札幌市南区奏珠別にある北原極闘流空手の道場は、息が詰まるような熱気に包まれていた。
 なにしろ真夏の午後である。一応は空調の効いている建物とはいえ、焼け石に水、という程度の効果しかない。
 これでは稽古している者たちは大変だろう、と早苗は思った。道場の隅に座って見学しているだけでも、じっとりと汗ばんでくるのだから。
 それでも。
 たとえ室温が耐え難いほどに高かったとしても、彩樹が空手をしているところを見るのは好きだった。だから、夕方から一緒に遊ぶ約束をしていたものを、少し早めに道場まで迎えに来たというわけだ。
(やっぱり、カッコイイな)
 思わず彩樹に見とれてしまう。
 精悍な、野性味溢れるそのルックスに加え、一部の無駄もない、完成された芸術品のような動き。
 見ていると、感動のあまり溜息が出てくる。
 たとえ、その正体が女たらしでサドで鬼畜だとわかっていても。
(あれで性格がもう少しまともならね……)
 ついつい、無駄なことを考えてしまう。しかし、あの性格は今さら変えられまい。
 それでも稽古中は、もっとも「シリアスでカッコイイ」彩樹を見られる時だった。
 だから、ここに来てしまうのだ。
 彩樹は今、女子部の後輩の指導をしている。最近まで女子部と少年部の指導員をしていた進藤沙紀という先輩が、就職して東京へ行ってしまったため、女子では実力ナンバーワンの彩樹が、女子部の面倒を見ているのだそうだ。
 こうして見ていると、普段の彩樹からは考えられないくらい真面目に指導をしている。なんだかんだいっても、やっぱり空手が好きなのだろう。
 しかしやがて、早苗は「おや?」と思った。
 後輩の型がおかしい部分を指摘する際、妙に身体に触れる回数が多くはないだろうか。
(……やっぱり)
 考えてみれば、合法的に後輩の女の子に触れるチャンスである。あの彩樹が逃すはずはない。
 早苗は呆れて肩をすくめた。



 その夜、早苗は彩樹の家に泊まった。
 彩樹の親は夜の仕事だから、夜遊びには都合がいいのだ。夜中過ぎまで騒いでいても、お酒や煙草をいたずらしても、怒られる心配もない。そしてもちろん、もっと「イケナイ」ことをしていたとしても。
「やっ……あぁんっ!」
 彩樹のベッドの上で、早苗が身体を捩る。
 大きな胸が揺れる。
 特大のゼリーのようにぶるんと震える乳房を、彩樹の手が乱暴に掴んだ。
 指が食い込むほどに強く揉まれる。
「んっ……やぁ……」
 健康的に日焼けした身体の中で、その部分だけが白く水着の跡を残していた。しかし胸の大きさと比較すると、水着が覆っていたと思われる面積はずいぶんと狭い。
 それは、彩樹のせいだった。
 早苗はこの夏、何度も彩樹と海やプールへ行ったのだが、夏の初めに彩樹が買ってくれた水着は、健全な女子高生としては少々過激なデザインだった。
 しかしいくら恥ずかしくとも、彩樹と海に行く時には買ってもらった水着を着ないと怒られてしまう。早苗は泣く泣く、彩樹の目の保養に協力してきたのだ。
「あ……ふぅ、んっ!」
 小麦色の部分と白い部分の境界線上に、彩樹の唇が押し付けられる。
 そのまま、強く吸われる。
 抑えようにも抑えきれない声が、身体の奥から漏れてしまう。
 彩樹の下から逃れようとしても、がっちりと組み伏せられていてはどうにもならない。
「だめぇ……。明日はいっちゃんとプールに行く約束してるんだからぁ。キスマークつけないでよ……」
「ヤダ」
「もぉ……」
 早苗は頬を膨らませる。
 彩樹はサドで、意地悪だ。早苗が嫌がることほど、喜んでしようとする。
 嫌がること、抵抗すること、泣き叫ぶこと。
 そんな反応がすべて、彩樹を悦ばせてしまう。
 結局、どうあがいたところで彩樹には敵わないのだ。体力、経験、そして性格。早苗が勝てる要素などまるでない。
 早苗は諦めの気持ちで、彩樹に身体を委ねることにした。
 しつこく胸を責め立てていた唇が、やがて下へ移動を始める。大きな膨らみの上に、いくつも朱い痕を残していく。
 胸ばかりではなく、お腹の上にも。
 そして、もっと下にも。
 下半身の、逆三角形をした白い日焼けの跡に、キスマークがひとつずつ増えていく。
 それにつれて、早苗の声が少しずつ大きくなっていく。
「ふ……うぅんっ、あ……」
 指が、そこに触れる。
 ゆっくりと、かき回すように。
 中へと入ってくる。彩樹の長い指が、一番深い部分まで。
 身体の内側から、早苗を弄ぶ。
「くっ、うぅんっ! う……、んっ!」
 どんなに抑えようとしても、声が漏れてしまう。早苗の身体は悦んで彩樹を迎え入れ、その愛撫に応えている。
「あぁぁっ!」
 身体が仰け反る。
 すごく、気持ちがいい。
 やや乱暴な彩樹の指使いが、しかしたまらなく気持ちいい。
 何度されても、飽きることがない。されればされるほど、より気持ちよくなってくる。初めての時は、痛くて泣いてしまったというのに。
(初めての時……かぁ)
 もう、ずいぶん前のことのように感じるが、実際にはまだ半年と経っていない。
 それは、今年の春のこと。
 中学生の時に彩樹と知り合って以来、数え切れないくらい押し倒されて、それでもなんとか抵抗を続けてきたけれど、ついに押し切られてしまった。
 彩樹のことは好きだったけれど、できれば初めては普通に「好きな男の人」であって欲しかったのに。その後なら、ちょっとくらい彩樹の相手をしてもイイかな、なんて思ってたのに。
 結局、彩樹に奪われてしまった。
 そのせいだろうか。以前よりももっと彩樹のことが愛おしい。
(ウチの初めての人、だもんなぁ……)
 こんなことなら、さっさとシルラートに抱かれてしまえばよかっただろうか。しかし彼が相手だったとしても、「普通の」シチュエーションではないことには変わりない。なにしろ異世界の王族で、王位継承権第一位の人物で、ついでにいえば巨乳フェチだった。
 もちろん今では、彼とも肉体関係がある。彩樹との初体験のすぐ後で、「一度やったら二度も三度も一緒」とシルラートともしてしまった。
 それから四ヶ月。二人との関係は今も続いている。
 どちらも好きで。
 どちらに抱かれるのも、それぞれすごく気持ちよくて。
(ウチってひょっとして、二股がけの悪女? ……なーんてね)
 健全な女子高生としてはあんまりいいことじゃない、と思ってはいてもやめられない。それに「健全な普通の女子高生」のままでは、彩樹とは対等に付き合えないのだ。


「あーあ、もう。すっかり、彩ちゃんなしではいられない身体にされちゃったなー」
 事が終わって、裸のまま抱き合って余韻に浸っていた時、早苗は彩樹の頬を指先でつついて、冗談めかした口調で言った。
「責任取ってよね、彩ちゃん」
「いいよ」
 彩樹はごくあっさりと応える。
「んじゃ、オレと結婚するか?」
「……はぁ?」
 あまりにも予想外の回答。早苗は呆れ顔で訊き返した。
「……ここは日本で、ウチも、一応彩ちゃんも、どっちも女なんだけど?」
 たとえ、外見も性格もまるで女らしくないとしても。
「そうだなぁ。オランダやドイツの国籍って、どうやったら取れるんだろ」
「……って、マジな顔して言わないでよ!」
 もちろん冗談だとは思っているが、彩樹が真顔なのでつい赤面してしまう。
 もっとも、女ったらしの彩樹のこと、どんな大ボラだろうと歯の浮くような口説き文句だろうと、顔色ひとつ変えずに口にすることができるのだろう。
 それはわかっていても、やっぱり動悸が激しくなる。
「イヤか?」
 急に真剣な顔をして言うから、ドキッとしてしまう。
「イヤじゃないけど……、彩ちゃんてば、心にもないことを」
「心にもない?」
「本当に好きな相手は、他にいるくせに」
「……」
 彩樹の眉がぴくっと動く。その表情の変化に気付いた早苗は、自分が地雷を踏んでしまったことを悟った。彩樹はいくつも、他人には触れられたくないことを抱えている。口元に、危険な笑みが浮かんでいた。
「早苗?」
「……いや……まあ、その、ね?」
 早苗は引きつった愛想笑いを浮かべて、ベッドの端へと後退る。彩樹がじりじりと近付いてくる。
 絶体絶命のピンチだった。彩樹を怒らせてしまった。
 しかし、心のどこかで奇妙な満足感も覚えていた。彩樹の前で地雷を踏める人間はそうそういない。そのわずかな人間の一人であることが、早苗はなんとなく嬉しかった。
「……まだまだ夜は長いよなぁ、早苗?」
「あ、あはは……そ、そんなこと。明日は朝早いし、そろそろ寝ようかなぁ……なんて」
「させると思うか?」
 彩樹の手が伸びてくる。肩をがっちりと掴まれた。
「今夜は、極太の刑」
 低い声で宣言する。
「やぁぁぁっ! 極太はイヤぁっ! あれ、痛いの!」
「じゃ、後ろか?」
「お、おしりはもっといやぁぁぁっっっ!」
 力強い腕が、早苗を乱暴に引き倒す。彩樹のもう一本の手は、どこから取り出したのか長いロープを持っていた。



「ふあぁぁぁ……」
 早苗は大口を開けて欠伸をした。それでも、眠気は去る気配を見せない。
「早苗さん、眠そうですわね」
 隣を歩いている一姫が、不思議そうに訊いてくる。
「ん……そーだね……眠い……」
 昨夜は結局、ほとんど眠らせてもらえなかったから。
 一晩中、彩樹に「あんなこと」や「こんなこと」をされていたから。
 まだうっすらと縛り痕が残っている手首や下半身のごく一部が、ひりひりと痛んだ。できれば今日は一日ゆっくりと眠っていたいところだったが、一姫とプールに行く約束をしていたのでそういうわけにもいかない。
「早苗さん、そんなに夜更かししていたんですか? 何をしていたんですの?」
「え……いや、ちょっとね……遅くまでビデオ観てて」
 早苗は嘘をついた。正直に「朝まで彩樹と一緒にいた」と言えば一姫はやきもちを妬く。彩樹と早苗の関係は彼女も知っているし、自分だって彩樹に抱かれてはいるのだが、それでも面白くないのが乙女心というものなのだろう。
「……あれ?」
 のんびりと歩いてプールへと向かう途中、何気なく横を向いたら彩樹の姿が目に入った。
 公園の芝生の上、ちょうど木陰になっているところで昼寝をしている。
 彩樹は一人ではなかった。女の子の膝枕で眠っている。
(あの子……)
 遠目にもわかる、綺麗な女の子だった。
 ストレートの長い髪が美しく、全身から上品なオーラが漂っている。二十一世紀になって数年が過ぎた今日では絶滅危惧種に指定されているという「良家のお嬢様」といった雰囲気だ。
 その少女は静かに微笑んで、眠っている彩樹の髪を優しく撫でている。
(……ほら、やっぱり)
 本当に好きな相手は、他にいるくせに――早苗が昨夜言った通りだ。
 あの子こそが、彩樹の「特別」だった。
 名前は知らない。彩樹は「栞」と呼んでいたが、それも本名ではないらしい。本人に訊いても名前を教えてくれないから勝手な名前で呼んでいる、と言っていた。
 わかっているのは、遠くに住んでいて時々奏珠別に遊びに来るらしい、ということだけ。
 だけど、あの子が彩樹の「特別」。
 あの子と一緒にいる時の彩樹は、普段とまるで雰囲気が違う。今だって、あんなに穏やかな表情で眠っているではないか。
(……)
 早苗は、なんだか面白くなかった。
「……ちぇっ」
 つい、声に出して舌打ちしてしまう。それで、一姫も気付いてしまった。笑っていた顔が、見る間に不機嫌そうになる。
「彩樹さんってば、また!」
 その変化は、まるで釣り上げたフグのようだった。小さな一姫の顔が、ぷぅっと丸く膨れる。
 のほほんとしたお嬢様の一姫だけれど、彩樹のことになるとすごいやきもち妬きなのだ。
 実際のところ、妬いているのは早苗も同様だった。しかし一姫ほど素直に顔に出る性格ではないし、まだその感情を認めることにも抵抗がある。
 確かに、彩樹のことは好きだけれど。それでもやっぱり、恋愛は普通に異性としたいと思う。自分に同性愛の趣味があるなんて、認めたくはない。
 とはいえ……。
 やっぱり悲しい……いや、違う。悔しいのだ。
 彩樹のことを一番理解しているのは自分だと自惚れていた。
 一姫や、他の取り巻きの女の子たちよりもずっと、彩樹の本当の姿を知っている。知っていて、それでも彩樹を受け入れている、と。
 しかし彩樹にとっての「一番」は、あの子なのだ。
(ずるいや。顔が翠さんに似ているからっていうだけで……)
 そう。
 あの子は彩樹の姉に似ていた。
 五年前に亡くなった、彩樹のたった一人の姉。
 詳しい事情は早苗も知らない。それでも、彩樹が姉の死に妙にこだわっていることだけはわかる。それが、彩樹のあの性格の形成に関わっているということも。
 だから、翠によく似たあの少女は「特別」なのだ。
「行きましょ、早苗さん」
 いつの間にか立ち止まっていた早苗の手を、一姫が引っ張った。これ以上、他の女の子と仲良くしている彩樹を見ていたくないのだろう。ぷぅっと膨れて、強引に早苗を引っ張っていく。
 早苗は無言で後に続いた。



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