「彩樹さんて、ステキですわね…」
どことなく遠い目をして、一姫がつぶやく。
「う〜ん…、まあ、ステキといえばステキだけど…。いっちゃん、ひょっとして彩ちゃんに惚れた?」
早苗がからかうように言うと、一姫は顔を赤らめながらも、あわてて首を振る。
「そ、そういうんじゃありませんわ。ただ、彩樹さんてカッコイイし、強いし…」
頬を赤く染めた一姫は、どう見ても恋する少女の表情だ。
早苗は小さく溜息をついた。
「でも、彩ちゃんには気をつけた方がいいよ。彼女はホンモノらしいから」
「ホンモノっていいますと?」
「…正真正銘、ホントに男よりも女の子が好きってこと。それとも、いっちゃんもそういう趣味?」
「そんなことはない…と思いますけど…」
どことなく自信なさげな口調だ。
「彩樹さんには、憧れているだけですわ。だって、カッコイイじゃありませんか」
「確かに、客観的に見てカッコイイとは思うよ。でもね…」
「昨日も一昨日も、彩樹さんが一人で刺客をやっつけたし、今だって、交代を断って一人で姫様の護衛についているし…。もうカッコ良すぎですわ」
三人がいつも一緒にアリアーナの側にいるわけではない。
警護は二十四時間体制なのだから、交代で食事や休憩もとる。
今、早苗と一姫は二人だけで城の一番高い塔のてっぺんにいた。
早苗が無理やり引っ張ってきたのだ。
先刻からずっと、早苗は双眼鏡を覗いてなにかを探している。
一姫と会話しながらも片時も目を離さない。
「彩ちゃんは、あんまりウチらの手を煩わしたくないんだよ」
「それはつまり、わたくしたちが頼りにならないと?」
「だっていっちゃん、人を殺せる?」
双眼鏡から目を離して、一姫の方を見た。
一姫は言葉に詰まる。
「それは…だって…」
「姫様を護るということは、場合によっては姫様に危害を加えようとする者を殺さなきゃならないかもしれない。いっちゃん、そこまで考えてる?」
一姫は目をそらしてうつむく。
「いっちゃんの魔法は、この世界でだけ使えるもの。ウチの銃にしたって、向こうの世界で使っているのは所詮オモチャ。遊びでしかない」
傍らに置いてある愛用のMP5を手にして、早苗は言葉を続けた。
「でも、彩ちゃんは違う。彩ちゃんの空手は向こうの世界でも人を傷つけ、殺すことができる。
私やいっちゃんにとって今の状況はどこか現実離れした、まるでゲームの中にいるようなものだけど、彩ちゃんにとっては現実の延長。彩ちゃんだけは、もともと人を傷つけることの痛みを知っている…そうでしょ?」
「そこまで…考えませんでしたわ…」
深刻な表情で一姫はつぶやいた。
そうだ、自分はどこか遊び半分の気持ちでここにいるのではないか?
心の中で自問する。
人を傷つけること、
血を流すこと、
人を殺すこと。
そんなこと、できるはずないのに。
「自分の手で人を傷つけるのって、きっととても辛いことだと思う。よく言うじゃない。人を殴るってことは、殴った自分の手も痛いってことだって。彩ちゃん、ウチらにできるだけそんなことをさせたくないんだよ、きっと」
「彩樹さんて、強いだけじゃなくて、実はとても優しいんですね。わたくしたちのために…」
「ウチらのため…か、それはちょっと違うかもね。だって彩ちゃんは…」
そこまで言って、早苗は不意に口をつぐんだ。
うっかり、口を滑らしてしまった、という表情で。
「彩樹さんが…なにか?」
「いや、なんでもない。これはただの噂だから」
話題をそらそうとするかのように、早苗は双眼鏡に目を戻した。
それ以上話す気はないらしいと悟って、一姫も早苗から渡された双眼鏡を覗いたが、しかしその時になってやっと、肝心なことを聞いていないことに気が付いた。
「そういえば、先刻からなにを探していますの?」
「あれ、言ってなかったっけ…? あ、見つけた!」
「なんですの?」
「あそこ。西の宮の三階…左から二つ目の窓」
早苗が示す場所を一姫も双眼鏡で覗く。
ピントを合わせると、金髪の、若い男の姿が視界に入った。
年の頃は二十歳過ぎくらい…だろうか。
腰掛けているから正確なところはわからないが、背はかなり高そうだ。
肩にかかるくらいの金髪に、彫りの深い顔。
まあ、かなりの美形といっても差し支えない男だ。
しかし、
「ハンサムな方ですわね、わたくしはあまり好みではありませんが。なんとなく、キザっぽくはありませんか?」
「ちょっと性格悪そうかもね。いかにも悪だくみが似合いそうというか…アニメやマンガなら美形の敵役ってところだね」
二人とも好き勝手なことを言っている。
男は、お茶を飲みながら誰かと話をしているようだ。
相手の方は陰になって見えない。
「…で、あの方はどなたですの? まさか早苗さん、単に城内のハンサムを物色しているわけではないのでしょう?」
「いっちゃん、ウチをなんだと思ってンのっ?」
早苗が苦笑する。
「あれが、サルカンド・シリオヌマンだよ」
「サルカンドって…! じゃあ、あの方が姫様のお兄様ですの?」
「そう、この国の第一王子、間違いないよ。昨日フィフィールさんに肖像画を見せてもらったから」
本来ならば、王位に一番近いはずの人物。
そして、アリアーナの命を狙う理由が一番あるのも彼だった。
「さて、もう一人はどこかなっと…あ、いたいた。同じ西の宮の、いちばん右端」
早苗に言われて一姫が双眼鏡をずらすと、サルカンドより二〜三歳下と思われる、黒髪の男が視界に入る。
先刻の人物が第一王子のサルカンドで、早苗が「もう一人」ということは…。
「じゃあ、あれがシルラート殿下?」
「だね。第二王子シルラート・シリオヌマンだ」
シルラートは一人で、読書でもしているらしい。
サルカンドに比べると派手さはないが、よく見るとこちらもなかなかハンサムだ。
髪の色は漆黒で、金髪の兄とあまり似ていないのは母親が違うためだろうか。
その点では、アリアーナも二人の兄のどちらとも似てはいない。
「わたくしとしては、シルラート殿下の方が好みですわ。サルカンド殿下に比べると誠実そうではありませんか」
一姫はのんきにそんなことを言うが、早苗はその意見には賛成できなかった。
サルカンドは見るからに「美形の悪役」風だったが、シルラートはそれほどわかりやすい人物ではなさそうだ。
人物的には「サルカンドより優れている」という意見も多いらしい。
確かに外見は真面目そうに見えなくもないが、油断のできない人物のように思われた。
「ところで、こうしてお二方を覗いているのはどうしてですの?」
しばらく双眼鏡を覗いていた一姫が早苗の方を見ると、早苗は床に座り込んで、傍らに置いてあった大きな細長いバッグを開けているところだった。
「早苗さん…?」
「やっぱり、敵の親玉の顔くらいは見ておかないとね。闘いにはまず敵をよく知らなきゃ」
一姫に向かってウィンクすると、早苗はバッグの中から一丁の銃を取り出す。
大きな照準器のついた、近未来的なデザインのライフルだ。
「早苗さん…なんですの、それ?」
「スナイパーライフル・PSG―1。これも改造して魔光銃にしてあるんだ」
H&K社製・PSG―1、ドイツの対テロリスト部隊等で使用されているスナイパーライフルである。
早苗が持っているのはもちろん、日本で売られているエアーソフトガンだ。
百二十センチの全長と四キロを超える重量は女の子が扱うには向かないが、そのデザインの良さと性能の高さで、早苗のお気に入りの銃のうちの一丁だった。
早苗は銃に弾倉をセットすると、銃身の下のバイポット(二脚)を立てて床に置き、自身もうつ伏せになって銃を構えた。
「さ、早苗さん、何をするんですの? まさか…」
やや蒼ざめた表情で尋ねる一姫には応えずに、早苗はスコープを覗いた。
照準器の丸い視界の中に、シルラートの姿を捉える。
距離は百五十メートルを超えている。
四倍のスコープで見ても人間なんて豆粒ほどの大きさだ。
それでも、早苗には自信があった。
早苗たちの世界の本物の銃やエアーガンと違い、魔光銃のエネルギー弾は重力や風の影響を無視して完全に直進する。
早苗の腕なら外さないはずだった。
「早苗さん! いけませんわ、そんなこと…」
早苗は親指で安全装置のレバーを押し下げる。
「姫様を護る一番確実な方法がなんだかわかる? 先に、姫様を狙う者を排除することだよ」
「そんな…だって本当にサルカンド様やシルラート様が姫様に刺客を送ったのかどうか、わからないじゃないですか。…早苗さん!」
「動機がある、それで十分だよ。それに、彼らの存在が他の者たちにとっても動機になる。『王子』がいなければ姫様が狙われることもない」
早苗は引き金に指をかけた。
シルラートはこちらに横顔を見せて座り、本を読んでいる。
そのこめかみに照準の十字線を合わせる。
すぅっと大きく息を吸い込み、少し吐き出し、息を止める。
人差し指に力を込めて…その時、手がかすかに震えているのに気が付いた。
心臓の鼓動が激しくなっている。
人間の身体、特に左腕は鼓動の影響で完全に静止させることが難しい。
心臓が脈打つ振動が伝わるのだ。
運動の後などは特にそれが顕著になる。
クロスカントリースキーと射撃を組み合わせた競技、バイアスロンが難しい理由がこれだ。
早苗の額に汗が浮かぶ。
小さく歯ぎしりして、グリップの下を押さえていた左手を離した。
どうせ銃本体はバイポットで支えているのだし、これなら左手の支えはない方がいい。
もう一度照準を合わせ直す。
グリップを握った右手の掌が、じっとりと汗ばんでいた。
手が滑る。
どうして…。
額の汗が流れ落ち、目に入る。
どうして、こんなに…。
しばらく息を止めて引き金に指をかけていた早苗だったが、やがてその指を離すと、ふぅっと大きく息を吐き出した。
安全装置を元に戻し、銃を置いて起きあがる。
「とりあえず今日のところはこんなもんでいっか。こちらからいつでも先制攻撃ができるってわかったんだし」
そう言って笑う。
「あいつら、姫様のところに刺客を送り込んでるくせに自分たちは無防備だね〜。それとも、こっちの世界の銃ではこの距離の狙撃はできないからって油断してるのかな」
「脅かさないでください。早苗さんってば真剣な表情で、本当に撃つかと思ってしまいましたわ」
一姫もほっと安堵の息を漏らして笑みを浮かべる。
「まさか。万が一に備えてるだけだよ」
早苗は嘘をついた。
ライフルをバッグに戻す。
「さて、私は休憩時間だからちょっと寝るわ。いっちゃんは彩ちゃんのサポートお願いね」「はい…」
バッグを担いで塔の階段を降りていく早苗の姿を、一姫はなんとなく釈然としない表情で見送っていた。
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