メルアが操る飛竜は、ぎりぎりまで高度を下げて高速飛行する。
 サルカンドの城が、みるみる大きくなってくる。
「どこに降りますか?」
 手綱を握って前を向いたまま、メルアが訊く。
 飛竜は今、城の南側から接近している。北側は深い谷になっていた。
「あそこにしよう」
 彩樹は城内の一点を指差した。
「あの、二階のバルコニーだ」
「はい」
 いくら正面突破するつもりで来ているとはいえ、真っ正直に城門から侵入したのでは敵も守りを固めているだろう。それに、アリアーナがどこに捕らわれているかは知らないが、城門からもっとも遠いところと考えるのが普通だ。
 超低空飛行から急激に高度を上げた飛竜が、大きく張り出したバルコニーの上で一瞬だけ空中静止した。
 機関銃を抱えた彩樹が飛び降りる。一瞬遅れて一姫が続き、着地に失敗して尻餅をついた。
 飛竜はすぐに離れていく。ぐずぐずしていては、地上から銃で撃たれてしまう。
 彩樹は大きな窓を蹴破って屋内に飛び込んだ。
「一姫、ついて来い!」
「は、はい!」
 無人の書斎を突っ切り、廊下へ通じる扉を開けて左右をうかがう。敵の姿はない。しかし廊下に出たところで、ばたばたと慌ただしい足音が近付いてきた。
「一姫!」
 その声に応えた一姫が魔術師の杖を掲げるのと、銃を持った数名の兵士が角を曲がって姿を現すのがほとんど同時だった。
 一瞬の閃光とともに、大きな菱形をした、透明な水晶のような板状の物体が二人の前に出現する。
 魔法の盾だ。銃声と同時に、オレンジ色の光が弾ける。敵兵が放った銃弾は、すべて盾にはね返された。
 彩樹は姿勢を低くして、盾の陰から機関銃をフルオートで乱射する。
 銃の扱いに関しては素人同然の彩樹だが、障害物のない廊下で連射すれば、相手はかわせるはずもない。続けざまに悲鳴が上がり、三人の敵兵がその場に倒れる。
 彩樹は立ち上がると、そのうちの一人に近付いていった。撃たれた脚を押さえて呻いている男の頭を、機関銃の銃口で小突く。
「てめーらのボスはどこにいる?」
「……」
 男は怯えた目で彩樹を見あげたが、口はつぐんでいる。なかなか、意志の強そうな顔つきだった。
「なんだ、ど忘れしたか?」
 なんの躊躇もなしに、彩樹は銃口を脚に向けて銃爪を引いた。
 乾いた銃声が一発。そして悲鳴。一姫が顔をそむける。
「死ぬ前に思い出せるといいな」
 続けてもう一発。今度は膝を狙って。
 二秒待って、三発目は太腿を貫いた。
「別に、思い出せないならそれでいい。訊く相手はあと二人いる」
 銃口を鼻先に突きつけて言う。
 それが限界だった。
「い、言うっ! 言うから助けてくれっ!」
 涙と涎と血で顔中をくしゃくしゃにして、男は泣き喚いた。
「でっ、殿下は、西の塔だ。西の塔の最上階、そこにアリアーナ陛下もいらっしゃる」
「ありがとよ」
 彩樹は銃口をそらすと、安堵の息を漏らしている男の頭を銃床で殴って気絶させた。
「西の塔というと……こっちだな」
 ここに来る前に見せてもらった、城の見取り図を思い出す。西の塔は北西側の端に建っている。正門からは最も遠く、後背は深い谷川のため、もっとも外部から攻め込まれにくい場所だ。
「ま、当然っちゃ当然か。行くぞ、一姫」
「……はい」
 一姫はなにか言いたげな様子だったが、黙ってついてくる。顔が青ざめて、かすかに肩が震えていた。
「なにか文句があるか?」
 彩樹は立ち止まって訊いた。
「……いえ」
「こーゆーのが見たくないなら、帰ってもいいぞ」
「いいえ……行きます」
 血の気の失せた顔で一姫がうなずく。二人はまた歩き出した。
 廊下の角を曲がったところで、前に敵兵の姿があった。彩樹の反応の方が速い。身体を前方に投げ出して床に伏せながら、機関銃の銃爪を引く。
 一瞬遅れて、一姫が魔法の盾を展開する。まばらな敵の反撃は、すべて盾に弾かれた。
 銃の代わりに剣を持っている者もいるが、彩樹が機関銃を撃ち続けているため、近付くこともできずに撃ち倒されてしまう。
 彩樹は身体を起こすと、左手でもう一丁の銃も構えた。重い機関銃を右手一本で支え、二丁の銃から弾丸の雨を降らせる。
「殴る蹴るばかりじゃなくて、たまにはこーゆーのも面白いな。ハリウッドか香港のアクション映画みたいじゃん?」
 顔だけで一姫を振り返って言う。と同時に身体ごと後ろに向き直って、一姫の両脇から銃身を突き出すような格好で銃を発射した。
 一姫は頭を抱えてしゃがみ込む。銃声が止んで顔を上げると、背後に数人の兵が倒れていた。
「複数の敵と戦う時は、常に自分の背中を警戒すること。忘れるな」
「は、はい」
 怯えながらも感心した様子で一姫がうなずく。
 さすがに彩樹は、闘いに関してはまったく隙がなかった。さらに進んでいくと、途中の扉からいきなり敵が飛び出してくる場面もあったが、瞬時に反応して銃弾を叩き込んでいく。
 オレンジ色をした魔光弾の光が、建物の中を無数に飛び交う。城内は大騒ぎになっているようだ。
 次々と新手が現れては、彩樹の餌食になっていく。なにしろこの世界の銃は単発式。いくら人数では向こうの方が多くても、撃ち出される弾数ではこちらが圧倒している。
 しかも、一流の魔術師にも匹敵する魔力を持つ一姫が、防御に専念しているのだ。散発的な反撃など怖くない。
「この分なら、案外あっさりとカタがついてしまいそうだな」
 動いている敵の姿が視界からなくなって、一段落ついたところで彩樹は言った。西部劇の一場面のように、銃口から立ち昇っている薄い硝煙をふっと吹き飛ばす。
「でも、姫様が人質になっているんですのよ」
 まるで物足りないような口調の彩樹を、一姫がたしなめた。
 今はいい。ここにアリアーナの姿がないから遠慮なしに闘える。しかし目の前でアリアーナに銃を突きつけて武器を捨てるよう命じられたらどうする、と問う一姫を、彩樹は鼻で笑い飛ばした。
「人質ごとまとめて撃っちまう、ってのはどうだ?」
「そんな無茶な!」
「よほど当たり所が悪くない限り、そう簡単には死なねーんだし、お前がすぐに治療すればなんとかなんじゃねーか? 後で文句言われても、助けるためには仕方なかった、と言い張ればいい」
「……本当に、国家反逆罪で処刑されても知りませんからね」
「平気平気」
 彩樹が笑ったその時。
 突然、魔法の盾が砕け散った。
 眩いほどの青い光線が数条、二人の身体を貫いた。壁に叩きつけられた彩樹の手から、銃が落ちて床に転がる。
「く……ぅ」
 後頭部をしたたかに打った彩樹は、頭を振りながら身体を起こした。
 廊下の向こうに立っている、ひとつの人影が目に映った。これまで倒してきた兵士たちとはまるで違う、ゆったりとしたローブをまとって、手には長い杖を持った三十代くらいの男。
 魔術師だ。
 考えてみれば、敵の側にも魔術師がいたっておかしくはない。油断した。
「ち……。おい、一姫」
 魔術師には魔術師、そう考えて一姫の名を呼ぶが返事はない。横目で見ると、一姫は俯せに倒れたまま、か細い呻き声を上げていた。腕から血を流している。おそらく、他にも怪我をしているのだろう。
「その小娘も魔力はなかなかのものだが、しょせんは子供。隙だらけだな」
「単に性格の問題だろ」
 男はこちらを見下したような笑みを浮かべているが、彩樹が少しでも動きを見せればすぐに攻撃できるように、油断なく杖を構えている。
 彩樹は横目で、床の上に転がっている銃までの距離を目測した。
 向こうが反応するよりも速く、立ち上がって銃を拾えるだろうか。
 いや、銃を拾うだけでは駄目だ。その上で、相手が防御魔法を展開する前に撃たなければならない。力のある魔術師なら攻撃と防御の魔法を同時に使えるだろうが、防御魔法を展開されたらこちらは手が出せない。
 全身がずきずきと痛んだ。上腕と脇腹のあたりから出血している。この身体では、普段よりもわずかに反応が遅れてしまう。
 難しいタイミングだった。どう考えても、向こうの方が有利だ。
「それにしても、たった二人でいきなり突入してくるとは無謀な連中だな。しかしこれで、アリアーナ姫に対する人質も手に入った」
 男が言う。
 彩樹と一姫を人質にして、アリアーナに退位を迫るつもりだろうか。だとすると今のところ、アリアーナは自分が捕らえられても、サルカンドの言いなりにはなっていないということだ。
 もちろん、人質を取られたからといって簡単に相手の要求を呑むようなアリアーナではない。自分たちが人質となった時に彼女がどんな反応をするか、想像できないだけに彩樹も少し興味があった。
 それにしても、アリアーナを「陛下」ではなく「姫」と呼んでいるあたり、既にサルカンドを王位に就けたつもりでいるのだろうか。気の早い連中だ。
 彩樹は男を睨みつけた。
 サルカンドの配下の魔術師。もしかしたら歩美の誘拐にも関わっているのかもしれない。だとしたら、許すわけにはいかない。
 多少強引でも、銃を拾って反撃するべきだろうか。相打ちになら持ち込む自信はある。歩美の仇が討てるのなら差し違えたって構わないが、しかしそれでは肝心の目的が果たせなくなる。
(あいつがどうなろうと、知ったこっちゃないが……)
 アリアーナがひどい目に遭うこと自体はいっこうに構わないのだが、彩樹以外の者の手でそうなるのはなんだか気にいらない。
 タイミングを計って銃を拾う隙をうかがっていると、突然閃光が走った。灼けるような痛みが肩を貫き、彩樹の身体は床に転がった。
「どうも、お前は危険なようだな。気が抜けん。人質はそっちの小娘だけでいいか」
「……オレじゃなければ、あいつは人質を見捨てるぜ?」
 無事な方の手をついて、彩樹が身体を起こす。まだ、口元には不適な笑みが浮かんでいた。
「つまらん強がりを。お前と姫の不仲くらい知っているぞ。素直に命乞いでもすれば、まだ可愛げがあるものを」
「命乞いをするのはテメーの方だろ」
 彩樹のへらず口に気を悪くした様子で、男は杖を掲げた。彩樹は慎重に飛び出すタイミングを計っていた。
 次の瞬間。
 城の外に面した窓ガラスが砕けるのと、オレンジ色の閃光が走るのと、魔術師が反対側の壁に叩きつけられるのとが同時に起こった。
 一瞬遅れて、遠い銃声が響いてくる。壁に血の痕を残しながら、男の身体がずるずると崩れ落ちた。
「……なんだ?」
 彩樹にも、なにが起こったのかわからなかった。立ち上がって窓の外を見る。どうも、外から銃か魔法で攻撃されたようだった。
 窓から見える範囲に飛竜の姿はない。だとすると、ここを狙撃できそうな場所は三百メートル以上離れた小高い丘だけだった。
 目を凝らすと、その頂上にぽつんと点のような人間の頭が見える。
「早苗……か?」
 この世界の銃では、これだけの距離を正確に狙うことはできないはずだ。唯一それを可能とするのは、早苗の狙撃銃だけだ。
 以前早苗の部屋で見せてもらった、大きな照準器を取りつけた何挺ものライフルを思い出す。あの中のどれかだろう。
 そんなことを考えていると、複数の足音が近付いてくるのが聞こえた。彩樹が我に返って銃を拾おうとするよりも先に、銃を持った三人の兵が角を曲がってくる。
 しかしその連中も、外からの狙撃で瞬く間に撃ち倒された。距離があるせいか、窓が砕けてから銃声が響いてくる。
 およそ二秒の間に三発。完璧な射撃だった。
「やるじゃん」
 彩樹は短く口笛を吹いた。銃については詳しくなくても、この距離でこれだけ連続して正確な射撃を行うのが簡単でないことは理解できる。早苗が精密な狙撃に用いるのは、連射にはまるで向かないボルトアクションのライフルなのだ。
 あれだけ、人を撃つことに抵抗を感じていた早苗なのに。だから、連れてこなかったのに。
 それでも、いざという時には役に立ってくれる。やっぱり、超一流のスナイパーだ。
 ご褒美に今夜はうんと可愛がってやろう、と勝手なことを思いながら彩樹は窓際に立って、丘の方に向かって親指を立ててみせた。向こうは高倍率のスコープで覗いているのだから、きっと見えただろう。ゴマ粒のような人影が、手を振ったように見えた。
「さて……」
 怪我をした一姫をどうしようかと考えて、ふと、早苗から渡されていたトランシーバーのことを思い出した。ポケットから取り出して送信ボタンを押す。
「メルア、聞こえてるか? 一姫が怪我をした。回収に来てくれ」
 数秒後、飛竜を操って上空で待機していたメルアから応答があった。三十秒と経たずに、窓の外に巨大な飛竜が姿を現す。彩樹は意識のない一姫の身体を抱え、飛竜の背に乗せた。
「じゃ、頼むわ」
「でも、サイキさんも怪我を……」
「オレにとってはこのくらいかすり傷さ。それより、早苗に礼を言っといてくれ」
「……はい。あの、本当にお一人で大丈夫ですか?」
「心配すんなって。任せとけよ」
「ご武運を」
 飛竜はあまり長い間、空中静止はできない。メルアはまだ心配そうな表情を浮かべていたが、結局は手綱を引いて飛竜を上昇させた。
 彩樹は機関銃を拾い上げると、倒れている魔術師に近づいていった。
 男は苦しそうにか細い呻き声を上げていた。死んではいない。早苗の銃は、この距離で致命傷を与えるほどの威力はない。そうならないように、微妙に威力を調整してある。
 とはいえ、空手家の正拳突きに匹敵する衝撃はあっただろう。不意打ちをくらって動けるはずがない。
 銃口で乱暴に顔を小突くと、男は微かに目を開けた。突きつけられた銃口を目にして、恐怖に顔が引きつる。しかし彩樹はすぐに銃口を逸らした。
「簡単にくたばるなよ。てめーには、歩美の恨みがあるからな」
 銃口は、男の脚に向けられていた。軽く銃爪を引く。銃声は短かったが、その一瞬で十発近い銃弾が撃ち込まれる。
 人間の喉から発せられたものとは思えない悲鳴が、銃声をかき消した。
「とりあえず、これはオレの怪我の分だ。歩美の恨みは、後でゆっくり晴らさせてもらうぞ。今は忙しいからな」
 この男をゆっくりいたぶる暇がないのは心残りではあるが、今は優先しなければならない用事があるのだから仕方がない。彩樹は機関銃を担いで歩き出した。
 が、数歩進んだところでふと立ち止まって振り返る。
「ああ、一姫の分を忘れてた」
 もう一発銃声が響き、男の身体がびくんと跳ねた。



<<前章に戻る
次章に進む>>
目次に戻る

(C)Copyright 2002 Kitsune Kitahara All Rights Reserved.