巨大な竜を駆って大空を舞う竜騎士たち。
強大な魔力を持った魔術師たち。
大陸全土を巻き込んだ戦争。
それはもう、遠い過去の伝説。
これは――
〈剣〉と〈魔法〉に変わって、〈科学〉と〈機械〉とが人間たちの『力』となりつつある時代の物語。
フィーニ・ウェル・リースリングは、道に迷っていた。
なにしろ彼女は田舎の農村育ちである。人の背丈よりも高い、地平線まで続くようなトウモロコシ畑の中でも方角を見失うことはないのに、高い建物が建ち並ぶ通りが縦横に入り組んでいる都会の街並みの中となると、さっぱり本能が働かない。
ソーウシベツは大陸有数の大都会というわけではないが、フィーニを迷わせるのに充分なくらいには都会だった。都会が珍しいフィーニは、通りを歩きながらも始終きょろきょろとよそ見ばかりしている。これでは道に迷うのも当然だ。
それは、自分でもわかっている。わかっているけれど、つい目が行ってしまうのだから仕方がない。
石畳やコンクリートの舗装がなされた、広い道路。
整然と並ぶ二階建て三階建て、あるいはそれ以上の高さの煉瓦造りの建物。
通りを走るのは、格好いいぴかぴかの自転車に、お洒落な乗用馬車に、そしてまだ珍しい自動車と市街鉄道。
都会の光景に目を奪われながら闇雲に通りを歩き回っているうちに、次第に汗ばんでくる。暦の上では秋であっても、緯度の低いこの地方ではまだ十分に暖かい、というか日中は暑いくらいだ。
(あぅぅ……引っ越してきた当日に、さっそく大ピンチだわ)
フィーニは心の中で呻いた。その割には呑気そうな表情をしている。深刻に困っている様子ではない。
(誰かに道を訊くしかないよね。でも……)
田舎者のお上りさんと思われるのは、あまり嬉しいことではない。たとえそれが紛れもない事実であったとしても。
せっかく一番お気に入りの服で着飾って、外見は完璧に都会の娘になりきっているつもりなのだから。
それでも背に腹は代えられない。このままでは、街を彷徨っているうちに夜になってしまいかねない。
また、周囲を見回した。さすが都会だけのことはあって人通りが多い。フィーニがこれまで暮らしていた、人よりも牛や鶏の方がずっと多い農村とは大違いだ。
子供を連れた若いお母さん。
犬の散歩をしている品のいい初老の婦人。
上等な背広を着こなした壮年の紳士。
優しそうな人はいくらでもいる。道を訊く相手には事欠かない。
だけど、その人たちには尋ねない。
もうしばらく通りをぶらついて。
やがて、目的のものを見つけた。
無意識のうちに口元が綻ぶ。にやぁっと、下心ありありの笑みだった。
フィーニの視線の先にいるのは、一人の少年だった。年齢はフィーニよりも少し年上だろう。十七、八歳くらいといったところか。
その年頃の男の子としては、それほど背の高い方ではない。とはいえフィーニがそれ以上に小柄だから、頭ひとつ分ほどは高いだろう。
どちらかといえば痩せている方だ。
髪は淡い金髪で、前髪は長く垂らして目にかかっている。その奥の瞳は深みのある青灰色だった。
目つきがやや鋭いが、さほど怖い印象は受けない。むしろ優しく綺麗な顔立ちをしている。精悍さと中性的な優しい雰囲気が、絶妙なバランスで釣り合いを保っていた。
洗い晒しの麻のシャツをさり気なく着こなしている。だらしなくもないし、さりとて「気合い入れてお洒落してます」という嫌味もない。
(……合格)
フィーニは心の中で判定を下した。
なかなか好みのタイプだった。
外見は小柄で華奢で、十三、四歳にしか見えないフィーニだが、実はもうじき十六歳、高等女学校の一年生だ。男の子にだって興味はある。
どうせお近づきになるのなら、格好いい男の子がいいではないか。記念すべき「この街で最初のお知り合い」は、この男の子に決めた。
「あの……、すみません。この街の方ですか?」
散歩でもしているのか、ゆっくりと歩いていた男の子に近付いて訊いてみる。相手は小さくうなずいた。よし、第一関門は突破。
「あの、あたし、今日引っ越してきたばかりで、道に迷ってしまったんです。市役所の場所を教えていただけませんか?」
フィーニは極上の笑顔を浮かべつつも、どこか不安げなうるうるの瞳で、上目遣いに男の子を見た。
この笑顔、ややロリータの気はあるが、大抵の男には絶大な威力を発揮する。フィーニのたちの悪いところは、自分で自分の笑顔の威力を知っていることだった。普通の男なら、放っておけずに優しく世話を焼いてくれる。
そして今回も、この武器は期待通りの戦果を挙げてくれたらしい。
「え……? あ、ああ……いいけど」
男の子はやや照れた様子で、一瞬頬を赤らめた。それを隠すかのように、ぶっきらぼうに応える。
そんな話し方は嫌いじゃなかった。軟派な感じがなくて好感が持てる。声そのものは、すごく優しそうだった。
「……ここからだと、口で説明してもちょっとわかりにくいかな。いいよ、案内してあげる」
男の子は向きを変えると、フィーニの先に立って歩き出した。その後をちょこちょことついていく。どこかペンギンを思わせる脚の動きに合わせて、肩に軽くかかる長さの濃い茶の髪が左右に揺れていた。
やがて、広い通りに出る。
歩きながら、フィーニは斜め後ろからこの案内人を観察した。
口数は少なく、遊び人という感じはしない。内気という印象ではないが、女の子との付き合いには不慣れなのかもしれない。
少し照れたようで、だけどフィーニを気遣って、歩幅を狭めてゆっくりと歩いてくれている。
第一印象としてはちょっと怖そうな雰囲気があったが、それは外見だけで、根は優しい人間だろうと思われた。
(これは、いきなり「当たり」かも)
親元を離れての都会暮らし、数分前までは色々と不安もあった筈だが、そんなものはすっかり吹き飛んでしまっていた。なにしろ初めての街で最初に知り合った相手が、予想外の上玉だったのだから。
「……どっちにする?」
「え?」
何かを訊かれたらしいが、フィーニは上の空だった。相手に見とれていたのだ。
「歩いていけない距離じゃないけど、市街鉄道に乗る?」
広い通りの真ん中を指差しながら訊いてくる。そこには銀色に輝く線が二本、平行に走っていた。市街鉄道のレールだ。
市街鉄道は、アルコールを燃やした熱で蒸気を作って走る小さな汽車で、都会での主要な交通機関である。大きな街にしかないから、もちろんフィーニは乗ったことがない。
都会に憧れる身としては非常に興味があったが。
「ううん。初めての街だもの、あなたが迷惑じゃなければ、自分の足で歩いてみたいな」
フィーニは首を左右に振った。
本音は、せっかくの素敵な男の子と、少しでも長く一緒にいたかっただけのこと。
「そう、それじゃ……」
そんな下心は露知らず、男の子はゆっくりと歩きながら、街の中を案内してくれる。
しばらく行くと、やがて市役所が見えてきた。煉瓦造りの、見上げるような大きさの建物だ。
せっかくのデートが終わるのは残念だったが、引っ越してきたばかりで、今日中に片付けなければならない用事がいくつもあるから仕方がない。
フィーニは親切な男の子を振り返った。
「案内してくれてありがとう。あなたって、いい人ね」
一歩近付いて、背伸びをして。
首に腕を回して、頬の、限りなく唇に近い部分に。
ちょん、とキスをした。
一瞬、相手の動きが止まる。
何が起こったのかわからない、といった表情で。
やがて、顔がかぁっと赤くなってくる。
やっぱり、女の子に慣れていないみたいだ。
「じゃあ、あたしは用事を済ませてくるわ」
呆然としている男の子を後に、フィーニは建物の中に入っていった。
次章に進む | >> | |
目次に戻る |
(C)Copyright 2002 Kitsune Kitahara All Rights Reserved.