「ねー? いいんちょーってもしかして、上村と付き合ってる?」
 昼休み、いつものように仲のいい友達――貴音、佳乃ちゃん、柳木ちゃんの三人――とお弁当を食べていると、不意に柳木ちゃんがそんなことを訊いてきた。
「……へ?」
 まったく予期せぬ問いに、素っ頓狂な返事を返してしまう。むしろ他の二人の方が、先にまともな反応を見せた。
「うそっ!? 梨花、あたし聞いてないよ?」
 どことなく責めるような口調は、いちばん仲のいい、中学からの付き合いの貴音。長いつきあいの親友だから、もしも本当に彼氏ができて、それを内緒にしていたのだとしたら怒るのは当然。
「マジマジ? いつから? どうやって?」
 佳乃ちゃんは興味津々といった様子で目を輝かせている。
 柳木ちゃんが言葉を続ける。
「他のクラスの友達から聞いたんだけど、夕方の河川敷をイイ雰囲気で一緒に歩いていたという目撃情報が」
「……ああ」
 なるほど。話の火種がどこかはわかった。心当たりはありすぎるほどにある。
 あの日以来、私は毎日のようにラッキーと上村くんの散歩に付き合うようになっていた。
 なにしろラッキーはとびっきり可愛いし、初対面から妙に私に懐いてくれていた。せっかくお近づきになれたのだから、今までのようにただ眺めているよりも、一緒に遊んだ方が楽しいに決まっている。
 そう考えて、翌日も、その翌日も、同じ時刻に同じ場所へ行って、一緒に歩いた。上村くんも特に迷惑そうではなかったので毎日押しかけて、それが一週間も続けばもう既成事実だ。
 だけど言われてみれば、同じクラスの男女が毎日ふたりで歩いていれば、事情を知らない人からは誤解されても無理はない。
 正直なところ、私はラッキーしか見ていなくて、上村くんの存在はほとんど意識していなかった。言われるまで、こんな噂が立つ可能性すら気づいていなかったのだ。
「付き合ってるとかじゃなくてね。上村くんの飼い犬がね、ラッキーっていうゴールデン・レトリーバーなんだけど、もう、すっごい可愛いの! ほら、うちって犬飼えないじゃない? だから、散歩に一緒させてもらってるの」
 やましいところはなにもないので、ごく自然な口調でそう応えた。 まったく事実無根の噂、今のうちにきちんと否定しておこう。だけど、そんな反応は貴音のお気に召さなかったらしい。
「もー、そんなんじゃダメ」
 唇を尖らした貴音にダメ出しされる。
「こういう時はちょっと慌てた様子で、いかにも言い訳っぽく、そしてもっとツンデレっぽく言い訳しなくちゃ」
「ツンデレ……?」
 貴音のこんなノリはいつものことなので、私も乗ってやる。
「えっと……べ、別に、ラッキーとお散歩したいわけじゃないんだからねっ! た、たまたま帰り道が同じだけなんだからっ! ……って感じ?」
「……それ、逆」
 呆れたような表情の貴音と、ボケだと思って笑っている佳乃ちゃんと柳木ちゃん。
 だけど私のお目当てはラッキーなんだから、ツンデレ風の台詞というならこれで間違ってはいないはず。
「まあ、梨花の犬好きはよく知ってるけどさ」
「うんうん! ラッキーってばすっごいの! もう、めちゃめちゃハンサムで! 毛並みもふっさふさのもっふもふで! 人懐っこくて私にもすっごいじゃれついてくれて! ちょっと悪戯っ子なんだけど、実は私のいうこともちゃんと理解してるお利口さんで!」
 説明すればするほど、言葉が熱を帯びてくる。身振り手振りが大きくなる。
「お手とかお座りとか伏せとかはもちろん、取って来いだって完璧にできてね! あ、あと、フリスビーがすっごい上手なの! ディスタンスの大会で優勝したこともあるんだって! カッコイイよねー! …………って、あれ?」
 ふと我に返ると、付き合いの長い貴音は呆れ顔で、佳乃ちゃんと柳木ちゃんは驚いたように目を丸くしていた。ちょっと、熱くなりすぎただろうか。
「……うん、まあ、上村となんでもないことだけはよくわかった」
「……今まで、梨花ちゃんのことちょっと誤解してたかも」
「なんか、いいんちょーのイメージが……」
 確かに。
 普段の私は、真面目な優等生で、容姿も性格もどちらかといえばあまり目立たないタイプ。友達との会話も聞き役が多い。
 だけど多分そちらが素で、犬のことになるとたまに羽目を外してしまうというだけのこと。
 そういえば、付き合いの長い貴音は知っているとしても、佳乃ちゃんや柳木ちゃんにこんなところは見せたことがないかもしれない。
「イメージといえば、上村とゴールデン・レトリーバーってのもイメージ合わないかもね」
「もっと、こう……ドーベルマンとかグレートデンとか土佐犬とか?」
「あははー、確かにそんな感じ……いや、いっそトラとかオオカミとかワニとか」
 どうやら上村くんも、私とはまるで違った方向で勝手なイメージを抱かれているようである。



 そんなことがあった日の夕方も、私はラッキーと上村くんと一緒に散歩していた。
 三人にはきちんと話しておいたから、また変な噂が立ってもちゃんと説明してくれるだろう。これで安心してラッキーと一緒にいられる。
 今では、散歩の時にラッキーのリードを持つのは私の役目になっていた。犬を飼いたくて仕方がないのに飼うことができずにいた私にとって、こうしたシチュエーションは夢だったのだ。
 初めて会った日の翌日、上村くんにお願いしてみたら、あっさりと私にリードを預けてくれた。
 もっとも、大型犬のラッキーと小柄な私の組み合わせでは、「犬を散歩させている」というよりも「犬に散歩させられている」ように見えてしまうのが少し悲しい。体重だってラッキーの方が重いのだ。一八○センチ近い長身の上村くんとラッキーの組み合わせは、よく似合っていて絵になるのだけれど。
 柳木ちゃんはドーベルマンとか土佐犬とか言っていたけれど、ゴールデンだって充分すぎるほどに似合っている。いや、それをいったら上村くんはどんな犬と一緒にいてもよく似合う。
 彼は犬にはずいぶんと好かれるようで、散歩中は、ラッキーに限らず余所の犬も親しげに寄ってくる。そんな犬たちの相手をしている時の上村くんは、学校にいる時よりも少し優しげな雰囲気。
「……だね」
「え?」
「そうやって犬と一緒にいる時の上村くんって、学校で見るよりも優しそうに見えるね、って」
 一瞬、上村くんはなにか考えるような表情になった。
「……それをいったら委員長だって、学校にいる時とはずいぶん雰囲気違うだろ」
「どんな風に?」
「明るいっつーか」
「……普段の私って、暗い?」
「暗いっていうよりも、真面目っていうのが近いか。他の女子みたいに騒がしくないし。話の輪の中でも、どっちかっつーと聞き役だろ?」
「まあ、ね」
 それは否定できない。クラスのみんなに私の評価を訊けば「真面目で優等生の委員長」という答えが返ってくるだろう。自分でもそう思うことだから仕方ないけれど。
「……まあ、今日の昼休みは違ったか」
「み、見てたのっ!?」
 今日のあれは、自分でもちょっと羽目を外したと思う。できることなら記憶から消し去ってしまいたい。
「ツンデレ委員長はちょっとウケたな」
 口元に浮かぶ、かすかな苦笑。上村くんのこんな表情は初めて見た。
「散歩の時も、思っていたよりよく喋るし」
「……上村くんとふたりでいる時に聞き役に徹してたら、そもそも会話が存在しないと思うな」
 上村くんは、私以上に自分から積極的に話をするタイプではない。無言の時間も不思議と居心地悪くはなかったけれど、散歩の間中ずっと無言という状況を避けるためには、時々こちらからなにか話題を振るしかない。
 私もけっして話し上手ではないし、それ以上に、男の子と私的な会話をすることには慣れていないというか少し苦手なので、話題といえば犬を中心とした動物のことがほとんどだったけれど、この話題では上村くんと普通に会話をすることができた。
 犬の話題限定とはいっても、同世代の男子とこれだけ話をしたのは、ずいぶん久しぶりかもしれない。
 もともと自分から男の子に話しかけるような性格ではないし、男の子の方からどんどん話しかけてくるほどもてるわけでもない。
 顔は、まあ十人並みくらいのレベルはクリアしていると思いたいけれど、チビだし、胸はまあまあある方だけれど、その分ウェスト周りにも少し脂肪がついていて、お世辞にも「ナイスバディ」と形容できるスタイルでもない。
 まあ、別にもてたいわけでもないからどうでもいい話。けっして、負け惜しみではなくて。
 本音をいえば、男の人って、少し苦手。特に、女の子に積極的に話しかけてくるようなタイプは。
 その点では、上村くんのようなタイプの方が一緒にいて気楽といえた。私との関係はあくまでも犬好き仲間で、異性として意識している気配がないのもありがたい。
 それに、一見少し怖い印象を受ける上村くんだけれど、不思議と、彼の傍は居心地がよかった。考えてみれば、これだけ犬に好かれる人間が悪い人のわけがない。
 だから私も安心して、一緒に散歩したり、散歩の後で家に上がって、お茶をご馳走になったりできたのだ。


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