目を覚ますと、歩美は自分の寝台の中にいた。
外が明るい。もう、陽はずいぶんと高く昇っているようだ。怪我のせいで寝過ごしてしまったらしい。
右腕は、肘を中心に熱く包帯が巻かれていて、少しでも動かそうとするとずきずきと痛んだ。
涙が滲んでくる。だけどそれは、傷の痛みのためではない。
(彩樹先輩……)
やっぱり、勝てなかった。
彩樹がわざと歩美に攻めさせているのにも気付かず、調子に乗って思い上がってしまった。
自分の弱さが情けなくて、そして悔しかった。自由になるチャンスを掴み取るだけの力がなかった。
「あ、アユミ。気が付いた?」
「アィリア……」
声をかけてきたのは、同じ頃にレディ・マレイアに買われてきた少女だった。歳も近いのでアユミと一番仲のいい闘奴仲間だ。
「大丈夫? 起きれる? だったらちょっと来て。大変なことになってるの!」
「え?」
そう言われてみると、なにやら外が騒がしい。いったい、どうしたのだろう。
「外で、いったい何をやっているの?」
「よそ者との練習試合。一人で全員を倒してみせる、ってレディ・マレイアに喧嘩を売った奴がいるらしいんだ。そいつ、本当に強いんだよ。もう、シェスカ様もナイアもやられてる」
「……まさか」
まさか、そんなことが。
しかし、他に考えられない。その「よそ者」は、歩美がよく知っている人物のはずだった。
歩美との試合の翌日、アリアーナ、彩樹、早苗、一姫の四人はレディ・マレイアの屋敷を訪れていた。
女の子ばかりでは不審がられるということで、シルラートの部下が二人、護衛という形で同行している。さらにアリアーナは有名人なので、髪をアップにして薄いヴェールで顔を隠していた。お忍びでやってきた貴族の娘、といった出で立ちだ。
訪問の理由は決まっている。歩美を買い取ろうというのだ。
「うちのアユミを譲ってほしいと? あの子の闘いぶりが気に入りまして?」
「ええ、そうです」
アリアーナが応える。
彩樹は相手に喧嘩でも売っているかのような目つきをしていて、早苗と一姫は緊張して事の成り行きを見守っている。
「それにしても、わたくしの言い値で構わないとは気前のよろしいこと」
こちらとしては文句なしのいい条件を提示したつもりだった。なにしろスポンサーはアリアーナである。金に糸目をつける理由はない。
しかしレディ・マレイアは、首を縦には振らなかった。
「残念ですが、あの子を手放すつもりはありませんの」
「ええっ?」
大声を上げたのは一姫だ。他の者は一様に、それを予想していたかのような顔をしている。
「わたくしは別に、お金儲けのために闘奴を集めているわけではありませんもの。純粋に、闘技が好きなだけですわ」
優雅に扇を口元に当てて「ホホホ……」と笑う。
「幸い、金銭には不自由のない生活ですから。滅多に手に入らない、見所のある闘奴を手放すわけがありませんでしょう? それにあの子は、闘技場以外でも私を楽しませてくれますものね」
早苗は、彩樹のこめかみに青筋が浮いていることに気付いた。背中に冷たい汗が流れ落ちる。今の台詞は危険だった。彩樹がもう、今にも切れる寸前だ。
しかし、レディ・マレイアが歩美を手放さないのは予想していたことでもあった。
お気に入りであるというのも事実だろうが、それ以上に歩美は、重犯罪の生き証人である。
誘拐してきた娘を奴隷として売るのはもちろん犯罪だし、なにより転移魔法は、この世界では禁じられた技なのだ。王と主席宮廷魔術師の許可なくそれを行った者は、厳しく罰せられるという。
レディ・マレイアは詳しい事情は知らないかもしれないが、それでも歩美が「非合法的な」手段で売られてきたことは察しているはずだ。あるいは、誘拐犯から直に口止めされているかもしれない。
だから、歩美を手放そうとしないのは予想できたことだった。「アユミを買いたい」というのは、単にこの屋敷に上がり込むための口実でしかない。
「純粋に闘技が好き、ねぇ……」
それまで怖い顔をして黙っていた彩樹が、急に態度を変えた。皮肉めいた笑みを浮かべて挑発するように言う。
「あんな雑魚闘奴ばかり数を集めて、どうしようっていうんだか」
その一言で、レディ・マレイアの表情が強張る。
「聞き捨てならないことを言うわね。昨日アユミに勝ったくらいでいい気になっているの? 私のところには、闘技場のチャンピオンもいるのよ」
「チャンピオンだろうとなんだろうと、雑魚には変わりないさ。なんならここに連れてきてみろよ。お前が飼ってる雑魚なんか、オレ一人で全員片づけてやるよ」
「――っ」
はっきりと怒りの形相を浮かべてレディ・マレイアが立ち上がる。
「その言葉、二言はないでしょうね? たとえ途中で死んだとしても、全員とやってもらうわよ!」
「昼飯前の軽い運動、ってところかな」
彩樹はこれ見よがしに欠伸さえしてみせた。偉そうで人を馬鹿にした態度を取らせれば、彩樹の右に出る者は少ない。プライドの高そうなレディ・マレイアを激怒させるには充分すぎてお釣りがくる。
「外に出なさい。訓練用の小さな闘技場があるわ」
「オレが勝ったら、歩美はもらってくぞ」
「では、あたくしが勝ったらお前は私のものね。楽しみだわ。いつまでそんな大きな態度でいられるかしら」
レディ・マレイアが大声で使用人を呼ぶ。
彩樹が立ち上がるのに合わせて、アリアーナたちも揃って席を立った。三人だけに聞こえるように小声でささやき合う。
「それにしても……全員倒すだなんて、いくら彩ちゃんでもやり過ぎじゃあ……」
「仕方あるまい。サイキが、自分のやり方でやると言ったんだ」
「……大丈夫ですよ。彩樹さんなら、きっとやってくれますわ」
レディ・マレイアの言う通り、広大な屋敷の敷地の一角に小さな闘技場があった。
白い砂を円形に敷き詰め、片側には小さな客席も設けられている。訓練に使用される他に、来客のためにここで試合を行うこともあるのだろう。
彩樹は普段着のまま、平然と闘技場の中央へ進んでいった。レディ・マレイアの闘奴たちもばらばらと姿を見せる。その数十七、八人といったところだろうか。まだ状況がよくわかっていないのか、戸惑いがちにこちらを見ている。
レディ・マレイアが闘奴たちに言った。
「誰でもいいわ。あいつを倒した者には褒美をあげるわよ」
「……で、最初はどいつだ?」
彩樹は闘奴たちに向かって中指を立ててみせる。
「シェスカ、あなたがやりなさい。遠慮はいらないわ」
「はっ!」
よく通る声とともに前に進み出たのは、大柄な、髪の短い女性だった。
身長は彩樹よりもずっと高い。百八十センチ前後はありそうだ。太ってはいないが筋肉質で、並の女子プロレスラーなど問題にならない体格をしている。
「ふん。最初はでかいだけのウドの大木か」
彩樹が鼻を鳴らして嘲笑する。シェスカと呼ばれたその闘奴は、はっきりと怒りの表情を浮かべた。
大きな拳を胸の前で構える。
「もぉ、どーして彩ちゃんってああなんだろ。レディ・マレイアはともかく、闘う相手を怒らせるのは得策じゃないと思うんだけど」
アリアーナや一姫たちだけに聞こえるように早苗がささやく。アリアーナが微かにうなずいた。
「それがサイキだから」
「といってもねぇ……」
「始めなさい!」
レディ・マレイアの高い声が響くのと同時に、シェスカが勢いよく前に飛び出してくる。その大きな運動エネルギーを拳に乗せて、彩樹の顔面に叩きつけた。スピードはそれほどでもないが、とんでもなく重そうなパンチだ。
まともに、彩樹の顔面にヒットする。
「……え?」
見ていた早苗たちは驚いた。彩樹がかわせないようなスピードではない。無視できない体格差があるのだから、ここはスピードを活かしたヒット・アンド・アウェイで闘うべきではないだろうか。あの体格から繰り出される重いパンチを喰らえば、彩樹だって無傷ではいられまい。
しかし。
彩樹は平然と立っていた。
内出血を起こしたのか、殴られた部分が赤黒く腫れ上がってくる。それでも相手を見下したような笑みは崩さない。
「効かないなぁ」
「なにをっ!」
「全然なってない。人を殴るってのはなぁ……」
彩樹の台詞が終わる前に、シェスカがまた殴りかかってくる。今度は彩樹も動いた。
足を一歩前に踏み出して、身体をひねりながら相手のパンチを紙一重でかわし、同時にそのまま中段の突きを繰り出す。
傍目には、腕が相手の腹に突き刺さっているように見えた。
「うわぁ……いっきなり奥義だ」
「彩樹さん、素敵ーっ!」
一姫が手を叩いてはしゃぐ。
衝――奥義といいつつも、彩樹は当たり前のようにそれを使う。まともに決まれば、女の力でもガードの上から骨を叩き折り、大の男を昏倒させる威力がある技。本来ならば完璧な体勢、完璧なタイミングでなければその威力を発揮しない衝を、普通の中段突きのように自然に繰り出せるところが彩樹の強さの秘密だ。
シェスカの巨体が崩れ落ちる。口から、血の泡が吹き出した。
他の闘奴たちの間からざわめきが起きる。
「な? 雑魚だって言ったろ」
さも余裕ありげに前髪を手でかき上げて、彩樹はレディ・マレイアを見た。悔しそうに唇を噛みしめ、彩樹を睨みつける。
「……ナイア!」
「は、はい!」
呼ばれて前に進み出たのは、褐色の肌の女性だった。先程のシェスカよりはやや小柄だが、それでも彩樹より長身である。すらりとしたその身体は、シェスカよりもずいぶんと身軽そうだ。
彩樹の技を目にして警戒しているのか、長い腕でしっかりとガードを固めて、遠い間合いから拳を繰り出してくる。
ボクシングに近い動きの本格的なパンチだった。左のジャブが彩樹の顔面を捉える。続けて右のストレート。そのまま前に出て、一転して今度はボディに左右のフック。一息で四発を叩き込むコンビネーションを見舞い、ぱっと距離を取ってまたガードを上げる。
それでも彩樹は、平然と薄笑いを浮かべていた。
「だから、効かねぇって」
一歩前に出る。たじろいだナイアが下がろうとした瞬間、彩樹が跳んでいた。
ナイアの身体が転がり、砂煙が舞い上がる。
目にもとまらない跳び蹴りだった。
一姫が跳び上がって歓声を上げる。
しかし隣に立っている早苗は、浮かない表情をしていた。
「彩ちゃん……どうしてそんな闘い方すンの? マズイよ、それ」
「……そうだな」
「え?」
二人の深刻な雰囲気に気付いた一姫が、訊ねるような目で早苗を見る。早苗はちらりと一姫に視線を送ると、また試合場を見て言った。
「必ず、最初に相手の攻撃を受けてるじゃない。彩ちゃんなら、かわせないはずないのに」
「わざと……ですの? どうして?」
「この間、サイキが私に言ったことを憶えているか? 『殴られることの痛み、恐怖。自分の身体で味わってみろ』と」
「え、あ……じゃあ? まさか、そんな……」
「本気、だな。サイキは……」
アリアーナはいつもの無表情を崩さない。ただ真っ直ぐに、試合場を見つめていた。
アィリアに肩を貸してもらって闘技場へやってきた歩美が見たものは、彩樹の闘う姿だった。
そして、レディ・マレイアと仲間の闘奴たち。見知らぬ数人の少女は、彩樹の知り合いかもしれない。
闘奴たちの約半数は、隅で横になったり力なくうずくまっている。彩樹が倒したのだろうか。
「彩樹……先輩……」
闘う彩樹の顔は、真っ赤に染まっていた。返り血ではない。彩樹自身の血だった。
血塗れで、傷だらけで。
それでも、動きにはまったく衰えが見えない。
大腿骨をへし折りそうなローキックを叩き込む。相手が大きくバランスを崩したところで彩樹が跳ぶ。ジャンプの最高点で一瞬身体を丸め、体重に伸び上がる背筋の力を加えて真上から叩きつける蹴り、飛鷹脚。
どれも、懐かしい技だった。
一撃で相手は動かなくなり、試合場から運び出される。すぐ、次の相手が入る。
なんということはないはずの突きが、彩樹の顔面を捉えた。それでも彩樹はぐらつきもしない。
脚が跳ね上がる。ガードすら間に合わない瞬速の上段回し蹴り。
また、一撃だ。
レディ・マレイアに向かって指を立てて見せ、下品な台詞で挑発している。
まさしく、彩樹の姿だった。
「さすが、大口を叩くだけのことはあるようね」
さほど大きくもないその声に、闘奴たちがさっと左右に分かれて道を開ける。アユミは小さく息を呑んだ。
はっとするほど綺麗な女性だった。彩樹よりもわずかに背が高く、年の頃は二十代半ば。緩いウェーブのかかった長い金髪が、陽の光を反射して黄金のように輝いている。
もちろん、歩美はその女性をよく知っていた。この国の住人で知らぬ者はないといってもいい。
レイシア。
この二年間公式戦無敗を誇る、あの闘技場のチャンピオンだ。貴族の令嬢たちの中にあっても違和感がないほどの容姿も手伝って、人気、実力ともに文句なしのナンバーワンだった。
彩樹が微かに眉を上げ、面白そうに笑みを浮かべた。それが、強い相手と出会った時の彩樹の癖であることを歩美は知っていた。さすがに、一目でレイシアの実力を見抜いたらしい。
「ようやく、楽しめそうな奴が出てきたか」
「そして、これがあなたの最後の闘いになる」
レイシアも静かな笑みを浮かべている。その表情に、相手を侮っている様子はない。歩美はレイシアの試合を何度も見たことがあるが、彼女はいつだって、どんな相手だって全力を尽くすのだ。
彩樹とどちらが強いだろう。歩美には、すぐには答えられなかった。だとしたら、連戦で疲労しているはずの彩樹が不利かもしれない。かなりのダメージを負っている様子でもある。
「理由は知らないけれど、あなたは最初の攻撃をわざと受けているようね。でも、それが命取りになる」
レイシアの台詞に、歩美は驚いた。まったく、思いもしない言葉だった。
彩樹が、わざと相手の攻撃を受けている?
だから、あんなに傷だらけ、血塗れになっているのか。
だけど、どうして?
「てめーにゃ無理だよ」
腫れ上がった顔で、彩樹がにやりと笑う。同時にレイシアが飛び出した。
正確に顔面を捉える左右のパンチ。レイシアの言葉通り、彩樹は避ける素振りすら見せなかった。
続けてローキック。彩樹の意識がわずかに下に向いたところで、顎を狙ったフック。
彩樹の頭が大きく揺れる。
ガードががら空きになった腹に、至近距離からのボディアッパーの連打。そのまま間を空けずに膝蹴り。
歩美は見ていて涙が出てきた。
どうして、彩樹は相手の攻撃を受けているのだろう。レイシアの打撃は、まともに当たって平然としていられるほど生易しいものではない。
痛かった。
まるで自分が攻撃されているかのように胸が痛んだ。
レイシアの連撃は止まらない。彩樹が倒れるまで攻撃し続けるつもりだ。彼女にならそれができる。最初にいいのをもらっている以上、攻撃が途切れなければ彩樹は反撃できない。
女子としては異様なほどに打たれ強い彩樹だって、その耐久力は無限ではない。レイシアは効果的に攻撃を散らして彩樹にガードを許さず、着実にダメージを蓄積していく。彩樹はもうサンドバッグ状態だ。
「……さ、彩樹先輩っ!」
彩樹の身体がぐらりと傾いた。しかしレイシアはそのまま倒れることを許さず、彩樹の身体を抱えてそのまま背後に反り投げで落とした。レスリングでいうところのフロントスープレックスだが、彩樹自身の体重にレイシアの体重も加え、背中ではなく頭から地面に叩きつけられていた。しかも下はクッションの効いたリングではない。
優雅な動きで立ち上がったレイシアは、勝者の笑みを浮かべていた。
彩樹は地面に仰向けになったままで、ぴくりとも動かない。
「命取りになると、そう言ったでしょう? 最初から本気を出していれば、それでも試合になったものを……」
レイシアの言葉が途中で途切れた。身体が、びくっと痙攣する。
手を口に当てる。
同時に、口から鮮血が溢れ出した。大量の血を吹き出しながらレイシアが倒れる。顔の周囲の地面に紅い染みが広がっていった。
「……だから、てめーにゃ無理だっつーたろ?」
ゆっくりと、彩樹が身体を起こす。腫れ上がった顔でにやりと笑った。
「一姫。すぐ魔法でこいつの出血を止めろ。ほっとくと十分と持たねーぞ」
「え……は、はいっ!」
この光景を呆然と見ていた少女の一人が、慌てて杖を取り出した。やはり彼女は彩樹の知り合いであり、しかも魔術師であるようだ。
「……水冥掌?」
歩美はぽつりとつぶやいた。
名前だけは聞いたことがある、極闘流の門外不出の秘技。
最後に投げられる瞬間、彩樹の掌がレイシアの身体に触れていたのは見えた。それだけのことでこれだけの致命的なダメージを与えられるとなると、他には考えられない。
「彩樹先輩……」
また、涙が出てきた。
「こうなったら、全員で一斉にかかりなさい! 殺しても構わないわ!」
レディ・マレイアの金切り声が響く。
それを聞いて、彩樹が唇の端を上げた。危険な笑みを浮かべて、瞳が爛々と輝いている。
「まずい、な」
微かに眉間を寄せてアリアーナがつぶやいた。早苗も困惑の表情を見せる。彼女も「まずい」の意味は正確に理解していた。
このままでは危険だ。彩樹ではなくて、彩樹の相手が。
残った闘奴たちがレディ・マレイアの言葉に従ったとしたら、今度こそ死人が出る。その死体はもちろん彩樹ではない。
いくら凄惨なものとはいえ、闘技はあくまでも「観客に見せるための競技」だ。殺すつもりでやることはないし、普通は致命的な怪我を負うような技も避ける。
だからむしろ、「躊躇せずに殺せる」「人体を破壊できる」という点では彩樹の方が上だ。その気になれば、蟻を踏み潰すのと同じ感覚で人を殺す技を使える。よほど親しい者が相手でない限り、人を殺すこと、傷つけることに対して、彩樹はなんの抵抗も持っていない。
「……止めますか?」
早苗が訊く。
「一応、殺すなとは言っておいたのだがな」
アリアーナは微かな溜息をついた。いくら言い聞かせたとしても、相手が殺す気で来た場合に彩樹が躊躇うとは思えない。
「ずいぶん怪我も負っているようだし、そろそろ頃合いか。止めろ。これ以上やると、サイキにも余裕がなくなってくる」
「余裕が……って、彩樹さんが負けますの?」
アリアーナや早苗ほどには彩樹の『本性』を把握していない一姫が首を傾げる。アリアーナが微かに微笑んだように見えた。
「いや、手加減ができなくなってくる」
「つまり、本気で致命傷を与えかねないってこと」
「じゃあ、すぐに彩樹さんを止めませんと……」
「彩ちゃんがああなっちゃったら、相手が全滅するま止めるのは不可能だよ。ここは、向こうに退いてもらわないとね」
早苗はくすっと笑って、ここに来る前にアリアーナから受け取ったものを取り出した。
すぅ……と大きく息を吸い込んで。
「ええーい、静まれ! 静まれぇーい!」
某人気時代劇に登場する某副将軍の付き人のような口調で叫んだ。その手に掲げているものを目にして、レディ・マレイアの表情がさっと強張る。
もちろんそれは印籠などではない。マウンマン王国の王に代々受け継がれている、王家の紋章が彫られた魔法の短剣だ。
「ここにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも天下の副……じゃなかった、マウンマン王国を統治する女王、アリアーナ陛下にあらせられるぞ! えぇい、控えい! 頭が高ぁーい!」
アリアーナは顔を覆っていたヴェールを取ると、頭の上でまとめていた髪を解いた。
彼女の特徴である深い紫の瞳を、真っ直ぐにレディ・マレイアに向ける。
「この顔、まさか見知らぬとは言うまいな? いろいろと訊きたいことがあるのだが」
貴族ならば、その顔を知らないはずがない。
レディ・マレイアは生気の失せた青白い顔をして、がくがくと震えながら崩れるようにその場に膝をついた。
「……で、この後の台詞はなんだった?」
他の者たちには聞こえない小さな声で、隣に立っている一姫に訊く。
「ええと……『これにて一件落着』です」
台本のページを繰りながら、一姫が答えた。
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