つめてから、にやりと笑って応える。 「さあ、な。憶えてないよ」 「……そうか」 「ああ」  それから何を思ったのか、手を伸ばしてアリアーナの喉に触れる。彩樹が女の子に触れるのは日常茶飯事だが、相手がアリアーナとなると早苗や一姫にとっても意外だった。  しかし触れられている当人は相変わらず無表情で、特に反応も示さない。 「こうして見ると、細い首だな。ちょっと力を入れたら、折れそうだ」 「それが、夢魔と何か関係あるのか?」 「いいや。なんとなく思っただけさ」  それだけ言うと彩樹は手を放し、夕陽に向かって大きく伸びをする。 「どうでもいいけど、腹が減った。メシでも食いに行くか。もちろん、スピカやメルアも一緒に。前に置いとくとメシが美味くなる顔だもんな。さすが近衛騎士」  面と向かってそう言われて、スピカもメルアも微かに頬を赤らめた。女性の近衛騎士団にはもともと百合的な空気があり、彼女たちの間でも彩樹の人気は高いのだ。 「近衛騎士の採用基準に、容姿というのはないが」  アリアーナが正論を口にするが、彩樹は取り合わない。 「それは建前。近衛騎士は人前に立つ機会も多いからな、実力の他に見た目も重要だってことくらい常識だろ。オレは嬉しいけどね」 「否定はしない。が、別に彩樹を喜ばせるための近衛騎士ではないぞ」 「いいじゃん、どうだって。さ、行くぞ」  スピカとメルアの肩に手を回して「両手に花」状態で歩き出そうとした彩樹は、最後にもう一度アリアーナを振り返った。 「言っとくけど、メシはお前のおごりだからな」  向こうの魔物退治のために苦労したんだから、と言外に匂わせる。 「わたしたちは、こちらの通貨は持っていない」 「オレが立て替えとくから、後で金貨か宝石で払えよ」  それを日本円に換金するのは、知内の仕事だ。  それで話は終わった、と彩樹は歩き出す。両腕の美しい騎士たちを強引に促して。  三人の後に続く早苗は呆れたような顔を、一姫はむっとした表情をしている。  そしてアリアーナは――。  一度、そっと自分の首に触れ、それから歩き出した。  先ほど触れた彩樹の手に、冗談で済ませるには不自然なほどの力が込められていたことに、彼女以の誰も気付いていなかった。 ― 終 ― あとがき  久しぶり、の『たたかう少女』です。前作から一年ぶりくらいでしょうか。まあ、彩樹は『光』の新春特別番外編や『笙子』にも出演していますけど。  ところでこれは、2のあとがきで予告した完結編ではありません。ふと思い付いて、構想半日、執筆二日で書き上げた即席作品。(実際には、その後の推敲にもう少し時間をかけていますが)  このシリーズは『光』よりも読み切り性が高いので、こーゆー真似もできるわけです。そんな暇があったら『光』の最終話を書けという声もあるかもしれませんが、彩樹×アリアーナも人気の高いカップリングだし、彩樹のような「狂った」キャラは、たまに書くと楽しいし。  で、今回の物語ですが……。  異世界から迷い込んできた魔物退治という、それだけ聞けばいかにもライトファンタジーらしいプロットなんですが、本質は全然そんな話じゃない。本人も「なんだかなぁ、これ」と思いながら書いたものです。これのちょっと前に書いていた読み切り短編(HPでは二○○一年四月公開予定)の影響かなぁ。  次回『たたかう少女4 〜反逆の少女たち(仮)〜』は、もう少し普通の美少女活劇になると思います。もっとも、またその前にふと思い付いたエピソードが挿入されるかもしれませんが。  この作品のサブタイトル『スナーク狩り』というのは、ルイス・キャロルの有名な長編詩のタイトルです。宮部みゆきの小説じゃなくて(笑)。ここで簡単に説明あるいは理解できるような作品ではないので、興味のある方はご自身で読んでみてください。  そして、早苗が夢魔を狙撃するシーンに出てくる「ボブ・リー・スワガー」というのは、スティーヴン・ハンターの小説『極大射程』『狩りのとき』『ブラックライト』の主人公の名です。元海兵隊員で、ヴェトナム戦争で活躍したスナイパー。私もサバイバルゲーマーだった頃、ライフルには並々ならぬ思い入れがあったので、この作品はお気に入りなんです。  ではここで、恒例のお願いを。 『たたかう少女』は『楽園(旧エンターテイメント小説連合)』のランキングにエントリーしています。気に入ってくれた方は、ぜひ投票してください。  投票方法は、http://novel.pekori.to/main.htmlのページで、キーワード「北原樹恒」あるいは「たたかう少女」でオンライン小説を検索し、投票ボタンを押すだけです。  続いてお知らせ。 『光の王国9・黒剣の王』のあとがきで紹介した『光』CD−ROMですが、一応需要はあるようなので、作ることに決めました。(まあ「一応」という程度の需要でしかないんですが)  発売時期は……ずっと先(笑)。まずは最終話を書き上げないと。そういえば、CDには書き下ろし短編等も収録しますが、その他に「申し込んでくれた人は、最終話を一足先に読むことができる」特典なんかも考えています。  そして『光』より先に『TeaParty』のCD−ROM『PartyMix』を発売します。今月末か、来年初め頃に。『真保ティー』『午後ティー』『みそさざい』のTeaPartyシリーズ三作を、未公開作品や描き下ろしも少し加えて一枚に収めたもの。オマケとして『光』CD宣伝用ムービーも収録予定。  申込方法等は、近日中に『ふれ・ちせ』でご案内します。お楽しみに。  それでは、また、次回作(未定)でお会いしましょう。 二○○○年十二月 北原樹恒 kitsune@nifty.com 創作館ふれ・ちせ http://plaza4.mbn.or.jp/~kamuychep/chiron/