終章 金瞳


 すでに、夜は明けていた。
 砦のところどころから、まだ白い煙が立ち上っている。
 奈子とフェイリアは、無言で砦を見つめていた。
 奈子は地面に腰を下ろして。
 フェイリアはその隣に立って。
 もう、マイカラスの軍勢の姿はない。
 目的を果たし、素早く撤退したあとだった。
 しかし指揮官を失ったサラートの軍勢は、いまだ動揺おさまらない。
 もう少し混乱がおさまれば、おそらく兵を引くことになるだろう。
 実質、戦争はもう終わったのだ。
 ハルティの出陣は回避できた。
 少なくとも、それだけは成果だった。
「マイカラスへは、行かないの?」
 奈子はなにも言わず、ただ黙って首を横に振る。
「…そう」
 フェイリアもそれ以上続けようとはしない。
 奈子に気を使って、黙っている。
 マイカラスへ戻ってハルティと会うのは気まずかったし、かといってすぐ帰る気にもなれなかった。
 ひどく、虚ろな気持ちだった。
 だから、ただ黙って座っていた。
 これから何をしたらいいのか、わからなかった。
 そんな奈子の前に、不意にひとつの人影が現れる。
 一目で誰かわかる、鮮やかな金髪と金色の瞳を持った少女。
「ファージ…」
 奈子は、やや緊張した声音でその名を呼んだ。
 ちらりと横目でフェイリアを見る。
 彼女もかすかに緊張しているように感じられた。
 王国時代の力を探し求める者と、それを封じる者。
 二人は、敵同士のはずだ。
 フェイリアはじっとファージを見つめている。
 ファージは一瞬だけフェイリアに目をやると、あとは無視して奈子に近づいた。
 あまり、感情の感じられない表情をしている。
「…迎えに来た。終わったんなら、帰ろ」
「ファージ…」
 奈子は、少しふらつきながらも立ち上がった。
「とりあえず、ありがと。今日のところは…ね」
 ファージが、フェイリアに向かって言う。
 フェイリアは黙って、ただ口の端にかすかな笑みを浮かべる。
「じゃあナコ、またね。あ、これ、預かりもの」
 フェイリアが剣を取り出す。
 奈子が預けていた剣。
 無銘の剣、竜騎士レイナ・ディ・デューンの剣。
 しかし奈子は、それを受け取らなかった。
「フェイリアが持ってていいよ」
 アタシには、竜騎士の剣を持つ資格なんてないから――と。
 しかしフェイリアはそれを断る。
「まさか、私はまだ死にたくないわ」
 ちらりとファージを見ながら、笑ってそう言う。
 無理やり奈子の手に剣を押しつけて、
「じゃ、またね」
 それだけ言うと、フェイリアはいずこかへ転移していった。
 あとには、二人だけが残る。
 まず、なにを言えばいいのか…。
 奈子はファージを見た。
 深い、金色の瞳がまっすぐに奈子を見つめていた。
 じっと見ていると、魅入られそうになる。
 強い力を持った、金色の瞳。
「ファージ…ありがと」
「ん?」
「ダルジィが言ってたよ。助けたの、ファージでしょ?」
「知らないよ…」
 ファージはとぼけた。
「私はナコを助けに来ただけだもの。戦争には介入できなくても、私がナコを助けるのは勝手だもんね。ま、流れ弾が誰かに当たったりしたかもしれないけど…」
 奈子がぷっと吹き出す。
「ファージ…」
「ソレアには、ナイショだよ」
「…うん」
 本当は、訊きたかった。
 『墓守』の話について。
 フェイリアと一緒にいたのだから、奈子がそれを知っていることはファージも気付いているはずだ。
 でも、ファージはなにも言わない。
 だから、奈子もなにも訊けない。
「ありがとう」
 ただ、そう言うだけだ。
「お礼なんていいよ」
 笑いながらファージが抱きついてくる。
 奈子の唇をぺろぺろとなめるようなキスをして。
「…今夜、ベッドの中で感謝の気持ちを表してくれれば」
「アタシ、今日は疲れてるんだけどな〜」
「じゃあ、私がマッサージしてあげる」
 ファージが、奈子の身体に手を這わせる。
「こら、どこ触ってンのっ!」
 口では文句を言いながらも、奈子は本気でいやがってるようには見えなかった。



(今日はちょっと、由維と顔会わせづらいよな〜)
 そんなことを考えていたら、
「奈子先輩てば、ま〜た浮気してましたね?」
 顔を見るなり、言われてしまった。
 ゴールデンウィークの最終日、旅行に行っていた由維がおみやげを持って奈子の家へやってきたときのこと。
「な、な、な、なによいきなりっ?」
 残念ながら、声が裏返っていた。
 玄関を開けると同時にこんなこと言われて、しかもそれが事実であれば、うろたえるのは当然だ。
 自分の首を指差して、由維が笑う。
「キスマークがついてますよ、ココ」
「ええっ?」
 あわてて、手で首筋を隠す。
「ファージってば、キスマークはつけるなって言ったのに! それとも亜依…あ!」
 あわてて口を押させる。
 またやられた…と。
 カマをかけられたのだ。
 由維は腕組みをして、笑いながらも眉間にしわを寄せている。
「私が見てないと、すぐこれなんだから」
「いや…あの…ね…。別に…そんなつもりじゃ…」
「奈子先輩て…」
 呆れ顔で言う。
「どこか倫理観とゆ〜か、貞操観念とゆ〜か…欠如してますよね〜」
「うぅ…」
 奈子はうめいた。
 たしかに、それはちょっと自覚ある。
 自分でも、これじゃいけないと思っているのに、ついその場の雰囲気に流されてしまう。
 由維のことはたしかに好きだ。
 いちばん大切な存在であることは間違いない。
 だけど、亜依も、ファージも、そしてハルティも好きだ。
 ぎゅっと抱きしめたり、キスしたりするのは…気持ちいい。
 やっぱり、浮気っぽいのかな…。
 それとも、単にエッチなだけ?
 我ながら困った性格だ。
 しかも、それがすぐにばれてしまうというのも問題がある。
 亜依のときもそうだったけど、そんなに、考えていることが顔に出てしまうのだろうか。
 ぺちぺちと、両手でかるく頬をたたいてみる。
 どうも、嘘や隠し事は向いていないらしい。
「どうして、アタシの考えてることがすぐにわかるの? あんたも亜依も」
「そりゃ、わかりますって」
 由維は持ってきたお菓子の包みを開け、お茶の用意をしている。
 暖かな、紅茶の香りがただよってくる。
「奈子先輩て、根が正直ですからね。大人になってもマージャンやポーカーはやらない方がいいですよぉ」
「それはもう手遅れ…」
「なにか言いました?」
 奈子の前にティーカップとおみやげのクッキーを置きながら、由維が首をかしげる。
「ううん、別に」
 曖昧にごまかして、ティーカップを口へ運んだ。
 実は、向こうの世界にもポーカーとよく似たカードゲームがあって、以前、ファージと遊んだこともある。
 そのときファージが「負けた方が、なんでも相手の言うことをきく」という賭を持ちかけてきて――奈子はやっぱり負けた。
 賭けに勝ったファージがなにを要求したのか…。
 それはいうまでもないことだろう。



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