プロローグ


 その場は、異様な熱気に包まれていた。
 札幌市南区の郊外に建つ私立白岩学園高等部、その格技場だ。
 金曜日の放課後、普通ならば部活の時間である。しかしこの日は、多くの生徒たちが自分の部活をさぼってこの場に集まっていた。
 圧倒的に女生徒の姿が多い。もともと白岩学園は女子の比率がやや高いが、それ以上の差だ。高等部のブレザーばかりでなく、隣接する中等部のセーラー服姿もかなり混じっている。
 だから、格技場の中は黄色い歓声に覆われていた。
 試合場に立っているのは二人。
 大柄な体躯の男子は、空手部の主将を務める三年生、平池。
 それと対峙しているのは、身長百六十センチ台後半の、ややほっそりとした体つきの人物。長く垂らした前髪が目にかかっているが、それでもその目の鋭さは隠し切れていない。一見して性別が判断できないような、そんな中性的な雰囲気をまとっていた。
 静内彩樹――その人物の名である。
 白岩学園高校の一年生。れっきとした女の子だ。ただし、試合場を取り巻いて彩樹に大歓声を送っている女の子たちが、その事実を正しく認識しているかどうかははなはだ疑問である。
 共学の白岩学園にありながら、彩樹は校内で一番女の子に人気のある人物だった。中学時代は女子空手の全国チャンピオンであり、美少年顔で、女たらしで、しかもテクニシャンともっぱらの噂。なにしろ中学時代から『白岩学園のバージンキラー』の異名を持っていたほどである。
 必然的にというべきか、彩樹は男嫌いだった。しかも好戦的な性格のため、高等部に上がってから、男子格闘技系クラブの猛者たちに片っ端から喧嘩を売り、そして勝利し続けている。
 そのため学園内ではやや立場の弱い男子にとっては、最後に残された砦が平池だった。昨年のインターハイで、二年生ながらメダルを獲得している彼が敗れれば、もうこの学園に彩樹に勝てる人物は存在しないのだ。
 だから、観客の盛り上がりも半端ではない。
 彩樹の学園聖覇を応援する女生徒たちと、男子の復権を願う男子たち。試合開始の合図と同時に、観客の熱狂は頂点に達した。


 試合は、最初から彩樹有利に進んでいた。
 パワーとリーチの長さでは平池に分があるのだろうが、その不利を補って余りあるスピードで相手を圧倒していた。
 その動きは近代空手に多いボクシング風のフットワークではなく、床の上を滑るような摺り足。それでいてフットワークよりも速い。
 平池の巨体から繰り出される突きや蹴りをかわしては、その度に三発、四発の打撃を一息で打ち返す。
 体力で劣る女子とはいえ、彩樹が学ぶ北原極闘流空手の技は、打撃の威力に定評がある。平池がいくら打たれ強くとも、一撃一撃が男子選手の渾身の突きにも匹敵する彩樹の打撃をこれだけまとめてもらっては、いつまでも耐えられるものではない。
 ダメージの蓄積で、平池の動きが目に見えて悪くなってくる。こうなってはもう、彩樹の一方的な攻勢を止める手だてはない。ガードが下がった一瞬の隙を逃さず、彩樹の身体が翻る。
 完璧なタイミングの後ろ回し蹴りが、平池の顔面を捕らえていた。


「彩樹さん、ステキ〜!」
 ポニーテールにした長い黒髪を揺らして、小柄な少女が叫んでいた。ピョンピョンと跳びはねるたびに、セーラー服のスカートが翻る。
 鵡川一姫。中等部の三年生で、彩樹の熱烈な追っかけの一人だ。
「ああん、もう! 彩樹さんってばカッコ良すぎ! 抱いて〜っ!」
「…いっちゃん、性格変わったね」
 高等部の制服を着て隣に立っていた少女が、ぽつりと言う。
 鹿追早苗、彩樹のクラスメイトだ。
 呆れ顔で、ため息混じりに肩をすくめる。その動きに合わせて、早苗のDカップの胸が大きく揺れた。




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