きばらの森


 学園祭も終わって、ようやく校内が落ち着きを取り戻したある日の放課後――。
 早めに掃除が終わった祐巳が薔薇の館へ行くと、そこにいたのは黄薔薇さまだけだった。
 志摩子さんや由乃さんは、まだ掃除が終わっていないらしい。令さまは部活だし、祥子さまはお家の用事で帰ってしまった。白薔薇さまはどこにいるのかよくわからない。そして紅薔薇さまは、先生たちに学園祭の報告に行っているのだそうだ。
 今日は別に薔薇の館で仕事があるわけではないし、祥子さまがいない以上、祐巳も残っていなければならない理由はないのだが、黄薔薇さま一人残して一年生が先に帰るというのもなんだか気が引ける。そこで祐巳は、とりあえず二人分の紅茶を淹れた。

「祥子とのゴタゴタはともかくとしてさ…」
 湯気の立つティーカップを手に、黄薔薇さまが言う。
「客観的に見れば、柏木さんってなかなかイイと思わない?」
 いつも、つまらなそうな顔をしていることの多い黄薔薇さまが、なんだか楽しそうだ。ウキウキしている、といえばいいだろうか。
「黄薔薇さまは、ああいう人が好みなんですか?」
 思わず不機嫌そうな声になってしまったが、それも仕方がない。祐巳としては、黄薔薇さまの意見には賛同しかねる。祥子さまを泣かせるような人なんて嫌いだ。しかも、親同士が決めたこととはいえ、祥子さまの婚約者だなんて――。
 嫉妬、かもしれない。だけどとにかく、柏木さんのことは好きになれない。あんな騒ぎがあったのに、うっとりとした表情をしている黄薔薇さまが理解できない。
「そりゃあ、客観的に見れば顔はいいし、頭もいいんでしょうし…。でも、男色家ですよ?」
「モロにストライクゾーンよ!」
 黄薔薇さまは叫んだ。
「背の高い美形で、ハイソな雰囲気を漂わせていて、しかも花寺学院の生徒会長! わかる? 花寺といえば男子校よ?」
「それはそうですけど…?」
「男子校の生徒会長…しかも正真正銘の男色家。ふふふ…ねぇ?」
 いや、「ねぇ?」とか言われても…。祐巳は戸惑った。
 黄薔薇さまってば、どうしてこんなに興奮してるのだろう。
「美形で男色家の生徒会長と、童顔美少年の新入生の禁断の恋! 最高のシチュエーションよ! 考えただけで興奮するわ〜」
「……は?」
 話が見えない。なにか、間違っているような気がする。
「そういえば先月、紅薔薇さまや白薔薇さまと一緒に、花寺学院の文化祭のお手伝いに行ってきたんだけど…」
 黄薔薇さまは祐巳の方に向かって、テーブルの上に身を乗り出すような格好になる。
「その時、可愛い男の子がいたのよ! ちょうど、祐巳ちゃんに似た雰囲気の…つい、かまっていじめたくなっちゃうようなタイプ。そうよ、あの子は受にピッタリだわ! ああ、創作意欲が湧いてきたわ〜。文芸部の会誌に投稿しようかしら。いっそのこと、コスモス文庫の『ノベル大賞』に応募するのもいいかも…」
 既に祐巳のことなど眼中になく、自分の世界に入り込んでいる。そんな黄薔薇さまの様子を、祐巳は薄気味悪そうに見ていた。
 今までまったく知らなかった黄薔薇さまの一面を見た気がする。
「早く帰って、さっそく執筆に取りかからなくちゃ。ごきげんよう」
 黄薔薇さまは飲みかけのティーカップを置いたまま鞄を手に取ると、小走りに薔薇の館を出ていった。
「…ごきげんよう」
 ぱたぱたと遠ざかる足音を聞きながら、祐巳は小さくつぶやいた。



 そして翌年の春。
 新学期が始まり、新入生も入ってきて、学園全体が華やいだ雰囲気に包まれている頃、ひとつの噂がリリアン学園高等部を賑わせていた。
 曰く『コスモス文庫の新刊(青表紙)に登場する可愛い男子高校生のモデルは、紅薔薇のつぼみの「弟」らしい』と。

 コスモス文庫の発売日、M駅ビル内のブックセンターにはリリアンの生徒が大挙して押し掛け、売り上げは記録的な額に達したそうである。



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