びっくりコミケット

冬コミ?
 目を瞬かせて、由乃さんが聞き返した。
「えー、もうそんな話題がのぼる季節なの?」
 それは放課後、薔薇の館に向かう途中の廊下を二人で歩いている時、ふと思い立って祐巳がふった話題だった。
「もう、って。印刷屋さんの入稿だって、締め切りギリギリだよ」
「そうか、そうだよね」
 由乃さんは手袋したまま指を折って、「うーん」と小さく唸った。なんに関しても、祐巳の一歩先を歩いているような人が、コミケという一大行事を忘れているなんて珍しい。先手必勝が座右の銘の由乃さんなら、季節を先取りしていそうなものなのに。
「思い出したくないことは考えないようにできているのかな、人間の頭って」
「何、それ」
 祐巳は思わず聞き返した。
「言葉の通りよ。コミケって、気が重い」
「どうして。令さまと黄薔薇さまの本に原稿描かないの?」
「描いてる。毎回。……ということは、今回も描かないとだめよね」
「だめ、ってことはないだろうけど。毎回のものが、今回に限ってなかったら変じゃない?」
「そうだよね。『黄薔薇革命』以降初のコミケだけに、描かなきゃかなりへこむだろうなぁ。令ちゃんの性格上」
「描きたくないんだ、由乃さん」
「描くこと自体はね、嫌じゃないんだ」
 だけど由乃さんの場合、描く物が問題らしい。
「相手が令ちゃんでしょ? このプレッシャーってわかるかな? 年々厚くなるフルカラー表紙の本に、こっちは何を描けばいいわけ? しかも今回はアー×スコだから、ひびき玲音さまがゲストなのよ」
「ひびき玲音さまのゲストか……」
 一瞬うらやましいと思ったけど、原稿を描く立場になってみれば、それは確かにずっしり重いかもしれない。
 由乃さんのお姉さまである支倉令さまは、ベリーショートヘアで竹刀振り回しているような人で、見た目はかなりあれだけど、その内面はとても『アレ』で、同人誌作りなんかさせようものなら、イラストでもマンガでもそれこそプロ顔負けのものを描いてしまう腕の持ち主なのだった。
 そこに輪をかけて、プロのイラストレーターであるひびき玲音さまのゲスト。由乃さんにのしかかるプレッシャーは計り知れない。
「別に、原稿描き以外のことでコミケのお手伝いしてもいいんじゃないの? コスプレの衣装作りとか」
「衣装作り?」
 ぴくり。由乃さんの眉毛が歪んだ。
「あっ……!」
 言ってすぐ、祐巳は「しまった」と思ったけど、もう遅い。友達に救いの手を差しのべたつもりが、バランスを崩して自分から泥沼に陥ってしまった。
「……ごめん。うっかりしてた」
「いいの、祐巳さんのせいじゃないもん」
 夏コミで由乃さんが着た『カードキャプターさくら』の衣装は、令さまの手作りだった。令さまという人は、マンガ描きだけじゃなく、裁縫の腕もプロ級。そういう手先の器用な人に対して、決して裁縫が得意とはいえない由乃さんが、いったい何を作ってあげられるというのだろう。お姉さまが違うと、思いも寄らない悩みが生まれるものだなぁ、と祐巳は思った。
「参考にならなくてごめんね」
「え?」
「今度のコミケ。祐巳さん、祥子さまと一緒にコスプレするんでしょ? 私がアドバイスできたらよかったけど」
「すごい。何もかもお見通しなんだ」
 さすが、由乃探偵。思わずその眼力を褒めると、苦笑が返ってきた。
「祐巳さんがわかりやす過ぎるんだけどな」
 呆れたようにつぶやく。百面相って白薔薇さまにいわれるけど、本当に頻繁に思ったことが顔にでているようだ。
 扉を開けると、ちょっとだけ肌に感じる温度が高くなって、そして二階の談笑が微かに聞こえてきた。
 その中に、二人はそれぞれ自分のお姉さまの声を聞きつけ、目を輝かせて我先にと階段に急いだ。お姉さまに見つかったら「はしたない」と注意されるほどスカートの裾が翻った。
 コミケのことを考えると、祐巳の胸は高鳴る。
 わくわくとドキドキが混じり合って、今から居ても立ってもいられない気分になるのだった。

 それが、確か十一月の終わりの出来事。


 それから少し経ったある日。
「冬コミ?」
 多大な期待はしていなかったけれど、志摩子さんは「何のこと?」って感じに首を小さく傾げて微笑んだ。
「……えっとね」
 痒くもない頭をぽりぽりとかいて、祐巳は言葉を詰まらせた。
 予想通りというか何ていうか。志摩子さんの対応ったら、どう見ても一ヶ月近く前からカタログチェックしている女の子(黄薔薇さまや令さま)のそれとは違う。
「嫌だ、祐巳さん。私だってコミケットくらい知っていてよ」
……知ってるんかいっ?
 意外な台詞に、思わず心の中でツッコミを入れてしまう祐巳だった。


《後編に続く……わけない》




あとがき


 きばらの森シリーズ第三弾というか、ばみゅシリーズ第二弾というか……。なんだか最近、すっかり壊れ系作家になってます、私。
 でも今回の作品は、『バミューダトライアングル』ほどのインパクトはありません。やっぱりあれを超えるパロディは難しいです。この手のネタは無尽蔵にあるんですけどね。
 例えば『ロサ・カニーナ』の五十四ページの一節から――
 しかし、現在の黄薔薇さまの趣味が「やおい同人誌」であったがために、正統的な美少年で、Gペンを持たせれば右に出る者はいないという令さまが、めでたく妹に選ばれたというわけだった。
 ――とか(笑)。
 ラブラブとかシリアスとかの二次創作は、他の方々が一生懸命書いているので、私は当分パロディに専念しようかと思ってます。
 いや、シリアスも考えてはいますけどね。


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