三 働く少女


 アリアーナ・シリオヌマン。
 それが、このマウンマン王国の新たな王となるべき少女の名である。
 先日、十五歳になったばかりだ。
 腰の下まである長くて真直ぐな金髪は、枝毛の一本もないのではないかと思われるほど艶やかで、光を反射して輝いている。
 そしてもう一つ特徴的なのが、彼女のやや紫がかった瞳。
 高い知性と、意志の強さがうかがえる凛とした瞳。
「へぇ…」
 早苗や一姫と共にアリアーナの前に通された彩樹は、小さく感嘆の声を漏らす。
 確かに美人だ。
 あまり感情を表に出さない方らしく、無表情に彩樹たちを見つめている。
 そのためやや冷たい印象を受けなくもないが、それがまた女王らしい威厳をかもし出す効果があった。
「この者たちが新しい護衛か?」
 アリアーナの問いにシサークがうなずく。
「ずいぶんと見目良い者ばかりを選んだものだな。しかし…」
 彩樹の側に来てじろじろと不躾に観察し、そして言ってはいけないことを言ってしまった。
「どうして、男が混じっているのだ? 口うるさく言っていた『しきたり』とやらはどうした?」
 そこにいた何人かの顔色がさぁっと変わる。
 彩樹は赤く。
 そして早苗、一姫、知内の三人は血の気が引いて真っ青に。
 彩樹を止めようとした早苗が指一本動かす間もなく、
「誰が男だぁっ!」
 必殺の後ろ回し蹴りがアリアーナを襲っていた。
 世界広しといえども、一国の王女を蹴り倒した女子中学生というのは彩樹くらいのものだろう。
 ついでにいうと、それを見てシサークも倒れてしまっていた。
「ひ、姫様になんということを…」
 という言葉を残して。
「シサーク様は普段から血圧がお高いので…」
 アリアーナを介抱しながら、フィフィールは苦笑する。
 早苗と一姫は困ったように顔を見合わせる。
 彩樹の目はまだ怒りに燃えている。
 そして知内は頭を抱え、「この仕事が終わったら会社を辞めて家業を継ぐ」決心をさらに固くしていた。



「ったく、あの女は…むかつくヤツ! あれだけまじまじと見て、どうしてオレが男に見えるんだっ!」
 控えの間に戻っても、彩樹の怒りはおさまっていなかった。
「その件に関しては、彼女ばかりを責めるのはどうかな?」
「…なんか言ったか?」
「なんにも」
 知内はあわてて首を振った。
 彼もまだ命は惜しい。
「とにかくオレは、こんなバイトやってられね〜よ」
「そう言わずに、そこをなんとか…」
「い〜や帰る。…って、そういえば早苗と一姫は?」
 きょろきょろと周囲を見回すと、いつの間にかこの部屋にいるのは彩樹と知内だけだ。
 怒りのあまり、周囲がまるで見えていなかったらしい。
 早苗と一姫がいないことにいままで気付かなかった。
「彼女たちは、訓練だよ」
「訓練?」
「普段の技術をそのまま生かせる君と違って、彼女らは憶えなければならないことがあるだろう。この世界の銃の扱いとか、魔法の知識とか」
「なんだよそれっ? あいつら、引き受ける気なのか?」
 いつの間にそういうことになったんだ?
 彩樹は心の中で叫ぶ。
 こんな怪しげな仕事…冗談じゃない!
「なんだか楽しそうだったよ。こんな経験めったにできない、とか言ってたし」
「そんな気楽な…」
 なに考えてるんだ、あいつら…。
「どうしても嫌かい?」
「ヤだね」
 間髪入れずに答える。
 彩樹の答えはもっともである。
 事情もわからずにこんなところに連れてこられて、肝心の護衛する相手は初対面でいきなり彩樹の逆鱗に触れてきて…これでは引き受ける気になる方が不思議だ。
 そうでなくてもこの仕事には問題がある。
「第一、護衛ってことは二十四時間付きっきりなわけだろ? いくら今が夏休みだからって、泊まりのバイトなんかできるわけないだろ」
 一応これでもまだ十五歳の女の子なのだ。
 彩樹の母親はこういうことには寛容なのだが、それでも何日もの外泊などそうそう許してもらえることではない。
「その問題は検討済みだよ。フィフィーナさんによると、転移の際にはある程度時間をずらすことができるそうだ。転移時にぎりぎりまで時間を過去にずらすと、こちらで二十四時間過ごしても向こうではせいぜい二時間くらいしか経ってないことになる」
「…? なんか騙されているような気がするが…」
 彩樹は腕を組んで考え込むが、どうもよく理解できなかった。
「そんなことはない。これは確認済みだ。一日に一〜二時間くらいのバイトならできるだろ?」
「じゃあその件はいいとして…、なんだってあんな女のために、こんな危険な仕事引き受けなきゃならないんだ!」 
「そういえば、ひとつ大事なことを言ってなかったな」
 知内には勝算があった。
 彼はまだ奥の手を隠している。
 明らかになにか企んでいますといった笑みを浮かべて、彩樹の耳元でなにやら囁く。
 彩樹の表情が微妙に変化した。
 思わず顔がにやけそうになるのを、必死にこらえているような…。
「…え…と…、まあ、…夏休みでヒマだし…、そこまで言うんなら…仕方ない、少しだけ力を貸してやるか」
「そう言ってくれると思っていたよ」
「いいか、あくまで仕方なく、だからな」
「わかったわかった」
 仕方なく引き受ける、という彩樹の演技はあまりうまくはなかった。
 知内は笑いをこらえる。
 彩樹に耳打ちしたのは、シサークが約束したこの仕事に対する報酬のこと。
 仮にも一国の王女の命がかかった仕事である。
 報酬の額も半端ではない。
 普通の日本人にとっては、ジャンボ宝くじでも当たらなければお目にかかれないような金額を提示されて、断れる女子中学生がいるだろうか?
 いろいろと普通ではないところのある彩樹も、お金には人並みに弱いのである。



 さて、その頃の早苗と一姫だが――

 王宮の広い敷地の一角に、射撃場がある。
 普段は銃士隊の訓練に使われているところだ。
 早苗がいる場所から五十メートルくらい離れたところに、人形に鎧を着せた標的が十体ほど立っていて、その後ろには流れ弾が射撃場から出ないための土塁がある。
 早苗をここに連れてきたのは、城の銃士隊で射撃の教官をしているという四十過ぎの男性だ。
 銃を手渡して扱いを教える。
 早苗は受け取った銃を調べる。
 この世界の銃は、外見は昔の火縄銃に似ているが、機構的にはボルトアクションのライフル銃に近いようだ。
 ボルトを引いて、薬室に弾を込める。
 弾は…早苗が知っているようなカートリッジではなく、直径五〜六ミリのやや黄色味を帯びた透明なガラス玉のような結晶だった。
 火薬は使わない。
 この弾は、魔光石と呼ばれる魔力の結晶なのだそうだ。
 銃身には魔力を増幅・調整する性質を持った鉱物・魔導石の棒が詰められている。
 引き金を引くと撃針が魔光石の弾丸を魔導石に打ちつけ、魔光石は崩壊して純粋な魔法エネルギーとなる。
 それが銃身の魔導石の中で増幅され、まるでレーザーのように銃口から発射されるのだという。
 こんなものでホントに撃てンの…?
 訝しみながらも早苗はボルトを戻し、銃を構える。
 標的の人形までは目測で五十六メートル。
 息を吸い込み、少し吐き出し、息を止めて静かに引き金を引く。
 パンッ
 軽い破裂音と同時に、銃口から曳光弾のような一筋の光が飛び出し、人形の右肩に当たって弾けた。
 標的の人形が着ている金属製の鎧が大きくへこんでいる。
 これが生きた人間だったら、死なないまでも相当な怪我のはずだ。
 ヒュウ
 早苗は短く口笛を吹く。
「意外と精度いいじゃない、コレ」
 再度ボルトを引き、二発目の弾丸を薬室に込める。
 パンッ
「ほぅ、いい腕をしているな」
 二発目も、寸分違わず一発目と同じ位置に命中した。
 教官が称賛の声を上げる。
「ふぅん…」
 早苗は手の中の銃を見てなにか考えている。
「あの、城内に武器工房ってあります? ちょっと見学したいんですけど」



「これが、魔術師の杖よ」
 フィフィールが差し出した木の杖を、一姫は両手で受け取る。
 長さは、一姫の身長とほとんど同じ。
 先端が鈎状に曲がっていて、そこに洋ナシよりやや大きいくらいの、透明な菱形の鉱石がはまっている。
「先端にあるのが魔光石の結晶。これが触媒となって、術者の頭の中にあるイメージを実体化するの。魔法がもたらす結果を、いかに正確に、強く想像することができるか…。それが魔法を使う上で一番大切なこと」
 フィフィールの一語一語に、一姫はうなずく。
 一姫はいま、フィフィールから魔法の講義を受けていた。
 早苗の場合と違い、魔法に関しては一から学ばなければならない。
 二人がいるのはフィフィールが使っている魔法の研究室だそうで、どことなく図書室か化学の実験室に似ている。
「あなたが最初に憶えなければならないのは、防御の魔法よ」
 自分の杖を手に取って、フィフィールは言う。
「敵を攻撃する術はサイキさんもサナエさんも持っているけど、相手が魔法で攻撃してきた場合、それを防ぐことができるのはあなただけなの」
 神妙な表情でうなずく一姫。
「防御の基本はこれ、魔法の盾」
 フィフィールが杖を高く掲げる。
 一瞬、先端の魔光石が光ったかと思うと、目の前の空間にいきなり大きな菱形の板が出現した。
 縦が二メートル、幅が三メートルほどの大きさなのに対し、厚みは五センチもない。
 表面は鏡のような光沢があるのに、すぐ前にいる一姫の姿は映っていなくて、シャボン玉のような虹色の縞模様がゆらめいている。
 そんな不思議な物体が、一姫の視界を遮るように宙に浮いていた。
 恐る恐る手を伸ばすと、指が触れる直前にバチッと感電したような衝撃が走り、一姫はあわてて手を引っ込めた。
 フィフィールは一姫を下がらせ、自分も数歩後ろに下がると再び杖を掲げる。
 杖の先からハンドボール大の火球が飛び出したかと思うと、盾に当たって大きな破裂音と共に霧散した。
 しかし炎が消えてから見ると、盾には傷一つついてはいない。
「この盾は大抵の魔法による攻撃を防ぎ、剣や銃を用いても簡単に破壊することはできません。あなた方にとっての最優先事項は、姫様を護ること。まずなにより、防御の魔法を学んでください」
「わたくしにもできるでしょうか?」
「疑いを持ってはいけません。大丈夫、あなたにはきっと才能がありますよ」
 フィフィールがぱちんと指を鳴らすと、魔法の盾はすぅっと空気に溶け込むように見えなくなった。



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