西十八丁目の魔女

序章 二年前、その日の朝


 六月、北海道の夜明けは早い。
 その日、鈴木安加流(あかる)が、珍しく目覚まし時計より早く目を覚ますと、カーテンの隙間から白い光が一筋射し込んでいた。
「ふあぁ…。なんか、不思議な夢を見てた気がする…。でも、どんな夢だったっけ?」
 まだ完全には開かない目をこすり、ベッドの上で大きく伸びをする。その姿は、まるで大きな猫のよう。
 そしてそのまま、またベッドに突っ伏する。
「眠い、よぉ…」
 安加流は、あまり朝に強い方ではない。
 しかも、昨夜は遅くまでゲームをしていて、ベッドに入ったのは午前一時過ぎだ。
 ――どうして、こんな日に限って早く目が覚めちゃうんだろう? 一分でも長く寝ていたい気分なのに…。
 安加流は小さく溜息をついた。
 元々細い目を更に細めて、枕元の時計を見る。
 起きるにはまだ少し早い気もするが、二度寝したら寝過ごすのは目に見えていた。
「寝直すにしても、中途半端かなぁ。」
 仕方なくベッドから降りた安加流は、両腕を広げて身体を反らし、もう一度伸びをする。
 そんな体勢でも、胸の脹らみがあまり目立たないことを本人は気にしているのだが、一日五百mlの牛乳も、今のところ目に見える効果は上げていない。
「雨は、上がったみたいね。」
 東向きに造られた窓のカーテンの隙間から、明るい朝陽が射し込んでいた。
 カーテンを開けると、真っ白い光が室内に満たされる。
 気持ちの良い朝の風景、しかし、窓の外の『ある物』を目にした安加流は、凍り付いたように動きを止める。
 どのくらいそうしていただろう。十秒か、それとも十分か。
 安加流は、一旦窓から離れると、机の上に置いてあったメガネをかけた。
 そうして、もう一度窓の外を見る。
 やはり現実だった。
 窓の外に、一頭の、大きな竜がいた。
「あ、目が合っちゃった…」
 竜の大きさは、頭から尻尾の先まで二十mほどもあるだろうか。
 金色の鱗に、朝陽が反射している。
 その大きな頭は、二階の安加流の部屋と同じくらいの高さにあり、安加流を一飲みにできそうな口の端から、先が二股に分かれた赤い舌がチロチロと覗いていた。
 しばらく、竜と見つめ合っていた安加流は、やがて静かにカーテンを閉める。
 メガネを外して机に置いた時、昨夜出しっ放しにしていた、二十面体のサイコロが目に留まった。
 何気なくそれを手に取り、机の上で転がす。サイコロの目は十九。
「ドラゴンブレスのセービングスロー、成功…」
 一般人には意味不明の言葉を呟くと、安加流はベッドに潜り込み、毛布を頭までかぶった。
(何だか、まだ寝ぼけてるみたい…。寝不足だよね、ウン。やっぱり、もう一眠り…)
 暖かなベッドに潜って目を閉じた安加流は、すぐに静かな寝息を立て始めた。



「安加流、いつまで寝てるの? さっさと起きなさい!」
 母親の怒鳴り声に、安加流はぼんやりと目を開け、言葉にならない返事をする。
「ん〜」
「シャキっとしなさい! 中学二年生にもなって、毎朝親に起こされているなんて、恥ずかしいと思わないの?」
 母親はそう言うと、窓のカーテンを開けて部屋を出ていく。
 安加流はその様子を、まだ半分眠ったような表情で見ていた。
 二、三分そうしていて、やっとベッドから降りた安加流は、窓に近寄って外を見る。
 そこには、いつもの見慣れた街並みが見えるだけだ。
「何だっけ…、なんか、変な夢を見てたような気がする…」
 小さく呟いて首を傾げた安加流だったが、夢の内容を思い出す前に、壁に掛けた時計が視界の隅に映った。
「え…嘘っ! もうこんな時間?」
 いきなり目の覚めた安加流は、慌てて鏡を覗く。
 腰まで届く自慢のストレート・ヘアはくしゃくしゃに縺れ、しかも毛先が少しはねていた。
 ブラシとドライヤーを手に悪戦苦闘して、結局諦めて三つ編みのお下げにしたのだが、その時は既に朝食の時間は残されていなかった。
 急いで中学の制服に着替え、姿見の前でちょっとポーズを取る。
「もうちょっと、胸があればなぁ…」
 毎朝恒例の台詞を呟き、鞄を手に取って部屋を出た。
「安加流、朝御飯は?」
「いらな〜い!」
 靴を履きながら答え、外に走り出す。
 その頃にはもう、朝の奇妙な夢のことなどすっかり忘れていた。
 そう、外に走り出して、ふと空を見た時に、まるでモスラの如き巨大な蛾の化物が、街の上空を舞っているのを見るまでは――


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