ソレア・サハの屋敷を訪れた奈子が居間の扉を開けると、見覚えのある広い背中と赤い髪が目に入った。
ほとんど無意識のうちに右脚が動く。
「なんで、あんたがここにいるのよ?」
ゴンッ!
華麗な上段蹴りは、狙い違わず男の後頭部を直撃した。
「……久しぶりに会ったというのに、挨拶もなしにいきなりコレかっ?」
出来たてのコブをさすりながら、男――エイシス・コット――が立ち上がって振り返る。
百九十センチ近い長身のエイシスは、立ち上がれば奈子より頭ひとつ分は大きい。
「目障りなのよ。無駄にでかい図体して」
そう言うと、奈子は再び上段蹴りでエイシスの顔面を狙う。
但し今度は本気ではなく、エイシスはその太い腕で簡単に蹴りを受け止めた。
二人のこんなやりとりはいつものこと。ソレアは気にも留めず、奈子の分のお茶を淹れている。
「いらっしゃい、ナコちゃん。今日は泊まっていけるの?」
「ん……そのつもりだけど?」
奈子も席について、カップを口に運ぶ。
「ちょうどいい時に来たわね。ちょうど明日からお祭りなのよ」
「お祭り?」
「そう、夏至のお祭り」
「なんだって?」
ガタッと大きな音を立てて、エイシスが驚いたように立ち上がる。
「夏至祭りって……もう、そんな時期なのか?」
「ええ、そうよ」
小さく舌打ちをして、エイシスは腰を下ろした。この男には珍しく、ひどく困っていくような表情でなにやら考え込んでいる。
「最近ずっと街を離れていたから、暦なんか気にしてなかった。うっかりしてたな……」
「何かあった?」
奈子が訊ねる。
「ん、いや……」
エイシスはわずかに口ごもった。
「ちょっと、人と会う約束がな……。それが、ハシュハルドなんだよな」
「ハシュハルド?」
奈子はこの世界の地理には疎い。その地名がわからずにきょとんとしていると、ソレアが説明してくれる。
「ハシュハルドは、ずっと西の方にある大きな街よ。まともに行けば一月近くはかかるかしら」
「一ヶ月ぅ? それじゃあ全然間に合わないじゃん。あんた、何やってたのよ?」
「いや、古い約束なんでな……忘れてた」
「いーかげんなヤツ」
「ハシュハルドなら、送って行けるけど?」
そう言ったのはソレアだ。エイシスの表情がぱぁっと明るくなる。
「ホントか?」
転移の魔法が使える魔術師はごく僅かだし、まったく見ず知らずの場所に転移することは不可能に近い。だから、ソレアがハシュハルドへ転移できるというのは、エイシスにとっては幸運だった。
「じゃ、悪いけど頼むわ。明日の夜までに着ければいいから」
「送って行ってあげるのはいいけど」
ソレアがふふっと、意味深な笑みを浮かべる。
「よかったら、誰とどんな約束をしていたのか、聞かせてもらえないかしら?」
この台詞は、奈子には少々意外だった。
ソレアは本来、他人のプライバシーを詮索するような性格ではない。それに、卓抜した能力を持つ魔術師である彼女なら、その気になればエイシスの考えを知ることなど造作もないことのはずだ。
いや。
今だって、本当はわかっているのかもしれない。
ソレアは、何かを企んでいるような悪戯な笑みを浮かべているし、エイシスは困ったように口ごもっている。きっと、わかっていてエイシスをからかっているのだろう。
「今から、六年くらい前の話なんだがな……」
ちらりと奈子の方を見たエイシスは、仕方ない、といった様子で話し始めた。
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