金鷲旗全国高等学校柔道大会――
 毎年夏に福岡で開催される柔道の大会で、インターハイ、春の選手権と並んで高校柔道の三大大会のひとつといわれている。
 過去、目立った成績は残していなかった聖陵女学園柔道部だが、今年は組み合わせに恵まれたことに加えてルーキー聖美の活躍もあり、順調に勝ち進んだ。
 次は、いよいよ決勝だ。
 相手はインターハイや選手権の常連校で、昨年優勝の強豪・淑北学園。
 全国覇者の凉子を別にすれば、聖陵女学園は選手ひとりひとりの実績では大きく劣っている。その凉子も高校女子日本一とはいえ軽量の48kg級、長身の聖美でも57kg級で、レギュラー全員が63kg級以上の淑北学園とは体格でも大きな差がある。
 それでも聖陵女学園は善戦した。
 先鋒は有効を取られて負けたものの、次鋒が取り返して五分に戻し、そのまま次鋒と中堅は苦しみながらもなんとか引き分けに持ち込んだ。
 ここまでは作戦通りといっていい。総合力では見劣りする聖陵女学園、無理はせずに引き分け狙いに徹し、大将の凉子に勝負を託す作戦だ。力の差を考えれば引き分けに持ち込むのも簡単なことではないが、選手たちは皆『凉子につなぎさえすればなんとかなる』と実力以上の力を発揮して奮闘した。
 まったく互角の戦況のまま、副将同士の対戦となる。いよいよ聖美の出番だ。
 さすがに緊張してくる。
 中学時代には全国大会の経験は何度もある聖美だが、高校の三大大会となると中学の大会とは規模が違う。
 淑北学園の副将・山崎和恵は70kg級の三年生で、昨年は二年生でインターハイにも出場している強者だった。引き分けに持ち込むのも至難の業だろう。
 しかし、もしもここで聖美が負けたら、聖陵女学園の逆転優勝の可能性は限りなく低くなってしまう。田村亮子の再来とさえいわれる凉子だが、相手の大将だって78kg級で全国優勝の経験がある強豪だ。小柄な凉子ひとりで圧倒的な体格差のある敵の副将、大将を続けて相手にするのはきついだろう。
 最低限、聖美が副将戦を引き分けなければならない。五分の条件で一対一、大将同士の対決となれば、きっと凉子は勝ってくれる。
 最低でも引き分け。
 ……いいや!
 聖美は首を左右に振った。
 引き分けじゃダメだ。勝たなければ。
 そうだ、なんとしても勝たなければならない。
 凉子に認められるくらいに、格好いいところを見せなければ。
 そうすれば、なにかが変わるかもしれない。そうしなきゃ、なにも変わらない。
 勝つしかない。
 自分の力を出し切って、そして勝つのだ。
 両手で顔を叩いて気合いを入れる。
 開始線の前に立つ。
「始め!」
 審判の合図と同時に飛び出す。
 体重とパワーで劣る聖美にとって、スピードと技の切れこそが武器だった。
 速攻で相手の袖を掴む。腕を大きく振って引き手を切ろうとするのに合わせて、一気に懐に飛び込む。相手の重心が後ろに傾いたところを狙って脚をかけた。
 大きくバランスを崩す和恵。その一瞬の隙に襟を掴み、前に体重をかける。聖美の得意技のひとつ、大外刈り。完璧なタイミングだった。
 そのまま相手が背中から倒れれば一本勝ちだったが、さすがに強豪校の副将、そんなに甘くはない。完全にバランスを崩しながらも身体を捻り、横向きに畳に落ちた。
 審判の腕が動く。
「有効!」
 やった!
 強敵からポイントを奪った。これで後の展開がかなり有利になる。
 しかしその一瞬、隙が生じてしまった。自分の技が高校でもトップクラスの選手に通用することの喜びに、我を忘れてしまった。
 百戦錬磨の敵は、その隙を見逃しはしなかった。
 襟を掴まれる。
 大柄な体格に似合わぬ早業だった。はっと気がついた時には、畳の上に引き倒されていた。
(しまった!)
 こんなところで、寝技で捕まるなんて。
 身体を捻って俯せになろうとするが、肩を押さえられてしまう。相手の身体に脚をかけようとしたが、一瞬早く向こうが身体の位置を変えた。
「抑え込み!」
 審判が宣言する。
 まずい。
 相手とは体重差がある。まともに下になったら返すのは困難だ。
 赤畳は遠い。70kgを引きずって場外に逃げるのは難しい。
 唯一、自由に動かせる脚を振って暴れる。脚の動きを封じられたら一巻の終わりだ。なんとか相手に脚を絡められれば抑え込みは解ける。
 必死に暴れる聖美。
 しかし和恵は力が強い。どうしても引き剥がせない。
 それでも暴れ続ける。時間が過ぎていく。
 10秒……15秒……20秒、ポイントで並ばれる。
 どんなに暴れても抑え込みが解けない。
 ここまでか……、そんな諦めの気持ちが膨らんでくる。
 いいや。柔道は球技などとは違う。どれだけポイントでリードされていても一本取れば勝ち、残り時間が一秒だって逆転の可能性はある。
 諦めちゃだめだ。最後の、最後まで。
 試合終了の瞬間まで、諦めてはいけない。どんなに困難な状況でも、可能性はゼロではない。
 ここで諦めてしまうような人間を、凉子が認めてくれるとも思えない。
 試合はまだ終わってはいないのだ。
 一瞬――ほんの一瞬だけでいい。一瞬だけ、相手の力を凌駕することができれば。
 人間、本当の全力を出せる時間なんてごくわずかなものでしかない。力の差がある相手でも、力が緩んだその一瞬に自分の全力をぶつけることができれば、活路は開けるかもしれない。
 きっと、あと一度くらいはチャンスがあるはずだ。
 聖美は大きく息を吸い込んで意識を集中した。



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