一 三人の少女


 〈静内 彩樹〉

 中学校が夏休みに入って間もない、七月のある晴れた土曜日の午後――
 静内彩樹(しずない さいき)はその日、特にあてもなく札幌の街をぶらぶらと歩いていた。
 今日は快晴で陽射しは強いが、それほど湿度の高くない北海道の夏は比較的過ごしやすい。
 彩樹の服装は、履き古したジーンズに上はタンクトップ一枚。
 そんな薄着のおかげで一応は女の子であることがわかるが、もしこれが冬で、厚手のジャンパーでも着ていたなら男子と間違われることの方が多い。
 彩樹は、そんな少女だった。
 中学三年の女子としては高めの百六十五センチ強の身長。
 短い髪。
 ラフな服装。
 やせ気味の、無駄な脂肪のない体つき。
 そして、獲物を狙う肉食獣を思わせる鋭い目。
 美人だけど目つきが怖い、と人によく言われるので前髪を目にかかるほど長く垂らしているのだが、それでも瞳の強い光は隠し切れていない。
 そう、客観的かつ冷静に見れば、彩樹は美人だった。
 ただし、美少年という方がより的確な表現ではある。
「ねえ君、ちょっと訊きたいことがあるんだけど…」
 背後から不意に声をかけられて彩樹が振り向くと、二十代後半くらいの男が立っていた。
 夏の陽射しの下でも背広の上着を着たままで、顔には汗ひとつかいていない。
 ナンパ(実際には女の子に声をかけられることの方が多いのだが)やキャッチセールスの類だったら張り倒してやろうと思っていた彩樹だったが、相手は一流企業に勤めるビジネスマンといった雰囲気だ。
 道でも訊きたいのだろうか。
 だが…
「なんか用?」
「ちょっと訊きたいんだけど…」
 彩樹の問いに、男はさわやかな笑顔でとんでもないことを訊いてきた。
「君、バージンかい?」
 五秒後、男は歩道に大の字に倒れていた。
 まったく見事という他はない。
 男の失礼な質問と同時に顔面へ掌底を打ち込み、間髪入れず脇腹へのフックと鳩尾へのボディアッパーの連発。
 男が腹を押さえて身を屈めたところで、両手でその頭をつかんで顔面への膝蹴り。
 それだけで間違いなく相手はダウンしただろうが、彩樹は掴んでいた頭を離すと、男が倒れるよりも早くこめかみに上段の回し蹴りを叩き込む。
 それは、流れるようなコンビネーションだった。
 約束組手でも、なかなかこうきれいには決まるまい。
 静内彩樹――
 六月生まれの十五歳。
 札幌市南区奏珠別(そうしゅべつ)にある私立白岩(しらいわ)学園中等部の三年生。
 そして、北原極闘流空手・札幌南道場の門下生。
 これまでにも北原美樹や安藤美夢など、女子の名選手を輩出してきた札幌南道場の、次代を担う選手として先輩や師範の期待も大きい。
 ――それが、静内彩樹だった。


「…怒ったってことは、図星なんだろうなぁ…」
 焼けたアスファルトの歩道の上に大の字に倒れた男は、遠ざかってゆく足音を聞きながら微かにつぶやいた。
「完璧…理想の人材だ…まず一人。でも…声のかけ方がまずかったか…?」
 そうして、気を失った。



 〈知内 祐人〉

 話は数日前にさかのぼる――

「この条件に合う人物を捜している…と?」
 札幌市豊平区中の島にある小さな人材派遣&紹介会社・株式会社MPSの営業部長である知内祐人(しりうち ひろと)は、手にした書類に視線を落としがらやや困惑した表情を見せていた。
 部長という肩書きの割には、彼はずいぶんと若い。
 今年でまだ二十七歳だ。
 彼の叔父がこの会社の社長なのだが、他にもいくつかの会社を経営している叔父は三年前、大学を卒業したばかりの知内にこの仕事を押しつけたのだ。
「ふむ…」
 知内はもう一度、テーブルを挟んで座っている依頼主を見た。
 四十台後半〜五十くらいと思われる男性と、年齢はよくわからないが多分まだ若いであろう女性。
 いずれも、日本人ではない。
 夏だというのに肌をほとんど出さない特徴的な衣装から推測すると、中近東…イスラム系の人間だろうか。
 男はシサーク・コウェン、女はフィフィール・レイドと名乗っていた。
 男の方が、明らかに日本語ではない言葉で女に話しかける。
 英語なら日常会話に不自由せず、ドイツ語とフランス語も少しはわかる知内にも、どこの言葉かはわからない。
 先刻から、知内と話しているのはフィフィールの方だ。
 外国人特有の癖のあるアクセントだが、彼女は日本語を話せる。
 秘書兼通訳というところか。
「ふむ…」
 知内はもう一度つぶやいた。
 この仕事について三年になるが、今回の依頼は少々特殊だった。
 ある、いくつかの条件を満たす人材を雇いたい。
 ただそれだけなら当たり前の彼の仕事なのだが、その条件が普通ではない。
 少なくとも、彼が記憶している限りでは過去に同じような例はなかった。
「え〜と…、詳しい事情を伺ってもよろしいですか? なにしろ、ちょっと変わった条件ですので…」
 困惑を隠し、愛想笑いを浮かべて訊く。
「もちろん、あなたがお訊ねすることには全てお答えします」
 静かな笑みを浮かべて、フィフィールは答えた。
「ただ、口で説明するだけではなかなか理解してもらえないかと思いますので、実際にご覧になっていただきましょう。三十分くらい、お時間よろしいですか?」
 知内はうなずいた。
 そして、その三十分の間に彼は信じられないものを目にすることになったのである。



 〈鹿追 早苗〉

 サバイバルゲーム、という遊びがある。
 簡単に言うと、圧縮空気やガスでプラスチックの弾…BB弾を打ち出す銃を使った『戦争ごっこ』だ。
 愛好者は高校生から三十代くらいまでの男性が主だが、女性のサバイバルゲーマーが皆無というわけでもない。
 そして、早苗もその一人だった。
 外見は、普通の女の子だ。
 背は中学三年生の平均よりほんの何ミリか高め。
 肩に軽くかかるくらいの茶色い髪に、大きな目。
 そして、スマートな割にはかなり大きな胸。
 自分では結構イケてる方だと思うし、周囲の人たち(特に男子)の評価もだいたいその通りのものだ。
 だが、彼女がチームの仲間からちやほやされているのは、単に紅一点の巨乳美少女だから、という理由だけではない。
 銃の扱い、反射神経と身のこなし、照準の正確さ。
 全てが、チームのトップだった。
 女版デューク東郷、とか。
 南区のニキータ、とか。
 そんな異名をとる早苗だったが、しかし、外見は普通の(ちょっと胸が大きいだけの)女の子でしかない。

 七月のある晴れた日曜日、早苗が所属するチームは札幌市南区の山中で開催されたサバイバルゲームの大会に参加していた。
 早苗は迷彩服に身を包み、愛用のサブマシンガン・東京マルイ製のMP5A5を構えながら林の中を進む。
 時折、トランシーバーからチームリーダーの指示が聞こえてくる。
 突然、横の茂みから人影が飛び出してきた。
 早苗は反射的にそちらに銃口を向けると同時に、トリガーにかけた指に力を込める。
 だが、それはこの山中では場違いな背広を着た、サラリーマン風の男だった。
 無関係の一般人に銃を向けてはいけない。
 早苗はあわてて銃口をそらそうとする。
 だが…
 二十代後半と思われるその男は、場違いな服装にも関わらずゴーグルをかけていた。
 BB弾から目を護るため、サバイバルゲームの参加者には着用が義務づけられている。
 つまり、その男は関係者だ。
 早苗は迷わずトリガーを引いた。
 毎秒十六発のBB弾が正確に男に命中する。
 いきなり撃たれて驚いたのか、男はバランスを崩して尻餅をついた。
 弾倉をほぼ空にしたところで、早苗は銃を下ろして訊いた。
「…で、あなた誰?」
「撃ってから訊くなぁぁぁっっ!」

 知内は力一杯叫んだ。

 顔は可愛いし胸も大きい。
 銃の腕前も一流。
 だけど、
 鹿追(しかおい)早苗とは、こんな女の子だった。



 〈鵡川 一姫〉

 七月最後の月曜日の夕方近く――
 札幌の駅前通りにある一軒の書店から、小柄な少女が出てきた。
 今日発売されたばかりのお気に入りの作家の新刊を手に入れて、嬉しくてたまらないといった表情だ。
 少女の名は、鵡川一姫(むかわ いつき)という。
 中学二年生にしては小柄で手足も細く、ちょっと見には小学生と間違われかねないが、微笑を浮かべたその表情はもう少し大人びた雰囲気を持っている。
 周囲の人間の彼女に対する評価は『おっとりとしたお嬢様』というのが一般的だ。
 それは、ややタレ目気味の軽くふせられた目のためであろうか。
 見ようによっては、眠そうな表情ともとれる。
 なんとなく、つかみどころがないといった印象だ。
 どこか喫茶店にでも入って、さっそく買ったばかりの本を読もうかな――そう思って歩き出した一姫は、不意に背後から名前を呼ばれて立ち止まる。
 彼女が振り返るのに合わせて、ポニーテールにした長い黒髪がふわりと揺れた。
「ちょっと、話があるんだけど…いいかな?」
 そう言ったのは、二十代後半くらいのサラリーマン風の若い男。
 やや緊張したような笑みを浮かべたその顔には何故か幾つかの真新しいあざがあったが、それがなければそこそこハンサムかもしれない。
「ひょっとして…ナンパでしょうか?」
 小さく首を傾げながら、一姫は丁寧な口調で訊いた。
「だとしたら申し訳ありませんが、私はちょっと用事がありますので…」
「いや、ナンパじゃなくて…スカウトなんだ。ちょっと話を聞いてくれないかい?」
 一昨日、昨日と続けて痛い目に遭っている知内は、警戒心を抱かせないようにと笑顔を浮かべて丁寧に言う。
「スカウトといいますと…十八歳未満は観てはいけないビデオのことですか?」
「ち、違〜う!」
「あの…わたくしも好奇心旺盛な年頃ではありますし、そういうことにまったく興味がないわけでもないのですが…」
 まるで、親切な申し出を断る時のように、さもすまなそうな表情で一姫は言った。
「やっぱり、初めては好きな人と…というのが理想ですし…。それに、わたくしまだ中学生ですから…」
 一姫にはまったくふざけている様子はない。
 口元に手を当て、困ったような表情を見せている。
「いや、中学生でなきゃいけないんだ」
ロリータものですの? 『十三歳の性春』とか『中学二年生・惜別の処女喪失』といったタイトルの…」
「アダルトビデオじゃないっつ〜とろ〜がっ!」
 知内は思わず叫んでしまった。
 その声の届く範囲にたまたまパトロール中の警官がいたことは、彼にとって不幸な偶然という他はない。
 ずいぶん時間はかかったが、なんとか事情を説明して解放されたときには、もう陽が沈んでいた。
 当然、一姫の姿はどこにもない。
 知内は、遠い目をして暗くなりつつある空を見上げた。
(俺、やっぱり向いてないのかなぁ。田舎に帰って家業を継いだ方がいいのかも…)
 ちなみに、彼の実家は富良野のラベンダー農家だ。
 空を見上げる彼の胸には『北の国から』のテーマ曲が流れていた。


 すっかり暗くなってから家に帰った一姫は、門の脇に一人の男が立っているのに気付いた。
「待っていたよ、鵡川くん…」
 やや疲れたような表情で(無理もない)知内は言った。
「まあ…」
 一姫は小さく微笑む。
「わたくしの家をご存じでしたの。つまりあなた、いま流行のストーカーですのね?」
「違う!」
 知内は叫ぶ。
「僕はナンパでも、AVのスカウトでも、ストーカーでもない! お願いだから、少しの間黙って僕の話を聞いてくれないかっ?」
 そう言うと男はがばっと地面に手をついた。
 一姫は、笑いながら手を差しのべる。
「もちろん、そんなことは存じております。さあ、お立ち下さい。一人前の殿方がそんな安易に土下座などしてはいけませんわ」
「存じて…って…、じゃあ、何故…?」
 一姫はくすくすと笑いながら、立ち上がった知内を見上げた。
 一姫の身長は百四十センチちょっとしかなく、百七十五センチの知内とは三十センチ以上の差がある。
 目を細めて、まったく邪気の感じられない笑顔で言った。
「だって、あなたのようにからかいがいのある方って初めてですもの
「は…?」
 全身から力が抜けて再びその場に座り込んでしまった知内は、心の中で誓っていた。
 この仕事が終わったら、絶対に田舎へ帰ってラベンダーを育てて暮らす。
 金輪際、女子中学生には近付かない、と。



 彩樹を応接室に案内したその女性は、知内の秘書だという。
 誰かに似ている…しばし考えて思い当たったのは、秋月りすのマンガに出てくる『社長秘書・令子』だった。
 後に、彼女の名が玲子だと知ったときはしばらく笑いが止まらなかったものだ。
 彩樹が応接室に入ると、そこには先客がいた。
「あれ…」
 その少女は、彩樹の顔を見て意外そうな声を上げる。
「二組の静内さん?」
「そういうあんたは三組の…巨乳女!」
 巨乳女こと早苗は、応接室のソファから勢いよくずり落ちる。
「なんなのよ、その呼び名は!」
「なにしろこの胸の印象が強すぎるんだよな。だから名前なんて憶えてね〜よ」
 むぎゅ
「ふみゃぁぁぁっ!」
 彩樹がその自己主張の強い胸をつかむと、早苗は妙な悲鳴を上げた。
「い、いきなりなにすんのよっ!」
「いっぺん触ってみたいな〜と思ってたんだ、コレ」
 むにゅ、むにゅ
「ところで、なんでお前がここにいるんだ? ひょっとしてお前も…?」
 もみもみ…
「ってことは静内さんも…って、いつまで触ってンのっ!」
「いや、柔らかくて触り心地がいいもんだから、つい…」
 ぷにぷに…
「しかも手つきがなんかやらしいよっ?」
 暴れて、なんとか彩樹の手から逃れようとする早苗だったが、背後からしっかりと抱きすくめられてはそれも叶わない。
「…やっぱり、アダルトビデオではありませんの?」
「いや…こんなはずではなかったんだが…」
 不意にそんな声が聞こえて、早苗の胸を巡る攻防を繰り広げていた二人は入り口の方に向き直った。
 そこにいるのはいうまでもなく、知内と一姫である。
「…知ってる?」
 彩樹は人間離れした反射神経でぱっと早苗から離れて訊いた。
 早苗は小さく首を傾げる。
「確か二年生の…えっと、いちひめちゃん?」
「いつき、ですわ」
「これで全員そろったね。じゃ、話を始めようか」
 三人を席に着かせると、知内は話し始めた。
「さて、もう知っていると思うけどウチは人材派遣会社だ。で、いまちょっと特殊な人材を探しているお客さんがいてね…」
 そこで言葉を切り、彩樹、早苗、一姫の顔を順に見る。
「その条件に合うのが君たちってわけだ。どうだい、学校は夏休みだしアルバイトしないか?」
 三人はちらと顔を見合わせる。
 最初に早苗が口を開いた。
「で、肝心の仕事の内容ってのはなんなの?」
「もしいかがわしいコトだったら、今度は手加減しね〜ぞ」
「…まるでこの前は手加減したような口振りだな」
 まだ、顔にうっすらと残っているあざを手で押さえて知内が言う。
「とにかく、仕事の内容ってのが特殊でね。ここで説明しても多分信じてくれないだろうから、自分たちの目で実際に見てもらった方がいい。ちょっと隣の会議室に移動してくれないか?」
 知内を先頭に四人が会議室に入ると、そこには奇妙な衣装を着た二人の人物がいた。
 そして…



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