トゥス・カーテンコール

 ‐冬の熱い日‐


「……なんてゆーか、こう、家に着く前に遭難しそうなんだけどっ!?」
 耳元で轟々と鳴る暴風にかき消されないように、大声で叫ぶ。
「まあ、北海道だもの。たまにはこんな日もあるわよ」
 状況にそぐわないおっとりとした声で美杜さんが応える。

 一月下旬のある日の学校帰り。
 今日は朝から激しい雪が降っていたのだけれど、放課後にはそこに暴風が加わって、外は十メートル先も見えないような猛吹雪となっていた。
 北海道ではよくあることなのだろうか。隣を歩く美杜さんは平然としている。もっとも、なにがあっても取り乱すことなんてない人だから、彼女の反応はあまり参考にならない。
 少なくとも、仙台育ちで初めて北海道の冬を迎える私にとっては、学校から家までのほんの数キロの道程で、命の心配をしたくなるような吹雪だった。
 前は見えないし。
 脚はふくらはぎまで雪に埋まっているし。
 強風と雪のせいで顔が痛いし。
 なんといっても、凍えそうなほどに寒い。
「ねえ、美杜さん。この吹雪、止ませられない?」
 美杜さんの『力』をもってすれば、天候を操ることなど朝飯前のはず。せめて、家に着くまでの間くらいは吹雪を鎮めておいてほしい。
 なのに美杜さんってば。
「時には、自然をありのまま受け入れるのもいいことよ?」
 なんて言って、平然と微笑んでいる。
「……いや、マジで遭難しそうなんだけど? 私は断言する! あと百メートルと歩かないうちに凍りついて、身長一五五センチの雪だるまになってるに違いない!」
「それは困るわね。……じゃあ、こうしたら少しは暖かくならない?」
 美杜さんが腕を組んでくる。
 いや、組むというよりも、腕にしがみついているという方が適切なくらいに密着してくる。
 顔も近づいてくる。頬がすり寄せられる。
「……」
 思わず赤面してしまう。
 全体としてはかなり痩せているくせに、出るべきところは充分すぎるほどに出ている美杜さん。
 胸の大きなふくらみの存在が、厚いコートの上からでもはっきりとわかってしまう。ちょうど腕に押しつけられているような状態なのだ。
 どうしても意識してしまう。
 意識せずにはいられない。
 その白く柔らかく滑らかなふくらみを、直に見、そして触れたことのある者としては。
 思い出してしまうと、指先に、唇に、その感触が甦ってくる。
 私たちは一応、そういう関係だった。
 単なる友達とか、学校の先輩後輩というだけじゃなくて。
 女の子同士ではあるけれど、『恋人』というのがいちばん近い関係。
 昨年の秋に二人で旅行して以来、キスとか、あるいはもっとエッチなこととか、何度も経験している。
 だから。
 腕に当たる胸の柔らかさを意識してしまうと、どうしても思い出してしまう。
 まるで美の女神による造形のような、白く美しい美杜さんの身体。
 滑らかな肌触り。
 そして、その美しく大人っぽい顔からは想像できないくらいに可愛らしい声。清楚な外見からは想像できないくらいに激しい反応。
 思い出して、赤面してしまう。
 凍てつくような吹雪の中なのに、顔が火照ってしまう。
「……そ、そんなにくっつかないでよ。歩きにくいじゃない」
 わざと素っ気なく言う。
 そうしないと、学校の帰り道だというのに、ヘンな気分になってしまいそうだった。
「えー、だって」
 なのに美杜さんってば可愛らしく唇をとがらせて、かえって密着してくる。その身体の暖かさが心地よくて、照れくさくても離れることができない。
「ね、幸恵」
 耳元でささやかれ、熱い息がかかる。くすぐったくて首をすくめる。
「帰りに、幸恵の家に寄っていっていい?」
「え?」
 別に、初めてというわけではない。
 私の家の方が少し学校に近いから、時々、家に寄っていくこともある。私たちは外で過ごすことが多かったけれど、北海道の冬は長時間屋外にいるのに適した気温ではないし、屋内で二人きりでなければできないこともある。
 そう、たとえば。
 甘えるような美杜さんの声。潤んだ瞳。
 それが意味するところはひとつ。
「……寒いなら、二人で暖かくなれること、しない?」
 ほら、やっぱり。
 暖かく……というか、「熱く」の間違いではないだろうか。
「いや?」
 いやじゃ、ない。もちろん。
 むしろ、それを望んでいると言ってもいい。こんな風に密着されて誘われたら、すっかりその気になってしまう。
「……今日の美杜さん、妙に積極的だね?」
「だって今、発情期なんだもの」
 美杜さんがくっついて支えていてくれなければ、コケた私は深い雪の中に顔から突っ込んでいたかもしれない。
 この美しい、おしとやかな雰囲気の美杜さんの口から、よりにもよって「発情期」なんて単語が発せられるとは。
「…………せめて、『排卵期』とか」
 あまり変わらないかもしれないけれど。
「意味は一緒でしょ?」
「年頃の女の子としては、もっとこう、慎みというかなんというか……」
「いいじゃないの、そんなことどうだって。そんなことより早く行きましょ」
 深い雪に足を取られて難儀している私を引っ張って、ぐいぐいと進んでいく。
「もう、今朝からすっかりその気なんだから」
「…………美杜さんって」
 吹雪なんかまるで意に介さず、まるで春の野原でスキップしているような足取りで私を引っ張っていく。
 こうした関係になるまで、美杜さんがこんなに積極的な人だなんて知らなかったけれど。
 ……そう。
 考えてみれば、当然のことなのかもしれない。
 そういえば、前回こんな風に誘われたのって、ちょうど二八日前だったなぁ……なんてことを思い出しながら、美杜さんに引きずられていく。
「自然をありのままに受け入れる」美杜さんは、自分の、動物としての本能にも素直に従う人なのだった。




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