気がつくと、由起の顔がすぐ目と鼻の先にあった。今にも唇が触れそうな距離だ。
ひんやりとしたコンクリートの上で、身体を重ねるようにして寄り添って横になっている。
「……んっ」
身体を動かすと、微かな痛みを覚えた。
それで、気がついた。
まだ、指が中にある。
少し、痛くて。
だけど、……イイ。
由起が、指をゆっくりと小刻みに動かしている。
また、感じてしまいそうだ。
「気持ち……よかった?」
至近距離で唇が動く。空気が揺れるのが感じられるほどだ。
「中川……あんた、すごい上手いんじゃない?」
照れ隠しのためか、無意識のうちに少し怒ったような口調になってしまう。
落ち着くと、急に恥ずかしくなってきた。由起の愛撫で、ひどく乱れてしまったような気がする。
「……真面目そうなフリして、実はすごいエロエロのテクニシャン?」
「そぉ?」
可笑しそうに目を細める由起。
そんな表情は可愛らしくて、なのになぜか艶っぽい。
「そんなに良かったんだ? すっごく感じてたものね」
からかうような、しかしけっして不愉快には感じない口調。
顔がかぁっと熱くなる。
確かに、否定はできない。痛かったのは事実だけれど、自分でするよりもずっと興奮して、気持ちよくて、エッチな声を上げてしまったことは誤魔化しようもない。
「……でも、ゴメンなさい。初めてだなんて思わなかったから、ちょっと乱暴にしちゃったかも」
口では謝りつつも、由起に悪びれた様子はない。悪戯っ子のような笑みを浮かべている。
「ぅ……ぁっ!」
指が引き抜かれた。拡げられていた膣が収縮する。
その指が目の前にかざされる。
紅く濡れた指。
一瞬遅れて、それが血だと気がついた。
血。
もちろん、杏の血だ。
杏の、破瓜の血だ。
かぁっと頭に血が昇る。
顔が熱くなる。
だけど慌てた様子は見せたくない。
「……べ、別に、どうでもいいよ。そんなこと」
それはけっして、口先だけの強がりではなかった。
驚いたのは事実だが、不思議と、さほどショックは受けていない。初体験ではあったが、それは特別大切にしてきたものではなく、単にこれまで機会がなくてバージンだっただけのことなのだ。
それに、処女膜の有無など別に大きな問題ではあるまい。まだ男性器を受け入れたことはないのだから、処女だといっても嘘ではないだろう。
そしてなにより、少しばかり悔しい話ではあるが、すごく気持ちよくて感じてしまった。
だから後悔する気はない。成り行きで恋人でもなんでもない同性相手に初体験してしまったとしても「ま、やってしまったものは仕方がない」くらいの気持ちだった。
「三郷さん、初めてだったのね。けっこう進んでる雰囲気があって、てっきり経験ずみだと思ってた。ごめんなさい」
「……別に、謝る必要はないでしょ。中川が無理やり襲ったわけじゃないんだし。お互い、合意の上でエッチしたんじゃない」
「そう? 三郷さんが落ち込んでいないのならいいんだけれど……。じゃあお返しに、私のバージンを三郷さんにあげるわ。それでおあいこってことで」
「え?」
予想外の台詞に、驚いて由起の顔を見た。
「……バージン?」
「当然でしょう?」
――確かに。
普段の由起を考えればそれが当然。浮いた噂など聞いたこともない真面目ちゃん、経験ずみだとしたらそれこそ驚きだ。
しかし今日の由起の言動を顧みれば、とっくに経験ずみで、こんなこと何度もやっているのかと思ってしまう。
由起は、バージン。
だったら、何故?
「……だったら何故、いきなりエッチしようなんて言い出したの?」
よほど遊んでいる子ならともかく、普通のバージンの子はそんなこと言わない……と思う。少なくとも、あまり一般的な話ではあるまい。
「それを言ったら三郷さんも、どうして簡単にOKしたの? 三郷さんもバージンだったのでしょう?」
「そ、それは……」
そう言われると、なにも反論できない。いったいどうして、あんなに簡単に承諾してしまったのだろう。
「雨が止むまでの、ちょうどいい暇つぶし。それでいいじゃない」
信じられない。
あの地味な由紀が、実はこんな性格だったなんて。
これが本性だとしたら、逆に今までバージンだったことが不思議だった。
なにか言い返そうと開きかけた口が、由起の唇で塞がれる。身体が押しつけられる。
「……じゃあ、今度は三郷さんがして?」
「え?」
「三郷さんだけ気持ちよくなったら、ずるいわ。私のことも気持ちよくして?」
「あ、うん……」
ギヴ・アンド・テイク。
確かにそうだ。お互いに楽しむためには、気持ちよくしてもらったからには気持ちよくしてあげなければならない。
だけど――
「な、中川みたいにうまくできるか、わかんないよ。初めてなんだから」
「大丈夫よ。言ったでしょう? 私だって初めてだったんだもの」
その言葉、本当だろうか。
由起に触れられるのは、すごく気持ちよかった。こうしたことに慣れているかのような、ぎこちなさの感じられない触れ方だった。
まあ、真相はすぐにわかるだろう。
「あ……、でも、もし出血しなくても、経験ずみなんて思わないでね?」
「……なにか、心当たりが?」
ばつが悪そうな表情で、ぺろっと舌を出す由起。
「……その……独りでする時、けっこう激しいから……もう……」
頬を赤らめてはにかんでいる様子がすごく可愛らしい。見ている杏も思わず赤面してしまう。照れ隠しに、わざと意地悪く言った。
「中川ってさぁ……実は、かなりエッチ?」
「……かも」
「じゃ、手加減はいらないわけだ」
「あら、やっぱり最初は優しくしてほしいわ」
「どうだか。すぐに『もっと激しくして』とか言いそう」
からかうように言って、今度は杏の方から唇を重ねた。由起の肩に腕を回して抱き寄せる。
さすがに、キスには少し慣れてきた。自分から積極的に舌を挿し入れ、口の中で絡め合う。
手を、由起の胸に当ててみる。制服の上から膨らみを包み込む。
そこで、おやっと思った。
手のひらに伝わってくる、柔らかな弾力。
それは、自分の胸に触れた時とはずいぶん違う感覚だった。
「中川って……胸、おっきいね」
予想外の感触。セーラー服は体型がわかりにくいこともあるが、それにしても意外だった。
ややぽっちゃり系と思っていた由起だが、こうして触れてみると違う。大きな胸がセーラー服を持ち上げていただけで、アンダーはけっして太くない。やや小柄な体格相応といってもいいだろう。お腹のあたりに触れてみても、特に皮下脂肪が多そうにも感じない。
なのに胸の膨らみは、杏の手にあまるほどの大きさだった。
小ぶりな杏の胸とは比べること自体が間違っているような気がする。自分の胸とはまるで違うボリューム感。弾力。指がめり込むような柔らかさ。
「Dカップくらい、ある?」
「……最近、またちょっと大きくなって…………EかFか……ってところ」
「Fぅっ!? 巨乳じゃん!」
思わず大声を上げてしまう。
身長は杏よりも低いのに、ずるい。こちらは最近ようやくBカップになって喜んでいたというのに。
腕を背中に回して、ブラジャーのホックを外す。
胸がどきどきする。なぜか、杏の方が緊張してしまう。
「……見せてもらっていい?」
由起がこくんとうなずく。
セーラー服をまくり上げると、地味な由紀からは想像できないおしゃれなブラジャーが現れた。ごくんと唾を飲み込み、大きな膨らみを覆っているカップをずらす。
「……!」
大きかった。
間近で見るとすごい迫力だ。大きいだけではなく膨らみの形も綺麗で、肌も真っ白で滑らかだ。
巨乳が売りのグラビアアイドルにもひけを取らないだろう。
「……うわぁ」
指先で触れてみる。何故か、壊れ物に触れるような怖々とした動きになってしまう。
柔らかい。指先が柔肌に潜り込む。
手のひら全体を押し当ててみる。柔らかくて、すべすべしていて、手のひらに吸いつくような感触だ。
手に少しだけ力を込めると、柔らかなゴムボールのように変形して、指の間からこぼれそうなほどの質感がある。
大きすぎるほどの膨らみとは対照的に、淡いピンク色をした先端の突起は控えめな大きさだった。ただし、今は固くなってつんと突きだしている。
ふにふに。
ぷにぷに。
乳房の弾力を楽しみながら、固くなった乳首を指先でくすぐる。
楽しい。病みつきになってしまう。
「ね、どうしたらこんなに大きくなるの? なにか特別なコトしてる?」
「……さぁ」
「よく、揉むと大きくなるっていうけど、ホントかな? ひとりエッチの時、胸揉んでる?」
「それは……まあ、……多少は」
由起の顔、頬の朱みが増す。恥じ入るようなその表情から察するに、その頻度は「多少」よりもかなり多いのだろう。
「そっかー。あたし、あんまり胸触らないもんなぁ。そのせいかも」
杏の自慰はクリトリスが中心だ。たまに胸にも触れてみることはあるけれど、自分で触れてもさほど気持ちいいとは思えなかった。さっき、由起に愛撫された時にはすごく気持ちよかったのだけれど。
「でも……、遺伝とか体質とかの……影響の方が大きいと思うわ」
「中川のお母さんって、胸、大きい?」
「…………わりと」
「そっか……」
自分の母親の体型を思い浮かべてみる。残念ながら、遺伝的には将来にあまり期待は持てそうにない。現時点で既に母親とそれほど変わらないサイズなのだ。
やり場のない悔しさをぶつけるように、由起の胸を愛撫する手に少し力が込められる。
「んっ……や……三郷さん……」
「ん?」
妙に潤んだ瞳。紅潮した頬。
「……も、っと……」
甘ったるい吐息混じりに由起がささやく。
その色っぽさにどきどきする。
「こ……これだけで感じちゃった?」
「…………すごく」
胸のサイズの話をしている間、なかば無意識のままに揉み続けていたのだけれど、その行為は杏が考える以上に由起を昂らせていたようだ。どうやら、由起の胸の感度は相当なものらしい。
なんとなく悔しい。
巨乳の上に感度も良くて、しかも感じている表情が超エロ可愛いなんてずるい。
運命の不公平さを恨みつつ、少し乱暴に乳輪をつまむ。もう一方の胸には唇を押しつけ、吸いつくように口に含んで軽く咬んだ。
「はぁんっ!」
短い悲鳴。痛いというよりも、気持ちよくて上げてしまった声。
ちゅう、と音を立てて強く乳首を吸う。
この感覚、けっこう楽しいかもしれない。母親の乳を飲んでいた赤ん坊の頃の記憶が甦るような、本能に根ざした心地よさを覚える。
「は……ぁんっ! あっ……ぁっ……ぁぁっ!」
吸うほどに、固くなって突き出してくる乳首。比例するように由起の声もどんどん大きくなってくる。
感極まったように、ぎゅっとしがみついてくる。腕に爪を立てられる。
「三郷……さん! やだっ!」
「え?」
「その……下、も……」
「あ……ご、ごめんっ」
由起がなにを言わんとしているのか、なにを望んでいるのか、すぐに理解できた。
予想外に大きくて綺麗な胸に夢中になって、胸ばかりを集中的に愛撫していた。由起は胸がすごく感じやすいのに、これだけ執拗に攻められたらどうなるだろう
たぶん、我慢できなくなっているはずだ。いくら胸が感じるとはいえ、いちばん気持ちいいのは性器。そこに刺激が欲しくて堪らなくなっているに違いない。
事実、脚を閉じて、太腿を擦り合わせるように動かしている。
「して……もう我慢できない……」
「う、うん」
スカートの中に手を入れて、下着の上から触れる。
由起がしたような、焦らすように太腿から少しずつ近づいていくような愛撫をする余裕はなかった。いきなり、核心に指を押しつけてしまう。
「ひぁぁっ! あぁっ!」
悲鳴と同時に由起の身体が弾む。
指が触れたそこは、熱く湿っていた。周囲よりも体温が何度か高いような感覚で、もっと強く指を押しつけたら、熱い液体が滲み出てきそうだ。
由起は自分から腰を浮かせて、杏の手に性器を擦りつけるように押しつけてくる。
スカートをまくり上げると、ブラジャーとお揃いの、可愛いフリルのついたオシャレなパンツが現れた。
私服での外出時ならともかく、由起は普段からこんなおしゃれな下着を着けているのだろうか。学校にいる時の由起は、特におしゃれに気を遣っているようにも見えないのだけれど。
小さく深呼吸をして心の準備をし、パンツに指をかける。
なにも言わずとも、由起は脱がしやすいように腰を浮かせる。
ずらされていくパンツの下から、面積は狭いけれど意外と密度の濃い茂みが顔を覗かせた。
その中に手を入れる。
「あぁぁっ! あぁぁ――っっ!」
指先が軽く触れただけで由起が絶叫する。
そこはびっくりするくらいに濡れていた。杏の経験では、ひとりエッチでこんなに濡れたことはない。女の子って、ここまで濡れるものかと驚いてしまう。
そんなにも感じているのだろうか。それとも由起が濡れやすい体質なのだろうか。まさか杏があまり濡れない体質というわけではあるまい。溢れ出してお尻の方までべったり濡れている由起が特別なのだと思いたい。
指を滑らせる。
ぬるり、とした感触。
短い悲鳴を上げた後、ぎゅっと唇を噛んで声を抑える由起。そんな仕草が可愛い。
もっと、声、出させたいな――そう思った。
即座に行動に移す。中指を小刻みに滑らせて入口を探り当てると、一気に奥まで挿入した。
「あぁぁぁ――――っっ!」
長い悲鳴。
大きく仰け反る身体。
十分すぎるほどに濡れていたためか、挿入はスムーズだった。しかし、サイズ的にそれほど余裕があったわけではない。むしろ指一本でぴったり隙間なしという感触だ。それでもすんなりと奥まで入ってしまうくらい、潤滑液が溢れ出している。
膣壁が収縮して、杏の指を締めつけてくる。
「あ……あぁ……」
感極まったような表情で、由起は目に涙を浮かべていた。半開きの唇からは涎が垂れて、小刻みに身体を震わせている。
由起の反応を窺いつつ、少しずつ指を動かしてみる。それに合わせて由起の身体がびくんびくんと痙攣する。
「気持ち……イイんだ?」
「イ……ぃ……すご、く……」
うわごとのようにつぶやく。
瞳の焦点は定まらず、唇も震えている。
「や……ば……、みさ……と、さんの指……よすぎ……。ちょ……待……っ」
震える唇から発せられる、泣き出しそうな声。
もちろん杏は待たない。指も止めない。むしろ、動きを激しくしていく。
「あぁぁっ! やあぁぁぁっ!」
由起が悲鳴を上げる。ぎゅっとしがみついてくる。
それでも指の動きは緩めない。ぐちょぐちょに濡れた膣内を激しくかき混ぜる。
同時に、親指の腹でクリトリスを擦るように刺激する。
まるで陸に揚げられた魚のように、由起の下半身が弾む。しかしそれは、自分自身により強い刺激を加える結果となる。
口が大きく開かれ、荒い呼吸を繰り返している。また悲鳴を上げそうになって、それを堪えるかのように杏の肩のあたりに噛みついてきた。
「んんんんっ! んぅぅ……っ! くふっ……ぅぅんっ!」
ぎゅうっと脚を閉じる。杏の手が挟まれる。
そのまま、数秒間ぶるぶると身体を震わせた。
「ふ……ぅぅ…………ふ、はぁぁ……」
焦点の合わない瞳で、呆けた表情で、肺が空っぽになるくらいに息を吐き出す由起。
その身体から力が抜けていく。指を締めつけていた膣も弛む。
杏も指の動きを止めた。
「……もしかして、いっちゃった?」
「…………イッちゃっ、た…………すごい……イイ」
恍惚の表情のまま、うわごとのように答える。
指はまだ由起の中にあった。膣内はすごく熱くて、ぬるぬるというよりもぐちゃぐちゃに濡れて、オーブンに入れたチーズのように熱くとろけた粘膜が指に絡みついてくる。
この指の感触もけっこう気持ちいいな、と思った。指でこれならば、男性がここに挿入したらきっとすごく気持ちがいいのだろう。
由起はまだ杏にしがみついていた。指を抜こうとすると、反射的な動きだろうか、脚に力が込められて杏の手を挟んだ。
「ヤダ!」
「え?」
「……も、もう少し……このまま……」
はっと我に返った由起は、恥ずかしそうに目を逸らして言う。
「……ん」
小さくうなずいて、杏はまた指を動かしはじめた。さっきのような激しさはなく、本当にゆっくりと。
微かに開かれた由起の唇から、切なげな吐息が漏れる。
瞳が潤んでいる。そして性器はそれ以上の潤いを帯びている。
「ん……はぁ……ぁ……」
微かな声も雨音にかき消されずに聞こえてくる。いつの間にか雨は一時の勢いがなくなって、雨粒も小さくなっていた。
「気持ち……イイ、すごく……」
「……うん」
「ぁ……ずっと……こうしていたい……かも」
由起の腰がゆっくりと動いている。最初は前後に。それから徐々に、大きな楕円を描くように。
「は……ぁ…………ん、……ぅんんっ、はぁぁっ!」
一瞬、杏に掴まっている手にぎゅっと力が込められた。短い、だけど大きな声と同時に、ぶるっと震えて息を吐き出す。
「は……ぁ…………」
「中川……?」
感極まったような表情。また、いったのだろうか。この短い時間で。
――と、
「……そろそろ、帰らなくちゃね」
「え?」
唐突な動きで由起が離れる。指が抜ける。
急いだ様子で立ちあがると、膝まで下ろされていたパンツを引き上げ、乱れた衣類を直しはじめた。
そんな由起を追うように視線を上げると、明るくなりはじめている空が目に映った。西の空は雲に切れ間もできていて、朱みを帯びた日差しが天使の階段を描き出している。雨はまだぽつぽつと落ちてはいるが、これも時間の問題だろう。
素早く身だしなみを整えた由起が、スカートの埃をぱたぱたと払っている。それが終わると、空になったペットボトルとお菓子の箱を拾ってコンビニのビニール袋に入れ、鞄に詰め込んだ。そして金網に手をかけたところで、地面に座ったまま急な展開に呆気にとられていた杏を振り返る。
なにか思いついたような表情で、金網から離れて杏に近づき身を屈める。
「今日はありがとう。楽しかった」
一瞬、唇が触れる。ちょんと触れるだけの、軽いキス。
すぐに離れる。
しかしすぐ目の前、ほんの数センチの距離で止まって、そのまままっすぐに杏を見つめる。
数秒間の沈黙。また、唇が押しつけられる。今度はしっかりと、先刻まで何度も繰り返したような、舌を絡めてくる濃厚なキス。
十秒ちょっと、そうしていて。
また、ぱっと離れる。
由起の頬が朱に染まっている。
そのまま立ちあがって回れ右すると、呆気にとられている杏を残して金網を乗り越え、自転車にまたがって走り去ってしまった。
いったい、なんだったのだろう。
ひとり取り残された杏は、ぼんやりと考える。
最後はばたばたとしていて、いったいなにが起こったのか理解できなかった。
由起の姿がなくなると、まるで夢でも見ていたような気分だ。あんなこと、現実にあったなんて信じられない。
だけど、感覚が残っている。
唇に触れた柔らかな感触。下半身の小さな傷の痛み。
夢ではない。
すべて、現実。
だけど、本当に?
むしろすべてが白昼夢だったという方が信じられそうな気もする。
わけがわからない。
頭の中がぐちゃぐちゃに混乱している。
そのため、杏が立ちあがって帰り支度をはじめたのはしばらく経ってからのことで、空にはもう美しい夕焼けが広がっていた。
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