「すごーい。あんなにぼろぼろなのに、ついに勝っちゃったよ、あの子」
 早苗は素直に感心していた。あるいは感動といってもいい。
 相手の反則で絶体絶命のピンチに追い込まれて、それでも傷だらけの身体で立ち上がって、ついには奇跡の逆転勝利をものにしたのだ。涙が出そうなほどに感動する。
 観客の多くも、早苗と同じ思いであるらしい。場内は割れんばかりの歓声に包まれている。
「な、盛り上がるだろう、あの子の試合は。しかも今回は相手が相手だからね。清純派のアユミがよけいに引き立つ」
 シルラートが可笑しそうに言う。
「……うん、恰好いいね。華奢だけど、技は綺麗だし。そういえば、構えとか突きや蹴りの形とか、ちょっと彩ちゃんに似てない?」
 仲間に肩を貸してもらって退場していく少女を見送りながら、早苗はつぶやいた。
「あんなずるいことをする人は、負けて当然ですわ」
 アユミがいたぶられている最中、泣きそうな顔をしていた一姫が、ようやく笑顔を見せる。
「でも、最後に勝てたのは彩樹さんのアドバイスのおかげですわね。……彩樹さん?」
 返事がないのを訝しんだ一姫が、彩樹の顔を覗き込む。
 早苗も、この時になってようやく気付いた。
 彩樹が、奇妙に引きつった表情を浮かべている。ぎゅっと握りしめた拳は、力の入れすぎで白くなっていた。
「どうして……どうして……」
 震える唇で、微かにつぶやいている。
「……彩ちゃん?」
 早苗の呼びかけにも反応がない。傍目には、全身が強張っているように見える。
「わかったろう、サイキ。どうしてここに連れてきたのか」
 背後から、アリアーナが淡々と言う。
「どういうことだっ!」
 なんの前触れもなしに、突然彩樹が爆発した。振り返って、アリアーナをきっと睨みつける。
「どうしてっ、どうしてあいつがこんなところにいるんだっ?」
 噛みつくようにアリアーナに詰め寄り、その肩を乱暴に掴んだ。しかりアリアーナは表情を変えない。
 早苗と一姫が目を丸くして、彩樹とアリアーナを交互に見る。
「姫様……? 彩ちゃん? 彩ちゃん……あの子、知ってるの?」
「知ってるかだって? 冗談じゃないっ!」
 彩樹の怒りの矛先が、今度は早苗に向けられる。
「あいつは……歩美は、半年前に失踪した、オレの後輩だっ!」



(あの声……似てた)
 朦朧とした意識の中で、アユミは考えていた。しかし医者に飲まされた痛み止めの薬のせいだろうか、頭がぼんやりとして考えに集中できない。
 レディ・マレイアはやや歪んだ趣味の持ち主であるとはいえ、闘技と、自分の闘奴を愛していることは確かだった。試合で怪我をすれば腕のいい医者に診てもらえるし、食事だって栄養のあるものが充分に与えられている。
 彼女の眼鏡にかなう容姿と才能の持ち主はほんの一握りではあるが、それだけに闘奴としてはかなり恵まれた環境にあるといえなくもない。夜、ベッドの中で行われることに関しては、他の主人たちだって似たようなものなのだ。
 だからといって、それが慰めになるわけではない。アユミはベッドの中で涙を流していた。
 傷が痛むわけではない。今は薬が効いていて、神経が麻痺している。しかし痛み止めの薬は、心の痛みまで取り除いてくれるわけではない。
 アユミはいつまでも涙を流し続けていた。
 胸の奥が、刺すように痛い。
 久しぶりに、思い出してしまったから。
 自分の故郷のことを。
 そしてなにより、愛しい人のことを。



 あの夜。
 通っていた空手道場に忘れ物をしたことを、家に帰ってから気が付いて、取りに戻った夜。
 冬のことだから外はもう真っ暗だったが、極闘流の道場の一室には明かりが灯っていた。
(よかった。まだ誰かいるみたい)
 歩美はほっと胸を撫で下ろした。忘れ物は明日提出の宿題だから、既に道場の鍵を閉められていたら困ったことになるところだった。
(……でも、こんな遅くまで誰が?)
 もう、青年部の最終組の稽古も終わっている時刻のはず。大会前でもないのに、居残り稽古をしている者がいるのだろうか。
 興味を引かれて、更衣室に行く前に練習場を覗いてみた。
 そこには、こちらに背を向けて、一人で黙々と稽古を続ける先輩の姿があった。
「……彩樹先輩」
 小さな声で、その名をつぶやく。頬がぽっと熱くなったように感じた。
 静内彩樹。
 歩美の二年先輩で、全国大会でも圧倒的な強さで優勝している高校女子のチャンピオンだ。
 女子部の中学生、高校生の憧れの的でもある。
 すごく格好いい。
 すらりと背が高くて、前髪だけを目にかかるまで伸ばしたショートヘアで、獲物を狙う肉食獣のような鋭い目をしていて。
 ぱっと見には精悍な美少年にしか見えない。
(やっぱり、格好いいな……)
 練習場の入り口で、歩美は彩樹に見とれていた。
 彩樹は汗だくでサンドバッグを打ち続けている。足元に、汗が溜まっている。
(やっぱり、やる時はやる人なんだ)
 後輩の女の子にちょっかいを出すのが好きで、かなりエッチで、けっこういい加減な性格に見えるけれど。
 やっぱり、陰ではこれだけの稽古を積んでいる。陰口を叩く者も多いが、あの実力はなんの苦労もせずに才能だけで手に入れたものではないのだ。
 誰もいない道場でただ一人、一瞬も休まずに汗を流し続けている。それがどれほど強い意志を必要とすることか、歩美にはよくわかっていた。仲間がいれば辛い稽古にも耐えられるが、一人となるとどうしても楽をしたくなってしまうのだ。
(……はぁ……素敵……)
 思わず、溜息が出てしまう。
「ん? 歩美、いたのか?」
 突然振り返った彩樹に名前を呼ばれて、歩美は飛び上がりそうになった。ずっとこちらに背を向けていたはずなのに、どうしてわかったのだろう。やっぱりすごい人だ。
「あ、あの……忘れ物を取りに来て……」
「ちょうどいい、付き合えよ」
「え? あ……は、はいっ!」
 歩美は大きくうなずいた。
 本当は、早く家に帰って宿題をしなければならなかったけれど、彩樹にマンツーマンで稽古をつけてもらうことの方が大切だ。宿題なんて、明日の朝大急ぎで友達のを写せばいい。
(うわぁ……夢みたい。なんだかドキドキする)
 誰もいない夜の道場で、彩樹と二人っきり。
 彩樹に直に稽古を付けてもらえるのはもちろん嬉しいし、ひょっとしたら稽古の後、なにか、こう、素敵な展開になるかもしれない。
 彩樹が同性愛者で、しかも見境のない性格であることは有名な話だ。歩美はまだその毒牙にかかったことはないが、『犠牲者』から聞いた話ではものすごいテクニシャンで、これまで経験したことのないような気持ちのいいことをされるという。まだ経験のない歩美も、実は少し期待していた。
 とはいえ、慌てて空手着に着替える時に今日のパンツがすごく子供っぽいことに気が付いて、少々落ち込んだのだが。
「やっぱ、サンドバッグ相手じゃ面白くないからな」
 着替えた歩美が練習場に戻ると、彩樹が笑っていた。
「……あの、手加減して……くださいね」
 歩美は恐る恐るお願いする。たとえ約束組手だって、彩樹が本気を出したら歩美なんて大怪我しかねない。自由組手となればなおさらだ。
「ばーか。手加減して強くなれるかよ」
「……うぅ、怖いですぅ」
 口では弱気なことを言いながらも、歩美は拳を構える。実際のところ、こうした稽古で彩樹が本気を出さないことはわかっている。プロ棋士の指導碁のように、相手よりも少しだけ上の力で、正しい形で攻防を行えるように指導してくれるのだ。
 だから、彩樹との組手は楽しかった。
 それぞれの局面でどんな攻撃をすればよいか、自分のどこに隙があるのか、口ではなにも言わないのに手に取るようにわかってくる。
 組手を続けていくうちに、彩樹は少しずつスピードを上げていく。知らず知らずのうちにそれに引きずられて、こちらも今までよりも速く動けるようになっていく。
 普段の、ほんの二、三分の組手でも得るものは多い。しかも今夜は、好きなだけ彩樹を独り占めできるのだ。
 五分。十分。
 汗だくになった歩美が動けなくなるまで、組手は続けられた。脚をもつれさせて床に座り込んだ歩美の肩に、彩樹の手が置かれる。
「見かけによらず、なかなか頑張るな。お前」
「え……へへ……」
 彩樹に褒められることがたまらなく嬉しい。もっともっと頑張れる、と。そんな気にさせられる。
「ご褒美に、いいもの見せてやるよ」
「え?」
 彩樹は、サンドバッグの方へと歩いていった。
「注意して見るのは、足首と膝、それから腰と手首の使い方だ。よく見ろよ」
 サンドバッグの前に立って、拳を一度胸の高さに構える。それから少しだけ腕を下げて、同時に右足を踏み出した。
 ドォンッ!
 静まりかえった道場に重い音が響く。窓ガラスがびりびりと震えた。
 彩樹の拳を打ち込まれた大きなサンドバッグが、折れ曲がって天井近くまで跳ね上がる。
 先刻、彩樹が一人で稽古していた時とはまるで違う突きだった。
「……衝?」
「歩美は目が良さそうだから、だいたい見えたろ? 暇な時に練習しておけよ。役に立つから」
 衝。それは中国拳法の発勁にも似た、極闘流独特の突きだ。極めれば、女子の力でも大の男を一撃で倒せるという。
 これほど間近で、見やすい角度で、ゆっくりとした動作で衝を見たのは初めてだった。彩樹が歩美のために、奥義を見せてくれたのだ。
「あ……ありがとうございました、彩樹先輩!」
「オレに感謝してるか?」
「も、もちろんです」
「じゃあ……」
 彩樹が隣に戻ってくる。また、肩に手が置かれた。
「礼をしてもらおうかな」
「あ……」
 顔が近付いてくる。顎に手をかけられる。『礼』の意味は歩美にもすぐにわかった。
「こんな時間にオレと二人きりで、何もされないとは思ってないよな?」
「……はい」
 ごくりと唾を飲み込んで、目を閉じる。
 一瞬の後、唇に触れる柔らかな感触。
 歩美にとってはファーストキスだった。
 かぁっと顔が熱くなる。
 力強い手で肩を抱かれる。
 唇を割って舌が入ってくる。
 彩樹の愛撫に黙って身を委ねていた歩美だったが、空手着の帯を解かれたところではっと我に返った。
「だ、だめですっ! 今日はパンツが子供っぽくて……、あ、まだシャワーも浴びてない! やだっ、こんな汗くさい身体で彩樹先輩に抱かれて……あぁん、やだやだっ! どうしよう!」
 パニックに陥った歩美を見て、彩樹がぷっと吹き出した。
「ばーか。そこまで先走るなって。今日いきなり最後までする気はねーよ」
 からかうように言って、歩美の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「それとも、して欲しいのか? 歩美はウブっぽいから、ゆっくり手順を踏んでモノにしようと思ってたんだけどな」
「え? えと、あの……」
 歩美は真っ赤になって下を向いた。
「あの、あの……」
「どうする?」
「……ゆっくり、少しずつ……お願いします」
 蚊の鳴くような声で歩美は言った。
 彩樹には憧れているし、期待していないわけじゃない。だけど歩美はまだ中学三年生だし、キスだって初めてなのに、いっぺんにこれ以上いろいろと『初めてのこと』をされたら、目を回してしまう。それに、この心地よいドキドキをもっと長く楽しんでもいたい。
「じゃ、とりあえず今日は胸までな」
「は……はい」
 また彩樹の手が顎に当てられて、上を向かされる。また唇が重なる。
 顎を離れた彩樹の手は、歩美の道着の上を脱がし、汗で濡れたTシャツの裾をまくり上げていく。
「ん……ふぅん……」
 胸の上までTシャツをめくられて、ブラジャーのホックを外される。また、恥ずかしさに耐えられなくなってくる。
「せ、せめてシャワーを……」
「いいじゃん、そんなの後で。オレ、歩美の汗の匂いって好きだな」
「そんな……」
 胸に彩樹の顔が押し付けられ、舌が触れる。
「この、程良い塩味がいいんだよ」
「……やぁん」
「シャワーはこれが終わった後で一緒にな。身体中、隅々まで洗ってやるから」
「やっ、だ、だめです! 今日は胸までです!」
「あはは」
 決して発育が良いとはいえない歩美の胸を、彩樹の掌が包み込む。もう一方の乳房には、唇が押し付けられる。
「あ……ん……」
 左胸に付けられたキスマークは、歩美にとっては勲章だった。


(彩樹先輩……)
 シャワーを浴びて家に帰り着いた後でも、まだ動悸は治まらなかった。
 あんなことや、こんなこと。いっぱい、初めての体験をしてしまった。
 その上で、「続きはまた今度な。歩美の初めてはオレが予約したんだから、逃げるなよ」なんて言われてしまって。
 今度っていつだろう。
 土曜日とか、遅くなってもいい日の夜にまた道場へ行ってみようか。
 歩美は、胸に手を当てた。
 小さな胸は、大きく脈打っていた。
(やっぱり、素敵だな……)
 女ったらしなのは知ってるけれど、それでもやっぱり魅力的だ。
 明日、また道場で会える。
 期待に心を弾ませながら、歩美はベッドに入った。
 胸が破裂しそうで、結局宿題はできなかった。



 目が醒めた時、歩美はなにか様子がおかしいと感じた。
 柔らかな自分のベッドの中じゃない。ベッドに入った時と同じパジャマを着たままなのに、固い、石の床の上に寝ていた。
 しかも床には、直径二メートルほどの円形に複雑な模様が描かれている。それはまるで、ファンタジーRPGに出てくる魔法陣のように見えた。
「……なに、これ」
 身体を起こすと、金属が擦れ合う音がした。その時になってようやく気付いた。手首が短い鎖でつながれている。
「……なんなの、これ?」
「目が覚めたかい?」
 突然の声に、はっと顔を上げる。目の前に、三十歳前後と思われる黒い服の女性が立っていた。
 癇に障る笑みを浮かべて、鋭い目でこちらを見下ろしている。
「……なんですか、これ。いったい、ここ、どこ?」
 歩美は相手をきっと睨みつける。
「うん、いいね。顔に似合わず気が強い。これなら、すぐにでも使えそうね」
「ちょっと!」
 立ち上がって掴みかかろうとした歩美は、いきなり弾き飛ばされた。目の前の女性はなにもしていないのに、まるで見えない壁があるかのように。
 バランスを崩して転んだ拍子に、したたかに頭をぶつけてしまう。
「気が強いのはけっこうだけど、立場をわきまえなさい。お前は、奴隷なんだからね」
「奴隷……って?」
 痛みに顔をしかめながら、歩美は顔を上げる。もう、わけがわからない。
「一番初めに、ちゃんと知っておくべきだね。主人に逆らったり、逃げようとしたらどうなるのか」
 その言葉と同時に、突然周囲の景色が一変した。薄暗い地下室のようなところにいたはずなのに、屋外の、塀に囲まれた中庭のような場所になっている。
 赤土の地面。その中央に高さ三メートル弱の、電信柱よりもやや細い柱が立っていて、歩美よりも二、三歳年上と思われる女性が、全裸で縛り付けられていた。
「な……」
 よく見れば、その女性は身体中傷だらけだった。怯えた瞳でこちらを見ている。
「あの娘はね、売られていった先で逃げようとして掴まったのさ。逃げられるはずがないのに」
 黒服の女性が、歩美の肩に手を置いて言う。
「よく憶えておくがいい。逃亡を図った奴隷の運命がどうなるのか」
 パチンと、指を鳴らす。
 次の瞬間――
「っっ! いやぁぁぁ――っっ!」
 悲鳴を上げたのは、縛られていた少女ではなくて歩美だった。その少女には、もう悲鳴を上げることはできなかった。
 頭が、風船のように破裂して。
 周囲に紅い飛沫が散った。



「つまり……」
 詳しく説明されたのは、屋敷に戻ってからだった。シルラートが、珍しく真面目な表情で言う。
「闘奴の少女たちには、戦争の捕虜とか、売られてきたとかばかりじゃないんだ。もちろん非合法なんだが、遠い国からさらってくる例がある。力のある魔法使いであれば、造作もないことだな」
「……じゃあ」
「それをさらに進めた連中がいるらしい。公にはされていない、異世界への転移魔法を手に入れて、サイキたちの世界から……な」
「そんな……」
 早苗と一姫の顔が蒼白になる。
 アリアーナはなにも言わずにいつものように無表情で、彩樹は恐ろしい目をして表情を強張らせている。
「異世界から連れてきた者は、この世界では優れた能力を示す場合が多い。しかも、サイキという前例がある。よく知らなければ、サイキの世界の娘はみんな同じ能力を持っていると考えるかもしれない」
「それで、彩ちゃんの後輩のあの子をさらってきたの? いったい誰が……」
「あの子の所有者は、マレイア伯爵夫人という闘技マニアの貴族だ。実際にさらってきたのは、また別な裏稼業の魔術師なのだろうが……」



 その後の記憶は断片的にしか残っていない。あまり思い出したくないことばかりだ。
 魔法で異世界に連れてこられて、闘奴として売られる――そんな非現実的な状況が飲み込めるまでには、ずいぶん時間がかかった。
 これは全て夢で、目が覚めたら自分のベッドの中にいる――何度そう思ったことだろう。だが、現実は現実だった。
 売られる前にも一度、同じような境遇の少女と無理やり闘わせられた。買い手に力を見てもらうため、ということだった。その試合の内容は憶えていない。勝ったのは確かだが。
 続いて、鎖につながれて奴隷市場へ連れて行かれた。そこで歩美に目を付けたのが、レディ・マレイアだった。
「この子が、先刻の試合に出てた子ね。気に入ったわ」
「そう言っていただけると思っていましたよ、レディ・マレイア」
 どうやら、歩美をさらってきた女性とは以前からの知り合いだったらしい。お得意様、ということだろう。
「試合になるとあんなに強いのに、この怯えた目。そそるじゃない?」
 歩美の顔を乱暴に掴んで、舌なめずりするように言う。
「身体を見せてもらえる?」
「ええ、もちろん」
 いきなり、服を剥ぎ取られた。人前で全裸にさせられて、歩美は小さく悲鳴を上げる。手で隠そうにも、鎖で縛られていて自由に動けない。
「肌は綺麗ね」
 レディ・マレイアの手は、なんの遠慮もなしに歩美の身体を撫でまわす。
「素敵ね。これは掘り出し物だわ」
「ではお買い上げ頂けますか?」
「もちろん。ねぇ、どこで見つけてきたの? こんな子供なのに、ちゃんとした闘技の訓練を受けているみたいじゃない?」
「ええ、まあ。ただ、仕入れルートにつきましては、あまり大っぴらにできないもので」
「でしょうね。いいわ、わたくしはなにも知らなかったことにするから」
 そうして、歩美はレディ・マレイアの所有物となった。
 わけもわからないまま、買われていって。
 わけもわからないまま、凌辱されて。
 それでようやく、女闘奴の役目が闘うことばかりではないと知った。
 それ以降の記憶は、順序立てて思い出すことはできない。
 同じことの繰り返しだ。
 歩美の意志とは無関係に、闘技場へ引き出されて闘わせられて。
 夜は先輩の闘奴やレディ・マレイアに弄ばれて。
 絶望的な毎日だった。
 それでも主人に逆らうこと、逃げることはできなかった。最初に見た、あの逃亡を図った闘奴の最後が目に焼き付いていた。
 同じようになりたくなければ、耐えるしかない。この境遇に耐えて、闘い続けるしかなかった。
 こここに連れて来られてから、どれくらい経ったのだろう。
 もう、時間の感覚もない。
 毎日毎日、死の恐怖に怯えながら稽古をし、闘うだけだ。
「でも……もう……限界だよ。耐えられないよ……」
 歩美は、ベッドの中で泣き続けていた。
 痛い。
 痛み止めはまだ効いているけれど、薬では抑えることのできない胸の痛み。
 胸の奥が、刺すように痛い。
 久しぶりに、思い出してしまったから。
 自分の故郷のことを。
 そしてなにより、愛しい人のことを。



<<前章に戻る
次章に進む>>
目次に戻る

(C)Copyright 2001 Kitsune Kitahara All Rights Reserved.