「私、今日は午後からバイトなんだけど……笙子はどうする?」
「アルバイトって……なんのですか?」
行き先を告げると、笙子は楽しそうに微笑んだ。
「わたしも、見学に行っていいですか?」
あまり気は進まなかったけれど、それをダメという理由は思いつかなかった。
「あれ、珍しいね。沙紀さんが同伴出勤なんて」
後輩の静内彩樹(しずない・さいき)が笑いながら言う。
「誰が同伴だって? 従妹よ、従妹。夏休みで遊びに来てるの」
もちろんこれは嘘。笙子を連れていけば、必ず「誰?」と訊かれることになる。その時のために考えておいた言い訳だ。本当のことを言うわけにはいかないから。
「従妹? へぇ、可愛い子だね。名前は?」
目を爛々と輝かせている。きっと内心、舌なめずりをしているに違いない。
彩樹は一見、精悍な美少年といった外見だが、中身はれっきとした女子高生だ。ただし性格はある意味、非常に男性的である。
(もしかして、知らないうちに私も影響されてたのかな……)
そんなことを考えてしまう。
彼女は自他共に認める百合で、異様なくらい同性にもてて、中学生の頃から「バージンキラー」の異名を持っていたほどなのだ。
「言っとくけど、笙子にちょっかい出すんじゃないよ!」
「笙子、ね。上品っぽくていい感じじゃん。あーゆー子をひぃひぃ言わせるのが楽し……」
「彩樹!」
「冗談だって。いくらなんでも、沙紀さんの身内にまで手は出さないよ」
嘘だ。こいつは絶対本気だ。長い付き合いだからよくわかっている。
彩樹は、美少女にはまったく見境がないのだ。
「手ぇ出したらマジで怒るよ!」
きっちり釘を刺しておく。彩樹には、相手の気持ちに関係なく強引に襲うようなところがあるから、油断はできない。
だから、ここには連れて来たくなかったんだ。こいつがいるから。
私のバイト先は、女子大生の職場としてはちょっと変わったところだった。
実はここ、私が通う総合空手・北原極闘流の道場なのだ。私は一応ここの女子では一番の実力者ということになっているので、自分の稽古の合間に、小学生と中学女子に対しては指導員もしている。
一番の実力者、といったが、実際のところ彩樹とはほとんど差がない。ただ、私の方が年上であることと、彩樹が性格的に指導員に向いていないというだけのこと。彩樹に中学女子の世話なんかさせたら危険だということを、師範もよくわかっているのだろう。
もっとも、笙子を襲ってしまった私には彩樹を悪く言う資格はないのだが、少なくとも私は手当たり次第に襲ったりしないし、悪いことをしたと反省もしている。
私は師範に事情を話して見学の許可を取ると、小さな折り畳み椅子を持ってきて、笙子を壁際の邪魔にならない場所に座らせておいた。
退屈なんじゃないか、とも思ったが、笙子はにこにこと稽古風景を見ていたようだ。時々、彩樹が手を振ったりしていたのがちょっと癇に障ったが。
「沙紀さんは、どうして空手を始めたのですか?」
稽古が終わった帰り道、笙子が何気なく訊いてきた。
「少し、意外な気がするんです。沙紀さんって背は高いけど細身ですし……。どちらかといえば、体育会系というよりも文系の雰囲気がありますよね」
「う〜ん……、まあ、そうかなぁ」
確かに、初対面の相手にはよく言われる。格闘技なんかやっているように見えない、と。
私は背は高いが線は細いし、外見も性格も、どちらかといえば地味な方だ。
「空手を始めたのは、高校に入ったばかりの頃だったっけ……」
中学の頃から、運動神経は悪くなかった。
勉強の方も、一応上位の成績をキープしていた。
容姿だって、とびっきりの美人とは思わないけれど、まあ十人並み以上はいっていると思う。
それが、進藤沙紀という人間だった。
「自分を、変えたかったのかな」
「……?」
何をやっても、人並み以上にはできる。だけど「これだけは誰にも負けない」というものはない。
すべてにおいて、そこそこの成績で。
それはむしろ、地味な存在でしかない。
どちらかといえば大人しい性格も災いして、私は目立たない存在だった。なにか一分野で飛び抜けて秀でている者の方が、周囲の注目を集めるものだ。
私は、悪い意味で「優等生」だった。
そして、そんな自分が好きではなかった。
自分を変えたいと思っていた。
そんな思いは、高校へ進学した頃が一番強かったと思う。
その頃の私は、きっかけを探していた。
そんな時にたまたま、電機屋の店頭のテレビに映っていた女子空手の試合が目に止まった。
すごく、格好良く見えた。
自分もああなりたいと。そう思った。
「それで、学校の近くにあった極闘流の道場に入門したんだ。でも……」
「でも?」
「けっこう、才能はあったんだと思う。上達して、全国大会でも勝てるようになって……。でも、人の性格ってそう簡単に変わらないんだよね。やっぱり私って、いまいち地味でさ。彩樹や美樹さんのような『華』がないっていうか。あ、北原美樹って、知ってる?」
笙子は首を左右に振った。格闘技を志す女子の間では知らない者のいない名前だけど、笙子が知らないのは当然だろう。
「極闘流の総帥のお孫さんなんだけど、女子格闘技では世界最強って言われている人でね。とにかくすごい強いんだ。傍に立っただけで、鳥肌が立つくらいに迫力と存在感のある人」
私も、ああなりたかった。
美樹さんのように、強く、そして魅力的に。
「えぇっと……沙紀さんって、今でも十分に格好よくて、……素敵だと思います」
面と向かって言うには恥ずかしい台詞だと思ったのか、笙子は並んで歩いている私の顔は見ずに、真っ直ぐ前を向いていた。
頬が、ほんのりと赤くなっている。
「……ありがとう」
どさくさに紛れて、私は笙子の手を握った。
〈続く〉
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