「彩ちゃん!」
「彩樹さん!」
 早苗と一姫は同時に叫んだ。
 夕暮れ。
 夢魔の最後の一匹を追って森の中をずいぶんと歩き回ったが、最後にその気配を感じ取ったのは、意外なことに森の外からだった。
 森から出てきた一行は、そこで予想もしていなかった人物と出会った。
 そろそろ薄暗くなりはじめた公園の中、森から一番近い位置にあるベンチに座っている彩樹の姿がある。右手に、イタチよりも少し大きいくらいの動物を鷲掴みにして、顔の前にぶら下げていた。手の中の動物を観察しているようにも見える。
 真っ先に早苗が駆けだした。一姫が遅れて後に続く。
 彩樹の手の中の獣は、既に息絶えているようだった。手足も尾もだらりと力なく垂れ下がり、毛皮が血で汚れている。
「……彩ちゃん」
 ベンチの近くまで来て、もう一度名を呼んだ。それでようやく気付いたのか、彩樹がこちらを向く。
 不思議そうな表情で、早苗と、その後に続く一行を見つめている。早苗はその表情の意味を取り違えた。
「ああ、姫様が来てるから驚いた? 実は、向こうの世界の夢魔がこっちに紛れ込んで、昼からずっと、みんなで追ってたんだ。それが、最後の一匹」
 早苗は無邪気に笑って言う。あれだけ苦労して追ってきたのに、実は最後の一匹はとっくに彩樹が捕まえていたのだ。やっぱり、いざというときは頼りになるな、と。
「……夢魔?」
「うん、そう。こんなことなら、やっぱり早く彩ちゃんに連絡しておけばよかったね。そしたら苦労しなくてもよかったのに。ホント、大変だったんだよ。ウチもいっちゃんも、夢魔に幻を見せられて危ない目に遭っちゃってさ。彩ちゃんは大丈夫だった? ……って、心配するまでもなかったね。簡単に捕まえちゃうんだもんなぁ」
 夢中でまくし立てる早苗を、彩樹はやっぱり不思議そうに見ていた。その目に少しずつ、理解の色が浮かんでくる。
「夢魔……ね、なるほど。お前ら、こいつを捜してたのか、ほら」
 彩樹は立ち上がって、死体回収袋を持っていたスピカに手の中の小さな獣を差し出す。その時にはもう、顔にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいた。
 スピカも安堵の表情でそれを受け取る。一姫はハンカチを取り出して、夢魔の血で汚れた彩樹の手を拭いてやった。
「サイキは、どんな夢を見た?」
 アリアーナが、彩樹の前に進み出て訊いた。彩樹は数秒間その顔を見つめてから、にやりと笑って応える。
「さあ、な。憶えてないよ」
「……そうか」
「ああ」
 それから何を思ったのか、手を伸ばしてアリアーナの喉に触れる。彩樹が女の子に触れるのは日常茶飯事だが、相手がアリアーナとなると早苗や一姫にとっても意外だった。
 しかし触れられている当人は相変わらず無表情で、特に反応も示さない。
「こうして見ると、細い首だな。ちょっと力を入れたら、折れそうだ」
「それが、夢魔と何か関係あるのか?」
「いいや。なんとなく思っただけさ」
 それだけ言うと彩樹は手を放し、夕陽に向かって大きく伸びをする。
「どうでもいいけど、腹が減った。メシでも食いに行くか。もちろん、スピカやメルアも一緒に。前に置いとくとメシが美味くなる顔だもんな。さすが近衛騎士」
 面と向かってそう言われて、スピカもメルアも微かに頬を赤らめた。女性の近衛騎士団にはもともと百合的な空気があり、彼女たちの間でも彩樹の人気は高いのだ。
「近衛騎士の採用基準に、容姿というのはないが」
 アリアーナが正論を口にするが、彩樹は取り合わない。
「それは建前。近衛騎士は人前に立つ機会も多いからな、実力の他に見た目も重要だってことくらい常識だろ。オレは嬉しいけどね」
「否定はしない。が、別に彩樹を喜ばせるための近衛騎士ではないぞ」
「いいじゃん、どうだって。さ、行くぞ」
 スピカとメルアの肩に手を回して「両手に花」状態で歩き出そうとした彩樹は、最後にもう一度アリアーナを振り返った。
「言っとくけど、メシはお前のおごりだからな」
 向こうの魔物退治のために苦労したんだから、と言外に匂わせる。
「わたしたちは、こちらの通貨は持っていない」
「オレが立て替えとくから、後で金貨か宝石で払えよ」
 それを日本円に換金するのは、知内の仕事だ。
 それで話は終わった、と彩樹は歩き出す。両腕の美しい騎士たちを強引に促して。
 三人の後に続く早苗は呆れたような顔を、一姫はむっとした表情をしている。
 そしてアリアーナは――。
 一度、そっと自分の首に触れ、それから歩き出した。
 先ほど触れた彩樹の手に、冗談で済ませるには不自然なほどの力が込められていたことに、彼女以の誰も気付いていなかった。

― 終 ―


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