「こんなところで、お茶なんか飲んでる場合じゃないと思うんだけど……」
 白磁のカップを手にした早苗が、ぶつぶつとつぶやいた。
 置いてけぼりにされた早苗と一姫と歩美、それにシルラートが加わって、城の中庭で午後のお茶を楽しんでいる。
 とはいっても、楽しそうにしているのは早苗の隣にいるシルラートだけだ。他の三人はいずれも、複雑な表情を浮かべている。
「ウチらも連れてってくれればいいのに」
「しかし君らは、血生臭い事件にはあまり向かないだろう?」
「それは、そうかもしれないけどさ……」
 早苗も一姫も、血を見ることはできれば避けたい性格だ。格闘技の腕前は彩樹譲りの歩美だって、根は優しい女の子だった。クーデターの現場に同行したからといって、役に立つことなどないだろう。
「でも……やっぱり危険な気がするなぁ」
「そうですよね。二人きりで、クーデターの中枢に正面から向かうなんて……」
「そうじゃなくて、姫様がさ。この間、彩ちゃんが姫様に何をしたか、憶えてるっしょ?」
 彩樹は、アリアーナをいきなり殴りつけて肋骨三本を折る大怪我を負わせ、危うく内臓破裂すら起こすところだったのだ。魔法による治療ができるこの世界だから大事には至らなかったが、ひとつ間違えば大変なことになっていたかもしれない。
 それ以外でも、彩樹がアリアーナに手を上げるのは珍しいことではない。相手が一国の女王だろうとお構いなしだ。
「ホントに二人きりで大丈夫かな。彩ちゃん、また些細なことでキレたり……」
 正確にいえば、キレなくたって危険だ。
 以前、彩樹がちらっと漏らしたことがある。一度、本気で殺そうとしたことがある、と。
 この世界の魔物である夢魔が早苗たちの世界に迷い込んできた時のことだ。夢魔が見せた幻影のアリアーナを、本人と信じたまま殺そうとした、と彩樹は言った。
 それが事実であれば、とんでもないことだ。そして、おそらくは事実だろう。早苗だって、彩樹と二人きりでいる時に、背筋が凍りつくような殺気を感じることがある。
「ホントに、普通なら国家反逆罪か不敬罪で死刑になってるとこだよ」
 その点ではアリアーナが寛容だから不問で済んでいるが、お目付役であるフィフィールなどは、はっきりと顔をしかめている。できるだけ、アリアーナと彩樹を二人きりにはしたがらない。
「大丈夫だろう。アリアーナはあれでけっこう楽しんでいるようだし」
 シルラートはいつも呑気だ。顔や雰囲気は彩樹に似ているのに、普段の性格はずいぶんとのんびりしている。
「楽しんで、って……そ、そうかな?」
 そう言われても早苗にはピンとこない。なにしろアリアーナは無表情で、考えていることがさっぱり読めないのだ。
「いや、本当のことさ。ここだけの話なんだが、実はアリアーナは……」
 旧に真面目な表情になったシルラートが、声をひそめて言った。その重々しい口調に、早苗たち三人も緊張して顔を近づける。
「……マゾなんだ」
 この不意うちのジョークに、早苗は飲みかけのお茶が気管に逆流し、三分間ほど悶え苦しむことになった。



「陛下自ら足を運んでいただけるとは、光栄ですわね」
 慇懃無礼な態度で、王立魔法学院の生徒会長レシューナ・レヴィルは微笑んだ。その隣にいるのが、副会長のレザムア・ヴィーヌだそうだ。
 二人とも、普段の彩樹であればいきなり口説いていそうな美少女だった。歳は、彩樹たちよりもひとつふたつ下だろうか。まだあどけなさの残る顔に、高慢な笑みを浮かべている。
 彩樹とアリアーナが正面から学院を訪れると、クーデターに加担した者たちはさすがに驚いた様子だった。クーデターの現場に、ろくに手勢も連れていない女王が自ら現れるというのはさすがに予想の範囲外だったらしい。
 その後、内部ではなにやらひと騒動あったようだが、結局は何事もなく応接室へと通された。とりあえずは礼儀正しくもてなすことにしたようだ。もちろん、ここから帰すつもりはないのだろうが。
 外には見張りがいるようだが、室内には彩樹とアリアーナ、レシューナとレザムアの四人だけだった。いきなり手荒なことをする気はない、というポーズなのだろう。
 出されたお茶を飲みながら、彩樹は目の前の二人を観察した。
 長い黒髪が見事なレシューナは、見るからに良家のお嬢様といった雰囲気を持っていた。
 有力貴族の娘で、幼い頃から魔法の才能に恵まれていて、エリートとして育てられてきたらしい。物腰は上品で丁寧だが、それでも相手を見下したような態度が染みついている。
 レザムアはくせのある金髪を短くカットしていて、同い年のレシューナよりもひと回り小柄だった。しかし魔法の才能は、レシューナに劣るものではないらしい。
 二人とも、宮廷魔術師にも匹敵する力の持ち主だ、とアリアーナは言っていた。
(いずれにしても、まだ子供だな。いろんな意味で)
 なまじ力があるだけにそれを過信している、という印象を受けた。他の護衛をつけずに四人だけで応接室にいるのも、ここでは自分たちが支配者だという自信の顕れだろう。
 アリアーナの許可がでれば、十秒でかたがつく。
 彩樹はそう判断した。
 力のある魔術師の多くは、魔法の素養を持たない者を軽く見る傾向がある。ボディチェックで武器を持っていないことを確かめただけで、彩樹を中に入れたのがその証だ。素手の人間にどれだけの戦闘力があるか、考えたこともないのだろう。
(……すぐに、思い知らせてやるさ)
 レシューナもレザムアも、かなり見目良い容姿をしている。彩樹の嗜虐趣味を満足させるには十分だ。
 あの綺麗な顔が血まみれになる様を想像する。それだけで濡れてしまいそうだった。
「で、私どもの申し出を受け入れる気になりまして? 私としましても、手荒な真似はしたくないのですが」
 レシューナは相変わらず、自分たちの優位を信じて疑っていない。しかしアリアーナは、その台詞を完全に無視した。一方的に、自分の言いたいことだけを言う。
「お前たちには、サルカンドとのつながりを議会で証言してもらう。馬鹿な男だ。ようやく、こちらに口実を与えてくれた」
 レシューナのこめかみがぴくりと痙攣する。表情が険しくなった。
「陛下は、ご自分の置かれた状況がわかっていないのでは? あなたが今の地位にある限り、ここから帰ることはできませんのよ」
「状況がわかっていないのはお前たちだろう。わたしたちをここへ通した時点で、この騒ぎは終わりだ。マウンマン王国史上、最短の反乱だったな」
「それははったりですの? ここには百人からの仲間がいますのよ」
「だが、ここには二人きりだ。わたしだけならともかく、サイキを通したのは無防備すぎたな」
 その言葉に、二人の目がはっと彩樹に向けられる。
 自分から視線が逸れた一瞬の隙に、アリアーナの手の中に一振りの短剣が現れた。柄の部分が彫刻と宝石で装飾された、美しい短剣だ。彩樹は前に一度、それを目にしたことがあった。
 トンッ!
 軽い音が響く。アリアーナが、短剣をテーブルの上に突き立てたのだ。
 魔術の素養がない彩樹には何が起こったのかわからなかったが、レシューナとレザムアの表情が強張った。
「学内に何百人いようと、ここにはお前たち二人きりだ」
 アリアーナは相変わらず表情を変えずに、もう一度繰り返した。
 レザムアが応接室の扉に駆け寄る。取っ手に手をかけてがたがたと揺さぶるが、扉は開かない。
 それを見て、彩樹にも理解できた。アリアーナの結界魔法だ。
 普段は意識されることは少ないが、王家の者は皆、優れた魔法の素養を持っていた。特に、結界を張る能力に長けているという。なにしろアリアーナの魔力は、巨大な竜を封じることすらできるのだ。
 今、この応接室は外界から隔絶された空間となっていた。外に出られないばかりか、中の物音すら外へは届かない。
「くっ……」
 レシューナとレザムアの手に、ほとんど同時に魔術師の杖が現れる。しかし彩樹の方が速かった。
 滑るような動作でレシューナとの間合いを詰めると、腹に掌打を打ち込んだ。レシューナの身体は簡単に崩れ落ちる。
 続けて、一瞬の間も開けずにレザムアにも同様に。
 二人を倒すのに、一秒とかからなかった。
 傍目には軽く掌で触れたようにしか見えなかっただろうが、二人は呻き声を上げて横たわっていた。極闘流の技は、身体の内部へダメージを与える。身体の中心、正中線に打ち込まれれば、脊髄が麻痺して数分間はまともに動くこともできなくなる。
 彩樹は醒めた瞳で二人を見下ろした。
「で? こいつら、殺すのか?」
 とりあえず二人を縛り上げながら、彩樹は訊いた。それはまるで「このゴミ捨ててもいいのか?」といった雰囲気の軽い口調だった。
 彩樹はまったく躊躇していなかった。簡単なことだ。倒れている二人の頭部を狙って、体重を乗せた拳を打ち下ろせばそれで終わる。
 しかし、アリアーナは首を横に振った。
「いや。言ったろう、サルカンドとのつながりを証言してもらう、と」
「ずいぶんと穏便だな」
 その声にはどことなく、がっかりしたようなニュアンスすら含まれていた。
「血が流れることになる、って言ってなかったっけ?」
「うむ。この者たちはエリートでな。全寮制のこの学院で、小さな頃から英才教育を受けてきた。当然、外部の男性と接する機会はほとんどない。だから、サルカンドのような見た目だけの男にころっと騙されるのだろうな」
「うん?」
 彩樹は首を傾げた。いきなり、話題を変えられたような気がする。
「サイキに、この者たちを証言する気にさせて欲しい」
「いや、だから……」
 それと、ここに来る前に話していた流血云々と、いったいどんな関連があるのだろう。
「出血するものなのだろう? 初めての時は」
 屈んで二人を縛っていた彩樹は、この台詞に力いっぱいこけた。
 床にぶつけた顔をさすりながら起き上がる。
「……出血って、そーゆー意味かっ?」
「そういう意味だ」
 アリアーナはあっさりと肯定した。
「力ずくの尋問では意味がない。自分から進んで証言してもらわなくては。そのためにサイキを連れてきた。適任だろう?」
「つまり、早苗や一姫を連れてこなかった理由も……」
「サイキが他の女の子に手を出すと、サナエたちはやきもちを妬くからな。わたしにはよくわからないが、以前、騎士団長が「泣く子と女のやきもちには勝てない」とこぼしていたことがある。どうやら、実に厄介なものらしい」
「……」
 彩樹は、かなり本気で呆れていた。呆れてものも言えない。
 それなりにシリアスな覚悟でここまで来たというのに、なんだか拍子抜けだ。
「……いいのか? クーデターなんて国の大事件が、そんなマヌケな結末で」
「だからこそ、だ。わたしとしては、くだらない笑い話にしてしまいたい」
「ま、いいけどな」
 そう言って、彩樹は肩をすくめた。アリアーナの気持ちも分からなくはない。
「せっかく女王のお墨付きをもらったんだ。楽しませてもらうか」
 レシューナとレザムアは、動けなくとも意識はあるのだろう。床の上に横たわったまま、怯えた瞳で彩樹を見上げている。その表情にそそられる。
 彩樹はレシューナの服の胸元に手をかけて、一気に引き裂いた。
 真白い肌が露わになる。
 レシューナはか細い悲鳴を上げたが、その声は結界に阻まれて外へは届かなかった。



 それから二時間ほど後。
 満足げな表情でソファに座っている彩樹に、全裸にされた二人の少女が左右からしなだれかかっていた。「サイキお姉さまぁ」などと、鼻にかかった甘ったるい声を発している。
 つい先刻までと同一人物とは思えないほどの豹変ぶりだ。
「私たち、サイキお姉さまのためならなんでもいたしますわ」
「ですから、また来てくださいね」
「いいえ、そうだわ。学校を卒業して宮廷魔術師になれば、いつもサイキお姉さまと会えますのね」
「そうね、頑張りましょう!」
 彩樹を間に挟んで、レシューナとレザムアは手を取り合う。
 ここで起こったことの一部始終を目撃していたアリアーナは、相変わらずの無表情で冷めたお茶を飲みながら「勉強になった」などとつぶやいていた。
 絨毯の上に、小さな紅い染みが残っている。それが、ここで何があったかを物語っている。
 マウンマン王国史上最短の、流された血の量ももっとも少ない、そしてもっとも少ない戦力で制圧された反乱は、こうして幕を閉じたのだった。



 その時まで、サルカンドは満足顔で酒の杯を傾けていた。
 部下から、アリアーナが魔法学院へ向かったという報告を受けて、気の早い祝杯を挙げていたのだ。
 所詮は小娘ひとり。今すぐ殺すわけにはいかないが、レシューナたちが捕らえてくれれば後はどうとでもなる。
「これで、王位は私のもの……か」
 二年以上も回り道をしたが、これが正しいのだ。自分こそが、王位を継ぐに相応しい。正妃の長子を差し置いて、妾腹の娘が王位に就くなどということが間違っている。
 しかしこれでようやく、その間違いも正される。
 そう信じ込んでいたところへ、一人の部下が一通の書簡を届けに来た。学院のレシューナから、急ぎの伝書鳩で届けられたものだ。
「アリアーナが降伏したかな? もう少ししぶといかと思ったが……」
 己の勝利をみじんも疑わずに書簡を開き、文面に目を通す。
 瞬間、サルカンドの動きが凍りついたように固まった。
「あの……殿下?」
 書簡を持ってきた部下が、魂を抜かれたような主人の様子を訝しんで、横から書簡を覗き見る。女の子らしい、丸みを帯びた筆跡が目に入った。
『私たち、サイキお姉さまに味方することにしました。お姉さまの方が、殿下よりも何倍も素敵なんですもの。じゃあね〜♪』
 サルカンドがまともな思考能力を取り戻したのは、ずいぶんと時間が経ってからのことだった。



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