九月初め――
 たいていの中学生にとって、夏休みが終わり二学期が始まって間もない頃。
 しかしその日、私、宮崎愛梨は学校を休んで自室で寝ていた。
 新学期が始まってすぐに、体調を崩して熱を出してしまったから。
 こうしたことは日常茶飯事だった。小さな頃から身体が弱くて、季節の変わり目とか、生活のリズムが変わった時には熱を出して寝込むこことが多かった。
 それ自体はもう慣れたこととはいえ、夏休みにも飽きて、新学期が始まって少し喜んでいたところだったのに。
 ベッドの中で、小さく溜息をつく。
 まあ、今日一日安静にしていれば、明日には学校へ行けるだろう。体調を崩すことに慣れている分、どの程度で回復するかも容易に予想できる。
 ベッドの中で寝返りを打つ。
 眠ってしまえばいいのだろうけれど、時刻はまだ午前中、朝食を終えて少しうとうとしたところで、眠くなんてならない。
 ぼんやりと天井を見つめる。
 体調が悪くて休んでいる時は、テレビもゲームもケータイも厳しい時間制限付き。それが我が家のルール。
 いまどきの女子中学生にとってはかなり厳しい制約だ。もっとも、この時間帯はメールする友達も授業中なのだけれど。
 熱は高いけれどそれは慣れたもので、他にこれといって不調なところもない。
 だから、今の状況は少々退屈だった。

 ――と。

 その時、部屋のドアが軽くノックされた。
「……ん」
 小さな返事。
 それでも相手には聞こえていたようで、ドアが開けられる。
 入ってきたのは、長身の男性。
 宮崎勇利。
 簡単にいえば、私のお兄ちゃん。
 大学生は、中学生に比べると格段に夏休みが長い。私は新学期が始まっているけれど、お兄ちゃんはもうしばらく休みが続く。
 だから共働きの両親に代わって、身体が弱い私の看病をしてくれていた。
「具合はどうだ?」
「……ふつー」
「熱は?」
「まだ、ちょっと」
「喉、乾いたろ」
 手に持っていたトレイの上のコップを差し出してくる。
 適度に冷えた、お手製のはちみつレモン。
 熱がある時の栄養と水分の補給に役立ち、喉にも優しいということで、熱を出すといつも作ってくれるものだった。
 グラスを手に取って、ストローをくわえて喉を潤す。
 元気が出てくる甘みと、ほどよい酸味。
 私の好みを知りつくした、絶妙な甘みと酸味のバランス。
 そして、心地よい冷たさ。
 熱で火照った身体が冷めていく。
 一気にコップ半分ほどを飲み干した。
 そこで一度口を離し、グラスを置く。
 お兄ちゃんが、パジャマをつまんで言う。
「汗、かいてるな」
「……ん」
 朝食後に飲んだ解熱剤の効果だろう。
 普段の寝汗よりも明らかに量が多い。
「寝る前に、汗拭いて着替えておけよ」
「……うん」
 タンスから、替えのパジャマを出してくれる。
 こうした状況を予想していたのだろう。トレイの上には濡れたタオルも載っていた。
 私は、ベッドの上に身体を起こす。
 湿ったパジャマが気化熱で冷えて、ひんやりとする。
 そのパジャマを、お兄ちゃんが脱がせてくれる。
 そして、身体を拭いてくれる。
 首筋から始まって、腕、背中、胸、お腹。
 長い髪をかき上げて、冷たいタオルが肌の上を滑っていく。熱で火照った身体に気持ちいい。
 そして、替えのパジャマを着せてくれる。さらっとした洗いざらしのパジャマ。気分もすっきりする。
 こうしたことは、小さな頃から〈日常〉の一部だった。だから、お兄ちゃんの前で下着一枚になって着替えを手伝ってもらっても、恥ずかしいなどという感覚はない。
 さすがにパンツまで脱げといわれたら抵抗があるだろうけれど、胸を露わにするくらいは日常茶飯事だ。そもそも、私の胸は〈色っぽさ〉には欠ける発育具合である。
 お兄ちゃんも〈妹〉を特別に意識することはない。淡々と〈作業〉として私の身体を拭き、着替えを手伝う。
 そんなものだろう。女の子にはまったく不自由していない、格好よくてかなりもてるお兄ちゃんなのだ。しかもその相手は、胸が大きくて色っぽい女子大生。中学生の妹によからぬ想いを抱くなどありない。お兄ちゃんにとって私は〈まだ子供〉の〈妹〉でしかないし、私の認識も同様に、優しく看病してくれる〈家族〉だった。
 だから、パジャマの下を脱がされても、脚を拭かれても、新しいパジャマを着せられても、特に意識することもない。
「昼になったら起こすから、少し寝てろ」
「……ん」
 新しいパジャマに着替えてさっぱりとした私は、素直に従ってベッドに潜り込んだ。


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