終章


「…………私は、この世でいちばん愚かな魅魔師かもしれんな」
 そうつぶやきながら、カムィは森の中を歩いていた。
 ――いいや。
「かもしれない」ではない。間違いなく愚かな選択だった。
 ちらりと背後を見る。
 数歩の距離を空けて、カンナが後をついてくる。
 森の中は平和だった。
 ここへ来た時と違い、魔物の気配は目に見えて薄れている。
 魔物に――ライエに支配されていた地。その力が失われ、集まっていた魔物たちも散り散りになった。これまで通り、ひとりひとりが勝手に生きていくのだろう。
 そこで人間に対する危害が目に余るようになったら、その時また狩ることになる。
 
 ――ライエも含めて。
 
「……どうして?」
 背後から、声がかけられる。
 脚を止めて振り返る。
 カンナはまだ戸惑いの表情を浮かべていた。
「……どうして、殺さなかったの?」
「…………」
 その問いに対して、カムィは即答できなかった。
 
 ――そう。
 
 殺さなかった。
 殺せなかった。
 
 ばかだ。
 大莫迦だ。
 あれだけのことをした魔物を。
 あれだけの血を使っておきながら。
 
 ――とどめを刺さなかったなんて。
 
 結局、殺さなかった。
 十年前に母親がそうしたように、その力を封じただけだ。
 これでまた当分は、ライエが人間の脅威になることはあるまい。

 そういえば、母はどうしてライエを殺さなかったのだろう。
 それだけの力がなかったのだろうか。
 そうとは思えない。
 当時のサスィと今の自分と、どちらの力が強いのかはわからない。単純に血の純度を考えれば、母の血にさらに竜族の血が混じったカムィの方が上だろうが、それでもサスィはライエよりも力のあるその兄を魅了することができた。それだけの力がありながら、己の命と引き替えにしてもライエを倒せなかったなどということがあるだろうか。
 やはり、殺せなかったのではなく、殺さなかったと考える方が自然だろう。
 ――ライエが、自分の夫の肉親だから。
 まさか、とも思うが絶対にないとも言い切れない。
 甘い。
 甘すぎる。
 そのせいで、今の自分が苦労する羽目になった。
 しかしそれを言ったら、自分はもっと甘くて、大莫迦だ。
 相手が魔物ということを抜きにして考えれば、「自分の夫の肉親」を殺すことには抵抗があるだろう。
 それはカムィでも容易に想像できる。
 しかしカムィの場合、母親とは事情が違う。
 カムィにとってのライエは、「カンナの肉親」でしかない。
 なのに何故、躊躇してしまったのだろう。
 自分にとってのカンナは、いったいなんなのだろう。
 いったい――
 
 ぎゅっと唇を噛む。
 苦虫を噛み潰したような表情で、カンナの顔を見る。
「……カムィ?」
 カンナが小さく首を傾げる。
 その表情に、胸がきゅうっと締めつけられる。
 
 ――違う!
 断じて違う!
 
 心の中で叫ぶ。
 ありえない。
『お前の父親だから殺せなかった』なんて。
 認めない。
 認めたくない。
 
 ――だから、本心とは少し違う答えを返した。

「……今、殺す必要があるか?」
「え?」
「あんな奴、その気になればいつでも倒せるだろう。私と……お前の力なら」
 カムィはそれだけ言うと、ぷぃっと顔を背けて歩き出した。
「……二人が一緒なら?」
「………………、ああ」
 うなずいてから、しまった、と思う。
 墓穴を掘ってしまった。
 しかしその発言を訂正するより先に、カンナが腕にしがみついてくる。
「えへへ…………、ずっと一緒だね」
「…………」
 忌々しい。
 またひとつ、この竜と一緒にいなければならない理由が増えてしまった。
 むしろ、自分でそうしてしまっている。
 
 ――忌々しい。
 そう思っているはずなのに、この手を振り払うことができない。
 それが何故なのか、その理由はさすがにもうわかっている。
 しかしそれを口に出して認めることは、決して、一生、ないだろう。

 それを認めてしまっても、
 否定し続けても、
 
 どちらにしても、自分はやっぱり大莫迦なのだ。


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