九章 天空の狼王


 その日――
 マイカラス王国最北部の空は、無数の航空機で埋め尽くされていた。
 爆音が大気を震わし、ガソリンと硝煙の臭いが一面に満ちている。
 激しい闘いだった。
 アルキア帝国から北極航路を越えて、何百機という重爆撃機と護衛戦闘機が絶え間なく来襲する。マイカラス空軍の戦闘機隊がそれを迎え撃つために飛び立っていく。
 数の上では、世界一の空軍力を誇るアルキアが圧倒していた。マイカラスの迎撃隊は、ホームチームの地の利で数の不利を補っていた。
 基地が近いから、燃料を満載する必要がない。その分、余分に弾薬を積むことができる。弾薬を節約することなど考えずに激しい攻撃を見舞い、地上の高射砲陣地が作り出す濃密な弾幕の中へ敵を追い立てていく。
 カランティ市を護る三つの空軍基地はフル稼働だった。地上の整備員たちは片時も休むことなく働き続けている。迎撃隊は補給と再出撃を繰り返し、雲霞のごとく群がる敵機を鉄屑へと変えていく。
 もちろん、九○七飛行隊の一二機も例外ではない。敵を圧倒する速度と引き替えに燃費の悪い竜姫は、他の隊よりも頻繁に基地に戻って補給を受けなければならない。
 ソニアとシェルシィも既に三度の補給を受けて、四度目の出撃の最中だった。
 いったい、今日だけでどれだけの敵機を撃墜したことだろう。いちいち数えてもいない。戦闘が終わってガン・カメラのフィルムを現像すればわかるだろうが、数字には興味がなかった。
 撃墜数なんてどうでもいい。マイカラスの領空に敵機がいる限りは戦い続ける。それだけだ。
 幸い、今までのところは問題の新型爆弾が投下されたという報告はない。しかし、敵の攻撃の手も緩んではいない。
 戦いは、まだ終わってはいなかった。



「隊長、そろそろ最低帰投燃料です」
 燃料計の針をちらりと見て、シェルシィは溜息混じりに報告した。現在位置から一番近いティアサーク基地に戻るのは余裕だが、その前にもう一戦交えるには心許ない残量だ。
 四度目の補給を受けなければならない。心身の疲労は頂点に達している。なのに敵機は次から次へと襲来してくる。
 いったい、アルキア空軍はどれだけの戦力を投入しているのだろう。地理的に不利な分、相当の損害を出しているはずだが、半日以上も空襲を続けていられるとは。
 世界最強の空軍力は伊達ではないということか。機体の性能ではマイカラスもひけを取らなくなったが、数ではまるで太刀打ちできない。もともとマイカラス軍は、少数精鋭が中世の騎士団から変わらぬ伝統だ。
『敵さんは諦める様子はない、か。なら早めに補給を受けた方がいいな』
 ソニアの声も、幾分うんざりしているように聞こえる。
『リリィ01よりスワン02、補給のためティアサーク基地に向かう。進路上に敵は?』
『スワン02よりリリィ01、了解。敵の戦闘機隊と進路が交差する可能性大、注意されたし』
『捕捉されるかな?』
 できれば無駄な戦闘は避けたい。今日の目的はカランティ市への爆撃を防ぐこと。戦闘機と戦ってもこちらにメリットはない。
『向こうはやる気満々です。五一八飛行隊に三機の損害を与えている強敵です』
『……了解』
 ソニアの溜息が無線機に入ってきた。
『やりたくはないが、他の基地に向かうヒマはないし、素通りして尻から撃たれるのも嫌だな。すれ違いざまに一撃喰らわして離脱するぞ。シェル、深追いはするなよ』
「了解」
 二機は、ティアサーク基地へ向けて進路を変更する。
 太陽が西に傾きつつある空に目を凝らしても、まだ敵機の姿は見当たらなかった。これなら捕捉されずに通過できるかもしれない――そんな期待を抱いた時、白鳥から通信が入った。
『スワン02よりリリィ01。二時方向から敵戦闘機六接近中。進路一七五、高度七二○○、速度……八○○からさらに加速中』
「八○○キロ?」
 シェルシィは思わず声を上げた。アルキアの主力戦闘機ガーゴイルに可能な速度ではない。
『敵もジェット、ワイバーンよ。気をつけて』
 かすかな舌打ちはソニアのものだろうか。
 ワイバーンはアルキア空軍初のジェット戦闘機だ。最高速度は八五○キロ超、武装は三○ミリ機関砲一門、二○ミリ機関砲四門。竜姫には及ばないとしても、マイカラスの四式ジェット戦闘機〈飛竜〉とほぼ互角の性能を持つ優れた戦闘機である。
『よりによってワイバーンか』
 相手がレシプロ機なら、速度にものをいわせて逃げることもできるし、優れた上昇力を生かして有利な位置取りもできる。しかしジェット同士となれば、いくら竜姫といえどもそこまで圧倒的なアドバンテージはない。
『気をつけろよ。六機全部を相手にする必要はない。一発喰らわして即離脱だ』
「了解、隊長も気をつけて」
 敵と正対するために、進路を右に変える。やがて、朱色に染まりはじめた空に浮かぶ、六つの点が視界に入ってきた。
 敵はゆっくりと散開していく。こちらを包囲しようというつもりらしい。ソニアに三機、シェルシィに三機。九○七飛行隊でも初期の戦闘で多用した、いびつな逆三角形の編隊を組んで迫ってくる。先頭の機がまず攻撃を仕掛け、それを回避することを見越して二機目、三機目が攻撃するという戦法だ。
 さて、どうしたものだろう。一瞬だけ思案する。ソニアならこんな時どうするのか。
『決まってるだろ、正面から突っ込むんだ』
 そんな声が聞こえたような気がした。確かにその通りだ。三対一というこの状況下で、もっともあり得ない戦法。だからこそ敵の裏をかける。
 真っ直ぐ、先頭の敵に機首を向ける。予想外の動きに、相手が一瞬躊躇したように感じた。
 同時に機関砲のトリガーを引く。竜姫の機関砲は長砲身型で、初速が速く射程が長い。それでもぎりぎり射程外なのだが、敵にはそこまでわからないだろう。
 先頭の敵が慌てて回避行動を取る。その動きを予想していたシェルシィは、回避する敵を追わずに二機目に機首を向けた。
 これも敵の思惑の範囲外だったようだ。こちらは絶好の位置で敵機を照準に収めているが、向こうはまだ旋回しきっていない。
「まず、ひとつ」
 トリガーを引こうとした、その瞬間。
 ぞくり、と寒気を感じた。腕に鳥肌が立つ。その正体を確かめる前に、シェルシィは機体を横転降下させていた。
 一瞬前までいた空間を、曳光弾の軌跡が貫いていく。
 編隊の最後尾にいた三機目の敵だ。いつの間に射撃位置に来ていたのだろう。予想以上に速い動きだった。速いだけではない、こちらの意図を読んでいなければ、あれほど絶好のタイミングで正確な射撃は行えない。
 一気に数百メートル降下したシェルシィは、すぐに体勢を立て直して右旋回した。一機、後ろから追ってくる。急いで残り二機の位置を確認する。
(……巧い)
 冷や汗が流れた。思っていた以上に手強い相手だ。ほんの数秒だけ見失った敵機が、こちらの動きを先回りするように旋回してきている。
 慌てて左旋回。その先にもう一機の敵影を認め、仕方なくさらに降下する。
 完璧な連係だった。シェルシィがどう動いても、常に一機が先回りしてくる。これでは逃げ道がない。かといって反撃しようにも、どれか一機を狙っている間に他の二機に背後を取られる。
 相手がレシプロ機であれば、急降下で全速まで加速して一気に引き離すこともできる。しかしワイバーンは仮にもジェット、一対一での性能ならば竜姫が勝っているとはいえ、一瞬で引き離せるほどの速度差はない。
 シェルシィは反撃を諦めた。三対一で勝てるほど生やさしい相手ではない。全力で回避に専念しなければ、たちまち撃墜されてしまうだろう。
 今は耐えるしかない。敵の連係に一瞬の隙が生じるまで、こちらがミスを犯さずに逃げ続けるしかない。
 しかし、間に合うだろうか。
 回避に専念するとはいっても、永遠に逃げ切れるわけではない。回避運動を繰り返すたびに、速度と高度が失われていく。
「……っ!」
 敵の一機が正面に来る。慌てて回避する。ほんの数メートルの距離ですれ違う一瞬、相手の尾翼が目に入った。
 描かれていたのは、数え切れないほどの撃墜マークと、牙を剥いた灰色狼。
 こんな機体を駆るパイロットは一人しかない。一八○機以上の撃墜数を誇る、アルキア空軍のエース中のエース。人呼んで『天空の狼王』。
「隊長っ! こいつ、ランディ・コンコードですっ!」
 台詞の最後は悲鳴になっていた。



 ランディ・コンコードは、歓喜に震えていた。
 ついに竜姫と戦うことができる。
 ここまで、六式や七式といった主力戦闘機や、四式ジェット戦闘機〈飛竜〉も撃墜してきた。残す敵はこの竜姫だけだ。
 一対一での機体性能ではやや及ばないだろうが、三対一という数の利がある。腕前に関していえば、彼を凌駕するパイロットなど世界中探したところで見つかるものではない。勝利は確実だ。
 目の前の敵が、お目当てのソニア・ハイダーでなかったことだけが残念だった。隊長機はもうひとつの編隊と交戦中だ。さっさとこいつを片付けて、向こうを援護しよう。部下は腕利き揃いだが、それでもあの女だけは油断ができない。
 まずは目の前の敵に全力を向ける。三対一ということに後ろめたさは感じなかった。それが戦争というものだ。
 初期の戦闘機の戦いが、中世の騎士の一騎打ちの伝統を受け継いでいたのは事実だ。しかし現代の空戦は、フットボールのように高度な連係が要求されるチームプレーなのだ。
 それがランディの持論だった。並のパイロットがこんなことを言えば単なる負け惜しみと思われたかもしれない。しかし一騎打ちでも負け知らずの撃墜王の言葉だから重みがある。
 ランディは優れたパイロットであると同時に、優れた指揮官でもあった。そして、誰もが自分のような空戦の才に恵まれているわけではないこともよく理解していた。二機、三機の連係による新たな戦術を次々と編み出し、個人の技量ばかりが重視されていた空戦の世界にチームプレーの概念を持ち込んだ。
 その基本が、いま行っている『トナカイ狩り』と呼ばれる戦法だった。狼の群がトナカイを狩るように、複数の機が入れ替わり立ち替わり敵を攻撃する。攻撃を仕掛けていない機は、常に敵の逃げ道を塞ぐように先回りする。決して無理はしない。少しずつ少しずつ袋小路に追いつめて、最後に喉笛に牙を突き立てる。
 この戦法を突きつめて、ランディは『狼王』の称号を得たのだ。
 共に戦っているのは、新兵の頃から彼自身が鍛えてきた精鋭ばかり。負ける要素はない。たとえ相手がソニア・ハイダーだとしても。
 しかし、この相手も悪くはなかった。機体ナンバーは907‐12。九○七飛行隊の一二番機だ。情報部から入手した資料が正しければ、一二番機のパイロットは士官学校を卒業したばかりの新米だそうだが、それにしてはずいぶんいい腕をしている。
 いくら性能のいい機体とはいえ、トナカイ狩りの術中に完全にはまりながら、紙一重で攻撃をかわし続けているのは称賛に値する。無謀な反撃を試みず、回避に専念するその判断は正しい。若者らしくない的確な行動だ。
 これが新米だとは驚きだ。経験の浅さを感じさせない技量と判断力だった。天賦の才によるものか、それともソニア・ハイダーの教育の賜物か。おそらくはその両方だろう。いくつもの幸運に恵まれなければエースパイロットは生まれない。
 しかし、その幸運もここまでだ。いくらいい腕をしていても、ランディ自身が指揮するトナカイ狩りの輪から逃れる術はない。
 相手のパイロットはまだ二○歳になるかならないかの年齢だろう。若いのに気の毒だとは思うが、戦争とはそうしたものだ。理不尽な最期を迎える者は彼女一人ではない。
 戦闘機パイロットを生業に選んだ以上、年齢も性別も関係ない。腕と運のいい者が生き延び、そうでない者は敵のスコアとなる。それだけのことだ。
 あと十数秒の生命。
 激しい空戦機動を繰り返す竜姫は、旋回の度に速度を失っていく。それは、速度を最大の武器とするジェット戦闘機にとっては致命的なことだった。
 この状況で失った速度を取り戻すには、降下で加速するしかない。しかし、上と横には無限に広がる空も、下への余裕はほんの数千メートル。いつまでも逃げ続けることはできない。
 そろそろ、とどめを刺す頃合いだろう。
 ランディは、敵機の側面めがけて一気に間合いを詰めた。機関砲のトリガーを引く。気づいた敵パイロットが、狼狽して回避行動をとる。
 やはりここで経験不足が出た。三対一で追い立てられ、精神的にも限界だったのだろう。こちらの急な仕掛けに身の危険を感じて、一瞬、この機以外が見えなくなっていた。部下はこの隙を見逃すようなぼんくらではない。
 無茶な回避行動で生じた死角から、一機が襲いかかる。
 チェックメイトだ、と――そう確信した。



(やられる――)
 シェルシィは確信した。
 これ以上は逃げ切れないと思ったところにランディ・コンコードからの射撃を受けて、一瞬、周囲への気配りを忘れた。
 狼王の必殺の一撃は辛うじてかわした。しかしその時には、後ろ上方の最高の射撃位置に別な敵機の姿があった。操縦桿を傾け、ラダーペダルをいっぱいに踏む。しかし手遅れだ。現在の速度、高度、間合い。かわしきれない。
(あたし、死ぬのかな……)
 時間の流れが、ひどく遅いように感じた。
 愛機がゆっくりと旋回していく。敵機がのろのろと近づいてくる。すべてが映画のスローモーションのようだ。なのに思考だけがいつもと同じ速度で動いている。
(ごめんなさい、隊長。やっぱりあたし、最初に撃墜される竜姫になっちゃいました)
 これまで、たくさんの敵を墜としてきた。そして、ついに自分の番が来た。ソニアの怒っている顔が目に浮かぶ。絶対に僚機を失いたくない、そう言っていたのに。
(……ごめんなさい)
 視界の隅を、曳光弾の光がかすめていく。あと一、二秒で、機体は炎に包まれるのだろう。
 しかし――
 次の瞬間、火だるまになっていたのはシェルシィを狙っていた敵機の方だった。
「え?」
 何が起こったのだろう。一瞬、自分の目を疑う。そこへ、聞き慣れた轟音が耳に飛び込んでくる。
 竜姫のエンジン音。スマートな機体が矢のように視界を横切った。機体ナンバーは907‐02。続いてもう一機、907‐11。
『大丈夫? シェルちゃん』
 場違いにすら思える、おっとりと優しい声。戦闘中にこんな声で話すのは一人しかない、サラーナだ。
「副長! それにエシール先輩!」
 二機の竜姫は大きく宙返りして、ランディの機に攻撃を仕掛ける。
『後は私たちに任せて、今のうちに離脱しなさい』
「でも副長。こいつ、ランディ・コンコードです。アルキアの狼王ですよ!」
『知ってる。無線で聞いてたわ。だから来たのよ。あなたたちは燃料がないんでしょう? 早くティアサークへ戻りなさい』
「でも、二人だけじゃ……」
『大丈夫。ソニアが三対二まで差を縮めてくれたから』
「え?」
 慌てて視界を巡らすと、黒煙を引いて墜ちていく敵機の姿があった。六機いた敵のうち、いま残っているのは三機だけ。シェルシィが回避に専念している間に、ソニアは三対一という圧倒的不利な状況下で二機を撃墜したことになる。さすがだ。
『シェル、戻るぞ。燃料切れで墜ちたいのか? 後はサラーナに任せろ、大丈夫だから』
「は、はい!」
 サラーナの腕はよく知っているが、なにしろ相手は狼王。手助けしたいのは山々だったが、燃料に余裕がないのも事実だった。今の戦闘で無茶な回避行動を繰り返したせいで、かなりの燃料を消費してしまった。もう、ティアサーク基地までたどり着けるかどうかも怪しい。
『行くぞ』
 有無を言わさず、ソニアが離脱していく。シェルシィも続く。
 サラーナとエシールは、狼王に挑むべく反転していった。



 燃料は、本当にぎりぎりだった。
 最後はエンジンが停まった状態で、滑空して着陸する羽目になった。それでもなんとか機体を壊さずに着陸できたのは幸いだった。
 整備員が大急ぎで燃料と弾薬を補給している間に、シェルシィはハチミツを塗ったビスケットとミルクで、軽い食事を摂っていた。緊張と、昨夜の二日酔いのせいで食欲はまるでなかったが、エネルギーを補給する必要があった。空戦は見た目以上に体力を消耗するのだ。十分な栄養を摂らなければ戦闘機は飛ばせない。
 甘いビスケットをミルクで無理やり流し込んでいると、困惑した表情の整備員が近づいてきた。
「あの、少尉。四式弾が二発しか残っていないのですが、どちらの機に搭載しましょうか?」
「え?」
 ビスケットをくわえたまま、驚いて顔を上げる。
「ロケット弾がもうないの?」
 四式対空ロケット弾は、対重爆撃機用の主力武装だ。竜姫の三二ミリ機関砲はケツァルコアトルスを撃墜するのに十分な威力があるが、射程の長いロケット弾で先手を取った方が楽なのは間違いない。今日のように効率が最優先の戦闘では、ロケット弾なしというのは正直言ってきつい。
「道路が爆撃されて、補給のトラックが遅れてるんです。もうじき到着する予定ですが……待ってる時間はないですよね?」
「……そうね」
 敵襲はまだ続いている。一分一秒でも早く離陸したい。いつ到着するかわからない補給トラックを待つ余裕はない。
「すみません。なにしろ、これだけの規模の出撃は初めてですから。急なことでしたし、基地の備蓄だけじゃ長くは保ちません」
 申し訳なさそうに頭を下げる整備員に責任はない。今日は、普段の三倍以上の機がこの空域で戦闘を行っているのだ。それも、休む間もない全力出撃の繰り返しである。今朝急に決まった作戦だから、補給や整備が追いつかないのも無理はない。
「うーん……」
 シェルシィは、ちらりとソニアの機を見た。ソニアは無線で誰かと話している。基地司令か近くの白鳥と、作戦の打ち合わせをしているのだろう。
「そうね、ロケット弾はあたしの機に積んで。隊長機にはその分、機関砲弾を満載してちょうだい」
 重爆撃機が相手の戦闘は、やはりロケット弾が使えた方が楽だ。格闘戦の腕前はソニアの方が格段に上なのだから、シェルシィがロケット弾で爆撃機を攻撃し、その間ソニアがシェルシィを護るという役割分担が適切だろう。シェルシィが護衛役では、万が一またランディ・コンコードのような凄腕の敵と当たった時にソニアを護りきれない。
「三式弾ならまだ少し残ってますけど、どうします?」
「いえ、それはいらないわ」
 命中精度も威力も四式弾には遠く及ばない旧式のロケット弾。対地攻撃に用いるならともかく、対空戦闘に関しては三二ミリ砲の方がよほど頼りになる。無駄な重量を増やすだけだ。
「燃料や機関砲弾の在庫は大丈夫よね?」
 整備員に確認する。それさえも心許ないようでは、これ以上戦闘を続けることはできない。
「ええ、今のところは」
「今のところは……ね」
 もう長くはないな、と思った。
 補給が追いつかなくなってきている。なにしろ朝から続いている総力戦だ。クリューカ、ティアサーク、カランティの三基地は、定数の三倍以上の戦闘機をフル回転で運用している。基地の物資が不足するのは時間の問題だった。
 いくら戦闘機があったところで、燃料と弾薬が尽きてしまえばただの金属の塊でしかない。いや、機体だって撃墜されたり損害を受けたり、朝に比べればずいぶんと減っている。
 マイカラスとアルキア、どちらが先に力尽きるのだろう。こちらはそろそろ限界が見えてきたようだ。アルキア軍だって苦しんでいると思いたいが、今のところ攻撃の手がゆるむ様子はない。本当に、今のうちになんとか手を打たなければ、困ったことになりそうだ。
 整備員に指示を出した後で、シェルシィはソニアのところへ向かった。ちょうど通信を終えたソニアが顔を上げた。
「あれ、サラーナか?」
「え?」
 視線を追って振り返る。
 二つの機影が滑走路に降りてくる。うち一機はもうもうと黒煙を上げていた。かなりの損害を受けているらしい。耳慣れたジェットの爆音は、紛れもなく竜姫のものだ。
 ソニアとシェルシィは同時に走り出した。消火器を抱えた整備員たちも集まってくる。
 先に着陸したのはエシールの機だった。こちらは機首付近に二、三発被弾していたが、それほど大きな損害は受けていないようだ。
 しかし、後に続いたサラーナの機はひどい有様だった。
 いったい何十発撃たれたのだろう。機体全体が穴だらけといってもいい。二枚ある垂直尾翼の一枚と、右主翼の三分の一が失われていて、エンジンは両方とも炎と黒煙を上げていた。
 その割には安定した姿勢で着陸した機体に、一斉に消火剤が吹きつけられる。火災が鎮火したところで、シェルシィは急いでコクピットに駆け寄った。これだけ撃たれていては、きっとサラーナは大怪我をしているに違いない。すぐに助け出さなければならない。
「誰か、タラップを……」
 その声に応える者が現われるより先に、キャノピーが内側から開かれた。
「出迎えありがとう、シェルちゃん」
 やたらと明るいサラーナの笑顔に、シェルシィは呆気にとられて立ちつくした。
「副長……お元気そうですね?」
「もちろん?」
 ふわり。
 優雅な動作で地上に降り立つサラーナは、どこにも怪我をしている様子はなかった。飛行服は綺麗なままで、破れたところも血の汚れも見当たらない。
 消火剤にまみれた機体を見る。機関砲弾で撃たれた痕だらけ、コクピット周辺も例外ではない。
 もう一度サラーナを見る。怪我ひとつなく、いつもと変わらず美しい。
「あの……お怪我は?」
「ないわよ」
 首を傾げる。
 謎だった。これだけ被弾して、どうして無傷でいられるのだろう。
「なにか、コツとかあります?」
 訊かずにはいられない。
「そうねぇ、強いて言えば信念かしら」
「信念?」
「私の美貌に傷をつけさせてたまりますか――って」
 信念で弾に当たらないのなら、それほど楽なことはない。戦争で死ぬ者などいないだろう。しかし、サラーナが言うと妙な説得力があった。思わず納得してしまいそうになる。
「それより、エシールの容態は?」
「ああ、エシール先輩は大丈夫ですよ。副長に比べたら被弾も二、三カ所しか……」
 そう答えながら振り返って絶句する。整備員に肩を借りて機体から降りたエシールの右脚、太腿から下が真っ赤に染まっていた。
「精進が足りなかったかなぁ。あれだけ撃たれた副長が無傷なのに、たった一発の被弾で怪我するなんて……」
 自嘲の笑みも苦痛に歪んでいる。ひどい出血だ。飛行服のズボンの裾から、鮮血が滴り落ちている。整備員が両側からエシールを支え、衛生兵が止血帯を巻く。太腿をきつく縛り上げられて、その痛みにまた顔を歪める。
「すみません、隊長」
「……いや、お前はよく頑張ったよ。ご苦労さん、あとは任せてゆっくり休んでな」
 エシールの頭を乱暴に撫でたソニアは、サラーナを振り返ると態度を豹変させた。
「で、お前はなにやってんだよ。貴重な機体を穴だらけにしやがって!」
「でも、狼王には勝ったわよ」
 渋面のソニアとは対照的に、サラーナは満面の笑みを浮かべている。
「今日は戦闘機相手に勝ったって意味ねーだろ!」
「あなたにとってはそうかもしれないけれど、私はこのために飛び続けてきたのよ。これまであなたのわがままに付き合ってきたのだから、今日くらいは好きにさせてもらうわ」
「――っ」
 小さく舌うちしたソニアは、さも不快そうに回れ右すると、愛機の方へ早足で歩き出した。シェルシィはその後を追う。
「あ、あの、隊長?」
「ま、仕方ねーよな。狼王は、サラーナにとって何年も追い続けてきた仇敵だから」
 独り言のようにつぶやく。
「え?」
「昔の話さ。白百合飛行隊としての最後の出撃で、隊長機を撃墜したのが狼王なんだ。そして、隊長の僚機を務めていたのが……」
「副長だった?」
 よく見なければわからないくらい、かすかにうなずくソニア。それで理解できた。あの真面目なサラーナが「護衛戦闘機の相手はせずに爆撃機を狙う」という指示を無視して、ランディとの戦闘を優先させた理由が。
 そのために飛び続けてきた、と言っていた。白百合飛行隊の隊員で、今でも現役のパイロットはソニアとサラーナの二人しかいない。戦死した者、怪我で引退した者、身体は無傷でも心に深い傷を負って飛べなくなった者。その中でサラーナは、復讐のために飛び続けてきたのだという。
「本当は、いいことじゃない。憎しみで人を殺すなんて、殺す相手が誰かわかっているなんて、それは戦争じゃなくて殺人だ。でも……」
 ソニアが苦笑する。立ち止まって、空を見上げる。
「アタシが飛び続けているのも、復讐のためみたいなものか」
「復讐? 誰にですか?」
 訊ねると、人差し指を上に向けた。
「この空、さ。戦友も、先輩も、恋人も、みんな空で死んだ。アタシ自身、大怪我を負った。小さい頃から空が好きで、飛ぶことに憧れて、アタシくらい空を愛している人間もいないのに、空はアタシの大切なものを奪っていくだけだ。アタシを裏切った大空に復讐するためさ。そのために、この翼を手に入れた」
 自分の愛機に軽く拳をぶつける。
 どこか切なげな苦笑。その表情で、ソニアがどれほど空を愛しているかがわかる。どれほど辛い目にあっても、やっぱり空へ戻ってきてしまうのだ。
「ところで、ロケット弾が補充できなかったのか?」
「ああ、そのことですけど……」
 サラーナたちの帰還のごたごたで伝えられずにいた、先ほどの整備員とのやりとりを説明する。話を聞いたソニアが肩をすくめる。
「そろそろ限界だな。うちの隊もこれで四機が脱落だ。他の飛行隊の損害はもっとひどい。アルキアはそれ以上のダメージを受けているはずなのに、攻撃はまだ続いている。防衛線が綻びはじめてるぞ」
「ヤバイですか?」
「ヤバイな。綻びが大きくなって、そこを突破されて新型爆弾を投下されたら、それで終わりだ。ここまで根比べを続けてきたが、どうもこっちに分が悪そうだ」
「そんな……」
「ここらで一発、思い切った手を打たなきゃならない。一応、上の許可はもらってきたんだが……。ちょっときつい作戦になるけど、ついてくるか?」
「もちろん。で、なにをやるんですか?」
「ん? ちょっとした引っ掛けさ。向こうだって焦ってないはずがないんだ。案外、簡単に引っ掛かるかもしれないぞ」
 悪戯っ子のような笑みを浮かべて、作戦を説明してくれる。シェルシィは目を丸くした。
「あたしたちだけで……ですか?」
「大勢でやると、それだけばれる危険が高くなる」
「それは……そうですけど」
 大胆なことを考えたものだ。考えた人間も大胆だが、それを許可した上層部もかなり大胆だ。ひとつ間違えば致命傷になりかねない。
「さて、戦場に戻るか」
 自機のタラップに手をかけたソニアが、その手を離してシェルシィの頭に置いた。
「……悪いな。こんなことに付き合わせて」
「いいえ」
 首を左右に振る。
「あたしは、自分の意志でここにいるんです。隊長と一緒に行きたいんです」
「可愛いこと言うなって。惚れちゃうじゃねーか」
 ソニアが笑う。シェルシィもつられて笑みをこぼした。



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