四 真夜中の少女


(なんか、知らないうちに状況に流されてるよな…)
 各自にあてがわれた豪華な個室の、必要以上に広いベッドにごろりと横になって、彩樹は天井を見つめていた。
 もう夜もかなり更けたはずだが、どうにも眠くならない。
 知内は他に仕事があるとかで夕方のうちに(逃げるように)向こうに戻り、三人の少女たちだけがこちらに取り残されている。
(いくら金のためとはいえ…面倒なこと引き受けちまったなぁ)
 早苗や一姫は妙にはしゃいでいたようだが、彩樹はとてもそんな気分ではない。
 金に目が眩んで魂を売り飛ばしてしまった――
 そう思えてどうにも悔しい。
(でも、ま、この金で冬休みにはブラジルまでブラジリアン柔術を習いに行くのもいいか…。それもと韓国で本場のテコンドーとか)
 両手を頭の後ろで組み、天井とにらめっこしながらそんなことを考える。
 身体はともかく、精神的にはずいぶん疲れているはずなのに、どうしてか眠くならない。
 広いベッドの上で何度も寝返りをうって、それからおもむろに上体を起こす。
「どうせ眠れないんなら、早苗か一姫のトコに遊びに行くか…? 寝てたらむりやり叩き起こして付き合わせる、と」
 かなり自分勝手な思いつきではあったが、彩樹はさっそく実行に移すつもりだった。
 不意に、扉がノックされたのはちょうどそんなときだ。
「誰だ?」
 ベッドから跳ね起きて誰何する。
「ウチ」
 早苗の声だ。
「どうした? こんな夜中に…」
 扉を開けると、早苗が一人で立っている。
「うん…、ちょっといい?」
「ま、入れよ。こんな夜中に一人で…夜這いか?
「な、ンなわけないでしょっ!」
 早苗が顔を真っ赤にして叫ぶ。
 彩樹はからかうような表情で笑っている。
「そう照れるなって。ちょうど、一人で寝るには大きすぎるベッドだと思ってたんだ」
 彩樹は早苗の肩を抱き、耳元で囁く。
 あわててその手を払い除けた早苗は、顔を蒼白にして壁際まで後ずさる。
「あ、あ、彩ちゃんて…やっぱりそ〜ゆ〜シュミ? う…ウチ、そっちはちょっと…」
 声が裏返っている。
 震える頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちる。
「あはは〜、冗談だって。で、なんの用?」
 ベッドに腰を下ろして笑う彩樹を、早苗はまだいくぶん疑わしげに見つめつつ、それでも近くに戻ってくる。
 心の中で「これから寝るときには部屋に鍵をかけよう」と誓いながら。
 彩樹はその時になってやっと、早苗が持っている物に気付いた。
 肩から、スリングベルトで吊り下げた銃。
 それもこの世界のクラシックなデザインの物ではなく、向こう側…彩樹たちの世界の銃だ。
 それくらい彩樹でもわかる。
 アメリカのアクション映画――ダイ・ハードかなにかだったろうか――で見たことがあるサブマシンガンだ。
「なんだ、それ?」
 指差して訊く。
「H&K・MP5A5。これは東京マルイ製のエアーガンで、ウチの愛銃」
「オモチャか」
 その台詞に、早苗は少し気分を害したようだった。
「オモチャって…まあ外見はそうだけど、中身はこれよ」
 早苗がそう言って取り出した物を、彩樹は手に取って見る。
 長さ四十センチほど、太さは一センチにも満たない、透明なガラス棒のようだった。
「なに、これ?」
 彩樹はそのガラス棒を手で弄びながら訊く。
「魔導石…この世界の銃の、銃身に使われているものだよ」
「…で?」
「つまり、この世界の銃って、機構的にはすごく単純なの。ウチらの世界の銃よりずっと、ね。で、ウチのエアーガンを魔光銃に改造するのは簡単にできるってわけ」
 早苗はMP5の弾倉を取り出して見せる。
 そこには、ちょうどBB弾と同じくらいの大きさの透明な魔光石の結晶が何十発と込められていた。
「いつの間にこんな…」
「昼間、武器工房で銃の構造を教えてもらって…これなら簡単に改造できるなって思ったから、一度フィフィールさんに家に送ってもらってこれ持ってきたんだ」
「ところで、そうするとなにかメリットがあるのか?」
「第一に、この方が扱い慣れている。第二に、この世界の銃は単発だけど、これはバッテリーとモーターの力で毎秒十五発以上の連射ができるの。そしてなにより…」
 さも重大なことをうち明けるような素振りで、早苗が人差し指を立てて言う。
 彩樹も思わず身を乗り出す。
「この方がカッコいい!」
 彩樹はそのまま仰向けにベッドに倒れた。
 心底呆れたような口調で一言。
「アホらし」
「え〜、ウチにとっては大事なことだよ!」
 早苗は唇を尖らせて反論する。
「で、それを見せびらかすために来たのか? そんなつまらん用事でこんな夜中にわざわざ来たっていうんなら…」
「なら?」
 聞き返す早苗に対し、彩樹は瞳を妖しく光らせて断言した。
「押し倒す!」
 ずざざ〜っ!
 早苗は一瞬で壁際まで下がると、涙目で首を左右にふるふると振る。
「ち、違う…違うの! つい銃の説明に夢中になっちゃったけど、本題は違うの! だからお願い…」
「ば〜か、本気にすんなって。で、本題ってのは?」
 早苗は三度、深呼吸して気持ちを落ち着かせてから話し始めた。
「ウチら、明日から姫様のボディガードをやるわけだよね?」
「あのおっさんに丸め込まれて仕方なく、な」
 彩樹はあくまでそこにこだわる。
「ま、それはいいとして…。彩ちゃんなら、護衛のいる相手といない相手、暗殺するならどっちが楽だと思う?」
「そりゃあ、いない方だろ?」
 そんな当たり前のこといちいち訊くな、といった口調で即答する。
「明日からは姫様の側に常に護衛がいるわけだよね? ウチらが異世界の人間というのは秘密みたいだけど…わざわざ遠国から連れてきた腕利きという触れ込みで」
「誇大広告で敵を牽制しようというおっさんのアイディアらしいな」
「つまり、敵も知っているはずだよね。明日から、姫様にはこれまで以上の護衛が付くって。当然、暗殺は難しくなる。明日からは…ね?」
「あ!」
 早苗が小さく首を傾げるのと、彩樹の顔から血の気が引くのはほとんど同時だった。
「バカ野郎! なんでさっさとそれを言わないんだっ!」
 早苗を思いきり張り倒してから、彩樹は部屋を飛び出す。
 やや遅れて早苗も起き上がり後を追うが、彩樹の方がずっと足が速いらしく追いつけない。
 彩樹は焦っていた。
 先刻からずっと、なにか気になって眠れなかったその訳が、今はっきりした。
 明日から護衛の数が増えるアリアーナ姫を狙うなら…
 今夜こそが、チャンスだった。



 彩樹はアリアーナの寝室へと走る。
 単なる思い過ごしであればいいと願いながら。
 しかし、アリアーナの寝所に続く回廊の入り口に立っているはずの衛兵の姿がないのに気付いて、その心配が杞憂ではないことを悟った。
 間に合うか…?
 彩樹は全力で走り、その勢いのままアリアーナの寝室の厚い樫の扉を後ろ蹴りで蹴破って中に飛び込む。
 室内は暗かったが、窓から差し込む月明かりの中に立つ男の影があった。
 その手に握られた短剣の刃が微かに光る。
 突然の闖入者にも怯む様子もなく、黒装束の男は手の中の短剣を彩樹に向かって投げつけた。
 狙い違わず顔にめがけて飛んでくる短剣を、彩樹は瞬きひとつせずに、わずかに顔を傾けて髪をかすめるほどの間合いでかわす。
 目を閉じたり、体勢が崩れるほど大きくかわすわけにはいかなかった。
 彩樹に隙ができることを見越した男が、もう一振りの短剣を手に彩樹に向かってきていたから。
 わずかに身を屈めた彩樹は、下からすくい上げるような横蹴り上げで短剣を持った手を狙う。
 不意に真下から手を蹴られて、男は思わず短剣を離す。
 手から飛び出した短剣は深々と天井に突き刺さった。
 彩樹は蹴り上げた脚を振り下ろす勢いを利用して身体を一回転させ、変形の浴びせ蹴りを男の顔面に叩き込む。
 そのまま、男と一緒に床に倒れ込みながら右腕で男の足を抱え込み、両足で相手の太股を挟み込んで極める。
 ヒールホールド、である。
 相手の膝を壊す危険が高いため、多くの格闘競技で禁じ手となっている技。
 彩樹が学ぶ北原極闘流でも公式試合では反則となるのだが、ケンカ好きの先輩が熱心に教えてくれたのだ。
 危険な技はすなわち、いざというときに役に立つ技だから、と。
 彩樹はまったく手加減しなかった。
 右脇で相手のつま先を抱え込むように挟み、空いている左手で踵をつかんで捻る。
 太股は両足でしっかりと押さえつけているため、力は膝に集中することになる。
 結果、女の力でも充分に大の男の膝を破壊することが可能なのだ。
 ゴギッ!
 鈍い音と共に、男が引き裂くような悲鳴を上げる。
 彩樹は足を離すと素早く体勢を入れ替え、男の鳩尾に全体重を乗せた肘を打ち下ろす。
 奇妙な声と共に、男は動かなくなった。
 ふぅ…
 そのまま床に大の字に寝転がった彩樹は、大きく息を吐き出した。
 全身の緊張が一気に解けていく。
 実際には彩樹がこの部屋に飛び込んでからまだ十秒もたっていないのに、何分も闘っていたような気がする。
 そうだ、あいつは無事か…?
 肝心なことをすっかり失念していたことに気付いてあわてて身を起こすと、ベッドの上に座っている人物と目が合った。
 相変わらず表情のない顔でこちらを見つめている。
「怪我は…ないか?」
 あまり気は進まなかったが、彩樹はそれでも声をかけてみる。
「ずいぶんと騒がしいことだな」
 アリアーナは抑揚のない声で言った。
 床に倒れて失神している賊をちらりと見て、また彩樹に視線を戻す。
「腕は悪くないようだが…もう少し静かにできないのか? これではおちおち寝てられん。わたしは夜が明ける前に目を覚ますのは嫌いなんだがな」
「ほぉ…?」
 彩樹は立ち上がった。
 口元は一応笑みを浮かべてはいるが、それは微妙に引きつった笑いだ。
 こめかみに血管が浮いている。
「そりゃ悪かったな。じゃあ、今度こんなことがあっても朝まで絶対目を覚まさないようにしてやるよ」

 彩樹からずいぶん遅れてやっと追いついた早苗と、どこで合流したのか一緒にやってきた一姫が見たものは…
 彩樹に殴られて、ベッドの上で気を失っている王女様の姿だった。
 彩樹の言葉通り、確かに彼女は朝まで目を覚ますことはなかった。 



 翌日、アリアーナの執務室には前日を上回る緊張感が漂っていた。
 早苗と一姫ははらはらしながら当事者二人を見ている。
 彩樹は腕を組んで無言で壁に寄りかかっているし、アリアーナはシサークの説明を聞きながら机の上の書類の山に目を通し、次々とサインをしている。
 二人は朝から一言も言葉を交わしてはいないが、常に一触即発の状態にあるように感じられた。
 アリアーナは時々、昨夜彩樹に殴られたところを手で押さえている。
 それに気付いたシサークが心配そうに訊いた。
「姫様、お加減でも…?」
「大したことはない。ちょっと頭痛がするだけだ」
「それはきっと寝不足でしょう。昨夜はあんなことがあったのですから無理もありません」
「あるいは、寝過ぎたかな。事件の後、必要以上に深い眠りについていたような気がする」
 アリアーナは皮肉たっぷりの口調で言った。
 早苗と一姫はひやひやしていたが、彩樹はまるで聞こえていないかのように無反応だし、シサークがその言葉の意味に気付いた様子もない。
 なにしろこの国の女王となるべき人物に二度も手を上げたのだから、下手をしたら処刑されかねないと心配していた二人だったが、アリアーナがそれ以上何も言わないのでほっと胸をなで下ろす。
 緊張の糸が張りつめた執務室に、一人の男がやってきたのはちょうどそんなときだ。
 書類の束を手に持った、三十過ぎの役人風の男である。
 早苗たちは見たことがないが、アリアーナとシサークは知っている人物らしい。
 そもそも、この部屋に通じる通路にも何人もの衛兵がいるのだから、出入りする人間のチェックはそちらにまかせておけばいい。
 不審人物が現れてからが三人の仕事だ。
「殿下、今年のニウェン地区の開墾に関する資料をお持ちいたしました」
「遅かったな、見せろ」
 アリアーナに促され、前に進もうとした男の腕を、いきなり彩樹がつかんだ。
 そのまま腕を後ろにねじりあげると同時に、左手で男の脇腹に掌底を打ち込む。
 男は呻き声を上げて倒れ、持っていた書類が床に散らばる。
 それと一緒に、一振りの短剣が床の上を転がった。
 早苗と一姫は息を飲む。
 シサークの表情が険しくなり、男の顔から血の気が失せる。
「たしか、ここへの武器の持ち込みは禁じられてるんじゃなかったっけ?」
 短剣を拾い上げながら彩樹が言う。
「まさか、貴様が…」
 シサークはすぐに衛兵を呼び、男を連行させる。
「姫様、あの男の処分はいかがいたします?」
 男が連れていかれた後で、シサークが訊く。
 それに対するアリアーナの答えに、そこにいた全員が一瞬耳を疑った。
「三日間の謹慎…というところだろうか」
 謹慎? 三日?
 王位継承者に対する暗殺未遂の罪が?
 早苗や一姫はびっくりした表情でアリアーナを見、彩樹も小さく眉を上げた。
「姫様、何を仰るんです? 姫様のお命を狙った者に対して…」
「じいこそ何を言ってるんだ? あの男の罪は、王宮内で許可なく武器を所持していたことだけだろう」
 確かにその通りだ。
 あの男は、表向きはそれ以上の罪を犯してはいない。
 しかしそれでは、『武器を持ち込んだ目的』を無視してはいないか?
 シサークは何か言いたげにしていたが、アリアーナはそれを押し止めた。
「まさか、あの男が自分の意志でこんなことをしたとは思っていまい? 仕事はできるが臆病なのがあの男の欠点だ。どうせ、誰かに脅されてきたに決まっている。あれを罰したところでなんの解決もならんぞ」
「しかし…」
「こんなつまらんことに割く時間があったら、さっさと根本的な解決策を考えたらどうだ? 職務怠慢だぞ、じい」
 アリアーナにそう言いきられては、シサークとしては頭を下げて引き下がるしかない。
(へぇ…、ただのわがままなお姫様ではないみたいだね…)
 早苗は心の中で、少しアリアーナを見直していた。
 アリアーナは感情を表に出さないし、早苗たちに対してもほとんど口をきかないのでどんな人物なのか計りかねていたのだが、二人の兄を差し置いて跡継ぎに選ばれたのには、それなりの理由があるのかもしれない。
 なんとなくそんな気がしてきた。
 横目で一姫を見ると、彼女も同じようなことを考えているらしい。
 なんだか、このお姫様に興味がわいてくる早苗であった。
「ところで…」
 席について、執務に戻ろうとしたアリアーナがふと思い出したように書類から顔を上げて言った。
「どうしてわかった?」
 早苗や一姫、シサークがその言葉の意味に気付くのに一瞬の間があった。
 アリアーナは、彩樹を見ている。
「誰でもわかるさ」
 彩樹はぶっきらぼうに答える。
「あれだけ殺気をぷんぷんさせてりゃ、な」
「大した嗅覚だ。イヌ並だな」
 ぴくっ
 彩樹のこめかみに青筋が浮き上がるのを見つけた早苗は、あわてて彩樹を部屋の外に連れだした。
 仏の顔も三度まで、という言葉もある。
 ここでまた彩樹がキレたら、彩樹とアリアーナ双方にとって不幸なことになるような気がしたからだ。
 アリアーナを刺客から護るよりも、彩樹から護ることの方が大変かもしれない。
 それが、早苗と一姫の正直な意見だった。



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