二章 殺意の女神


 一面の、血の海だった。
 そこは、王国時代の古い遺跡のひとつ。コルザ川上流域の、俗に『中原』と呼ばれる広い平野の外れにあり、トカイ・ラーナ教会が発掘を行っていた。
 ただし、それについてはもう過去形で語るしかない。教会が発掘を再開するまでには、しばらく時間を必要とすることだろう。
 今、そこは戦場だった。教会に属する騎士たちが『敵』と戦っている。形勢は、圧倒的に彼らに不利だった。たった一人を相手に、騎士たちは次々と倒れていく。
 紅い輝きを放つ刃が閃く。
 血飛沫が舞う。
 攻撃魔法の閃光が交差する。
 床には死体が折り重なり、紅い染みが広がってゆく。
 そして――
 死体を踏みつけて、鮮やかな金髪をなびかせた少女が立っていた。
「雑魚ばっかりかと思ったけど…」
 ファージの声は妙に楽しそうだった。金色の瞳が、生き残った者たちを見回す。
 二十人以上いたはずの騎士たちは、既に片手で数えられるまでに減っていた。しかしそれだけに、ここまで生き残った者はそれ相応の力を持っていた。
「なかなかやるじゃん」
 彼女の打ち込みを辛うじて受けとめた騎士に向かって、ファージはいつものように残忍な笑みを浮かべた。どうやらこの男が、一番の使い手らしい。
「墓守の力は確かに恐ろしい、が…」
 男も口元に微かな笑みを浮かべる。それは、まだ勝算のある表情だった。
「知っているぞ。ソレア・サハがいっしょにいない時、貴様の魔力はひどく制限される。もうカードも使い果たしたろう。決して勝てない闘いではない」
「ふん…」
 ファージは鼻で笑う。
「ずいぶんと調べたみたいだけど、まだまだ認識不足だね」
「負け惜しみを」
「だと思うんなら…」
 ファージの手から、紅い光の剣が消えた。傍らに落ちていた、両手用の長剣を拾って構える。脚を前後に大きく広げて、低い姿勢を取った。
「魔法なしで相手してやろ〜か?」
「思い上がるなっ!」
 男はファージに斬りかかった。体格差を活かし、体重を乗せた剣を真上から振り下ろす。
 魔力では確かに敵わないかもしれないが、剣での勝負なら事情は違う。こういう場合、下手な小細工はしない方がよい。自分の有利である、体格と力の差を最大限に利用すればいい。
 そう考えての、力まかせの打ち込みだった。
 ファージの剣がそれをまともに受けとめようとした…と見えたのだが、男はなんの手応えも感じなかった。
 まるで、スルリとすり抜けたかのように。
「な…?」
 いつの間にか、ファージは背後にいた。
 男の腹から、ボタボタと血が落ちる。
「な…んで…いつの間に…」
 男が倒れた。残った者たちは、みな一様に驚愕の表情を浮かべている。彼らの目にも、ファージの動きは捉えきれなかった。一見ゆっくりとした動きだったが、瞬きひとつする間に、相手の剣を受け流し、すれ違いざまに胴を薙ぐ…それだけのことをやってのけたのだ。
 これまで、見たこともない剣技だった。
「見たことないでしょ?」
 からかうような口調でファージが言う。
「これが、トリニアの騎士剣術だよ。見た目が地味で、私は好きじゃないんだけどね。竜騎士になるためには必修だったし」
 それは、他国を圧倒したトリニアの剣技。大陸史上最強の竜騎士クレイン・ファ・トームによって編み出されたという。
 本来ならば、ファージには不要の技だった。彼女は他を圧倒する、強大な『力』を持っているから。それに剣の技に頼っていては、いくらファージでも、あの「トリニアの剣姫」イルミールナには勝てなかっただろう。
 それでも、子供の頃から教え込まれた技は、身体が憶えている。
「ま、たまには使わないと、錆びついちゃうし」
 ファージは再び剣を構える。口元に凄惨な笑みを浮かべて。
 勝負は一瞬だった。ファージの足が床を滑るように動く。
 次の瞬間には、さらに三つの死体が増えていた。もう、ファージの他に生きている者はいない。
「さて…」
 その光景を満足げに見回したファージは、床に落ちていた誰かの腕――ファージが切り落とした――を拾って壁に向かった。



 隣で、男が青ざめた顔をしている。もともと血色のよくない顔だから、そうしているとまるで死人のようだ。
 アルワライェ・ヌィは、怯え、狼狽えている壮年の男の顔を愉快そうに見ていた。男がまとっている法衣を見れば、その地位の高さがうかがえる。その割には小心者だな――と。
 しかし、何十という死体が折り重なる光景を前にしては、アルワライェのように平然と笑っていられる者の方が少数派だろう。
「…なんということだ…全滅、か。これだけの兵がいながら?」
「当然だろう。相手を誰だと思っているんだい?」
 応えるアルワライェの声音は、対称的に楽しそうだった。
 そう、楽しかった。彼はこの状況を楽しんでいた。
 強大な力を持つことを定められた生まれであるアルワライェにとって、敵対する国の騎士相手の戦いなど、退屈極まりないものだった。なんの苦労もなしに勝てる戦いには興味も湧かない。
 だから、自分と渡り合える力を持つ敵の存在は、彼を興奮させた。嬉しそうに笑みを浮かべ、奥の壁を見る。微笑んだ口元から、白い歯が覗いた。
『次は、お前の番だ』
 壁には大きく、そう書かれていた。
 ただそれだけが書かれていた。
 褐色がかった字で。
 それは、酸化して変色した血の色だった。
 誰が書いたのか。誰に宛てて書いたのか。考えるまでもない。
「ファーリッジ・ルゥ…、あいつを殺せば、今度こそ彼女と戦える。本気の、ナコ・ウェルと…」
 どこか夢見るような表情で、アルワライェはつぶやいた。



 奈子はもちろんそんな出来事を知らない。
「だから、目障りなのよ! なんでアタシの前に現れるわけっ?」
 ソレアの家でいつものように、赤毛の大男をげしげしと足蹴にしていた。
「今日は、ファージに用があって来たのに…」
「ファーリッジ・ルゥがいたら、俺がここにいられるわけがないだろう?」
 ファージを本気で怒らせていながら生きながらえている、大陸でも数少ない人間の一人であるエイシスは、意外と元気そうに身体を起こした。最近ようやく、ダメージの少ない殴られ方蹴られ方がわかってきた。
「ファージは留守にしているわ。今、ちょっと仕事が忙しくて…」
 奈子とエイシスのやり取りはいつものこと…と、落ちついてお茶を飲んでいるソレアが説明する。
「仕事が…ね」
 奈子は意味ありげにつぶやいた。
 ソレアの表情から察するに、それは、墓守としての仕事。つまり、また誰かを殺しているということだ。
「ファージに用って?」
「それは…、えっと…後でね」
 ちらりとエイシスの方を見て、奈子は言葉を濁した。それでソレアも、おおよそどんな用件か察したらしい。
 今日、ファージに相談したかったこと――それは、由維をこちらへ連れてくることだった。
 理論的は問題ないはずだったが、二人での転移に技術的な問題が起きないかどうか、詳しく訊いてみようと思っていたのだ。
 しかし、ファージがいないのでは仕方がない。次の機会にしよう。
「それはともかく、今夜は泊まっていきなさいな。エイシスが、いいワインをたくさん持ってきてくれたのよ」
 そんなソレアの誘いに、奈子は小さくうなずいた。


「…とは言ったものの、まさかこうなるとはね…」
 数時間後――もう真夜中だ――いくらか赤い顔をしたソレアが、誰に言うともなしにつぶやいた。幾分、呆れたような表情で。
「エイシスはともかく、ナコちゃんが…ねぇ」
 テーブルの上には、ワインの空き瓶が四本と、まだ半分くらい残っている瓶が一本置かれていた。ソレアが飲んだ分は一本の半分くらいだから、残り四本は奈子とエイシスで空けたことになる。
 しかも二人は、まだ現在進行形で飲み続けていた。
「ナコちゃんがこんなザルだとは思わなかったわ」
 ソレアは肩をすくめる。
「あなたたちに付き合ってると、こっちの身が持たないから。私は先に寝るわね」
「は〜い、お休み〜」
 赤い顔をした奈子が陽気に手を振る。顔は真っ赤だが、まだまだ元気そうだ。
「…ソレアさんて、お酒弱いね〜」
 自分の寝室へ引き上げるソレアの背中を見ながら、奈子はエイシスに向かって言った。
「女としては普通だろ。お前が飲み過ぎなんだよ」
 エイシスが応える。こちらは、わずかに顔が赤くなっている程度でしかない。
「え〜、そんなことないよ〜? だってもう酔っぱらってるもん、アタシ」
 それを証明するかのように、けらけらと笑いながら、エイシスの胸板をばんばんと叩いている。
「あ〜あ、由維もいればもっと楽しいのにな〜。早くこっちに連れてきたいなぁ」
「ユイってのは、誰だ?」
「んふふ〜、アタシの、こ・い・び・と。言ったことなかったっけ?」
「名前を聞くのは初めてだぞ。でも、なんだか女みたいな名前だな」
「だって女の子だも〜ん。ふたつ年下の、可愛い女の子。料理がすごく上手でね〜」
「…お前って、ホントにそっちの趣味だったのか?」
 エイシスが目を丸くする。どことなく呆れたような表情で。
「ファーリッジ・ルゥと妙に仲がいいのは知ってたが…」
「ファージといえば…、ずいぶんとひどい目に遭ったそうじゃない?」
「お前のせいだろうが!」
 エイシスの語気が荒くなる。
 あれはつい先日のこと。奈子に手を出したことを知られて、半殺しの目にあった。しかもそれがフェイリアとリューリィにまでバレて、三人がかりで痛めつけられたのだ。
「アタシのせい? 自業自得でしょ」
「あれは、合意の上だったろ〜が!」
「そ〜かなぁ。かなり強引だった気もするけど」
「そんなことはないぞ」
「い〜じゃん。気持ちイイことするには、それなりの代償が必要ってこと」
 奈子は、自分もさんざん感じていたことは棚に上げた。
「だからって、自分の命を引き替えにするのはちょっと…な」
「だったら、もうアタシとはしたくないんだ?」
「いや、それはしたいぞ」
 即答する。当然である。
「じゃあ…する?」
 言われたエイシスは、驚いて奈子の顔を見た。目を細めて笑っている様子は、なんとなく機嫌のいい猫を思わせる。
(こいつ…酔ってるな)
 エイシスは、心の中でつぶやいた。
 それは間違いない。しらふの奈子は、間違ってもエイシス相手にこんなことを言いはしない。
「どうしたの、黙っちゃって。したくないの?」
 動きの止まったエイシスに、奈子の方から抱きついた。耳元に唇を寄せてささやく。
「そりゃあ…したい、が…」
「じゃあ、しよっか? でも、こんなとこファージに見られたら、今度こそ殺されるかもね」
「…せめて、命だけは助けるように口添えしてもらえんか?」
「命だけは…ね。うん、いいよ」
 そう言いながら、唇を重ねる。自分から舌を絡める。
 エイシスも心を決めて、奈子をソファに押し倒した。
「ダメ…ここじゃ。ソレアさんに聞こえちゃう」
 早々と服の中にもぐり込んできた手を押さえて、悪戯な笑みを浮かべた。エイシスの首に腕を回す。
「…ベッドまで連れてって」
 そうせがまれて、エイシスは軽々と奈子を抱き上げた。


(なんで、こんなコトになっちゃったかなぁ)
 正直なところ、エイシスに負けず劣らず、奈子も戸惑っていた。
(酔ってるなぁ…アタシ)
 知らず知らずのうちに、飲み過ぎてしまったらしい。気付いた時には、口が勝手にあんなことを言ってしまっていた。どうしてだろう。いつの間にか、そんな気になっていた。
 やっぱり飲み過ぎだ。酔って気持ちよくなってくると、なんとなくエッチなことをしたくなってしまう。
 過去にはそれで、由維や亜依を押し倒したこともある。ファージとだって、最初は酔った勢いだった。
(しかし、ここまで見境ない性格だったとは…)
 わずかに残った理性が呆れている。
(アタシってば、やっぱりエッチなのかなぁ…)
 残念ながら、否定はできそうにない。
 エイシスのことが好きだなんて認める気はさらさらなかったが、彼とのセックスが気持ちよかったことは事実だ。
 奈子は決して男性経験が豊富なわけではない。エイシスが二人目の男だった。
 初めての時はひどく緊張していたし、痛かったしで、気持ちよかったかどうかなんて憶えてもいないが、エイシスに抱かれた時のことははっきりと憶えている。
 すごく気持ちよかった。何度も何度もいかされてしまった。
 頭の中が真っ白になるような感覚。
 酔って理性を失った心が、火照った身体が、あの快感を求めている。
(う〜ん…、ま、いっか。いまさら反省しても手遅れだし…)
 エイシスもすっかりその気になっているようだ。
 今度からはあまり飲み過ぎないようにしよう、と決心して、とりあえず今夜は、このまま流されることにした。エイシスとは以前にも何度かしているのだし、別にいまさら、無理に拒む理由もない。
 寝室へ入ると、エイシスは奈子を放り投げた。ベッドの上で身体が弾む。
「もぉ!」
 乱暴な扱いに、奈子は唇をとがらせた。その台詞を無視して、エイシスの身体が覆いかぶさってくる。
 二人の唇が重なる。ゆっくりと舌を絡め合う。お互いの味を確かめるように。
 奈子は、エイシスの背中に腕を回した。たくましい、大きな身体だ。
 エイシスは慣れた手つきで、奈子の服を脱がしていく。奈子は恥ずかしそうに身じろぎした。
 大きな手が、奈子の胸を包み込んだ。力強い大きな掌が、奈子の胸を弄ぶ。
「は…ぁん…」
 切なげな吐息が漏れる。
 エイシスの唇が、少しずつ下へと滑っていく。
 首筋から、胸へと。
「あ…はぁ…」
 乳首を強く吸われると、無意識のうちに声が漏れる。
 気持ちいい。身体中、すごく敏感になっている。どこを触られても、声を上げてしまいそうだ。
「あ…いっ…」
 乳房に歯を立てられる。噛みながら、乳首の先端を舌先でくすぐっている。
 そして少しずつ、噛む力が強くなっていく。
「や…い…痛ぃ…あぁっ!」
 奈子が我慢できなくなるギリギリまできつく噛んで、急に力を抜いた。噛み切られそうな鋭い痛みが急に失せて、じんわりと痺れるような鈍い痛みが乳房全体に広がる。
「はぁ…あ…」
 それは快感として受けとめられる、ギリギリの痛みだった。さすがにエイシスはその加減をよくわかっている。これまで、数え切れないほどの女性を相手にしてきた経験によるものだろうか。
「もぉ…もっと優しくしてよ…」
 何度も胸に歯を立てるエイシスに向かって、奈子は拗ねたような声を出す。
「なに言ってんだ。感じてるくせに」
「うるさい、バカ!」
 赤面して口をとがらせるが、あまり強いことは言えない。エイシスの言葉はまぎれもない事実だったから。
 胸への執拗な愛撫だけで、すっかり感じてしまっている。太股をすりあわせると、溢れるほどに濡れているのを感じる。
 奈子は、胸の上に置かれていたエイシスの手を掴むと、自分の下腹部へと導いた。
「…胸だけじゃヤ…指…入れて…」
「今日はずいぶんと積極的だな。どうしたんだ?」
「あぁっ!」
 リクエストに応えて指を滑り込ませながら、エイシスが訊く。しかし奈子は応えない。いや、応えられない。
 エイシスにしがみついて、切ない悲鳴を上げている。
「あぁ…あん…あん…あ…」
 声を上げながら、自分で腰を動かしている。体内深くに挿入されたエイシスの指から、より強い快感を搾り取ろうとするかのように。
「いいっ…いいのぉ…あ…あぁ…」
 本当に、今日はいったいどうしてしまったのだろう。
 自分でもわからない。これまでなかったくらいに感じている。そして、身体がより強い刺激を求めている。
(溜まって…ンのかな)
 ちらっと、そんなことを思った。
 最後にエイシスとしたのは一月以上も前だし、ファージともしばらく機会がなかった。最近は毎日のように由維が泊まっていってるから、ひとりエッチもしていない。
(だからって…。アタシ、そんなにエッチなのかなぁ…)
 あまり、認めたくはないけれど。
(ううん、今日は特別、お酒のせいよ。こんなの…ホントのアタシじゃない…)
 お酒のせい、という言い訳が、奈子から最後の自制心を奪っていった。
 自分から唇を重ね、貪るようなキスをする。
 何度も、何度も。
 本人に自覚はないかもしれないが、はっきり言って酔った奈子はキス魔だった。
「ねぇ…」
 潤んだ瞳でエイシスを見上げ、それからもう一度しがみつくと、耳元でささやいた。
「もう、我慢できない…来て…ねぇ…」
「今日のナコは、すごくエッチだな」
 楽しそうに言いながら、エイシスは手早く服を脱ぐ。
「…エッチな女の子は、嫌い?」
「嫌いなわけないだろ。いつもこうだといいのに」
「ダ〜メ。それじゃあ、ありがたみがないもん」
 奈子は、裸になったエイシスに抱きついて、自分から身体をすり寄せる。エイシスの太い脚に自分の両脚を絡ませて、性器を擦り付けるように動かす。
「あ…ん」
 切ない吐息が漏れる。
「…今日は酔ってるから特別なの。今日だけ特別。だから…今日はいっぱい…していいよ」
 以前「一晩に五回もするなんて、ほとんどケダモノよね!」などと言ったのと、同じ口から発せられたとは信じがたい言葉だ。エイシスは小さく吹き出した。
「していいよ? いっぱいしてください、の間違いじゃないのか?」
「あ…あんっ!」
 奈子の一番敏感な部分を、焦らすように指で弄びながら言う。
「はぁっ…あっ…やぁっ…焦らさないで…」
「どうなんだ?」
 指が引き抜かれる。奈子は反射的にエイシスに抱きついた。
「して! いっぱい…いっぱい、うんと感じさせて!」
「よしよし、可愛い奴だ」
 エイシスは軽く頭を撫でると、本格的に奈子の中へと入ってきた。
 奈子の身体が仰け反る。
「ん……あ…あぁん……あ」
 もう何度も経験しているのに、この、挿入時の感覚には慣れることがない。
 どう表現したらいいのだろう。
 鈍い痛み。膣口を乱暴に押し広げて、それは侵入してくる。苦しいくらいの圧迫感がある。
 それでも、それが体内で動くたびに、快感が全身を貫く。
「ああっ、あぁっ、あーっ!」
 頭の中が真っ白になる。
 もう、何もわからない。
 ただ、エイシスから与えられる快感を貪るように。
 悲鳴のような喘ぎ声を上げて。
 エイシスに、力一杯しがみついていた。背中に、爪を立てていたかもしれない。
 そうやってしっかりと掴まっていないと、自分がどこにいるのかもわからなくなりそうだった。



(あ〜あ…、またやっちゃったよぉ…)
 翌朝、意識の戻った奈子は、目を開ける前に大きな溜息をついた。
 隣に、大きな温もりを感じる。
 昨夜のことは、思い出すのも恥ずかしい。いっそ憶えていなければいいのに。
 困ったことに、途中まではしっかりと憶えていた。
 自分から、積極的に誘ってしまって。
 それも一度だけじゃない。あんなに激しく。何度も、何度も。
 その途中から、記憶がなくなっている。失神してしまったのだろうか。
(…やりすぎたかなぁ)
 少し、ヒリヒリする。
(やっぱり、飲み過ぎはよくないな…)
 まるで、自制心が働かなくなってしまう。まだ十代なのだから、お酒を飲むのは控えないと。
「う…ン…」
 伸びをしながら、目を開く。
 そして、ベッドの傍らに立つ人影に気付いた。
 最初に目に入ったのは、濃い金髪。
 金色の瞳が、奈子を見下ろしていた。
「ファ、ファージ!」
 奈子の叫び声に、エイシスの身体がビクッと震えた。慌てて身を起こす。
「今度、ナコに手を出したら、ただでは済まないって…言ったよね?」
 静かで、それでいてひどく危険な声音だった。
「え…いや…これは…その…」
 エイシスの全身から、冷や汗が吹き出す。
「そんなに、死にたいんだ」
「あ…いや…」
 この危機的状況に、エイシスは奈子に助けを求めた。耳元でささやく。
「おい、なんとか言ってくれよ」
「…えっと」
 奈子はちらりとエイシスを見て、それからファージに視線を移す。
 …と、いきなりガバッとベッドに伏して、泣き真似をはじめた。
「エイシスってばひどいのよ! アタシに無理やりお酒を飲ませて、酔って抵抗できないのをいいことに…」
「ナコ! てめえ!」
 エイシスの顔が青ざめる。これはとんでもない裏切りだ。
「一晩中あ〜んなことや、こ〜んなことを…」
「…そう」
 ファージは半眼になってつぶやく。その手の中に、紅い光が生まれた。
 それを見た奈子は、そそくさとベッドから脱出した。ついでに、下に落ちていた自分の服を拾う。
 ファージの手の中の光は、長く伸びて剣の形となった。それは、血の色をした刃だった。
「仇はとってあげるからね、ナコ」
「ナコ! 憶えてろよ!」
 エイシスの声は幾分震えていた。
「死ぃねぇぇっっ!」
 ファージの叫び声とともに、爆発音が響く。
 巻き込まれないうちに、奈子はさっさと寝室から逃げ出した。そのまま立ち去ろうとしたが、
「あ…忘れてた」
 ふと思い直して部屋をのぞき込む。
「ファージ、あのさ…、死なない程度…にしておいてね」
 それだけ言い残して、寝室を後にした。
「……約束は守ったからね、エイシス」
 そう、小声でつぶやいて。


 食堂では、ソレアがいつものように朝食の支度をしていた。寝室から断続的に響いてくる爆発音に顔をしかめている。
「ファージが来たのね」
 席に着いた奈子に確認した。
「ん…」
 ソレアの魔法ならば、壊れた家を直すのも容易なはずだ。が、家具に人一倍愛着を持っているソレアにとっては、あまり歓迎できる状況ではない。
「それにしても…」
 言いながら、深皿にスープをよそって奈子の前に置く。笑いをこらえているような表情で、奈子の顔を見ながら。
「ナコちゃんって、ずいぶん激しいのねぇ。私の部屋まで聞こえてたわよ」
「え、うそっ?」
 奈子とソレアの寝室は、かなり離れている。まさか、ソレアに聞こえるほどの大声を上げていたとは…。
 奈子は、真っ赤になって俯いた。



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