らっきー・らてぃっしゅ・でーと１

１

　その河川敷の公園は、早朝や夕方には飼い犬を散歩させる人たちで賑わっている。
　散歩している犬たちを見るのが楽しみで、私――長浜梨花――は、学校帰りにいつもそこを通ることにしていた。
　私は、大の犬好きだった。
　それも、小型犬よりも大型犬。首に腕を回して、しっかりと抱きかかえられるようなサイズの。
　欲をいえば長毛種がいい。あの、ふかふかの毛皮に頬ずりする幸せといったら。
　大きな舌で、顔を舐められるのも嬉しい。
　できることなら自分でもゴールデン・レトリーバーかなにかを飼いたいところだけど、両親が二人とも犬を苦手としているため、それは叶わぬ夢。
　だから河川敷の公園を通って、散歩している犬たちを眺めることで満足するしかなかった。
　――そんなある日のこと。

　いつものように公園の中をのんびりと歩いて、芝生の上を楽しそうに駆け回る犬の姿を眺めていた私は、突然、背後からすごい力で突き飛ばされた。
　百四十七センチ、三十五キロと、高校二年生としてはずいぶんと小柄な私の身体は、簡単に芝生の上に転がった。倒れたところに、大きな影が覆いかぶさってくる。
「きゃ……」
　悲鳴を上げようと開きかけた口に、舌が――それも、妙に大きくて長い舌が押しつけられた。
「……え？」
　その大きな舌は、私の顔をぺろぺろと舐めまわしている。
　まだ状況が飲み込めていない私の目に、つぶらな黒い瞳が映った。そして、その周りを覆う山吹色の毛皮。
　これは……。
　ゴールデン・レトリーバー？
　私を押し倒したのは痴漢でも強盗でもなくて、一頭の大きなゴールデン・レトリーバーだった。
　赤い首輪を付けているから、もちろん飼い犬だろう。
　ふさふさの羽根ボウキのような尻尾をばたばたとちぎれそうなほどに振りながら、私の顔を楽しそうに舐めている。
「こら、ラッキー！」
　頭の上から、男の人の低い声が聞こえた。
「すみません。うちのバカ犬が……。こら！」
　その声の主が引っ張ったのだろう、犬はしぶしぶといった様子で私の上から降りた。
　聞き覚えのある声に驚きながら上体を起こし、鼻の上にずり落ちた眼鏡を直す。それから、目の前に立つ背の高い男性を見上げた。
　百八十センチを越える長身で、しかも筋肉質だから、こうして低い位置から見上げるとすごく迫力がある。
「上村……くん？」
　それは、クラスメイトの上村――上村利雄くんだった。
　今年の春、初めて同じクラスになった。これまでほとんど話をしたこともないけれど、席は近くだし、向こうは目立つ外見だからすぐに分かった。
「あれ、委員長か？」
　向こうも驚いたような声を出す。クラス委員をしている私は、クラスメイトからは「委員長」と呼ばれることが多かった。上村くんとは特に親しいわけではないから、向こうは私の本名すら知らないかもしれない。
「なにやってんだ、こんなとこで？」
「それって私の台詞……。なに、この子？」
　ゴールデンはまた傍に寄ってきて、口の周りを舐めだした。学校帰りにアイスクリームを食べてきたせいかな。
　赤い首輪に、小さな金属製のメダルが下がっているのに気がついた。美しい字体で『Ｌｕｃｋｙ』と彫られている。
「上村くん。この子、君の犬？」
　口を開けると、長い舌が口の中にまで入ってくる。犬とディープキスしちゃった……なんて馬鹿なことを考えながら、私は訊いた。
「ああ」
「名前は？」
「ラッキー」
　ラッキー……ね、なるほど。
　だけどこの子、「ラッキー」というよりも「ハッピー」とでも呼んだ方がいいようなはしゃぎっぷり。もともと、ゴールンデンはどちらかといえば陽気な性格だけど。
　それでも、とっても可愛い顔をしている。ゴールデンとしてはかなりハンサムといっていいんじゃないだろうか。
　そぅっと首筋を撫でてやると、ラッキーは嬉しそうに目を細めた。

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