序 〜墓守〜


 遠い昔、大いなる力があった。
 魔法の技。
 偉大な知識。
 それは、忘れ去られしもの。
 それは、失われしもの。
 人は、失われたものを探し求める。
 求めるもの、それは力。
 人は、力を欲する。
 他を凌駕するための力を――

 乾期の乾燥した風が、土埃をまきあげる。
 地平線まで続く、赤茶けた大地。
 そんな荒涼とした平野の中に、石造りの建造物があった。
 長い間土中に埋もれていたというのに、その表面にはわずかな風化の痕跡も認められない。
 それは、王国時代に築かれたものであることの証だった。
 今から千六百〜千年前までの、強大な王国がこの大陸の過半を支配していた栄光の時代。
 高度な魔法技術に支えられた、現在では『王国時代』と呼ばれているその光の時代は、トリニアとストレインという二大国の全面戦争によってその幕を下ろした。
 そうして、続く長い闇の時代に、王国時代の大いなる技も知識も失われてしまった。
 しかし、その遺跡は今も大陸の各地に遺っている。
 多くは、その場所すら知られることもなく。
 ここも、そうした遺跡のひとつだった。
 最近まで知られることのなかったこの遺跡で、発掘作業が続いている。
 大勢の人夫たちが、遺跡を掘り起こし、土を運び出す。
 その周囲にはまた、多くの武装した兵士たちもいた。
 彼らは、遺跡の周囲を警戒している。
 あるいは、人夫たちの中に他国の間諜が入り込んでいないかどうかを。
 遠い過去に大いなる力が存在し、現在ではそれが失われているこの世界において、考古学とは新技術、新兵器の開発にも等しい。
 近年、国々の間で緊張が高まるにつれて、どこの国も王国時代の遺跡の捜索、発掘に力を入れていた。
 だから、遺跡の深部に人夫たちの姿はなく、そこで発掘を行っているのは、ごく少数の、そしてより高い身分の者たちだった。


 ネウサル・ヘプニ・リンディルディアは、サラート王国に仕える主席魔術師だ。
 そして、この発掘計画の責任者でもある。
 歳の頃は四十代後半、そろそろ髪に白いものが目立ってきている。
 しかし、その瞳は若々しい情熱に輝いていた。
 それも当然のこと。
 ついに、この遺跡にあるもっとも貴重な宝のところまでたどり着いたのだから。
 それは、棺。
 この遺跡は、王国時代のとある貴族の墓所だった。
 ただの墓所ではない。
 ここに葬られているのは、普通の人間ではない。
 ここは、竜騎士の墓所だった。
 ネウサルの興奮は、最高潮に達する。
 すぐさま、棺にかけられた封印の魔法を解きにかかった。
 それは容易なことではない。
 王国時代の魔法技術は、いまよりも遙かに優れたものだ。
 それでも、少しずつ少しずつ、封印をはずしていく。
 たとえそれが強固な封印で、彼の魔法が王国時代の魔術師より劣るとしても、固い岩盤に小さな穴を穿つようにして、封印を破ることは可能だった。
 ネウサルはその作業に全神経を集中していた。
 周りで作業している部下たちの姿も目に入らない。
 彼の長所は、この集中力だった。
 素質が同じなら、より高い集中力を持つ者の方が優れた魔術師となれる。
 どれほどの時間が過ぎただろう。
 やがて、ネウサルはふぅっと大きく息を吐き出した。
 額に浮かんだ大粒の汗を手の甲で拭う。
 そうして、棺の蓋に手をかけた。
 音もなく、蓋が開く。
 千年以上の間、一度も開かれたことのない蓋は、キィとも音を立てずに開いた。
 棺の中に、本来そこにあるべき遺体はない。
 戦場で命を落とした竜騎士の場合、遺体が残ることの方が珍しい。
 普通は、本人の亡骸なしで葬儀が行われるのだ。
 それは古い資料でわかっていたこと。
 だから、彼の目的は竜騎士の遺体ではなかった。
 たしかにそれも興味深い研究材料ではある。
 常人を遙かに越えた魔力と運動能力を持つ竜騎士。
 その能力は先天的なものなのか、後天的なものなのか。
 それが解明できれば、遠い昔に失われた竜騎士の力を再び手に入れられるかもしれない。
 しかし、今回はそれはお預けだ。
 それでも棺には、それに劣らず興味深い、そして貴重な品が納められていた。
「見ろ、やはりあったぞ」
 ネウサルは、棺の中からひと振りの剣をとりだした。
「…間違いない、竜騎士の剣だ」
 興奮のあまり、声が、そして剣を持つ手が震えている。
 竜騎士が持つ剣、それは、現在作ることができる普通の剣とはまるで違うものだった。
 王国時代の、偉大なる魔法技術の結晶ともいえる品。
 敵の魔法をはね返し、並大抵の武器では傷ひとつつけることの叶わぬ竜の身体をも切り裂くことのできる武器だ。
 たとえ竜騎士の力を持たない者が使用してもきわめて強力な武器となるが、それ以上に、この剣を作りだした魔法技術について調べることに意義があった。
 現存する竜騎士の剣はそう多くはない。
 そのような貴重な品が、まさか自国の領内で発見できるとは。
 もしもその高度な魔法技術を手中にできれば、いまは小国に過ぎないサラートが、いずれは大陸の覇権を取ることも夢物語ではなくなるのだ。
 ネウサルは、魅入られたように剣を見つめた。
 千年以上も前の品でありながら、まるで研いだばかりであるかのように真新しく見える。
 鞘に収められたままでも、その恐るべき力が伝わってくるようだった。


「へぇ、いいもの見つけたじゃない」
 不意に聞こえたその声は、場違いな少女のものだった。
 ネウサルは驚いて顔を上げる。
 最初に目に入ったのは、鮮やかな金髪だった。
 それ以上に目を引いたのは、いままで彼が見たこともない、鮮やかな金色の瞳。
 目の前に、十五〜六歳くらいと思われる少女が立っていた。
「な、なんだ、お前はっ?」
 発掘隊の中に、こんな少女がいるはずもない。
 かといって、外から入り込めるはずもなかった。
 現在この遺跡は、数百の兵士によって護られているのだ。
 間違っても部外者を立ち入らせたりはしない。
 いったいどこから現れたのか…。
 訝しげに周囲を見回したネウサルの視線が、驚愕に凍りついた。
 そこにあったものは…
 折り重なる死体。
 床に広がった紅い水たまり。
 いま先刻まで彼とともに作業していたはずの部下たちと、警備の兵士たちだった。
 ネウサルは、まったく気付かなかった。
 いくら棺を開けるのに夢中になっていたとはいえ、悲鳴のひとつでも聞こえれば気付かないはずはない。
 なのに、いつの間にか、その場で生きているのは彼ひとりだった。
「…!」
 驚きと恐怖のあまり、声も出せずに硬直しているネウサルの手から、少女は剣を取り上げた。
 無造作に剣を鞘から抜く。
 その瞬間、刃から銀色の光が零れたように見えた。
「さすがは王国時代の業物、いい感じだね〜」
 短く口笛を吹くと、抜いた剣をネウサルに突きつける。
「ちょっと、切れ味を試してみようか?」
「ひっ!」
 その言葉で、ネウサルは我に返った。
 這うようにして、その場を逃げ出す。
 しかし、通路に出たところでまた彼の動きは止まった。
「…な…に…」
 そこもまた、血の海だった。
 床といわず壁といわず、血にまみれている。
 床に転がっているのは、死体と呼べるようなものではなく、ずたずたに引き裂かれた肉の塊。
 吐き気をもよおす、生臭いにおいが充満している。
 そして、その中に立つ、ひとつの人影があった。
 屠殺場のごときこの場にはまったく不釣り合いな、美しい女性。
 先ほどの金髪の少女よりもかなり年上だろう。
 魔術師の証ともいえる、オルディカの樹で作った長い杖を持っていた。
 ゆったりとしたローブにも、長い銀髪にも、一滴の血も浴びていない。
「ちょっと、話を聞かせてもらえないかしら?」
 その女性は、静かな口調で言った。
「この遺跡の存在を、どこで知ったの? そして、ここ以外の発掘計画は? あなたくらいの地位なら、知っているのでしょう」
 ネウサルはなにも答えなかった。
 隠そうとしたわけではない。
 ただ、まともな返事のできるような精神状態ではなかっただけだ。
 なにも考えることすらできずに、彼は立ちつくしていた。
「も〜、ソレアってば、なにまだるっこしいことやってるの!」
 背後から、先刻の少女の声が聞こえた。
 ネウサルは反射的に振り返る。
 少女は、彼のすぐ後ろに立っていた。
 こめかみに手が当てられる。
 一瞬、頭の中でなにかが弾けたような衝撃が走り――
 ネウサルの意識は、そこで途絶えた。



 目と、鼻と、耳から血を流して崩れ落ちる男の身体を、その金髪の少女はかすかな笑みすら浮かべて見おろしていた。
「…ファージ、ちょっとやり過ぎよ」
 美しい銀髪の女性、ソレア・サハ・オルディカが眉をひそめて言う。
「いいじゃん、どうせ生かしてはおかないんだし。人間なんて口ではいくらでも嘘がつけるもの、直接頭の中を覗いた方が早いのさ」
 自分の手についた血をぺろぺろと舐めながら、ファージ…ファーリッジ・ルゥ・レイシャは応えた。
「…で、わかったの?」
 どことなくため息まじりのその台詞に、ファージはうなずく。
「連中だよ。ここの情報をサラートに漏らしたのは」
「やっぱり? トカイ・ラーナ教会?」
 やれやれ、とソレアが小さくつぶやいた。
「まあ、それはいいさ。こいつら、他の遺跡のことは知らないみたいだし」
 ファージは、足元に転がる死体をつまさきでつつきながら言葉を続ける。
「それより、ちょっとまずいことが…」
「まずいこと?」
「また、戦争が始まる」
「サラートとカイザス? 毎年のことでしょう?」
 やや困惑顔のファージに対し、ソレアは表情も変えずに言う。
 国境を接している二つの王国、サラートとカイザスは、ここ数年、毎年のように領土をめぐって戦を繰り返していた。
 ソレアの家があるタルコプの街はカイザスの領内にあるから、まったく無関係とはいえないが、それでもいまさら問題にするようなことではない。
 そもそも、こんな小国同士の争いなど、現在の大陸では珍しくもないことだ。
 ソレアには、ファージがなにを気にしているのかわからなかった。
「カイザスだけならいいんだけどね…。今回は、マイカラスが戦場になる」
 ファージが口にした地名に、ソレアの眉がぴくりと動いた。
 それは、聞き流せることではない。
 それが事実なら、たしかに少しばかり面倒なことになるかもしれなかった。
「…ナコちゃんには、知らせない方がいいわね?」
「当然。知れば、行きたがるに決まってる」
 ファージは吐き捨てるように言った。
「…そして、また傷つくんだ」
「困ったわね。ま、その問題はおいおい考えるとして…」
 ソレアはそう言うと、ファージの手から剣を受け取る。
「とりあえず、ここの後始末はお願いね」
「え? ソレアは?」
「先に帰るわ。今日はナコちゃんが来る約束だから、食事の支度をしなくちゃ」
「ナコが来るのっ? じゃ私も帰る!」
「それは駄目よ」
 ソレアは、ファージの鼻先に人差し指を突きつけた。
「あなたは、まだやることが残っているでしょう。ファージが帰るまで引き留めておいてあげるから、ちゃんと始末してきなさい」
「ちぇっ」
 ソレアは杖を振って、自分の周囲に魔法陣を描きだす。
 転移魔法でその場を去るソレアの姿を、ファージはふくれっ面で見送っていた。



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