九州からの帰り道――
 飛行機の中でも電車の中でも、凉子はずっと機嫌が悪かった。
 話しかけるのも躊躇われるくらい、不機嫌そうな表情が顔に出ている。その表情は、聖美に向けられる時によりいっそう嶮しくなるように思われた。
 他の部員たちが全国優勝の喜びに浸っているのとは対称的だ。
 ――そう、
 勝ったのだ。
 聖陵女学園柔道部が、団体戦で初めて全国大会を制覇したのだ。
 なのにどうして凉子はあんなにも不機嫌そうなのだろう。今回ばかりは聖美にも心当たりがない。
 それとも、最終的に勝ったとはいえ、隙を見せて寝技に掴まってしまったのが気に入らないのだろうか。
「あの……なにかいけないところがあったでしょうか?」
 駅で解散して二人きりになったところで、意を決して訊いてみた。
「私としては、全力を尽くして、現時点で望みうる最上の結果を出したつもりなんですけど……」
 前を歩いていた凉子は、立ち止まるとひと呼吸の間を置いてこちらを振り返った。やはり怒っているような表情だ。
「……そうだな、気に入らないことはふたつ」
 指を二本立てて言う。
「ひとつは、簡単に寝技で捕まったこと。私があれだけ鍛えてやったってのに……。またヘンなこと考えてたんじゃないのか?」
「ち、違います!」
 慌てて否定する。
「あ、あれは単に、ポイント取れたのが嬉しくて油断してしまっただけです! だいたい、あんな人全然タイプじゃないですからっ!」
 凉子に稽古をつけてもらっている時ならともかく、あの時は本当に邪念などまったくなかった。
 その点ははっきりさせておきたい。他の人間に興味を示していたなどと、凉子に誤解されたくはない。
「……ふん。じゃあ、そういうことにしとく」
 どことなく軽蔑したような口調に聞こえなくもない。信じていないのだろうか。だけど、こればかりは信じて欲しい。
「じゃあもうひとつ。まあ、寝技の件を別にすれば、確かに副将戦は立派だったな。ギリギリで寝技から脱出して、最後はきっちり立ち技で仕留めたんだから。でも、その後の大将戦は…………いや、いいや。なんでもない」
 そこまで言いかけて、凉子ははっと気づいたように口をつぐんだ。うっかり口を滑らせてしまった、言ってはいけないことを言ってしまった、という様子だ。
「でも……勝ちましたけど?」
 そう。
 副将戦では辛うじて寝技から脱出した後、時間ぎりぎりで技ありを奪って勝利を収めた。
 続く大将戦もその勢いで積極的に攻め続け、結局ポイントは取れなかったものの、相手にもポイントは許さず引き分け。
 つまり、こちらの大将、凉子の手を煩わせることなく、聖陵学園を初の全国優勝に導いたのだ。
 聖美がまだ一年生であることと、相手が全国レベルの強豪、淑北学園の三年生であること考えれば、文句なしの好成績といっていい。
「……そうだな。うん、いいや、よくやったよ。なんでもない、さっき言ったことは忘れて」
「なんですか? 悪いところがあるなら言ってください」
 誤魔化すような凉子の態度。
 いったいなんだろう。言いかけてやめられるとすごく気になる。
 なにが気に入らなかったのだろう。大将戦では、その前の試合のように隙を見せて寝技で捕まることもなかった。ポイントは取れなかったが、けっして消極的な試合運びだったわけではなく、常に先手先手と攻め続けた。審判次第では相手に指導が与えられてもおかしくなかった展開だ。
「いや、別に……アンタが悪いわけじゃない、うん」
 ばつが悪そうな表情。しかし不機嫌そうであることには変わりない。
「凉子先輩?」
「……や、だからさ」
 渋々、といった様子で凉子は口を開いた。
「……なんで、大将戦まで一人でやるんだよ?」
「…………え?」
「おかげで、あたしの見せ場がなかったじゃん! 金鷲旗の決勝、一年生が健闘して五分の星にしてくれたところで、大将戦は軽量級のあたしが重量級相手に華麗な一本勝ち! ……という筋書きだったのに」
 二度、三度と瞬きを繰り返す聖美。凉子の言葉の意味が、少しずつ飲み込めてくる。
「…………凉子先輩って」
 口を開くと、吹き出しそうになるのを堪えるのに苦労する。
「意外と、目立ちたがりなんですね」
 自分の出番がなかったことが気に入らないとは。
 ただチームが全国優勝しただけでは満足していない。自分が活躍した上での勝利でなければ、凉子にとっては不満なのだ。
「でも、カッコイイところを見せろって言ったのは凉子先輩ですよね?」
「……だから、アンタが悪い訳じゃないって」
「私、すごく頑張ったんですよ? 寝技で捕まった時も、大将戦も。凉子先輩に認めてもらうためにはこんなことじゃダメだって。相手がどんな強豪だって、弱気にならずに向かって行かなきゃダメだって」
「…………なにが言いたいんだ?」
「あの二試合……私、カッコよくなかったですか?」
 意味深な笑みを浮かべつつ訊く。他はともかく、あの試合に文句は言わせない。
 一瞬、凉子が言葉に詰まる。
 困惑の表情を浮かべ、悔しそうに歯ぎしりする。
「…………まあ、ちょっとはカッコよかったかも。……か、勘違いすんなよ、「ちょっと」だからな!」
 微かに紅くなった凉子の顔。この顔を見れば、あの試合をどう評価してくれたかは一目瞭然。
 叫び出したいくらい、嬉しかった。
「い……いい気になるなよ! あのくらいで満足してちゃダメなんだ! 次はインターハイ、もっともっとしごくぞ!」
「……、はい!」
 照れ隠しに、無理に厳しい表情を作る凉子。だけど聖美の表情は緩みっぱなしだった。



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