五.〜彩樹・1〜


 今日は、いい天気だった。
 雲ひとつない快晴で、暑すぎず寒すぎず、初夏の気持ちのいい陽気だ。
 その日、王都の西のはずれにある闘技場は、大勢の人間で賑わっていた。試合を見に来た観客が大半で、残りは参加者とその従者たち。王都の貴族や市民ばかりではなく、遠方からやってきた人間も少なくない。
 表向きは、単なる武闘大会である。しかしその実態が、アリアーナ姫の婿選びであるということは周知の事実であった。
 当然、早苗も一姫も彩樹の応援に来ていた。場内を見ると、参加者は彩樹を除いてみな屈強な男たちである。一姫は不安になった。
「彩樹さん、大丈夫でしょうか…?」
「まあ、彩ちゃんなら心配はいらないと思うけど…ところで、この大会って武器も使っていいの?」
 早苗は、傍らに立つフィフィールに訊いた。選手の過半数が、剣や棍といった武器を手にしている。
「ええ。禁じられているのは射撃武器と、鎖などを使って離れた相手を攻撃する武器だけです」
 フィフィールが答える。彼女はどことなく不機嫌そうだった。せっかくアリアーナの婚約者を選ぶためにこの大会を催したのに、アリアーナが強引に彩樹を出場させたためだろう。
「木刀だけじゃなく、刃の付いた剣もいいの? それはさすがに危ないんじゃ…」
「出場者と試合場には、防護魔法がかけられています。怪我をすることはあっても、それが致命傷となることはまずありません」
 怪我だけでも充分問題あるのでは…。一姫はそう思ったが、この国の人たちはみな気にしている様子もない。この世界では、これが当たり前なのかもしれない。
「でも、素手の彩樹さんは不利ですわね」
「誰が、素手だって?」
 不安そうな一姫の背後から、自信に満ちた声がした。振り返ると、彩樹が立っていた。両手に、短い棒状の武器を持って。
「トンファー? 使えるの?」
「北原極闘流には、武器を使った戦闘術もあるのさ。ま、見てな」
 その時、大会の進行係が彩樹の名前を呼んだ。いよいよ一回戦だ。
 彩樹が試合場に立つと、観客席のあちこちから歓声が上がる。早苗がそちらを見ると、その多くは王宮で働いている女の子たちだった。彩樹のファンは、思っていた以上に多いらしい。もっとも、彼女たちは彩樹の性別を誤解しているようではあるが。
 考えてみれば、王宮内でも三人娘の正体を知っている者は一握りだ。何も知らなければ、彩樹を女の子と思うのは難しいかもしれない。なにしろ、その強さだけは尾鰭つきで国中に知れ渡っているのだから。
 続いて早苗は、対戦相手を観察した。
 なかなか良い体格をした二十代前半の青年で、剣を持っている。なんでも、隣国では名の知られた騎士ということだった。
 その男は、余裕のある笑みを浮かべていた。無理もない。外見だけなら、彩樹は華奢な美少年に見えなくもない。この国の民なら、何度もアリアーナの危機を救った彩樹の強さをよく知っているが、外国人ではそうもいくまい。見ただけで彩樹の真の強さを見抜くことは難しいだろう。
 試合開始の合図と同時に、男は突っ込んできた。彩樹の力を見くびって、一気に勝負をつけようという魂胆らしい。
 彩樹はその剣をぎりぎりで見切ってかわすと、滑るような脚捌きで間合いに入り込み、トンファーの先端で相手の手の甲を打った。男の手から剣が飛ぶ。
 それで勝負はついたも同然のはずだが、彩樹はまったく容赦なく、男の胴にトンファーを打ち込んだ。続けて、もう一方のトンファーも側頭部に叩きつける。
 男は血を噴き出しながら崩れ落ちたが、彩樹の動きはそれで終わらなかった。地面に倒れた相手に、真上から体重を乗せてトンファーを叩きつける。
 男の身体は小さく弾んで、それきり動かなくなった。救護班が慌てて駆け寄る。
「うっわ〜、えげつな〜」
 早苗は思わず顔をしかめた。最初の一撃で勝負はついていたのに、倒れた相手にとどめを刺すあたり、彩樹らしいといえばらしい。が、見ていて気持ちのいいものではない。まあ、彩樹が男相手に手加減しないのはいつものことだが。しかも今回は、これだけやっても相手が死なないのだから、彩樹としても遠慮なく欲求不満の解消ができるというものだろう。
 試合を終えた彩樹は、妙に上機嫌で戻ってきた。相手のダメージが大きければ大きいほど、試合後は満足そうにしていることを、早苗はこの一年で学んだ。彩樹は一姫が差し出したスポーツドリンクを手に、他の試合を見ている。
「手強そうな相手はいるか?」
 そう訊いてきた相手を、彩樹はじろりと睨む。いつの間にかアリアーナが側に立っていた。
「腕っぷしだけで、女王の夫の座を手に入れようって連中だぜ。弱い奴なんかいね〜さ」
 そう言うと、また試合場に視線を戻す。
「それでも、サイキの方が強いだろう?」
「まあ、たいがいの奴らよりは…な」
 試合に注目したまま、アリアーナの方を見ずに応える。これまで見てきた中に、何人か、気になる相手がいた。
「あの、棍を使う奴…あれは強いな」
「…彩樹さんとは、準決勝で当たりますわ」
 独り言のような彩樹の言葉に、大会のプログラムを手にした一姫が応えた。
「あと、仮面で顔を隠しているあの剣士…あれも油断できなそうな相手だ」
「彩ちゃんとは、決勝までいかなきゃ当たらないよ」
 今度は早苗が応える。
「で、二回戦の相手は?」
「…あの人」
 彩樹は視線をずらし、早苗が指差す先を見る。それは身長二メートル近く、体重百五十キロはありそうな巨漢だった。人間よりもむしろ、ゴリラとの方が遺伝子の共通点が多いのではないかと思われる男を見て、一姫が小さな悲鳴を上げた。



「ああ。あれはたしか、ティ・クランの大会で三連覇している男だな」
「ティ…クラン?」
 その男に見覚えがあるらしいアリアーナに詳しく訊くと、どうやらそれは、モンゴル相撲に似た組技主体の格闘技らしい。この地方の伝統的な競技なのだそうだ。
「あんなに大きな…。彩樹さん、勝てますの?」
「…これ、持っててくれ」
 彩樹は、青い顔をしている一姫の手に、自分のトンファーを渡した。
「え…?」
「これ、使わないの?」
 一姫と早苗が、二人そろって首を傾げる。アリアーナの顔にもかすかに訝しげな表情が浮かんだ。
 なにしろ、彩樹とその男では身長で三十センチ、体重は三倍も違う。向こうは素手なのだから、武器を持った方が有利だろうに。三人とも、彩樹の真意がわからない。
「例えば、これで思い切り殴ったとして、あの人間モドキが痛みを感じると思うか?」
「…ちょっとくらいは痛いんじゃない?」
 一応そうは言ったが、実のところ早苗もあまり自信はなかった。腕が、一姫の胴回りよりもずっと太いような体格である。骨格も見るからに丈夫そうで、木製のトンファーで殴ったところで、骨にひびすら入れられないのではないかと思われた。
 彩樹は、落ちついた足どりで試合場の中へと進んでいった。対戦相手の前に立って、その顔を見上げる。男が微かに笑った。子供が見たら引きつけを起こしそうな笑顔だ。
「お前みたいなチビが二回戦の相手か。棄権した方がいいんじゃないか? 防護魔法があっても命の保証はできんぞ」
 その言葉が聞こえているのかいないのか、彩樹はまじまじと男の顔を見つめると、肩越しに後ろを振り返った。
 後ろを見たまま、男に話しかける。
「お前、この大会の目的は知ってるのか?」
「当たり前だ。だからこそ、出場することにしたのだ」
「だからこそ、ねぇ…」
 どこか呆れたような声で、彩樹はつぶやいた。ようやく前を向くと、挑発的な笑みを浮かべる。
「お前の家には、鏡はないのか?」
 男は眉をひそめる。彩樹の言葉の意味がすぐには理解できない様子だ。
「その面で人間の女の子と結婚しようなんて、身の程知らずも甚だしいな。あいつはたしかに性格悪いけど、外見だけなら可憐な美少女だぜ? 釣り合いってもんを考えろよ」
 そこまで言われて、男ははっきりと怒りの形相を浮かべた。眉間に深い皺が寄り、ただでさえ怖い顔が、さらに当社比五割り増しくらい怖くなる。
「お前こそ棄権しろって。代わりにオレが、可愛いゴリラの美少女を紹介してやるから」
「人をゴリラ扱いするとは、失礼千万!」
「お前を人間扱いしたら、それこそ残りの全人類に失礼だって」
 ついに彩樹は声を上げて笑い出した。男の顔が怒りのあまり真っ赤になる。まさに赤鬼の如き形相だ。
 いきなり、その巨体に似合わぬ素速い動きでつかみかかってくる。
 彩樹は、避けずにそのまま立っていた。一姫が悲鳴を上げる。これだけの体格差があっては、掴まったら一巻の終わり…早苗も一姫も、そう思っていた。彩樹に勝機があるとしたら、掴まらないように動き続け、ヒットアンドアウェイで少しずつダメージを与えていくしかないだろう、と。
 しかし彩樹は男の突進をかわそうともしない。野球のグローブほどの大きさがありそうなごつい手が、彩樹の肩に掛かった…と見えた瞬間、男の動きが止まった。
 その場に、崩れるように膝をつく。
「バ〜カが!」
 彩樹が笑う。ちょうど、上段回し蹴りの高さに相手の顔があった。正確にこめかみを狙って、全体重を乗せた蹴りを叩き込んだ。
 地響きすら立てて、男が倒れる。
 それきり、ぴくりとも動かなかった。ただの一撃で。
 一瞬の沈黙の後、大歓声が会場全体を包み込んだ。
「彩樹さん、いったい何をしたんですの?」
 まだ会場中がざわめいている中を戻ってきた彩樹に、興奮した一姫が訊く。
「内緒だ」
「だって…あんな大きな相手を一撃なんて…」
「極闘流は、まだまだ奥が深いのさ」
 それだけを言って、彩樹は笑った。一姫はまだ納得した様子ではなかったが、それ以上追求はしない。
「彩ちゃんてば、怖いコトするね〜」
 その場を立ち去ろうとした彩樹の背中に向かって、早苗が言った。彩樹はわずかに目を見開く。
「さすがに、お前は見えてたのか」
「当然」
 サバイバルゲームマニアで『女デューク東郷』の異名を持つ早苗である。鈍い一姫と違って、動体視力は優れている。
 だから、見えていた。
 あの大男の手が触れる瞬間、彩樹は相手の喉仏を親指で突いたのだ。
 人体には、どんな頑丈な肉体の持ち主であっても鍛えようのない急所がいくつかある。そのうちのひとつだった。
「防護魔法がなかったら、死んじゃうよ?」
「そのための極闘流さ。人ひとり殺せなくて、なんのための格闘技だ?」
「…」
 今日はもう彩樹の試合はない。早苗は、会場を後にする彩樹に続いて、小さな声で訊いた。後ろにいる一姫には聞こえないように気を配って。
「…彩ちゃん、その…人を、殺したこと…あるの?」
 戸惑いがちの問いに、彩樹は無言で笑ってみせた。
 それは、人食い虎を連想させる危険な雰囲気を漂わせた、獣の笑み。
 彩樹は言葉ではなにも言わなかったが、少なくとも早苗には、それは否定の表情…には見えなかった。




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