「久しぶりだな」
アリアーナは相変わらずの無表情で、口調も素っ気なかった。しかしこれはいつも通りの彼女の態度であり、彩樹たち三人の来訪に対してことさら特別な感情を持っているわけではない。
むしろアリアーナは、三人娘が王宮を訪れることを歓迎しているようであった。同世代の対等の友人を持たない「女王」という立場にあるから、マウンマン王国に対するしがらみのない三人娘の存在は貴重なのだろう。
「……で、なんの用だ?」
見るからに不機嫌そうな彩樹が訊く。こめかみに青筋を浮かべているその表情は、まるで『不機嫌』という題の彫像のようだ、と早苗は思った。メイドが持ってきたお茶を喉に流し込みながら、アリアーナを睨め付けている。
しかしこれもいつものこと。アリアーナを前にした彩樹は、いつもこんな調子だ。
早苗と一姫は、ちらっと顔を見合わせて肩をすくめる。久しぶりに会ったのだから、もう少し愛想よくすればいいのに、と。
本当に、久しぶりだった。
自分たちの世界では夏休みだから、その気になれば毎日だってこちらに来られる。が、女王であるアリアーナは忙しい身だ。気軽に遊びに来るというわけにはいかない。
今日は、久しぶりにアリアーナに呼び出されたのだ。「見せたいものと、そして大事な話があるから必ず来い」と。
そして、「サイキはたとえ女の子とベッドの中にいようとも連れてこい」という念のいったお達しだった。先に合流した早苗と一姫が迎えに行くと、彩樹は後輩の女の子相手にまさしくその通りの光景を繰り広げていて、二人は文句を言う彩樹に何発か殴られながら、それでもなんとか連れてきたのだ。彩樹の不機嫌はそのためである。
しかし、アリアーナが「至急」と言うからには、何か重要な用事があるのだ。急いで行かないわけにはいかない。
「詳しい話は現地でしよう。まずは移動だ」
アリアーナの隣に立っている異母兄のシルラートが、早苗に色目を使いながら言った。
「オレは帰る」
王宮の中庭に用意されていた「移動手段」を見るなり、彩樹の顔色がさっと青ざめた。
有無を言わさず、そのまま回れ右する。
そこにいたのは、大きな……というか、巨大な二頭の動物だった。外見は、太古の翼竜によく似ている。
飛竜。この世界で、長距離かつ緊急の移動に用いられる家畜である。見るからに恐ろしげな外見をしているが、その割に知能は高くて大人しく、人によく慣れる。ただし、極めて数が少ないため、飛竜を所有できるのは王族と、ごく一部の有力貴族に限られていた。
そして。
これが、彩樹の唯一の弱点である。
彩樹は別に、飛竜そのものを恐ろしがっているわけではない。喧嘩であれば、たとえ相手がティラノサウルスだろうとゴジラだろうと、敵に後ろを見せる彩樹ではない。
問題は飛竜の能力と、それを活かした用途なのだ。
彩樹は、重度の高所恐怖症だった。
最新のジェット旅客機でもダメなのに、まともに風を受け、羽ばたき、眼下の見晴らしのいい飛竜などもってのほかだという。
その気持ちは、早苗たちも分からないでもない。平成の時代の日本で生まれ育った女子高生にとって、飛竜は決して乗り心地のいい乗物ではない。しかしそれ以上に、竜の背に乗っての飛行というのは刺激的で魅力的な体験であり。嫌がっているのは彩樹一人だった。
しかし、急いで遠くへ移動するなら他に選択肢はない。
止めようとする早苗と一姫を無視して城内へ戻ろうとした彩樹だったが、十歩ほど歩いたところで、その場に崩れるように倒れてしまった。
一姫が慌てて駆け寄る。見ると、早苗は地面の上で寝息を立てているではないか。
「こうなると思っていた」
抑揚のない声でアリアーナが言う。
「だから、サイキのお茶に一服盛っておいた」
「……はあ」
早苗は感心しつつも呆れたような溜め息をついた。さすがはアリアーナ、彩樹の性格をよく把握しているし、やることに容赦がない。
意識のない彩樹をシルラートが担ぎ上げ、飛竜の背に取り付けられた座席に乗せる。御者席にはアリアーナが座り、一姫が彩樹の隣に腰を下ろす。
ここにいる五人で飛竜を操れるのはアリアーナとシルラートだけ。早苗は否応なしに、シルラートと二人でもう一頭の飛竜に乗せられた。巨乳フェチのシルラートは、早苗が大のお気に入りなのだ。
飛竜の背に乗っての旅は、三時間以上も続いただろうか。着いたのは、マウンマン王国の属国だという小国の都市だった。
郊外に、シルラートの別荘があるのだという。
別荘に到着する直前に目覚めた彩樹はいうまでもなく不機嫌だったが、出迎えたメイドが胸の大きな美少女だったのですっかりご機嫌になっていた。
しかし早苗はちょっとばかり複雑な気分だ。メイドのプロポーションからも、雇い主の趣味が伺える。
「サイキ、なんだったら、今夜は彼女と一緒に寝てもいいぞ」
シルラートが言う。彩樹の目がキラリと光った。
「いいのか?」
「ああ、私は今夜、サナエがいるからね」
「勝手に決めないでくださいよ!」
当事者を無視して話が進むので、早苗は一応文句を言う。別に、シルラートと寝室を共にすることが嫌なわけではないが。
しかし。
「つまりシルラート様は、普段はあの子と一緒に寝ているんですね?」
瞬間、シルラートの動きが一瞬固まった。
「あ……いや……ここには滅多に来ないし……」
しどろもどろに言い訳するシルラートを、早苗が軽く睨む。もとより、本気で怒っているわけではない。早苗だって、自分の世界では彩樹と『浮気』しているのだから。
屋敷で一休みした後、一行は馬車で外出した。
街の中心部へと向かって行く。行く手に、大きな建物が見えてきた。
「あれが、この街一番の名所の闘技場だ」
「闘技場?」
彩樹の眉がぴくりと動く。
「……って、古代ローマにあったような?」
「ローマ? ああ、この間読んだ本に載っていたな」
早苗の質問に、アリアーナがうなずいた。彼女は最近、早苗たちや知内に頼んで入手した、向こうの世界の書物を読むのを楽しみにしている。
「まあ、似たようなものだな。貴族や裕福な商人たちが、自分が所有している闘奴を闘わせている」
「ほぉ」
彩樹が興味ありげに身を乗り出してきた。なにしろ根っからの格闘技好きだ。気にならないわけがない。
「特に、ここの闘技場は変わっていてね」
シルラートが後を続ける。
「大陸中から好き者たちが観戦にやってくる。この国の重要な収入源だ」
「変わって?」
「女性の闘奴ばかりで運営している闘技場は、大陸中を探してもここだけしかない」
「なんだって?」
彩樹の目に、先刻までとは違った光が現れる。格闘技好きである以上に、根っからの女好きなのだ。
いつものこととはいえ、早苗と一姫は呆れ顔で見つめていた。
闘技場では、当然のようにVIP席に案内された。
とはいえ、本当の身分を名乗っているわけではない。さすがに、宗主国の女王と王兄が揃って来ているとなると大騒ぎになってしまう。アリアーナは薄いベールで顔を隠して、外国から来た貴族のふりをしていた。
「おお、やってるやってる」
彩樹が目を輝かせて、一番前の席に陣取った。試合場の中では、二人の女性が取っ組み合っている。
「サイキは、こういうのが好きだろう?」
「いいな。どうしてもっと早くに連れてきてくれなかったんだよ」
観客席も盛り上がっている。貴族ばかりではない。むしろ客層は一般市民の方がはるかに多い。
実際の試合を目にして、早苗にも妙な盛り上がりの理由がわかった。男性の試合とは、また違った楽しみがあるわけだ。
なにしろ、闘っている女性はどちらも、ビキニの水着に似たひどく露出の多い衣装である。女子プロレスよりもよほど過激だ。あれでは、試合中に外れてしまうことも多いのではないだろうか。もちろん、観客にとってはその方が楽しいのだろう。
試合そのものよりも観客席を観察していた早苗は、もう一つ気がついた。どうやら、試合は賭けの対象になっているらしい。いってみれば、競馬や競艇のようなものだろうか。
(お色気とギャンブル……そりゃウケるよなぁ)
同性としては顔をしかめてしまうところだが、まあ理解はできる。
それに、同性であるはずの彩樹が大喜びで観戦していることであるし。
「闘奴……って言いましたよね? あの方たち、奴隷ですの?」
一姫が眉をひそめて訊く。アリアーナは相変わらずの無表情でうなずいた。
「そうだな」
「そんな……」
「いいところも悪いところもあるとは思うが、ここは総合的に見てサイキたちの世界ほど豊かなところではない。貧しい国を援助するような、世界規模の組織もない。こうしてでも生きていかなければならない者たちもいる。それは仕方のないことだ」
「あ……」
確かに、そうだ。
早苗たちの世界でだって、奴隷制度はそれほど古い歴史ではない。実際、そうしなければ生きていけない者は存在するのだ。
戦争の捕虜。
貧しい農村で不作の年に売られた子供。
そして、奴隷の親から産まれた子。
人権とか福祉とか、それは結局のところ、豊かな者だけが口にできる贅沢な言葉かもしれない。
「一朝一夕には変えられん。明日は今日よりは少しでも良く……少しずつ変えていくしかない。この世界に生まれた以上、そうするしかない。この闘技場も、この世界の一部だ。だが、そうではない者もいる」
「え?」
意味深な台詞に、早苗は首を傾げた。しかしアリアーナはそれきり黙ってしまった。
代わりに、シルラートが楽しそうに言う。
「そろそろ、いい闘奴が出てくるぞ」
「詳しいんですね。しょっちゅう見に来てるとか?」
「あ……いや」
早苗は軽く皮肉を口にした。シルラートの女好きは既知の事実だから今さら気にすることではないのだが、こういう時は少しやきもちを妬いてみせるのが、惚れられている女の子の役目だと思っている。
「……試合構成はプロレスと一緒か」
試合の合間に、彩樹が振り返る。
「最初は前座の試合。途中、人気中堅レスラーによる見せ場があって、最後はトップ選手同士の対戦ってわけだ」
「まあ、そんな感じだな」
「で? 今度出てくるのはどんな女なんだ? お前好みの巨乳か?」
「いいや、きっと君好みだろう、サイキ。次の娘がいま売り出し中で、なかなかの人気なんだ。よく見ておくといい」
「……?」
先刻のアリアーナ同様、シルラートも意味深な表情を浮かべていた。試合に夢中の彩樹は気付いていないらしいが、早苗は奇妙な感覚を受けていた。
アリアーナもシルラートも、どうやら彩樹をここに連れてくるのが目的だったらしい。
しかし、何故?
早苗の疑問は、大きな歓声で打ち消された。
観客がさらに盛り上がっている。連呼している二つの名前は、次の試合に登場する闘奴の名だろうか。
割れるような歓声に包まれて、黒いマントを身にまとった女性が現れた。
一目見て、早苗も納得する。なるほど、あれなら人気も出るだろう。
長い黒髪をなびかせて颯爽と歩くその姿は、遠目にもかなりの美人だとわかる。背は高めでスタイルもいい。その上で、バランスの取れたスポーツ選手のような身体つきである。外見だけでなく、運動能力もなかなかのものだろうと伺える。
「あの人が、人気の闘奴?」
「いいや。確かに彼女は以前から人気あるけどね。いま一番の売り出し中は、その対戦相手だ」
「……相手?」
「ほら」
シルラートが指差した方を見る。
「えーっ?」
早苗と一姫が揃って声を上げた。
それは、小柄な女の子だった。女子としては平均的な身長の早苗よりも、ずいぶんと小さくて華奢に見える。年齢的にも早苗たちより下ではないだろうか。
しかも、どちらかといえば内気な雰囲気があった。これまでの闘奴は、個人差はあれ全体的に体育会系の雰囲気を持っていたのとは対照的だ。
全体的に線が細く、髪は短めだ。幾分、おどおどしているようにも見える。
「あんな子が……闘奴? 売り出し中ってことは強いの? あんまり、そうは見えないけど」
「強いよ。そのギャップが人気の秘密なんだ」
「へぇ……」
あまりにも場違いな雰囲気の少女に気を取られていた早苗は、彩樹が表情を強張らせて急に黙ってしまったことに気付いていなかった。
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