〜3〜


(そんなこともあったっけなぁ…。もう二年か…)
 奈子は、もの思いにふけっている。
「なに、ぼんやりしてるんです?」
「え?」
 由維の声で、ふと我に返った。
 目の前に、大きなチョコレートケーキが置かれている。由維のお手製のケーキ。
 由維は昔からお菓子作りとか得意だったけれど、二年前のあの日よりもずっと上達している。
 ケーキの横に、甘口の白ワインの瓶。
 去年と同じく、今年もバレンタインの夜は二人でパーティだ。
「なに、ぼんやりしてたんですか?」
 ソムリエナイフでワインのコルクを抜きながら、由維がもう一度訊く。
「えっと…いや、別に」
 奈子は曖昧に誤魔化す。
「高品先輩のこと、考えてたんでしょう」
「ど、ど…どしてっ?」
 ワインの注がれたグラスに伸ばしかけた手が、一瞬止まる。由維がグラスを取って渡してくれた。
 奈子のグラスと由維のグラス、二つが軽く触れあって、チン…と澄んだ音がする。
 金色がかったトロリと甘い液体が唇を濡らす。
「前に言ったじゃないですか。奈子先輩は、考えてることがすぐ顔に出るって」
 澄んだグラスを通して、由維がジト目で見ている。
「二年前のバレンタインのこと、考えてたんでしょ?」
「そ、それと高品先輩となんの関係がっ?」
 口ではそう言っても、グラスを持った手が震えている。奈子は残ったワインを喉に流し込んだ。
 二年前のあの夜のこと、そして奈子のロストバージンの相手が高品先輩だということ、由維には話していないのに。
「だって、考えたら他にいないじゃないですか」
 由維があっさりとタネを明かす。
「で、亜依さんを問いつめたら教えてくれたもの」
「あ、亜依ぃ〜、あの裏切り者!」
「亜依さんを責めるのはどうかと思うけど」
 由維はそう言うと、奈子のグラスにお代わりを注ぐ。
 確かに悪いのは奈子で、別に亜依の責任ではない。とはいえこんな状況では、八つ当たりのひとつもしたくなるのが人情だ。
 ヤケ酒気味に、ワインを喉に流し込む。
 そんな奈子を見ながら、由維がつぶやいた。
「悔しいなぁ」
「なにが?」
「もっと早くに気付いていれば、高品先輩より先に奈子先輩のバージン奪ったのに」
 けろっとした表情で、とんでもないことを言う。思わず飲んでいたワインを吹き出しそうになった。
「なに言ってンの! あんた、その頃まだ小学生じゃん!」
「別に、歳なんて関係ないと思いますけど?」
「大アリだって! …って、そ〜いえば…」
 グラスをテーブルに置いて、奈子が何かを考えている。
 どちらかといえば、悪巧みをしているような顔だ。
「由維…今日で十四歳だよね?」
「そ〜ですよ?」
「つまり…」
 にやりと、下心ありありの笑みを浮かべて奈子は言った。その笑顔に、由維は殺気を感じる。
「二年前のアタシと、同い年になったわけだ」
「そ、それがなにかっ?」
 応えながら、由維は既に逃げ腰だった。しかし一瞬遅く、奈子に抱きつかれてソファに押し倒されてしまう。
「由維もそろそろ、初体験してみない?」
 奈子は耳元に口を寄せてささやいた。
 その手が、由維のスカートの中にすべり込む。
「だ、ダメ! 私はまだ早過ぎるもん!」
 由維は慌ててその手を押さえる。
「あんた自分で、歳なんて関係ないって言ったじゃん」
「それとこれとは別! 私は関係あるんだもん!」
 必死に抵抗する由維だが、腕力で奈子にかなうはずがない。しかも今の奈子は、アルコールの影響でリミッターが外れている。まったく手加減ができない状態だ。
「怖がんないで。優しくしてあげるから」
「ダメ、とにかく今日はダメッ!」
「ど〜してよ? 最高の日じゃない」
 今日はバレンタイン。外は雪も降っていて、ムードは最高。
 しかも由維の誕生日でもあるのだ。これ以上のシチュエーションなどあるまい。
 しかし由維は、無言で居間の大きな窓を指差した。
 奈子も、そちらへ視線を向ける。
「……え?」
 窓の外にある、カメラのレンズと見つめ合う形になった。
 正確に言えば、ハンディタイプのビデオカメラだ。
 そして、それを構えているのは――
 亜依、だった。
 降りしきる雪の下、真っ白に、雪だるまのような姿になった亜依が窓の外にいた。
「…」
「……」
「…………」
 時間が止まったかのように、三十秒ほど無言の時が過ぎた。
「あ、あ、あ、亜依ぃ〜〜っっっっっ!」
 ようやく我に返った奈子が、凍りついた窓を力ずくで開ける。
「あはは〜、見つかっちゃった。いいところだったのに」
 身体に積もった雪をぱたぱたと払い落としながら、亜依は無邪気に笑った。
「な、なにやってんのよ、そんなとこで!」
「今夜ここに来れば、いいものが見れると思って。次の校内新聞で、一面トップを飾る予定だったのに」
 亜依は学校で、新聞部に入っている。放課後はよく、記事のネタを捜して、カメラを手に校内を歩き回っていた。
「…そんなことのために?」
 奈子の肩から、がっくりと力が抜ける。
「それに、こうでもしないと最近私の出番少ないし」
「なんの話よ」
「あと、これ」
 亜依はコートのポケットから、小さな包みを取り出した。
 きれいな包装紙に包まれ、紅いリボンが結ばれた四角い包み。
 中身は訊くまでもない。バレンタインのチョコレートに決まっている。
 亜依に付き合っている彼氏がいた頃から、奈子は毎年チョコをもらっていた。
 そういえば今日は、学校では亜依からチョコをもらっていなかったっけ。
 呆れ顔でチョコを受け取りながら、奈子はため息をついた。
「…もういいや。寒いでしょ、上がりなよ」
 亜依はわざわざ玄関に回ることもせず、そのまま居間へ入ってくる。脱いだコートを受け取った由維がそれをハンガーに掛けている間に、奈子はグラスを持ってきて、亜依にもワインを注いでやった。
「あ…」
 戻ってきた由維が、小さく声を上げる。
「なに?」
「その…」
 由維は困ったような顔で、小声で応えた。
「亜依さんに、あまり飲ませちゃダメですよ。酒グセ悪いんですから」
「酒グセって…、どんな風に?」
「近くの子を襲うクセがあるんですよ」
「え?」
 奈子は、亜依を振り返った。亜依はなぜか、引きつった笑みを浮かべている。
 それを見て、もう一度由維に向き直った。
「由維は、なぜそれを知ってる?」
「え? えっとぉ…」
 由維はとぼけて、あさっての方を向く。
 奈子はもう一度亜依を見る。
「いや…その…」
「亜依ぃ…まさか…」
「いや、あの…軽い冗談というか、酔った勢いというか…」
 ゆらり。
 不気味なオーラを漂わせて、奈子が立ち上がった。
 目が据わっている。
「あ、あのね奈子。落ちついて話し合おう? ね?」
「話し合う…? いまさらなにを?」
 奈子の瞳の奥の危険な光に気付いた亜依は、脱兎のごとく逃げ出した。
 しかし、奈子の反射神経を凌駕できるはずもない。たちまち捕まって、絨毯の上に押し倒された。
「ち、ちょっと奈子!」
「アタシの由維に手を出して、ただで逃げられると思ってる?」
 奈子は、低い声で言った。
「ちょっと奈子、あんた目がマジだよ! もう酔ってるっしょ!」
「うるさ〜い! 由維に手を出した代償、身体で払ってもらおうじゃない?」
 有無を言わさず、服の胸元に手をかける。ボタンがいくつかはじけ飛んだ。
 露わになった胸元に、奈子の手が差し入れられる。
「亜依ってば、ずいぶん胸大きくなったじゃん?」
「やぁっ! だめぇ! こ〜ゆ〜のは二人きりの時に…じゃなくて!」
 そんな二人の横では、頬を赤らめた由維が、興味津々にビデオカメラを回していた。



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