翌朝――
「おっはよー、愛梨。もう具合はイイの?」
いつも一緒に登校する親友の葵ちゃんとの待ち合わせ場所へ行くと、先に来ていた葵ちゃんは、私の姿を見つけて大きく手を振った。
「ん、もう平気」
こうしたことは日常の一部で、葵ちゃんも必要以上に騒ぐこともない。私の発熱は、たいていは一日おとなしく寝ていれば治るのだ。
「夏休みでさんざん休んだ直後にまた休みで、さすがに退屈だったんじゃない? ひとりで寂しくなかった?」
「退屈ではあったけど……、家にはお兄ちゃんもいたし」
「あ、そっか……」
ぽんと手を叩く葵ちゃん。
「大学生はまだ夏休みなんだ。……じゃあ、例によって勇利さんに看病してもらってたの? いいなー、うらやましい」
「うらやましいって……こっちは病気なのに」
「だってさー、あのカッコイイお兄さんに、家にふたりっきりで優しく看病なんかしてもらって……ああもう! 考えただけでヘンな気分になりそう! もういっそ襲ってぇー」
ピンク色をしたハート形のオーラを振りまきながら、アブナイ台詞を吐く。できれば往来ではやめてほしい展開。
こんな葵ちゃんは、お兄ちゃんの大ファンだ。
確かに、お兄ちゃんは客観的に見て格好いい。背は高いしおしゃれだし、頭もけっこういいみたいだし、スポーツも、スキーとかテニスといった、女の子に受けのいいものはたいてい得意だった。
これまでに付き合った女の子の数は妹の私でも把握しきれないし、私の友達にもファンは多い。
しかしもちろん、私にとってはどうでもいいことだった。
「……別に、優しく看病してくれるなら、お兄ちゃんだろうとお母さんだろうと、誰でもいいんだけど」
正直なところ、発情気味の台詞を吐く葵ちゃんには少しひいてしまう。
「だいたい、兄妹でヘンな気分になるなんてありえないよ。着替えを手伝ってもらったって平気だし」
あっさりと応えるが、葵ちゃんはそれが気に入らないらしい。
「愛梨ってば、なんでそんなに醒めてるの? 普通、あんなカッコイイお兄さんがいたら、『お兄ちゃん大好き(はぁと)』って、道を外れた恋に走るものじゃないの?」
妙に熱のこもった口調で主張する。
「……葵ちゃん、ヘンなマンガの読み過ぎじゃない?」
ひとりっ子の葵ちゃんには理解できないのだろう。兄妹はあくまでも兄妹。〈お兄ちゃん〉は〈異性〉ではない。兄妹で恋心を抱くなんて、きっとフィクションの中だけの話だ。
「……私としては、そーゆーフラワーコミックス的な展開は遠慮したいなぁ。そりゃ、お兄ちゃんのことは大好きだけど、それはあくまでも〈お兄ちゃん〉としてのことで、異性としての男の人に対するのとはまったく別のものだよ」
そう応えると、返ってきたのは葵ちゃんのジト目だった。
「じゃあ、あんたの理想のタイプって、どんなん?」
「え……」
一瞬、答えに詰まる。
即答は難しい。いま現在、実際に恋愛感情を抱いている男性がいるわけではないのだ。
だったら、どんな相手が現れたら恋に落ちるだろう……と想像してみた。
「……うーん……お兄ちゃんよりカッコよくて、お兄ちゃんより優しい人?」
「ンなもんいるかっ!」
間髪入れずにツッコミが入る。
確かに、モデルかアイドル並みの容姿のお兄ちゃんよりもカッコイイ男の子というのは希少価値だとは思う。同じクラスの男子なんかじゃまったく勝負にもならない。
「だったらもう勇利さんでいいじゃん! つか、そのセリフ、明らかにブラコン入ってンじゃん! さっさとくっついちゃえ! 血はつながってないんだからなにも問題ないっしょ?」
……そう。
お兄ちゃんとの間に血のつながりはない。もっと正確にいえば、お父さんやお母さんとも。
私の本当のお母さんはシングルマザーで、私が赤ちゃんの頃に事故で亡くなったのだそうだ。他に身寄りもなくて、学生時代からの親友だった今の両親が私を引き取ってくれたのだという。
生後何ヶ月か、という頃の話だから〈実の母親〉の記憶はまったくない。私にとっては、今のお父さんとお母さんが本当の両親だ。お父さんもお母さんも、そしてお兄ちゃんも、本当の子供、本当の妹として扱ってくれている。
だから、いくら血のつながりがないとはいえ、お兄ちゃんを〈男性〉として意識するなんてありえない。
「なにも問題ないっていうけどさ、『ぜんぜんそんな気にならない』という、唯一にして致命的な大問題が」
「なんでよ? あんた不感症? レズ? あーんなカッコイイお兄さんがいたら、実の兄妹だって近親相姦に走るっしょ? あたしなら走る! 絶対!」
拳を振りあげて、アブナイ発言を大声で主張する葵ちゃん。
「葵ちゃん、どうしてそんなに私とお兄ちゃんをくっつけたがるの?」
「だってあたし、勇利さんに憧れてるんだもの」
「……だったら葵ちゃんが付き合えばいいじゃない。応援するよ?」
女の子にはもてるお兄ちゃんだけど、今はたまたまフリーのはずだ。義理の兄妹とはいえ、〈妹〉よりも〈妹の友達〉と付き合う方がはるかに健全だろう。葵ちゃんがお兄ちゃんの彼女というのも悪くない。葵ちゃんさえその気なら、お兄ちゃんに売り込むくらいの協力は惜しまない。
だけど葵ちゃんはむっとした表情で私を睨んだ。
「……あんたに勝てるわけないじゃん」
「……は?」
「いちばん身近な男性が勇利さんである愛梨が、並みの男子に興味を示さないのと同様、勇利さんにとっていちばん身近にいる女の子は愛梨なんだよ? この見事なまでに長く艶やかな黒髪、真っ白で滑らかな肌、すらりと長い手脚、大きな目。見た目だけなら文句なしに清純派の超絶美少女、我が校の『守ってあげたい女の子ナンバーワン』のあんた!」
私の胸元に人差し指を突きつけてまくしたてる。
自分でもまあまあ可愛い方だとは思っているけれど、いくらなんでもそこまでの自覚はない。しかし友達にいうには、私は超級の美少女で、一緒に街を歩いている時に頻繁にナンパされるのも、例外なく私目当てで声をかけてきているのだとか。
その割に、学校の男子にちゃんと告白されたりしたこともないのだけれど、それも友達みんなに共通した見解として「あまりにも高嶺の花すぎるから」ということらしい。
「胸だけはやや色気に欠けるサイズとはいえ、この美少女を毎日飽きるほどに見ている勇利さんが、あたしなんかに興味を持つわけないじゃん。それに、女の子にも不自由してないんでしょ? 家に二人っきりで愛梨の看病していても、手も出さないんだから」
「……病気の妹に、看病ついでに手を出す兄ってヤダなぁ」
「とにかく!」
さらに声のボリュームが上がる。
「あたしにとっても勇利さんは高嶺の花。でも愛梨とくっつくなら諦めもつくよ。美男美女の組み合わせで絵的にもお似合いだしね。だけど他のヘンな女……ケバい年増の女子大生とかとくっつくのは許せん!」
「年増って……女子大生ならむしろ中学生よりもお似合いな気が」
お兄ちゃんも大学生。中学生と付き合っていたら、犯罪とはいわないまでも、ややロリコン気味といえるだろう。
「いーや、勇利さんにいちばんお似合いなのはあんた。他の女なんか認めん!」
「だからぁ、あたしは関係ないってば」
「ほんっとーになにも感じないの? あのイケメンで優しいお兄さんと一緒にいて。独りエッチのオカズにしたこともなし?」
「あ、あるわけないじゃない、そんなこと。考えたこともないよ」
まったく、とんでもないことを言うんだから。
通学途中の路上で、大声で「独りエッチのオカズ」なんて台詞は吐かないでほしい。
周囲の視線が気になって、葵ちゃんの手を引いて早足に歩き出した。
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