二章 創造物


 大陸最大の大河、コルザ川の上流にその都市はあった。
 トゥラシ。
 この地方では最大の、そして大陸中でも十指に入る大都市だ。
 街の中心にある丘の上に建つ、ひときわ大きな神殿が目を引く。
 現在の大陸で最大の勢力を誇るトカイ・ラーナ教会の総本山。
 アルンシル、と呼ばれる。
 その、最深部にあるひとつの部屋で――



 広さはそれほどでもない、しかし、天井は高く、豪華な装飾の施された部屋。
 普通の者ならば、足を踏み入れただけで圧倒されてしまうような雰囲気があった。
 この場に立つ者を畏怖させる、なんらかの力が働いているようにも思える。
 正面には、そこに座る者の地位の高さをうかがわせる大きな机。
 席に着いているのは、見たところ六十歳くらいと思われる男。
 最高位の法衣を身にまとっている。
 彫りの深い顔には、長年にわたって人の上に立ってきた者特有の威厳が感じられた。
 しかし、いまこの男の前に立っている若者には、物怖じした様子はみじんも感じられない。
 歳は二十前後、中肉中背で、どちらかといえば子供っぽい、人なつっこい顔をしている。
 鮮やかな赤い髪を除けば、それほど特徴のある外見ではない。
 一見、若い修道士か、教会付属の学院で学ぶ学生のようにも見える。
 しかし、本当に見た目どおりの身分の者なら、この場にいられるわけがない。
 トカイ・ラーナ教会で第三の権力者とされるラトゥーリ・キクル大司教の前で、呑気な笑みなど浮かべていられるはずがないのだ。
「なるほど、な」
 ラトゥーリは重々しい声でつぶやいた。
「黒の剣はアルトゥル王国にはない、ということか。アルワライェ?」
「ええ、もちろん、連中も血眼になって探してますけどね。僕たちと同様、これといった手がかりは見つけていない。これは間違いないですよ」
 アルワライェと呼ばれた赤毛の青年は、笑いながら応える。
 相手に対する敬意などというものは、ほとんど感じられない口調だ。
 しかしそれがいつものことなのか、ラトゥーリはそんな不遜な言葉遣いについていちいち咎めたりはしない。
「五十年以上もの間、黒の剣は歴史の表舞台には出ていないというわけだ。なんとしても我々が手に入れなければならん。アルトゥルやハレイトンに先を越されるわけにはいかん。もちろん、それ以外の国にもだがな」
「手に入れたところで、使える者がいるはずもない。杞憂ですよ。だいたい、そんな大昔の遺物にばかり頼ってどうするんです」
 いくぶん、挑発的な口調だった。
「そうとも言い切れまい。それに、無銘の剣が墓守どもの手中にあるとなると、なんとしても黒の剣は欲しい」
「無銘の剣を奪い取るというのはどうです?」
 アルワライェの顔には、それまでの人なつっこい表情とは少し違う、危険な笑みが浮かんでいる。
 ラトゥーリはしばらくの間、アルワライェを見つめていた。
「いや、それはまだ早い。とにかく今は、黒の剣を探すことと、純粋な竜騎士の血を探すこと。それがお前の仕事だ」
 アルワライェは肩をすくめる。
 そんな仕事は不本意だ、といわんばかりに。
「不満か?」
「退屈ですね。せめて、今度のサラートの戦には行かせてくださいよ。たまには実戦も経験しないと、身体がなまっちゃいますから」
「サラートとマイカラスの戦か? あれこそ、お前が行くほどのことではあるまい」
「マイカラスには、因縁がありますよ」
「ああ…そうだったな。しかし、自分の仕事を忘れるな。それさえ心がけているならあとは好きにしろ」
「わかってますって」
 言いながら、アルワライェは回れ右をする。
 退出するアルワライェの背中を、ラトゥーリはため息まじりに見送っていた。


「まったく、年寄りは話がくどくていかんよな〜」
 人気のない廊下を歩きながら、アルワライェは大きく伸びをする。
 ふぅっ、と息を吐き出して。
 最初、まっすぐ自分の私室へ戻るつもりでいたのだが、途中で気を変えた。
 途中で進路を変え、ひとつの扉の前で立ち止まる。
 なにかを考えているような様子で扉を見つめ、そして、ノックもせずにそれを開けた。
 正面に大きな窓のある部屋の中は、薄暗い廊下を歩いてきた目にはひどくまぶしく感じる。
 部屋の中央に置かれたテーブルで、一人の女性が午後のお茶を楽しんでいるところだった。
 アルワライェと同世代だろう。
 女性にしては背が高く、成人男性としては平均的なアルワライェとほとんど変わらない。
 アルワライェよりもややくすんだ色の赤毛を、肩に軽くかかるくらいに切りそろえている。
 その女性は、鋭い目でアルワライェを見た。
「戻ってたんだ、アル」
「ああ、収穫はなかったけどね。黒剣の王はアルトゥル王国にはいない」
 空いている椅子に腰掛けながら、アルワライェは応えた。
 彼の前に、湯気を立てているティーカップがふっと現れる。
「ふぅん…、本当にあるの? 黒の剣なんて。そんなものに頼らなくたって、私とアルがいれば、大陸統一だってできるよ。あ、なにかお菓子でも出す?」
「いや、いい。俺も同意見だけどね、でも、邪魔になりそうなものは先に排除しておいた方がいいだろう?」
 そこで言葉を切って、アルワライェはカップを口に運んだ。
 口元に笑みが浮かんでいる。
 女の方が、指を折りながら言葉を続ける。
「アルトゥル王国、ハレイトン王国、聖跡、黒剣の王、ファーリッジ・ルゥとソレア・サハ、それにフェイリア・ルゥも? ところでこれ、今年の新茶なんだけど、去年より少し味が落ちたと思わない?」
「春先の霜のせいかな」
 よく考えれば、ひどく異質な会話だった。
 この二人、『大陸統一』などという大それた話題を、お茶やお菓子の話と同列に扱っている。
 しかし彼らにとっては、それが当たり前のことであるらしかった。
「邪魔者は順番に片付けていくわ。そして、最後にはこの…」
 他に聞いている者がいないとはいえ、この教会内で決して言ってはいけないことを楽しそうに言う女の唇を、アルワライェは人差し指で押さえた。
「それは言っちゃいけない。それと、あともう一つ忘れてた。無銘の剣と、その所有者」
「それは、私がやろうか? どうせしばらくは暇だし」
 女は、空になったティーカップを手でもてあそびながら言った。
「ナコ・ウェル・マツミヤ…だっけ?」
 アルワライェがうなずく。
「あんたは左手の怨みがあるものね。生きたまま手足を切り落として、身体にきれいなリボンをかけてあんたにプレゼントしてあげる」
 パンッ
 なにもしていないのに、突然、女の手の中のカップが粉々に砕けた。
 女は笑っている。
 狂気に満ちた、ゆがんだ笑み。
 つられて、アルワライェも喉の奥でくっくと笑う。
 女は立ち上がると、アルワライェの後ろに回った。
 背後から身体に腕を回し、耳元に口を寄せる。
「どぉ? もうすぐ、あんたの誕生日でしょ」
「いいね。最高のプレゼントだよ、姉さん」



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