紅い髪の少女

‐光の王国・カーテンコール4‐

 湖面を渡る冷たい風が、長い前髪を揺らしている。
 奈子は黙って、微かにさざめく湖面を見つめていた。隣に立つ由維も、なにも言わずに遠い対岸に視線を向けている。
 二人は長い時間、無言のまま湖の岸辺に立っていた。
 足下を洗う湖水は、これ以上はないというくらいに澄みきっている。
 水面は陽射しを反射して、宝石をちりばめたようにきらめく。
 上空は風が強いのだろう、千切れた雲がかなりの速度で流れていく。
 陽は射しているのに、妙に寒々とした風景だった。それは必ずしも、気温が低いためだけではない。
 湖面にも、水中にも、そして岸辺にも、生命の気配が感じられなかった。滑らかなガラス質の湖岸からは、ひどく不自然な印象を受ける。
 事実、この湖は天然のものではなかい。上空から見下ろすことができれば、その形が自然にはあり得ないほど完璧な真円であることがわかるだろう。
 これは、たった一人の人間によって作られた地形だった。他でもない、奈子の力が生み出した湖なのだ。
 奈子にとって、この世で一番、来たくなかった場所。
 だけど、来なければならなかった場所。
 ここを訪れるのは三度目だった。それにしても、前回来た時とはなんと景色が変わってしまったことだろう。
 以前ここは、大陸でも有数の大都市のひとつだった。
 トゥラシの街。
 当時絶大な勢力を誇っていたトカイ・ラーナ教会の本拠地、アルンシルがあった地。
 奈子にとってかけがえのないものの生命が奪われた地。
 奈子が、アルワライェとウェリアと、そして大勢の罪のない人間を殺した地。
 今はすべてが消滅し、その跡は円形の湖となっている。理性による束縛から解き放たれて暴走した奈子の魔力が、すべてを無に返してしまった。
 痛い。
 この湖を見つめていると、下腹部に痛みを感じる。
 鋭い痛み。
 鋭利な刃物で貫かれるような痛み。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 奈子は唇を噛んだ。
 耐えられないくらいに痛い。
 しかしそれは、実際には存在しない痛みだ。その痛みの源である器官すら、今の奈子の身体には不完全な形でしか存在しない。
 心の中の、記憶の中の痛み。
 身体中の細胞の、ひとつひとつが憶えている痛み。
 これまでの人生の中で、もっとも激しく、辛い痛み。
 奈子にとって、世界で二番目に大切なものを失った痛み。
 それは決して忘れることができない、忌まわしい記憶だ。
「う……、く……ぅっ」
 痛みに耐えかねて、奈子は下腹部を押さえてうずくまった。
 紅い。
 紅い色彩が視界を覆う。
 一面の紅。
 胎内から溢れ出る血が、信じられないほどの速さで広がっていく。
 それは幻影だ。記憶の中だけの存在だ。
 いくら自分に言い聞かせても、視界は紅く染まっていく。
 これまで感じたことのない、大きな喪失感。
 大切な、大切な、大切なものが失われた。
 奈子の中にあった、かけがえのない存在が。
 胎内で育んできた生命が、自分の血を分けたたったひとつの生命が。
 永遠に失われた。
 殺したのはアルワライェ。そして奈子はアルワライェを殺し、その余波でトゥラシの街が消滅した。
 この湖はその跡だった。人間の愚かさ、争うことの愚かさの証だった。
 奈子の娘が、奈子の敵が、そして何の関わりもない何万という人間が、ここに眠っている。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
 身体を貫く痛みは治まる気配もない。
「奈子先輩……」
 肩に由維の手が置かれる。そこだけがぽっと温かくなる。
 それでも痛みは治まらない。
 記憶の中の痛みに囚われたまま、奈子はその場にうずくまっていた。
 そのまま、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。奈子の意識を現実に引き戻したのは、由維のものではない、聞き慣れない声だった。
「ナコ・ウェル?」
 背後からかけられた声。先に振り返った由維がそのまま固まる。少し遅れて立ち上がった奈子も、目を見開いた。
 そこにいたのは、二人の子供だった。
 十二〜三歳くらいの少年と、もっと幼い、五〜六歳くらいの少女。
 どちらも初対面だったが、それでも誰何の必要はなかった。たとえ年齢が違っていても、忘れようのない顔だ。
 二人には共通した特徴があった。鮮やかな紅い髪と、赤銅色の金属的な光沢を持つ瞳。
 そして少年の、どこか相手を見下したような笑みにも見覚えがある。
 年齢こそ違え、アルワライェそのものだ。
 後ろにいる少女も、無表情ではあるが、その顔立ちはアィアリスのものに他ならない。
 二人とも、奈子の敵だった。二人とも、奈子が殺した。
 目の前にいるのは、あの二人の弟妹たち。もっと正確にいえば、人為的に培養されたクローンだ。
「初対面だと思ったけど……アタシたちを知ってるの?」
「知ってるさ。僕らは、記憶の一部を共有しているからね」
 少年が応える。
「ふぅん」
 ということは、アィアリスやアルワライェが生きていた頃から培養されていた個体、ということか。
 おそらくはそうだろう。アィアリス亡き今の教会に、新たなドールを創り出す力はないはずだ。各国各派が分裂し、中原で強大な勢力を誇った以前の面影はない。アルンシル消滅後の教会の中枢があったカムンシルの街も、すっかり荒廃してしまったと聞く。
「で、アタシたちになにか用?」
「言う必要があるかい?」
「……いいや」
 奈子は首を振った。まだ少年であっても、剣士の姿で、大人が持つ実戦用の長剣を腰に下げて奈子の前に現れた以上、用件はひとつしか考えられない。
「聞くまでもないだろうね」
「それなら話が早い」
 言うと同時に、鋭い踏み込みで少年が向かってくる。剣が抜かれ、銀色の光が閃く。
 奈子は大きく後ろに跳んでその斬撃をかわした。着地したのは水の中で、足下から飛沫が飛び散る。
「僕らには、ナコを殺す権利がある。そうだろ?」
 少年は剣を構えなおす。真っ直ぐに奈子を見つめている。この状況下で、歳に似合わず冷静な口調だった。
「だけどアタシには、あんたに殺される義務はない。そうでしょ?」
「そう。だから闘うんだ。剣を抜きなよ」
「ガキ相手に、その必要があるとでも?」
 からかうように言うと、相手の表情が少しだけ変化した。明らかに機嫌を損ねた様子である。いくら平静を装っていても、やっぱりまだ子供だ。
 怒りにまかせて再び斬りかかってくる。今度は奈子も下がらなかった。逆に、一歩前に出る。
 右脚を大きく前に踏み出し、腰を落とした低い姿勢から拳を突き出す。
 剣が届くよりも早く、重い打撃音が響いた。
 少年の身体は一瞬だけ宙に浮き、くの字になってその場にくずおれる。立ち上がる気配はない。苦悶の表情で全身を痙攣させ、口の端から涎が流れ出している。
 衝をまともに喰らったのだ。しばらくは立ち上がれまい。
 奈子はふっと息を吐き出すと、後ろの少女を見た。目の前の光景にも顔色ひとつ変えず、ただ無表情にこちらを見つめている。
 その目には、怒りも、憎悪も感じられない。そもそも兄の方と違い、最初から感情というものが希薄だった。アィアリスやアルワライェのクローンにしては珍しい性質だ。
「まさか、あんたはやらないよね?」
 念のため訊いてみる。動きやすい服装で、一応は短剣を差してはいるが、まさかこの年齢で奈子に挑むつもりはないだろう。
 目の前で、兄が何もできずに倒されたのを見ているのだ。外見は五、六歳のこの少女であっても、内面的にはもっと成熟しているはず。力の差を理解できないはずはない。
「殺さないの?」
 決して大きくはない、しかしなぜかよく通る声で、少女はぽつりとつぶやいた。抑揚のない声のため、それは奈子に対する問いかけというよりも、独り言のように聞こえた。
「わたしや、兄を、殺さないの?」
「どうして、殺す必要があるって?」
 それは決してとぼけたのではなく、本心からの質問だった。確かに、殺そうと思えば簡単に殺すことができる。だからこそ、そんな必要があるとは微塵も思わなかった。
「生きていれば、また、あなたを狙います」
「来たきゃ来れば? また同じ結果になるだけだよ」
「自信家ですね」
「自分の力を過信しているつもりはない。ただ、事実を述べているだけさ」
「結果は、その時にならなければわかりません。いずれまた、会いに行きます」
「楽しみにしてる」
 奈子は由維を促すと、二人を残してその場を後にした。まだ動けずにいる少年の方も、致命傷は与えていない。しばらく休めば回復するだろう。
 少し歩いたところで、ちらりと振り返った。白く輝く湖を背景に、紅い髪の少女が真っ直ぐにこちらを見つめていた。


「……あれで、よかったんだよね?」
 湖が見えなくなるところまで来て、ぽつりと訊いた。
「いいと思いますよ」
 由維もそれだけを応える。短いその一言で、奈子は安心することができた。
 殺す気なんて、微塵もなかった。
 その必要もないし、そうしたくもなかった。
 自分の子供を殺され、ユクフェを殺され、フェイリアを殺され、ファージを殺され。
 ウェリアを殺し、アルワライェを殺し、アィアリスを殺した。
 もう十分だ。こんな殺し合い、この先も続ける意味はない。
 そう思っていた。



「お館様、お客様がお見えになっております」
 執務室で退屈な書類に目を通していた奈子は、メイドのサラの声に顔を上げた。
「誰?」
 今日、来客の予定はなかったはずだ。由維と娘たちも留守にしている。
 まあ、誰でもいい。目の前に積まれている書類よりも退屈な相手でない限りは。
「アラウェ・ヌィ・クロミネルと名乗っていらっしゃいます。十代前半くらいの女の子ですが」
「……へぇ」
 奈子は目を輝かせて、手の中の書類を放り出した。アラウェという名は聞いたことがなかったが、それが誰であるか、すぐに見当がついた。
 クロミネルの姓を持つ、十代前半の少女。で、この屋敷を訪ねてくる人物。
 一人しかありえない。
「そっか……ようやく来たのか」
 もう何年前になるだろう。七年、それとも八年?
 当時、奈子もまだ十代だった。このソーウシベツの領地をソレアに任せて、由維と二人で大陸中を旅していた。
 そして、トゥラシの跡の湖で、アィアリスの弟妹たちと出会った。
 ほんの短い時間のことだったのに、今でもよく憶えている。あの、愛想のない少女の顔は。
「ホントに来たんだな……」
 どうしてだろう、口元がほころぶ。書類仕事なんか問題にならない、楽しい出来事だ。
「応接間に通したのか?」
「いいえ、外で待たせて欲しい、と。玄関の前にいらっしゃいます」
「そうか」
 ということは、やる気なのだろう。
 奈子は立ち上がると、愛用の剣を一瞥した。しかしそれを手に取ることはせず、短剣すら持たずに外へ出た。
 そこに立っていたのは、間違いない。あの少女だ。
 鮮やかな紅い髪、赤銅色の瞳、非人間的なほどに整った顔立ち。あの姉弟に共通した特徴を持っている。
 見た目の年齢は十三、四歳といったところだろうか。まだ幾分あどけなさが残るとはいえ、成長した分、よりいっそうアィアリスに似てきた。もう三、四年もしたら、まったく瓜二つになることだろう。
 年齢以外に違いがあるといえばただ一つ、その表情だけだった。いつも相手を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていたアィアリスやアルワライェとは対照的に、目の前の少女の顔には表情というものがまるで欠如している。
 そこからは、あって当然の、奈子に対する怒りや憎しみも感じ取ることはできなかった。
 なまじ造形が整っているだけに、作り物のような印象を受ける。いや、人形の方が作者の思いが込められている分、よほど人間味があるだろう。目の前の少女には、無表情というよりも、無機的という表現の方が適当だった。
「アラウェ……だっけ? あんた一人? お兄さんは?」
「兄は今、サールガの騎士になっています」
「ふむ」
 サールガは以前から教会とつながりの深かった国で、現在でも、中原十カ国の中では最大の勢力を誇っている。そこの騎士というのは妥当な選択だろう。まさか、教会の関係者がハレイトンやアルトゥルの騎士になるわけにもいくまい。
「で、あんたはなにしに来たの?」
「約束した通りです。ナコ・ウェル、あなたを殺しに来ました」
 表情ひとつ変えず、抑揚のない声で言う。奈子は思わず苦笑した。
「そんな風には見えないのに、執念深いね」
「わたしはそのために存在しているのですから」
「なるほど。……ま、ここじゃなんだから、中庭に移動しようか」
 返事を待たずに、回れ右して歩き出す。背後から、砂利を踏む微かな足音がついてくる。
 よく手入れされた中庭は、家族と使用人たちの憩いの場であるが、最近は、娘のファーリッジに武術を教えるための場所にもなっている。一対一で剣を振り回すにはなんの不自由もない。
「……さて」
 短く刈り込んだ芝生の上で立ち止まって振り返る。「すぐ始める?」そう言おうとした時には既に、剣の柄に手を置いたアラウェが踏み込んできていた。奈子も自ら前に出る。二人の間合いが瞬時に詰まる。
 以前、彼女の兄を倒した時と同じように、素早い踏み込みで剣の間合いの内側に入り込むつもりだった。それが、奈子の戦い方の基本である。
 しかしアラウェは、幼い頃にたった一度だけ見たそれを憶えていたのだろうか。一瞬早く足を止めた。アラウェの踏み込みが中途半端な分、二人の距離は奈子の拳ではなく、ちょうど剣の間合いとなっていた。
 剣が抜かれる。白い光の線となって、奈子に襲いかかる。一瞬たりとも迷うことなく、奈子は地面を蹴っていた。
 胴を薙ごうとしていた刃を空中でかわし、そのまま宙返り。一回転して、アラウェの右鎖骨に浴びせ蹴りを叩きつけた。
 剣が落ちる。すかさず左手で短剣を抜こうとするアラウェ。しかしその時にはもう、奈子が間合いに入っていた。
 脚に下段蹴りを叩きつける。アラウェの体勢が崩れる。そのまま密着して、鳩尾に衝を打ち込んだ。
 小さな身体が崩れ落ちる。腹を押さえ、全身を痙攣させている。震える唇の隙間から、胃の内容物が逆流してくる。
 手加減はしなかった。渾身の衝をまともに喰らったのだ。しばらくは動けまい。
 奈子は、お茶の時に使っている椅子を引き寄せると、苦しんでいるアラウェの傍らに腰を下ろした。
「言った通りでしょ? 今回もアタシの勝ち」
 返事はない。苦しそうに喘いでいるアラウェは、まだ声を出せる状態ではない。
 いくらか呼吸が落ち着いてきたのは、それから十分近く過ぎた頃だろうか。それでもまだ、身体の痺れは取れていないようだ。
「で、どうするの? 諦めておとなしく帰る?」
「……まさか」
 喉の奥から絞り出すような声が返ってくる。
「また来たって、同じ結果になるだけだよ」
「そうかもしれません。だったら……」
 芝生の上に伏せたまま、アラウェはつぶやく。
「私を、ここに置いてもらえませんか? 騎士見習いとして」
「騎士見習い? アタシの?」
 予想外の台詞。さすがに驚いて訊き返す。アラウェは微かにうなずくことでその問いに答えた。
「……ふぅん。アタシに学んだ技で、アタシを殺そうと?」
「ナコよりも弱い者に学んでいては、勝てませんから」
「確かに、ね。でも、アタシがそれを承諾すると思う? あんた、このまま殺される可能性ってのは考えてないわけ?」
「……ナコは、私を殺しません。そうでしょう?」
 面白い。奈子の口元がほころんだ。
 外見は瓜二つなのに、性格はあの姉弟とは違うタイプらしい。興味を惹かれた。
 もう一度、顔をよく見る。無表情なことと年齢の違いを除けば、アィアリスそのものの非人間的なほどに整った顔。だけどいくらかあどけなさが残って、可愛いげがある。
「面白いね、気に入った。いいよ、ここで暮らしなさい」
 深く考えることもなく、奈子は言った。
 遠い昔、レイナ・ディ・デューンは自分が騎士の技を伝えて鍛え上げた姪に殺された。もう一度、同じ歴史を繰り返すのだろうか。
 いいや、そうはならない。
 アラウェは肉親ではなく、他人だ。レイナにできなかったことも、奈子にはできる。
「でも騎士見習いになる以上、アタシはあんたの主だからね。そこんとこ、忘れないように」
 そう言って、まだ動けずにいるアラウェを抱え上げた。中庭から屋敷に戻ると、サラが漆黒の瞳を丸くして、不思議そうな表情で出迎える。
「この子、うちで預かることになったから、部屋の用意をお願い。とりあえず今夜は客間で寝かせる」
「……はい」
 もう何年もこの屋敷で働いているサラは、前を通り過ぎる奈子の表情を見ると納得顔でうなずいた。背後で意味深な笑みを浮かべていることには奈子も気づいていたが、あえて無視する。
 サラを後に残して客間の扉を開け、大きなベッドの上にアラウェを放り出した。どちらかといえば華奢な身体がベッドの上で弾む。
 奈子は素速い動きで、ベッドの下に常備してあるロープを取り出すと、アラウェの腕を後ろに回して手首を縛り上げた。
「……あの?」
 作り物めいた顔に、微かな戸惑いの表情が浮かぶ。奈子はなにも応えずにアラウェの短剣を抜き、彼女の服を胸元から下腹部まで一気に切り裂いた。
 真白い肌が露わになる。
 赤銅色の瞳に、注意深く観察しなければわからないくらい微かな変化が顕れる。
 怯えと、戸惑いと。それを気取られないように、努めて平静を装っている。
 人形よりも無表情なこの少女も、実際にはまったく感情が欠けているわけではないのだ。そんな態度を可愛らしく思いながら、奈子はまだ発育途上にある小振りな胸を、手で乱暴に弄んだ。
 反射的に、アラウェの身体が小さく震える。一瞬だけ開きかけた唇が、きゅっと閉じられる。
 年齢的に考えても、おそらくは初めての経験だろう。この少女が、恋愛とか性といったことに人並みの関心を持っているとも思えない。
 まだ、女にはなっていない未熟な肢体。まだ綻んでいない蕾。しかしそこには、未完成であるが故の儚い美しさがある。
 奈子は手の力を抜いた。ゆっくりと優しく、ささやかなふくらみと、その頂の小さな突起を愛撫する。
「……やめて……ください」
 相変わらず、抑揚のない声。しかし、微かに震えているように聞こえなくもない。
「そう言われて、やめると思う?」
「……いえ」
 ゆっくりと首を左右に振る。
「私は負けました。つまりは捕虜ということですね。なにをされても文句は言えません。……わかりました、好きにしてください」
「いつまで、そんな冷静な態度でいられるかな?」
 抑えようとしても、口元がにやけてしまう。
 面白い。
 簡単に陥ちる相手よりも、この方がずっと面白い。
 奈子は衝動にまかせて、まだ下半身を覆っていた衣服の切れ端と下着を、まとめて剥ぎ取った。
 よけいな回り道はせず、脚の間に手を滑らせる。他人に触れられたことなど一度もないであろう蕾の中へ、指をもぐり込ませる。
「……っ!」
 小さな身体が震える。息が漏れる。
 指先を小刻みに動かす。少しずつ少しずつ、焦らず、ゆっくりと時間をかけて蕾を開かせ、指を奥へと進めていく。
 熱い潤いを感じる。アラウェの女の子の部分から、蜜が滴りはじめている。
 きゅっと閉じた唇の隙間から荒い息が漏れ、白い肌に赤みが差してくる。
「や……、あっ!」
 淡い茂みの奥に唇を押しつけると、固く閉じていた口が開き、オクターブの高い声が漏れてきた。
 舌を伸ばす。指と舌とで、アラウェの中をかき混ぜる。
「や、やぁぁ……あっ、あぁっ!」
 痩せた身体がベッドの上で弾む。アラウェの両脚を抱えるようにして、しっかりと押さえつける。
「あっ、んっ……んっ……あぁっ、あぁっ!」
 すすり泣くような、悦びの声。奈子の愛撫に対して反応している。
 アラウェはドール、人為的に創られた存在だ。それでも女としての、生物としての本能には逆らえない。
 ファージも感じやすかった。ちょっと攻めると、すごく可愛い反応を見せた。アラウェの遺伝子はファージのそれにかなり近い。もしかしたら、と思ったら案の定だ。
 声が大きく、高くなってくる。上体が仰け反る。
「やっ、あぁっ、あんっ……あんっ、あぁ――っ、――――っ!」
 快楽の頂を極める瞬間は、もう声になってはいなかった。
 痙攣していた身体から、力が抜けていく。肺の空気をすべて吐き出したアラウェは、焦点の合わない瞳を奈子に向けていた。
「……どうして…………?」
「ん?」
「どうして、こんなことを……」
「……憎しみ合うより、愛し合う方がいいと思わない?」
 破瓜の血に濡れた指を舐めながら、奈子は答えた。
「その方がずっと素敵で、幸せで、気持ちいいよ。アタシ、あんたのこと好きになれると思う」
 なにしろこの少女は、いま生きている者の中ではもっともファージに近い存在なのだ。嫌う理由がどこにあるだろう。
「だからあんたも、アタシのことを好きになりなさい。これは命令だよ。いや、大丈夫。ここで一緒に暮らしていれば、きっと好きになる」
 この少女と戦う理由はない。戦うことなんてつまらない、愛し合うことの素晴らしさに比べたら。
「ねぇ、そうは思わない?」
「年々、浮気の言い訳ばかりうまくなるのね?」
 割り込んできたのは、可愛らしい、しかし棘だらけの声だった。
 奈子は一瞬硬直したあと、ゆっくりと、そして恐る恐る振り返る。
 いつの間に部屋に入ってきたのだろう。目の前に、小柄な女性が立っていた。一見にこにこと笑っているが、その笑顔が妙に怖い。
「ゆ……ユイ、いつの間に……」
 今日は、子供たちをつれて外出していたはずなのに。いったいいつの間に戻ってきたのだろう。
「ちょっと留守にしたら、すーぐこれなんだから。ねーえ、ナコぉ?」
 背後に揺らめく怒りの炎が見える。なにしろ由維も今では三児の母、十代の頃とは迫力が違う。奈子も迫力負けするほどだ。由維が本気で怒る時は、奈子に非がある場合がほとんどだからなおさらだ。
 今回だって。
 ベッドの上には全裸で腕を縛られたアラウェ。そして破瓜の血の染みが残るシーツ。どうやっても誤魔化しようがない。
「いやっ、ユイっ、これにはいろいろと深い事情が……っ」
「事情……ねぇ?」
 由維の口調は、これ以上はないというくらいに冷たい。
「騎士見習いとして預かるとか言って、年端もいかない女の子を毒牙にかけたのはこれで何人目? アィアリスの妹だから特別、なんて言わないでね。いつもいつも笑って見逃すと思ったら大間違いよ?」
「……笑ってないし、見逃してもくれてないじゃん、いつも」
 声には出さずに心の中でつぶやく。聞こえたはずはないのに、由維の視線がいっそう鋭くなった。思わず首をすくめる。
 今度はなにを言われるかとびくびくしたが、由維はそのままぷぃっと回れ右して客間から出て行ってしまった。
 これは逆に、大声で怒鳴られるよりも怖い。あとあとどんな仕打ちが待っていることか、考えたくもない。
「ユイ、ちょっと話を聞いてよ!」
 この屋敷の主人は奈子でも、実質的な支配者は由維である。怒りを長引かせるのはまずい。
 奈子は慌てて由維の後を追った。



「……」
 まだどことなく焦点の合っていない目で、アラウェはそんな様子を見つめていた。頭の中にもやがかかっているみたいで、身体……特に下半身に力が入らない。
 ひりひりと痛む下腹部に手を伸ばしてみる。指先に少し血が付いた。それがなにを意味しているのか、知識としては知っている。
 だけど。
 どうしてだろう。
 戦いに敗れ、こんな目に遭ったというのに、不思議と不快ではない。むしろ、心が弾んでいるといってもいい。
 興味深い発見もあった。
 最強の騎士と謳われるナコ・ウェルに勝てる人間が、こんなところにいたなんて。
 なんとなくの成り行きでここで暮らすことを承諾したが、もしかしたら、それは意外と楽しいことなのかもしれない。
 そんな気がした。



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