※この作品は『生まれ来る者たちへ』最終章の後でお読みください。
「うわぁ……」
奈子は思わず感嘆の声を上げた。
「ダルジィ、すごくきれい!」
それはお世辞でもなんでもない。心からの言葉だ。
光沢のある純白のドレスに身を包んだダルジィの姿は、まるで美の女神の祝福を一身に受けているかのようだった。
「……ありがとう」
顔を赤らめて応えるダルジィは、慣れない格好に少々戸惑っているようだった。
当然といえば当然だ。女性騎士が精一杯着飾る数少ない機会である公式のパーティでさえ、化粧っ気のない騎士の礼服姿で出席してきたダルジィである。
それでも充分に美しかったものだが、豪華なドレスをまとって化粧をした今の姿は別格だった。
そう。
今日は、ハルティとダルジィの結婚式なのだ。
当然、奈子や由維たちも出席する。
「……これで、礼服派の女騎士はアタシ一人か」
頭を掻いて言う奈子も、騎士の礼服姿である。性格的にも容姿的にも、ダルジィ以上にドレスは似合わない。
これまで二人とも、すべての公式行事を礼服で通してきたが、この国の王妃となるダルジィは、今後はそうもいかないだろう。
「ところで、ナコはどうして一人でここに?」
「ん? ちょっと、周りがうるさいんで逃げてきた。しばらく匿って」
「匿う? お前いったい何を……」
不思議そうにつぶやいたダルジィは、やがて「ああ」とうなずいた。ふっと失笑を漏らす。
「なるほど、そういうわけか」
「そーゆーわけ。もう、いい加減にしてほしいよね。アタシには、ちゃんと連れがいるのに」
「……とはいえ、普通の人間には理解されにくいだろう?」
「まあね」
諦めの混じった苦笑を浮かべ、奈子は肩をすくめた。
今いるのは、花嫁の控え室。
そして奈子が逃げてきた相手とは、マイカラスの貴族たちだった。
最近、奈子は異様にもてている。
女の子にはいやというほどもててきた奈子だが、これまでの人生の中で、ここまで異性にもてたのは初めてだ。
奈子を狙う若い貴族の子弟たち。あるいは自分の息子やら甥やらの嫁にしようと画策する大貴族たち。
ひとたび公の場へ出れば、奈子の周囲にはたちまち人垣ができる。
無理もない。
奈子も一応、客観的には美人である。
マイカラス一の女性騎士でもある。
その上、国王ハルティとは非常に親しく、信頼されている。
先日のカイザス王国との戦で多大な功績を挙げ、かなり広い領地を得ている。
アール・ファーラーナの再来として、民衆の人気も高い。今現在、一番の売れっ子といってもいい。
そんな有力な騎士を自分の一族に引き込むことは、どの貴族にとってもメリットが大きいことだ。
しかも奈子は、これまで貴族たちの派閥とは一切無関係だった。それだけに、誰も彼もが言い寄ってくる。
今日も、そうだった。
いい加減うんざりして、男子禁制である花嫁の控え室へ逃げてきたというわけだ。
ダルジィの身支度を終えた侍女が、奈子にお茶を出してくれる。
「まあ、仕方あるまい」
「あんたは、そーゆーことなかったの? ハイダー家の一人娘っしょ」
お茶のカップを傾けながら、奈子は訊いた。
名門の一人娘で、優れた騎士。
今の奈子ほどのフィーバーぶりではなくとも、かなりもてたはずだ。持ち込まれた縁談も、一つや二つで済むはずがない。
しかし。
「さあ……」
ダルジィは心当たりなさそうに首を傾げる。とぼけているという様子ではなかった。
「興味、なかったから」
「それもそっか」
言われてみれば、そうかもしれない。
子供の頃から、一途にハルティを想い続けていたダルジィである。いくら他の男に言い寄られたり縁談を持ち込まれようとも、まるで眼中になかったのだろう。
「あんたは、ハルティ様一筋だったんだもんね。よかったね、夢が叶って」
「あぁ……、まあ、そうだな」
歯切れの悪い応えに、奈子はおやっと思った。
先刻から、ダルジィはどこか元気がないように感じるのだ。
「どしたの? いわゆるマリッジブルーってやつ?」
「というか、まあ……いや。ちょっと、緊張してるだけだ」
「へぇ……」
意外に思いつつも、つい笑ってしまった。
「泣く子も黙るマイカラスの戦姫が、自分の結婚式に怖じ気づくとはね」
「……慣れてないんだから、仕方ないだろう」
「自分の結婚式に慣れてる女ってのもどうかと思うけど……。敵の大軍相手に単身突っ込んでいく勇気はあるくせに」
「それとこれとは話が別だ。それに、問題は結婚式じゃないんだ」
「え?」
「結婚式じゃなくて、その後……」
「後、って?」
話が見えずに、奈子は目を瞬いた。
ダルジィはどことなく不機嫌そうな表情で、しかし少し頬が朱い。どうやら、恥ずかしいのを隠しているらしい。
周囲を見回して、侍女たちが少し離れたところにいるのを確認すると、小さな溜息をついて、奈子にだけ聞こえるようにささやいた。
「……お前に相談するのも癪だが、やはり経験者に訊くべきだな。つまり……その……」
「うん?」
「夜、の……ことなんだ」
「夜、って……」
そこで、奈子の目に理解の色が浮かんだ。思わず吹き出しそうになるところを、ダルジィに口を押さえられる。
「わ、笑うな。私は真剣なんだ」
怒りと恥ずかしさのために、ダルジィの顔は真っ赤になっている。
「あはは……うんうん、そうだね。ぷっ、くくく……確かに、それは女の子には大問題だ」
奈子は身体をよじった。大笑いしたいのを無理に堪えているので腹筋が痛い。
あのダルジィが、今夜の、ハルティとの初夜を不安がっているとは。
初めて見る、ダルジィの女の子らしい一面だった。
「い、一応、頭ではわかっているつもりなんだが。……一度も、実戦を想定した訓練をしていないからな。いざというときにちゃんとできるかどうか……」
訓練を積んでから初夜に臨む花嫁もいないと思うが。ダルジィはこれで真剣らしい。
世間一般の基準とは、かなりかけ離れた少女時代を過ごしてきたダルジィである。仕方のないところだろう。
「その……お前は、経験豊富なのだろう? アドバイスというか、なんというか……」
「経験豊富って言い方は、ちょっと引っ掛かるけど」
奈子本人はそんな自覚はないが、しかし初体験は十四歳で、これまでに男性経験三人、女性経験はその数倍。その相手は一人を除いて恋人ではなく、しかも妊娠と流産まで経験している。
援助交際で稼いでいる女子高生でもないのにこの経歴は、充分に「経験豊富」という評価に値するだろう。
(はぁ……汚れちゃったなぁ、アタシ)
奈子は小さく溜息をついて、それからダルジィに意識を戻した。
「不安になる気持ちはわかるけどさ、なにも心配しなくていいと思うよ」
「え?」
「最初のうちはただ黙って、ハルティ様に任せとけばいいんだよ。向こうは経験者なんだし」
「そ、そうなのか? まあ……そうだろうな」
「そうそう、素人が付け焼き刃の知識でどうこうする必要ないって。ハルティ様のリードに身を任せていれば、なーんも心配なし。ハルティ様は優しくしてくれるし、しかもすんごいテクニシャンだし。ダルジィが初めてだって、きっとすごく感じちゃうよ」
軽い調子であははーと笑う奈子は、その場の空気が変化していることに気付いていなかった。
「ナコ……」
ダルジィが低い声で言う。
「ん?」
「お前は、何故それを知っている?」
「え……、あぁっ!」
奈子は慌てて口を押さえる。
ついポロッと大変なことを喋ってしまった。
ダルジィの目が妖しく光る。
「……で、どうしてお前はそんなことを知っているんだ? まるで、自分の目で見てきたみたいに」
「え……あ、あのっ。つまり……そのっ……」
なんとか言い訳を……と思っても、頭がパニックを起こして何も思い付かない。
ダルジィが一歩、近付いてくる。
奈子は一歩、後ろに下がった。
「あ……あはは……その、ね、落ち着いて? 怒ると、せっかくの美人が台無し……いぃっ?」
ドレスの裾がばっと翻ったかと思うと、いきなり斬りつけられた。紙一重のところで辛うじてかわしたものの、前髪が数本、宙に舞った。
ダルジィが、短い剣を握っていた。どうやらスカートの中に隠していたらしい。
真剣を持って結婚式に臨む花嫁というのも信じがたい話だが、ダルジィであればありそうなことだ。
ハルティのため、ハルティを護るため。
ただそれだけに己の人生を賭けてきたダルジィである。たとえ自分の結婚式だろうと、武器を手放すはずがない。特に今日は、ハルティの一番近くにいるのは彼女なのだから。
もし万が一のことがあった場合でも、ハルティだけは護る――そんな想いで剣を隠し持っていたのだろう。
しかし危ないところだった。
隠し持つために短い剣だったから、ぎりぎり届かなかったようなもの。これが普段のダルジィの長剣だったら、今ごろ命はなかったかもしれない。慣れない武器で、わずかに踏み込みが甘かったのだろう。
「ちょっ……ダルジィ! それは洒落ンなんないって!」
「もちろん、冗談ではない。結婚式の前に邪魔者は片づけておく、考えてみれば当然のことだな」
「ちょっと待った……ハルティ様とのっ、ことはっ、もうっ、昔のっ……それにっ、あれはっ、一度っ、だけのっ!」
立て続けに繰り出される剣をかわしながら、奈子は必死に弁解する。
騒ぎを聞きつけた侍女たちが、血相変えて飛んできた。
「いけませんお嬢様! 大切な結婚式の前にそんなもの振り回して!」
「えぇい放せ! あいつを始末しない限り、安心して結婚などできん!」
「いけません!」
三人の侍女が両腕と腰にしがみついて、ダルジィを抑える。
危機を脱した奈子はほっと息をついた。いくらダルジィだって、人が見ている前でキレたりはしまい。
しかし。
「お嬢様、いけません」
侍女の一人が、強引に剣を奪い取った。
「そんなことをしたら、せっかくのドレスが血で汚れてしまいますわ。もうじき式が始まります。もう、着替えている時間もありませんからね。私が代わりにやっておきますから、お嬢様は式場の方へ」
「……って、お前らグルか――っ!」
ここに自分の味方は一人もいない。そう感じた奈子は、全速力で控え室から逃げ出した。
「どこ行ってたんですか? そんなに息を切らして」
隣に立った由維が、小さな声で訊いてくる。
「いや……まあ、いろいろと、あるんだよ……」
肩で息をしながら、奈子は引きつった表情で応えた。
剣を片手に追ってくる侍女をまくのに、ずいぶん手間取ってしまったのだ。
まさか侍女までがあんなことをするとは意外だった。しかし考えてみれば、ハルティが奈子のことを必要以上に気に入っていたことは、貴族たちの間ではかなり知られた話だ。ダルジィの侍女たちのような「ハルティ陛下とダルジィお嬢様をくっつけよう」派の人間にしてみれば、奈子の存在は目障だったに違いない。
(こうなると、式の後が怖いなぁ……)
神殿の大きな扉が開いて、ハルティとダルジィが入場してくる。とりあえず、式の間だけは安全だろう。
まさか本当に殺されるとは思わないが、嫉妬に狂った女は何をするかわからない。先刻のダルジィには間違いなく、殺意が感じられた。
「うわぁ……ダルジィ、きれい……」
参列者の間をゆっくりと歩いていく二人を目にして、由維は小さく感嘆の息を漏らした。
ダルジィが、ほんの少し頭を動かす。一瞬、こちらを見たような気がした。
口元に、微かな笑みが浮かんでいる。
奈子には、般若の笑みに見えた。
(こ、殺される……)
全身から冷や汗が吹き出す。
「ダルジィ、こっちをみて優しく微笑んでましたね。あれはきっと「次はあなたたちの番ね」って意味ですよねー?」
由維はどこまでも脳天気だ。
しかし奈子にはわかっている。あれは「これが終わったら、お前を殺す」という笑みだ。
ダルジィにしろリューリィにしろ、どうして奈子の周囲には一途で嫉妬深い女性が多いのだろう。
何とかしなくてはならない。
「……由維」
奈子は、由維にだけ聞こえるように小さく言った。
「この間話したアレ、今夜決行ね」
「……え?」
由維が驚きの声を上げる。
「……ずいぶん急すぎません?」
「とにかく結婚式が終わったら……ってことだったっしょ? 善は急げ、ってね」
「善……なんですか? なんとなく、逃亡者的な雰囲気があるんですけど?」
ギク!
やっぱり由維は勘が鋭い。
「それに、なにも準備してませんし」
「準備なんていいよ。着替えとお金だけ持ってけば。とにかく、今夜ね!」
ハルティとダルジィの結婚式が終わるとすぐに、奈子と由維は、二人だけで旅に出た。
奈子は、自分の目で見なければならなかった。
月を一つ失ったこの世界が、この先どうなってゆくのか。
自分のしたことの行方を、この目で確かめなければならなかった。
「……なーんてカッコイイこと言ってたけど、実は浮気がばれて逃げ出したんじゃないですか」
「いや……まあ……はは……。それは言いっこなしってことで」
こうしてマイカラスを跡にした二人の行く手にどんな冒険が待ち受けているのか。
それはまた、別な機会に語られる物語である。
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