たたかう少女・バレンタインスペシャル

チョコレート娘2


 二月上旬の札幌といえば、冬のまっただ中。
 気温は日中でもプラスになることは少ない。
 凍てついた、雪と氷の世界。
 しかし、ここ、私立白岩学園中等部の格技場は、そんな外の冷気とは無縁の空間だった。
 放課後の格技場といえば、柔道部や空手部が稽古をしている、どちらかといえば地味な場所であるのが普通だが、それはこの学校には当てはまらない。
 何故なら、部員の数倍のギャラリー、それも女子生徒ばかりが、格技場の周囲を取り巻いているからだ。
 それでも、柔道部と空手部の部員たちはほとんど意に介する様子もない。
 これが日常差万事だから。
 別に、この学校では武道系クラブが大人気、というわけではない。
 彼女たちのお目当てはただ一人。
 いま、格技場の中心で形の演武をしている女子空手部の三年生。
 そう、静内彩樹(しずない さいき)である。
 彩樹こそ、白岩中でもっとも女子にモテる人物だった。
 白岩学園は女子校ではなく、やや女子の比率が高いものの一応共学校だ。
 にもかかわらず、である。
 しかしそれも無理はない。
 この年頃の女子としてはかなり高い、すらりとした長身。
 精悍な、整った顔立ち。
 前髪を目にかかるくらいに伸ばしている以外は、短く刈った髪。
 身体に無駄な脂肪がほとんどないために、外見はどう見ても美少年≠セ。
 男っぽいというよりは、どちからというと中性的な雰囲気がある。
 見た目は痩せているくせに、弱々しい雰囲気は全くない。
 なにしろ、実戦空手・北原極闘流の全国大会で優勝した、中学女子チャンピオンである。
 そしてなにより…
 本人が大の女好きだ。
 自ら、同性にしか興味がない、と言い切っているのである。
 ど〜ゆ〜テクニックを駆使しているのかはわからないが、とにかく女の子を口説くのがうまい。
 かくして彩樹の周囲には、ハート型の目をした女の子たちの人垣ができることになるのである。
 三学期になると、卒業間近の三年生が部活に出てくることはほとんどないが、今日は久しぶりに彩樹が後輩の指導に来るというので、彩樹のファンたちが集まったのだ。

 演武中は、彩樹がもっとも魅力的に見えるときのひとつである。
 ファンの女の子たちは、そのことをよく知っている。
 彩樹は床の上を滑るように移動し、次々と突きや蹴りを繰り出す。
 彼女の動きは、常人の目では追えないほどに疾い。
 観客たちは、飛び散る汗の滴のきらめきによってのみ、その動きを知ることができる。
 大勢の観客がいるにも関わらず、格技場の中はしんと静まり返っていた。
 彩樹の拳が、空気を切り裂く音だけが響く。
 疾く、鋭く、力強く。
 そして微塵の無駄もない、極限まで洗練された動き。
 誰もひとことも発することなく、彩樹の動きに見とれていた。
 そう、彩樹は確かに美しかった。
 虎や豹のような危険な肉食獣の姿が美しいのと同じように。
 人を斬るために造られたはずの刀剣が、ときとして見る者に感動を与えるのと同じように。
 そんな、危険な美しさがあった。
 彩樹が演武を終えると、取り巻きの女の子たちが一斉に駆け寄る。
 汗を拭いてもらおうと、めいめいがタオルを差し出した。
 こんなときの彩樹はとても公平で、誰かをひいきするようなことはない。
 いちばん取りやすい位置にあるタオルに手を伸ばす。
 ひとこと、「ありがと」とだけ言って。
 そして汗を拭いたタオルを返すとき、その女の子を抱き寄せて額か頬に軽くキスをする。
 それが目当ての少女たちで、彩樹がいるときの格技場はいつも大変な騒ぎだった。

 そんな女の子たちの群から少し離れたところで、
「…やっぱり、彩樹さんて素敵ですわ」
 長い黒髪をポニーテールにした小柄な少女が、ため息まじりにつぶやいていた。



「はぁ…」
 コーヒーカップをテーブルに戻しながら、一姫(いつき)は今日何度目かのため息をついた。
「やっぱり、彩樹さんて素敵ですわね…」
 うっとりとした瞳でつぶやく。
「…いっちゃん、マジで彩ちゃんに惚れた?」
 やや呆れた様子の早苗が訊く。
「そ、そ〜ゆ〜わけではありませんわ。わたくしは、ただ…」
「ど〜見たって、恋する乙女の表情だよ」
 からかうように言ってから、自分のカップに手を伸ばした。
「そ、そうでしょうか?」
 一姫が戸惑った表情で聞き返す。
 コーヒーひとくち分の間をおいてから、早苗は応えた。
「たとえば、彩ちゃんのことを考えると、胸がどきどきする?」
「…はい」
「彩ちゃんの前に立つと顔が赤くなったり、彩ちゃんが他の女の子と話してたら胸がきゅ〜っと締め付けられるような気がしたり?」
「…はい、…はい」
 質問のひとつひとつに、一姫はうなずいて答える。
 早苗が、悪戯な笑みを浮かべて言った。
「彩ちゃんのことを考えながら一人エッチしたり?」
 反射的にうなずきかけた一姫は、あわてて手で口を押さえた。
 たちまち、顔が真っ赤になる。
「さ、さ、早苗さんっ! いきなりなにを訊くんですかっ?」
「そっか〜。なにも知らないような顔して、やることはちゃんとやってんだね〜」
 声を上げてけらけらと笑う。
「そ、そ、そんなことしませんわっ!」
「隠さなくてもいいって。別にいいじゃない、オナニーくらい誰だってやってるんだし。ねぇ?」
 早苗は、背後を振り返って同意を求める。
 ぶぅ――――っっっ!
 そこには、突然のとんでもない質問に、思わず飲みかけのコーヒーを吹き出している、若いサラリーマン風の男の姿があった。
「…いくら今どきの女子中学生とはいえ、少しは恥じらいというものがないのかい?」
 ハンカチで口元を拭いながら、男は苦虫を噛みつぶしたような表情で言った。
「あれ、知内さん。いたの?」
「いたの、って…ここは僕のオフィスだぞ?」
 むっとした表情でハンカチをしまう。
 そう、早苗と一姫がいるのは、札幌市内にある人材派遣&紹介業、株式会社MPSのオフィスだった。
 そしてこの不機嫌そうな男は、この会社の営業部長、知内祐人(二十七歳、独身)である。
「だいたいどうして君たちは、いつもここを喫茶店がわりにするんだ?」
「いいじゃない、ぴっちぴちの女子中学生が遊びに来てあげてるんだから、コーヒーくらい飲ませてくれたって」
 まったく悪びれない様子で早苗が応える。
 知内は不機嫌な表情のままだ。
 自称「ぴっちぴちの女子中学生」が遊びに来たところで、嬉しくもなんともない。
 彼はロリコンではないし、それどころか、昨年の夏頃から少々女性不信になりつつある。
「そもそも、今日はなにしに来たんだい?」
「買い物のついで。バレンタインのチョコを買おうと思って。知内さんにも一個あげようか? ギリだけど」
「そうか、それで今日は二人だけで、静内くんがいないのか」
「彩ちゃんは、もらうの専門だからね〜」
「しかし、わざわざ買い物の途中に途中下車までして?」
 言外に「用もないのに来るな」と言っているのだが、この少女たちには通じていない。
「玲子さんのコーヒーはとても美味しいですから」
 一姫の言葉に、少し離れた席に座っていた知内の秘書、雨竜玲子(うりゅう れいこ)が小さく微笑んだ。

「そうか〜、いっちゃんってば、本気で彩ちゃんに惚れちゃったか〜」
 玲子が出してくれたケーキを頬ばりながら、早苗は話題を戻した。
 一姫が恥ずかしそうにうつむく。
「あ…あの…、わたくしって…いわゆるレズビアンということになるのでしょうか?」
 という一姫の言葉に、他の三人は思わず顔を見合わせる。
 その表情を見れば、三人が同じことを考えているのは一目瞭然だった。
「他の相手ならともかく…」
「静内くんを好きになったからといって、レズといえるかどうか…」
「どっちかというと、惚れられた彩ちゃんの方に問題があるよね」
 三人そろってうんうんとうなずく。
「彩ちゃんの女らしい部分なんて、戸籍ぐらいだもんね〜」
「それは言いすぎだろう。少なくとも、解剖学的には女性じゃないのかい?」
「部長、それもちょっと言いすぎでは…」
「知らない、見たことないもの。服の上から見る限り胸は小さいし、中身も脂肪じゃなくて大胸筋かもしれないよ?」
「あなたたち仲いいんだし、一緒にお風呂とか入ったことはないの?」
「じょ〜っだんじゃない!」
 玲子の問いに対し、早苗は周囲がびっくりするほどの大声を上げた。
 意外なくらい真剣な表情だ。
「そんな危険なこと、できるわけないじゃない!」
「危険? お風呂が?」
 知内と玲子は、早苗の言葉の意味が分からずに、きょとんと顔を見合わせる。
「ウチらが彩ちゃんの前で裸になったりしたら、五秒で犯されちゃうよっ!」
「……そうなの?」
 玲子が確認する。
 一姫は恥ずかしそうに、控えめにうなずいた。
 大人ふたりは再び顔を見合わせる。
 心底呆れた表情で。



 大通り駅で地下鉄を降りた早苗と一姫は、地下街を歩いて近くの三越デパートに入った。
 もうじきバレンタインデーということで、拡張されたチョコレート売場は女性客で賑わっている。
 人混みの間を通り抜けながら、早苗は次々とチョコを買い込み、たちまち両手はチョコレートでいっぱいになった紙袋でふさがる。
「早苗さん、そんなにたくさん買うんですの?」
 驚きと、ほんの少し軽蔑の混じった表情で一姫が言う。
「モテる女はつらいよね、あはは〜」
 その口調はこれっぽちも辛そうではない。
 実際のところ、早苗はかなり男子に人気がある。
 それだけの条件を満たしている。
 顔が可愛くて。
 人なつっこい、明るい性格で。
 しかも胸が大きい!(ここが重要)
 今のところ決まった彼氏はいないが、それだけにこの時期は言い寄ってくる男も多い。
「…その…早苗さんて、誰か好きな方が?」
 そう訊ねる一姫に対し、
「ウチ? う〜ん…いい男はみんな好きだよ?」
 などと、どこかの喫茶店のウェイトレスみたいなことを言う。
「それより、いっちゃんこそせっかく来たのに一個も買ってないじゃない?」
 すでにン十個のチョコを買い込んだ早苗に対し、一姫はいまだに手ぶらだった。
「はあ…」
 と、困った表情で答える。
「実はわたくし、これまでバレンタインチョコというのを買ったことがありませんので、こうたくさんあるといったいどれを買えばいいものやら…」
 きょろきょろと周囲を見回す。
「…目移りしてしまいますの」
「初めて? いまどき天然記念物なみだね〜」
 からかうように言われて、一姫にしては珍しく、少しだけ頬を膨らませた。
「それに、彩樹さんてきっとたくさんチョコレートをもらうでしょう? ありきたりのチョコを差し上げても、目にとまらないでしょうし…」
「本命チョコなら、手作りもいいんじゃないの?」
「それが…あの…」
 一姫の声が、急に小さくなる。
 言いにくそうに、
「わたくし…、お料理はちょっと…その…」
「いっちゃん、料理きらい?」
「いえ、お料理を作るのは好きなのですが、その…、わたくし、火加減と匙加減に少々難があるようでして…」
「つまり、ヘタなのね?」
 なるほど、と早苗はうなずく。
 たしかに、一姫はあまり器用そうには見えない。
 なにごともワンテンポずれているというか…。
 その性格が、料理にも反映されてしまうのだろう。
「早苗さんは、彩樹さんにチョコレート差し上げますの?」
 料理の腕に関してはあまり触れられたくないのか、一姫の方から話題を変える。
「ん〜、そうだね〜」
 唇に指を当てて早苗は考え込む。
「あげないとあとで苛められるだろうしな〜。ホント、わがままなんだから」
「彩樹さんはそこがいいんじゃありませんか」
 一姫がくすくすと笑う。
 あばたもナントカ、だった。
 早苗は小さく肩をすくめる。
 彼女だって彩樹のことは嫌いではない…というか、はっきり言って好きだ。
 ただしそれはあくまで友人として、である。
 ノーマルな早苗にとって、彩樹がどれほどカッコ良かろうとも、なにより女であるという点で恋愛の対象外となる。
(あれで、男の子だったらね〜)
 けっこう好みだったのに、と声に出さずにつぶやいた。
「あ、これでいいや、彩ちゃんにあげるチョコ」
 早苗が手に取ったチョコを見て、一姫は目を丸くした。
「あの…、それってもしかして…」
 なにかの冗談ではないかと、訝しみながら訊ねる。
「それ、『森○チョコ○ール(大粒)』ではありませんの?」
「そう、『○永チ○コボール(大粒)』だよ?」
 金なら一枚、銀なら五枚、でおなじみのアレだ。
「あの〜、さすがにそれはマズイのではないでしょうか?」
 バレンタインチョコを買ったことがない一姫でも、これはちょっと違うと思う。
 『大粒』は普通のチョコボールに比べて三倍以上の価格だが、それでもスーパーでは百八十円くらいのものだ。
 いや、価格以前の問題である。
「それって、チョコをあげないよりもよけい彩樹さんを怒らせそうな気がするのですが…。彩樹さんてあれで意外とグルメですし…」
 本気で心配そうに言った。
 彩樹は乱暴者である。
 しかも、わがままである。
 彼女の場合、それすらも魅力の一部であるのだが、彩樹と接する者は、その怒りに触れないように細心の注意を払うのが常だった。
 彩樹に対してなんの遠慮もなしに言いたいことを言えるのは、かのマウンマン王国のアリアーナ姫くらいのものだろう。
 しかしそのためにアリアーナは、いまや『世界一、生傷の多い王女様』である。
「心配ないって。彩ちゃん、絶対に喜んでくれるから」
「そうでしょうか…?」
 自信満々で、(ただでさえ大きい)胸を張って言う早苗を、一姫は疑わしげに見る。
 あの彩樹が、チョコボールで満足するとは思えない。
 たとえそれが金のエンゼル付きだったとしても。
 明日は忘れずに魔術師の杖を学校へ持っていこう、と考えた。
 まず間違いなく彩樹に殴られるであろう早苗の治療のために。



 今年のバレンタインデーは日曜日なので、彩樹のもとに押し寄せるチョコ津波のピークは、十二日の金曜日だった。
「静内先輩…これ、受け取ってください…」
 朝から、いったい何人の女の子がこう言ってきたことだろう。
 長蛇の列、というのは少し大げさだろうが、休み時間の彩樹の周囲には、本命、義理入り混じって、チョコレートやプレゼントを胸に抱いた女の子たちの姿が途切れることはなかった。
 そっと机の中や靴箱に入れておく、といった常套手段をとる者は意外と少ない。
 直接手渡した場合には特典があるからだ。
「彩樹お姉さま、これ…」
 後輩の女の子が、綺麗なリボンをかけた包みを恥ずかしそうに差し出す。
「ありがとう、嬉しいよ」
 彩樹はその少女を強引に抱き寄せて、耳元でささやいた。
 唇が、少女の耳をくすぐる。
 その耳が、赤く染まる。
 恥ずかしさと嬉しさ、くすぐったさと気持ちよさの入り混じった不思議な感覚に、少女は身体を震わせた。
 潤んだ、熱っぽい瞳で彩樹を見つめる。
 ぽ〜っとした、心ここにあらずといった表情で。
 周りで「順番待ち」をしている女の子たちが、きゃあきゃあと騒いでいる。
 今日は、朝からずっとこんな調子だった。
 やってくる女の子の一人一人に、これをやっているのだ。
 気分次第で、耳だけではなく、うなじや頬、あるいは胸元へのキスだったりもする。
 ちなみに、義理チョコのつもりでいる同学年の友人たちにも同じことをする。
 相手が嫌がってもお構いなし。
 まあ、校内一のテクニシャンといわれる彩樹を相手に、最後まで抵抗し続けられる者もいないのだが。


 早苗と一姫がやってきたのは、放課後、それも下校時間近くになってからだった。
 さすがにこの時刻になると、彩樹を取り巻く女の子たちもそろそろ打ち止めだ。
「彩ちゃん〜、チョコレート持ってきてあげたよ」
「遅いぞお前ら、さっさと来いよな」
「もらう立場で、ずいぶん偉そうじゃん?」
 他の女の子たちに比べれば、早苗も彩樹に対してかなり強気に接することのできる一人ではある。
 ただし、彩樹と知り合ってからは保健室へ行く回数が異様に増えた。
 どうしてこんな、わがままで乱暴な相手と付き合っているのか…と、たまに考えないでもなかったが、それでもやっぱり彩樹は魅力的だった。
「で、肝心のチョコは?」
「そうそう、彩ちゃん用にとっくべつなチョコを用意したんだ。これ!」
 一姫は思わず悲鳴を上げそうになった。
 早苗が、ラッピングもしていない『○永チョコボ○ル(大粒)』をポケットから取り出したからだ。
 もっとも、綺麗にラッピングしてあったらあったで、それを開けた後が怖い。
 彩樹の眉間にしわが寄る。
(これは…マズイですわ)
 青ざめる一姫。
 表情を見たところ、彩樹の怒り指数は七五パーセントというところだろうか。
 七〇パーセントを超えると相手は病院送りになるというのが通説である。
(早苗さんたら…心配ないなんておっしゃって、やっぱり怒ったじゃありませんか)
「…なンかの冗談か、それ?」
 危険な笑みを浮かべた彩樹が訊く。
 指の関節をパキパキと鳴らしながら。
「まさか、冗談でンなことしないって。ウチ、まだ死にたくないもの」
 早苗は平然と応えた。
「これは食べ方に工夫があるの。喜んでもらえると思うんだけどな〜」
 そう言って、チョコの箱を開ける。
「ねぇ、いっちゃん。あ〜ん!」
「え?」
 不意に名前を呼ばれて一瞬開いた一姫の口に、早苗は数粒のチョコボールを放り込んだ。
「…っ?」
 なにが起きたのかわかっていない一姫に対し、彩樹はすぐに早苗の意図を理解したようだ。
「なるほど、な」
 にやっと笑うと、乱暴に一姫を抱き寄せていきなり唇を重ねる。
「…っ! …っ?」
 驚いた一姫が目を見開く。
 あわてて逃れようとしたが、力強い彩樹の腕に抱きしめられて、身動きがとれない。
(…な、な、なんですのっ? 彩樹さん? 早苗さんっ?)
 一姫はまだわかっていない。
「…ンんっ!」
 彩樹が、舌を入れてきた。
 一姫の舌の上で、チョコボールをころころと転がす。
 チョコレートが溶けて、口いっぱいに甘い味が広がる。
(さ、さ、彩樹さんてば…)
 そのチョコを舐めとろうとするかのように、彩樹の舌が口中をくすぐる。
 一姫には初めての体験だった。
 以前にも、彩樹にキスされたことはある。
 しかしそれは、唇が軽く触れるだけの「おやすみのキス」だった。
 こんな激しい、呼吸もできないほどのキスなんて。
 しかも、力いっぱい抱きしめられて。
 長く垂らした彩樹の前髪が顔にかかって、男物のトニックシャンプーの香りがする。
 一姫はもう、心臓が破裂しそうな思いだった。
 彩樹の舌が、器用に動き回っている。
 一姫の舌とからみあったり、上顎の敏感な部分をくすぐったり。
「ん……うン…っ」
 彩樹の舌の動きに合わせて、チョコボールの核であるピーナッツが口の中を転がる。
 ころころと動いて、一姫の舌を刺激する。
 それがなんだか、とてもいやらしいことのように思われた。
(…いや…あ…こんな…ぁ)
 一姫は知らなかった。
 キスが、こんなに気持ちのいいことだなんて。
 もう、なにも考えられない。
 頭がぼうっとして。
 ただ、ただ、気持ちよくて。
 いつの間にか、彩樹の身体に腕を回していた。

(うわぁ…、彩ちゃんってば、それはやりすぎ…)
 自分でけしかけておいてなんだが、早苗もここまでエスカレートするとは思っていなかった。
 眼前で、恥ずかしくて直視できないほどに濃厚なキスシーンが繰り広げられている。
 一姫は顔を真っ赤にして、もう意識ももうろうとしている様子だ。
 他の人がいなくて良かった。
 彩樹なら人目も気にせず同じことをするだろうが、それでは一姫がかわいそうだ。
(だからぁ! そこまではやりすぎだって!)
 気がつくと、彩樹の手が一姫の身体をなで回していた。
 背中やうなじ、小ぶりな胸、そしてお尻…。
 その手がスカートの中にまで潜り込むのを見て、早苗は心の中でつぶやいた。
 しかし、それを口に出して言ったり、あるいは彩樹を止めようなどとは思わない。
 こんないいところで邪魔をして、彩樹の怒りに触れる勇気はなかった。
「んン…う…ン…」
 かすかなうめき声を上げて、一姫が身体をよじらせる。
 一姫には悪いが、彼女の貞操よりも自分の身が可愛かった。
 それに…
 本音を言うと、もう少し見ていたかった。
 年頃の女の子としては、やっぱりちょっと興味があるのだ。

 いったいどのくらいそうしていたのだろう。
 やがて彩樹は一姫を放した。
 ふたりの唇の間に、透明な滴が糸を引く。
 彩樹の腕から解放された一姫は、そのまま、その場にぺたりと座り込んでしまった。
 全身の力が抜けてしまったかのように。
 とろんとした表情。
 焦点の合わない、潤んだ瞳。
 紅潮した頬。
 小さく開かれた唇から、切なげな吐息が漏れた。
(さすが彩ちゃん、うわさ通りのテクニシャン!)
 思わず感心してしまう。
 彩樹は満足げな笑みを浮かべて、足元の一姫を見おろしていた。
「…どぉ、彩ちゃん。特製チョコの時は?」
「最高だな。気が利くじゃん、早苗」
 彩樹は口の中に残ったピーナッツをぽりぽりと噛み砕きながら、早苗を見てにやっと笑った。
 机の上に置いてあったチョコボールの箱を手に取る。
 箱を耳の横で振ってみて、
「…まだ、残ってる」
 彩樹の唇の間から、かすかに白い歯が覗く。
「…え?」
 その台詞の意味に気付くのが一瞬遅れた。
 あわてて逃げようとしたときには既に遅く、早苗は腕を掴まれてしまう。
「ほら、早苗。あ〜ん」
「あ、彩ちゃん…あのね…」
 早苗の震える唇に、森○チョ○ボールの箱が強引に押し当てられる。
 ころころと、数粒のチョコボールが口の中に転がり込んだ。

―おわり―



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