「ファージっ!」
ソレアの家に転移してきた由維の第一声は、それだった。
勢い勇んで室内を素早く見渡すと、部屋のソファーでごろごろしているファージを発見する。仰向けに寝転ぶ姿はあられもなく、服のスリットからは白い太ももが大胆にはみ出していた。他人の目をまったく気にしていない。
「……。なんか、超ヤル気ないって感じ」
由維が肩を落とすと、それを聞きつけたファージが、『んー?』と寝返りを打つ。
昼寝中のネコのように伸びをして、あくびをかみ殺しながら、
「だってさぁ〜。最近、ユイしか来ないじゃん」
以前は転移してくる気配に気付いた瞬間、奈子に飛びかかる態勢を取っていたのだが。
最近は由維が一人で来ることが多いため、無駄な労力と判断したらしい。
ファージは手持ち無沙汰に羽毛のクッションを抱きしめ、猫のような目を眠そうに細めた。
「ユイに抱きついても面白くないしさ。で、肝心のナコはどうしちゃったの?」
「な、奈子先輩には奈子先輩の事情があるのッ!」
「? なんでアセってんの?」
首を傾げて見つめてくるファージから、由維はつい目を逸らしてしまった。
――まさか、妊娠中だから大事を取って、とは言えないからなぁ……。
「と、とにかくッ! 奈子先輩はいいとして、今日こそ決着をつけるわよ! 『ぎゃふん』と言ってもらうんだからね!」
「ぎゃふん?」
「そう! 奈子先輩をめぐる恋敵! 執拗に迫り来る貞操の危機を打破するために――私がファージを倒すってことなの!」
拳を固めて気合いたっぷりに宣言した由維だったが、ファージの反応は微妙だった。
「私を倒す? どうやって?」
「もちろん、接近戦で!」
「……本気で言ってるの?」
ファージは心底バカにするように鼻を鳴らした。
完全な力は封印されているとはいえ、竜騎士に匹敵する強さを誇るファージである。
それが異世界からやって来たばかりの、魔法を少々かじった程度の少女に負けるわけがない。
しかし、由維の目は真剣そのものだった。
「はぁ……」
その目を軽く受け流して、ファージはだるそうにソファーから起きあがる。腰に手を当てて、『仕方ないなぁ』と嘆息した。
「そんなに私と闘いたいんだったら、いいよ。手加減してあげるから」
「ふふん……余裕でいられるのも今の内なんだからっ!」
由維は空手の構えを取った。
今まで、奈子の闘う姿を何度も目にしている。脳裏に焼き付いた流麗な動きをイメージしながら、由維は間合いを取った。
対して、ファージは何の構えもしていない。腕をぶらぶらと垂らし、やる気がなさそうに立っているだけだ。
(勝負は……一瞬よ)
由維は身を引き締めた。
攻めるのなら、相手が油断している今だ。こちらの狙いが気付かれないうちに、勝負をつける。
「――はっ!」
先手必勝。由維は素早く動いた。右足で地を蹴り、大きく一歩を踏み出す。
両腕を前に突き出して――
パチンっ!
ファージの目の前で、思いっきり手を打ち合わせる。
「わぁっ?」
予想外の動きにファージは目をぱちくりさせた――その視界から、由維は瞬時に消えている。
身を屈めた由維は、両手を床につけて、そこから流れるように華麗な技を繰り出した。 ――でんぐり返し。
脇をくぐり抜け、背中に回る。『あれ?』とファージが振り返る前に――由維の伸ばした手が、ポニーテールをつかみあげた。
後ろを取られたファージは、少し驚いた顔で舌打ちした。
「ふぅん。意外とすばしっこいんだ」
「私だって、このくらいはできるんだからね!」
「……自慢するにはセコイ技だったけど。まぁ、私から仕掛ける気もなかったからね」
「もしかして負け惜しみ? ……私、ファージの弱点、知ってるんだからね!」
「弱点?」
ファージは首を傾げた。
闘いとなれば、それなりの隙はできてしまうのは仕方ない。魔法を詠唱する時間、防御から攻撃へと移る時間。わずかなタイミングが命取りになることはある。
しかし、それは相手が相当の実力者である場合に限るわけで、由維のような素人が攻め込めるような隙ではない。
「残念だけど、私に弱点なんてないよ。少なくとも、ユイには絶対に負けないね」
「じゃあ――これならどうッ!?」
ぐいっ。
かけ声と同時に、由維は力任せに髪を引っ張った。
ファージの首が後ろにのけ反り、足が数歩よろける。
「いたっ!? なにするんだよッ!」
当然のこと、ファージは罵声を浴びせてくる。
――『あれ?』と首を傾げたのは、由維である。
予想していたのとは違う結果だ。きょとんとした表情で……髪を握りしめたまま、由維は呆然と立ち尽くしてしまった。
「え、あれっ? お、おかしいな、だって、ポニーテールを引っ張ったら……」
「そりゃ、それなりに痛いよ」
ファージが不満そうに唇を突き出す。それなりに痛いが、それだけだ。
由維は顔が、ショックで引きつった。
「そ、そんな……ポニーテールを引っ張ると活動が停止するんじゃなかったの!?」
「どんな人間だよ、それはっ!?」
「ポニーを握ると力が抜けるっているのは――」
「私の髪は別次元の生物か!?」
「それじゃあ……ポニーには一体なんの意味がっ!?」
「ただの髪型だよッ!!」
由維は愕然とした。
打倒・ファージの最終手段。圧倒的な実力差を埋める頼みの綱。
効果がなくては、それこそどうすることもできない。
……でも、おかしい。ファージをよく知るソレアから、直々に教えられた弱点だったはずなのに――
「ま、まさかソレアさん……!」
そのとき。
由維はある気配に気付いた。
こちらを見ている視線。
慌てて振り返ると、扉の隙間から銀髪の女性が顔を覗かせていた――ソレアである。由維と視線が合うと、『くすっ』と唇を歪めて、……パタンとドアを閉める。
由維の頬に、一筋の汗が伝った。
「ソレアさん……もしかして、かなりストレス溜まってた……?」
それも頷ける。最近はファージと二人でケンカばかりの毎日だったのだ。自分の屋敷で好き勝手に騒がれれば、いくら穏便なソレアでも我慢の限界があるだろう。それに、占い師というのもストレスが溜まりそうな職業である。娯楽に飢えていて、それを晴らす手段として由維をからかったとしても不思議ではない――
(だ……騙されたぁ〜っ!?)
「……あのさぁ、ユイ?」
ぽつり。
呟いたファージに、由維はびくりと体を震わせた。
「そろそろ、その手を離してくれないかなぁ……?」
拳を固めて呻くその声からは、押し殺した怒気しか感じ取ることができなかった。
由維は慌てて手を離す。金髪のポニーテールがふわりと下に落ちる……かと思ったが、なにやらファージの体から発する怒りのオーラのせいで、そのまま宙を揺らめいていた。
由維は真っ青になって後退る。
「す、ストップ! 今日の勝負はナシ! また次の機会……というか、もう充分! いい勝負だったよね、ねっ?」
「へぇぇ? さっきまでの余裕はどこに行っちゃったのかな?」
「余裕サンは成金まがいに大富豪になって個人で初めて宇宙旅行へ行っ――」
「――覚悟、イイ?」
「いやぁぁぁぁっ!? 目が据わってるぅぅぅぅぅぅっ!?」
尻尾を巻いて逃げ出す由維に、ファージは猫のような俊敏さで飛びかかった。
背後から床に引きずり倒し、仰向けにした由維に馬乗りになる。
ぺろり。
舌なめずりをした表情は、嬉々として輝いていた。
「さぁって、どうやってイジメてやろうかな? 最近、ナコとも遊んでないしね〜。ユイ、ナコとはいろいろやってるんでしょ? じゃあ、私がユイと絡んだら、間接的にナコとやったことになるよねぇ?」
「ひ、ひぇ……」
「間接ダッコとか間接キス、間接おさわりに間接もみもみ、それから――」
ファージの目が妖しく光る。
湿った唇が首筋に触れた。ファージの吐息で、由維は思わずぞくぞくしてしまった。
身じろぎする由維を、ファージは決して逃がさない。
「んー。ナコの匂いがする……」
「いやっ、ヤダッ! ちょっとやめてぇ! この変態ポニー! 風俗推進ポニー! 18歳未満お断りポニーっ!」
「へへ〜、ユイの『弱点』はどこかな〜?」
「い、いやああぁぁぁぁぁぁあッ!? 助けて、奈子せんぱぁぁぁぁぁぁいッ!!」
広い屋敷に、少女の悲鳴が虚しく響き渡る。
由維に迫る危機。
しかし、さすがの奈子もこんなことでは助けに来ないようだった。
「――それじゃあ、『間接エッチ』、スタートっ☆」
「いややぁぁぁっ! ゆるしてぇぇぇぇぇぇっ!?」
由維とファージの闘い(?)は、まだ始まったばかりだ――
【END】
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