土曜日の朝。
電車に乗ると、正面にあの人がいた。
あたしの顔を見て、にこにこと楽しそうに笑っている。
なんだか無性に腹が立った。八つ当たりに近いけれど、昨日痴漢に遭ったのはこいつがいなかったせいだ、と思ってしまう。
いてもいなくても、あたしに迷惑をかける奴なんだ。
あたしは自分から近付いていくと、むっとした顔でまっすぐに彼女の顔を睨みつけた。
「どうしたの、そんな顔して? あ、私がいなくて寂しかったんだ? ごめんね、昨日はどうしても外せない用事があって」
まるで友達との約束をすっぽかしたみたいに、ぺろっと舌を出している。
なにを言ってるんだろう。誰も、あんたなんか待ってないって。まったく、図々しいったらありゃしない。
「一人で寂しかったでしょ? 今日は、昨日の分まで可愛がってあげる」
聖さんがするみたいに、あたしの身体に腕を回してくる。
「なに寝言いってんのよ、バカ」
あたしは心底不機嫌そうに言った。
「それに、一人じゃなかったからね」
「え?」
「誰かさんがいないおかげで、久しぶりに痴漢に遭ったよ。フツウの、ね」
「……」
嫌みたっぷりに言うと、彼女は見ていてはっきりわかるくらいに表情を曇らせた。
あたしを抱いている腕に、少し力が込められる。
「……ごめん」
低い声で、耳元でささやく。
「ごめんね。嫌な思いさせて」
それは本当に済まなそうな口調で、あたしは呆れてしまった。自分も毎朝嫌な思いをさせているとは、微塵も思っていないらしい。
両手を、スカートの中に入れてくる。
「お詫びに、今日はうんと感じさせてあげる」
指先が、下着の上を滑っている。
「……やめてよ、この変態」
あたしは怒りの表情を崩さずに言った。だけど、向こうはまるで気にしちゃいない。
あの部分の割れ目の上を、指でなぞっている。薄いナイロンの生地を通して与えられる刺激に、身体がぴくりと反応する。
一番敏感な、小さな突起。
あたしの、クリトリス。
その上で、微かに触れるか触れないかという位置で動いている指。
たった四日間で、あたしの弱い部分はすっかり見抜かれてしまったようだ。
「んっ……くっ……ぅんんっ!」
固く閉じたはずの唇の端から、切ない声が漏れる。
指は執拗に、あたしの弱点を攻め続けている。
「ふっ……んっ、……や……だ……」
「もっともっと感じちゃいなさい。嫌なこと全部、忘れるくらい」
「や、だ……ってば……やっ……」
パンツがずらされ、指が直に触れてくる。溶けたバターのようになっているあの部分に。
「だ……め……だ、って。お願い……いや……」
中指と人差し指が交互に動いて、絶え間ない刺激を送り込んでくる。
両手を使っているから、それが二組。四本の指が濡れた粘膜をくちゃくちゃに弄ぶ。
あそこ、すごく濡れている。
溢れ出してくる。
水をいっぱいに含んだスポンジみたい。指先で軽く押されただけで、じわっと滲みだしてくる。
だけどそれは水じゃなくて、あたしのエッチな液。
熱い蜜が、とろとろと流れ落ちていく。
あたしの身体、あの部分から溶けていってしまうみたい。
指先で丹念に揉みほぐされて、とろとろにとろけて。
溶けてなくなってしまいそう。
意識も朦朧としてくる。
顔が熱い。
冬に、インフルエンザで高熱を出した時よりももっと熱い。
「んっ……ん……やっ……いっ」
「すごいすごい。こんなに濡れちゃってる」
なんだか、はしゃいでいるような声。
面白そうに、楽しそうに。
あたしのエッチな部分を弄んで、切ない嗚咽を上げさせている。
涙が出てきた。
脚に力が入らなくて、彼女にもたれかかるような格好になってしまう。
「気持ちいいでしょう? ほぉら……」
「……っ!」
反射的に、身体が硬直する。
「だ……め……そこは……」
指が、入ってこようとしている。
あたしの中に。
二本の指が。
前と、後ろの入り口からそれぞれ同時に。
あたしの扉を押し開こうとしている。
「だ……めぇ……や、だ……」
とろとろ、ぬるぬるに濡れたその部分は、固くすぼまっていても指の侵入を止めることができなかった。
「や……ぁ……」
別な指が、クリトリスへの刺激を続けている。だから、抵抗しようにも力が入らない。
入ってくる。
指が、あたしの中に入ってくる。
前の方の指は、一、二センチくらい入ったところでそれ以上進むのを止めた。代わりに、中をかき混ぜるような円運動を始める。
どうやら「バージンを奪ったりはしない」というこの間の言葉を、今日も守ってくれるらしい。
だけど後ろへの侵入を果たした指は、まだ奥へと進んでくる。
「や……ぁ、いた……い」
この間と同じように、すらりと長い中指が奥深くまで差し込まれてしまう。
「あ……ぐぅ……う……」
あそこと、お尻と、そしてクリトリスへの愛撫。
それぞれが意志を持った生き物のように動く指。
三カ所の刺激は、大きな一つの塊となってあたしを責め苛む。
あたしは鞄を持っていない方の手で、彼女の服をぎゅっと掴んだ。そうしないと、立っていることもできなかった。
お尻は苦しいような、痛いような、だけど少し気持ちいいような。
あそこはすごく気持ちよくて、だけど指が少しでも深く入るとちょっと痛くて。
そしてクリトリスは、気が遠くなるほど気持ちよかった。
「ふっ、んっ……んっ、ぅ……」
絶え間ない指の動き。
耳やうなじに吹きかけられる息。
「や……おねが……い。あっ、んっ……声……出ちゃう……」
あたしは泣きながら懇願する。
本当にもう、耐えられない。
これ以上、我慢できない。
声、出ちゃう。
周りの人に、気付かれちゃう。
「お……ねが……いっ……くっ」
早く。
早く、駅についてほしい。
今、どの辺なのだろう。
駅まで、あとどのくらいなんだろう。
頭がぐちゃぐちゃで、何もわからない。
絶え間なく与えられる快感と、それに抗おうとするわずかな理性。
あたしの全神経は、その二つに支配されていた。
一瞬だけ、窓の外の景色に意識が向く。
次が、降りる駅。
もう少し。
もう少しだ。
だけど、あたしの中で指の動きが速くなっていく。
あたしの快感のセンサーが、焼き切れようとしている。
もう……もう……。
「声……出ちゃう……声……でっ!」
甲高いブレーキ音。
急減速でぐらりと揺れる電車。
その刺激が、とどめとなった。
あたしの中で、なにかが弾ける。
だめ。
だめ。
壊れちゃう。
「いぃっ……っ!」
頭の中でフラッシュでも光ったみたいに、意識が真っ白になった。
あたしは、悲鳴を上げていた。
だけど唇から発せられるはずだったその声は、重ねられたもう一つの唇に押し止められていた。
(――っ?)
キス、されていた。
恥も外聞もなく声を上げるために開かれたあたしの唇を、あの人の唇がぴったりと塞いでいた。
脊髄に電流を流されたみたい。
全身がぶるぶると震えている。
力が抜けていく。
ガタン!
小さく揺れて電車が止まり、ドアが開く。
意識が遠くなって、その場に崩れ落ちそうになった。
その身体を、誰かの腕が支えてくれる。
「君、大丈夫?」
優しい、女の人の声。
あの人の声。
あたしの身体を支えて、ホームへと降ろしてくれる。
いかにも親切そうに、傍目には、貧血を起こした女子高生を助けているOLって構図だったろう。
自分でやったくせに。
こーゆーの、なんて言うんだっけ? 盗人猛々しい……だったろうか。
ホームのベンチに座らされながら、朦朧とした意識の片隅でそんなことを考える。
そのまま、何もできずにぼんやりと座っていた。
ひどい脱力感に襲われていた。
頭の中が、ぐるぐると回っているみたい。
全身汗ばんでいて。
心臓の鼓動は、数え切れないくらいに速い。
パンツは、粗相しちゃったみたいに濡れている。脱いでぎゅっと絞ったら、ぽたぽたと雫が落ちそうに思えるくらいだ。
(あたし……あたし……)
イっちゃった、のだろうか。
電車の中で。
痴漢に弄ばれて。
お尻まで犯されて。
それなのに、イっちゃったのだろうか。
最期の一瞬、今まで感じたことのない快感だった。
この間、一人えっちで「イったのかな」と感じたのすら、子供だましに思えてしまう。
生まれて初めて体験する感覚だった。
ベンチに座って、あたしは耳まで真っ赤にして俯いていた。
「ひゃっ……!」
突然、頬に冷たいものが押し当てられる。びっくりして、座った姿勢のまま跳び上がった。
顔を上げると、前にあの人が立っている。両手にそれぞれ、飲み物の缶を持っていた。
「烏龍茶とアイス・カフェ・オ・レ。どっちがいい?」
数秒間、ぼんやりとしていたあたしは、無言で烏龍茶の缶を指差す。すると、わざわざ缶を開けてから渡してくれた。
そっと口をつける。
缶はよく冷えていて、火照った身体には心地よかった。
女の人は、アイス・カフェ・オ・レを飲みながら隣に腰を下ろす。二、三口飲んでから、にこっと笑ってあたしを見た。
「可愛かった。いっちゃったんだね。……ひょっとして、初めて?」
「……」
あたしは黙っていた。
なにも言えなかった。
彼女は、それを肯定の印と受け取ったらしい。確かに、その通りではある。
満足げな笑みを浮かべている女の人を、あたしは横目で見た。
「……どうして」
蚊の泣くような声で訊いた。ことさら小声で話そうとしたわけではない。それ以上、大きな声が出せなかった。
「……どうして、こんなことするんですか?」
言いながら、また涙が溢れてきた。どうしてなのかはよくわからない。
「私は可愛い女の子が好きで、君がすごく可愛いから。それ以上の理由が必要?」
「……レズ……なんですか?」
「そうとも言うわね。百合って言葉の方が、綺麗な雰囲気があって好きだけど」
あたしの質問に対して、平然と肯定する。こうあっさりと認められてしまうと、二の句が継げなくなってしまう。
「……もう……やめてください。こんなの……」
「いや?」
「決まってるじゃないですか。……痴漢に遭って嫌じゃない人なんて」
「そうかな」
その人はベンチの背もたれに寄りかかるようにしてアイス・カフェ・オ・レを飲み干すと、横にあったゴミ箱に空き缶を投げ入れた。
「ま、やめてあげてもいいけど。本当に君が、やめて欲しいと思っているのなら、ね」
「……どういう、意味ですか?」
それじゃあまるで、あたしがして欲しがっているみたいに聞こえる。
そりゃあ、感じてしまっていることは事実だ。だけどあれは不可抗力で、好きでされている訳じゃない。
だけど。
彼女は、悪戯な笑みを浮かべてあたしを見た。
「本当に嫌なら、どうして毎日、同じ電車の同じ車両に乗るの? 一本前か後の電車にするだけで、私には遇わないのに」
「……っ!」
あたしは言葉を失った。
指摘されるまで気付かなかった。
どうしてだろう。
こんな簡単なこと。
それを思い付かなかったなんて。
同じ電車の同じ車両に乗ったまま、どうすれば痴漢に遭わずに済むかは嫌というほど頭を悩ませたというのに。
「本当は、して欲しかったんでしょう?」
太股の上に手が置かれた。
ぴくっと、身体が小さく震えた。
探るような目で、あたしの顔を覗きこんでくる。
「……もっと、気持ちいいことしてあげる。学校なんてさぼって、これからホテルに行かない?」
横から、顔が近付いてくる。
唇が耳たぶに触れるようにして、そうささやく。
一瞬、背筋が凍り付くように感じた。
この人は、ただ電車の中で触るだけの痴漢ではない。
本気で、あたしを犯そうとしているのだ。
あたしは、反射的に駆け出していた。
背後で、放り出された烏龍茶の缶が転がる音が聞こえていた。
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