三章 休日


「キレイ…」
 奈子の口から、思わず感嘆の声が漏れる。
 目の前に広がる風景。
 澄んだ水をたたえた無数の池、花が咲き乱れる湿原。
 その周りを囲むような森。
 国土の大半が砂漠か嶮しい山であるマイカラス王国には珍しい景色だった。
 水面にはたくさんの水鳥が羽根を休めている。
 池からあふれた水は、小さな川となって流れ出していた。
「ホントにきれい。王都の近くにこんな場所があったなんて…」
「山脈からの地下水脈が、ここで地表に顔を出しているんですよ。だから、乾期でも水が涸れない。ここが王都の水源なんです」
 奈子の隣に立つ長身の男が言う。
 美形だった。
 思わず見とれるほどの美しい顔立ちをしているが、それでいてなお、精悍さをただよわせている。
 よく鍛えられた、均整のとれた体格である。
 ハルトインカル・ウェル・アイサール。
 親しい者は、ハルティと呼ぶ。
 昨年、先王の死によって即位したばかりの、マイカラスの若き王だ。
 奈子は昨年、マイカラスで起きたクーデターの際に、ハルティとその妹アイミィの命を救っており、マイカラス王国とは浅からぬ因縁があった。
 ハルティとアイミィの友人として、いまでも時々マイカラスを訪れる。
「たぶん我が国でいちばん美しい場所でしょう。だから、あなたに見せてあげたかった」
 奈子の肩を抱くようにして、ハルティが耳元でささやいた。
「…できれば、二人きりで、ね」
 奈子にだけ聞こえるように、そう付け加える。
 あきらめに似たため息をもらすと、背後を振り返った。
 奈子も苦笑しながらそれに倣う。
 彼らは、二人だけでここにいるわけではなかった。
 ハルティの妹、アイミィ・ウェル・アイサール。
 マイカラスの騎士で、プロレスラー並みの体格をしたケイウェリ・ライ・ダイアン。
 長い銀髪が美しい女騎士ダルジィ・フォア・ハイダー、彼女の剣の腕はマイカラスでも三本の指に入るといわれる。
 計三人が背後に立っていた。
「お兄さま、いつまで私のナコ様にくっついてるの? もう!」
 アイミィが奈子の腕を引っ張って、ハルティから引き離す。
 ハルティは忌々しげに妹を睨んだ。
 そんな様子をケイウェリは面白そうに見ている。
 吹き出しそうになるのをこらえているような表情だ。
 ダルジィはどことなく不機嫌そうである。
 その向こうでは、五頭の馬がのんびりと草を食んでいた。
 今日は、久しぶりにマイカラスを訪れた奈子を、ハルティが遠乗りに誘ったのだ。
 どうやら彼は奈子に特別な感情を持っているらしい。
 だからもちろん二人きりで行くつもりだったのだが、周囲がそれを許さなかった。
 兄同様に奈子を気に入っているアイミィに見つかったのがそもそも運の尽きだった。
 気がつくと、騎士団のケイウェリやダルジィも一行に加わっていた。
「少しは気を利かせようとは思わないのか…」
 そんなハルティの独り言が聞こえる距離にいたのは、ケイウェリ一人だった。
 ダルジィは少し離れたところに立っているし、奈子とアイミィは向こうの小川のほとりで遊んでいる。
「まあ、そうしてあげたいところですけどね。いちおう立場上、陛下を一人で外出させると、あとで私が長老たちに文句を言われるので」
 相かわらず、笑いをこらえているような表情でケイウェリは言った。
 並みの成人男子より頭半分以上高い大男だが、いつも笑っているような顔をしているためにあまり威圧感は感じられない。
 ハルティより五歳年上のケイウェリは、騎士団でも最高の実力の持ち主で、まだ王子だった頃のハルティに剣技を教えたのも彼だった。
 ために、国王と臣下という立場であってもその口調は親しげだ。
 ハルティにとっても、年上の友人のようなものだった。
「陛下はもう少し、ご自身の立場というものを自覚するべきでは?」
 言ってることは正論だが、明らかにからかっているような口調だった。
 もちろん彼は、ハルティの奈子に対する思いを知っている。
 知っていてからかっているのだ。
「やれやれ、面倒なことだな」
「陛下に万が一のことがあったらどうするんですか」
 いつの間にか傍に来ていたダルジィが言う。
 彼女の口調はいたって真剣だ。
「昨年あんなことがあったばかりで、護衛もつけずに外に出るなんて無茶です!」
「私の力を信用しないのかい?」
 ハルティは不満げに言う。
 彼自身、騎士としての腕前は超一流だった。
 並の騎士の五〜六人くらい、苦もなくあしらえる。
「そういう問題ではありません!」
 怒ったように言うダルジィを、ケイウェリは午後のお茶の支度をしながら笑って見ている。
 見かけによらず、この男はこういったことが得意だった。


「ところで、ナコ・ウェル…」
 午後のお茶がすんだ頃、ケイウェリが言った。
「もしよかったら、君の技を教えてくれないか?」
「え?」
 突然のことに、一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
「あの、剣も魔法も使わずに大の男を倒す技さ」
「ああ…」
 奈子はうなずく。
 この世界には、高度な徒手格闘技術は存在しない。
 誰もが当たり前のように魔法を使うからだ。
 奈子が見せる空手や柔術の技は、ここの住人の目にはきわめて奇妙なものに映る。
 戦闘のプロであるケイウェリが、興味を持つのも無理のないことだった。
「教えるっていってもねぇ…、アタシ、指導員の資格は持っていないし、どう教えたらいいのかな…」
 いくら一流の騎士とはいえ、格闘技の基礎知識を持たない相手である。
 奈子の困惑も当然だった。
 しかしケイウェリは簡単に応える。
「なぁに、これでも剣と魔法の戦いに関してはちょっとしたものなんだから、身体でおぼえるよ。遠慮せずにやってくれ」
 そう言って立ち上がる。
「そぉ? じゃあ…」
 奈子も立ち上がると、三メートルほどの距離を置いて向かい合った。
 軽く腰を落として、身体の前で拳を構える。
 ハルティとアイミィは興味深そうに見ている。
 ダルジィも、興味なさそうなふりをして、ちゃんと横目で見ていた。
「まずは基本的な技から…」
 言った瞬間、三メートルの間合いを一瞬で詰めて、奈子はケイウェリの目の前にいた。
 突然のことに、ケイウェリは反応できない。
 無防備な腹に拳を打ち込む。
 傍目にはそれほど力を込めているようにも見えなかったのに、ケイウェリは腹を押さえて顔をゆがませた。
 さすがに、恵まれた体格のために倒れはしなかったが。
 小さくうめき声を漏らす。
「…足捌きはまあわかるとしても…女の子に殴られて、これほど効くとはね…。殴り方にも、なにか秘密があるんだな」
「そう。まず第一に、前進する勢いをそのまま拳に乗せる。そして、足先から膝、股関節、腰、肩、肘…すべての関節の動きを同調させて、全身のあらゆる力を拳に集中させるんですよ」
 いまの動きを今度はゆっくりと再現する。
 この突きの完成型が、極闘流の奥義『衝』だった。
 言葉で言うのは簡単だが、それを実際に、動いている相手に極めるのは容易ではない。
「じゃあ今度は、ケイウェリ様がアタシを殴ってみてください」
「いいのかい?」
「ええ、力いっぱい、ね」
 奈子が微笑んで言うので、ケイウェリは遠慮なくそれに従った。
 いま見た奈子の動きを真似て、奈子の胸の真ん中を殴りつける。
 腕力には自信があるが、手加減はしなかった。
 ケイウェリ本人もギャラリーたちも、奈子がかわし方の手本を見せるのだと思っていた。
 しかしその予想を裏切り、奈子はケイウェリの拳をまともに受ける。
 拳が当たる瞬間、ほんの少し身体を動かしただけだ。
 なのに、ケイウェリの拳を受け止めて、びくともしない。
 殴ったケイウェリ自身が、信じられないという表情をしていた。
「ウソだろ…おい」
「このとおり、殴るという動作は、ほんの少し当たる位置が前後にずれただけで、本来の力は出ないんですよ。最高の威力が得られるのは、きわめて狭い範囲でしかない。攻撃するときは確実にその位置で当てて、逆に相手の攻撃を受けるときは、常に当たるポイントをずらすように心がけることです」
 平然と笑って言う奈子を、他の四人は驚きをもって見ていた。
「次に蹴り技ですけど…、実戦で狙うのは、普通、相手の腰より下ですね。特に有効なのは、膝への攻撃」
 言いながら、至近距離からの足刀を繰り出す。
 これは寸止めで、ケイウェリの膝に踵が触れるか触れないかというところで足を止めた。
「男性相手なら、股間とか」
 同じく寸止めの前蹴りで、金的を狙う。
 どちらも、足の動きが見えないくらい速かった。
「蹴りであまり高い位置を狙うのは難しいけど、相手に隙があるときは一撃で倒すことができますよ」
 言うと同時に、奈子の足がはね上がった。
 上段の回し蹴りが、ケイウェリのこめかみぎりぎりで止まる。
 これはかなりショックだったようだ。
 なにしろケイウェリの身長は百九十センチはある。
 それに対して奈子はせいぜい百六十三センチ。
 見事なまでの柔軟性とバランス感覚を備えていた。
 ケイウェリは冷や汗をかきながらも、
「下着が見えるよ、ナコ・ウェル」
 などと言うあたりが彼らしい。
「どこを見てるんですか!」
 顔は笑っている奈子だが、その眉間にしわが寄る。
 無造作にケイウェリの腕をつかんだ。
「い…痛たたたっっ!」
「関節技は見た目は地味だけど、非常に効果的。人は、殴られる痛みは我慢できても、関節を極められる痛みは我慢できないですから」
 立ったままの腕がらみで、ケイウェリの肘関節を極めていた。
 さすがのケイウェリも苦痛の声を上げる。
 こんな調子で、奈子の格闘技レクチャーはしばらく続いた。
 次々と繰り出される奈子の技に、ハルティもアイミィも、言葉を失って見入っていた。


 王宮への帰り道。
 時刻はすでに夕方で、地面には影が長く伸びていた。
 奈子、ハルティ、アイミィの三人の馬は、並んで歩いている。
 奈子が真ん中だ。
 そうしないと、誰が奈子の隣になるか、で喧嘩になるからだ。
 余談だが、奈子は馬に乗れる。
 母親が乗馬を趣味にしていて、よく奈子を連れて行ってたからだ。
 この世界の騎士のように、騎乗したまま剣を振り回すような真似はとても無理だが、軽い駆け足くらいならどうということはない。
 十勝平野や根釧原野で鍛えた腕前だ。
 ケイウェリとダルジィは、三人より少し後ろにいた。
 小声で話せば、前には聞こえないくらいの距離を空けて。
「ずいぶんと熱心だったわね。体中傷だらけになってまでやる価値のあること?」
 やや嘲るような調子でダルジィが訊く。
「技もそうだけど、俺はナコ・ウェル本人に興味があるんだよ」
 ケイウェリは笑って応えるが、その言葉を聞いてダルジィの顔色が変わる。
「二十八にもなって浮いた噂のひとつも聞かないと思ったら…あんたってそういう趣味だったの? あんな、十五歳の小娘相手に…」
 汚らわしいものでも見るような目つきのダルジィを見て、ケイウェリは言葉が足りなかったことに気付く。
「ダルジィ…お前なにか勘違いしてないか? 興味って、そういう意味じゃないぞ」
「じゃあ、なによ?」
「お前は気にならないか? あの娘が何者なのか」
 そう言われて、ダルジィも気が付いた。
 ケイウェリやダルジィはもちろん、ハルティやアイミィにとっても、奈子の素性は謎だ。
 出身も、これまでの経歴も。
 名の知られた魔術師、ファーリッジ・ルゥやソレア・サハの友人であるということ以外、奈子のことはなにもわからない。
 本人もそのことに話題が及ぶと、曖昧に言葉を濁す。
 なにか隠していることがある、素性を明らかにできない事情がある――それだけはわかる。
「あの、徒手で闘う技も不思議だよな。大陸中どこを探したって、あんな技は伝えられていない」
「あの子が、自分で考えたんじゃ…?」
 そう言いかけて、ダルジィも気付いた。
 奈子は先刻、「アタシ、指導員の資格は持っていないし…」と、たしかにそう言った。
 高度な剣技や魔法と同じく、それを教える資格を持った者がいるということだ。
 それはつまり、奈子の技が個人であみ出したものではなく、それなりの人数によって伝えられているということを意味する。
 その技を伝える人間が大勢いるのに、大陸の他の土地ではまったく知られていないというのは奇妙だった。
 噂くらいは聞いたことがあってもいいはずだ。
「あの技は、ひとりふたりの思いつきで完成できるものではない。大勢の人間が、長い年月をかけて磨きあげてきたもののはずだ。トリニアの時代から伝えられる、俺たちの魔法や剣技と同様に、な」
「だけど…」
「もう一つ、奇妙なことがある」
 ケイウェリが人差し指を立てる。
「今日、見せてもらった技の多くは、徒手の者同士の闘いを想定したものだ。そんなことがあると思うかい?」
「まさか…」
 怪訝そうな顔をするダルジィ。
 たとえば、大陸のどこか辺境の地では、徒手で闘う技がひそかに伝えられている――そこまでは認めてもいい。
 しかし、その闘う相手は、剣を持ち魔法を使う人間のはずだ。
 人が闘うときは、そうするのが普通なのだから。
 闘いのために練られてきた技なら、普通の闘い方――剣と魔法――を相手にできなければならない。
「ナコ・ウェル自身は剣を持った相手とも闘っていたけどね。今日見せてくれた、おそらくは基本的な技の多くは、徒手の、しかも魔法を使わない相手にのみ通用するものだ」
 そのことは、見ていたダルジィも感じていた。
 先刻のケイウェリは剣も魔法も使わずにいたが、そうでなければ簡単に捌けた攻撃も多かったはずだ。
 つまり、剣や魔法と闘うことを想定していない技ということ。
「それに、知ってるかい? 陛下と初めて会った頃、彼女は『魔法が使えない』と漏らしたそうだよ。いまは、そうでもないようだけど…ソレア・サハに教わっているみたいだな」
「まさか!」
 ダルジィは思わず大声を上げそうになり、あわてて声を落とす。
「魔法の力はある。なのに、魔法が使えなかった…?」
 たしかに、ごくまれに魔法が使えない人間はいる。
 数千〜数万人に一人くらいの割合だろうか。
 しかしそれは先天的な障害であり、魔法の素養を欠いた一種の奇形だ。
 後で訓練したからといってどうにかなるものではない。
 正常な人間なら、子供の頃から本能的に魔法を使える。
 もちろん、高度な技を使うには相応の訓練が必要ではあるが、専門の魔術師や騎士が用いる強力な魔法を除けば、日常生活の中で自然と身に付くものだ。
「な、いろいろと興味深い人間だろう? ナコ・ウェルは」
 笑いながらケイウェリが言う。
「陛下を守る義務のある身としては、陛下に近づく人間には気を配らなければならない。たとえそれが、陛下のお気に入りの女の子であってもね。ナコ・ウェルには奇妙な点が多すぎる」
「まさか、陛下を…」
 ダルジィがすぅっと目を細める。
 いくぶん、殺気がこもっているような目だ。
 しかしケイウェリはその疑念を否定する。
「いや、ナコ・ウェル自身には悪意はないだろう。それは信用していいと思う」
 ケイウェリは表情を変えていない。
「しかし、背後関係がわからん。あの技を見る限り、なんらかの組織が存在する可能性は否定できない。一応、気をつけておいた方がいい」



 マイカラスにひとつの事件が起こったのは翌日のこと。
 奈子は帰ったあとだ。
 その日、王宮を訪れたのは、隣国サラートからの使者だった。
 使者との会見を終えたハルティは、すぐさま、主だった将軍と大臣たちに緊急の招集をかけた。
 王都を留守にしている者以外は、ただちにそれに応えた。
 王宮の一室に、国の重鎮たちが一堂に集まる。
 ハルティは前置きなしで本題に入った。
「先ほど、サラートから使者が来た。用向きはいつもの通りだ」
 それだけで、その場にいる者たちには通じるらしかった。
「また、軍隊が我が国の領内を通行することを認めろ、と?」
 将軍のひとりである初老の男が言う。
 ハルティはうなずいた。
「連中もしつこいですな。何度も断られているというのに」
 そう言うのは、丞相のコアリキキ。
 マイカラス王国の西側には、二つの国が国境を接している。
 北側がカイザス王国、そして南側がサラート王国である。
 この二国は、毎年のように領土を争って戦争を繰り返しているが、なにしろほぼ同じ勢力の国同士の争い、いつも一進一退で、どちらが特に優勢ということもない。
 マイカラスとこの二国の間には、嶮しい山脈と広い砂漠が広がっているため、マイカラスは戦には無関係でいられる。
 しかしサラートもカイザスもいつの頃からか、マイカラス領内の兵の通行を認めさせて、敵の側面を衝くことを考えるようになっていた。
 どちらの国も、一見マイカラスにとって有利と思われる条件を提示して説得を試みるのだが、マイカラスの先王もハルティも、頑として首を縦には振らない。
 どちらか一方に加勢することでこの地方の勢力図が変わったら、それは決してマイカラスにとってプラスにはならないとわかっているのだ。
 サラートとカイザス、どちらかがもう一方を制圧したら、次はこの国に目を向けることは明白だった。
 両国が五分の戦力でいがみあっている現在の状況でこそ、マイカラスがもっとも平和でいられるのだ。
「だが、今回は少し事情が違う」
 ハルティは言った。
「サラートは、通行を認めなければ我が国との戦も辞さないと言っている」
 その言葉に、一瞬ざわめきが起こる。
「どうせ、はったりでしょう」
 大臣のひとりが小さく首を振る。
「サラートには、我が国とカイザスを同時に相手にするだけの戦力はありません。サラートと我が国が戦争を始めれば、カイザスがこれを好機とサラートに攻め入るのは火を見るより明白なこと」
「ところが、今回のサラートは本気のようだ」
「まさか」
 同時に複数の声が上がる。
「ということは、サラートにはどこかもっと大きな国の後ろ盾があるということですな」
 ゆっくりとそう言うのは、剣聖の称号を持ち、騎士団で剣術の指南役をしているニウム・ヒロ。
「そこから数千の兵を借り出せれば、サラートはやる気になるかもしれん」
 他の者たちは顔を見合わせる。
 ニウムの言葉は、たしかにあり得ないことではなかった。
「まず、背後関係を調べる必要がありますな」
「すぐに、新たな間諜をサラートへ送りましょう」
「サラートの侵攻に備え、南部の砦に兵を送らなくては」
「それは、私とダルジィが行きましょう」
 そう言ったのはケイウェリだ。
「すぐに用意できる兵力となると、せいぜい二千か…」
 コアリキキが難しい表情をする。
 マイカラス軍の強さは定評があるが、兵数はけっして多くはなかった。
 マイカラスはさほど豊かな国ではなく、そんなに多くの軍人を養う余裕はない。
「敵は少なくともこちらの数倍、苦しい戦いになるぞ」
「なぁに、勝つ必要はないわけですから」
 こんな席上でも、ケイウェリの口調は相変わらず気楽だ。
「そう、サラートの最終目的はカイザス王国だ。我が国との戦いに、そうそう時間と兵を割くわけにはいくまい。逆にいえば、我が国へ攻め入るのに手こずるようだと、サラートは作戦の変更を余儀なくされるわけだ」
「我々はカイザスと同盟の交渉をした方がいいでしょうね。サラートに対する牽制として」
 話がまとまるまでに、そう長い時間はかからなかった。
 長年、大きな戦は経験していない国とはいえ、そのための備えを忘れたことは一時としてない。
 サラートとカイザス、どちらが攻めてきたとしても、その対策は練られている。
 やるべき事がまとまり、それぞれの役割分担が決まると、そこにいた者たちは次々と退出していった。
 もはや一刻として無駄にはできない。
 あとに残ったのは二人。
 ハルティとケイウェリだった。
 ハルティが引き留めたわけではない。
 ケイウェリはなにやら、話がある様子だった。
 長い付き合いだからすぐにわかる。
「なにか?」
「ソレア・サハやファーリッジ・ルゥに助力は求めないのですか?」
 ハルティはかすかに眉をひそめる。
 少し考えて、
「無駄だろう」
 そう答える。
「あの二人は、独自の価値観で行動しているようだ。今回は去年とは違う。単なる国同士の争いでしかない。彼女たちは、そういったことには関わらないことで有名だろう?」
「…では、ナコ・ウェルはどうします? 一応彼女も、我が国の騎士でしょう」
 一瞬、ハルティの動きが止まる。
 無言でケイウェリの顔を見た。
「…いや、ダメだ。知らせてはいけない」
「そうですか」
 ケイウェリは意味ありげに笑う。
「…陛下の気持ちは分かりますが…、裏目に出なきゃいいんですけどね」
「どういう意味だ?」
「いえ、別に。では私は、出陣の準備がありますから」
 それだけ言うと、ケイウェリは部屋を出ていった。



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