さて――
いったい、どこを探したものだろう。
正直なところ、私は途方に暮れていた。
『宝探し』に参加した生徒は二百人以上。単純計算でつぼみ一人につき約七十倍という競争率だ。実際には一年生の志摩子さんよりも、令さまと祥子さまの方が人気があるから、私にとって倍率はもっと高い。
スタートと同時に、参加者たちは自分が見当をつけた場所目指して学園中に散らばっていった。この状況下では、「宝」が私のものになる可能性はほとんどない。なにしろ、いまだにどこを探せばよいか思いつかないでいるのだから。
これだけ参加者が多くては、誰もが思いつくような場所を探しても無駄だろう。スタートで少し出遅れてしまったことだし。
つぼみの妹についていく、という手もないではなかったが、同じことを考える人間は多いようで。由乃さんと祐巳さんがそれぞれ数人の生徒に追いかけられているのを見て、そのアイディアは放棄した。まあ、これはこれで、最大のライバルであるつぼみの妹が足止めされているということで、ある意味チャンスかもしれないけれど。
しばらく考えて、私は正攻法をあきらめた。あまりにも競争相手が多すぎる。だから、大穴に賭けてみようと思う。
伸るか反るかの一発勝負、「他の人たちが探していない場所」を求めて、校庭を当てもなく彷徨っていて。
そんな時にふと、それが目にとまった。
普段は訪れる人もほとんどいない、古い温室。ひび割れたガラスもそのままの、忘れられた場所。
中にも周囲にも、誰も人影はない。駄目でもともと、の気持ちで足を踏み入れた。あまり人の来ない場所の方が、隠しやすいかもしれないから。
この季節、温室といえども咲いている花はほとんどない。ひどく殺風景な寂しい風景の中で、私はカードを探した。
棚の下をのぞいてみたり、大きな植木鉢を動かしてみたり。
いろいろと試行錯誤をして、そろそろ諦めの気持ちが膨らんできた頃、ふと気付いた。植木鉢ではなくて、床板を外して土を盛った花壇の中に一箇所、土の色が違う部分がある。まるで――
つい最近、掘り返したばかりのように。
ドクン!
鼓動が大きくなった。
もしかしたら、大当たりを引き当てたかもしれない。きょろきょろと温室の中を見回すと、園芸用の小さなシャベルが目に入った。それを手にとって、土を掘り返す。
それほど時間はかからなかった。十センチほど掘ったところで、土とは違った感触にぶつかった。大急ぎで土を除ける。
あった! 本当にあった!
密閉されたビニール袋に入れられた、紅いカード。
信じられない。信じられないけれど、私が見つけたのだ。憧れの紅薔薇のつぼみ、小笠原祥子さまのヴァレンタインカードを。
私は、穴の中からその宝物を取り出すと、ビニール袋についた土を丁寧に取り除いて、制服のポケットにしまった。それから、掘った穴を埋め戻す。
シャベルを元の場所に戻して、外に出ようとした。その前にもう一度、温室の中を振り返る。
嬉しくて、胸が張り裂けそう。まだ実感が湧かない。祥子さま手書きのカードだけでも十分すぎるくらいに嬉しいのに、今度の日曜には、二人きりで半日を過ごせるのだ。
興奮のあまり、周囲にはまったく注意を払っていなかった。だから、背後の足音に気付いた時は本当にびっくりして、慌てて後ろを振り返った。
「ごきげんよう。ごめんなさい、驚かせてしまったみたい」
「…いいえ」
私は、なんとかそれだけを答えた。本音を言えば驚いたどころの話ではない。なぜなら、温室の入口に立っていたのは紅薔薇のつぼみの妹、福沢祐巳さんだったから。
つい先刻まで、要領のいい祥子さまファンの集団に追われていたはずの祐巳さんが、まさかここに現れるなんて。どうやってまいたのか、追っ手の姿はなくて祐巳さんは一人だった。
「祐巳さん、ここにはカードを探しに?」
口に出してから、我ながらバカな質問だと思った。今日、こんなところへ来る理由など他にあるはずもないのに。
「ええ。あなたも?」
予想通り、祐巳さんはうなずく。
「祐巳さんより少し前にここに着いたのだけれど、あると思う?」
…嘘をついてしまった。いや、正確には嘘ではない。ただ、言うべきことを言わなかっただけ。どうしてだろう、カードを見つけたことを秘密にしてしまった。
祐巳さんは温室の奥へと進んでいく。なんの迷いもなく、真っ直ぐに。そして、小さな声でつぶやいた。「やっぱり」と。
「何、祐巳さん?」
それだけ言うのにも、声が震えないようにするのが大変だった。なにしろ祐巳さんが立ち止まったその場所は、私がたった今カードを掘り出したところだったのだ。
「たぶん、ここだと思って」
言うが早いか、祐巳さんは両手で土を掘りはじめた。
「あの、祐巳さん」
背後から声をかけたけれど、土を掘るのに必死で気づきもしない。手が汚れることもまるで気にならないらしい。
「…よかったら手伝ってくださらない? 見つかったら、二人で申請にいきましょう」
土を掘りながら、祐巳さんは言った。
二人で? 確かにそう言った。私は、その言葉にショックを受けていた。
もしもここで祐巳さんがカードを見つけたなら、その所有権は祐巳さんのもの。それが当たり前なのに。いとも簡単に、権利の半分を私に差し出したのだ。まさか、ジャンケンにすごく自信があるというわけでもないだろう。
「よかったら」
私は、先刻自分が使ったシャベルを差し出した。手を真っ黒に汚して土を掘る祐巳さんの姿を、これ以上見ていられなかった。
「でも、きっとそこにはないと思うの」
「え?」
驚き顔で、祐巳さんが振り返る。どうしてそんなことわかるの…と、その目が訴えていた。
「だって…」
一足先に私が見つけたから、とは言えなかった。
「そこを掘り返したの、私なんだもの」
「えーっ!?」
「言うのが遅くなってごめんなさい。実は私、祐巳さんが来る前にそこを掘ってみたのよ」
「そんな…」
信じられない、といった表情で、祐巳さんは地面に視線を戻した。その様子に、私は疑問を感じる。
「ねえ。祐巳さんはどうしてここだと思ったの?」
「どうして、って?」
「温室に入るなり、ここに直行したじゃない。何か根拠があったんじゃないかしら、って思えたから」
まるで、ここにカードが埋まっていることを知っていたかのように。
いくら妹のためとはいえ、あの祥子さまが不正をするとは思えない。祐巳さんに宝の隠し場所を明かしたりはしないだろう。
なのに、何故。
私は、温室の中をさんざん探し回って、最後に半信半疑で掘ってみたというのに。祐巳さんの行動には、確信的なものが感じられた。
「ああ、それは」
祐巳さんは、目の前の樹を指して言った。この薔薇がロサ・キネンシスだから、と。祥子さまに一番相応しい花の名前――。
私は知らなかった。祥子さまがこの場所にカードを隠した理由なんて、考えもしなかった。
祥子さまはもちろん、ここにロサ・キネンシスが植えられていることを知っていたに違いない。
祐巳さんも知っていた。
それで、わかってしまった。
祥子さまの想いが。
胸が締めつけられるような気がした。
偶然に私が見つけなければ、ポケットの中のこのカードは、祐巳さんが見つけていた。
祥子さまの願い通りに。
スタートでハンデがつかなければ。
あるいは、祥子さまファンの群に追われて時間をロスしなければ。
「…そうだったの」
「じゃあ、あなたはどうして掘ったの?」
祐巳さんが聞き返してくる。
「それは…」
私は言い淀んだ。そこを掘った理由…それは単なる偶然、単なる思いつきでしかない。
少し、悲しかった。
「…土の色がそこだけ違っていたから、何かあるかも、って」
「本当!?」
私の説明を聞いた祐巳さんは、シャベルを受け取ってまた掘りはじめた。そこにあることを確信しているかのように。
もちろん、何も出てくるはずがない。
そのことを知っている私は、ただ黙ってその様子を見ていた。
時間はどんどん過ぎていく。残り時間があとほんの二、三分になって、やっと祐巳さんはあきらめたらしい。すごく、悲しそうな表情をしていた。
私は黙って穴を埋め戻すのを手伝って、一緒に温室を出た。ちょうどそこでゲーム終了の放送が流れた。
結局、本部へは戻らないまま時間切れになった。私のポケットの中には、祥子さまのカードがあるのに。
祐巳さんをあの場に残して立ち去るのも不自然…という以前に、もうそんな気をなくしていた。あれだけ楽しみだったはずのデートなのに…きっと、行っても楽しめないだろう。
二人の絆を見せつけられたような気がした。私は、虚しさだけを感じていた。
このカードは…祥子さまから祐巳さんに宛てたものだった。祥子さまは、祐巳さんに見つけてもらいたくてカードをここに隠したに違いない。祐巳さんはそれに応えて、ここへ来た。
私だって不正をしたわけじゃない。自分の力でカードを見つけたのに。
なのに…どうしてだろう。祐巳さんの大切な物を横取りしたような気がするのは。
もしかしたら、ここは二人にとって特別な場所だったのかもしれない。ふと、そう思った。
だから、中庭には戻らないことにした。
「結果は、知らなくていいわ」
そう言って、私は立ち止まった。祐巳さんがこちらを振り返る。
「え…?」
「カードは私のものにならないって、それだけは間違いないことだもの」
祥子さまは私のものにはならない。このカードがあっても。祥子さまが祐巳さんのことをどれほど大切に思っているか、よくわかった。
祐巳さんみたいな平凡な方、祥子さまの妹には相応しくないわ――一部の熱狂的な祥子さまファンが、そんなことを言っているのを耳にしたことがある。正直なところ、私にもそんな気持ちがなかったわけではない。平凡な一生徒、という点では私も同じだけど。なのにどうして祐巳さんが選ばれたのだろう、と。
志摩子さんのような「特別な」人なら諦めもつく。だけど祐巳さんは――。
文化祭のシンデレラの一件で、成りゆきで姉妹になっただけだと思っていたのに。
そうではなかった。なるべくして姉妹になった二人なのだと、今日初めてわかった。
「祐巳さん、どうぞ行ってらっしゃい」
私は言った。妹としては、大切なお姉さまのカードの行方は気になるところだろうから。
「じゃ、ここで」
「ごきげんよう」
祐巳さんの背中が遠ざかってゆく。こちらを振り返らないことを確かめてから、私は温室へ戻った。
シャベルを手に、もう一度穴を掘る。ポケットからカードを取り出し、一度しっかりと胸に抱いてから、穴に戻した。
穴を埋めるとき、私の目からは涙がこぼれていた。
薔薇の館の方から、歓声が聞こえてくる。
ゲームの結果が発表されているのだろう。私にとってはどうでもいいことだけど。
教室へ鞄を取りに戻る前に、私はマリア像を訪れた。そっと手を合わせる。
(どうか、私の罪をお許しください…)
マリア様はいつものように、静かに微笑んでいた。
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